浄 土

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浄土哲学は二世紀頃インドに於いて大無量寿経阿弥陀経の編纂と時を略同じくして興り、二世紀後半には中国で興隆する、優れた人材も多く輩出し * 曇鸞(どんらん)   * 道綽(どうしゃく)、* 善導(ぜんどう)等が活躍し日本でも恩恵を受ける、前述の浄土三部経の嚆矢的経典でアミダ、極楽浄土に就いて最初期(紀元前後)に存在した般舟三昧(はんじゅざんまい)経がある、精神統一によって仏の姿を現前に見ることが出来ると説く(梵語経典は発見出来ず、チベット語と漢訳数点が残る、(pratyutpannabuddha-saṃmukhāvasthita-samādhi-sūtra
浄土とは覚者を目指して精進する菩薩の住む清浄な国土を言う様である、浄土は仏、菩薩の数だけ存在すると言われる。 
佛教と言う潮流の内に於いて日本を含む東アジアで興隆したのが阿弥陀信仰の浄土教系、すなわち浄土を奉する宗派は多い、*浄土宗系 *真宗教団連合(本願寺派 真宗大谷派 仏光寺派 高田派等) *時宗(じしゅう)等である、特に日本佛教では阿弥陀如来を奉する浄土教系宗派が多数派を占めている。 
梵語
sanskritには浄土に該当するタームは存在しない、イメージ的には死後の世界である、但し浄土系諸宗が依経(えきょう)とする浄土三部経の内「大無量寿経」巻上の一ヶ所に「-----諸仏如来の浄土の行を敷衍したまへ」(浄土三部経と----・大角修・春秋社)があり、他には語彙(ごい)の近い「厳浄(ごんじょう)の土」の記述がある、この世は穢土(えど)すなわち汚れた処と思惟されていた、因みに前後を記述すると、稽首無上尊(きしゅりんぶじょうそん) 「密厳浄土」 微妙難思議(みみょうなんしぎ) 因発無上心となる、強いて言えばsukhāvatī (スカヴァーティ),となる、sukhā=楽しい、vatī=処となるようだ、但し阿弥陀経に読まれている金、銀、硨磲(しゃこ)瑪瑙(めのう)等で宝飾された極楽とはイメージが異なる、浄土は如来・菩薩の数だけ存在すると「随願(ずいがん)往生十方浄土経」等に説かれている、代表的とされる十方(じっぽう)浄土を挙げると*西方極楽浄土の阿弥陀如来、 *東方妙喜浄土の阿閦如来、 *西方無勝(むしょう)の釈迦如来、 *東方浄瑠璃(じょうるり)の薬師如来、 *南方補陀落(ふだらく)浄土の観音菩薩、等である、因みに十方とは東西南北、東南、西南、東北、西北に上下の十方面を言う、因みにsukhāvatī を極楽と漢訳したのは鳩摩羅什が阿弥陀経の訳に用いたのが嚆矢である。
余談になるかも知れないが、「仏像の心とかたち」
のカラマゾフの兄弟の所を読んでみよう、イヴァンは神は無いと言う、アリヨーショカは神は在ると言う、会話の後イヴァン曰く、もし神を考え出さなかったら文明は無かった(NHKブックス 梅原猛他)
浄土哲学は原始仏教には観られず大乗仏教以後の発生である、法然の提唱した浄土三部経に於いても阿弥陀経や三部経から外れるが「平等覚経」では浄土の存在を信じた設定である、後の大無量寿経では空の哲学が入り実在の設定は無い、但し浄土信仰は三部経の発祥以前から存在していた様である。
興隆は浄土信仰の興りを起点とする現実の世界、すなわち娑婆(しゃば)サハー・大地 
sahāは煩悩で汚された世界(六道を輪廻転生する世界)でありこれを穢土(えど)と言う、その対極にあるのが浄土(輪廻転生から解脱した世界)であり、清浄で清らかな世界・仏の住まう世界とされる、因みに解脱の反語として「煩悩と妄想の世界」を繋縛(けばく)の世界と言う、また解脱と涅槃(注8は同意と言う説があり、苦から脱出し永遠の安楽を得ると言う、因みに娑婆とは梵語(saṃskṛta)サハーsahāの音訳であり、意訳では忍土(にんど)とか忍界と訳される。 解脱clip_image001 繋縛 (注1最後尾) 解脱とは(モークシャー moksa 果てしない輪廻からの解放)
浄土信仰は鈴木大拙氏に依れば中国と日本では違いがあると言う、日本浄土教は独自の文化及び宗教意識が育まれた日本の霊性があるという。
天国(キリスト教世界)、神の国(神道世界)、緑園(イスラム世界)、極楽(阿弥陀世界)(安楽な世界)clip_image001地獄、黄泉(よみ)の国(暗く苦難な世界)等々呼称や教義に相違はあるが、神話と共に世界中如何なる宗教には共通項として存在する、但し地獄と極楽は中国の天台でセット化された様であるが、本来は系統を異にした思想であり、セットで発生した思想ではない。
天国と地獄の存在論、即ちオントロジーontology)であるが、アメリカを中心とするプロテスタント世界の存在認識は高い、但し日本ではヒエラルキーすなわち組織の階層構造無い為か、極楽も地獄の存在を信ずる層は一義婁しく低い。

