湛 慶(たんけい)    1173年〜1256年  
                                 仏像案内     寺院案内     佛教年表      佛師 


               

鎌倉初期の慶派の仏師で運慶の長男で七条仏所を統括して活躍した。
彼の作品は運慶の豪快さとは作風が違い洗練された優雅な表現力を用い貴重な存在である。
若年の頃から父である運慶と共に興福寺東大寺の復興造像に従事する、東大寺南大門の金剛力士、吽形からは叔父の定慶と共に湛慶の墨書銘が発見されている、因みに阿形から発見された墨書銘は運慶と快慶である。
東寺
中門・南大門・醍醐寺閻魔堂や高山寺高野山などで造像し、運慶亡き後慶派を統括し、晩年には三十三間堂に於ける千手観音の復興造立の統括仏師となり中尊像等を手がけている、これら湛慶在銘の像は千体観音像中に数体現存している。
また雪蹊寺
(高知県)運慶作とも言われる薬師三尊像の他に湛慶作といわれる十二神将(内十尊)毘沙門天と脇持の吉祥天・善膩師童子などがある。
六波羅蜜寺には運慶775cmと共に肖像があり、共に重要文化財指定を受けている。    法印    


 
 注1六波羅蜜寺の湛慶坐像  79,5cm  木造 玉眼  鎌倉時代    




inserted by FC2 system