不空羂索観音

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変化観音の一尊で梵語名 Amoghapāśa (アモーガパーシャ)アモーガ(不空Aは否定詞バ―シャ,羂索(けんさく)の意訳でありインド古来よりの狩猟具を言い ”確実な投げ縄”を意味する、ヴェーダ聖典Vedaではバ―シャとは道徳律の守護者であるヴァルナ神の所持物と言われる。
十一面観音と時期をほぼ同じくして出現する、信仰が中国と日本に概ね限定された十一面観音や千手観音と異なり、インドに於いてはヒンズー教のシヴァ神とイメージが重なり古くから信仰され多くの像が存在する、また密教の興隆と共に不空羂索観音の呪文(真言・陀羅尼 注5)は五百十四首の多義に亙り信仰された、依経となる経典は闍那崛多(じゃなくった)523-600?年)「不空羂索呪経」、菩提流支(ぼだいるし)508年頃の人)「不空羂索神変真言経」は三十巻七十八品の大部で儀軌、真言の他に多くの利益が記述されている、内には美人になれると言うご利益もある、あと李無諂(りむてん)訳「不空羂索陀羅尼経」や玄奘訳の「不空羂索神呪経」等の漢訳にチベット語訳が多く存在する  
この観音にもいろいろな呼び名があり、不空王・不空憤怒王・清浄蓮華明王などとも呼ばれ、失敗する事の無い投げ輪、魚網の意味を持つ、藤原一門の守り本尊であった事から、日本では天平時代から平安時代に相当数造像された、経典に拠れば「慈悲の索・一切の衆生が漏れる事なし」とされる様に大衆の煩悩を漏れなく慈悲の網を持って救済すると言う、即ちご利益はしくなく、慈悲は羂索に於いて救い上げられる、ちなみに羂索とは古代インドにおける狩猟具である、羂索とは「
天網恢恢(てんもうかいかい)()にして()らさず」と言うところか
不空とは宇宙の外を言い、般若心経を引用すれば、「空」は大宇宙とすると「色」は諸物体とされる、色の集合が空であり、色すなわち空であり、空すなわち色である。
観音信仰が深まるにつれ人々はより大きなパワー
powerを求めるようになり、天台宗では真言宗准胝観音に変わり六観音の一尊に数えられ、密号「等引(とういん)金剛」と呼ばれる事もある、因みに天台宗に於いては准胝を観音ではなく、仏眼仏母に分類し六観音から除外している。 
無限の過去劫すなわち荘厳劫(そうごんこう)に於いて阿弥陀如来の師である世自在王如来から観音菩薩が受けた陀羅尼を唱えれば現世や臨終時の功徳ご利益があると「不空羅索経」に記述されている。  
日本では鹿皮の衣を着ているのは不空羂索観音に限定されるが、インドやネパールでは他の変化観音も鹿皮を着用している為にシンボルは羂索と言えよう。
春日大社・藤原一門は
興福寺・南円堂の本尊として安置するなど本地仏すなわち守護佛とし占有した事から六観音の中では霊場は少ない、藤原一族以外からは多くの信仰を集めるには到らず平安中期を境に造像された事は無きに均しい。      
密号を等引金剛と言い姿形として不空羂索呪経、不空羂索陀羅尼経」
、不空羂索神変真言経」等の儀軌には多様に説かれており、白肉色で宝冠に化仏を置き三眼・一面(三面)二臂 ・四臂 ・八臂 ・十八臂などが有る、胎蔵界曼荼羅観音院の場合は三面四臂であるが日本に於いては一面八臂・三眼で占められる、但しインドに於いて八臂像は存在せず四臂が多数である、日本の多くの臂は真手が合掌し二臂以下に羂索・払子(ほっす)錫杖(しゃくじょう)・蓮華・素手は印形(与願)が見られる、これらの経典は膨大な筆量を持ち初期密教から中期密教への移行期の経典である。


