大乗佛教(Mahāyāna
buddhism
大乗仏教には十界と言う世界観がある、更に四聖と六道に分類される、四聖の内訳は *如来界 *菩薩界 *縁覚界 *声聞界があり、六道には *天道
*人道 *修羅道 *畜生道 *餓鬼道 *地獄道になる。
大乗経典が出来始めたのは比較的早いが教団が成立したのは四世紀頃である、中村始氏は大乗仏教を三段階に区分している、初期には中間派の祖である①「龍樹
大乗仏教が経典を生み出したのではなく大乗経典の創出を触媒として成立した組織(samgha 仏教組織)
大乗仏教は新指導者達の創作が中心であるが、釈尊と特に異質な哲学を唱えるのでなく、上座部仏教の間違いを正し釈尊の意志を提唱すると言う建前の宗派である、また大乗仏教は八十歳で入滅した釈尊、即ち有限の釈尊から無限即ち久遠、永遠の釈尊を誕生させ様とした運動から誕生したと言える。
初期佛教は平等思想を内包していたが、次第に”在家非阿羅漢論” ”女人不成仏”等差別化するサンガ(samgha 組織)
しかし大乗仏教に於ける布教の中心は高邁な教理ではなく経典中の物語や、現世利益や呪術がメインエンジン(Main Engine)
成仏不可能とされた十法界内の声聞界・縁覚界も成仏する「二乗作仏」すなわち平等思想を持つ大乗仏教が隆起した、因みに十法界とは十界とも言い、下方から・地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界を言う。
大乗仏教は複雑で通過儀礼等々大きな相違があるが、地域により分類すれば *日本、韓国、ベトナムを含む中国仏教圏、 *チベット仏教圏、*ネパール仏教圏、が存在している。
大乗仏教には・唯識思想・法華思想・華厳思想・般若思想・浄土思想・密教等々があり、教義として同一宗教とは言えない、正しくは潮流と言えよう、キーワードとなるタームも*縁起 *法性 *般若 *空 *無 *真如 *慈悲、等々非常に多い、特に初期の大乗仏教は成立し続ける般若経典から発生し完成したと言える程である、さらに一口に北伝仏教と言うが多くの国、すなわち
* 中央アジアの国々 * シベリアの一部 * 中国大陸の揚子江、黄河流域等々のエトス(行動様式 ēthos
大乗思想は出家僧だけでなく在家の衆生を取り入れており発生場所や創始者も確定出来ていない、但し鈴木大拙著・大乗仏教概論に依ればイエスと同時代に
大乗の経典論書類の成立を挙げると四期に分類されると言う。(日本仏教史入門・田村芳朗・角川選書)
1~3世紀(第1期)般若経典・維摩経・法華経・華厳経・浄土経典、で論者では龍樹の中論、十二門論、大智度論(注4)、提婆の百論、四百論、。
4世紀(第2期)如来蔵系 如来蔵経、勝鬘経、大般涅槃経、無上依経。
阿頼耶識系、 解深密経、大乗阿毘達磨経。
無著 摂大乗論、大乗阿毘達磨論、 世親 唯識二十論、唯識三十頌、 仏性論、摂大乗論釈法華経論。
5世紀(第3期) 入楞伽経、大乗密厳経。
7世紀(第4期)両部の大経 大日経。金剛頂経。
方等
大乗仏教の成立の触媒は正しい法が法滅(saddharma vipralopa 末法)すると言う危機意識から誕生したとも言える、因みに方等(vaipulya)とは原語のバイプルヤ(vaipulya 梵語)で方広とも言い、大乗の教え即ち大乗の経典を意味する。
大乗仏教とは大乗経典を仏説と認める仏教教派、即ち大乗草創者の宗教体験が釈尊の哲学と通底しうると解釈する集団を言う、すなわち菩薩思想と六波羅蜜の哲学は共通項として存在するがテーマは多様であり多くの組織に分かれている、一説には大乗思想は仏滅後約四十年を過ぎた頃から表れ始めたとも言われる、大乗非仏説が言われるが制作者達は仏説に
