佛教
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佛教とは凡そ二千五百年前に実在した釈迦族の王子が真理を発見して覚者となり、覚った真理を説いた教義である、涅槃、解脱(注34)即ち久遠の安楽を求める為の”釈尊の教え”と言う説がある、玄奘三蔵の漢訳に依れば”佛”一文字だけでなく佛陀 buddhaの教え即ち真理、本質、実相を悟った人の事を言う。
因みに仏教は所謂真理を伝えたもので釈尊は発見したが創造したものではない、さめた見方をすれば仏教とは釈尊を化身とした世界観と言える、一口に仏教と言っても上座部佛教(theravāda)の場合、* スリランカを経て *ミャンマー *タイ *カンボジヤ、大乗佛教(Mahāyāna
buddhism)では中央アジアからシルクロード
(英語Silk Road 独語Seidenstraße)を経て *中国仏教系(韓国、日本を含む)、 *チベット佛教 *ネパール仏教系 ⋆ベトナム(ハノイ)等に分かれ内容も大きく相違する仏教がある。
日本が招来したのは客神信仰としてよりも超大国である中国の最先端文化を招来したと言えよう、日本では
日本仏教は他国の仏教と異なり美術、建築、庭、の美しさが卓越している、いろいろ言われるが、早稲田大学の吉津
佛(仏)教は古代エジプトと並び世界最高峰の論理思想を持つインド哲学、即ちヴェーダ(Veda)
インド仏教の歴史を概観するとBc2500年頃のインダス文明、Bc1500年頃~Bc500年のブラーフマニズム(brāhmana)
バラモン哲学を構築しインドを席巻したアーリア人は、牧畜から次第に農耕に転じ都市を形成して教義的にヴェーダ聖典(注10)が実情にそぐわず
古代信仰の神話的コスモロジー(cosmology、宇宙論)を分析した教義で釈尊を祖とする、世界宗教の特徴かも知れないが、佛教発祥国のインドを超えてスリランカ(セイロン)、ビルマ(ミャンマー)、中国、日本などアジアを中心として普遍化した、因みに仏教を当初から宗教としてではなく、先進国の学問文化として理解していたと考えられる、これが仏教の必須事項である教義や戒律が疎かになった原因の一つと言える、宗教技術のみ一流の日本教スタートかも知れない、その証拠に日本で教義論争からの争いは観られず、事実上は権力闘争しか見られない、但し日本仏教は信仰の場所、文化的な遺跡と管理等に於いては宝庫と言えるかも知れない、因みに信仰とは梵語でシュラッダー(śraddhā)と言い漢訳したものである。
キリスト教、イスラーム教と共に世界三大宗教の一教に数えられるのが佛教である、因みに佛教の呼称は明治以降にキリスト教やイスラームとの区分上の呼称される様になった、それ以前は「佛法」と呼ばれていた、仏法とは合理的な呼称であると言われる、即ち人間の真理が法でありそれを覚ったのが仏陀とされる、(中村元の仏教入門・春秋社) 因みに宗教と言うタームも明治以降にreligionの訳語として作られた、但し本来の意味は「反復して読む」からきている。
梅原猛氏の観方に依れば、釈迦の教えとされる哲学即ち四諦、八正道等は論理的で知性を有するが、宗教と言えるか疑問点を有する、氏は宗教とは超歴史性、即ち歴史的人格を離れ、超人格性を持ち、衆生に帰依の感情持たせなければならない、(仏像 こころとかたち NHKブックス)と言う。
これを補正したのが、法華経などの大乗経典であり、以後の経典には思想に法華経が忍でいるとの記述が観られる。
世界宗教と言われる中でセム的一神教、すなわち・ユダヤ教 ・キリスト教・イスラーム教などの経典宗教は、神が総てを創造したのに対して佛教は釈尊が真理を発見した宗教である、従って伝播の課程に於いて真理は夫々の国のエトス(行動様式・文化)、歴史と融合して受容された宗教である、表現を変えれば仏陀の教えから真の重要部分が矛盾しない範囲で視野の拡大が為された宗教である。
佛教の教義は膨大である、蔵経を例に挙げれば・saṃskṛta語(梵語)・Pāḷi語(パーリ語)・漢語・呉語・チベット語があり、其々個性があるが富永仲基(1715年~1746年)の大乗非仏説を事実上肯定した村上専精氏(注23)に依れば「大小権実顕密教禅聖浄」の十文字に纏められている、その他の大乗非仏説には服部
非仏説に付いて佛教の発祥地インドでは早い時期から叫ばれており部派側からも「経典捏造による
佛教と仏教の漢字区分であるが、仏の略字が使用されたのは数十年の歴史である、中村元氏に依れば佛と言う漢字は古い典籍には存在せず、佛教の流入以降に出来た文字と言われる、さらに弗は「○○に非ず」を意味していると言う、即ち佛は人に非ずである、類例として「沸く」は水に非ずを挙げておられる。
本来佛教は「釈尊の教え」だけを佛教と呼称出来るはずである、ぶれの無い「法」でなければならない、ところが潮流と言える程幅の広い佛教であるが、日本に於けるインド哲学の泰斗、故中村始氏に依れば「仏教そのものは特定の教義と言うものがない、釈尊自身は覚りの内容を定式化して説くことを欲せず、機敏に応じて、相手に応じて異なる説きかたをした」と言われている、これを「
仏教に於ける縁起説では宇井伯寿(注27)の「十二因縁の解釈・縁起説の意義」や、道元も「正法眼蔵・深信因果(注28)」に於いて佛教の根本思想として強調している。
世界宗教の中で佛教は信仰や儀典への参加や忠誠心を強要しない唯一とも言える宗教である、一部の例外を除いて
佛教の源流とも言える古代信仰がバラモンであり、紀元前十数世頃~BC八世紀頃にアーリア人社会による司祭階層と、それ以前の土着信仰から構成された、
佛教は紀元前約五世紀頃にライバルであった苦行を標榜するジャイナ教等と同時期に興った、ガンジス川中流付近で釈迦により創唱された宗教でアジアを中心に信徒数約五億人を擁しキリスト教やイスラーム教と共に世界宗教の一教として活動中であるが世界に於ける宗教人口の5,9%(注12、参照)程度であり、ヒンズー教徒の半数にも満たない、但し後述するが現在インドに於いては表の顔はヒンズー教徒であるが隠れ佛教徒が一億人程存在するとの主張がある、ひろさちや氏は言う、インドの人達は教義的に相反するが佛教はヒンズー教の範疇にある、即ちインド発祥の宗教は総てヒンズー教であると解釈している、これは仏教が梵我一如を否定しながら、ヴェーダ聖典(Veda)
「相対性理論」・「
自然の原理を源としての梵と、自我すなわち我を集合して梵我一如すなわち不二一元論を標榜して、BC7世紀以前からカーストの頂点にあり支配していたバラモンの周辺にクシャトリア即ち王族が勢力を伸ばし、バラモンの影響力に陰りを見せる頃ガンジス川中流付近では古代宗教が多く興るが、佛教はこれらを踏襲しながら梵我一如とベーダ聖典(veda)を否定し・犠牲を求める生贄を捧げるシステムを供物に変えるなどの革命も行う。
梵我一如とはヒンズーの思想的前身である哲学書群的なウパニシャッド(Upaniṣad・奥義書)は、インド古代のバラモン教最高経典の一つでリグ・ヴェーダ聖典(注10)すなわち神々への賛歌の内にある。
無我説と有我説とに分かれており「梵我一如」は有我説である、「梵」究極的実在すなわちブラフマン(Brāhman)と「我」アートマン(ātman)と同一であると言う。
梵とは宇宙に於ける根本原理を言い、梵を偶像化した像を佛教に於いては梵天(Brāhmā ブラフマー)と呼ぶ、閑話休題saṃskṛta語即ち梵語は梵天が制作した言語とされている事から来ている、梵はアーリア系のバラモンが呪すなわち祝詞を、神々に捧げる詩歌として独占ししたことに始まる。
有我説に於いては我とは生命・霊魂・自己を言い、肉体は滅びても我は不滅であると言う、ヴェーダ聖典を典拠とするバラモン哲学は梵我一如を正統するが、無我説を言う佛教や唯物論者は縁起説から始まり「諸行無常」を言い梵我一如を否定する,因みにātmanとは自我と内に占める霊的パワーすなわち意識の最も深い内側にある個の根源(真我)を言う。
佛教の発生に影響を与えたとされる宗教に南ロシアから移住し征服した遊牧民・アーリア人の興した 1、犠牲祭や神々への讃歌を詠うバラモン教(bc1200~900頃)がある、 2、にサルベージを神々に指定し輪廻転生を考え出したシュラマナ(bc900~600頃) 3、不殺生・禁欲苦行を行うジャイナ教(bc580~500頃)がある。
釈迦はインド北部、現在のネパール付近で釈迦族の王子として生まれ29歳の頃人生に虚しさを覚え出家し修行者(沙門即ち乞食による修行生活)の仲間入りする。
バラモン教等の行者達と六年間修行したが、苦行に意義を見出せずマガタ国の菩提樹の下で座禅(禅定)する事により覚りを開き佛陀(釈迦牟尼*聖者)となった。
重ねて言えば佛教はバラモン教の梵我一如の否定から始まる,万物はアニトヤ(梵語・anitya・無常)すなわち諸行無常(saṃkāra・サンカーラ)であるのに絶対永遠であると誤解するから苦が生ずるとする、これらを有我説と言う、因みに梵我一如とはヴェーダ聖典では宇宙支配の原理(brahman・ブラフマン)=個人支配の原理(ātman・アートマン)と言い、永遠の至福・万物の絶対永遠性を言う、これを不二一元論(advaita,・アドヴァイタ)とも言われる。 (無常=pāli語・アニッチャ・anicca)
唯物論者、沙門など自由思想家達は無我説(縁起説)を主張これが佛教に発展する基になる。