一切皆苦(いっさいかいく)娑婆(しゃば)は仏国土である、釈尊が入滅した為に穢土になったが五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が降臨すると再び浄土となる、但し弥勒菩薩が釈尊の正統な後継者、すなわち仏嗣として下生(げしょう)するまでの期間であるが、経典が漢訳された時代の「億」は事実上「千万」であり、正確には五億六千七百万年らしい。
古来インドに於いては「十方(じっぽう)諸仏浄土」に思想は存在したが阿弥陀浄土すなわち極楽浄土と弥勒浄土が言われたのみで、むしろ弥勒浄土の方が広まりを見せていたとされる、中国仏教のフィルターを経た日本では浄土と言えば極楽浄土が連想される、所謂漢訳では語彙が豊富で安楽国・安養浄土・楽邦・清浄な土などと多様に訳されている、語彙の例として阿弥陀如来の浄土を模写する阿弥陀経の漢訳名に於いても鳩摩羅什訳が「阿弥陀経」であり玄奘訳が称賛浄土佛攝受経( しょうさんじょうどぶつしょうじゅきょう)」となる、因みに極楽sukhāvatī, スカーヴァティーには女性はいない、女性はスカーヴァティー、即ち極楽世界に生まれた途端に男性になる、女性のいない浄土なら私は行きたくない。
即ち弥陀如来に帰依することにより五濁(ごじょく)の悪世(注2から遁れられると言う信仰が定着した、即ち阿弥陀如来を念ずれば浄土に於いて救われると教えられる。
中国は佛教将来以前からの哲学、思想、宗教が発達しておりインドとは異なる発展を遂げた、即ち中国天台である、浄土教であり禅宗である。     
浄土信仰はインドでは論理的には世親
vasubandhuヴァスバンドゥにより確立された様である、これが中国に亘り三流廬山(ろざん)雁門(がんもん)慈愍(じみん)が興る、日本に伝えられた教義は雁門の系列で、後述するが曇鸞、道綽(どうしゃく)、善導の系列である。
  
浄土すなわち「淨佛国土」の哲学は「阿閦佛国経」を嚆矢として「大無量寿経」「大品般若経」「華厳経、十地品、入法界品」「法華経」等に記述されっている、下述するが浄土の熟語は大無量寿経の記述のみである、閑話休題、浄土と極楽とは印象が異なる様である、すなわち浄土は静寂かつ耽美な世界を連想するが、阿弥陀経による極楽は金銀財宝に輝く
ラグジュアリーluxuryな世界が著されている
大乗仏教と共に創りだされ阿閦如来に始まり阿弥陀如来・薬師如来等の「他土仏信仰」(注3と共に多くの浄土が創造された、浄土の総数は仏の数だけ存在すると言われる、一説には如来菩薩の数は十万億とも二百十億の浄土があるとされる、浄土とはインドに於いてはこん跡は見られないが、中国に於いて生まれた熟語の可能性が高く、梵語には適切な語彙は無い、sukhāvatī(極楽浄土・スカーバテイー)  buddha-ksetra(ブッダ‐クシェートラ)sukhāvatī(楽土の在る所)すなわち仏国土が近いとれている、楽しい=sukhā 有する処=vatīである、立川武蔵氏は有楽町の有楽がスカーバテイの直訳に近いと言う。 
したがって仏国土・浄土と言う観念は本来インドには無い、また浄土教の言う熟語も中国製であり道綽(どうしゃく)の安楽集等も影響している、インドでも龍樹の「十住毘婆沙論」(鳩摩羅什訳に、形跡が見られ中国では善導、道綽(浄土五祖の2祖・親鸞七高僧の4祖)さらに日本では主に善導の影響を受けた源信法然親鸞・一遍等の信仰から新しい波、すなわち仏の本誓(ほんぜい)に縋り、従来の厳しい修行から覚者を目指す仏教を覆したと言える、浄土信仰は平安末期に末法思想(注5)の広がりと共に興隆した宗派群で・融通念仏宗(良忍)浄土宗(法然)浄土真宗(親鸞)時宗(一遍)を浄土系四宗とされる、因みに末法思想は中国で生まれたとされるが、日本では最澄作とされる「末法燈明記」が知られている。    sahā      
一説には善導が浄土三部経すなわち阿弥陀経 大無量寿経 観無量寿経を選択した事を嚆矢とも言われる、
般若心経・阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)」が記述されている、阿多羅三三菩提(梵語のanuttara-samyak-sambodhiアヌッタラー・サンミャク・サンボーデーとは「無上正等覚」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、 浄土三部経との命名は法然である、閑話休題、浄土の情景は浄土三部経に詳しいが浄土と言うタームは大無量寿経に於ける上巻に「----広くために諸仏如来の浄土の行を敷衍したまへ」の一ヶ所記述があるのみである。(浄土三部経と地獄・極楽の辞典、春秋社、大角修) 

天台を例に挙げれば唐の天台智顗に拠れば仏国土を以下の四種に分類される。

1
凡聖同居土(ぼんしょうどうごど)          凡人聖者同居世界        
2
方便有余土(ほうべんうよど)        上座部聖者の世界 
3
実報無障礙土(じっぽうむしょうげど)        菩薩行完成者の世界 
4
常寂光土(じょうじゃこうど)           法身仏の世界、   
上記 4、の常寂光土が最高位に位置しており、この名称を使用している寺が右京区嵯峨小倉山小倉町にある
(常寂光寺)
定かな浄土信仰は中国で発生した様で、念仏三昧の慧遠流・坐禅も取り入れる慈愍流・易行を言う善導流が興り、日本浄土宗系に於いては善導流が取り入れられた、日本の浄土信仰は飛鳥時代弥勒菩薩信仰と共に栄えたが奈良時代後半には阿弥陀信仰に主役の座を空け渡した。                 
比叡山 延暦寺
では円仁入唐の際に五台山に巡礼し五会念仏による念仏三昧法を持ち帰えった事により天台宗の中で浄土信仰が育つ基盤が出来上がった、その環境の中で出現した逸材たちが良忍・源信・法然・親鸞・日蓮達である。
下表は歴史上浄土信仰が現れた順番に表した、浄土と言えば本来は仏の数だけ存在するものだが、語られる浄土は阿弥陀如来の極楽浄土、と弥勒浄土に尽きると言っても過言ではない。
浄土の象徴としての阿弥陀如来の極楽浄土であるが、大無量寿経や極楽の情景を詳細に説く阿弥陀経に拠れば西方十万億土すなわち十万億の仏国土の彼方にあり、無量光の世界で周囲は金、銀、瑠璃(るり)瑪瑙(めのう)珊瑚(さんご)玻璃(はり)、等の宝石で飾られ七宝の池には蓮華が浮かび清浄な八功徳水(はっくどくすい)(注9に湛えられた底には金砂が敷かれており、空には迦陵頻伽(がりょうびんが)(注4飛び交うと言う、まさしく豊饒・裕福・美麗・平安な場所と言われる、閑話休題、七宝が湯水の如く周囲にあれば価値は見られないだろう。

