イスラム(教)

 (神の呼び名・アラー・Allāh       説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif                  世界の宗教    ユダヤ教   キリスト教   古寺巡礼    


イスラム教の興りはラー(Allāh 神が大天使ガブリエル(ジブリール・アラビア語)を通して最後の預言者ムハンマドに伝えた啓示すなわちコーランqur’ānに従う宗教である、因みにコーランは大小114章スーラ sūrahから更に、節(アーヤ Ayahで構成されている。 
イスラム教が確立したのは七世紀前半である、成立後一世紀の間にアラビアから出て中央アジア、大西洋に至る巨大かる広大な版図(はんと)が成立させた、その後八世紀のアッパース朝al-Dawla al-‘Abbāsīyaから十五世紀頃までの黄金期に宗教を含む哲学、文明、諸科学に於いて世界をリードした。
ラー以外に神は存在しない、タウヒード
トルコ語・Tevhid, ラテン語・Tawīdとか、アラビア語をラテン語表記でwaḥḥdat-Allahと言い、神の唯一性を強調しシャリーアShari'a即ちイスラム法で護る宗教である、即ち生まれ乍らにイスラム法と言う他律的(独・Heteronomie・ヘテロノミー道徳世界から逸脱は許されない、共同体(ウンマ・umma即ち、トルコを例外として一貫した宗教に依る統治、政治支配下にある。 
イスラムal-Islāmとはアラビア語ʻarabīyahで服従・帰依を意味し、「法の順守」即ち宗教法と即社会の法律・規範と共通している、これは世界の宗教に於いては概ねイスラムとユダヤに限定されている。
通常の個人救済の宗教団体と異なり、ユダヤ教と並ぶ集団救済
(国家)の宗教でありウンマと呼ばれるコミニテーを形成している、因みにウンマummaとは原語ではアラビア語の母を意味するが、現在では民族・人民の共同体の意味に使用されている。 
世界に於けるイスラム教徒即ちムスリム
神に帰依し服従する者・muslimの数は、凡そ1226百人以上とも言われ世界全人口の20%を大きく超え、さらに拡張を続ける巨大宗教である、イスラムの特徴はラー(Allāh の前では国王を含めて地位、出身、国籍、言語などを含めて平等が貫かれている事にある。
七世紀初頭
610年頃)地上に於ける最後の預言者・ムハンマドが大天使ガブリエル(ジブリール・アラビア語)、(ヘブライ語・Gabhr・ガブリエール・英語Gabriel23年間ムハンマドの死亡までに及ぶ伝達された、ラーから与えられた「最後の奇跡であるコーラン」を最高経典すなわち最優先の法源とする、小室直樹氏は言うイスラムの真髄はコーランにあると言う、因みにコーランqur’ānとはアラビア語で読誦を意味する、経典の民だけにムスリムにも予定説がある様だ、彼らのよく話す言葉にインシャラー(inshallah)がある、即ち「神の御心のままに」があると言われている、脱線するが大天使ガブリエルとは旧約聖書のダニエル書に登場する天使で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では共通の天使である、最後の審判で死者を再生、マリアにイエスの受胎を告知している、キリスト教ではミカエル、ラファエルと共に三大天使にカウントされ、ユダヤ教ではウリエルを加えて四大天使としている、イスラムではアズラーイール(アズラエル)を加えて四大天使とする様である
預言者ムハンマドへの神(アラーからの啓示されたとされるが、ダイレクトに正当化したのではない、途中で多くの派閥が形成され集合を繰り返して時代と共に正統と異端は変化した。
コーラン
(アル・クルアーン ‘al・Qur'ān とは新約聖書に遅れる事、約六百年七世紀中盤に完成され114章で構成されているとされるが異説も言われている、一応和文で記述すれば第一章”開扉”から始まり百十三章”黎明”、百十四章”人間”までである、重ねて言えばムハンマドが大天使ジブリールを介してラーの言葉として預言したものである 
‘alは定冠詞である、実際はガブリエルからストレートに預言されたのではなく六百三十二年ムハンマドの死から研究及び確執を繰り返し十一世紀頃に完成された思想で、聖書及び新約聖書すなわち一神教の先発二教を研究し尽くした完成度の高い経典である。
閑話休題、日本ではイスラムの最後の預言者を「ムハンマドMuammad)」とかマホメッドとか呼ばれるがイスラムではクルアーンqurānはアラビア語のみが正統であり、アラビア語のムハンマドが正統でペルシャ語読みの「マホメッド」とは呼ばないほうが無難であろう。 

