狩野
江戸初期の代表画家で江戸狩野の確立者とされる、名は守信と言い、永徳の孫で孝信の長男である
政権の動きに機敏に対応して勢力を伸ばす伝統をもつ狩野派
探幽もその一人として父孝信と共に京都から江戸へ進出し徳川幕府御用絵師となる。
家督を弟尚信に譲り自身は鍛冶橋門外に屋敷を拝領する。
1623年京都の狩野宗家を弟安信に継がせ自身は鍛冶橋狩野家を興す。
探幽は徳川幕府の安定を見越し弟達を江戸へ進出させ、幕藩体制の中で御用絵師としての地位を固める。
作品には大徳寺
探幽の名声を頼り諸大名達も狩野派の絵師を招くことにより、狩野派は画壇を席捲する事になる。
探幽が江戸絵画史上残した功績として、未開発な江戸に絵画文化の芽を移植した事にある。
これを母胎として浮世絵に代表される江戸庶民芸術が誕生する。 法印