正定聚(しょうじょうしゅ)と言うタームがある、必ず如来になる不退転の菩薩を言うが、真宗等では弥陀の本願を信じて疑わない状態、すなわち絶対他力の信心を言われる、定聚とは覚りを得る可能性を言い、三種類(三定聚)があり正定聚、邪定聚(じゃじょうじゅ)(地獄行きが決定的)不定聚(ふじょうじゅ)(自力念仏者)が言われる。 
但し八千頌(はっせんじゅ)般若経」や「大集経全17分の内第9宝幢分」では極楽に往生、すなわち生まれる時は大蓮華のつぼみの中に総ての男女ともに壮年の男子すなわち「変成男子(へんじょうなんし)」「転女成男(てんにょじょうなん)」に成ると言う、因みに心中など複数で極楽に往生する事を「一蓮托生」と言う。
浄土の多くには女性が居ない、男女差別が強いバラモンの思想からのサルベージとして、初期大乗仏教興隆の先端と言える「八千頌般若経」や「大集経全17分の内第宝幢分の女が男に生れかわる思想」等の影響をうけ「変成男子転女成男」即ち男性への性転換が考えられたと言えよう、但し弥勒菩薩の住む兜率天は唯一女性が存在するとされる、因みに玄奘や空海は弥勒浄土すなわち兜率天での転生を希望したと言う、これにはムスリムの哲学が思い出される、すなわち娑婆に於いては禁酒、不倫など厳しい戒律下にあるが、緑園(イスラームの聖地)に行けば永遠に処女を失わない女性を侍らせ美酒も飲み放題の世界と言う、厳しい禁欲を厳守した玄奘や空海がなぜ兜率天を望んだのか興味がもてる。
浄土すなわち「寂滅(じゃくめつ)()(らく)」、涅槃に入り真の安楽を得るよ言われるが、仏世界は寂滅無為(むい)の世界と指摘する人もある、一神教に於いて浄土に相当する処に天国が言われるが、マタイ伝(10節5-15節 神の国のしるしをたてる)に一箇所記述があるのみで天国と言う呼称はない、但し神の国の呼称は新約聖書に出ているが、神の国に対する説明は無い、因みにイスラームのコーラン(qur'ān)には緑園があり説明がある。
極楽浄土は輪廻する六道の範疇にあるのか知らないが、六道の天界とすれば蓮の上に座して妙なる調べを聞いている状態では、次の輪廻に対して善悪の判断は、お釈迦様でも難儀であろう。
極楽浄土の情景を観るには鳩摩羅什の創作とも言える見事な漢訳された阿弥陀経に尽きよう、*「 極楽国土(ごくらくこくど)  有七宝池(うしっつぽうち) 八功徳水(はっくどくすい) 充満其中 地底純以(じゅうまんごちゅう   ちたいじゅんに) 金沙布地(こんしゃふじ) 四辺階道(しへんかいどう) 金銀瑠璃(こんごんるり) 玻璃合成(はりごうじょう) 上有楼閣(じょううろうかく) 亦以金銀瑠璃(やくいこんごんるり)」。 
観無量壽経では極楽浄土には九種のランクがあり「三輩九品往生段」(注10と言い上品上生から下品下生まで有り、それぞれ阿弥陀如来の印相が決められている。
九品往生(くぼんおうじょう)」であるが、何人でも極楽に往生出来るが仏法を修行し得る能力即ち機根等々の相違により九品、要するに上品、中品、下品、さらに上生、中生、下生、の九パターンに分類される、九品の内で最劣の下品外生でも五逆を犯した者でも正しい導師から善智識すなわち南無阿弥陀仏を指導されれば往生が可能とされる、因みに五逆とは父を殺す、母を殺す、僧侶を殺す、佛の体に傷をつける、教団の和を壊す事を言う。
永遠の生命が保証され解脱を目指しての説法が聞ける極楽浄土の対極に地獄があるが、地獄は六道の中にあり脱出に要する期限は六千億年とも数億年とも言われる。   
ちなみに釈迦如来の特徴として自土仏であり浄土は存在しない、全ての如来・菩薩などが浄土を持つのに対して、娑婆すなわち五濁悪世(ごじょくあくせ)彼岸(しがん)留まり衆生の救済(悲華経)に努める為とされる、但し法華経に記述がある様で釈迦如来が法華経霊鷲山で説いたとされる事から釈尊の浄土を「霊山浄土」との考えもあり日蓮宗系等で言われている。
極楽浄土に次いで知られているのは観音菩薩の住む補陀落山がある、「華厳経」には南方海上の山頂にあると言い大唐西域記にも記述がある、中国には浙江省・普陀山が言われている、但し
普陀山は浄土と言うより中国仏教に於ける四大名山の一山で観音の聖地である、四大名山とは山西省の五台山文殊菩薩 四川省の峨眉山普賢菩薩 浙江省の普陀山(観音菩薩) 安徽省の九華山地蔵菩薩が言われており、菩薩の聖地である。
日本に於いては日光・二荒山が観音浄土との伝承がある、また悲惨な生贄とも言える補陀落渡海信仰が那智山にも存在した。
親鸞の本願寺親鸞大師御己証并辺州所々御消息等類聚鈔、すなわち「末燈鈔」に依れば浄土は十万億土の西方に在るのではなく現世に在ると解釈できる、「真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。このゆえに、臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心のさだまるとき、往生またさだまるなり」すなわち信仰が定まる時が浄土に居ると言える。
仏土には四種あり唯識では・法性(ほっしょう)土 ・自受用土 ・他受用土 ・変化土に分類される、因みに天台に於いては・凡聖同居(ぼんしようどうご)土 ・方便有余(ほうべんうよ)土 ・実報無障礙(じつぽうむしようげ)土 ・常寂光土が言われている、そのうち
凡聖同居土には、浄土と穢土の分類があり穢土をの方を裟婆と言われる
爾前経と言う経典には凡人の住む裟婆「穢土」覚者に成れない二乗の「方便土」菩薩の住む「実報土」如来の住む「寂光土」に分類している、因みに法華経の解釈では覚者となった前半42年を爾前経(方便権教)として後半の8年を法華経(真実の実教)としている、因みに娑婆であるが梵語sahāの音訳で「集会場」「堂」「大地」等の意味があるが「堪忍」という漢訳がある。
浄土は本当に存在するのか?、古来中国では *浄土や阿弥陀如来は心の中に存在する、即ち「唯心(ゆいしん)浄土、己心(こしん)の弥陀」説と *善導の言う「指方立相(しほうりっそう)」浄土は必ずある、の二説がある。
鳴かないホトトギスに対する三英傑の比喩が知られているが、五木寛之氏はジョーク的に浄土に蓮で転用している、*源信――― 泥中にありて花咲く蓮華かな。  *法然――― 泥中にあれど花咲く蓮華かな。  *親鸞――― 泥中にあれば花咲く蓮華かな。    

