大威徳(だいいとく)明王

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梵語名 Yamāntaka(ヤマ―ンタカ)の訳とされる、地獄の王であり死者をも支配するヒンズー世界を統轄する死神であるヤマ(yamāをも降す者と言われる、大威徳憤怒(ふんぬ)明王・六足尊・降閻魔尊(ごうえんまそん)焰鬘得迦(えんまんとっか)閻曼徳迦(えんまんとっか)等とも呼ばれる、インドにに於いて興隆するヒンズー教に対抗する為の尊格をもつ、梵名の意訳は「大いなる威力の所持者」を意味する、五大明王の一尊で西方にあり密教に於いては妙吉祥すなわち文殊菩薩(曼殊室利)の眷属(大日経䟽)、化身とも憤怒身とも言われて諸明王に於いては比較的には初期段階の特徴を示している、関連経典に「佛説妙吉祥(ぶっせつみょうきちじょう)最勝根本大教経(さいしょうこんぽんだいきょうぎょう)」がある。
Yamāntakaは合成語でYamāは死の神を言い、ntakaは打倒する者を言う、形姿は通常六面六臂六足で水牛に跨って左右の六臂には鉾・剣・弓・矢・竜索・宝棒を持ち胸の前で壇陀印(だんだいん)(根本印を結び髑髏の瓔珞(ようらく)や冠を着ける、因みに水牛に乗るのは水陸すなわち覚りと迷界を往来する為と言う、また六面は六趣(ろくしゅ)すなわち六波羅蜜の成就を表している。  (根本印・小指を薬指の内側に入れて絡ませ、 中指を立てて合掌する
大威徳明王と水牛との関連はインドの古代神話に魔神水牛征服神話によると言われる、経典では「聖閻曼徳迦威怒(しょうえんまんとくかいぬ)王立成大神験(おうりつじょうしんけん)念誦法(ねんじゅほう)」「大日経䟽」に依る、またヴェーダ聖典(Veda)では死者の王であり閻魔大王Yama-rāja ヤマラージャ)の原型とも言われている、因みに六趣とは天界、人界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界を言う。
また二本以上の多数の足を持つ明王像は大威徳明王(六足尊)のみである、因みに威徳とは大辞林に依れば「(おごそ)かで徳の高いこと、威厳と人徳が備わる」と記述されている。   
密号を持明金剛・大威徳金剛と言い胎蔵界曼荼羅の持明院(五大院)の五尊の内であり初期の胎蔵界曼荼羅には文殊院にも存在したと言はれる。   
大威徳明王は殆どが五大明王及び八大明王の一尊として、また妙吉祥菩薩の化身としての存在である、但し少数ではあるが独尊で造像されたと思惟され戦勝祈願の信仰があり唐招提寺醍醐寺・大分県豊後高田市・富貴寺
(真木大堂石馬寺(滋賀県)・光明院
横浜市金沢区金沢町・運慶)、多武峰の談山(たんざん)神社(もと妙楽寺)・ボストン美術館など多くはないが秀作が存在する、インドに於いては明王の遺品は少数か存在しない像が多いが大威徳明王像はナーランダ博物館に存在している。
大威徳明王は五智の内、妙観察智に於いては三輪身(さんりんじん)の経令輪身の化身を務める、三輪身とは自性輪身
(如来) 正法輪身(菩薩) 教令輪身(明王)を言い、阿弥陀如来(無量寿如来)-自性輪身 ・金剛法菩薩ー正法輪身 ・大威徳明王ー教令輪身の姿で現される。 

