狩野山楽(さんらく)  1559-1635年 

                     仏像案内     寺院案内   佛師



桃山画壇の四大家の一人、因みに桃山画壇四大家とは狩野永徳(1543-1590) 狩野山楽(1559-1635) ・長谷川等伯(1539-1610) ・海北友松(1533-1615)を言う。
武家の家に生まれるが豊臣秀吉に仕え、その推挙で狩野永徳の弟子となり画風の正統的継承者としての評価を受ける。
永徳の没後狩野派の中核として活躍した。
1588年永徳東福寺法堂の天井画蟠竜図
(1881年焼失年)制作中に病に倒れるとその後を引き継いで大作を完成させた。
出自の関係から豊臣家との関係が深く伏見城障壁画
(1594)の制作にあたってはもっとも活躍したとされる。
主な作品に南禅寺本坊大方丈の松に麝香猫図・大覚寺の紅白梅図・牡丹図・松に鷹図、妙法院の絵馬、鷙鳥(しちよう)図潅風・東京国立博物館の帝鑑図潅風・車争図潅風、常盤山文庫の犬追物図潅風、四天王寺絵堂の板絵聖徳太子絵伝等がある。
尚この時代探幽など狩野派の多くが江戸を本拠とし江戸狩野と称されたのに比べ、豊臣の庇護を受けていた山楽の系統は養子山雪を始め京都に残り京狩野と呼びばれた。


 

● 二条城障壁画   松鷹図 

二条城の障壁画「松鷹図
二条城の障壁画「松鷹図(まつたかず)
二条城の障壁画「松鷹図(まつたかず)
   竜虎図屏風    各177.5×356.5cm  六曲一双・紙本金地着色  17世紀初頭  妙心寺

 

 

 

 

 

 





inserted by FC2 system