浄土名

  尊   名  

経         典

浄     土(仏国土)

弥勒如来 

弥勒成仏経・弥勒下生経・他 

兜率天(とそつてん)(兜率天は天界であり本来は浄土ではない)  

阿閦如来 

阿閦仏国経・維摩経  

妙喜国浄土 亜比羅提世界   

阿弥陀如来 

浄土三部経 阿弥陀経・観無量寿経・大無量寿経 

西方 極楽浄土 (sukhāvatī

薬師如来 

薬師如来本願経 他 

浄瑠璃浄土 

大日如来

 大日経 金剛頂経 

密厳浄土 

多宝如来

法華経11章 (見宝塔品) 

東方無量千万億(とうほうむりょうせんまんおく)阿僧祇(あそうぎ)宝城国・多宝如来は宝勝如来とも  

天鼓雷音如来

金剛頂経   

初利天(とうりてん)

観音菩薩

観音経 (法華経の内)  阿弥陀経 

補陀落山(ふだらくさん)  極楽浄土

文殊菩薩 

  

清涼山  

地蔵菩薩  

地蔵菩薩本願経

伽羅陀山(須弥山の麓)  

その他  

法華経 

霊山(りょうせん)浄土霊鷲山・法華経が説かれたとされる所) 

  

十方浄土・他方浄土。天竺浄土・等 

   

