韋駄天(いだてん)

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塞建陀天、私建陀(しけんだ)天等とも記述される、梵語のskand (スカンダ) の音訳で「大般涅槃経」「金光明最勝王経(義浄訳)品第十五」には「塞建陀(すけんだ)」とされ、同じ金光明経鬼神品第十三に違駄天との記述がある、但し金光明経・大般涅槃経に像容の記述は無い、五世紀中国の英雄である韋将軍韋叡(いえい)と習合したとの説もある、別名を梵語で跳ぶと言う意味で Kārttikeya (カルッテイケーヤ)と呼ばれる事もある。  

インド土着の神で歓喜天とは兄弟でヒンズー教3主神の一神であるシバ神Śiva)の次男であるとも言われるが、兄より戦闘力があり天軍の武将である、仏教に帰依してからは伽藍の守護神である、本来はヒンズュー教の神で帝釈天を代行してインド神軍の最高司令官を務めるが仏教での地位は低い、バラモンの影響を受けていないタミル地方のドラピタ人系でインド古来からの土着の神とも言われる。
天部尊の中で随一の俊足で佛舎利śarīraを盗んだ捷疾鬼(しょうしつき)を追いかけて捕らえた事から「韋駄天走り」と言われるようになったがインドでは言われていない、巷間言われる韋駄天走りは日本に限定されている様だ。 
四天王
の一尊である増長天傘下(八将)に属する三十二将の主席である。
姿形としての記述は無いが日本では立像で鎧を纏い合掌した手に剣を捧げるか宝棒を横に持つ像が多い、しかし中国では道教の影響を受けた様で剣を地面に突き立てる像が多い、またインドの土着信仰では長髪の若神姿で著される。
日本では子供の病魔からの守護や僧の住居の守護や、食料調達が安心出来ると言う信仰から禅宗寺院では伽藍の守護神として厨房に置かれる場合がある。  
現在に於いて存在する秀像は少なく下述の他に浄空寺
(埼玉県東松山)円照寺(奈良市)などがあるが、独尊での重要文化財指定は岐阜市の乙津寺の一尊のみである、
但し20153月、岐阜の長瀧寺(ちょうりゅうじ)所蔵の韋駄天像が善財童子像(64.5cm)と共に文化審議会から重文指定答申を受けた,因みに1255年湛海が宋から請来した像が御寺泉涌寺の舎利殿には舎利塔の守護者としてセットで指定されている。


真言
 オン ケンダヤ ソワカ  



       
         乙津寺韋駄天像(重文) 

主な韋駄天像 

乙津寺(岐阜市鏡島1328) 立像 木造漆箔  藤原時代                      

泉涌寺 舎利殿(京都・舎利塔の守護者として(がつ)(かい)長者と共に。)                    

●長瀧寺 (岐阜県郡上市白鳥町長滝大門92) 立像  97.3cm 南宋時代 *2015313日、文化審議会(宮田亮平会長)から重文指定答申

 浄智寺(鎌倉市山ノ内、無指定)
 萬福寺(宇治市、無指定)126cm 明国の范道生作
 崇福寺
長崎市、無指定 護法堂)

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