地蔵菩薩

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地蔵菩薩は日本人には”お地蔵さん”として馴染みの深い菩薩であるが起源は定かではなく目立つ事は無い尊格である、但しバラモン教の儀礼であるアタルヴァ ヴェーダ聖典Atharva-Veda)(注8)に記述されており大地に対する信仰は古い、一説にはアーリアārya民族の神話が嚆矢で、大地の神であったと言われる、大地を訪れ六道(注1)で難儀する衆生を救済して廻ると言われる、賛歌で大地を讃えて人間や動物を包み、山川草木(さんせんそうもく)を生み、雨により肥沃となり食物が育つ女神、即ち地母神(じぼしん) プリティヴィーPṛthivīとして畏敬されていた、原語にはk

śitigarbha(クシテイガルバ)、クシテイ大地、ガルバ母胎との記述がみられる。インドに於ける古代信仰では大地の恵みを司る神で万有の母胎とされている、すなわち大地を神格化した菩薩である、日本に請来されたのは天平時代であるが経典の写経程度であり信仰され始めたのは平安時代からである、但し平安末期には今昔物語の説話に多用され急速に興隆した、因みにアーリアāryaとは梵語で”高貴”を意味すると言う。     


もう一つ日本に於いて伝統的な道祖神(どうそじん)との習合が言われている、道祖神とは村や峠の境界に置かれて外来の疫病や悪霊から擁護する神である、縁結びの神、旅行安全の神、子供と親しい神とされ自然石等に文字や像を刻んだものもある。
鎌倉時代に八宗に秀でた()(じゅう)(どう)(ぎょう)1227年1月17日(嘉禄2年)1312年11月9日(正和元年)と言う僧侶が編纂した(しゃ)(せき)(しゅう)”に依れば地蔵菩薩を衆生に縁の深い菩薩と讃嘆した、即ち釈迦如来は霊山浄土で説法しており、阿弥陀如来は極楽浄土で説法しているが娑婆では間に合わない、しかし地蔵菩薩は能力、臨終の際に限らず六道の巷に在り、衆生の救済に努めている。(観音・地蔵・不動  速水侑吉川弘文館より抜粋)
地蔵菩薩は他の菩薩と同様に現世利益も説いているが、死者の罪障をサルベージ
(salvage)している、言い換えれば冥界に於いて衆生救済の役割を担う菩薩である、賽の河原(さいのかわら)に於いて石積みを繰り返す亡幼児を救済すると言う信仰が広く知られている。
地蔵信は関西地方で特に篤く京都を中心に八千尊を超える尊像があり、概ね愛称及び通称で呼ばれている、延命地蔵経などにある苦を引き受けるキーワードに獄苦代受(ごっくだいじゅ)(梵 Duhkhaudvahanaまた代受苦、大悲代受苦がある、すなわち・安産地蔵
(全国各地)・水子地蔵(全国各地)・釘抜き地蔵・いぼとり地蔵・目疾地蔵(仲源寺 京都市東山区祇園町南側585-1・延命地蔵・身代り地蔵・腹帯地蔵(誓弘山 善願寺 京都府京都市伏見区醍醐南里町33・味噌なめ地蔵(矢田寺大門坊 奈良県大和郡山市矢田町3549)楫取(かじとり)地蔵(しん)照寺(しょうじ) 室戸市 四国二五番札所)、等々の「代受苦」「獄苦受代」が信仰され毎年八月には地蔵盆が行われる、また関東に於いても・しばられ地蔵・とげ抜き地蔵・化粧地蔵などがある、また童話にも登場し・笠地蔵・田植え地蔵等が知られている、日本に於いては信仰の篤さは尊数にも表れており観音菩薩とトップを競う、弥勒菩薩不動明王を凌いでいる、但し日本以外の佛教圏では不動明王と共にさほど篤い信仰は観られない、因みに法華経には膨大な数の如来、菩薩が登場するが地蔵菩薩の名前は無いと橋爪大三郎氏は言う。
六道跋苦を担う獄苦代受の尊格を挙げれば壬生寺の縄目地蔵、滋賀県長浜市・浄信寺すなわち木之元地蔵の蛙等がある。
梵語名 K
itigarbha(クシティガルバ)の意訳、直訳するとKiti(大地)garbha(子宮・胎・蔵)となり大地を包み込むと言う意味を持つ、大地〈大地(クシティkiti)は様々のものを生み出すパワーを秘めており現在は菩薩に位置しているが、限りなく如来としての可能性を秘めた菩薩である。
地蔵菩薩の功徳を説く経典には以下に述べる”地蔵三経”と「地蔵菩薩本願経」「大乗大集十輪経(じゅうりんぎょう)」「占察(せんざつ)善悪業報(ぜんあくごうほう)経」の他に「仏説地蔵菩薩陀羅尼経」 預修十王生七経(よしゅじゅうおうしょうしちきょう)(中国製偽経」「地蔵菩薩発心因縁十王経(日本製偽経」「延命地蔵菩薩経(日本製偽経)」が一般的に説かれている。