浄土三部経   阿弥陀経  観無量寿経  大無量寿経



地獄(奈落naraka・地獄) 仏教には十界と言う世界観がある、更に四聖と六道に分類される、四聖の内訳は *如来界 *菩薩界 *縁覚界 *声聞界があり、六道には *天道 *人道 *修羅道 *畜生道 *餓鬼道 *地獄道になる、地獄は前述した六道の底辺に位置し、そこでの寿命は極端に長い、一番軽度な想地獄でも1兆6653億年程と言う。 
本来初期佛教、大乗仏教に地獄は存在しない、唯識は無論のこと大乗仏教、上座部仏教とも佛教に於いて空は総ての実在論を否定する、地獄は衆生を導く為の方便として法華経に記述があるが、維摩経や般若心経等々に記述はなく所謂仮設(仮説)でしかない、言い換えれば佛教の場合の地獄は教義ではなく説話として伝播したと言える、即ち人の心の外に於いては実在するものはない、伝え聞く処に依れば中村始氏曰く地獄とはヒンズー教の伝承が嚆矢と言える様だ。   
玄侑宗久氏は地獄に付いて、中国、日本では仏教が輪廻転生の信仰が抜け落とした為に火葬と言う埋葬法を継続する為には死後の保証として必要であったと言う、脱線するが聖書は無論のことユダヤ教キリスト教にも地獄に付いての記述はない、但し最後の審判に於いて永遠の死の宣告がある、但しイスラームには緑園も地獄もコーラン最後の審判に記述がある、しかも生身に人間が行く処である、然も期間は永遠である、仏教説話の場合の地獄は最短で1兆6千200億年(1兆6653億年と多説言われる)で六道輪廻に戻る為に一応無限ではない。
地獄極楽の思想は本来道教の領域かも知れない、道教では地獄に於ける死後の裁判は十回、すなわち赦免の機会が十回ある、地獄と言えば閻魔大王であるが当初は楽園の主と観られていた、第一審の担当であったが、判決が寛大すぎて第五審の変更されたと言う、閻魔大王の役割の一つに付いて、地蔵十王経に依れば五十七日目の審判を担当しており、嘘を見抜く浄玻璃(じょうはり)と言う鏡を所持しており過去現在に犯した罪が総て映されると言う、閑話休題、インドに於いてエトス
(行動様式 ethosである輪廻転生(saṃsāraサンサーラ)は罪の証明と言えるかもしれない、閻魔大王とはインドに於ける古代信仰や仏教で言う冥界の王rājaでヤマ-ラージャi語 Yama-rāja)、漢訳で閻魔羅闍(えんまらじゃ)と言う、要するに古来よりインドでは神界に於いての支配者は通称でヤマと言う神である。 
浄土が作られ対極に地獄が仮設された、しかし極楽浄土は大乗佛教の副産物であるのに対して、地獄の歴史は古く古代インドに於ける業報(ごうほう)輪廻saṃsāraの思想を源泉としている、しかし世界に於いては宗教の共通項として天国
(緑園)すなわち浄土(極楽)が考案された後に地獄が生まれたという、仏教ではゾロアスター教、バラモン、キリスト教が地獄を標榜する為に善因善果(ぜんいんぜんか)悪因悪果(あくいんあっか)の業報思想に結び付けて肯定した、古くはpāli経典「ダンマ・パダdhamma-pada 法句経」、「スッタ・ニパータ Sutta Nipāta)南伝の初期経典 」に説かれている、地獄が詳しく説かれる経典即ち「正法念処経地獄品」「倶舎論」「長阿含経」等を参考に往生要集は著されている様である、因みに業報輪廻の業報とは、国語辞典に依れば「前世や過去におこなった善悪の行為による報い。業果。」とある、因みに地獄の摸写は源信の往生要集よりも早く空海の三教指帰(さんごうしいき)に描かれている。
世親
南都六宗倶舎宗参照)は倶舎論の中で地獄の位置を娑婆の地下にあると言う、八層に分類した、最下層を無間avici地獄と言い奈落の底である、軽い順番から 1、想地獄、 2, 黒縄(こくじょう)地獄、 3,堆圧(たいあつ)地獄(衆合地獄) 4,叫喚地獄、 5,大叫喚地獄、 6,焼炙(じょうしゃ)地獄、 7,大焼炙地獄、 8,無間(むけん)地獄となる。 五層の分類方法もある、1,焦熱(しょうねつ)地獄、2,極寒地獄、3,賽の河原、4,阿鼻地獄、5,叫喚地獄がある、また別の分類もある、八大地獄と言い1、等活地獄  2、黒縄地獄   3衆合(しゅごう)(しゅうごう)地獄  4、叫喚地獄  5、大叫喚地獄  6、焦熱地獄 / 炎熱地獄  7、大焦熱地獄 / 大炎熱地獄   8、阿鼻地獄 / 無間地獄がありここに落ちる事を奈落(ならく)の底に落ちると言われている、奈落とは梵語のnarakaの音訳で奈落迦との記述も見られる事から地獄への隘路と理解出来よう、その他「八大地獄」の他に「十六小地獄」「八寒地獄」「狐地獄」「辺地獄」等がある、また合計で136の地獄があると言う、一番軽い等活地獄の等活とは必ず生き返る事を意味し、鉄杖等で頭部から足まで打ち砕かれ死亡するが、必ず生き返らされて、繰り返し打ち砕かれると言う

平安時代の人々には地獄は恐怖の場所であった様である、呪文をパロディー(parody)化するほど論理性にも秀でた清少納言でも“小部屋に隠れ臥した”と地獄絵の恐ろしさを枕草子の七十七段で記述している。
主に天台宗の分類に十界があり仏界菩薩界 縁覚界 声聞界の四聖悟界があり、その下に 1,天界 2,人間界 3,修羅界 4,畜生界 5,餓鬼界 6,地獄界の輪廻転生
(梵語sa
sāraサンサーラ)する世界があり軽い地獄ほど寿命が短くなる、即ち地獄に於ける滞在期間が短縮される、地獄界に於いても輪廻転生が行われ上の界に上がれると言う、但し一番軽度の地獄の寿命āyus アユース)でも16653億年程と言う、閑話休題芥川龍之介は「侏儒の言葉」に於いて、極楽で蓮の葉に座り妙なるしらべを聞く極楽浄土の退屈さをイメージして嘆き、地獄の責めも数年すれば慣れる様な記述をした、彼は極楽浄土を回避し羅刹(らせつ)即ち地獄の住人になる為に死を選択したのかも知れない、臨在僧・一休宗純か雪江宗深(せっこうそうしん)(1408~1486年)か承知していないが、「仏界入りやすく 魔界入り難し」と言うタームが著名である、芥川龍之介や川端康成は魔界の住民であったのかも知れない。
因みに佛教に永遠も無限も無い、
天界に於いても生、老、病、死を避ける事は出来ないし、無間地獄の業火の中でも349京2413兆4400億年で輪廻して転生出来る様に必ず期限がある。  
因みに源信の往生要集(注7)は地獄模写すなわち厭離穢土から始まり極楽を語り往生すなわち 往生諸行から念仏に進んでいる、地獄に関する記述は倶舎論の他に・大智度論・顕宗論に記述がある。
閻魔大王で知られる十王信仰と言うものがある、人間が地獄に落ちようとするとき、七日毎に裁きを受けなければならない、その裁判官が閻魔を初めとする十王である、十王を挙げると*秦広(しんこう)王 *初江(しょこう)王 *宋帝(そうてい)王 *五官王  *閻魔王 *変成(へんせい)王 *太山(たいざん)王 *平等王 *都市王 *五道転輪王となる、十王像は鎌倉市山ノ内町の円応(えんのう)(臨済宗建長寺派)が知られている。
「地蔵菩薩発心因縁十王経」略して地蔵十王経(中国製、偽経説が有力)によれば地蔵菩薩は閻魔天(大王)に化身するとされている事から死後に於ける閻魔大王の裁定を想定しての信仰が広がりを見せた、因みに閻魔天の姿形は道教からの道服を纏い右手に(しゃく)を持つ中国様式が大勢を占める、また閻魔は梵語ではヤマ(yama)と言い死後の世界に君臨すると言う。
 