聖書解釈の相違として一例を挙げれば創世記に於けるアダムが禁断の果実を食べた事によりエデンの園を追放されるのはユダヤ教、キリス教ト、イスラムの三教とも共通である、ユダヤ教に於いては追放されそのままであり、キリスト教では罪を犯したアダムが受ける罰をイエスが担って辛うじて救済されるが原罪が残る、但しイスラムはコーランの啓示reveal)に従えば救われる事になる。  
ムハンマド40歳頃に全知全能omnipotent)アッラーから最初の啓示を受けて三年ほどは親近者相手の伝道であったが、後に衆生に公然と伝道を始めると迫害を受ける様になる、移動を繰り返しメディナに移り預言者として活動する。 
「声を出して読まれる」を意味している、イスラム社会ではアラビア語は神の言葉である、すなわちアラビア語以外は正式にクアーンとは言い難く、異教徒は手に触れる事は出来ないが、日本ムスリム協会発行に拠れば各章の冒頭からイスラムの真髄と言える開扉
(フーテハ)に⑦句がある。
厳しい一神教のイスラムではアラーには親も存在しないし、子供も居ない、コーラン112章に慈悲深く、慈愛あまねきアラーの御名において‐‐‐‐‐‐告げよ、一これぞアラー、唯一なる神、、栄劫不滅のアラーぞ、 、子もなく親もなく、ならぶものなき御神ぞ、の記述がある。 

前後するがコーランは①、「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において」 ②、「讃あれアッラー、万世の主」から始まり、、「あなたが恵みを与えた人々の道に、あなたの怒りを受けて迷う人々の道ではなく」でおわる、アリフ・ラーム・ミーム(呪文か?)と続き、信者としての義務即ち五行六信を始め最後の審判、緑園(イスラムでの天国)と地獄から政治、経済、文化全般に至る事項が114(114スーラ(sūrah)約78千語)に纏められている、重ねて強調するがアラビア語で書かれ翻訳書は厳密にはクルーアンとは呼ばれない,アーンはムハンマドが夫々の状況からくだした啓示を側近達の記憶などにより編集された様で114章からなり、1章、開扉 ・2章、雌牛から始まり113章の黎明、114章の人々で終わる、1は呪で2~4はアラーへの讃歌で5は帰依と続く、またガブリエル(ジブリール)の啓示は長期間(ムハンマドの最初の預言から死まで)に亘る為に年代の特定が定かではなく略長文の章から記述されている。
コーランは内容を理解し記憶する事は重要であるが最重要な事は、神の言葉であるアラビア語で唱える事にある、従って クルアーンを暗誦する為の学校が存在すると言う、またコーランに記述のない事柄を補足する部門に「ハデイース」「スンニ」がありイスラムに於ける二番目の法源とされている、ハデイースはコーランの補足の他に礼拝方法等の仕様書的な意味合いを持っている、因みに
小室直樹氏はイスラム教のキーワードはコーランと言うが、ジハードを加える必要があろう、ジハードjihādと言えば聖戦すなわち異教徒との戦いとの解釈が多いが、本来はアラーの為に奮闘努力と言う様な意味である。
スンニとはアラビア語でSunnah慣行を意味し、最後の預言者・ムハンマド23年間指導した慣行や範例が記述されている、但しスンニは預言者の言行でありアッラーの言行ではない為にキターヴすなわち啓典ではない、他にシャーリアShari'a即ちイスラム法であるが、「水辺に至る道」「永遠の救いに至る道」を意味する。
五行・六信と共に断食・礼拝に於いてアラビア語に統一されることによりムスリムの間に強烈な連帯感が生まれる、因みにア
ラーとはアラビア語のイラーフilāhに冠詞のアルēl・神)が加えられた語彙でヤウエ(神・yhwh)と同意である。
コーランの中で最も重要視されるにのが第一章の一~七節にある、毎日五回の礼拝に述べられる信仰の告白である、アラビア語でなければならないが、敢えての和訳では「慈悲ふかく慈悲あまねきア
ラーの御名において。讃えあれ、アラー、万世の主、慈悲ふかく慈悲あまねき御神、審きの日の主宰者。汝をこそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。願わくば我らを導いて正しき道をたどらしめた給え、汝の御怒りを蒙る人々や、踏みまよう人々の道ではなく、汝の嘉し給う人々の道を歩ましめ給え」である。
アラブ諸国
(シリア・イラク・ヨルダン)西アジア(トルコ・イラン・アフガニスタン)アフリカ諸国(エジプト・スーダン・等)インド亜大陸・東南アジア(インドネシア)・等に於いて拡大を続けている。
最後の審判には通常の肉体と心を持った人間としてア
ラーから審判を受け合格者は緑園に行き優雅な生活を送れる、審判に落ちれば生きた肉体のまま灼熱地獄で過ごす、ここでは佛教のような輪廻転生での救済処置は無い、最後の審判でユダヤ教やキリスト教との相違は前の二教に詳細は無いが、イスラムではムハンマドがラーの前で弁護士を勤めてくれると言われる
同じ「セム的一神教」すなわち「啓典の民」であり旧約聖書という基本ソフトを共有し、同一の神を信仰しながらキリスト教との最大の相違は信仰が己の内面のみではなく行動
(五行)によって具体的に表わす事により、ムスリムとしての資格を有する事になる、因みにセムとはセム語を原語とする世界を言いアラビア語・ヘブライ語・アラム語などが相当する。 

