荼枳尼天(だきにてん)と稲荷    
                              
             
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梵語名をḌākiṇī(ダーキニー・英文字でDakini と言い、音訳され・荼吉尼真天 荼吉(枳) 尼天・吒枳尼天・押枳尼天・拏吉天 ・押梢尼天等と記述は異なるが総て「だきにてん」と発音されている。
シヴァ神の巫女の姿をしているが、本来はヒンドゥー教の女神の起源とも言われる一神で美しくセクシーな女尊である、意訳では「
(くう)行母(ぎょうも)(カンドーマ)」と訳され空駆ける恐怖の魔女である、大黒天の眷族とも言われ日本に於いては平安時代を境に稲荷神と同体説が言われている。    
元来は人肉を食い、性愛に関与し呪力を駆使し人に危害を加える女
夜叉鬼であったが、大黒天に変化した大日如来に説諭され仏教に帰依してからは弁財天を似たご利益、いわゆる福財をもたらす神として信仰を集める、特に寺院系の稲荷の象徴的な豊川稲荷、即ち曹洞宗、円福山、妙巌寺では荼枳尼天を祀り大変な賑わいである、また真如堂(真正極楽寺)の塔頭寺院で赤門の手前左にある法伝寺の咤枳尼天は日本最初の荼枳尼天で空海作で開基は順徳天皇との伝承がある、但し秘仏である。(京都市左京区浄土寺真如町82 。 
日本では稲作の守護神に見立てられ温和であるが、元来は激しい気性の女神である、姿形としては白狐に乗り天女姿で顕わされるが手には武器を所持している、また
胎蔵曼荼羅には鬼女姿で描かれている、後述するが「無上瑜伽タントラ」、要するに後期密教の国すなわちチベット等では曼荼羅の主尊に納まる事がある、通常タントラとはヒンドウー教の秘儀聖典を言うが後期密教即ち”母タントラ”に於いては重要な役割を担い、呪術・占星・祭式・医術・薬学などが加わる。 

本来は荼枳尼天と狐との関連は無いが、偽経とされる押枳尼栴陀利王経(だきにせんだりおうきょう)」から関連付けされた、また日本には請来されなかったが後期密教に登場している、日本では異端,すなわち淫祀(いんし)邪教として弾圧され、江戸時代末に断絶した真言系立川(たちかわ)流にも採用された様で、禁裏等に於いて荼枳尼天を本尊とした修法も行われた、立川流は消滅したが後期密教、即ち瑜伽密教と教義が近く、世界的には日本の中期密教よりチベットの瑜伽密教の知名度著しく高い
瑜伽密教とはインドで八世紀末に興りチベットに伝わった後期密教で無上瑜伽タントラ
(anuttarayoga、tantra アヌッタラヨーガ タントラ)と言う教義を拠り所にしている
立川流とは鎌倉時代に仁寛(にんかん)(蓮念)より興されたとされる流派で19世紀頃まで狭い範囲で信仰されていた、後期密教すなわちチベット仏教に近い教義で理趣経や瑜伽タントラを重要視し荼枳尼天を崇拝、性交と即身成仏を関連付ける。

密教に於ける四分法を確立したチベット学僧のプト12901364年)に依る分類は密教の発達段階を含めている。

・所作タントラtantra)(灌頂経など) 前期密教 

・行タントラtantra)(大日経など) 中期密教 

・瑜伽タントラtantra)(金剛頂経など)中期密教 

・無上瑜伽タントラtantra)(秘密集会経など)後期密教に分けられている、この中で作タントラを大日経以前に置かれる、大日経は行タントラの範疇にあり、金剛頂経系列は瑜伽行タントラに置かれている、更に無上瑜伽タントラにある密教は金剛頂経以降すなわち後期密教を指している、因みに瑜伽とは梵語saṃskṛtaでyoga ヨガ)の音訳である、原義としては“相応”、“結合”を意味するがヨーガとの解釈が適当と考えられる

この修法は鎌倉時代に重用された様で平家物語には藤原成親・太平記に於いては細川清氏が記述されている、また修験道に於いても行われ稲荷神との習合が顕著になった。脱線するが後期密教を模倣したオウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の愛人達をダーキニーと呼ばれていた様だ。   
 
