狩野探幽(たんゆう)

             1602-1674
                           仏像案内      寺院案内      絵師   


江戸初期の代表画家で江戸狩野の確立者とされる、名は守信と言い、永徳の孫で孝信の長男である。後に僧籍に入り探幽と称した。
政権の動きに機敏に対応して勢力を伸ばす伝統をもつ
狩野派は徳川幕府の成立と共に江戸への進出する。
探幽もその一人として父孝信と共に京都から江戸へ進出し徳川幕府御用絵師となる。
家督を弟尚信に譲り自身は鍛冶橋門外に屋敷を拝領する。
1623
年京都の狩野宗家を弟安信に継がせ自身は鍛冶橋狩野家を興す。
探幽は徳川幕府の安定見越し弟達江戸へ進出させ、幕藩体制の中で御用絵師としての地位を固める。
作品には
大徳寺本坊障壁画・山水図・二条城二の丸障壁画・松鷹図・日光東照宮本殿画等がある。
探幽の名声を頼り諸大名達も狩野派の絵師を招くことにより、狩野派は画壇を席捲する事になる。
探幽が江戸絵画史上残した功績として、未開発な江戸に絵画文化の芽を移植した事にある。
これを母胎として浮世絵に代表される江戸庶民芸術が誕生する。 法印
  

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