因みに共通項を挙げると1、唯一の神、 2、預言者を介した啓示、経典、 3、神が人間に対して戒律を科す、 4、唯一回の創造~終末である。
イスラム教徒しての要諦は六信と呼ばれる六項目を信じ、五行と言う五項目の行動を忠実に守る事にある。
六信とは
1,
ラー (神)                allah
2,
天使   マラク  複数形 マラーイカ malaaikah
3,
経典  クトウブ  複数形 キターブ  kutub kitaab
4,
預言者 使途達  ルスル  複数形 ラスール rusul rasuul) 
5,
来世  アーヒラ                    aakhirah
6,
予定 運命を信ずる事  定命  カダル      qadar) 


五行とは
1,
信仰告白  シャハーダ  
Shahāda
2,
礼拝     サラート    
alawāt
3,
喜捨     ザカート    Zakat
4,
断食     サウム    Saum
5,
巡礼      ハッジ     ajj    但し六信、五行の内「巡礼」だけは必須の義務ではない。

信仰告白はシャハーダと言い「アラーの他に神は無く、ムハンマドはラーの使徒である」唱える事にある。
礼拝はサラートと言い「神への服従と感謝」に対する行為で一日五回、夜明け・正午・午後・日没・夜半メッカの方角に向かい礼拝を行う。
喜捨は二種類あり一つはイスラム法に定めるムスリム
(信者)の所得・所有財産に対して課せられる課税(ザカートであり所得の1/40を納める義務(その他詳細な規定がある)、一方自発的喜捨(サダカがある、要するにサダカは自由喜捨、ザカートを制度喜捨として区別している
断食はサウムと言いイスラム暦
(ヒジュラ暦に於けるラマダーン月(九月)の一ヶ月間、日の出から日没までいっさいの飲食を断つ(日没後はその限りでは無い)こと、因みにラマダーンは元来はユダヤ教の風習と言われている、ユダヤ教の場合は一日のみで、ヨム・キプルJom ha-Kippurim即ち贖罪の日を言う、レビ記(旧約聖書モーセ五書の一書)に記述されている様で、ユダヤ教に於ける最大級の祝日にあたる、この日には飲食は無論の事、入浴、化粧や総ての労働を禁じられている、閑話休題ラマダーンはムスリムの専売ではなく本来はユダヤ教徒の習慣であった。 
巡礼はハッジュ と呼ばれ、ズー・アルヒッジャ月(十二月)の八日から十日までの間定められた順序と方法でメッカのカーバとメッカ東方の聖地を巡礼することである。
総てではないが六番目の行にジハード
jihād・聖戦)を言う思慮のムスリムが居る、現世の事例は総て神の思し召し即ち、天命(定命、カダル)と解釈しての行動かもしれない、穏健派ムスリムでもビン・ラデンは米国が育てたと言う。
世界三大宗教の内一番新しく発生した宗教で610年ムハンマドが唯一真実の神アルラーの啓示を大天使ガブリエルが仲介して受けた事項をコーランとしたもので最後の預言書とされている、旧約聖書と言う同じ基本ソフトを持つ、ユダヤ教とキリスト教を研究し尽くされ、規範・法・国法が調和しており宗教的には完成度が高いとされる、因みに
最後の預言者ムハンマドの後継者は預言者ではなく代理人すなわちハリーファkhalīfa・アラビア語)カリフCaliph・英語と言う事になる、後にはカリフの決定方法の相違から分裂し凄惨な殺戮も行われた
イスラムに於いてはモーセやイエスを預言者(注7の一人に認知しているが最後の預言者はムハンマドである、因みにイスラムには聖職者すなわち僧侶に相当する人間は存在しない、但しウラマーと呼ばれる法学者が存在し命令を出す。
従ってイスラムに於いてコーランはアルラーから与えられた最後の奇跡である、ムハンマドは最後の預言書であるが故に、コーランは追加変更が不可能である、 サラセン文化
(注8)を生み出した十五世紀オスマン帝国に代表される大いなるイスラム諸国の繁栄も、産業革命を境として経済・工業技術などに遅れをとる事になる。
資源を持たないイスラエルがイスラム圏と比較して現在、経済・医学・工学など優位にあるのはタルムードが最初と最後の一ページを空白として柔軟に対応できるシステムにあるのと無関係ではない、イスラムの場合ムハンマドは最後の預言書であり、以後預言者は現れないが、ユダヤ教、キリスト教は新たな預言者の登場を否定していない。