「地蔵菩薩発心因縁十王経」略して地蔵十王経(中国製偽経)によれば閻魔天(大王)に化身するとされている事から死後に於ける閻魔大王の裁定を想定しての信仰が広がりを見せた、因みに閻魔天の姿形は道教からの道服を纏い右手に(しゃく)を持つ中国様式が大勢を占める、また閻魔は梵語ではヤマyamaと言い死後の世界に君臨すると言う、因みに閻魔とは死の世界を支配する閻魔羅闍(えんまらじゃ) すなわち ヤマラージャ(Yama-rāja、ラージャは王を意味する)の音訳である、当初インドに於いては死者の行く先は楽園であり、それほど恐れられていなかったが、死者の世界が地獄化されヤマのイメージが変化した。
十輪経には仏滅から弥勒仏の登場までと思惟されるが、
五濁(ごじょく)(あく)()(注10の無仏世界に於いて衆生を救済する意味合いが記述にある。

中国の「預修十王生七経」に於いては、人は死後に十人の王の関所で尋問される、日本では「地蔵十王経」で閻魔大王は地蔵菩薩の変身と信じられている、因みに(さん)()すなわち三界(注7の内を言う、地蔵菩薩は持地(じじ)菩薩(ぼさつ)Dharanii-dharah ダラニ ダラ)、天、空、地を言う意味をいう、また仏教用語で言う世間は宇宙・世界を意味し、生命の世界である有情世間の中で欲界・色界・無界とか、現在生存の本有・未来の当有・中間の生存中有と多様に用いられる
三有
(さんう)
とは梵語のtrāidatukaで、天、空、地を言う意味をいう、また仏教用語で言う世間は宇宙・世界を意味し、生命の世界である有情世間の中で欲界・色界・無界とか、現在生存の本有・未来の当有・中間の生存中有と多様に用いられる

その他の経典に「地蔵菩薩本願経」実叉難陀(じっしゃなんだ)訳)に物語があり、過去の劫、荘厳劫
(注5以前の遠い昔の劫に於いて二つの小国が在った、二人の王は十善を行なおうとしたが人民は悪事を働く、それを憂い一人は「一切智成就如来」となり一人が「地蔵菩薩」と成ったと言う、また今昔物語等にも多く登場する。

日本製の偽経「延命地蔵菩薩経」には地蔵菩薩は(しょう)(ぜん)童子と(しょう)(あく)童子を従え地蔵三尊の記述がある。
は種をまくことにより全ての物を生み出すパワー(power)、即ちしていて衆生を救済する菩薩行を行う事から地蔵菩薩と呼ばれ金剛界曼荼羅に於ける金剛幢菩薩と同尊とされる、地蔵菩薩の姿形は「大方広十輪経」にあるが日本では比丘形すなわち声聞形(しょうもんぎょう)が大勢を占める、地蔵菩薩が僧形の理由は末世の無仏時代に弥勒菩薩が覚者になり娑婆(自土)に降りてくるまで、穢土に留まり救済する姿が僧形である。   一切智=sarvajñata
日本に於いて地蔵菩薩は自土仏即ち穢土(えど)娑婆に於ける釈尊の弟子の姿形、所謂僧形をしている、密教では八大菩薩(注9)の一尊であり「大日経」に於いて髪冠を頂き宝珠と蓮華を持つ、特にインドに於いて比丘形は存在せず日本人の地蔵菩薩に対するイメージimageは玄奘訳とされた「地蔵十王経」が広がりを見せた中国で起こった姿形である、ただし地蔵十王経は正式名称を「地蔵菩薩発心因縁十王経」と言い道教と習合して中国で作られた偽経(注6とされている、因みに地蔵菩薩の地内に対して虚空蔵菩薩は虚空・空、即ち宇宙を表現したとされる菩薩である。
そのほか地蔵菩薩の詳細な功徳に関する経典に「大乗大集地蔵十輪経」(玄奘訳)があり、「大方広十輪経」と言う異訳もある。
地蔵菩薩のご利益として六道
(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)に現れ救済に務めると言い特に人間世界の苦悩・罪過を取り除き早世した幼児を導くと言う。
別名として妙幢菩薩とも呼ばれ当麻寺にはこの尊像があり、異形として鎧を着た勝軍地蔵・裸形地蔵も少数存在している、中国や朝鮮半島では帽子を被った被帽地蔵等も像造された、また胎蔵界曼荼羅では地蔵院の中尊であり、大日経に曼荼羅に必須とされる諸尊の詳細が記述されている、また四方親近菩薩の一尊、金剛幢菩薩として存在する。 
「延命地蔵経」「地蔵菩薩本願経」等に依れば釈迦如来の没後、末世期間すなわち五十六億七千万年後(注3)に弥勒菩薩が弥勒仏となり現世に出現するまでの代行救済者である、これを「二仏中間(にぶつちゅうげん)の仏」とも呼ばれる、因みに地蔵菩薩の所在(浄土)は須弥山の麓にある伽羅陀山(からだせん)とされている。
日本に於いて信仰は見られなかったが最澄が「守護国界章」に於いて末法時代の到来を告げた事により危機感が増幅し平安時代以後に信仰が爆発的に広がりを見せ、以後最も多く像造された仏像で各地の寺院の本尊や路傍にある仏として衆生に最も親しまれた菩薩となった。
大乗仏教に於ける地蔵菩薩の代表的経典と言える地蔵菩薩本願経Kitigarbha-bodhisattva-pūrva-praidhāna Sūtra, クシティガルバ・ボーディサットヴァ・プールヴァ・プラニダーナ・スートラに依れば二十八種利益と七種利益が説かれている、七種利益には悪業消滅、諸佛護臨、菩提不退などがある、地蔵信仰に対する依経の一経であるが、ご利益などは他経と大差はない。