東大寺法華堂・興福寺南円堂・広隆寺講堂が著名で、十一面観音と混血とも考えられる観世音寺十一面三眼八臂などが知られている、特に法華堂(三月堂)の本尊はわが国最古の不空羂索観音であり豪華な宝冠・化佛を持ち鹿皮(ろくひ)の衣を着けている、日本に於いて鹿革を纏うのは不空羂索観音に限らッるがインドやネパール等では通常の観音菩薩が着衣している、閑話休題、三眼であるがヒンドゥー教に於ける三神一体トリムルティ・Trimurti)の一尊であるシヴァの代表的な特徴であり関連も思惟される、脱線するが三眼に付いてはシヴァ神の影響を色濃く受けている、因みにシヴァ神が第三眼を獲得した伝承として、瞑想中に退屈した妻のパールヴァティーが手で両目を塞いだ為に世界が漆黒に包まれた、しかしシヴァ神の額に第三眼が現れて炎が噴出して世界を再び明るくしたとされる


真言  おん はんどまだら あぼきゃじゃやに そろ そろ そわか


1, 藤原摂関家(せっかんけ) 鎌足を祖とし不比等に引き継がれ長く朝廷を支配した一族で歴代天皇の外戚を続け日本史の中でも藤原時代の名称まで残し天皇家に次ぐ名門。
不比等の子供達の系列から凄惨な確執を繰り返した後10世紀(藤原時代)には藤原武智麻(むちまろ)の南家に対して藤原房前(ふささき)の北家が覇権を持つ、鎌倉時代に五摂家(ごせっけ)に別れ近衛・九条・鷹司・二条・一条を名乗り摂政関白を独占する。(藤原不比等―鎌足を父に宮廷歌人額田王と同一人とも言われる鏡王を母に持ち大宝律令・貨幣経済・成文法等を導入して藤原一門の千三百年にわたる栄華の礎を築く)
また藤原姓は橿原市高殿町付近の地名からともされる。
傍系に久我・醍醐・今出川・姉小路・山科・花山院・広幡・三条・西園寺・徳大寺・難波・飛鳥井・冷泉・坊城・日野・烏丸・大炊御門・中炊御門・観修寺等があり本来は全て藤原姓である。
五摂家による禁裏支配制度は後醍醐天皇の御世を除き明治維新まで継続した、1884年に華族令により廃止になり五摂家は華族筆頭として公爵位を授けられた。 


2, 縦長第三の眼は佛眼又は天眼と言い嘘や迷いを見抜く眼とされる、またシバ神の影響を受けた眼と言う説もある。

3、六観音  ・聖観音  ・千手観音  ・十一面観音  ・如意輪観音   ・准胝観音  ・馬頭観音 が通例であるが、主に天台系に於いては准胝観音は仏眼仏母(一切仏眼大金剛吉祥一切仏母)に分類されるために不空羂索観音が入る。

4、不空羂索観音を本尊とする寺は少ないが奈良市高畠町1365に「不空院」があり重要文化財指定を受けている。(下段●4番目参照)

5、 代表的な呪文の四系統、・ダラニ(dhāraī)陀羅尼 ・フリダヤ(hrdaya)心呪 ・ヴィディヤー(Vidyā)明呪 ・マントラ(mantra)真言 を言うが他にも多くの系統がある。


                                
主な不空羂索観音像 表内は国宝     ●印国指定重文                              

寺       名

仕             様

時   代

 東大寺  (三月堂 )

 脱活乾漆造漆箔 立像 362,1cm(宝冠88cm 単面三眼八臂 羅索堂本尊

 天平時代 

 興福寺  (南円堂)

 木造漆箔 玉眼 坐像    341,5cm  康慶作 南円堂の本尊

 鎌倉時代

 広隆寺  (霊宝舘)

 木造彩色 立像        313,6cm

 平安時代


観世音寺(福岡県筑紫郡大宰府町)木造漆箔 立像 517,0cm 鎌倉時代 琳厳作  十一面三眼八臂  


大安寺 立像 木造彩色 189,9cm 天平時代

●唐招提寺 伝、獅子吼菩薩立像不空羂索観音・三眼四臂) 木造 171,8cm

●唐招提寺 伝、衆宝王菩薩立像不空羂索観音・三眼六臂) 木造 173.2cm


●法蓮寺(香川)坐像 立像 木造 89,1cm 平安時代


●不空院  坐像 木造 漆箔 玉眼 103,9cm 鎌倉時代   奈良市高畑町1365


●東鳴川観音講(奈良)  坐像 木造 90,6cm 平安時代


         
泉涌寺公式サイト(法音院不空羂索観音)からの転写です。


    

最終加筆日 2004628日 2009310日 2018年3月21日 2018年11月3日 2020年4月5日 6月11日補足 

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