梅原猛氏は、「佛教は釈迦において、バラモン教の巨大な宇宙哲学にたいして、極めて人間的な論理的思想として出発した、やがて佛教はバラモン教の宇宙論を取り入れるようになる、これが大乗佛教の発展でありその極端なものが密教である」・(佛像のこころ・集英社)と言われている。
佛教は僧侶・信徒にとって佛の存在・教義をどれだけ信ずるか、信徒としての必須行動の範囲が非拘束であり明確ではない、佛教教義の多様性は一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教)や中国の土着信仰(儒教、道教)に比べ極めて著しい、一宗教の宗派と言うより潮流と解釈できる程幅が広いが、(日本人のための宗教言論・徳間書店小室直樹より抜粋)
佛教論理の共通項即ち総ての佛教宗派に共通する教義を要約すれば「空」と「因果律(causality コーザリテイ)」「縁起」で構成されていると言えよう、但し佛教徒は三宝があると考える、佛・法・僧に帰依する事である、これらを「三帰依」(注30)と言い、拠り所として「帰依処」を持つ事が佛教徒の必須にして充分な条件と言えなくもない、また三宝の守秘義務として三学すなわち1、戒すなわち戒律、乱れのない心を言う 2、常すなわち心身統一(禅など)と 3、慧すなわち「戒」+「常」智慧がある、常は梵語のsamādhiで三昧などと訳される、慧はプラジュニヤー prajñā即ち智慧で般若と訳される。 pāḷi語 パンニャー paññā
佛教のキーワードとも言える因果律であるが、一神教では因果律を否定する、一神教は予定説でありサルベージを与えるか苦難を架すかは予め決められている、聖書の記述ではアブラハムやヨブは神を敬い従順な信徒に過酷な苦難を架されている。
閑話休題イギリスのwillam jones (1746~1794年)に依ればインドの古代公用語である梵語と英語の語源は同じであると言う。
三宝に帰依する事は佛教徒としての根幹となる信仰対象にある、即ち三帰依の表現には念佛があり、南無阿弥陀佛は帰依佛 ・南妙法蓮華経は帰依法 ・南無大師遍照金剛は帰依僧に対するものと言える、僧の語源であるが梵語のサンガ即ち僧の衆団を中国に於いて僧伽と音訳され日本では僧侶となった。
仏教の宗派を問わないで依拠とされる哲学がある、釈尊が人の於かれた状況を分析した基本ソフトで三法印と言う、三法印に空を含めた哲学が佛教理解のキーワードかも知れない。
(1)諸行無常(saṃkāra・サンカーラ)
(2)諸法無我(sarva-dharma-anaatman)
(3)涅槃寂静(nibbaana-vuupasanna)を言う、三法印とは(1)諸行無常とは全ての現象は無常であり永遠絶対なものは無く流転する、すなわち仮の姿でしかない、 (2)諸法無我とは全ての現象は原因と条件からなり実態が無く仮説であり空である、 (3)涅槃寂静は執着、欲望、を無くし静寂な状態を言う、四つの真理で説明が四諦である、1~3に「一切皆苦」すなわち現世に於いては凡て苦である加わり四法印とも言われる、その他、因縁すなわち生起と滅の関係を言う十二縁起(注3)がある、因みに帰依処とは心の拠り所を意味する、また他に涅槃には無余涅槃、有余涅槃がある、無余涅槃は煩悩+生理的欲求共に残さない場合を言い、有余涅槃は生きながらの覚りで小乗の覚りとも言われる。
「空は人類が到達した最深、最高の哲理であろう。それはアリストテレス(bc384~312年)の形式論理学、ドイツの数学者ヒルベルト(1862~1943年)の記号論理学をも超越している論理を駆使していることが、最近明らかにされた。」と小室直樹は言う。(日本人の為の宗教原論・徳間書店)
佛法の基本的スタンスに七仏通戒偈と言う著名な句がある、「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」意味は「意味:諸々の悪をなさず、諸々の善いことを行い、自ら心を浄める、是れ諸仏の教えなり」で唐の白楽天(白居易)が道林禅師を訪ねて弟子になる物語で法句経や道元も正法眼蔵に引用している。
本来の佛教はセム的一神教の様に人格神すなわち神の啓示を必要としないで、存在している法(ダルマ)すなわち完全な智慧を取得する道であり、修行等は覚りを開き如来すなわち佛のレベルに到達する事を目的としていたが、阿弥陀如来の登場で本願により救済される経典や、久遠実情の釈迦を標榜する法華経による、天主と僕の関係が構築されキリスト教的要素が加わる、ちなみにユダヤ教・キリスト教・イスラーム教では神の伝言を伝える大天使(キリスト教を例にとれば、ガブリエル、ミカエル、ラファエル、ウリエル)もしくは聖人であろうが天主(神)の領域に到達する事は絶対に有りえない、佛教は道理と信仰の二面制を持ち信仰の中に道理を包括すると明治維新の佛教哲学者で東洋大学の創設者・井上円了師は言う。
別の視点から駒澤大学の佐々木宏幹に依る分類として「生活仏教」と「教義仏教」があると言う、高尚な教義仏教に偏りを指摘されている、生活仏教のもつ現世利益、死後の儀礼を蔑にすればインド仏教の轍を踏む事に為るかも知れない。
佛教の中国への伝播は紀元前1世紀頃とされる、三国志魏書三十(魏略・西戎伝)に記述があり、「‐‐‐‐浮屠の経を口伝‐‐‐‐」とある、因みに浮屠とは釈尊の古い漢訳名である。
佛教は南北朝時代頃から儒教・道教を凌駕するようになる、但し大きな法難に四度遭遇する、これらを「三武一宗の法難」と言う、但し法難と言うが、中国に於いては佛教を優遇し兵役、租税の免除した、その為に租税、兵役免除の目的で利殖はするが、生産性の無い寺院僧侶が増え過ぎた為の処置とも言えよう、即ち教義上の問題からの廃仏とは決め付けられない。
中国に於ける宗教弾圧を挙げる。
①五世紀、北魏 太武帝(423~452年)による道教を保護し廃仏、 ()内は皇帝の在位年数
②六世紀、北周 武帝(560~578年) 道教、佛教の廃止、
③九世紀、北周 武宗(840~846年) 会昌の廃仏として著名、
④十世紀、後周 世宗(954~959年) と続いた、因みに三武一宗とは弾圧した皇帝の名から銘々された様である、また会昌の廃仏は元号から取られた。
インドに於ける廃仏はイスラームの侵攻だけでなく行われた歴史があり、Bc80年頃シュンガ王朝のプシュヤトグはバラモン信仰に篤く破仏に動いた、要するにバラモン~ヒンズー教はインドに於ける土着信仰である、従って通過儀礼は継承されたが、仏教はインドの儀礼を無視した事が破佛に繋がった。
経典の翻訳は新しく作られた佛・梵・魔などの文字の他に、道教などの熟語に置き換えて理解された、呪をトッププライオリテイーに置く儒教と極めて近い教えであった、中国仏教が本来の覚りの哲学に移行したのは、中国天台宗を興した智顗
(538年~597年)と華厳宗の第三祖・賢首大師法蔵 (643年~712年)である、閑話休題道教や儒教と近いが、よく異文化を学んだと言える、中華思想は自国を中原等と呼称しブライドを示す反面、周辺国を五方之民の侮蔑呼称は東夷(東方の異民族) 南蛮(南方の異民族)西戎(西の異民族)北戎(北の異民族)北狄(北の異民族)と呼んだ、その他
我が国への伝来は日本書紀に依れば欽明天皇十三年(542年)公伝とされるが552年頃には日本に伝わる、日本仏教は当初から律令的統治システムに組み込まれていた明治五年に太政官政府から「僧侶の肉食妻帯、蕃髪、勝手たるべし」の布告が為された、これは政府が国家神道を目論み僧侶の退廃、堕落を目的とし仏教の人心離反を試みての布告との説がある。(日本仏教の発生・中村生雄・青土社)
国家神道と言えば現代に於いても通称・神政連と言い1069年、神社庁を中心に興された「神道政治連盟」と言う組織があり、多くの国会議員が加盟している、因みに総理を初め現在(2016年12月)の日本国の大臣の大多数がこの組織の加盟者である。
日本の為政者が取り入れた佛教は宗教ではあるが世界最先端の文化・文明と、覚りを目指す佛教でなく利益を満たす為の霊的技術として取り入れたとも言える、井沢元彦流に言えば寺は最先端の文化センターであると言う、サルベージ(salvage)も佛教本来の覚りを目指す個人救済の佛教ではなく、集団救済すなわち国家鎮護を目的とする呪術として受容したと言える、要するに日本佛教は作法だけを踏襲した無戒佛教であり他の佛教国とは異宗教に近い宗教に変貌している。
例を挙げれば
1、戒律に対する過度の軽視。
2、阿弥陀信仰などの他力信仰のみの形態。
3、葬儀を含めた儀礼に偏重し教義軽視。
4、僧俗区別不能の生活の実態等である。
*「涅槃経」獅子吼菩薩品に依れば仏教修行者が必須とする業に三学があり、内でも”戒学”が第一に挙げられている。
①
戒学―身口意の
② 定学―禅定と教蔵すなわち禅蔵を修める。
③
慧学―智慧を修める論蔵を修める。
インドはエジプトを並び世界四大文明(注31)の最高峰の哲学を有する国であるが、「史書なきインド」「歴史欠乏の国」等と言われ不確定な要素を含む事が多い、哲学大国から生まれた佛教の道程を簡単に俯瞰すると紀元前5世紀頃佛陀が覚りを開き、佛陀の入滅後凡そ116~218年を過ぎた紀元前3世紀頃マウリア王朝の三代目でインドに於ける大帝国を構築したアショーカ王(阿育王・紀元前268~232年頃・注22)が国家統一に手段として佛教に帰依した、これによりローカル教団でしかなかった佛教はガンジス川流域の地域から薔薇門教などを席巻して南インドにもおよび世界宗教への足懸りとして教線を拡大した、しかしBC3世紀末教団の規模が拡大すると纏まりが崩れる、上座部と大衆部に分裂しBC1世紀頃までに細分化し部派佛教時代になる、衰退した薔薇門教はインドの土着信仰を取り入れた、五世紀中盤に佛教のスポンサーであったインドド商人は西ローマ帝国衰退により交易の場を失い佛教と共に没落した、バラモンは紀元1世紀頃には土着信仰と佛教を取り入れヒンズー教となり静かに浸透する,因みにこの時代以前を原始佛教と呼び以後は、部派佛教時代(注19、 (梵語/アビダルマabhidharma/法の研究))とされている。