日本には奈良時代に地蔵経典の伝来はあったが信仰として広がりを見せなかった、地蔵信仰は園城寺実叡(じっけい)が著した「地蔵菩薩霊験記」により、地獄の苦を代行してくれる「地蔵菩薩の代受苦信仰」要するに、地蔵菩薩は己の浄土には住まず娑婆(自土)に留まり救済してくれと考えられた、経済的に仏像や寺院が作れず観想による阿弥陀信仰が出来ない多くの庶民に敷延する、また末法思想と平安時代から広がりを見せた浄土教の発達に伴い菩薩形から僧侶の姿に変え地獄に於ける衆生の苦しみを救い、また鎌倉時代以後には物語としての「地蔵和讃」が衆生に広がる、即ち賽の河原に於いてさ迷える子供を守る守護役として各地に石像が出来る、また現世利益はもとより死者を輪廻から救済すると信じられ存在感を示し始めた、しかし中国に於いては釈尊の没後に弥勒の登場までに時間軸の長さを愁て観音菩薩に次いで信仰された菩薩である。
近年は因果応報から善行を行えない水子は成仏・往生が不可能と言う事から子供の守護仏として地蔵信仰が水子供養と称して企業化されている、これは地蔵十王経を初め地蔵和賛などの教えから著しく逸脱している。     
日本民衆に多くの親しみ与えた地蔵信仰は室町時代に六道輪廻の各所に現れる六地蔵信仰
(注1から爆発的に広がりを見せ日本古来よりの道祖神と習合して発達し死んだ子供を慈しむ地蔵信仰が栄えた、また多くの墓所に六地蔵尊が安置される事を見かけるが先祖が六道の何れかに輪廻転生しているとされる信仰から行われている、地蔵菩薩は八大明王の無能勝(むのうしょう)明王(aparajita・アバラジタ)に変化して釈尊が菩提樹の下で瞑想中に近寄る悪魔を退散させたとされる、また八大明王がありその一尊に地蔵菩薩の化身として尊挌がある、無能勝明王とは
大妙(だいみょう)金剛大甘露軍拏利焰鬘熾(こんごうだいかんろぐんだりえんまんしせいぶっちょうきょう)盛仏(じょうぶつ)(ちょう)(きょう)」略して「大妙金剛経」に姿形が示されている、また胎蔵界曼荼羅では釈迦院にあり妃の無能勝妃と共にある。

