観音菩薩の内で唯一動物の頭を頂く尊格である、梵語名 hayagrīva(ハヤグリーブア)牝馬の頭の意訳とされ馬頭明王・馬頭大士とも呼ばれる、ヒンドウー(Hindu)に於ける三大神の一神で一番人気と言える、ヴィシュヌ(Viṣṇu)の化身(nirmāṇakāya)と言われている、日本では六観音の一尊であり八大明王にも数えられる、典拠となる「大妙金剛経」に依れば一面二臂で右手は蓮華、左手には水瓶を持つ、体は赤で首と四肢に蛇を巻きつけ明王に近い。
発生はリグ・ベーダ聖典(Ṛg-veda)
最古の資料としてインドのバルティスタン州ギルギッド(Gilgit-Baltistan)で表れた「馬頭明呪」がある、依経としては・「陀羅尼集経」阿地矍多訳から始り、・「何耶掲利婆観世音菩薩法印呪品」阿地矍多訳 ・「不空羂索神変真言経」・「広大解説曼拏羅品第12」菩提流志訳 ・「
インドに於いては独尊で造像される事は無く、一面二臂像で善財童子と共に聖観音菩薩の脇持とする事もある、この場合は「
慈悲の菩薩相を持つ他の観音との違いは憤怒相にあり観音菩薩と言うより明王と見たほうが理解し易いかもしれない、儀軌にも異説が多く頭部に馬頭をつけている以外姿形・持物とも相違は著しい,煩悩・無知を草を食すように消滅する信仰が認められる。
姿形としては憤怒相と頭部に馬頭を頂く以外多様であるが斧や剣等の武器を所持する場合が多い、但し胎蔵界曼荼羅に於いては観音即ち菩薩形で蓮華部院に所属している、密号は
馬頭観音は現在に於いてもチベット仏教の内でも最高水準の密教(後期密教)とされるanuttarayoga, tantya (アヌッタラヨーガ タントラ) 即ち無上瑜伽タントラの秘法「馬頭観音」の大灌頂と成就法伝授がある、因みに「無上瑜伽タントラ」とはインドに於ける後期密教やチベット佛教の経典を指す。
馬頭観音は大可畏明王の別名を「不空大可畏明王観世音菩薩」と共に観音菩薩と明王にも登場する尊挌である。
奈良時代に信仰があったとして西大寺資材帳に記載はあるが現存尊像は無い、平安時代になり馬頭信仰が始まり鎌倉時代には馬を持つ武士に広がり江戸時代には農耕馬の守護として農村にも広がりを見せた、六観音の一尊として造像されたが数は少ない、信仰としては六道のうち畜生道に対する信仰と厳しい中部地方の山岳に旅の途中で倒れた馬の供養の為の石碑などが古い街道端にある。
大安寺の菩薩像で重要文化財指定の伝馬頭観音が存在する、天平時代の作で空海の密教請来以前の尊像で重要文化財指定は千手観音とされている、大安寺の場合憤怒相では無く菩薩相であるが、六臂で頭部も菩薩形をしており宝冠や頭上に馬頭もない、しかし後補部があり定かではないが馬頭観音の可能性が高い。
馬頭観音は文化財指定尊像を見るかぎり6~8臂が多く大安寺の観音像は6臂であり千手観音の6~8臂は他(手の破損像は除く)には見られない、10臂像は京都・雨宝院 211,5cm 11面 平安時代がある、また千手観音の文化財指定は1100件を超える尊像の内11面でない像は、・法性寺 ・清水寺奥の院本尊・縁城寺を含めて5尊程度である。
他の観音菩薩に比べて信仰は少ないが京都市舞鶴松尾の成相山・松尾寺は西国三十三所の二十八番札所で馬頭観音を本尊としている。
絵画で著名な馬頭観音にボストン美術館所蔵(旧蔵 興聖寺 宇治市宇治山田)の絹本着色166.1cm:82.7cm 平安時代がある。
真言 オン アミリト ドハンバ ウン ハッタ
注1、六観音の説明は・聖観音・如意輪観音編に記述
主な馬頭観音像
●浄瑠璃寺 立像 木造彩色 106,3cm 鎌倉時代 奈良国立博物館寄託
●観世音寺 立像 木造漆箔503,0cm 平安時代 真快作
●大安寺 伝馬頭観音 木造彩色 173,5cm 天平時代 (文化財登録名 千手観音)
●竹林寺(高知) 立像 木造玉眼 99,9cm 室町時代 高知市五台山3577
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●豊財院(石川) 立像 木造173,6cm 平安時代 石川県羽咋市白瀬町ル8
最終加筆日 2004年6月28日 2011年12月21日 2012年3月11日アヌッタラヨーガ タントラのルビ他 2012年7月4日大妙金剛経 2014年6月5日avatāra他 2016年2月20日 2017年1月17日 6月8日 2022年4月6日 9月26日加筆