インド佛教はマウリア王朝が崩壊しギリシャ文化等が加わり多民族国家が群雄割拠するが、北伝佛教の足がかりとなったクシャーナ王朝のカニシカ王(128年頃即位)時代には広大な領土を持ちローマや中国との交易も盛んでインド佛教の最盛期が継続した、因みに不確定要素はあるがカニシカ王は佛教を重視し第三結集が行われたが佛教以外の宗教にも保護を与えたとされている、この時代上座部ではあるが分派行動をとった説一切有部(サルバースティバーディン sarvāstivādin,
sarvāstivāda)
四~五世紀にはグプタ王朝が起り佛教に帰依した商人達の活動が制限されて最盛期に終止符がつたれる、十世紀頃にはヒンズー即ちインド教の興隆する、これに対抗するために密教が起こるが十一世紀頃には区別が難儀になる、更にイスラーム軍隊の攻撃を受けてインド佛教の拠点であるvikrmaś īla(ヴィクラマシーラ)寺院を破壊され消滅状態になる五世紀頃まで仏教とヒンズー教の勢力は拮抗していたが、しだいにヒンズー教が優勢になる、1203年インド・ビハール州アンチィーチャックの中核寺院・ヴィクラマシーラ寺院などがイスラームの侵略で破壊され僧侶達は虐殺される、貴族や富裕層・商工業者が支持層で衆生との関りを怠り基盤を持たないで土着の婚姻、相続法に背を向けたインド佛教は略姿を消した、現在インドに於ける諸宗派の分布は2001年の発表では・ヒンズー教徒80.5% ・ムスリム教徒13.4% ・キリスト教徒2.3% ・シーク教徒1.9% ・仏教徒0.8% ・ジャイナ教徒0.4%とされている。
ヒンズー教やイスラームに完全に凌駕され現在はネオブッデストと呼ばれアチュート(不可蝕賎民)(注2)に属する集団数百万人の少数宗派とされているが、釈尊がヒンズー教の神に祀られている様に土着信仰に吸収されている、この人々に付いて五木寛之氏は「心の仏教徒」と言う、一説には
インドに帰化して佛教復興やカースト廃止に尽力する佐々井秀嶺師は現地では菩薩と崇められていると言う、因みにインド独立の父とも言われるマハトマ・ガンジー(1869年~1948年)ですら強烈なカースト制度守護者であり、廃止論を唱えてガンジーと激論をしたアンベードカル博士の尽力により憲法上は否定されているがヒンズー教保護政策は現存している様である。
佛教発祥の地インドで佛教は壊滅状態とも言える記述が多いが衰退した原因を数件ランダムに挙げてみた。
4~5世紀インドを席巻したグプタ王朝がヒンズー教を国教とした事が挙げられるが、仏教は土着の淫し宗教と融合した為に弾圧されたとの説がある、以下に挙げる事例の無視する事は出来ない。
佛教が合理主義と哲学偏重し瞑想に耽りバラモン的な文化的遺伝子(ヱトス)を持ち、カースト護持を謳うマヌ法典(注35)を信じて呪術や通過儀礼(人生折り目の儀礼)を好むインドの衆生と遊離した独善的宗教であったとの指摘がある、衆生は高遠な哲理の追求など興味を示さない、望むのは現世利益即ち立身出世、治病、繁盛、障害除去である、部派佛教は自己の覚りを目指す上座部の伝統を継続して折伏に熱心でなかった事、すなわち都市型で高い知的水準を求められ出家主義により教義に偏重した、在家信者も上流階級に偏り大衆と離反した事が挙げられる、また教義上教団が武装集団を所持しなかった為でもあろう、さらに立川武蔵氏に依れば佛教は土着信仰によるヴェーダ聖典否定、インドに根強い身分制度である、ヴァルナ・ジャーティ制度(ヴァルナvarna ジャーティjati)
もう一つ重大な原因として佛教はバラモンが信仰していた呪術・冠婚葬祭などの祭祀・司祭すなわち人間の辿る「通過儀礼」を回避した、家庭内に於いてもバラモンの行う祭事すなわち・出生・命名・結婚・葬儀等の祭祀儀礼を回避した、祭事が必要な時はバラモン・ヒンズー教に任せていた事にもよる、故阿部慈園氏(日本の佛教を知る事典・東京書籍)に拠れば釈尊の葬儀の祭主はdona(ドーナ)と言うバラモン僧であったと言う(マハーバリニッパーナ経)要するにインドの家庭内でバラモン・ヒンズーの風習や儀式が子々孫々伝承されるのに対して、佛教はサンガ(教団)に於いてのみ行われていた底辺の浅薄さにもあろう、通過儀礼を回避した宗教は脆弱であり、消滅の憂き目をみる。
日本では葬式仏教と揶揄される事がある、但し僧侶が通過儀礼すなわち葬式の儀礼に関与する様になったからから、仏教は現在も生きていると言える、奈良仏教は現在でも葬儀儀礼に参加しない、伝統的に奈良の仏教寺院は官寺の伝統を受け継ぎ、僧侶は国家公務員であった事例を継承している様である、国家公務員が個人の葬儀に参加する事は無い。
僧侶が葬儀を回避した理由の一つに仏陀が無余の涅槃に入ろうとする直前に阿難陀に遺言した言葉にあるのかもしれない、「アーナンダよ、汝等は如来の遺骸の供養に従事するに及ばない、汝等は自己の目的を怠らず熱心に専念しておれ」(ブッダと仏塔の物語・杉本卓洲・大法輪閣)。
葬式仏教であるがそれほど古い歴史ではない、江戸時代に入り檀家制度と時を同じくして幕府から檀家の葬儀担当を命じられた事が葬式仏教の嚆矢と言える、但し現在の日本に於ける僧侶の多くは、平岡聡氏に依れば「結婚して子供をもうけ、儀式のときだけ衣に身を包み、それ以外はジーンズにTシャツで、時には居酒屋で酒を酌み交わす僧籍者がいる」(僧籍者のところは出家者と記述されているが、家庭を営んでおり出家とは言えない為に僧籍者と訂正した)。
因みに中国に於いて儒教が中国国教に成ったのは元来は儀典屋であった儒教グループを孔子により詳細な律を定めて集団救済を行う宗教として最大限に利用した事も一因であろう、余談になるが釈尊の葬儀を行ったのはクシナガラの末羅国の人々と言われている、大般涅槃経(マハーパリニッパーナ経Mahāparinirvāṇa Sūtra)には釈尊は阿難に「遺体、舎利(サリーラ、Śarīra)の供養に関与するな」と遺言されている、要するに葬儀等は在家信者の役割であり僧尼(出家者)の関与するものでない、供養(供物)であるが、古来よりインドに於いては神仏に奉げる供養をプージャー(pūjā)と言い、寺院や祭場に於いて詳細な儀軌に習い祭主(僧侶)が執行するもので、先祖供養とは峻別されている、因みに在家で行われる先祖供養をシュラーダー (Schrader)と言う、閑話休題、ヴェーダ宗教(Vedic religion)
日本に於いても南都佛教すなわち法相宗・律宗・華厳宗は檀家を持たず葬儀を行わない、自宗僧侶の葬儀に於いても他宗の僧侶が導師を務める、一例を挙げれば1983年3月
陀羅尼・真言即ち呪術や儀礼は本来は佛教が否定した行である、インドに於いてバラモン的ヱトスを持つ衆生は呪術を信仰していた、佛教はやむを得ず衆生の信仰に迎合したのが陀羅尼でありタントラ密教へと移行するが、・出生・命名・入盟・婚姻・葬儀と呪術儀礼を多用するヒンズーに対抗出来ないで吸収される、ヒンズー教とライバル関係にあった頃のインド仏教は日本仏教と比較して僅かな関与を「死者をあがめる不気味な宗教」と非難されたと言う。
現在の日本佛教は観光と祭祀儀礼をを除外したら教団の維持は困難である、脱線するが法要すなわち初七日や四十九日等はバラモンの葬送儀礼を踏襲した会である。
日本が取り入れた佛教は大乗佛教である、但し内容は教義ではなく仏像を前にして絢爛豪華な儀礼の数々、香しい香を焚き声明そのものと言える読経に代表される呪術に魅惑されての信仰であろう、日本は仏教を請来したが、一部では
インド仏教消滅の原因の一つに、四姓平等思想から否定したカースト制度がインド社会から駆逐出来ず継続された事と信者が富裕層への偏りも原因の一因であろう。
土着信仰と佛教の境界が曖昧になり形而学上の哲学に固執し、5世紀には倶舎論等を標榜する上座部に対して唯識論・中観論を言う大乗佛教が龍樹をベースに精緻な理論を展開するが7世紀になると台頭したヒンズー教の中で陀羅尼・呪詛を強調する密教すなわちタントリズム(タントラ教)が起り、ヒンズーの神々の冠に金剛を付け佛教尊に取り入れる等、妥協の産物として採用されるようになる、タントリズムはジャイナ教やヒンズー教にも存在しており、ヒンズー教等の概念を採用した為に後には逆に吸収され衰退に向かう、またインドネシアのジャワ島などではヒンズー教と密教が信仰されるが6~8世紀に併合した形態になり同一宗教となり14世紀にイスラームの侵攻によりヴィクラマシーラ(vikramaśīla)寺院の破壊や僧侶達が虐殺すなわちジェノサイド(genocide)されるまで継続した、タントリズムには原始佛教が否定した愛欲・煩悩を容認して覚りを目指す哲学がありこれが後期密教に発展しチベットに伝わる。
これに伴う急進的な説として退廃的な思想を持ち8世紀中盤から約500年継続した後期密教が堕落して佛教を滅亡させたとされる意見もあるが、智慧と快楽は表裏一体との認識を持つインド人の文化的遺伝子を考慮しての説か疑問視される。