六地蔵と対照的に独尊で錫杖(しゃくじょう)と珠を持つ延命地蔵菩薩は死者の他土(浄土)への導きや子供の救済の為の像である、六地蔵で著名なのは関西地方で行われる盂蘭盆会(うらぼんえ)すなわち地蔵盆と呼ばれる催事で822日〜23日に六地蔵を巡拝して回る。  
地蔵菩薩の霊場は各地に存在し奈良県を例にとれば石仏(がん)十輪院・八重桜の知足院(奈良市雑司町406-1 ・地蔵大仏と言われる巨像の福智院(奈良市福智院町64などの霊場が著名である、叉江戸時代には鎌倉時代に始まった「獄苦代受(ごっくだいじゅ)」すなわち身代わり地蔵信仰(地蔵代受苦信仰)が各地に発展して泥付地蔵(田植え)・矢取地蔵・縄目地蔵・半跏像の延命地蔵・子育地蔵・腹帯地蔵・とげぬき地蔵・水子地蔵・被帽地蔵・田植え地蔵・裸地蔵・縛り地蔵・汗かき地蔵(金剛峯寺奥の院参道)など限られた小さな部落を厨子毎回覧する廻り地蔵(三重県松阪市横谷)、などが作り出された、身代わり地蔵の他に水かけ地蔵があるが、釈尊に甘茶をかける灌仏会と同じく香湯をかける「浴像経」を根拠としている様である、因みに浴像経・天平五年大石毛人筆は京都国立博物館に存在し重文指定を受けている、地蔵菩薩は子供達にも人気があり京都の地蔵盆は子供達が主役である、地蔵盆の縁日は概ね毎月24日とされているが盆月(7月)には地蔵祭、地蔵会等と呼ばれている。 
武士に信仰された地蔵尊に将軍地蔵や矢引地蔵・縄目地蔵などがあり、将軍地蔵などは剣や幡を持ち戦場に向かう姿も見られる。
姿形としては立像も坐像も新しい宗派を形成せんとするほど広く信仰された中国で始まったとされる比丘形(びくぎょう)(僧形・声聞形)が殆どで右手に錫杖(しゃくじょう)(梵語 khakkhara カッカラ)か与願印をとり左手に宝珠(ほうじゅ)を持つ例が多い、
地蔵菩薩が携帯する具に宝珠と共にがある、長さが1.7m程の金属製で頭部に音を発する遊環(ゆかん)が六~十二個取り付け僧が山野を遊行する折に武器、合図とか禽獣(きんじゅう)等から身を守り、托鉢に於いて遊環を鳴らして来訪を告げる、また煩悩除去の役割もあるとされる、これは地蔵菩薩に限らず大乗の修行者や修験者にも利用された。
前述の様に地蔵菩薩はインドに於いては密教仏でもあり菩薩形で密教に於いても八大菩薩に加えられている、密教の八大菩薩とは観音菩薩 ・文殊菩薩 ・弥勒菩薩 ・金剛手菩薩 ・普賢菩薩 ・地蔵菩薩 ・虚空蔵菩薩 ・除蓋障菩薩を言う。
地蔵信仰は中国に於いても篤く、仏教四大聖地の一山として九華山があり地蔵菩薩が本尊である、因みに中国仏教の四大名山とは山西省の五台山
文殊菩薩 四川省の峨眉山普賢菩薩 浙江省の普陀山観音菩薩 安徽省の九華山(地蔵菩薩)が言われている。
また僧形が概ね全ての日本では馴染みが薄いがインドや中国で馴染まれた菩薩形として胎蔵界曼荼羅の地蔵院に不空見菩薩や宝光菩薩等と共に主尊に地位にある、因みにインドやチベット等では菩薩形で占められ僧形の地蔵菩薩は中国、朝鮮、日本以外では存在しない。 
胎蔵界曼荼羅
に於いては菩薩形で地蔵院の中尊であり、金剛界曼荼羅では金剛幢菩薩
(地蔵菩薩)の呼称で宝生如来に従っている。
特異な例として千手観音の脇侍として毘沙門天
(勝敵毘沙門)と共に勝軍地蔵が清水寺に安置されている、これは武装しており田村麻呂が奥州に赴いた折に救済を受けた伝承がある。
篤い地蔵信仰を示す地蔵菩薩の霊場は日本全国に分布している、* 関東百八霊場 * 東海近畿地蔵霊場(三十五番札所に、那智山青岸渡寺・道成寺の特番2寺) * ぼけよけ二十四地蔵霊場 * 大和十福地蔵霊場 * 中国地蔵霊場三十番 * 九州二十四霊場等々がある、
京都でも地蔵菩薩信仰は篤い、鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺略して真如堂(しんにょどう)・千体地蔵堂のある真如町では地蔵祭りが毎年行われている。
地蔵菩薩と閻魔大王との関連は深く同尊説もある
、大和郡山市矢田山金剛山寺(こんごうせんじ)の延命地蔵は地獄に於いて民衆の苦を代行すなわち「抜苦与楽」するとされ、そのモデルは地獄で閻魔大王に菩薩戒を授けた満米(まんまい)上人とされる、また地蔵菩薩は藤原一門の本拠地である春日三宮天小屋根命(あめのこやねのみこと)の本地垂迹仏として信仰されていた、現在は奈良国立博物館に春日地蔵曼荼羅として保管されている、また地蔵菩薩の末法観に関して、「堕阿鼻地獄」「五濁悪世衆主」がある。
地獄の話になったが、大乗仏教では要諦と言える空すなわち実在論を否定する、要するに地獄は存在しない、地獄とは衆生を導く為の仮設である要するに仮の話である。
稀有な菩薩像として新潟県魚沼市佐梨433の円福寺に石造で、隠れキリシタンの地蔵菩薩があり錫杖に十字架が刻まれている。
地蔵菩薩の場合は・法華経を拠経とする天台宗、日蓮宗の「法華信仰」・浄土三部経を拠経とする浄土宗真宗などの「浄土信仰」、観音経の「観音信仰」と共に「地蔵信仰」と言われる、地蔵信仰は平安時代に興隆し、鎌倉時代に専修念仏でやや下火になるが、室町時代には根強く復旧する、地蔵菩薩は地獄に居住する菩薩として説かれた様である、地獄から救済された物語もあり閻魔大王と同尊視するところもある、即ち地蔵の来世信仰は阿弥陀信仰とシナジー効果synergyを発揮しての興隆と言えよう。   抜苦与楽:獄苦代受


真言 オン カカカ ビサンマエイ ソワカ 

1, 六地蔵 墓地の周辺などで六尊がセットで安置されているが、それぞれ担当がある。
来世に輪廻する六道に於いて衆生を救う菩薩であり不特定な呼称をされているが同尊である、六尊セットの場合と個別の場所とがある。 
地蔵菩薩本願経には六道に迷う衆生を覚りに導く誓願がある。