但し三輪身は「摂無礙経(しょうむげきょう)」を典拠としている、摂無礙経は空海没後百年以上後に奝然が請来した経典で、三輪身と言うタームを空海は使用していない。



真言 オン シュチリ キャラロハウン ケン ソワカ  


五大明王
明王の中で著名な五大明王信仰は唐の玄宗皇帝から信任された不空による「仁王護国般若波羅密多経陀羅念誦儀軌」に密教化された護国思想や五大明王の教義が説かれ空海円珍により請来されたが尊名や図像に相違がある。
真言系では「仁王経五方諸尊図」を典拠としており上記の不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五尊を言い水牛に乗る大威徳明王以外は立像である、空海が大極殿に真言院を創設して五大明王の檀を築き後七日御修法の施行に成功し、天皇及び御衣に聖水を注ぐ最大級の修法にした事により平安時代以後には多大な信仰を集めた、後七日御修法は明治維新まで宮中で行われ、現在に於いても東寺で行われている事もあり平安時代以後には多大な信仰を集めた、また天台系では円珍が招来した「五菩薩五憤怒像」が使われ金剛夜叉明王に代わり鳥枢渋摩明王があてられ坐像である、五大明王全尊揃っているには東寺 ・大覚寺 ・醍醐寺 ・不退寺 ・宝山寺(奈良) ・定福寺(三重) ・瑞巌寺(宮城県松島)の七寺である
国宝の絵画に於いては東寺・醍醐寺 ・高野山
(有志八幡講十八箇院) ・水無瀬神社(大阪)に存在し、重要文化財も数点存在する、また軍荼利明王は真言系では右手に金剛鈎を持ち天台系は羂索を持つ、また大威徳明王に於いては画かれる位置が真言系は画面側から右上、天台系は左下に画かれている。

新しく絵画で岐阜県大野町の来降寺で(絹本著色 不動明王 降三世明王 軍荼利明王 大威徳明王  鳥枢沙摩明王 各140×88cm 平安時代)20046月に国宝指定を受けた。


           (五大明王各編で重複させてあります)  
五大明王を持つ寺院

 寺      名

  不動明王

  降三世明王

  軍荼利明王

 大威徳明王

 金剛夜叉明王

   備       考

 常福寺

  172,7cm

  178,8cm

  172,7cm

  150,6cm

  177,7cm

 木造彩色 平安時代

 瑞巌寺

   64,1cm

  92,1cm

  89,7cm

  67,7cm

  91,1cm

 同上

 醍醐寺

   86,3cm

  122,3cm

  125,8cm

   80,3cm

  116,7cm

 同上

○ 教王護国寺

  173,3cm

  173,6cm

  201,5cm

  100,9cm

  171,8cm

 同上   明円作

 大覚寺

   50,9cm

   67,5cm

   69,3cm

   58,1cm

   69,6cm

 同上

 不退寺

   85,7cm

  154,7cm

  157,0cm

   99,0cm

  150,5cm

 同上

 宝山寺(奈良)

   17、1cm

   18,cm 

   17,cm 

   11,5cm 

   18,cm 

 江戸時代 厨子入 

 来降寺

 教王護国寺

 ○醍醐寺

  

  

  

  最後尾に記述 

常福寺は寺院に拠るサイトです。

延暦寺無寺明王堂  木造 彩色 玉眼 不動67.9cm  36.7cm 矜羯羅 39.7cm   降三世 80.9cm 軍荼利  82.4cm 大威徳47.0cm 金剛夜叉 86.4cm

唐招提寺 坐像 木造彩色 99.4cm 藤原時代 
大覚寺  木造彩色 110,6cm 藤原時代                 
醍醐寺   木造 80,3cm  五大明王の内  藤原時代
●富貴寺(真木大堂) 木造彩色 165.3cm  藤原時代  (大分県豊後高田市田染真木1796
石馬寺 騎牛上像 木造彩色 117,0cm 藤原時代
●光明院  木造  19,8cm  鎌倉時代  運慶作  像内納入像   横浜市金沢区金沢町215 (称名寺塔頭) 2008年指定  梵字千手陀羅尼と共に
●石馬寺(滋賀県神崎郡五個荘町石馬寺823)  木造彩色  117.0 cm    平安時代  三面六臂六足
●竹林寺   坐像 木造 彩色   160.0㎝  鎌倉時代   (高知市五台山)
牛伏寺(ごふくじ) 木造彩色 88.2cm 藤原時代     (長野県松本市内田2573)

絵画(五大尊像) 

来振寺 絹本著色 掛幅装 五幅 各1400cm×880cm 不動明王 降三世明王 軍荼利明王 大威徳明王 鳥枢沙摩明王   平安時代  岐阜県大野町


教王護国寺  絹本著色 掛幅装 153,0cm×128,8cm  不動明王 降三世明王 軍荼利明王 大威徳明王 金剛夜叉明王 平安時代 


醍醐寺 絹本著色 掛幅装 193,9cm×126,2cm  不動明王 降三世明王 軍荼利明王 大威徳明王 金剛夜叉明王 鎌倉時代  


談山(たんざん)神社(旧妙楽寺) 絹本著色 掛幅装 140.3cm×86.1cm  平安時代  「大威徳立成神験法」の儀軌に習い髑髏瓔珞を強調した独尊様式。 

        
       来振寺 国宝 大威徳明王

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最終加筆日2004年7月7日  20051123日三輪身 200888日光明院指定 2020年3月5日 2021年2月5日 3月26日 2022年9月12日 9月22日加筆
 

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