佛教が日本に広まりキリスト教は小さな潮流でしかないのは、大友宗麟や高山右近などの戦国大名が入信したが火薬の素である硝石の輸入目的が指摘されている、また障害は一神教の壁も大きいがカトリックは事実上、四神教であり弊害の総てではない、これには日本佛教が「本地垂迹説」を取り入れた事が大きい、本来の姿(本地)を具体的(迹)な姿に変えて現れる方便は利便性が高く佛教の興隆に欠く事の出きない必要条件であった。
小室直樹氏はキリスト教に於いて天照大神をマリアに、イエスを神武天皇に垂迹していたらキリスト教の広がりは違うものになっていたと言われる。
しかし日本では垂迹説が天主と僕の関係を逆転させている面がある、それは権力機構が宗教に関与し安易に神を作り上げている事にある、神話ではあるが出雲大社が嚆矢であり、菅原道真の天満宮も同様である、また古来以来の紳祗信仰を故意に歪曲した明治時代には自国の英霊のみを靖国神社・護国神社に祭る等、日本古来の神道から逸脱している。
チベット佛教の宗派内に位置するブーダン人には日本に於いて僧尼が在家で家庭を持って居る事が摩訶不思議に映るらしい、佛教僧で”在家僧”すなわち家庭を持つのは日本と、存在は少数で減りつつあるがチベットにも、佛教請来以前の土着宗教であるボン教と習合したニンマ派の僧にも婚姻僧がいるが修験者的で生活は禁欲的かつ質素と言われている、韓国には日本併合の残滓とも言える太古宗の僧侶が妻帯を許されている、またネパールにも金剛師(Vajrācariyaヴァジュラーチャリヤ)と呼ばれる行者で既婚者が存在しているが彼らは僧籍にはない様である。
インド発祥の仏教は中国に於いて90度、日本に於いて180度変換したと小室直樹氏は言う、主な原因として最澄等に依る事実上戒律の廃止や寺檀制度が挙げられる、
寺檀制度とは檀家制度とも言い語源は梵語の(檀越 dānapati)ダーナパティの音訳で檀那に繋がる、起こりは公家衆が菩提寺を持った事を嚆矢とされる、1637年 島原の乱を教訓に徳川幕府の切支丹禁制を目的として完成した制度で国民を掌握・監督の必要性に迫られ指定した寺に登録させ「宗門人別帳」などで管理する為
に作られた、これは戸籍台帳でもあり婚姻・旅行などには寺請証文が必要とされた、、僧侶の世襲化と檀家制度により寺院に行政機関としての権益が発生し、更に葬祭供養業と言
う営利組織になった処も少なくない。
日本人の宗教観すなわち神道と仏教に付いて日本書紀には仏を異国から来た神すなわち
現在のチベット佛教の指導的中心は1965年に開かれたニューデリーのチベットハウスにあり、最高指導者であるダライラマを中心に四大宗派の高僧による講座や学術文化面に於いて活動している。
佛像や佛画は寺院内に多く存在するが、観想など信仰対象として重要であるが美術作品としての認識は無い、佛像・佛画の製作素材に関心は薄く耐久性や保守は稚拙な様である、従ってバター油等の薫炎で変色すると無造作に着色される等、佛像自体は新しい像で占められている。
チベットやブータンでは中有が固く信じられ先祖の転生かも知れない蠅も殺さないと言う、所謂”四有輪転”が言われる、即ち母の胎内に宿る瞬間を言う生有、生きている間の本有、死の瞬間の死有、転生するまでの49日間の中有がある,中有(中陰)を梵語ではアンタラー・ビハバ antar -bhavaと言う、また二つの生に留まる期間の中有は7日~77日変化がある様だ。
日本書記に蕃神と記述されるが舶来神と融合(syncretism)した、日本に於いては7世紀に国家(nation)を形成するために採用された佛教である、即ち20世紀中盤までは律令国家と云うよりも宗教国家であったと言えよう、佛教は日常用語・文化・芸術等と完全にリンクしており、規模的には最大級の佛教国と言える、しかし佛教と言う名の形態のみである特に江徳川幕府の統括機構に組み込まれてから著しい、20世紀最後の傑僧、薬師寺中興の祖と言える故橋本凝胤師(1897~1978年)は「日本佛教は宗教に非ず」と両断する、また日本に伝わった宗教は、すべて本来の教義とかけ離れた教えになると小室直樹氏は言う、すなわち佛教の根幹は戒律にある、しかし日本に於いては中国から受けた「三教合一論」「浄禅一如」の影響も否定できないが、最澄・法然・親鸞・の流れの中で戒律は消滅した、「
日本で仏教が栄えた理由に付いて小室氏は「日本教に変化して戒律を総て取り払った事に依ると言う、儒教も日本に入ってから戒律は取り払われた」と言う。
西行曰く「なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」。
中国では経典の翻訳(古訳)には道教のタームを使用して行われていた、即ち仏教は中国文化と言うフィルターを経て中国流に変換されて定着した、日本が招来したのは中国流の仏教である。
中国には先祖供養が広まっているが佛教による会ではない装置が出来た、位牌など日本に請来されているが本来は儒教の仕来りである、日本の宗派で基本的に位牌を置かない宗派は真宗連合(浄土真宗等)
世界的に見て新宗教が広まると原始宗教は消滅するが日本に於いては呪術・怨霊鎮魂の為の神道と融合して生き残ることになる、これを井沢元彦氏に拠れば日本は民俗学・宗教学上のガラパゴス諸島とまで言う。 (日本史再検討・世界文化社)
中国は世界の中心すなわち中華思想から周辺国を野蛮人の国と侮蔑し、文字に表している、チベット僧の師(ラマ)を「喇嘛」・チベットを「吐蕃」・大和の国を「邪馬台国」・太陽の巫女すなわち日巫女を「卑弥呼」等が相当しよう、閑話休題日本佛教に於ける最初の出家者は女性であった様だ、即ち十一歳の善信尼と言う少女で弟子に禅蔵尼・恵禅尼と言う女性(童女)であった、神道に於ける巫女と同根の思想かも知れない。
しかし佛教の日本への導入は文化、芸術、産業等に多大な影響を及ぼしている、即ち経典理解の為に文字の会得から文学へ、佛像の為の彫刻、鋳造、冶金、礼拝の為の工具、衣装、雅楽や建築の為の工法、陶芸、工具等々の発達はす総て佛教を触媒としている。
佛教と言う呼称に付いては、元来は「佛法」とか佛道と呼ばれていたが明治時代以降に呼ばれる様になった、法とはsaṃskṛta語でDharmaではpāḷi語
ダルマ(dharma)の語源は諸説ある様だが、保つ、支える、と言う意味合いのdhṛからと言われる、dharmaに使用される熟語は多くあり法律、習慣、道徳、正義等の外に性質、属性なども言われる。
仏教は釈尊の教えではない、仏教は「法」である、法を釈尊が発見したと言う教義である、すなわち「法前仏後」である、真理、教説、規範等々は釈尊が見出して衆生に伝えた哲学であり、釈尊以前から存在する法(dhárma)である。
一口に佛教と言つても八万四千の法門が存在すると言われており、宗派と言うよりも潮流と言えるほど各宗派実に多様である、繰り返すが釈迦牟尼の教えとされる以外は全く違う宗教と考えたほうが正しいかも知れない。
大乗仏教と小乗仏教(上座部)を比較するには、詳細は下述するが中村始氏の般若経典(東京書籍)が簡単明瞭と言える、即ち小乗は釈尊を歴史的人物として信仰するが、大乗に於いては神話的存在として信仰の対象としていると言う、この場合密教は一応除外しても良いと考える。
釈尊の教えは対機説法である、中村元氏は言う「仏教には特定された教義がない、仏陀自身は覚りの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じた説きかたをした」と強調される、因みに中村元とは漢字の国が請来した、中国独自とも言える漢字仏教をそのまま請来して土着文化と融合した日本仏教に梵語文化、すなわちインド哲学を取り込んだ人である。
新しい経典は如是我聞即ち私は佛からこの様に聞たで始まれば何時でも新しく作る事が出来た。
釈迦は35歳から80歳まで同じ説教をしていたとは思えず解釈の分かれる原因ともなった、中国天台宗の祖・天台智顗の法華経的解釈に於いては釈迦の説教の変化(方便))を五時八教と言い以下の様になる。
1, 華厳時覚りの時から二十一日間
2, 鹿苑時 十二年間
3, 方等時 八年間
4, 般若時 二十二年間
5, 法華涅槃時 八年と1日半に変化したとも言われる(1日半は涅槃経を説いてから入滅までの間)。
釈尊の死の直後や約二百年後のアショーカ王、さらに一世紀後半のカニシカ王の時代等何度となく佛典結集(何が釈迦の教えかを判定する会議)が行はれたがどの経典も真説経典の証明は出来なかった、反面権力を背景とした解釈権は何処にもなく実に自由な発創の教説が生まれることになる。
そこでインドでは保守層の上座部と進歩層の大乗派との間で根本分裂(BC400年頃)が起こる、それがさらに20以上に分裂する、これを部派佛教時代(アビダルマ佛教時代)と言う、アビダルマ(各派で釈尊の正しい教義と信じて教理研究競う)以前を原始佛教と呼んでいる。
新しく分裂した派の内、自分が覚ることを目的とした上座部(小乗佛教・部派佛教)は戒律を大切にする宗教であり僧侶はパーリ律(pāli)による227戒を厳重に守る必要がある。
これに対して釈迦牟尼を神格化する久遠実成の釈迦論を標榜する事により現世利益を前面に出して、復活台頭してきたバラモン・ヒンズー教と対抗する為に生まれた一面をもつ大乗佛教は、大きな乗り物で大衆を浄土へ導くと言う現世救済の哲学であるが為に一般大衆には理解し易い宗教となった。
大乗佛教はガンダーラに於いて起こるが、根本分裂の原因の他に、一世紀頃に中央アジアを支配していたゾロアスター教徒(拝火教)のクシャン人を佛教徒に改宗させるために考え出されたとも言える、彼等は火を崇拝し、強い偶像崇拝の信仰を持ち、来世への不安を感じていることから佛像や佛塔が作られ火炎光背等を採用する事になる。