 六 道   尊 名  持 物  
 天 道  大堅固地蔵     (だいけんご)   宝珠・経典 預天賀地蔵  日光地蔵 
 人 道  大清浄地蔵   (だいせいじょう) 宝珠・施無畏  放光王地蔵  除蓋障地蔵
 修羅道 清浄無垢地蔵  (せいじょうむく)  宝珠・梵筺  金剛幢地蔵  持地地蔵 
 畜生道  大光明地蔵   (だいこうみょう)  宝珠・如意 金剛悲地蔵  宝印地蔵
 餓鬼道  大徳清浄地蔵(だいとくせいじょう)  宝珠・与願印  金剛宝地蔵  宝珠地蔵 
 地獄道  大定智悲地蔵   (だいじょうち) 錫杖・宝珠  金剛願地蔵  檀陀地蔵 

*持物(左・右)


2, 地蔵菩薩本願経によると本来二仏があり(1)己が覚りを開いてから衆生を救う一切智成就如来と(2)衆生を救ってから己が覚る地蔵菩薩とがあると言う、その他地蔵菩薩関連の経典に・大乗大集地蔵十輪経 ・占察善悪業報経 ・地蔵菩薩陀羅尼経 ・延命地蔵菩薩経 ・地蔵十王経などがある。  

3、地蔵菩薩は弥勒菩薩が如来となり五十六億七千万年の後に現れるまでの代行とされる、代行期間の計算根拠としては、弥勒菩薩の住む兜率天の一日は下界の四百年に相当する・兜率天の住人の寿命は4千年であり一年を三百六十日と計算されている、したがって360日X400倍X4000年=56億7千万年と計算される。

4、胎蔵界曼荼羅に於ける地蔵院の九尊配置の内訳は上から  除一切憂冥菩薩((じょ)憂冥(うみょう)菩薩) 不空見菩薩   宝印手菩薩   宝光菩薩   地蔵菩薩  宝手菩薩  持地菩薩(堅意菩薩)  堅固深心菩薩  日光菩薩(除蓋障菩薩)

5 
(こう) 劫波の略語で梵語kalpaの意訳で佛教の言う非常に長い期間を言う、盤石(ばんじゃく)劫の一劫とは四十立方里の岩に天人が百年に一度舞い降りて衣の袖で岩面を一度なでる、その岩が磨耗するまでを一劫と言う。
また「大智度論」に依れば芥子劫も有り芥子の実を百年に一度160㌔平方㍍の城都に一粒ずつ落とし満杯になって一劫とする数え方もある、またヒンズー教に於いては一劫は432千万年とする記述もある、「三千仏名経」には今現在の劫を賢劫(けんごう)と言い過去の劫を荘厳劫(そうごんこう)・未来劫を星宿(せいしゅく)劫と呼びこれを三世三千佛と言う、曼荼羅に登場する賢劫の千佛はここから由来している。阿弥陀如来は法蔵菩薩時代に五劫の間修行して如来と成った、ちなみに阿弥陀五劫思惟像は東大寺(木造・漆箔・106,0cm 室町時代)に合掌姿で存在している。
劫の分類は複雑で宇宙形成から繰り返す壊滅、空劫、成劫、住劫までの劫を一大劫、器世間と言う時間を単位とする物を歳敷劫という。
阿弥陀如来が
四十八誓願をかなえて覚りを開いてから十劫が経過していると言う、人間が成仏出来るまでの時間軸に三阿僧祇asakhyaの間に積功累徳(しゃっくるいとく)を必要とされる、三阿僧祇劫,無数101403×1056乗×1劫となる、但し乗数は52-56等の説がある。     
因みに劫の対極にある時間を表す極少時間は仏教用語で刹那(k
aa1/75秒)と言う、因みに劫の対極にある時間を表す極少時間は仏教用語で刹那(1/75秒)と言う、また「一弾指(いちだんし)」すなわち指を一度弾くと65刹那とも言われる。
無限大と言える過去に「錠光如来」が出現し、その後も如来が現れ53番目に「世自在王如来」が現れる、「宝蔵菩薩」は世自在王如来の弟子で師から210億の佛の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった、インド仏教世界には「一大劫」と呼ばれる思想があり成住壊空すなわち成(世界の創造)、住(維持)、壊(破壊)空(無)を反復すると言う、因みにヒンズー教に於いては一劫を43億2千万年とされている。

四劫(一大劫)とは世界が成立から消滅までの間を四分割したもの、し1、成劫 世界が成立生物などが出現するまで、 2、住劫 世界が存続し人間が住んでいる、 3、壊劫(えこう) 世界が崩壊する、 4、空劫(くうこう) 崩壊して空無の状態、四劫の総ての合計を一大劫と言う、四劫は其々二十劫の期間がある、四劫で八十劫になり、これを一大劫と言い永遠に繰り返すと言う。