重複させるがイスラム圏は連帯して断食を行い巡礼(メッカのカアバ神殿では同一の服装であり階級の判別は不可能)に於いて王族も乞食も対等であり国境を超えて連帯感は強烈である。
五行の中の巡礼
(ハッジ)であるがムスリムは三大聖地を目指して巡礼する、ムハンマドの出生地・メッカ・没地のメディナ(以上サウジアラビア)・エルサレムを言う。
イスラムではコーランを頂点として旧約聖書のトーラー五書ダビテの詩篇・新約聖書の福音書も経典に数えられる、昨今イスラム教徒の残虐性が報道されているが
(最近のイスラム国を除いて)、異教徒や異端を虐殺したキリスト教徒(十字軍)と違い征服地域に於いて異教徒の存在を認めている、租税の額など差別は存在するが異教徒の惨殺は行わない、重ねて言えば同じセム的一神教のキリスト教との相違はイエスの神性を断固否定するが福音書を評価し預言者と認定している事に在る、神性の否定はコーランに記述があると言う、即ちラーには生みの親、妻も子供も無い(112章)と明記されていると、イエスとムハンマドは同じ預言者であり両者の相違はムハンマドの場合は最後の預言者と云う事である,ムスリムはユダヤ教徒やキリスト教徒を「啓典の民」として親しみを持ち制圧地に居住することを許してきた、アブラハムの宗教すなわち啓典の民(注6)とはイスラム支配地に住みコーランと同様に旧約聖書を基本ソフトとするユダヤ教徒やキリスト教徒を言う、ムスリムもやはり異教徒には厳しい、因みにキリスト教とイスラム教は70%が共通との指摘がある、ここで異端heterodoxyヘテロドキシーと異教の概念に付いて述べると、異端の場合は啓示、教義、信条を共有するが支配する教派では無い即ち正統orthodoxy・オーソドキシー)からの離脱派閥を言う、閑話休題マリアに付いては一人の正直な女性程度の評価である。
コーラン5の食卓章
(アル・マイーダ)-8 には60ラーが見放された者、お怒りを被った者、猿や豚として現わされる者、邪神に奉仕する者とされる-----、に記述が有る様でユダヤ教徒達の怨嗟は強い。
宗派としては概ねスンニ派、シーア派がある、スンニ派
Sunnah、慣行)は大多数を占める宗派で伝統すなわち慣習等を重要視される、少数派であるがイラン、イラクを拠点としたシーア派はムハンマドの女婿を後継者と主張した宗派でシーアとは党派との意味を持つ,因みに偶像崇拝を否定するムスリムであるが、シーア派ではホメイニ師・ハメネイ師等の肖像写真が観られる、因みに両派の間でデタントDétenteは起らないと思惟される。
イスラムはムハンマドが最後の預言者であり、正統と異端の間に変更は無いはずであるが、時代や地理的状況により変化が見られる。
ムスリムでもシーア派はホメイニ師等の肖像写真を容認しながら偶像崇拝を否定するが佛教徒の側から見れば「仏像の造像は肉眼では見ることが出来ない仏の法身」すなわち宇宙に於ける聖なるパワーを受け止める為の崇拝像である。