佛教の異色的分類法を津田真一氏(反密教学、春秋社)が挙げている、「ヨーガの佛教」と「利他行の佛教」である、少し強引とも思惟できるがヨーガの佛教には金剛頂経以後の密教、浄土教、禅を挙げている、利他行の佛教には華厳、密教の大日経が言われている、熟慮に値する。
梵語でbuddha(佛陀)と言えば釈迦と考えられるが覚者・覚った人を意味しており初期の教団に於いて高弟達と「佛陀」「阿羅漢、アルハット arhat」と互いに呼び合ったとされている(十大弟子等は覚者として扱われた様である)、又キリスト教やイスラームは全て唯一の神が創造したものであるのに対して佛教は悠久の昔からの宇宙真理を釈迦牟尼が覚ったものであり(宇宙他全てを創造したのは梵天、但し創造と破壊を繰り返す)「多佛思想」即ち過去にも同じ覚りを開いた人物が存在したとする考察が行われた、これはインド古代に於ける言語佛典パーリ語の法句経「七佛通誡偈」による(諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸佛教)大般涅槃経の教えから言われている、これらは上座部で言われるが禅宗に於いても言われ、道元は「正法眼蔵」諸悪莫作の項目を採用している。
所謂釈尊の教えはインドに於いて特に新規な哲学ではなく、同時代のライバルであるジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(Mahāvīr・bc580~500年頃a)等も近い哲学であった、即ち既成の思想の修整であると言えよう、その為に釈尊以前に多くの覚者が出現したと言う伝承が生まれた様である、法句経の「七仏通誡偈釈尊を含め以前に七人の覚者を讃える偈があり尊名の記述がある、また無量寿経には無限の過去に「錠光如来(燃燈仏)」が出現する、その後に錠光如来から五十四番目の覚者として阿弥陀如来が出現したとしている、閑話休題、仏教の興隆には釈尊の悟ったダルマ(法 梵語 dharma 、 pāli語パーリ dhamma)を普遍化する必要があり、過去にも修行により同様の覚者と考えて過去七仏が信仰された、過去七仏は以下の様になる、この思想が継承された発展形が大乗仏教の過去、現在、未来の三世に現れた如来達であり、更に初期の大乗仏教の賢劫経~密教では賢劫の千仏に繋がる、賢劫の千仏の名称であるが金剛界曼荼羅儀軌・一切金剛出現のみであったが、チベット語訳、コータン語訳が見つかった。
釈尊の実在は違いないのであるが、一時期佛陀の実在否定説が言われた、即ちフランスの佛教学者・スナール(Senart Émile Charles Marie 1847~1928年)は仏伝は太陽神話の発展を言い、1875年に「佛陀伝論」(Essai sur la légende du Buddha)仏陀非実在説を唱えた。
過去七佛
尊 名 |
spelling |
読み方 |
劫の時期 |
寿 命 |
毘婆尸仏(びばしぶつ) |
vipśyin |
ヴイオアシュイン |
荘厳劫の仏(過去の劫) |
8万4千歳(阿含経) |
尸棄仏(しきぶつ) |
śikhin |
シキン |
荘厳劫の仏 |
7万歳 |
毘舎浮仏(びしゃふぶつ) |
viśvabhū |
ブイシュアブー |
荘厳劫の仏 |
6万歳 |
拘留孫仏(くるそんぶつ) |
krakucchanda |
クラクッチャンタ |
賢劫の仏(現在の劫) |
4万歳 |
拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ) |
kanakamuni |
カナカニム゙ |
賢劫の仏(現在の劫) |
3万歳 |
迦葉仏(かしょうぶつ) |
kāśyapa |
カーシュヤパ |
賢劫の仏 |
2万歳 |
釈迦牟尼仏 | śākyamuni | シャーキャムニ | 賢劫の仏 |
* 過去七佛の寿命は大変長く見えるが、佛教に永遠も無限も存在しない、
上表までの六佛に釈迦牟尼佛゙――― śākyamuni を加えて「過去七佛」と言われる、七佛の七はインドに於ける古代神話の七仙に由来しており、ジャイナ教にも祖マハーヴィーラまで23人の尊者(ジナ)が存在したと言い同様の哲学がある、また過去世・現在世・未来世に出現した仏を三世(
過去七仏と言えば七仏
*諸悪莫作 、(Sabba pāpassa akaranam・サッバ パーパッサ アカラナン)もろもろの悪を作すこと莫く。 *衆善奉行 、 (kusalassa upasampadā・クサラッサ ウパサンパダー)諸々の善を行い。 *自浄其意 、(Sacitta pariyodapanam・サチッタ パリヨーダパナン)自ら其の意を浄くす。 *是諸仏教、(etam buddhāna sāsanam・エータン ブッダーナ
サーサナン)是が諸々仏陀の教えなり。 (「衆善奉行」は天台宗では「諸善奉行」)
以上の
また同じ過去佛に 錠光如来言う如来がある、梵語名dipankara(ディーバンカラ)燃燈如来・定光如来等とも呼ばれる、無限劫の加古仏で前世の釈迦すなわち薔薇門僧の浄幢菩薩を現世で覚者になると予言した。
燃燈佛は無限劫の過去佛に最初に出現した覚者で、錠光如来(燃燈佛)から53番目に「世自在王如来」が顕れその弟子が阿弥陀如来と言う、因みに「瑞応経」と言う経典在ると言い、これに依れば悠久(限りない無限)の過去、すなわち儒童梵士(浄幢菩薩)の時代に錠光如来から如来になると言う、お告げがあったとされる、燃燈佛(錠光如来)とは釈迦の菩薩時代に覚者になると予言した佛であるが、佛法の始源即ちかがり火を灯した佛を意味する。
又過去佛が作り出されると共に未来佛も考え出された、釈迦如来の後継者を佛嗣と言い弥勒菩薩(佛嗣弥勒)である、現在、兜率天において修行中であり五十六億七千万年後に弥勒佛(如来)と成ってこの世に現れると言う。
そして阿含経に拠れば釈迦入滅後、弥勒佛の現れるまでの空白期間を、正法――釈迦の教えが正しく守られる・像法――教えの形は守られる
・末法――経典は残るが教えは守られず乱れた世の中になる・(法滅――経典も無く壊滅的な時代を言い末法の後を言う解釈もある)に区分される、これを三時観(三時思想)と言う。
三時観に就いて、仏教にも末法思想や終末論が言われるが、仏教本来の正統思想ではなくカルト仏教的な哲学との小室直樹説がある、殺戮を繰り返す一神教と異なり仏教にはジェノサイド(genocide)は無論の事、最後の審判的な思想がない、無限に近い因果律の仏教哲学の特徴と言える。
現在日本に見られるミイラは末法終了時点に弥勒佛に逢いたいと言う願望からのものが多い、また経塚を山中に埋めたのは弥勒降臨まで経典を残そうとするものである、最近は僧侶も名字比丘が圧倒的に多いと言えよう。
インドにはBC3000~1500頃にはインダス川流域に広大な都市とヒンズー文化の源流が存在しエジプト,ギリシャと共に世界に先駆けた哲学、思想の最先進国であった。
超一流の哲学者、思想家、宗教家達が哲学、宗教的考察を重ねて出来たのが大乗佛教である,インドでは哲学のレベルはエジプトと並び世界最高水準にあった、佛教用語で言う因明すなわち論理性に卓越した国民性を生みだした国である、中華思想に拘り周辺の国民を野蛮人と看做すプライドに固辞する中国人を学びに来させる程高い文化・哲学を持つ国である、しかし古代信仰すなわち成住壊空(注24)の反復や輪廻転生の思想からか「史書なきインド」と言われており物事を歴史的に考察する習慣が少ない為に事例を歴史に学ぶ中国とは国情に大きな違いがある、巨大な宗教の下ではその絶対性から歴史上ただ一度の事例を過大に捕らえ、人間の持つ本質は軽視されてきた、現代に於いてもプロの歴史学者の研究分野は著しく細分化されて巨視的な視野からの研究が軽視されてはいないだろうか。
大乗佛教は又解脱者を信仰・崇拝・する宗教でもある、しかし現在の佛法は不浄説法に長じた者も見られ、真摯に法を説く人とは峻別しなければならない。
閑話休題、煩雑になり過ぎた、上座部仏教は出家者の為の教義である、大乗仏教は在家救済の教義という解釈とも言える。
最後に留意しなければならないのが、日本佛教は漢訳佛教を請来したのであり、密教を含む大乗佛教でも梵語やパーリ語(pāli)の佛教とは異なる点が多い事である、要するに中国の文化的遺伝子を色濃く組み込まれた佛教である、中国は佛教の流入以前から儒教や道教がありこれ等の基礎知識の上で佛教を解釈した、宮元啓一氏(佛教400語、春秋社)の説を挙げれば佛教の空を道教の無と、五戒を儒教の仁義礼智信と融合したと言う。
常識的に僧侶に成る為の必須三学に、戒めを学ぶ *
佛教は信仰の実践を六波羅蜜に求める、波羅蜜とは完成された状態とでも言うべきか、佛教は釈尊の誕生日すら各国独自であるのに対して六波羅蜜に関しては各佛教国、各宗派共通事項である、佛教の本質は
そしてその要諦は般若心経にあると言えよう、観自在菩薩が覚り得た般若即ち真の智慧は凡て五蘊すなわち空であると説き、六波羅蜜 ・般若波羅蜜
(pāramitā)いわゆる完全な智慧の完成を説く経典である、すなわち人間の心以外に実在する物は全て空と説き、仮説(仮設)であると実在の否定につながる。
佛法を悟った人を
日本に於ける出家者の嚆矢はインドや中国と違い女性であった、善信尼(俗名・嶋)十一歳とその弟子とされる善蔵尼・恵禅尼の二人の未通女であったと言う、これに対して「ひろさちや」氏(やまと教、新潮社)は日本の古代信仰による巫女の通念を踏襲しているという。