閑話休題、クリスチャンが手にする聖書であるが、英語でバイブル(bible)と言うが、仏教にもよく似たタームがある、方等(vaipulya)と言い原語のバイプルヤ(vaipulya 梵語)で大乗の教え即ち大乗の経典を意味する。
インド北西部を中心に在家から広がりを見せる、大乗の潮流が理論化されたのは、二世紀頃の龍樹と五世紀頃の法相二祖である無著の弟で後に浄土真宗に於いて七高僧の第二祖である世親に依り確立された、特に大乗仏教に対して龍樹の果たした役割は大きい。
正木晃氏に依ればインドに於いては密教が興るまでは大乗仏教はマイナーな存在であり、上座部仏教が主流であったという(あなたの知らない仏教入門・春秋社)。
釈尊の言行録とも言える原始佛教や・上座部佛教
大乗側が上座部をtheravādaと呼ばないで小さな乗り物すなわちヒーナヤーナ(hinayāna)と侮蔑したのはインド仏教の主流は六世紀頃までは上座部であり、勢力的に劣勢であっからと言われる。
上記の世親すなわち七高僧の2の内で「天親」と「世親」(vasubandhu)は同一人物であるが、当初は天親と漢訳され玄奘以後に世親と定着した様である。
大乗佛教は初期に於いては般若経典を興し深甚な釈尊の真意と言える教えを伝えた哲学であろう、マハーヤーナ・大きな乗り物 と言いBC1世紀頃ストーバの周りに教団すなわちサンガ(僧伽)の制約を受けない在家信者を含む人々が集まり、「慈悲」の哲学を根幹として多くの衆生にも覚りの道が開くことが出来るような運動が広がりを見せた、衆生から隔離した宮殿に住み教理の研究や瞑想に耽り高邁な哲理を求める「
大乗佛教に於いては釈尊が尊敬をこめて善友と呼びかけたとされる舎利弗・目犍連・大迦葉を初めとする十大弟子や阿羅漢は維摩経等に於いては出家修行僧いわゆる声聞扱にして菩薩よりランクは低く扱っている。
大乗は在家から発生したとの説があるが、教義としては部派佛教からである、衆生は現世の物質的欲求の満足を求めており、その必然性を考慮して生まれたとも言えよう。
梵語名をマハーヤーナと言いインド北西部から
南伝の小さな乗り物から大乗即ち大きな乗り物で救われる法華思想や浄土思想を中心とした教派である、法華思想(法華経)は総ての人間は等しく成佛できると言い、浄土思想(浄土三部経)は阿弥陀如来に頼り観想・念佛などの易行で往生が可能になる。
特に浄土教は法然・親鸞以来の信仰心のみで救われる教義で、先の最澄の悲願であった大乗戒と共に大乗の大乗とか世俗佛教とさえ言われる。
密教も大乗の範疇に入れられるが、発生のタイムラグが概ね五百年ある、古代佛教が否定した教義を多く取り入れてヒンズー教と混血化しており佛教の範囲から逸脱しているかもしれない、密教徒大乗佛教の共通点は利他行すなわち大悲と方便(upāya・ウパーヤ)と言えよう。
大乗佛教を敢て分類すれば顕教を「波羅蜜道」(注2)とし、密教を「真言道」と分類する説もある、因みに密教の呼称は日本に限られており「金剛乗」が普遍的である。
大乗佛教の蘊奥は慈悲にあると考える、慈とはいつくしみを言い梵語ではmaitri (マイトリー) 悲とは悲しみの共有を言う梵語はkarulā (カルナー)。 maitr? 「乗」とは乗り物を意味し、一乗は真実の教えは一つであるとする、また声聞・縁覚・菩薩を三乗と言う、但しキーワードは「空」である、早くから空を標榜していたが、論理的に説明したのは西暦150年~200年頃と推定される龍樹
空の智慧、布施に「
