大黒天

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梵語名のMahākāla(マハ―カーラ)(体が黒)マハ―(偉大)、カーラ(黒)の訳で・摩訶迦羅天・等、体色が黒い為に大黒神と和訳されている、経典にも理趣経と胎蔵生曼荼羅は破壊姿でである、日本人が親しむ福よかな大黒さんとは相違が大きい、ヒンドー教Hinduの三大神(Trimurti トリニテイー)の一尊であるシヴァ(破壊・Śiva神の化身とが夜の呼び名とされている、畏怖相いわゆる死神とも言われヒンドー教では出自が破壊と再生を司る神シヴァŚiva)とも言われチベットやブータンの佛教では憤怒相の吉祥天等とともに醜悪さが踏襲されている。
因みに 三神一体(Trimurti)とは *ヴィシュヌ神(存続神 Viṣṇu)世界を維持・発展させる。 *シヴァ神(破壊神 Śiva世界を破壊し、再生する、日本では大黒天に相当する。 *ブラフマー(創造神 brahma)世界の創造者、最高神だが日本以外では人気がない、日本では弁才天にあたる。  
古代インド・中国に於いて寺院の守護神としての役割と豊穣を約束する神であった、大日経疏に拠れば毘盧遮那佛の化身とされた事からインド密教に於いては戦闘の神即ち守護神となる、化身した大黒天は人肉を食い内臓を供物にする夜叉女ダキーニーākiī荼枳尼天として佛教に帰依させている。     
唐の僧・神愷(じんがい)の著した「大黒天神法」に依れば、大黒天の姿形に付いてインド古来の像は三面六臂が多い、また一面二臂で墳怒相に甲冑を纏い金銭を入れる袋を肩に掛けていたり、頭蓋骨や肉切包丁を所持することがある、後に胎蔵界曼荼羅の外金剛部院の像などは憤怒相で三面六臂が多数で焔髪を逆立たせた三面大黒である、ご利益が似ている事から毘沙門天や大自在天と同尊とする説もある、因みに善光寺には大黒天・毘沙門天・弁才天が一尊に成った三面大黒天がある。
日本では憤怒相も存在するが大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視された事により福相が多くなった、大黒天は最澄が取り入れたと言う説もあり天台宗に於いて重要視されている、延暦寺の大炊屋には最澄作との伝承を持つ大黒天像が政所等で比叡全山の守護神とされている、中国に於いては厨房の柱の隅や門前に置かれていたと言う。
土着信仰や神仏習合に合わせて七福神の一尊になり、頭巾を冠り手に小槌を持ち大きな袋を背負い米俵に乗った大黒様として商売繁盛・豊作の神として、奈良等古い町並みでは屋根の瓦に使用されている所もあり庶民に親しまれてきた、また伽藍神としてか袋を持たない大黒天が「走り大黒」と呼ばれている、また大国=大黒(だいこく)から大国主(おおくにぬし)神と同一神とする拡大解釈信仰も生まれた。       
 

真言 オン マカギャラヤ ソワカ   

1大黒天の三面は憤怒相で「悪魔の降伏」「財宝の恵み」「冥府の守護」としての意味を持つ。

2、真言をオンマカキャラヤソワカと言う、  オン(帰依) マカ(偉大) キャラヤ(伽羅の薫香の如く) ソワカ(成就)。


重要文化財指定を受けている大黒天
観世音寺(福岡)立像 木造 171,8cm 平安時代   

●明寿院(滋賀県愛知郡愛荘町)半跏像 木造彩色  49,9cm 平安時代  (七福神の大黒)  

延暦寺(滋賀)立像 木造 176,0cmcm 鎌倉時代

●光明寺(滋賀八日市市下羽田町141-2)立像 木造 16,5cm 平安時代

興福寺(奈良)立像 木造彩色 93,8cm 鎌倉時代

西大寺(奈良)立像 木造彩色 182,7cm 鎌倉時代   

●松尾寺(奈良) 木造彩色 99,0cm 鎌倉時代

●セゾン現代美術館(長野県)厨子入り立像 南北朝時代 佛師 快兼
  厨子絵 観慶

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最終加筆日2004年6月30日    最澄の採用説2005112日 2008211日 2016年4月8日 2017年2月10日  9月2日 2018年6月10日 2020年4月21日 2022年10月23日  

                          

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