イスラームに地獄の記述はあるが、キリスト教に詳細な説明はなく「主の要求、指示に従わない行動を地獄」と解釈する様である、これが地獄なら現在も無間地獄に住んでいる。
結論を言えば浄土も地獄も実在しない、これらは人を導く為の仮説である、実在論の否定は即ち空であり佛教の蘊奥と言える、如いて言えば浄土も地獄も人の心の中に存在する思想である。

仏教用語に「世間(せけん)」と言うタームがある、所謂仏教世界に於ける宇宙観を言う、有情(うじょう)世間、()世間がある。
は生命の世界を言い輪廻する六道を下位から *欲界 *色界 *無色界の三界が言われる、因みに地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の住人で下位を言う、色界 無色界は天の住人である。
は物理宇宙のことである、仏教世界から見た宇宙の構造(須弥山 人間の住む贍部州(せんぶしゅう)等々を言う、仏教世界は輪廻転生からの解脱を目指す教義であり、有情世間が重要視される。


1, 六道とはgati、(ガティー)道の意訳とされ衆生の居住場所である、 天上(deva-gati)・人間(manushya-gati)・修羅(asura-gati)・畜生(tiryagyoni-gati)・餓鬼(preta-gati)・地獄(naraka-gati)を言い、六道の輪廻(
Sasāra・サンサーラ)から抜け出す事を解脱と言う。
六道を二つに分け前部の修羅道までを三善道とし、後部を三悪道と言う、後部を巷間、三途(三途の川)を呼ばれるが正確な漢訳は三塗と言い、猛火の地獄道を火塗、刀杖の世界の刀塗、共食いの畜生道を血塗とされる、また三途とは三本の道と言う説もある。
天台智顗は摩訶止観の中で十法界があると言い六道の上に声門・縁覚・菩薩・仏を四聖として加えている。
輪廻転生の六道に他に五趣がある、五趣とは六道から阿修羅を除外した状態を言う、即ち地獄、餓鬼、畜生、人間、天の五種の空間を言う、六道絵の原形はインドであるが、それを五輻の車輪形の中に五道(地獄,餓鬼,畜生,人間,天上)の相を描き,輪廻の思想を示したものを「五趣生死輪」と言う。
生き物は六道を輪廻するが、死の瞬間から次に生まれるまでの間の概ね49日間を中有と言う、
他に四有がある、・本有(ほんぬ)(生後から死まで)、・()()(死の刹那、臨終)、・中有(ちゅうう)(しょう)()(生まれる瞬間)を言う。
輪廻の本家であるインドのヒンズー教に於いては、天界、人間界、畜生、地獄の四界で示す様である、空海は三教指帰に於いて三界を言う、迷いの世界すなわち、今我々の居る世界「欲界」に「色界」「無色界」を言う、欲は淫欲、食欲を言い、色欲、食欲似ない世界であり、無色界は肉体の無い心のみの世界を流転輪廻していると言う
輪廻転生の枠からの離脱を涅槃すなわち解脱であり解脱と涅槃は同意語である、因みに涅槃には二種類ある、「有余涅槃」即ち生きた肉体を所持したままの覚り、と「無余涅槃」肉体も煩悩も無くした絶対安心(あんじん)の境地とがある。

地獄の様相は、倶舎論の811、大智度論16、顕宗論12に記述があるが経典としての記述は正法(しようぼう)念処(ねんしよ)(きょう)」に最も軽い等活地獄~最高に重い阿無間地獄(鼻地獄)8ランクがある、次に地獄の刑期である、。
1)等活地獄  1653億年
2)黒縄地獄  13兆3225億年
3)衆合地獄  1065800億年  
4叫喚地獄 8526400億年
5)大叫喚地獄 68211200億年
6)焦熱地獄  55689600億年
7)大焦熱地獄  宇宙誕生~消滅までの期間の半分
8)無間地獄   宇宙誕生~消滅までの期間。
地獄は実在しない、衆生を導くための譬え話すなわち仮設である、仏教の蘊奥とされる実在論の否定以前の問題と言える。   

因みに兜率天には梵語のトゥシタTuitaの音訳で「覩史多」とも漢訳され満足すると意訳できる、「須弥山(しゆみせん)」の上空に位置し三界では欲界に属する、須弥山とはスメール(sumeru)の音訳で、インドに於いては世界の中心に位置する架空の山を言い、佛教に於ける宇宙論の中核の場所を言う、七つの山脈と 八大海に囲まれ高さは八億米とも言う、漢訳は須弥山の他に「須弥留」「須弥」意訳で「妙光山」「妙高山」等々言われる、スメール思想はヒンズュー、ジャイナ教も共有している。
この天は欲界六天の下から四番目にあたりその住人は欲望の呪縛をかなり脱しており七宝の宮殿があり内院は請来仏となるべき菩薩の住処とされる、外院は眷属の住む場とされ釈迦はここから下界へ下ったと言う、因みに
須弥山とは七つの山脈と八大海に囲まれ高さは八億米とも言う、また和訳すれば妙高山となる、弥勒菩薩は兜率天の内院四十九院に住んでいるが、宝石類に囲まれた極楽浄土に比べ遜色無く見えるが住人は六道輪廻の範疇にあり百億人の天子及び五百万億の天女達には五衰が待ち受けている。  

兜率天と五十六億七千万年  覩史多(とした)兜率陀天とも言われ、無色界・色界・欲界の三界の中では最下位の欲界に位置する、その住人は欲望の束縛を概ね脱している、七宝の宮殿に内外の二院があり内院は将来仏となるべき菩薩の住所であり、外院は眷属の天子達の住所とされる、釈尊は内院から下生したとされる。
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7000万年の計算法は諸説あるが弥勒菩薩の住む兜率天の一日は下界の四百年に相当する・兜率天の住人の寿命は4千年であり一年を三百六十日と計算されている、したがって360日X400倍X4000年=56億7千万年と計算される、最近の研究者の間で567百万年説が有力視されるがいずれにしても無限に等しい時間である、「弥勒上生経」に依れば兜率天には500万億の天人天女が住み同数の宝宮が有ると言う、弥勒菩薩はこの宮殿の摩尼上部の獅子座に住むとされる。