仏教と言う用語は近年までは「法」「宗門」「宗視」「仏法」等と呼ばれ仏教と言う用語は使用されていなかった、因みに信仰に付いても現在は・法華信仰・地蔵信仰・浄土信仰等々が言われるが、信仰も新しい用語でFaithの訳語であり、それ以前は「信心」が使用されていた様である。
仏教の分類について近年、宗教人類学者で駒澤大学名誉教授の佐々木宏幹氏は「教義佛教」と「生活佛教」に分類し、衆生が望まない哲学である教義佛教に偏重した事が衰退に導いたとしている。
現在に於いて佛教宗派が多く存在する場所は仏教徒が増えているアメリカ合衆国であり、ロスアンジェルスであると言う、アメリカ合衆国に於いて佛教は英文の著作物、大学、マスコミにも取り上げられる様になり活動を容認されている、佛教徒は1970年代中盤には20万人であったが、199年代には凡そ300万人程度(アジヤ系と改宗者は凡そ半数)とされる、またケネス、タナカ氏の分析する佛教同調者や何らかの影響を受けた人、所謂ナイトスタンド ブッデスト(nightstand Buddhists、夜間電気スタンド下の仏教徒)
仏教用語に「
①は生命の世界を言い輪廻する六道を下位から *欲界 *色界 *無色界の三界が言われる、因みに地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の住人で下位を言う、色界 無色界は天の住人である。
②は物理宇宙のことである、仏教世界から見た宇宙の構造(須弥山 人間の住む
佛教の分類
|
梵 語 |
主な国 |
概 要 |
上座部佛教 |
theravāda |
東南アジア・スリランカ・タイ・ビルマ他 |
南伝佛教と言い、個人で覚りを開く・釈尊の教えを忠実にまもる・スリランカに原典に近い経典が揃っている・修行者中心の佛教 ・人間として如何に生きるかの哲学 ・自利行(じりぎょう) 人口比率38% |
大衆部佛教 |
Mahāyāna |
中国・朝鮮・日本 |
北伝佛教と言い、大きな乗り物で大衆を彼岸に運ぶ・釈迦を超越した存在として崇拝(久遠実成の釈迦)・戒は在るが律は無い・BC一世紀頃佛塔参拝に訪れた在家信者等から始まった、それを龍樹が般若経を発表して体系化した。現世救済の哲学 ・利他行 人口比率56% |
チベット佛教 部派色・後期密教 (真言道) |
tantra |
チベット・ブータン |
十世紀頃中国から入るがインドからも輸入して混合しラマ教独自の佛教を始める、インド佛教に於ける後期密教の正統を継承しているとも言える・佛法僧(三宝)にラマ(佛の化身、ダライラマ・パンチェンラマ)を加え四つの宝 人口比率6% ダライラマは大海を意味し観音の化身、パンチェンラマは阿弥陀如来の化身 |
中期密教 大乗 |
|
中国・日本 |
秘密佛教の略(教えが露顕されていない)、三密の業、身・口・意、加持祈祷、呪力、密教で言う真言とは呪力の事、行動を重んじる、ヒンズー教に近い。佛教の説話の中にヒンズー教の説話が多い。輪廻転生・十二支・七夕・等 人口比率大乗佛教に含む |
現在佛教は大きく三系列に分けることが出来る。
A・上座部佛(theravāda・・hinayāna)
B・大乗佛教(Mahāyāna buddhism) 2014年12月20日 佛教カテゴリーより独立
・所作タントラ(tantra)(灌頂経など) 前期密教
・行タントラ(tantra)(大日経など) 中期密教
・瑜伽タントラ(tantra)(金剛頂経など)中期密教
・無上瑜伽タントラ(tantra)(秘密集会経など)後期密教に分けられている、この中で作タントラを大日経以前に置かれる、大日経は行タントラの範疇にあり、金剛頂経系列は瑜伽行タントラに置かれている、更に無上瑜伽タントラにある密教は金剛頂経以降すなわち後期密教を指している。
通常タントラとはヒンドウー教の秘儀経典を言うがチベット佛教などの後期密教に於いては呪術・占星・祭式・医術などが加わる様である。
チベット仏教の瞑想修行は生起次第と究竟次第に分類される、「生起次第」とは、総ての世界は仏たちが集合する曼荼羅世界である、総てが曼荼羅を形成上不可欠である、仏を瞑想し心身に浸透させる行を言う、「究竟次第」とは日本に伝来しなかった、性的ヨーガに関する行法がある為に秘密のベールにあり淫し邪教と見られた。
*六波羅蜜とは
(1)布施
(2)持戒 (道徳・法律)
(3)忍辱 (耐え忍ぶ)
(4)精進 (努力)
(5)禅定 (徳を行う行動)
(6)般若 (単に知恵ではなく慧に裏付けられて完成される、覚りに向けた智慧)。
さらに華厳経に於いては(7)方便波羅蜜、 烏波野upāya ウパーヤ 方便 (8)願波羅蜜、 波羅尼陀那pranidāna プラニダーナ 願 (9)力波羅蜜 、波羅bala バラ 力 (10)智波羅蜜 、智jñāna ジュニャーナ 智の十波羅蜜を説いている、六波羅蜜との関連のある供養に「六種供養」があり ・水――布施 ・塗香――持戒 ・花――忍辱 ・焼香――精進 ・燈明――智慧の行に相当する。
1、 色 (身体を構成する5の感覚器官・5根)ルーパ
rûpakkhandha 感覚的物質的 視覚に移る形造られたもの
2、 受 (苦・楽・不苦不楽を受ける作用) ベーダナー vedanâkkhandh
感受 感覚と感情を含めた作用
3、 想 (知覚作用) サンジュニャー saññâkkhandha 表象 心の内に像を構成する
4、 行 (意思・真理作用) サンスカーラ sankhârakkhandh 意志 潜在的形成力
5、 識 (眼・耳・鼻・舌・身・意の認識) ビジュニャーナ viññânakkhandha 感覚・知覚・思考作用を含み対象を区別しての認識作用
因みに「蘊」とは集合体を意味する。 認識作用に五根があり眼識・耳識・鼻識・舌識・身識がある。
巷間で言われている「薀蓄がある」「うん(沢山)とある」等に使われる。
五蘊Pañca=5、 khandha=集合の意味である、六根とは人の所持する六つの器官すなわち*色(rûpakkhandha)、*受(vedanâkkhandh)、*想(saññâkkhandha)、*行(sankhârakkhandha)、*識(viññânakkhandha)を言う、また六内入処とも言う、六識とは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、 十二処(十二入)
とは六根と六境を+したもの、十八界とは 十二処+六識を言われる。
「摩訶般若波羅蜜経」略して大品般若経では陰界入があるが五陰、十八界、十二入の略称
佛教思想の変遷
名 称 | 適 用 | 時 代 |
原始仏教 |
釈尊が生存しており異説が無かった頃 |
釈尊の生存中 |
上座部、大衆部 | 祖個人の領域と社会的な領域派の分 | BC317~BC180年頃 |
部派仏教 | 経典が現れる初めて解釈の相違から学派が生まれる |
BC268年頃 |
大乗仏教 |
大衆部の大乗 | AD前後 |
密教 |
ヒンズー教と混交 |
AD7世紀 |
注1、富永仲基(1715年~1746年)大阪商家の出身、三宅石庵に儒学を学び中国古代思想の研究から佛教史想を成立し歴史的に解明する「出定後語」は1745年の著作で佛教哲学者が方便を駆使して自説を拡大したもので大乗佛教は釈迦の説では無いとした、他の著作に「翁の文」がある。 出定後語の語意は「三昧すなわち禅定から出て後を語る」である、
注2、バラモン BC2000~1500年頃インドに移り住んだアーリア人が現住民のドラピタ人等を制圧し興した宗教で、インドに於ける階級制度(カースト)の最高位にあり梵語のbrāhmalaの音訳で中国では婆羅門と記述された。
カーストとはラテン語の castusが語源であり純粋なもの、混在は許されない、を意味する。
BC10世紀以前からインドに存在する身分制度で「家柄・血統」と訳され、一族のすべては生涯変更される事はない、但しインドに於いてはバルナ(varla)と呼ばれている、バルナとは本来は色彩を意味しているが法的には建前として存在しない事になっている。
釈迦はカーストについては梵我一如(永遠の至福・万物の絶対永遠性)と共に否定したが、佛教の影響力の衰えと、ヒンヅー教の興隆により復活した、20世紀後半ヒンヅーから佛教徒に改宗したアンベードカル法相により憲法に於いてアチュート廃止が条文化されたが現在も確実に生きている、アチュートが轢逃事故の被害や殺害されてもマスコミは扱わないケースが多い、また放火、殺害されても主犯は無罪とか軽微な罰金で釈放されている。
佛教はインドで生まれ諸国に広まったが、カーストの厚い壁に阻まれてインドでは消滅に近い状態まで衰えた、しかしアンベードカル哲学に学んだ佐々井秀嶺に率いられたアチュートを中心に広まる可能性を秘めている。
基本的には四階級と言われるが、事実上は五階級に分類され、さらに夫々が細かく分類される。
1、 ブラーフマナ・バラモン(婆羅門)司祭と訳され聖職に付き式典の祭主を勤める。
2、 クシャトリアと呼ばれ王族・貴族・武士などを指す。
3、 ビアイシャと言い平民、商人、労働者を指す。
4、 シュードラと言い賎民を言い卑しいとされる職業に就き1~3に奉仕する。
5、 アチュートと言いカーストの枠内に入れない不可蝕賎民を言う、戦に敗れ奴隷にされた先住民等を言い非人間扱い即ち家畜以下の扱いを受けている、アチュートはヒンドゥー教徒でありながら寺院や公共施設に入る事を許されない、インド人口の25%近い数を占めると言う。
