大乗仏教
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大乗佛教Mahāyāna buddhism  摩訶衍(まかえん) 大衆部(だいしゅぶ))mahāsāghika マハーサンギカ)、大乗経典を仏説と認知し依経として受容する仏教組織である、北伝すなわち大乗佛教は釈尊入滅後凡そ百年後の、第二回結集に於いて上座長老たち・上座部と、自由主義・進歩的な・大衆部(だいしゅぶ)との「根本分裂」を契機に四百年以上経過して興った佛教である、閑話休題、上座部同士、大乗同士の分裂は枝末(しまつ)分裂と言う、端的に言えば上座部との相違は修行をテーマにした仏教から救済をテーマにした仏教への転向と言える、極論かも知れないが、大乗の経典類は日本人の存立基盤を形成していると言える。大乗佛教は龍樹(ナーガールジュナコンダ Nagarjunakonda)を抜いては語れない、正木晃氏に依れば大乗佛教の歴史は龍樹の理論をどう論証するかにより云々とまで言う
大乗仏教には十界と言う世界観がある、更に四聖と六道に分類される、四聖の内訳は *如来界 *菩薩界 *縁覚界 *声聞界があり、六道には *天道 *人道 *修羅道 *畜生道 *餓鬼道 *地獄道になる。
大乗経典が出来始めたのは比較的早いが教団が成立したのは四世紀頃である、中村始氏は大乗仏教を三段階に区分している、初期には中間派の祖である
龍樹(Nāgārjuna ナーガルジュナ ad150年頃~ 250年頃)」の頃即ちクシャーナ王朝の時代、次いで瑜伽行派すなわち唯識派の無著(むちゃく)世親(せしん)の時代すなわち仏教の全盛期グプタ王朝(320年540年頃)の時代、次いでアーリア系(バラモン・ヒンズー)復活の時代、世親以後で下降線となり密教が入り込んでくる。
大乗仏教が経典を生み出したのではなく大乗経典の創出を触媒として成立した組織
samgha 仏教組織と言える、特に説一切有部を中心とする上座部の僧達は、王室・藩侯・貿易商等々の資産家の帰依を受けて財力も豊富で強い勢力下にあり、衆生から隔離された大寺院の奥でアビダルマの教理の追及や座禅に明け暮れて大衆を見下した生活であった、これに異を唱えた改革派や在家信者から大乗への道筋が出来た、因みにアビダルマabhidharma 阿毘達磨とは理法とか教えを意味する       *摩訶衍(まかえん)hwa shang ma hā ya naとは、八世紀チベットに禅を伝えた唐僧。