6、経典には真経・疑経・偽経があり、疑経には「観無量寿経」や「弥勒上生経」・「盂蘭盆経」に護国三部経の1典「仁王般若経」などの著名経典がこの範疇に入り、「仏説父母恩重経」「地蔵十王経」などが偽経に入る、さらに「般若心経」にも疑経説がある。
地蔵菩薩に関する偽経には・地蔵菩薩発心因縁十王経 ・延命地蔵菩薩経、等がある。

7、三界とは *欲界(carnal world 婬、食)、*色界(ethereal world 物欲、最上位に*無色界(spiritual world 禅定世界)がある。
流転する世界には・色究竟(しきくきょう)色とは肉体、物体及び物質を言い、・欲界は地獄界、餓鬼界、畜生界、人界、六欲天までの五界を言う、色究竟は色界の最高位にあり欲望を降伏して清浄な世界を言うが情欲と色欲は残る、因みに無色界は更に上の覚り無の世界を表す、三界超えた上に佛界があり密教の仏達が住んでいる
、欲界に・天界・人界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界がある、因みに無色界すなわち悟りが出来た世界で、四界あり最上階を
有頂天(ヴァーグラ bhavāgraと言う

通常使用される世間(せけん)と言うタームはラウキカ (laukika)と言い、宇宙を意味する仏教用語である、一般に迷いの世界を意味し対極に出世間がある、出世間とは通常仏門に入る事を言われる。

世間は生命の世界即ち *有情世間と物理的な *器世間があり、有情世間には「欲界」「色界」「無色界」の三界がある、輪廻転生はこの三界で起る。


注8、 ヴェーダ聖典とは三大ヴェーダに「リグ・ヴェーダRigveda」「サーマ・ヴェーダ・Sāmaveda」「ヤジュル・ヴェーダ・yajurveda」を言い、四大の場合は大地の特性を讃える「アタルヴァ・ヴェーダ・Atharva-Veda」が加えられる事が多い、因みにヴェーダ(veda)とは知識を意味する。 


注9、 八大菩薩曼荼羅経に依れば、・観世音佛教・弥勒菩薩・虚空蔵菩薩・普賢菩薩・文殊菩薩・除蓋障菩薩・地蔵菩薩の記述がある。

10 、 五濁(ごじょく)の悪世 五濁の悪世とは  1、劫濁(社会の悪 汚濁 疫病 争い)  2、見濁(利己主義 邪見)  3、煩悩濁(猜疑心 心の悪徳)  4、衆生濁(脱道徳 意識の低下)  5、命濁(上記の濁り短命) を言う。

中国の「預修十王生七経」に於いては、人は死後に十人の王の関所で尋問される、日本では「地蔵十王経」で閻魔大王は地蔵菩薩の変身と信じられている、因みに三有すなわち三界(注7の内を言う、地蔵菩薩は持地菩薩Dharanii-dharah ダラニ・ーダラ) とも言われ観音経には「爾時 持地菩薩 即從座起 前白仏言 世尊 若有衆生」の記述が観られる、また「地蔵菩薩霊験記」等も読まれている。
三有
(さんう)
とはtrāidatuka、天、空、地を言う意味をいう、また仏教用語で言う世間は宇宙・世界を意味し、生命の世界である有情世間の中で欲界・色界・無界とか、現在生存の本有・未来の当有・中間の生存中有と多様に用いられる

その他の経典に「地蔵菩薩本願経」実叉難陀(じっしゃなんだ)訳)に物語があり、過去の劫、荘厳劫。
中国 * 安徽省(あんきしょう) 九華山は地蔵菩薩の聖地、即ち霊場である、因みに* 山西省五台山は文殊菩薩、 * 浙江省(せっこうしょう)普陀山は観音菩薩、 * 四川省峨眉山(がびさん)は普賢菩薩の聖地である

 

永澤寺    *三界萬霊等とは通常は略して萬霊等(ばんれいとう)とも言う、三界とは欲界・色界・無色界を指す、欲界は、食欲、性欲、等を言い、色界は主に性欲を言う、無色界は欲のない心の世界を言う。
(写真)    *萬霊とは欲、色、無色界の有情無情の精霊を含めた世界を指す。  
         三界の精霊を供養を三界萬霊等と言う、三界超えた上に佛界があり密教の仏達が住んでいる。 
 

                      
      永澤寺    渡邊勢山作(勢山社
 3.8m              正法寺 (岐阜大仏岐阜市大仏町)   