海に於いて最初の生物が誕生したのが、35億年前、生物が陸に上陸して5億年、針葉樹林の発生は2.5億年、広葉樹林は1.5億年前との説が言われている。
三界には①無色界(spiritual world 禅定世界)--悟りが出来た世界で、四界あり最上階を
有頂天(ヴァーグラ bhavāgraと言う、 ②色界--色界(ethereal world 物欲 ③欲界の上にある天界で四禅界がある、 ③欲界(carnal world 婬、食)―六界があり天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄がある。

*流転する世界には・色究竟(しきくきょう)色とは肉体、物体及び物質を言い、・欲界は地獄界、餓鬼界、畜生界、人界、六欲天までの五界を言う、色究竟は色界の最高位にあり欲望を降伏して清浄な世界を言うが情欲と色欲は残る、因みに無色界は更に上の覚り無の世界を表す、三界超えた上に佛界があり密教の仏達が住んでいる、欲界に・天界・人界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界がある、因みに無色界すなわち悟りが出来た世界で、四界あり最上階を有頂天(ヴァーグラ bhavāgraと言う
* 通常使用される世間(せけん)と言うタームはラウキカ (laukika)と言い、宇宙を意味する仏教用語である、一般に迷いの世界を意味し対極に出世間がある、出世間とは通常仏門に入る事を言われる。
世間は生命の世界即ち *有情世間と物理的な *器世間があり、有情世間には「欲界」「色界」「無色界」の三界がある、輪廻転生はこの三界で起る。
*インドを制圧したアーリア人が興したバラモンや、仏教以前からのエトスに(ごう)karman カルマ)がある、本来の意味合いは「行為」である、もう一つインドの衆生に存在して思想とも言われるエトスに輪廻がある、己の行った行為の良し悪しで来世の生まれ(六道)が決まる。
六道とは天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄であるが、世親の説いた倶舎論では五道であり、阿修羅は後から組み込まれた様である。
涅槃、解脱に付いて述べれば、涅槃=解脱と言える、涅槃とは輪廻からの離脱を解脱と言う、また涅槃には*有余うよ涅槃と *無余むよ涅槃がある、有余涅槃は生前から解脱出来た状態であり、即身成仏に限りなく近い、無余の場合は死後に涅槃に入る事を言う



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五濁(ごじょく)の悪世 五濁の悪世とは  1、劫濁(社会の悪 汚濁 疫病 争い)  2、見濁(利己主義 邪見)  3、煩悩濁(猜疑心 心の悪徳)  4、衆生濁(脱道徳 意識の低下)  5、命濁(上記の濁り短命) を言う。
*四劫と言う総ての誕生から消滅までの間に永劫の流転を繰り返す、1成劫(じょうこう) 万物の誕生、 2住劫(じゅうこう) 安定期、 3壊劫(えこう) 衰滅期、 4空劫(くうこう) 総てが無、に分類され各劫は20劫を要する。


3 他土仏(たどぶつ)信仰とは大乗仏教が起こり釈尊を思慕した事から生まれた地球空間以外の仏、すなわち異空間の如来・菩薩である、代表的な尊名は阿弥陀如来・薬師如来・観音菩薩等々である、法華経・金光明経・阿弥陀経など多くの経典に記述されているが共通する如来名は阿閦如来と阿弥陀如来のみで異なる尊名が多数を占める、因みに過去七仏は過去の劫である荘厳劫の如来も三尊存在するが、釈尊と同じ「自土」すなわち娑婆世界の仏とも言える、いわゆる報身仏が他土仏に相当するとも言えよう。


4迦陵頻伽(かりょうびんが) 国語辞書に依れば妙声・美音・妙音鳥等に訳される。上半身は菩薩形で翼を持ち極楽浄土に棲むとされる想像上の鳥で甘美な美声に依って法を説くと言う、迦陵頻伽の他に
「浄土の六鳥」と呼ばれる鳥が舞っているとされる・百鵠(びゃっこう)・孔雀・鸚鵡(おうむ)・舎利・迦陵頻伽・共命之鳥(ぐみょうのとり)が舞うとされる。 


5末法思想と三時観  中国の僧で天台智顗(ちぎ)の師である、慧思(     えし)(515577年)による歴史観でもある、三時思想とも言い阿含経に拠れば釈迦如来の入滅後に弥勒佛の現れるまでの空白期間を示す正法・像法・末法を言う、当初は正法・像法が言われたが六世紀頃にインドで三時観となる、釈尊入滅後に於ける佛教流布期間を三期間の分類したもので正法は釈尊の教えが正しく伝わり、像法に於いてはやや形骸化するが教えの形は守られる、末法に到り経典は残るが漸衰滅亡すると言う。

三時思想に付いて六世紀中国に於いて三階教と言う宗派があって行基に影響を与えたとの説もある、三階教とは六世紀末中国の北斉で起った宗派で行基に影響を与えた、三時観の分類を利用して、現在は三階即ち末法であるとして「大方広十輪経」「大集経」「明三階仏法」「略明法界衆生機浅深法」を依経として既成宗派と対抗した宗派である
「大集経」などに依れば個々の期間は五百年・千年など諸説があるがしだいに「大悲心経」を依経とした千年説が広がる、これは中国に佛教が伝来時には末法にならない為に調整したとも考えられる、また一時観を千年とした根拠は、中国に於いては釈尊の生誕はBC948年としている、これは孔子よりも先に生誕した様に記録したかったとされる、因みにインドでは女性の出家を認めた為正法が千年から五百年に短縮されたと言う話もある。
三時観は日本に伝わり最澄が重要視し「守護国界章」を著している、定かではないが「末法燈明記」も最澄の著作と言われている、因みに末法燈明記に依れば正法五百年、像法千年、末法一万年とされている、これは「大集月蔵分」「法滅尽品」「摩訶麻耶経」等も同様である、