大乗仏教は新指導者達の創作が中心であるが、釈尊と特に異質な哲学を唱えるのでなく、上座部仏教の間違いを正し釈尊の意志を提唱すると言う建前の宗派である、また大乗仏教は八十歳で入滅した釈尊、即ち有限の釈尊から無限即ち久遠、永遠の釈尊を誕生させ様とした運動から誕生したと言える。
初期佛教は平等思想を内包していたが、次第に”在家非阿羅漢論” ”女人不成仏”等差別化するサンガ
(samgha 組織)が出来る、国王や貿易商等の大富豪たちの援助を受け豪華な石窟寺院に籠り、阿毘(あび)達磨(だつま)(アビダルマ abhidharmaの研鑽に集中して、衆生を顧みなかった説一切有部(せついっさいうぶ)三世実有(さんぜじつう)法体恒有 (ほったいごうう)などに対して、慈悲を称える”利他行(りたぎょう)”、自分より先に彼岸へ行かせる”自未度(じみど)先度他(せんどた)”を標榜して衆生達や、その中に溶け込んだ僧侶たちにより大乗仏教はスタートした。(中村始、般若経典抜粋)
しかし大乗仏教に於ける布教の中心は高邁な教理ではなく経典中の物語や、現世利益や呪術がメインエンジン
Main Engineとして機能していた様である、従って仏教が広域に興隆し世界宗教化したのは大乗仏教である、但し上座部・大乗部同士は組織分裂でなく同一のサンガに居住したようである、近年の研究で大乗は小勢力であり組織を拡大出来たのは六世紀頃に密教の登場で呪術と共に認知された様子である。 
成仏不可能とされた十法界内の声聞・縁覚も成仏する「二乗作仏」すなわち
平等思想を持つ大乗仏教が隆起した、因みに十法界とは十界とも言い、下方から・
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界を言う
大乗仏教は複雑で通過儀礼等々大きな相違があるが、地域により分類すれば *日本、韓国、ベトナムを含む中国仏教圏、 *チベット仏教圏、*ネパール仏教圏、が存在している。
大乗仏教には・唯識
思想・法華思想・華厳思想・般若思想・浄土思想・密教等々があり、教義として同一宗教とは言えない、正しくは潮流と言えよう、キーワードとなるタームも*縁起  *法性 *般若 *空 *無 *真如 *慈悲、等々非常に多い、特に初期の大乗仏教は成立し続ける般若経典から発生し完成したと言える程である、さらに一口に北伝仏教と言うが多くの国、すなわち * 中央アジアの国々 * シベリアの一部 * 中国大陸の揚子江、黄河流域等々のエトス(行動様式 
ēthosを吸収しながら終着の日本で幾つかの宗派に分散している。            
大乗思想は出家僧だけでなく在家の衆生を取り入れており発生場所や創始者も確定出来ていない、但し鈴木大拙著・大乗仏教概論に依ればイエスと同時代に馬鳴(めみょう)
(ad80年前後~150年前後・注1と言う人が著した「大乗起信論」が嚆矢と考えられる、其処では大乗の呼称は真如bhūtatathata、or法身(dharmakayaと記述されていた、大乗仏教は 仏陀の教えから真の重要部分がなるべく矛盾しない範囲で視野の拡大解釈された宗教である、因みに摩訶衍(まかえん)Mahāyānaとは、梵語のMahā〈大きな〉yāna〈乗り物)の意味で「大乗」は意訳である、鳩摩羅什訳による「摩訶般若波羅蜜経」の(じょう)大乗品(だいじょうぼん)・第十六が書見である。
大乗の経典論書類の成立を挙げると四期に分類されると言う。(日本仏教史入門・田村芳朗・角川選書)
1~3世紀(第1期)般若経典・維摩経・法華経・華厳経・浄土経典、で論者では龍樹の中論、十二門論、大智度論(注4)、提婆の百論、四百論、。
4世紀(第2期)如来蔵系 如来蔵経、
勝鬘経大般涅槃経、無上依経。
       阿頼耶識系、 解深密経、大乗阿毘達磨経。
       無著  摂大乗論、大乗阿毘達磨論、  世親  唯識二十論、唯識三十頌、 仏性論、摂大乗論釈法華経論。

5世紀(第3期) 入楞伽経、大乗密厳経。
7世紀(第4期)両部の大経 大日経。金剛頂経。
 
  
方等
(ほうどう)
すなわち大乗仏教の特色は「自利利他」すなわち菩薩行にある、呼称も「仏乗」「最高乗」「菩薩乗」と呼ばれる事もある、要するに多様であり・般若系・浄土教系・華厳系・法華系等々があり一人の天才から導かれた哲学でもない、但し部派集団の内で瞑想・禅観を重視する僧侶達の中から派生したとの説がある、但し律蔵には分派行動や個々の司祭は「破僧」とされ追放
(破門)に通じるために組織内に大乗派、部派等々が内封されていた様である。

大乗仏教の成立の触媒は正しい法が法滅saddharma vipralopa 末法)すると言う危機意識から誕生したとも言える、因みに方等vaipulyaとは原語のバイプルヤvaipulya 梵語)で方広とも言い、大乗の教え即ち大乗の経典を意味する。

大乗仏教とは大乗経典を仏説と認める仏教教派、即ち大乗草創者の宗教体験が釈尊の哲学と通底しうると解釈する集団を言う、すなわち菩薩思想と六波羅蜜の哲学は共通項として存在するがテーマは多様であり多くの組織に分かれている、一説には大乗思想は仏滅後約四十年を過ぎた頃から表れ始めたとも言われる、大乗非仏説が言われるが制作者達は仏説に依拠(いきょ)し、釈尊の真意を咀嚼・再解釈して成立した経典であろう。 
閑話休題、クリスチャンが手にする聖書であるが、英語でバイブルbibleと言うが、仏教にもよく似たタームがある、方等vaipulyaと言い原語のバイプルヤvaipulya 梵語)で大乗の教え即ち大乗の経典を意味する。
インド北西部を中心に在家から広がりを見せる、大乗の潮流が理論化されたのは、二世紀頃の龍樹と五世紀頃の法相二祖である無著の弟で後に浄土真宗に於いて七高僧の第二祖である世親に依り確立された、特に大乗仏教に対して龍樹の果たした役割は大きい。

