鎌倉初期に活躍した慶派仏師で生没年は不詳である、康慶の弟子と思われ運慶と共に鎌倉時代に於ける代表的佛師の一人である。
運慶願経に記述があることから運慶と同世代と考えられる、康慶工房の中心的存在であり浄土寺・阿弥陀三尊、阿弥陀如来立像等、東大寺再興を目的として作られた播磨・高野など各別所に於ける像造に起用され重源に最も重要視されたと思われる、重源は東大寺南大門の阿吽像や浄土寺に於ける阿弥陀三尊像
また宋様美術にも拘りを見せた重源に帰依した熱烈な浄土信仰者であり、阿弥陀如来で三尺前後(90cm)の立像の制作が多く見られる、平安時代の定朝の「静の美」から「動の美」への変革はあるが、運慶と比べれば東大寺の南大門に代表される様に、やや抑えられ代わりに比類ない流麗さであり、信仰に誘う清浄観が滲んでいる。
生涯に明証される四十尊近い作品を残すが、主な作品として・浄土寺の阿弥陀三尊像・土門拳に天下第一の美男と言わせた室生寺弥勒堂の釈迦如来像・東大寺○僧形八幡神像・俊乗堂阿弥陀如来像・文殊院の○文殊五尊像 ・大報恩寺の十大弟子立像 ・醍醐寺三宝院の弥勒菩薩坐像 ・遺迎院(京都市北区鷹ヶ峯光悦町9)釈迦如来像、阿弥陀如来像 ・金剛峯寺、孔雀明王(木造彩色 玉眼 像高 78,8cm 全体高 235,2cm 鎌倉時代)、四天王(木造彩色 持国天132,4㎝ ・増長天135,1㎝ ・広目天135,2㎝ ・多門天138,2cm 藤原時代)、阿弥陀如来立像(遍照光院)の他に2011年10月に未指定で調査中の・執金剛神149cmと深沙大将立像142cmの二尊から快慶作の墨書が発見された、また重文指定の唐招提寺塔頭の西方院の阿弥陀如来(鎌倉時代 約100cm 奈良市五条町424)
・ボストン美術館の弥勒菩薩立像、更に運慶と協作の東大寺南大門の金剛力士像、藤田美術館の地蔵菩薩像(58.2cm・快慶と行快の墨書)等が有る、特に
金剛峯寺に於ける2011年の調査で無指定であるが修理中に執金剛神(149.0cm寄木造)が梵字などから快慶の作品と判明した、深沙大将(142.0cm)も同様である。
快慶の作品には署名があり仏師快慶・巧匠安阿弥・巧匠法橋快慶など時代により違う、高野山金剛峯寺で執金剛神立像と深沙大将が快慶を示す墨書が発見され、高野山霊宝館が2011年10月21日発表された。
執金剛神立像(増高149cm)は髪を逆立て片足立ちの姿、深沙大将立像(142cm)は首に髑髏飾り、両ひざに象面を付けている。
快慶の作風の影響は大きく後継者として大報恩寺で活躍した行快や栄快、長快等がある。 法橋
国宝
東大寺南大門 金剛力士立像 1203年(建仁3年)運慶らと共作
東大寺 僧形八幡神坐像 201年(建仁元年)
浄土寺 阿弥陀三尊立像 1195 ~
1197年(建久6~ 8年)頃
文殊院 文殊五尊像 1201 ~- 1203年(建仁年間)(文殊像・像内墨書)
重要文化財
東大寺俊乗堂 阿弥陀如来立像 1203年(建仁3年)頃
東大寺公慶堂 地蔵菩薩立像
醍醐寺三宝院 弥勒菩薩坐像 1192年(建久3年)
醍醐寺三宝院 不動明王坐像 1203年(建仁3年)
石山寺
遣迎院 阿弥陀如来立像 1194年(建久5年)頃
金剛峯寺 孔雀明王像 1200年(正治2年)
藤田美術館 地蔵菩薩立像
随心院 金剛薩埵坐像
浄土寺 阿弥陀如来立像 1201年(建仁元年)頃(浄土寺縁起)
新大仏寺 如来坐像 1202年(建仁2年)(頭部内面墨書)頭部のみ重文
金剛峯寺 執金剛神立像 他多数
ボストン美術館 弥勒菩薩 立像 1189年(建久五年) 現在は快慶最古の作品 。
2008年12月23日 2010年12月22日地蔵菩薩 2011年12月2日東壽院・大御影堂 2012年4月22日藤田美術館他 2013年3月20日文化財指定 2014年1月23日醍醐寺弥勒像金泥 8月21日運慶願経加筆