この司祭階層の主宰する祭式をバラモン教と呼ばれたが、佛教やジャナ教が台頭すると衰えを見せるがカースト制度は維持された。西暦2~3世紀頃非アーリア的な神々や信仰形態を取り入れ大衆の支持を得ることに成功し宗教的融合を果たしてヒンドゥー教の成立をみた。当初バラモンは第4バルナのシュードラを差別・除外していたが、農民大衆をシュードラとみる傾向が一般化した為にシュードラ差別を改めて彼らのために祭式を挙行するようになった。
バラモンと佛教の関係としてゾロアスター教の影響を受けているが、釈迦如来は梵我一如の宇宙哲学を否定し無常、人間的論理を駆使して佛教を成立させるが後に興った大乗思想はバラモン思想を華厳等の教派として一体化する、梵我一如とは永遠の至福・万物の絶対永遠性を言う。
インドに於いてはカーストと輪廻転生は車の両輪でありインド思想社会を構成していたと言える、どのカーストに生を受けるかは前世・前々世からの業により決められておりキリスト教の様な予定説は存在しない。
注3、小乗佛教(hinayāna)とは大乗側(Mahāyāna)から見た差別用語であり上座部佛教・部派仏教、アビダルマ仏教、(theravāda)等の呼称が無難である、但し上座部では僧団(サンガ)内に比丘・比丘尼が居たが、女性の得度が失われ手千五百年におよび尼僧は正規のサンガの成員と観られていない。
注4 、 久遠実成の釈迦とは実在の釈迦を神格化して永遠に実在する釈迦牟尼とするもので法華経如来量品十六において・私が成佛してから無量無辺百万億那由陀劫(なゆだこう)なり・即ち悠久の昔から真理を求めて来た。
注5 劫 劫波の略語で梵語kalpaの意訳で佛教の言う非常に長い期間を言う、盤石劫の一劫とは四十立方里の岩に天人が百年に一度舞い降りて衣の袖で岩面を一度なでる、その岩が磨耗するまでを一劫と言う。
また大智度論に依れば芥子劫も有り芥子の実を百年に一度160㌔平方㍍の城都に一粒ずつ落とし満杯になって一劫とする数え方もある、またヒンズー教に於いて一劫は43億2千万年とする記述もある、今現在の劫を賢劫と言い過去の劫を荘厳劫・未来劫を星宿劫と呼びこれを三世三千佛と言う、曼荼羅に登場する賢劫の千佛はここから由来している。阿弥陀如来は法蔵菩薩時代に五劫の間修行して如来と成った、ちなみに阿弥陀五劫思惟像は東大寺(木造・漆箔・106,0cm 室町時代)に合掌姿で存在している。
劫の分類は複雑で宇宙形成から繰り返す壊滅、空劫、成劫、住劫までの劫を一大劫、器世間と言う時間を単位とする物を歳敷劫という。
阿弥陀如来が四十八誓願をかなえて覚りを開いてから十劫が経過していると言う、人間が成佛出来るまでの時間軸に三阿僧祇劫の間に積功累徳を必要とされる、三阿僧祇劫とは無数の10乗の140乗の3×10の56乗×1劫となる、但し乗数は52-56等の説がある、因みに積功累徳とは修行に精進を重ね功徳を積上げる事を云う、要するに普通の人間の成佛に要する時間軸を三阿僧祇劫成佛と言い略して三劫成佛と言う。
また劫の対極にある時間を表す極少時間は佛教用語で刹那(1/75?秒)と言う。
無限大と言える過去に「錠光如来」が出現し、その後も如来が現れ53番目に「世自在王如来」が現れる、「宝蔵菩薩」は世自在王如来の弟子で師から210億の佛の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった、因みにヒンズー教に於いては一劫を43億2千万年とされている、一大劫に関しては注24参照。
余談かも知れないが、海に於いて最初の生物が誕生したのが、35億年前、生物が陸に上陸して5億年、針葉樹林の発生は2.5億年、広葉樹林は1.5億年前との説がある。
注6、 輪廻転生(Saṃsāra・サンサーラ)とは全ての生物は業を持っており・解脱(成佛)しない限り六道(gati、ガティー)の世界を転生すると言う、 1天道 ・2人道 ・3修羅道 ・4畜生道 ・5餓鬼道 ・6地極道の世界を言う、天台の教義に拠れば六道とは「十界互具・ごぐ」の内「迷」の世界であり、「悟」の世界に如来 ・菩薩 ・明王 ・縁覚 ・声聞 がある、因みに縁覚とは独覚を言い縁覚は修行中を言う。
注7、 五十六億七千万年 弥勒菩薩の住む兜率天の一日は下界の四百年に相当する・兜率天の住人の寿命は4千年であり、一年を三百六十日と計算されている、したがって360日X400倍X4000年=56億7千万年と計算される。
注8、 佛教公伝は552年とされるが、渡来系の人々の間では520年前半に信仰されていたと推察できる。 「扶桑略記」に拠れば522年鞍部村主司馬達等(くらつくりのすぐりしばたつと)が渡来し大和高市郡坂田原に庵を結び佛像を安置したと言う、また日本人が最初に体験した異教と言われるが、それ以前に儒教が伝来したと言う伝承もあり、前後して道教の流れを汲む陰陽道も輸入されていた可能性も高い、ちなみに中国に於いては既に末法に入ったと恐れられた時代でもある。 末法は弥勒菩薩 注9参照
注9、三蔵とはtripiṭakaの意訳で 経典(スートラ・sūtra) 律(ヴィナヤ・vinaya) 論(アビダンマ・ abhidhamma)を言い梵語名を tripiṭaka(ティピタカ)と言いう、佛教経典を経蔵(釈迦の説教)・律蔵(組織を維持するための規則)・論蔵(前二蔵の注釈・弟子たちの解釈書)に仕分したもので一切経・大蔵経の原点とされる、因みに三蔵の解説書を「義疏 」「疏」(しょ)と言う、大蔵経・一切経と同意語でこれに通じた人を三蔵・三蔵法師と呼ぶ、インドの大乗佛教に於いて三蔵の内で経と論は凡そ変動はなかったが律に於いては所属教団により相違が存在したようである。
注10、 リグ・ヴェーダ聖典(Ṛg-veda )
リグとは讃歌を意味しヴェーダはバラモン聖典をさす、゙サンヒータ Samhiā 讃歌 ・呪文 ・祭詞を集成した本集、 ブラーフマナ Brāhmanā サンヒータ補助部門、 当初は口伝で伝承されたが文字の発達に伴い文書化された、また中国では「梨倶吠陀」と記述される。
ヴェーダ聖典に於いて最も熟成したのが、ウパニシャッド(梵語 奥義書)である、その思想は汎神論の発端を示している、(中村始仏教入門 春秋社)汎神論とはブリタニカ国際大百科事典に依れば神と存在全体 (宇宙、世界、自然) とを同一視する思想体系。両者を一元的に理解し、両者の質的対立を認めない点で有神論(pantheism)とは異なる。歴史的諸宗教において、その神秘的側面を理論化する際に表われる体系化の一つの型である、たんてきに言えば総ての存在は神である、神と世界とは一体と観る宗教観、思想観と言える。
分類はマントラ(Mantra)や呪文の①“サンヒター”(本集 Saṃhitā)、祭儀等の手順を示す②“ブラーフマナ”(祭儀書brāhmaṇa)、祭儀や呪の解説書“③アーラニカヤ”(森林書 āraṇyaka)、哲学書④“ウパニシャッド”(奥義書 Upaniṣad)、を言い、これ等をバラモンが独占している。
注11、四方佛 四方に佛国土があると言う考えがあり、東方の浄瑠璃世界に薬師如来 西方極楽浄土に阿弥陀如来 南方娑婆に釈迦如来 北方弥勒浄土に弥勒如来 があり、興福寺の五重塔を初めとして多く存在する。
注12、世界の宗教人口は約63億人の内、キリスト教徒32,9% ・イスラーム教徒19,9% ・ヒンズー教徒13,2% ・中国民間信仰6,3%(儒教・道教など) ・佛教徒5,9%となる。
注13、 サンガ 梵語saṇgha で漢訳を僧伽と言う、共同体を意味し通常教団を言いそこに所属する者を僧という。
注14、 梵字(サンスクリット文字)とはインドの古代文字で悉曇文字とも言い12の母韻と35の体文で構成され梵天から与えられたと言う伝承がある。
注15、 空・因果律 佛教の蘊奥とされる空と因果律を乱暴に一言で言えば、空とは眼に見えているもの総てが仮設(仮説)であり実在しない、因果律とは現在置かれている結果には総てに原因がある。
注16、 佛教は人間や動物を生贄にするバラモンの犠牲祭を否定し供物を植物系に切り替えた。
注17、末法思想と三時観 中国の僧で天台智顗(ちぎ)の師である、慧思(515~577)による歴史観でもある、三時思想とも言い阿含経に拠れば釈迦如来の入滅後に弥勒佛の現れるまでの空白期間を示す正法・像法・末法を言う、当初は正法・像法が言われたが六世紀頃にインドで三時観となる、釈尊入滅後に於ける佛教流布期間を三期間の分類したもので正法は釈尊の教えが正しく伝わり、像法に於いてはやや形骸化するが教えの形は守られる、末法に到り経典は残るが漸衰滅亡すると言う、因みに像法の像とは影を意味する。
「大集経」などに依れば個々の期間は五百年・千年など諸説があるがしだいに「大悲心経」を依経とした千年説が広がる、これは中国に佛教が伝来時には末法にならない為に調整したとも考えられる、また一時観を千年とした根拠は、中国に於いては釈尊の生誕はBC948年としている、これは孔子よりも先に生誕した様に記録したかったとされる、三時観は日本に伝わり最澄が重要視し「守護国界章」を著している、定かではないが「末法燈明記」も最澄の著作と言われている、因みに末法燈明記に依れば正法五百年、像法千年、末法一万年とされている、これは「大集月蔵分」「法滅尽品」「摩訶麻耶経」等も同様である。。
佛法とは・証・行・教を言い正法とは三時が揃う事を言い、像法は証が失われ末法は証と行が失われる教のみが残る事を云う、証とは絶対知の感得を言い行は絶対知の感得の為の修行を言われる、また教は絶対知を感得する案内書すなわち経典を指す。