正木晃氏に依ればインドに於いては密教が興るまでは大乗仏教はマイナーな存在であり、上座部仏教が主流であったという(あなたの知らない仏教入門・春秋社)

釈尊の言行録とも言える原始佛教や・上座部佛教との相違を一言でいえば、上座部の梵行すなわち瞑想から大乗の利他行への転換と言える、頼富本宏氏に依れば大乗佛教は菩薩思想中心の佛教と言う、大乗佛教の普及は鳩摩羅什などにより中国に(いざな)われ一部は朝鮮を経て日本に伝わる、但し大乗Mahāyānaと言うタームが最初に使用されたには八千頌般若経よりさらに古いとされる「道行般若経」支婁迦讖(しるかせん)(紀元170年頃)訳による。   
大乗側が上座部をtheravādと呼ばないで小さな乗り物すなわちヒーナヤーナ(hinayāna)と侮蔑したのはインド仏教の主流は六世紀頃までは上座部であり、勢力的に劣勢であっからと言われる。
上記の世親すなわち七高僧の2の内で「天親」と「世親」vasubandhuは同一人物であるが、当初は天親と漢訳され玄奘以後に世親と定着した様である。
大乗佛教は初期に於いては般若経典を興し深甚な釈尊の真意と言える教えを伝えた哲学であろう、マハーヤーナ・大きな乗り物 と言いBC1世紀頃ストーバの周りに教団すなわちサンガ
(僧伽)の制約を受けない在家信者を含む人々が集まり、「慈悲」の哲学を根幹として多くの衆生にも覚りの道が開くことが出来るような運動が広がりを見せた、衆生から隔離した宮殿に住み教理の研究や瞑想に耽り高邁な哲理を求める「自利行(じりぎょう)」ではなく衆生を救済する「利他行(りたぎょう)」を求める様になる、因みに利他行の実践者を菩薩と言う日本の佛教界は大乗佛教の範疇に入る、但し日本佛教以外の佛教国は戒律に関しては上座部と相違は無いと言える、簡易で道徳遵守的な菩薩戒等の日本佛教界は世界的に特異な存在である、大乗佛教を高崎直道氏(佛教入門、東大出版会)は法中心の教義と言う、大乗佛教は在家から発生した佛教upāsakaウパーサカ ・upāsikウパーシカーであるが日本では著しく出家僧の存在は極めて希少である。
大乗佛教に於いては釈尊が尊敬をこめて善友と呼びかけたとされる舎利弗・目犍連・大迦葉を初めとする十大弟子や阿羅漢は維摩経等に於いては出家修行僧いわゆる声聞扱にして菩薩よりランクは低く扱っている。 
大乗は在家から発生したとの説があるが、教義としては部派佛教からである、衆生は現世の物質的欲求の満足を求めており、その必然性を考慮して生まれたとも言えよう。     
梵語名をマハーヤーナと言いインド北西部から佛法(ぶつほう)東漸(とうぜん)の道シルクロードを経て中国・朝鮮・日本などを経て広まった教義で北伝佛教とも言われ経典は漢訳が用いられる、因みに大乗佛教はインド北西部の発祥に相違はないが、寺院に於いては部派、大衆部は同居しており独立した組織としての活動は微小であったと言われている、大乗が組織として興隆を見せたのは、秦国であり鳩摩羅什以降と言えよう。 
南伝の小さな乗り物から大乗即ち大きな乗り物で救われる法華思想や浄土思想を中心とした教派である、法華思想(法華経は総ての人間は等しく成佛できると言い、浄土思想浄土三部経阿弥陀如来に頼り観想・念佛などの易行で往生が可能になる。
特に浄土教は法然親鸞以来の信仰心のみで救われる教義で、先の最澄の悲願であった大乗戒と共に大乗の大乗とか世俗佛教とさえ言われる。
密教
も大乗の範疇に入れられるが、発生のタイムラグが概ね五百年ある、古代佛教が否定した教義を多く取り入れてヒンズー教と混血化しており佛教の範囲から逸脱しているかもしれない、密教徒大乗佛教の共通点は利他行すなわち大悲と方便upāya・ウパーヤ)と言えよう。
大乗佛教を敢て分類すれば顕教を「波羅蜜道」(注2とし、密教を「真言道」と分類する説もある、因みに密教の呼称は日本に限られており「金剛乗」が普遍的である。 
大乗佛教の蘊奥は
慈悲にあると考える、慈とはいつくしみを言い梵語ではmaitri (マイトリー) 悲とは悲しみの共有を言う梵語はkaruā (カルナー)。 maitr? 「乗」とは乗り物を意味し、一乗は真実の教えは一つであるとする、また声聞・縁覚・菩薩を三乗と言う、但しキーワードは「空」である、早くから空を標榜していたが、論理的に説明したのは西暦150年~200年頃と推定される龍樹すなわちナーガルジュナ(nāgārjuna)である、因みに龍樹は大乗仏教に於ける最大の論師(ろんじ)(仏教学者)と言える。
空の智慧、布施に「三輪清浄(さんりんしょうじょう)(三輪空寂・トリマンダラ・パリシュッデtri-man.d.ara-parisāuddhiがある、それぞれ・能施・所施・施物を言い、奉仕の心・奉仕を受ける心・手段は清らかで空でなければ為らない。 