堕落容認の聖典とも言える末法灯明記であるが、典拠とされる代表的な経典は「大方等大集経(大集経)」である。

天台宗の「法華玄義」巻五のと「十地経論」巻三に「教行証」「大乗法苑義林章」等に依れば、佛法とは・証・行・教を言い正法とは三時が揃う事を言い、五木寛之がコピーの時代と言う像法は証が失われ末法は証と行が失われる教のみが残る事を云う(像法の像とは影を意味する)、証とは絶対知の感得を言い行は絶対知の感得の為の修行を言われる、また教は絶対知を感得する案内書すなわち経典を指す。
末法を法滅と言い経典も無く壊滅的な時代を言い末法の後、すなわち「法滅期」となる解釈もある、
経道滅尽(saddharma-vipralopa)すなわち法滅とは仏法の滅びる事をいう、正法・像法・末法の三時を過ぎると仏法は滅尽すると「大方等大集経」の第55券である月藏分の分布閻浮提品に書記述されている。
但し涅槃経には末法の中から再び、仏法が再生すると説かれている、因みに涅槃とはニルヴァーナ(nirvāa)と言いニルは「外へ」、ヴァーナは「吹き消す」を意味する   
但し涅槃経には末法の中から再び仏法が再生すると説かれている。

*仏教にも末法思想や終末論が言われるが、仏教本来の正統思想ではなくカルト仏教的な哲学との小室直樹説がある、殺戮を繰り返す一神教と異なり仏教にはジェノサイドgenocide)は無論の事、天地創造、終末論すなわち最後の審判的な思想がない、無限に近い因果律の仏教哲学に終末論は本義ではない。
因みに仏教は因果律が総てであり「善因楽果(ぜんいんらくか) 悪因苦果(あくいんくか)」即ち良い行動には良い報いがあり、悪事を行えば悪の酬いがあると言う、しかしジャータカ(本生譚 jātaka)と言う経典に依れば何回も六道を体験し善道を繰り返した事により現世では僅か六年の修行で覚ることが出来たと言う。
*末法思想の対処法に”特留此経(とくるしききょう)”と言う経がある、末法の時代でも信じて留まる事を教えている。


注6、解脱とは梵語でmok-aモ-クシャ、 muktムクテイ、i vimuktiヴィムクテイー、等を漢訳された熟語である。
  


7、往生要集 地獄の解説は源信の往生要集の中で大文第一、厭離穢土(おんりえど)に詳しい、地獄、餓鬼、畜生、等々六道を説いている、985年(寛和元年)源信の著作で極楽浄土への道標的な書物で総序に「それ往生極楽の教行は獨世末代の目足なり、道俗貴賎、たれか帰せざる者あらん。ただし顕密の教法は、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。理智精進の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯のもの、あに敢てせんや。この故に、念仏の一門に依りて、いささか経論の要文を進む。これを披いてこれを修るに、覚り易く行い易からん。惣べて十問あり。‐‐‐‐‐‐‐。これを座右に置いて廃忘に備えん」と記述される。
因みに往生要集は*序文から、*大文第一、*厭離穢土、*欣求(ごんぐ)浄土、*極楽証拠、*正修(しょうしゅ)念佛、*助念方法、*別時(べつじ)念佛、*念佛地益、*念佛証拠、*往生諸行、*大十 問答料簡なでがある、因みに大文第四正修念佛が分類され1、礼拝門(阿弥陀を礼拝する)、 2、讃嘆門(阿弥陀会を褒め称える)、3、作願門(菩提心を持つ)、 4、観察門(観想)、5、回向門(己と衆生の為の善根、問答形式で念仏の最優秀を説く)がある。


注8、 涅槃には生きたままでの覚り「有余涅槃」と肉体も煩悩も消滅した「無余涅槃」がある。 


9(はっ)功徳(くどく)(すい)とは①澄浄(澄み切って穏やか)、②清冷(ひんやり)、③甘美、④軽軟、⑤潤沢(枯れる事は無い)、⑥安和、⑦除飢渇(渇きを癒す)、⑧長養(健康)を言う。


10、三輩九品往生段とは *上品上生 至誠心 深心 回向発願心の三心と戒律を守り、経典を読誦し機根の秀者で極楽に於いて無生法忍の悟りが得られる。*上品中生、*上品下生までは大乗の行者で上生と比較して機根が少し劣る。*中品上生以下中品下生までは小乗の行者。 *下品上生以下の下品下生は悪行の内、救いがある者。



11、十三仏 江戸時代に制度化された十三仏と
は中国の冥界信仰を参考にしているが日本独自の制度で、地獄に於ける亡者の審判を行う10尊、これを十王と言う、但し「十王経」から引用しているが、十三仏は経典に記述は無い、裁判官は()内。
十三仏の尊名を挙げると、*不動明王(初七日 (しんこう)(おう))、*釈迦如来(二十七日 初江(しょこうおう))、*文殊菩薩(三十七日 帝王(そうていおう))、*普賢菩薩(四十七日 五官(ごかんおう))、*偽造菩薩(五十七日 閻魔(えんまおう))、*弥勒菩薩(六十七日 変成(へんじょうおう))、*薬師如来(七十七日 泰山(たいざんおう))、*観音菩薩(百日 平等(びょうどうおう))、*勢至菩薩(一周忌 都市(としおう))、*阿弥陀如来(三回忌 五道転(ごどうてんりん)(おう))、*阿閦如来(七回忌 蓮華(れんげおう))、*大日如来(十三回忌 祇園(ぎおんおう))、*虚空蔵菩薩(三十三回忌 法界(ほうかいおう))、となる。


      

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