末法を法滅と言い経典も無く壊滅的な時代を言い末法の後、すなわち「法滅期」となる解釈もある。
但し涅槃経には末法の中から再び仏法が再生すると説かれている。仏教にも末法思想や終末論が言われるが、仏教本来の正統思想ではなくカルト仏教的な哲学との小室直樹説がある、殺戮を繰り返す一神教と異なり仏教にはジェノサイド(genocide)は無論の事、最後の審判的な思想がない、無限に近い因果律の仏教哲学の特徴と言える。
注18、経典には真経・疑経・偽経が存在するが、疑経には「観無量寿経」や「弥勒上生経」、それに日本の佛教行事に多大な影響を与えた「盂蘭盆経」さらに護国三部経の一典である「仁王般若経」などの著名経典がこの範疇に入り、「佛説父母恩重経」などが偽経に入る、さらに「般若心経」にも疑経説がある。
注19、部派佛教(アビダルマabhidharma/法の研究)時代 紀元前3世紀~1世紀頃の佛教の教理に依る釈尊の直弟子を含んだ分裂を言う、根本分裂すなわち「十事の非法」の賛否により上座部(テーラワーダ、theravāda、sthaviravāda)と大衆部(マハーサンギカ、mahāsāṃghika)とに分裂)に分かれ、更に分裂し上座部11部・大衆部9部となる、分裂が表面化したのは佛滅後約百年後にヴァイシャーリー行われた第二回教団会議(七百人結集)からとされる。
根本分裂の大きな事例に大乗佛教の祖とも
十事の非法を挙げると以下の様になる 1、前日に布施をうけた塩を蓄えて後日の食事に用いても良。 2、中食後も、ある一定時間内は食事して良。 3、食後に於いてまた食べても良。 4、道場を離れれば食後でも食べて良。 5、酥・油・蜜・石蜜などを酪に混入し食事時以外にも飲む事の承認。 6、病気治療の為なら未醗酵の飲酒の承認。 7、身体のサイズに応じた座具の大きさの選定承認。 8、慣例の行為に準ずる場合は律と相違も認める。 9、別箇に
上座部の11派 (南伝佛教(上座部と北伝佛教(大乗)とは多少の相違がある)
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説一切有部で作られた論書すなわち阿毘達磨に於ける、六足論を挙げれば、*集異門足論(阿毘達磨)(Samgiti-paryaya-sastra)*法蘊足論(阿毘達磨)(Dharma-skandha-sastra) *施設論(Prajnapti-sastra) *界身足論(阿毘達磨)』(Dhatukaya-sastra) *識身足論(阿毘達磨)(Vijnanakaya-sastra) *品類足論(阿毘達磨)(Prakaranapada-sastra) *発智論(阿毘達磨)(Jnanaprasthana-sastra)の七書が存在する。
説一切有部(saṃskṛta語Sarvāstivāda pāḷi語 Sabbatthivāda,
Sabbatthavāda)は、カニシカ王を筆頭に貿易商などの資産家達から特別な援助や寄進を受けた、豪華な石窟寺院に住み、教理研究・瞑想・座禅に没頭し、権勢すなわちプレステージを謳歌した部派である、部派仏教時代に上座部から分かれた代表的な部派である、同じ上座部に属していた「分別説部」と並んで、多数の阿毘達磨(アビダルマ abhidharma)を残している、代表的なものに「阿毘達磨大毘婆沙論」200巻がある。
注20、国語辞典に依れば梵即ち宇宙を支配する原理と個人を支配する原理の我が同一であるとし永遠の至福目指す思想。
注21、ウパニシャッド バラモンの哲学で佛教の発祥以前からのアーリア人の哲学でヴェーダ聖典の根幹を著し「奥義書」と訳される書物の総称を言う。
注22、 アショーカ王(阿育王)のアショーカ・ピラー(デリーの鉄柱)は著名で415年に建立されたが千五百年間錆びていないと言う、その他釈尊の生誕地ルンビニの石柱など遺跡は約40か所に及ぶ。
注23、村上専精 (1851~1929年) 仏教史学者、近代仏教学の草分け的存在で東京帝国大学インド哲学の初代教授、「仏教統一論」を著し富永仲基(1715年~1746年)の大乗非仏説を事実上肯定し真宗大谷派の僧籍を剥奪された、その他の著作に「大乗仏説論批判」「仏教三大宗摘要」「日本佛教一貫論」「日本仏教史綱」等々。
因みに「大小権実顕密教禅聖淨」とは大小=大乗、小乗、 権実=仮説、実説、 顕密=顕教と密教、 教禅=禅宗と 聖浄=聖道門と浄土門、を挿す。
注24、成住壊空 インド仏教世界には「一大劫」と呼ばれる思想があり成住壊空すなわち一劫の間に成(世界の創造)、住(維持)、壊(破壊)空(無)があり、この劫を反復すると言う、劫に関しては注5参照。
注25、輪廻転生の六道に他に五趣がある、五趣とは六道から阿修羅を除外した状態を言う、即ち地獄、餓鬼、畜生、人間、天の五種の空間を言う、六道絵の原形はインドであるが、それを五輻の車輪形の中に五道(地獄、餓鬼、畜生、人間、天上)の相を描き、輪廻の思想を示したものを「五趣生死輪」と言う。
注26、五方之民 夷(少数民族の蔑称)、蛮(南方異民族の蔑称)、戎(西北方異民族の蔑称) 、狄(北方異民族の蔑称)。
注27、宇井伯寿 本名茂七と言い曹洞宗・東漸寺第34住職 愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈
1930年 東京帝国大学教授 1941年 駒沢大学学長 1953年 文化勲章を受章 1963年81歳で逝去。
理具成仏とは理念を言い真言密教の修行をして大日如来と同一の境地に到達する事を言う、・加持成仏とは実践を言い修行により仏と境地を同じくする事、・顕得成仏とは結果を言い修行が完成した状態を言う、但しインド哲学の権威・宇井伯寿氏は「即身成仏の実例は挙げられない」と言う。
注28、深信因果とは正法眼蔵の95巻本では89巻にあり深く因果を信じる事で成仏を確信する事.
注29、異部宗輪論とは著作は世友(vasmitra・バスミトラ)と言い玄奘訳が知られている、部派分裂の歴史を分析する為に不可欠な説とされる、異部宗輪論に拠れば五事問題がある、五事問題とは修行者の到達点に於ける阿羅漢のランクを低く評価する五個の見解である、・貌・言・視・聴・思で五事となる。 *説一西切有部 サルバースティバーディン(Sarvāstivādin、
注30、三帰依 総ての仏教徒が敬う三宝即ち・仏・法・僧とは梵語のラトウナ トウラヤ(ratna traya)、orトウリ ラトウナ(tri ratna)を言い、帰依は梵語でシャラナ(śarana)、pali語で(sarana)となる。
注31、世界四大文明とは・メソポタミア文明(bc3000年頃) ・エジプト文明(bc3000~bc300頃) ・インダス文明(bc2600年頃) ・黄河文明(bc7000年~5000年頃)を言う、また文明の衝突を著したサミエル・ハンチントンは八大文明として・中華文明 ・ヒンヅー文明 ・イスラーム文明 ・日本文明 ・東方正教会文明 ・西欧文明 ・ラテンアメリカ文明等を挙げている、日本文明がカウントされているが、日本文化の評価は高い、しかし日本政治に対する評価は低い。
注32、インドでは古来より宿命論がある、これを梵語でニヤテイー バーダ(niyti vāda)と言う、宿命論は仏教では業因論であり説かないが、キリスト教のキーワードは「予定説」であると小室直樹氏は言う。
注33、梵我一如とは”真理と自己を一体視””大宇宙と個人と同一”、ブラフマン(brahman)、即ち「宇宙を支配する原理」とĀtman自分、個人を支配する原理を同一視し、永遠の至福を得ると言うバラモン思想(不二一元論 advaita)を言う、また梵我一如はウパニシャッド(Upaniṣad・奥義書)とも言い、インド古代のバラモン教最高経典であるリグ・ヴェーダ聖典(ṛgveda)に於ける神々への賛歌の内にある、金岡秀友氏はUpaniṣadの別名は「ヴェーダーンタ」と言い、ベーダ文献の最後とも言われ「近くに座る」「秘密の会座」の意味合いもあるようだ、(大宇宙とは大日如来を意味する)。
さらに咀嚼すれば梵我一如とはインド古来からの行動様式で、宇宙の真理を梵と呼ぶ、これが自我と一致する事を言う、対極に無すなわち諸行無常がある。
注34、
注35、 マヌ法典とは(Manu-smṛti)インド人類の祖の意でBc2世紀ごろバラモン教徒の規範としてまとめられた法典、但し内容は仏教誕生よりも歴史的に古く、仏教は影響を受けている、日本に於いても多大な影響を受け、女性蔑視を初め貝原益軒の女大学など色濃く影響下にある、全12章で構成され、諸儀礼・日々の行事・カースト義務などを定めている。
因みにマヌとはインド人類の始祖、女大学の大学とは学校の大学ではなく中国の四書五経の大学を言う。
注36、
最終加筆日2004年9月17日 12月9日 2017年7月22日修整 8月26日心の仏教徒 10月17日 11月19日 12月13日 2018年1月10日 1月27日 2月8日 3月5日 3月14日 4月17日 5月4日 5月31日 8月19日
11月30日~ 2019年1月10日 2月25日 4月11日 6月10日 7月7日 2020年4月3日 11月24日2021年1月29日 4月13日
8月16日 12月20日 2022年4月3日 2023年9月2日 10月30日加筆
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