ヒンズー経教的佛教すなわち密教は後期大乗佛教の範中に入り、その密教も前・中・後期に分類され日本密教は中期に相当する、密教は最後に顕れた宗派であるが、突如顕れたものでなく初期佛教時代から内包されていたと考えられる、神秘主義・象徴主義・儀礼主義の三点を集合的に強調した哲学である。 
呪詛や儀典に神秘性を取り入れ古典信仰に組み込み大乗を更に大乗化したものといえる、要するに大乗佛教の範囲に中でフイルドワークの相違から真言道と波羅蜜道とに分類出来る。

密教とは秘密佛教の略称であり顕教が教えの総てが経典などにより露顕されているのに対して、密教は経典のみでは浅略釈(せんりゃくしゃく)であり不足である、本質を体感する深秘釈(しんびさく)いわゆる師との面授や呪を重要視して即身成佛を標榜する宗教である、インドに於いては密教が普及してから大乗仏教は目立つ存在になったが、以前はマイナーな存在であった様である。
密教と言えば空海の存在が抜きん出ている、特別な宗派と考えられ東密真言宗・台密台宗に限定されるが日本佛教には浄土真宗系を除く全ての宗派に多大な影響を与えている。
正木晃氏は大乗佛教の目指す最高の真理とは”空”である、空は究極の快楽として、心身に直接把握できるはずであり、「楽空無別」「楽空無差別」となり、これが密教に繋がると言う。
 これ等の共通点は創奏者である釈迦如来を崇拝しその教えを受けて覚りを求める事には変わりはないが経典やサンガ組織
(教団)は独自の形態をそれぞれの解釈で発展していった。  又インド以外の国々に信仰が広まるにつれその地域の儀式や規制及び信仰と融合し佛教として発展していった。
大乗仏教に於ける典型的な如来として毘盧遮那仏がある、釈迦如来は悟りを開いたが歴史上の人物である、大乗哲学が熟成と共に如来としては仮設な人物とされる、要するに根本佛は不滅な存在でなければ為らない、そこで崇拝儀礼として最後に登場したのが毘盧遮那であり密教では大日如来となる。
釈迦の教えは呪や祈りを用いてサルベージを行うものではなく、同じ佛教でも上座部佛教以外は釈迦の教えとは言えない面がある、江戸中期の思想史家、富永仲基1715年~17461012日)は釈迦の教えと大乗経典とは何等関係ないと主著である「出定後語(しゅつじょうごご)」に於いて論破した、また明治後半東京帝国大学の村上専精教授(注23も大乗非佛説でこれを肯定している、これは現在に於いても定説になっている、これについて「ひろさちや」氏の大乗非釈迦説が上手い表現と言えよう、但し彼の主張には上座部(小乗)の非仏教説など反論の余地が多い。
富永の出定後語に付いて語意は「三昧すなわち禅定から出て後を語る」である、その中で強調されている加上説かじょうせつとは、神話や宗教に仮設を加味した解釈を言う。
出定後語で脱線するが、富永仲基1715年~17461012日)は法華経に付いて出定笑語に於いて「法華経は最高であると言う効能書だけで薬の無い薬箱」「法華経は終始仏を讃するの言にして、全く教説の実なく‐‐‐‐」とまで言う、対して臨済宗中興の祖・白隠慧鶴(はくいんえかく)(1886年1月19日・貞享21225日~ 1769118日)は当初には同様の批判をしながら、後年には最高の経典と訂正したとの事である、出定笑語に付いて植木雅俊氏は富永仲基達は法華経の深淵な思想を読み取る事が出来なかった、即ち「木を読み、森を読んでいない」と言う