2009330日更新 2017年8月6日加筆  


稲荷
とは山背の国風土記に井奈利社条と言う記述を見るが稲荷の記述は827年(天長4年)嵯峨天皇の時代が嚆矢と言える、「稲生り」が語源とされ文字が示すように五穀豊穣を祈願する神であったが、ご利益利生(りしょう)から商売繁盛に取り入れられた、稲荷には稲魂を神格化し古事記に登場する「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」を祀る伏見稲荷大社に代表される神道系とインドの夜叉神を淵源とする仏教系の・豊川稲荷・最上稲荷に代表され荼枳尼天を祀る仏教系がある。
インドでは元来山門の守護神であり、梵語音訳名をダーキーニと言う、胎蔵界曼荼羅にも登場する荼枳尼天・拏吉尼等と記述され弁才天と同尊説もある、但し稲荷信仰の歴史は古く 奈良時代から存在し源流を辿れば諸説がある、古来信仰の神々と茶吉尼天との習合したものと推察できる、伏見稲荷の伝承に依れば711年勅命により伊奈利山の三ヶ峰に三柱の神を祀られた事を嚆矢とされる。
狐は本尊ではなく神の使者であり荼枳尼天曼荼羅では狐に乗った天女の姿で描かれており稲荷との同尊説がある。
日本に於ける三大稲荷、又は四大稲荷の一つと言はれる、本尊が千手観音の豊川稲荷は曹洞宗の妙厳寺として明治の廃仏毀釈の影響を受けないで今日の隆盛がある。
日本に於いて荼枳尼天と習合した稲荷信仰は根強く、これには修験者や真言聖の布教が貢献している、戸部民夫氏に依れば真言宗との関連が深くあり、教王護国寺の講堂建立の折に秦氏により用材を稲荷山から提供されて以来の刎頸の関係と考えられる、因みに教王護国寺の鎮守神は稲荷神である。
稲荷と修験道との関連伝承として円珍が熊野詣に於いて(みそぎ)所に於いて稲荷大明神に対面したと言う伝承が言われる。
稲荷と言えば鳥居が知られているが、インドに於いて古い仏教やヒンズュー遺跡の門口にある、梵語 torana(トラーナ)が語源であり、塔門とも訳される。 

神社庁に所属する宗教法人約8万社の内、凡そ4万社を稲荷神社が占めるが、さらに神社庁所属外の屋敷内稲荷が多く存在しておりその数は不明である、頂点に宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を祭る伏見稲荷大社が君臨する。 
神社系の他に、豊川稲荷と同じ仏教系の稲荷に岡山市の最上稲荷(さいじょういなり)があり、日蓮宗の
妙教寺でこの地方では伏見稲荷・豊川稲荷に次いで日本三大稲荷と言う。   

日本三大稲荷は通常は・伏見・豊川・
祐徳が言われているが神社庁系に限定する場合や地方により異なり四大~五大稲荷とも言われている。 



 

伏見稲荷大社   京都府伏見区深草藪の内    祭神 宇迦之御魂大神他  単立神社 神社本庁に属さない稲荷神社の総本社


豊川稲荷   
   愛知県豊川市豊川町1      (円福山・妙厳寺 曹洞宗    寺院系  


最上稲荷   
   岡山県岡山市高松稲荷712  (最上稲荷山・妙教寺 日蓮宗 寺院系


祐徳稲荷神社
    佐賀県鹿島市古枝       祭神 蔵稲魂大神  創建 1687年(貞亮4年)


笠間稲荷神社     茨木県笠間市笠間     祭神 宇迦之御魂神  創建 651年(白雉2年)


竹駒神社         宮城県岩沼市稲荷町1-1   祭神 倉稲魂神他  創建 842年(承和9年)     


瓢箪山稲荷神社   大阪府東大阪市瓢箪山町8-1  祭神 宇迦之御魂神  創建 1584年(天正11年)


草戸稲荷神社     広島県福山市草戸町1467   祭神 大己貴神、蔵稲魂大神  創建 807年(大同2年) 神社本庁離脱


千代保稲荷神社
   岐阜県海津市平田町三郷1980  祭神 大祖大神、稲荷大神  創建 1469~1487年(文明年間)



稲荷神社では経典も詠まれる、伏見稲荷等では祝詞と共に「稲荷心経」が唱えられる、稲荷心経は神仏習合が普通であった日本に於いて編纂された経典である。

         伏見稲荷大社       祐徳稲荷神社


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