ヒンズー経教的佛教すなわち密教は後期大乗佛教の範中に入り、その密教も前・中・後期に分類され日本密教は中期に相当する、密教は最後に顕れた宗派であるが、突如顕れたものでなく初期佛教時代から内包されていたと考えられる、神秘主義・象徴主義・儀礼主義の三点を集合的に強調した哲学である。
呪詛や儀典に神秘性を取り入れ古典信仰に組み込み大乗を更に大乗化したものといえる、要するに大乗佛教の範囲に中でフイルドワークの相違から真言道と波羅蜜道とに分類出来る。
密教とは秘密佛教の略称であり顕教が教えの総てが経典などにより露顕されているのに対して、密教は経典のみでは浅略釈であり不足である、本質を体感する深秘釈いわゆる師との面授や呪を重要視して即身成佛を標榜する宗教である、インドに於いては密教が普及してから大乗仏教は目立つ存在になったが、以前はマイナーな存在であった様である。
密教と言えば空海の存在が抜きん出ている、特別な宗派と考えられ東密(真言宗)・台密(天台宗)に限定されるが日本佛教には浄土真宗系を除く全ての宗派に多大な影響を与えている。
正木晃氏は大乗佛教の目指す最高の真理とは”空”である、空は究極の快楽として、心身に直接把握できるはずであり、「楽空無別」「楽空無差別」となり、これが密教に繋がると言う。
これ等の共通点は創奏者である釈迦如来を崇拝しその教えを受けて覚りを求める事には変わりはないが経典やサンガ組織(教団)は独自の形態をそれぞれの解釈で発展していった。 又インド以外の国々に信仰が広まるにつれその地域の儀式や規制及び信仰と融合し佛教として発展していった。
大乗仏教に於ける典型的な如来として毘盧遮那仏がある、釈迦如来は悟りを開いたが歴史上の人物である、大乗哲学が熟成と共に如来としては仮設な人物とされる、要するに根本佛は不滅な存在でなければ為らない、そこで崇拝儀礼として最後に登場したのが毘盧遮那であり密教では大日如来となる。
釈迦の教えは呪や祈りを用いてサルベージを行うものではなく、同じ佛教でも上座部佛教以外は釈迦の教えとは言えない面がある、江戸中期の思想史家、富永仲基(1715年~1746年10月12日)
富永の出定後語に付いて語意は「三昧すなわち禅定から出て後を語る」である、
しかし大乗側はインド人が発明した方便を使って釈迦がまだ弟子たちに説いていない真意・真理・を顕わした教えと説明している。
上座部佛教が釈尊のみを佛とするのに対して大乗佛教は凡ての如来・菩薩であり、さらに密教に於いては明王・天部までが帰依の対象と成る、すなわち「
大乗経典を佛典と認知するには「真理を説いている理論は全て佛説である」 「真理とは言語表現を超越したものである」の二点を容認しなければ大乗経典は佛教の経典ではなくなると言はれている、即ち二点を認めてのみ大乗佛教は成立する、さらに大乗仏教は「釈尊の教え(上座部)の核心部分と矛盾しない範囲内に於いて視野を拡大した教義」である。
しかし佛教とは覚りを目指して生きて呼吸する真理を実践する宗教であり、さらに哲学と言うよりも潮流と理解すれば論議すべき問題では無い、また拙サイトは「仏教原理主義」の賛同するものではない。
仏教は上座部(小乗)から大衆部(大乗)へ移換した様な印象を受けるが、インドシナ半島等では14世紀頃までは大乗がヒンヅーとセットで信仰されていたが、現在では上座部が信仰されている。
また大乗・上座部を問わず経典の中で釈迦の言葉と証明できる経典は存在しない、中国に於いては「真経」すなわち釈尊直伝とされる経典と、「疑経」すなわち中国製との疑いを持つ経典や「偽経」いわゆる偽物と断定される経典があるが、方便或は真理を説いている理論は全て佛説であるに該当するかもしれない、著わされた経典がインドか中国か、真経か偽経かを差別する必要はない、重複するが大乗と言う用語が最初に使用されたのが支婁迦讖訳による「道行般若経」である。