スンニ派とシーア派の分裂原因は最後の預言者ムハンマドの死後、最高指導者(カリフ)の選出法の相違からである、シーア派がムハンマドの娘婿のアリーを推したのに対して、スンニ派はカリフ(英語 Caliphの選出を主張した事による、カリフ(アラビア語khalīfa) とはムハンマドの代理人として選出された者を言う、因みにシーア派ではイマーム(imām)と呼ばれる。
その他イスラムにも特異な宗派は存在する、一例を挙げればシーア派の一派とされるが神即ちアラーは最後の姿すなわち人間の姿で現れることがあるとする、シリアではアラウィー派は全人口の1割程度であるがシリア全土を制圧している、因みにムハンマドに預けられたコーラン最後の預言者の言葉であり、ダーウインの進化論等は否定されている。
重複させるがイスラム帝国は千年以上もの間、世界に於ける経済、文化等の上で中核を占めていた、バクダッドは世界経済の中心として貢献した、天文学、化学、代数学然りである、しかしルネッサンスを境に進化に乗り遅れる事になる、原因は不詳であるが最後の偉大な預言者の言葉
(コーラン)を変更できない事が一因かもしれない、20世紀ユダヤ人のノーベル賞受賞者の数は群を抜いている、ユダヤのタルムードは未完成の形をとり各巻2頁目から始まり最後の1頁を余白としている、最初の頁はタルムードを読もうとするユダヤ教徒自身の経験などが書き込まれる様に構成されている。

歴史的にイスラムは好戦的と言われるが、「右手にコーランを、左手に剣」はキリスト教のプロパガンダpropagandaであると小室直樹氏は言う、但し初期イスラムの教義形成期の戦いでは常勝軍団であり異教徒に対して強者の哲学を顕示し続けている、要するに統治には政治と宗教は完全に一致しなければならない、ムハンマドはモーセやイエスと違い最初から宗教と政治両面の指導者であった、要するに聖書マタイ伝22章21節の様に「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」ではない、ジハードjihādに付いて特に日本では「聖戦」と訳されるが本来の意味は努力とか奮闘を意味する、「アルラーの道に於いて努力せよ」であり戦闘を意味していない戦闘と解釈されたのは十字軍の影響と言える 
ムスリムはキリスト教等と比較して異教徒に対して寛容である、一例を挙げればスペインではイスラム教社会を征圧したキリスト教徒はジェノサイト(genocide)を行ったが、イスラムの場合差別はあるが、極一部の例外を除いてジェノサイトは観られない、但しムハンマドに対する伝承と相違する記述には宗派を問わず敏感sensitiveな反応を示す。

近年イスラム教と言えば残忍なイメージで報道されるが「目には目。歯には歯。」は聖書の記述である、レビ記24章に「---かりそめにも人を打ち殺す 者は、必ず殺される。動物を打ち殺す者は、いのちにはいのちをもって償わなければならない。もし人がその隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたと同 じ様にされなければならない。骨折には骨折。目には目。歯には歯。人に傷を負わせたように人は自分もそうされなければならない。動物を打ち殺す者は償い をしなければならず、人を打ち殺す者は殺されなければならない。
自分がした行ないにしたがって、それと同じ報いを受けるように主は定めておられます。---
と記述がありイエスはこれを否定したが一神教の特徴かも知れない
「タウヒード」即ち一神教概念は強烈である、
因みにタウヒード(トルコ語、Tevhid・ラテン語、Tawīdとはイスラムに於ける世界観としての一神教概念を言う。 
この完成度の高いイスラム教は日本人に受け入れられる事はなかった、1938年頃コーランが邦訳され70名程に信者が存在したが、天皇を敬いコーランを日本語で唱え六信五行を順守するものでは無かった、これはラーのみを唯一信ずるイスラムと八百万(やおよろず)の神を頂く日本人とエトス
(文化面に於ける遺伝子)の違い、及び最澄・法然・親鸞・日蓮など鎌倉佛教の流れの中において戒律を無くした佛教に馴染んだ民族には六信と共に「五行」を遵守する事を必要条件とするイスラム教が日本に浸透する事は未来的にも無いと思惟される。
もう一つ日本人がイスラムに入信しない理由として過酷な砂漠の生活に無知であり、既に大きな確率でコーランの言う「緑園」すなわち天国に住んでいると言える、即ちコーランの言う緑園でのセックス等を除けば身近な処に豊富な水源から清流が流れ、豊富な森林と木陰に恵まれ果実や鶏肉は自由に食べられる緑の薗に住んでいる為かもしれない、豚肉を食す事が禁じられているのは肉食動物関連が禁止されており、雑食の豚も同じ範疇にあるのかも知れない、豚を除く草食動物(牛、鶏、兎等)の肉は日本に多いがハラール(halal)作法を行ったムスリムの食べられる食品は少ない、
ハラール作法による食物規制は厳しいが、元来はユダヤ教のコーシャKosherを参考にして様である。   ザビバー(zabihah) 