しかし大乗側はインド人が発明した方便を使って釈迦がまだ弟子たちに説いていない真意・真理・を顕わした教えと説明している。
上座部佛教が釈尊のみを佛とするのに対して大乗佛教は凡ての如来であり、さらに密教に於いては明王天部までが帰依の対象と成る、すなわち「他方多仏(たほうたぶつ)」である、正木晃氏は密教尊が八割を超えると言う、また大乗仏教は菩薩信仰が顕著であり四大菩薩に普賢、文殊、観音、弥勒の著名菩薩が言われた。
大乗経典を佛典と認知するには「真理を説いている理論は全て佛説である」 「真理とは言語表現を超越したものである」の二点を容認しなければ大乗経典は佛教の経典ではなくなると言はれている、即ち二点を認めてのみ大乗佛教は成立する、さらに大乗仏教は「釈尊の教え
(上座部)の核心部分と矛盾しない範囲内に於いて視野を拡大した教義」である。
しかし佛教とは覚りを目指して生きて呼吸する真理を実践する宗教であり、さらに哲学と言うよりも潮流と理解すれば論議すべき問題では無い、また拙サイトは「仏教原理主義」の賛同するものではない。
仏教は上座部
(小乗)から大衆部(大乗)へ移換した様な印象を受けるが、インドシナ半島等では14世紀頃までは大乗がヒンヅーとセットで信仰されていたが、現在では上座部が信仰されている。 
また大乗・上座部を問わず経典の中で釈迦の言葉と証明できる経典は存在しない、中国に於いては「真経」すなわち釈尊直伝とされる経典と、「疑経」すなわち中国製との疑いを持つ経典や「偽経」いわゆる偽物と断定される経典があるが、方便或は真理を説いている理論は全て佛説であるに該当するかもしれない、著わされた経典がインドか中国か、真経か偽経かを差別する必要はない、重複するが大乗と言う用語が最初に使用されたのが支婁迦讖(しるかしん)訳による「道行(どうぎょう)般若経」である。
大乗仏教側から上座部教を区別する理由の一つは、法華経化城喩品第七にあるのかも知れない、レベルの低い衆生に対する、喩すなわち例え話としてであるが「幻の都城」幻のオアシスを小さな乗物と呼んだと考えられる。
特に日本の大乗仏教では法華経を除外しては語れない、特徴の一例として羅漢道から菩薩道への転換を説いている、中核に挙げているのは縁起(プラテートーヤ・サムウトパーダ)である、「因」「縁」「果」を挙げて果報を呼ぶ為に、好い行い即ち「身」「空」「意」と言う三業を基に声聞は四諦を、縁覚は十二因縁を、菩薩は六波羅蜜をもって仏道に努めると言う、因みに密教に於いては三業を三密と呼び三密加持を即身成仏のマニュアル的に使用されている、この場合「加持」とは入我我入を言う、また止悪作善(しあくさぜん)に繋がる。
大乗佛教を非仏説側から観れば声聞界
(乗)は所謂仏弟子の乗り物で行く処すなわち声聞界が大乗を自称しているだけと言える。 
大乗仏教を修する必要条件の一つに「三輪清浄」がある、救済の主体も空、救われる主体も空、究極の主体も空と言う、即ち三の状態は清浄
(空)で慈悲行が成立する。
大乗仏教の根本哲学と位置づけられるが「諸法(しょほう)実相(じっそう)」とされる、日本等に於ける解釈は宗派毎に異なる。諸法実相とは、インド哲学の泰斗中村元氏に拠れば鳩摩羅什が「摩訶般若波羅蜜経」「法華経」等を漢訳する際に使用した訳語である。