主な地蔵菩薩像 

法隆寺 立像 木造彩色 平安時代   
中尊寺 立像 6尊×3壇  木造彩色 平安時代 

法隆寺(地蔵堂) 半跏像 木造彩色 玉眼 50,0cm 藤原時代 
法隆寺(聖霊院) 立像 木造 76,7cm 藤原時代 
東大寺(念仏堂)坐像 木造彩色 221,2cm 鎌倉時代   康清作           
東大寺(公慶堂)立像 木造彩色 89,8cm 鎌倉時代    快慶の代表作  
東大寺(法華堂)坐像 木造彩色 玉眼 84,3cm 鎌倉時代  栄快 
東大寺(知足院)立像 木造彩色 玉眼 97,2cm 鎌倉時代 
東大寺(真言院)立像 木造彩色 玉眼 96,0cmcm 鎌倉時代 
興福寺(国宝舘)立像 木造彩色 140,9cm 平安時代   
●福智院 木造彩色   272.7㎝ 鎌倉時代   二重円光背、裳懸坐(菩薩には珍しい)    奈良市福智院町64  地蔵大仏 
●帯解寺 半跏像 木造彩色   182.0㎝  鎌倉時代   奈良市今市町734   
●伝香寺 木造彩色 玉眼  97.5㎝ 鎌倉時代   奈良市小川町24 

白米寺収蔵庫(高堂八幡神社)立像 (くす)一木造 1642.4㎝ 平安時代  奈良県磯城郡川西町下永 川西町教育委員会事務所 0745-44-2214 予約必要
十輪院  石仏龕 石造 彩色 242.5cm  鎌倉時代 (信仰の中心尊・地蔵菩薩を囲んで釈迦如来・弥勒菩薩・四天王・仁王・宝塔などを浮かし彫り)   ●高野山常喜院 木造 彩色 玉眼 切金文様 37.1cm 1295年(鎌倉時代) 高野町  
●地蔵峰寺 石造 153.0cm 1323年(鎌倉時代) 海草郡下津町橋本  
●地蔵院 木造 彩色 玉眼 切金文様 49.7cm 鎌倉時代 高野町 
秋篠寺 立像 木造素地 92,9cm 藤原時代    
秋篠寺 立像 木造 96,7cm  藤原時代                
白毫寺 立像 木造彩色 玉眼 158,7cm 鎌倉時代 
唐招提寺 立像 木造 158,2cm 藤原時代 
橘寺 立像 木造彩色 152,4cm 藤原時代                     
薬師寺 立像 木造彩色 玉眼 97,2cm 鎌倉時代  
当麻寺 立像 木造彩色 木造彩色 147,2 cm 藤原時代(妙幢菩薩・Ruciraketu・ルチラケーツ)地蔵菩薩の別称 講堂  
●安産寺 立像 木造 一木造 切金文様 177.5㎝  平安時代  宇陀市室生町三本松中村   室生寺金堂創建時の脇侍とも言われている。    
 ●大野寺 木造彩色 玉眼 鎌倉時代   
●寂光院 木造 彩色 256.4cm 鎌倉時代

室生寺(金堂)立像 木造彩色 160,6cm 平安時代
●伝香寺(奈良市小川町)木造彩色玉眼97,5cm 鎌倉時代 裸形着装の代表作 

観世音寺 半跏像 木造 123,6cm 平安時代 
観世音寺 立像 木造 136,3cm 平安時代 
櫟野寺 3尊 木造  110,8cm  藤原時代他  (滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377)  
●長命寺  木造彩色 玉眼  96.4cm   藤原時代   切金文様    滋賀県近江長岡市長命寺町157   永快(快慶の弟子)作     

●永昌寺(甲賀郡) 立像 木造彩色  
●泉福寺(甲賀郡) 立像 木造彩色 金泥                
●地蔵院(右京区花園)立像 木造彩色金泥 玉眼 80,6cm 鎌倉時代 
教王護国寺 木造彩色 162,4cm 平安時代 
法金剛院 立像 127.2cm 木造 彩色   平安時代               
●寂光院 立像 木造彩色 256,4cm 鎌倉時代  
東福寺 坐像 木造彩色 玉眼 85,2cm 鎌倉時代
●壬生寺  立像 木造漆箔 切金文様  165.8cm  藤原時代  定朝作の本尊は1962年に焼失するも唐招提寺より進呈された。 京都市中京区坊城仏光寺北入

●融念寺 立像 木造 彩色  193.0cm  平安時代 
●橋寺方生院  立像 木造彩色 金箔  玉眼  鎌倉時代   宇治市宇治東内              

興福寺 立像 木造彩色 藤原時代 
十輪院 石造(石仏ろう)彩色 鎌倉時代          
●帯解寺 半跏像 木造彩色 138,7cm 藤原時代  奈良県奈良市今市町734
●東明寺 坐像 木造彩色 131.3cm 藤原時代    奈良県大和郡山市矢田町2230    

長谷寺 立像 木造彩色 鎌倉時代                   
広隆寺(講堂)坐像 木造 182,4cm 平安時代 
広隆寺(霊宝館)立像 木造 90,9cm 平安時代  埋木地蔵 

法金剛院(花園扇野町) 立像 木造彩色 127,2cm 藤原時代    
清凉寺  立像 木造彩色 68,2cm 鎌倉時代 
六波羅蜜寺 坐像 木造彩色 玉眼 89,7cm 鎌倉時代   運慶作 夢見地蔵とも言い、慈愛と知性が表現されている。
六波羅蜜寺 立像 木造彩色 玉眼 151,8cm 平安時代  定朝作の可能性  鬘掛地蔵  元地蔵堂本尊
東寺 立像 木造彩色 平安時代   
醍醐寺 立像 木造彩色 玉眼 163,6cm 鎌倉時代
醍醐寺  絹本著色 119,cm×54,8cm  鎌倉時代  