大乗仏教側から上座部仏教を区別する理由の一つは、法華経化城喩品第七にあるのかも知れない、レベルの低い衆生に対する、喩すなわち例え話としてであるが「幻の都城」幻のオアシスを小さな乗物と呼んだと考えられる。
特に日本の大乗仏教では法華経を除外しては語れない、特徴の一例として羅漢道から菩薩道への転換を説いている、中核に挙げているのは縁起(プラテートーヤ・サムウトパーダ)である、「因」「縁」「果」を挙げて果報を呼ぶ為に、好い行い即ち「身」「空」「意」と言う三業を基に声聞は四諦を、縁覚は十二因縁を、菩薩は六波羅蜜をもって仏道に努めると言う、因みに密教に於いては三業を三密と呼び三密加持を即身成仏のマニュアル的に使用されている、この場合「加持」とは入我我入を言う、また
大乗佛教を非仏説側から観れば声聞界(乗)は所謂仏弟子の乗り物で行く処すなわち声聞界が大乗を自称しているだけと言える。
大乗仏教を修する必要条件の一つに「三輪清浄」がある、救済の主体も空、救われる主体も空、究極の主体も空と言う、即ち三の状態は清浄(空)で慈悲行が成立する。
大乗仏教の根本哲学と位置づけられるが「諸法実相」とされる、日本等に於ける解釈は宗派毎に異なる。諸法実相とは、インド哲学の泰斗中村元氏に拠れば鳩摩羅什が「摩訶般若波羅蜜経」「法華経」等を漢訳する際に使用した訳語である。
羅什の訳した原語は六語あり「ダルマター」「ブータ」「サルヴァ・ダルマ・タタター」「ダルマ・スヴァバーヴァ」「プラクリティ」「タットヴァスヤ・ラクシャナ」である。
覚りの世界から見る「仏知見」すなわち諸々の存在のあるがままの真実の姿形をいう。
リチャード、ゴンブリッジ(インド・スリランカ上座部仏教史・春秋社)に依れば仏陀は法句経等では過去仏の内で最も遅く出現した佛(如来)であると言う、インド哲学で東京帝国大学に於いて教鞭を執った曹洞宗の僧侶・宇井白寿(1882年~1963年)に依れば正しい智慧の保持者すなわち正遍知(samyak sambudda サンヤク サンブッダ)
閑話休題、“佛”と言う文字は佛教東漸後に作られた文字である、中国五千年の歴史の内では新しい文字と言えよう、人偏に弗のコラボは「**に非ず」=弗を意味しており人であって人に非ず、が佛である、但し多くの佛教用語はSanskrit語やPāḷi語から道教の熟語に訳されている為に中国人に馴染まれ佛教と道教、儒教の境界が混然としている、また正木晃氏に依れば”即身成仏“と言う熟語は密教のキーワードとも言えるが、経典に即身成仏の記述は観られないと言う、但し空海の「即身成仏義」は経典ではないので加えられないが、日本では空海以来ひろく言われる様になった。
三論では空であり、天台宗では三諦(空・仮・中)即ち中道第一義諦であり、禅宗では森羅万象が本来の面目と言う、また佛陀は当初には「佛」と一字に訳されていたが梵語やパーリ語に堪能な玄奘以降に佛陀と訳される様になったと言う。
仏教は奇跡を認知しないが通常能力の延長線上に五神通を認めている、但し能力の開発や使用を厳禁している、が大乗仏教の興隆と共に利用される様になる、密教の場合は一段と著しくなる。
大乗仏教に於ける基本経典を挙げておく、*般若経 *法華経 *
我々には馴染まないが「大乗仏教五部経」と言う分類方法があった様だ、*
正木晃氏は大乗仏教の成立した地域から釈尊の流れだけでなく、ミトラ教やゾロアスター教
大日如来の境地に到達する理具成仏は無論の事、「即身成仏の実例は挙げられない」とインド哲学の権威・宇井伯寿氏(注5)は言う、要するに人間に解脱など望む等は不可能に近い、ならば解脱者を拝むことにする、これが大乗仏教のスタートと言えよう。
