平安時代    貞観時代・藤原時代

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禁裏周辺を中心に華やかに彩られた「竹取物語」「伊勢物語」「落窪物語」「大和物語」「源氏物語」等々、伝奇や歌を扱った傑作小説(物語)に謳歌された時代である。 
794年の平安京遷都をもって始まり前半を貞観時代894年から11845年までを藤原時代とされる。
天台宗
真言宗・が起こる、二人の巨匠が登場した、空海東寺高野山を拠点に日本に於ける佛教文化の興隆に多大な貢献をした、最澄は「大乗戒壇」・「山家学生式」に尽力して日本製の鎌倉佛教に道筋をつける。この時代は密教が佛教界を席捲し密教にあらずんば佛教に在らず的な風潮が存在したと思はれる。

平安前期いわゆる貞観時代には造佛の個性が多様化した時代でもある、怨霊鎮魂か神仏習合を意識した神護寺薬師如来新薬師寺の薬師如来、更には教王護国寺のデフォルメされた明王群四天王や官能的な観心寺の如意輪観音など革命的な造像が為された,この時代の主な仏像を挙げると興福寺四天王 神護寺虚空蔵菩薩 仁和寺・阿弥陀三尊像、 清凉寺・阿弥陀三尊像、 室生寺・薬師如来、十一面観音、 向源寺・十一面観音、地方に行けば勝常寺・薬師三尊像、等々多数が挙げられる,平安時代も後半
(藤原時代)になると摂関政治が確立し藤原道長親子の時代に最盛期を迎える、この時代文字に伴い和歌が浸透し倭様に時代となる、仏像彫刻に於いても華麗な彩色による装飾性の強調や優美な感性と多様化と共に技術面に於いても前期に培われた技術が醸成され定朝様いわゆる和様が完成される。
平等院
阿弥陀如来を初め雲中供養菩薩、 浄瑠璃寺・ 阿弥陀如来 中尊寺・阿弥陀三尊像、等々柔和な中に日本的気品を備えた作品が挙げられる。 

飛鳥・奈良時代に怨霊信仰は存在したが佛教は国家統一の手段に使われていた、しかし密教の広がりに従い天台・真言が時の貴族社会と融合する事により加持祈祷による現世利益など非佛教的な原始的なニューマが蔓延した。
しかし釈迦本来の教えに霊も怨霊も無く佛教の教義とは言えない。
玄肪に始まり空海が持ち込んだ密教の影響は大きく、以後の日本の宗教界に於いて密教の影響を受けていない宗派は浄土真宗真宗禅宗のみと言える。
桓武天皇は官大寺の勢力の強く成り過ぎと腐敗堕落を嫌った事、ならびに天武天皇系の流れを断ち切る為遷都する事になる、この行動は当時としては大政治改革・行政改革であった。
同時に南都既存寺院の長岡・京のへの移転を拒んだ、南都佛教が都市型及び教義重点なのに比べて山岳信仰の要素を含み加持祈祷(注6)、呪術を行う密教系を保護し利用もした、平安二宗の側も国家権力側に一定の距離を置いて利用しあう相関関係が構築出来た。

南都佛教の中心である法相宗と天台宗との大きな相違は法相の五性格別に対して平安二宗は一切偕成、即身成仏を説き民衆の支持を得たことにより釈尊本来の佛教から大きく逸脱しながらも日本独特のインド中国密教とは違う宗教を作り上げたと言へる。   
その平安佛教も次第に貴族化し荘園・僧兵などを持ち、武力・権力などを乱用し始め、「この世をばわが世と思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と詠われる時代前後になると、いろいろなの災害が重なり末法思想も大衆に浸透する様になる頃,空也少し遅れて源信の二人が登場する。
空也・源信共浄土信仰の祖とも言える存在であり念仏の功徳を大衆に広める。
二人とも教団を持たず特に空也は市聖(いちのひじり)と呼ばれるほど庶民に対する布教に力点を置いた、結果それまであもり注目されなかった阿弥陀信仰が裾野から広がり貴族社会にまで浸透していった。   
又源信の著はした往生要集(おうじょうようしゅう)は鎌倉佛教の良忍・法然親鸞等に大きな影響をあたえた。 
政治的に見れば平安初期には天皇家がリーダーシップを所持していたが後宮に於いては藤原四家が競いあって皇后や妃を送り込んだ。
平安後期には四家から房前を祖とする北家が抜け出して右大臣・摂政・関白職を独占する事により、後世鎌倉時代と呼ばれるようになる、北家をベースにして後の鎌倉時代には五摂家に分かれ南北朝の一時期を除いて宮廷を支配する。
仏像に付いては空海が密教を招来した事によりその種類が飛躍的に増加し、さらに神仏習合思想により、
僧形八幡神などの神像などが造られ始め、さらに後半には唐様から平等院、阿弥陀如来を初め和様彫刻が登場する、また造佛もこの時代辺りから各地方に広がりを見せる。
この時代後半には武家勢力が台頭し、律令制による土地制度が崩壊し始める。