羅什の訳した原語は六語あり「ダルマター」「ブータ」「サルヴァ・ダルマ・タタター」「ダルマ・スヴァバーヴァ」「プラクリティ」「タットヴァスヤ・ラクシャナ」である。
覚りの世界から見る「仏知見」すなわち諸々の存在のあるがままの真実の姿形をいう。

リチャード、ゴンブリッジ(インド・スリランカ上座部仏教史・春秋社)に依れば仏陀は法句経等では過去仏の内で最も遅く出現した佛(如来)であると言う、インド哲学で東京帝国大学に於いて教鞭を執った曹洞宗の僧侶・宇井白寿(1882年~1963)に依れば正しい智慧の保持者すなわち正遍知samyak sambudda サンヤク サンブッダの保持者である”即身成仏への到達者”の例は見られないと言う、即身成仏と言う熟語であるが空海の著作「即身成仏義」が嚆矢らしく密教経典に記述は無い様である。
閑話休題、“佛”と言う文字は佛教東漸後に作られた文字である、中国五千年の歴史の内では新しい文字と言えよう、人偏に弗のコラボは「
**に非ず」=弗を意味しており人であって人に非ず、が佛である、但し多くの佛教用語はSanskrit語やiから道教の熟語に訳されている為に中国人に馴染まれ佛教と道教、儒教の境界が混然としている、また正木晃氏に依れば”即身成仏“と言う熟語は密教のキーワードとも言えるが、経典に即身成仏の記述は観られないと言う、但し空海の「即身成仏義」は経典ではないので加えられないが、日本では空海以来ひろく言われる様になった。

三論では空であり、天台宗では三諦(空・仮・中)即ち中道第一義諦であり、禅宗では森羅万象が本来の面目と言う、また佛陀は当初には「佛」と一字に訳されていたが梵語やパーリ語に堪能な玄奘以降に佛陀と訳される様になったと言う。
仏教は奇跡を認知しないが通常能力の延長線上に五神通を認めている、但し能力の開発や使用を厳禁している、が大乗仏教の興隆と共に利用される様になる、密教の場合は一段と著しくなる。
大乗仏教に於ける基本経典を挙げておく、*般若経 *法華経 *大集経(だいじっきょう) *宝積経(ほうしゃくきょう) *華厳経 *金光明経 *楞伽経(りょうがきょう) *密教諸経典が挙げられる。
我々には馴染まないが「大乗仏教五部経」と言う分類方法があった様だ、* (だい)方等大集経(ほうどうだいじっきょう) * 般若経 * 華厳経 * 涅槃経(大般涅槃経) * 大宝積経が挙げられ、トータルで200巻になる様だ。 
正木晃氏は大乗仏教の成立した地域から釈尊の流れだけでなく、ミトラ教や
ゾロアスター教の影響を考慮する必要があると指摘している、因みにミトラ教とは太陽神ミトラ(ミスラ)を信仰する密儀宗教で古代ローマ時代にインド、イランで興隆した。
大日如来の境地に到達する理具成仏は無論の事、「即身成仏の実例は挙げられない」とインド哲学の権威・宇井伯寿氏(注5)言う、要するに人間に解脱など望む等は不可能に近い、ならば解脱者を拝むことにする、これが大乗仏教のスタートと言えよう。

 