注1、
注2、 六波羅蜜 波羅蜜とは梵語名pāramitā(パーラミータ)の音訳で到彼岸すなわち完成された行・彼岸への到達・正しい行いを意味する、菩薩道に於ける修行方法の完全なあり方を波羅蜜と言い大乗仏教に於ける菩薩の必修条件でもある、六波羅蜜の起りは、初期の大乗経典で現存はしていないが「六波羅蜜経」が諸経典に引用されている様である、六波羅蜜との関連のある供養に「六種供養」があり・水――布施 ・塗香――持戒 ・花――忍辱 ・焼香――精進 ・燈明――智慧の行に相当する、因みにお彼岸に先祖の墓参をする風習は日本独自のものでインドや中国には存在しない。
・布施波羅蜜 (施し) 余談 布施を施す事をdānaダーナと言うが旦那の語源になる。
・
・
・精進波羅蜜(努力)
・禅定波羅蜜 (徳を行う行動)
・般若波羅蜜 (単に知恵ではなく慧に裏付けられて完成される、悟りに向けた智慧)さらに十波羅蜜もあり、六波羅蜜に方便・願・力・智が加えられる。
因みに華厳経に於いては(7)方便波羅蜜、烏波野upāya ウパーヤ 方便 (8)願波羅蜜、 波羅尼陀那pranidāna プラニダーナ 願 (9)力波羅蜜 、波羅bala バラ
力 (10)智波羅蜜 、智jñāna ジュニャーナ 智、の十波羅蜜を説いている。
因みに六道とはgati、(ガティー)道の意訳で *天道
deva-gati *人間道 manushya-gati *修羅道 asura-gati *畜生道 tiryagyoni-gati *餓鬼道 preta-gati *地獄道 naraka-gati を言う、関連経典に「六波羅蜜経」正しくは「大乗理趣六波羅蜜多経」がある。
注3、 五神通とは 1天眼、 2天耳、 3他心智、 4神作智、 5宿命通を言い1、は総てを見通す力、 2、は総てを聞き取る力、 3、は他人の心を知る力、 4、姿を変える力、 5、過去を知る力を言う。
注4、大智度論とは
竜樹に著作と伝えられ鳩摩羅什訳、仏教の百科全書的な書。智度論、大論の記述がある、また月と指、即ち月を教える指の価値に関する比喩は著名である(尊者、また坐上に自在身を現ずること、満月輪の如し)とある。
巻五に記述されているカルパ(kalpa)即ち劫とは大変な単位である、約十四㌔㎡に岩に百年に一度天女が舞い降りて衣で岩を撫でる、その摩擦で岩が消滅する時で一劫と言う、忙しい人が計算した様で一劫=約四十億年と言われる、単位に *億劫 *那由他劫(1060~1072) *阿僧祇劫()
(法楽寺様HP には大智度論とは「摩訶般若波羅蜜経」のサン梵語原典名Mahāprajñāpāramitā Sūtra[マハープラジュニャーパーラミター
スートラ]語、摩訶(mahā)を「大」、般若(prajñā)を「智」、波羅蜜(pāramitā)を「度」としたもので、注釈書であるから「論」としたとある。) 。
注5、宇井伯寿 本名茂七(1882年~1963年)と言い曹洞宗・東漸寺第34住職 愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈
1930年 東京帝国大学教授 1941年 駒沢大学学長 1953年 文化勲章を受章 1963年81歳で逝去。理具成仏とは理念を言い真言密教の修行をして大日如来と同一の境地に到達する事を言う、・加持成仏とは実践を言い修行により仏と境地を同じくする事、・顕得成仏とは結果を言い修行が完成した状態を言う、但しインド哲学の権威・宇井伯寿氏は「即身成仏の実例は挙げられない」と言う。
正しい智慧の保持者すなわち
2014年12月20日 佛教