1, 往生要集とは浄土信仰・往生を経論から体系化し、正しい念仏のしかたを説く勧誘書で観想念仏・称名念仏の方法などが説かれている。そして源信を境として阿弥陀来迎図・浄土曼荼羅・仏像彫刻など特に阿弥陀を中心とした佛教芸術の最盛期を迎えようとしている。

2、 藤原四家  北家(ほっけ 房前)・南家(武智麻呂)・弐家(宇合)・京家(麻呂)を言い北家には冬嗣・良房・基経と続く。

3、 五摂家 興福寺編の注1、参照 

4、鎌倉佛教 三系列に別れ 浄土系(浄土宗浄土真宗・真宗) 日蓮宗系 禅宗系臨済宗曹洞宗)に分類される。

5、律令的土地制度の崩壊。 
 

6、加持祈祷の加持とは加=仏の働きかけを言う、持=行者が「加」を受ける事である 


貞観時代
の主な文化財として

彫 刻  

興福寺・  四天王   

極楽坊・  薬師如来    

法華寺・  十一面観音   

唐招提寺・  千手観音   薬師如来     

室生寺・  薬師如来   十一面観音   弥勒堂釈迦如来 (飜波式衣文はこの時代の特徴)  

東寺講堂・  五大明王   四菩薩  梵天 帝釈天 四天王   霊宝館 兜跋毘沙門天    

法隆寺・  地蔵菩薩     

薬師寺・  僧形八幡神  神功皇后    

神護寺・  薬師如来  五大虚空蔵菩薩

法界寺・  阿弥陀如来    

広隆寺・  千手観音  阿弥陀如来  不空羂索観音    

仁和寺・  阿弥陀如来    

向源寺・  十一面観音    

観心寺・  如意輪観音    

獅子窟寺・  薬師如来  等々

工芸品    

栄山寺・ 平等院・ 神護寺   梵鐘     

金峯山寺・ 道長経筒

建造物    

東大寺・  転害門  

室生寺・  五重塔  金堂  

当麻寺・  本堂  

浄瑠璃寺・  阿弥陀堂  三重塔  

醍醐寺・  五重塔  金堂  薬師堂  

法界寺・  阿弥陀堂  仁和寺・金堂  

中尊寺・  金色堂  

一乗寺・  三重塔   等々


藤原時代の文化財として

彫 刻  

法隆寺  釈迦三尊(上御堂)  吉祥天  毘沙門天  薬師三尊  

浄瑠璃寺・ 阿弥陀如来(九尊)  四天王  

平等院・  阿弥陀如来  雲中供養菩薩   

円成寺・  大日如来  

醍醐寺・  薬師三尊  

清凉寺・  阿弥陀如来  

鞍馬寺・  毘沙門天 吉祥天  善膩師童子  

園城寺・  新羅明神  智証大師  

道明寺・  十一面観音  

道成寺・  千手観音     等々

工芸品  

平等院・  梵鐘 

建造物  

醍醐寺・  五重塔   

当麻寺・  金堂  

浄瑠璃寺・  三重塔  

三佛寺・  投入堂  

平等院・  鳳凰堂  

法隆寺・  経蔵  鐘楼   等々


絵画 (貞観・藤原時代)


東京国立博物館  孔雀明王像 地獄草紙 十六羅漢像 聖徳太子絵伝 千手観音像 扇面法華経草子  扇面法華経草子

奈良国立博物館  十一面観音像

京都国立博物館  釈迦金棺出現図 十二天像 山水屏風

五島美術館    源氏物語絵巻

八幡講十八箇院  阿弥陀聖来迎図 五大力菩薩像

厳島神社     平家納経

薬師寺      慈恩大師像

園城寺      五部心観 不動明王像 黄不動

教王護国寺    伝真言曼荼羅

神護寺      釈迦如来像 両界曼茶羅図 釈迦如来像 

曼殊院      不動明王像

室生寺      金堂障壁画

薬師寺      慈恩大師像  吉祥天像

竜光院 和歌山  伝船中涌現観音像

来振寺 岐阜県大野町 五大尊像

 

観想念佛

佛国土、佛の姿、その功徳を心に念ずる。観無量寿経、浄土曼荼羅、

称名念佛

南無阿弥陀仏の名号を口で唱えな  がら念ずる。 法然・親鸞に繋がる

 
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