注1、 馬鳴(めみょう)とは梵語名(Aśvaghoa , アシュヴァゴーシャと言い、バラモン出身の古代インドに於ける佛教僧侶でカニシカ王の帰依を受けた。

2、 六波羅蜜  波羅蜜とは梵語名pāramitā(パーラミータ)の音訳で到彼岸すなわち完成された行・彼岸への到達・正しい行いを意味する、菩薩道に於ける修行方法の完全なあり方を波羅蜜と言い大乗仏教に於ける菩薩の必修条件でもある、六波羅蜜の起りは、初期の大乗経典で現存はしていないが「六波羅蜜経」が諸経典に引用されている様である、六波羅蜜との関連のある供養に「六種供養」があり・水――布施 ・塗香――持戒 ・花――忍辱 ・焼香――精進 ・燈明――智慧の行に相当する、因みにお彼岸に先祖の墓参をする風習は日本独自のものでインドや中国には存在しない。  
・布施波羅蜜 (施し)          余談 布施を施す事をdānaダーナと言うが旦那の語源になる。    
持戒(じかい)波羅蜜 (道徳・法律)  
忍辱(にんにく)波羅蜜 (耐え忍ぶ)   
・精進波羅蜜(努力)  
・禅定波羅蜜 (徳を行う行動) 
・般若波羅蜜 (単に知恵ではなく慧に裏付けられて完成される、悟りに向けた智慧)さらに十波羅蜜もあり、六波羅蜜に方便・願・力・智が加えられる。
 因みに華厳経に於いては(7)方便波羅蜜、烏波野upāya ウパーヤ 方便  (8)願波羅蜜、 波羅尼陀那pranidāna プラニダーナ 願  (9)力波羅蜜 、波羅bala  バラ 力 (10)智波羅蜜 、智jñāna ジュニャーナ 智、の十波羅蜜を説いている。 
因みに六道とはgati、(ガティー)道の意訳で *天道 deva-gati  *人間道 manushya-gati *修羅道 asura-gati  *畜生道 tiryagyoni-gati *餓鬼道 preta-gati *地獄道 naraka-gati を言う、関連経典に「六波羅蜜経」正しくは「大乗理趣六波羅蜜多経」がある。 


注3、 五神通とは 1天眼、  2天耳、  3他心智、  4神作智、  5宿命通を言い1、は総てを見通す力、 2、は総てを聞き取る力、 3、は他人の心を知る力、 4、姿を変える力、 5、過去を知る力を言う。


4大智度論とは二万五千頌般若経(にまんごせんじゅはんにゃきょう)(Pañcaviṃśatisāhasrikā-prajñāpāram パンチャヴィムシャティサーハスリカー・プラジュニャーパーラミターに対する解説書である、中国大乗佛教に於ける各宗派、日本の八宗総ての依拠と成っている論書である、マハー・プラジュニャーパーラミター・シャースト(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)と言い、大智度論を大辞林で引くと「大品(だいほん)般若経」の注釈書100巻。
竜樹に著作と伝えられ鳩摩羅什訳、仏教の百科全書的な書。智度論、大論の記述がある、また月と指、即ち月を教える指の価値に関する比喩は著名である(尊者、また坐上に自在身を現ずること、満月輪の如し)とある。
巻五に記述されているカルパ(kalpa)即ち劫とは大変な単位である、約十四㌔㎡に岩に百年に一度天女が舞い降りて衣で岩を撫でる、その摩擦で岩が消滅する時で一劫と言う、忙しい人が計算した様で一劫=約四十億年と言われる、単位に *億劫 *那由他劫(10601072) *阿僧祇劫(
107×2103(梵 asakhyeya)等∞の単位がある、巷間言われる”おっくう”は億劫(おっくう)から採られている。
法楽寺様HP には
大智度論とは「摩訶般若波羅蜜経」のサン梵語原典名Mahāprajñāpāramitā Sūtra[マハープラジュニャーパーラミター スートラ]語、摩訶(mahā)を「」、般若(prajñā)を「」、波羅蜜(pāramitā)を「度」としたもので、注釈書であるから「」としたとある。)    



5宇井伯寿  本名茂七(1882年~1963)と言い曹洞宗・東漸寺(とうぜんじ)34住職 愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈  
1930
年 東京帝国大学教授  1941年 駒沢大学学長  1953年 文化勲章を受章  196381歳で逝去。理具成仏とは理念を言い真言密教の修行をして大日如来と同一の境地に到達する事を言う、・加持成仏とは実践を言い修行により仏と境地を同じくする事、・顕得成仏とは結果を言い修行が完成した状態を言う、但しインド哲学の権威・宇井伯寿氏は「即身成仏の実例は挙げられない」と言う。

正しい智慧の保持者すなわち正遍(しょうへん)()samyak sambudda サンヤク サンブッダ)の保持者である”即身成仏への到達者”の例は見られないと言う、即身成仏と言う熟語であるが空海の著作「即身成仏義」が嚆矢らしく密教経典に記述は無い様である。



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2014
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