浄瑠璃寺(三尊)木造彩色 97,0cm 157,6cm 藤原時代  
勝常寺(会津若松) 立像 木造漆箔 184,2cm 174,2cm  平安時代 
●正願寺  立像 木造漆箔 51.6cm 平安時代      大津市大石竜門町721
●妙行院  立像 木造切金文様 玉眼 96.0cm 鎌倉時代    大津市坂本本町1785

●富貴寺  立像 木造漆箔 96,3cm 平安時代       奈良県磯城郡川西町字保田33 
●鶴林寺 立像 木造 彩色 63,cm 矢負地蔵  藤原時代   徳島県勝浦町生名鷲ヶ尾14 
醍醐寺  絹本著色     119×:54,8cm 鎌倉時代
●宝戒寺 坐像 木造彩色 玉眼 90.3cm  南北朝時代   鎌倉市小町3-5-22
●満願寺 坐像 木造 玉眼 203,7cm  鎌倉時代 運慶作    横須賀市岩戸
●覚園寺 坐像 木造彩色 玉眼 170.4cm 鎌倉時代      鎌倉市二階堂421
伝宗(でんそう)庵坐像 木造彩色 玉眼 90.3cm  南北朝時代  鎌倉市山ノ内458
●浄智寺 坐像 木造彩色 玉眼 66.1cm  鎌倉時代     鎌倉市山ノ内1402
●宝金剛寺  坐像 木造彩色 玉眼  三尊 不動 76.6cm  童子 30.0cm   鎌倉時代  小田原市国府津20382
●日吉神社   坐像 彩色 34.7㎝ 藤原時代   岐阜県神戸町
●金剛證寺 木造 立像 鎌倉時代生身信仰の尊像で裙のみで布製の衣を着せる   三重県伊勢市朝熊町岳548
●大日堂  坐像 木造彩色 玉眼 85.4cm  室町時代   松阪市射和町(いざわちょう)315  
朝田寺(ちょうでんじ)  坐像 木造彩色 178.7cm  平安時代   松阪市大字朝田町427  
●長光寺  鉄像 漆箔  160.5cm 鎌倉時代(1235年) 愛知県に見られる鉄造の菩薩、 愛知県稲沢市六角道町  
●願成就院 坐像 木造 151.5cm 慶派仏師の作   静岡県伊豆の国市寺家83-1 
●勝久寺 立像 木造彩色 95.0cm   藤原時代   天台真盛宗   津市一身田町  
●大長寺 半跏像 木造彩色 95.0cm  平安時代      津市川辺町2460

●明星輪寺 半跏像 木造  84.8cm  平安時代      大垣市赤坂町4610
●藤田美術館 木造彩色 切金文様 玉眼 立像 快慶作 鎌倉時代  玉眼は弟子の行快が担当  快慶、行快の署名 
●藤田美術館 立像 木造絹本著色 58.2cm 鎌倉時代 快慶晩年の作で快慶と行快の署名がある
●浄山寺   立像  木造榧一木造 彫眼 彩色  92.5cm 厨子入り  平安時代   埼玉県越谷市野島32 。 
達身寺 坐像 木造漆箔 137.1㎝ 藤原時代 木彫仏の原郷 兵庫県丹波市清住259
吸江寺(ぎゅうこうじ) 木造彩色 玉眼 86.0㎝   室町時代    高知県高知市吸江132番地  
地蔵院 半跏像  木造 244.5㎝  鎌倉時代    (鳥取県倉吉市関金町関金宿)  通称”関の地蔵さん”)    
清水寺(せいすいじ)  立像 木造(桂一木造)漆箔 157.0cm 藤原時代 長野県長野市大字松代町西条
寿福寺
 木造彩色 玉眼 168.0cm 鎌倉時代 (鎌倉市扇ケ谷1-17-7) 
萬願寺  木造 古色 玉眼 203.7cm 鎌倉時代 (横須賀市岩戸190) 
宝戒寺   木造 彩色 玉眼 90.3cm   南北朝時代 (神奈川県鎌倉市小町3-5-22) 
明星輪寺   木造 古色 84.8cm   藤原時代 (大垣市赤坂町4610)


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最終加筆日 20041112   2005622日   1217日曼荼羅関連異形 、2007年2月19日密教の八大菩薩 5月27日異形地蔵 2008419日 63日一部 2010年11月10日本地仏 2014年5月10日地蔵信仰 7月10日四経典 2015年3月3日 2016年3月31日 6月16日 8月6日 2017年1月28日 3月25日 4月26日 12月31日 2018年3月30日 4月26日 2018年10月10日 12月23日 2019年6月13日 2020年4月14日 8月18日 2021年4月10日 4月18日 6月29日 7月3日 11月18日 2022年4月5日 5月5日 6月7日加筆            




               

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