飛鳥時代   

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本題に入る前に飛鳥と明日香の表現について門脇貞二氏(注5)に依れば、傾向として官撰の書物すなわち・古事記・日本書紀などの公文書や・官寺縁起などは飛鳥が多く記述され、私撰の詞華集しかしゅうすなわち萬葉集などは明日香が多く使わているという、因みに仏教史に飛鳥時代と言う分類に疑問視する説も散見する。

本題に入る前に飛鳥と明日香の表現について門脇貞二氏(注5)に依れば、傾向として官撰の書物すなわち・古事記・日本書紀などの公文書や・官寺縁起などは飛鳥が多く記述され、私撰の詞華集しかしゅうすなわち萬葉集などは明日香が多く使わているという、因みに仏教史に飛鳥時代と言う分類に疑問視する説も散見する。
日本の仏教が開花したのは「あすか時代」である、仏教公伝の年は多説言われてきたが538年百済より移入説が有力とされる、それ以前より渡来系の人々により信仰されていたと考えられる状況であり、仏獣鏡ぶつじゅうきょうが古墳から発掘されていることから推察できる、またおっの変」即ち645 年の「大化の改新」までを飛鳥時代とされる、因みに公伝とは権力者から権力者に伝えられたもので
儒教道教の伝来に於いては一方が権力者でない為に公伝とは言われない様である。
日本には祭祀を行う古代信仰は存在したが体系的な教義を有した信仰
(仏教)は飛鳥の地が嚆矢と言える、即ち仏教は飛鳥を中心にして興隆した、この時代に神道は原始的な形態であり体系化していなかった事は確実視されている。       
本格的寺院建立は最初に畿内に於いて力を付けてきた百済の技術者集団達により渡来系の蘇我一族の本拠地である明日香の地に法興寺
飛鳥寺が建立され形体を整えた、仏教公伝は稲目の時代であり蘇我氏中心の仏教であることに変わりはない。
書紀などの公文書や・官寺縁起などは飛鳥が多く記述され、私撰の詞華集(しかしゅう)すなわち萬葉集などは明日香が多く使わているという、因みに仏教史に飛鳥時代と言う分類に疑問視する説も散見する日本の
仏教が開花したのは「あすか時代」である、仏教公伝の年は多説言われてきたが538年百済より移入説が有力とされる、それ以前より渡来系の人々により信仰されていたと考えられる状況であり、仏獣鏡(ぶつじゅうきょう)が古墳から発掘されていることから推察できる、また(おっ)()の変」即ち645 年の「大化の改新」までを飛鳥時代とされる、因みに公伝とは権力者から権力者に伝えられたもので儒教道教の伝来に於いては一方が権力者でない為に公伝とは言われない様である。
日本には祭祀を行う古代信仰は存在したが体系的な教義を有した信仰
(仏教)は飛鳥の地が嚆矢と言える、即ち仏教は飛鳥を中心にして興隆した、この時代に神道は原始的な形態であり体系化していなかった事は確実視されている。       
本格的寺院建立は最初に畿内に於いて力を付けてきた百済の技術者集団達により渡来系の蘇我一族の本拠地である明日香の地に法興寺
飛鳥寺が建立され形体を整えた、仏教公伝は稲目の時代であり蘇我氏中心の仏教であることに変わりはない。
また聖徳太子の妃である膳氏
(かしわでし)の本拠地である斑鳩の地に太子による研究サークルが作られ三経義疏三論宗等が研究されたと言われている、但し日本書紀に依れば飛鳥時代に招来された経典は「大雲輪請雨経(だいうんりんしょうきょう)」「安宅(あたか)経」「土側(どそく)経」「盂蘭盆経」「無量寿経」等の記述があり聖徳太子が重要視したと言われている三経義疏とは乖離がある。  
日本書紀に依れば624
(推古32年)寺院46ヶ寺・僧尼1385(内尼僧569人)の記述が見られるが、この時代最初の官寺の創建は639年の百済大寺である、以前より蘇我稲目の建立で推古帝が即位したとも言う向原寺豊浦寺(とゆらでら)を初めとして豪族による私寺が多く建立されており、この時代に創建されたとされる寺跡は書記の記述数はともかく奈良県を中心に30ヶ寺を超える。 
戦いや軋轢は存在したが、この時代の仏教は最先端の文化、文明であり教義を優先して貴族間に浸透したと言える、百済から贈られた仏像に付いても
相貎(そうぼう)端厳(たんげん)とまで言われた、欽明天皇十三年(552)「日本書紀」の記述に「西蕃(にしのとなりのくに)の献(たてまつ)れる仏の相貌端厳(かおきらぎら)し」の記述がある。(天皇聞已 歓喜踊躍 詔使者云 朕従昔来 未曾得聞如是微妙之法 然朕不自決 乃歴問群臣曰 西蕃献仏相貌端厳 全未曾有 可礼以不‐−−) 。 

飛鳥時代の仏像の種類はシンプルである、顕教の如来は別として菩薩弥勒菩薩観音菩薩、程度で十一面観音などの変化観音は請来されていない、文化財として彫刻では中国、南朝の影響下と思惟される金銅製の小佛が主流であるが、次第に等身大像が製作される様になり、法隆寺釈迦三尊、百済観音、  広隆寺・弥勒菩薩、後世の補修が多いが飛鳥寺・釈迦如来や東京国立博物館・法隆寺献納宝物(一光三尊佛立像他)などがある、飛鳥時代の特徴として正面からの参拝を意識した平面的作品が比較的多い、また建築物に法隆寺・金堂がある。  

このほか飛鳥寺代には
604
年十七条の憲法の制定、
607
年の遣隋使派遣、 
645
年大化の改新、 
663
年白村江の敗戦、 
672
年壬申の乱がある。
とは法華経義疏
義疏の事を言う、三論宗とは2−3世紀竜樹とその弟子が書いたとされる三論玄義 (1)中論 (2)十二門論 (3)百論の三論を中核として成立した宗派で「空観の究極理論」を体系化したもの、飛鳥でも元興寺や大安寺において研究された、ただし三論学派が宗派と認定されたのは天平勝宝年間東大寺が嚆矢である。
余談であるが飛鳥の語源は古代朝鮮語のアンスク、即ち安住の地を意味すると言われている。


注1、 勝鬘経とは在家女性信者(王女)の説話を釈迦が肯定したものと言われる、人間の本性は清浄無垢な如来蔵を持っている。

注2、 維摩経とは初期大乗佛典の傑作で菩薩の化身で最高の在家信者と言われる維摩居士による空の問答集である。(経典の項参照)      

3、 法隆寺には(1)膳氏建立の寺 (2)聖徳太子による若草伽藍 (3)現在の法隆寺 が存在した説が有力視される。(世界大百科事典より) 

注4、 仏像彫刻に於いて正面観照性を重視して左右裏面は無視。

注5、 飛鳥、白鳳時代に造像された仏像は *釈迦如来、*薬師如来、*阿弥陀如来、*弥勒如来、菩薩では、*観音菩薩、程度である。

注6、 門脇 貞二 1925年生まれ京都帝国大学卒 奈良女子大学教授 京都府立大学学長 2007年没、 萬葉集に於いて飛鳥:明日香の記述例は46例中・明日香37例、 ・7例、 ・阿須可、安須可、各1例である。  (飛鳥 門脇貞二著 吉川弘文館)  

   

   

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