・経典と聖典に付いて、ラーからムハンマドが受けた啓示即ちコーランが聖典であり、第二聖典とも言える書籍にハディースがある、ムハンマドの言動を文字化し纏めた重要な本であるが、神(アラー)からの掲示でない為に聖典と言うには疑問がある、教祖すなわち釈迦如来から聞いたという経典は佛教の如是我聞‐‐‐‐に相当する、即ち佛教には聖典は存在しないと言える。



1, ムハンマドMuammad メッカの地に生まれ貿易商社に勤め、25歳頃に経営者の未亡人と結婚、後にメッカ付近の洞窟に於いて瞑想に入るようになる、そこに大天使・ガブリエルが現れアルラーの啓示を聞く。
イブン・ヒシャームに依ればムハンマドの50代祖先はは旧約聖書に現れるアダムであり、箱舟が41代祖先がノア、31第祖先がアブラハムと言われている、
ムハンマドとはアラビア語で「賞賛する」「称えられる」を意味する。  


2, ガブリエル(Gabriel)  ヘブル語で神の人の意味を持ち、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の天使で(神意の伝達者)の役割を果たす。旧約聖書ではダニエルに幻の意味を説明した(ダニエル書)。また新約聖書ではザカリヤに現れエリサベツがバプテスマのヨハネをみごもることを告げ(ルカによる福音書)マリアにキリストの降誕を教えた。キリスト教ではミカエルと共に重要な天使の内に数えられる、ガブリエルは中性的な容姿で翼と光輪をもち、イスラム教に於いてはムハンマドにアッラーの啓示を与えた天使とされる。  


3, 宗派はスンニ派とシーア派に大別される、分裂の動機はカリフ即ちムハンマドの後継者の選択方法の相違からで、教義の解釈では無い因みにシーア派は「十二イマーム派」が主力である

スンニ派が80%(10億人強)を占める、両派の教義上の違いはシーア派(19千万人)の指導者(カリフ)はムハンマドの血縁者に限られる以外はコーランの一部に解釈の相違がある程度で日本に於ける東西本願寺程度の相違と言われる、但しシーア派には殉教と言うキーワードがテーマとして存在すると言う記述がある。 

注4、イスラムで認める重要な預言者
Nəbhī'īm nevi'im, ネビーイーム)にアダム・ノア・アブラハム・モーセ・イエスがあり最終の預言者にムハンマドがある。

注5、開扉(フアーテハ)
1、慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において 
2、讃えあれアッラー、万世の主 
3、慈愛あまねく慈悲深き 
4、審判の日の主宰者 
5、我々はあなたをこそ崇め、あなたにこそ助けを求めます 
6、我々をまっすぐな道に導いてください 
7、「あなたが恵みを与えた人々の道に、あなたの怒りを受けて迷う人々の道ではなく 。
       

6、啓典の民 イスラム世界で使われる用語で「啓典(聖書)を与えられている民」を意味し、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒を言う、
同じ神を信仰する一神教の異教徒に敬意をはらった用語で多神教徒と差別している、アラビア語のアフル・アル・キターヴと言い、アフルは民・アルはTheに相当しキターヴは啓典を言う、イスラムに於ける啓典とはモーセに与えられたトーラー、ダビテに与えられた詩篇、イエスに与えられた福音書、ムハンマドに与えられたコーランがあり、コーランが第一の法源である。
アブラハムの宗教とは創世記五章・十章に依れば、アブラハムの子孫でノアの箱舟に乗った三名の息子、「セム」「ハム」「ヤペテ」、即ち三大民族の祖先となる、アブラハムの宗教即ち三宗教は「砂漠の一神教」「聖書宗教」「啓典宗教」等々の呼び名がある。

7、 預言者と予言者 預言者とは神からの預託を受けた事柄を伝える人を言い、予言者とは呪術者を言う、通常預言者はノア・アブラハム・モーセ・イエス・ムハンマドを言いイスラムにおいてはムハンマドを最後の預言者としている、従ってイスラムに於て「ナザレのイエス」はキリスト(救世主)ではなく預言者の一人として認定されている。

8
サラセンとは欧州に於いてイスラムを呼称した言葉で、語源は定かではないがアラビア語のシャルクsharq()、サフラーa(砂漠)などがある

9、 ムスリムは
礼拝の後に99回、アラーを称える言葉を数珠の一種、タスビーフtasbih)を使って唱える、内容は、神聖な全能の神 (スブラーナッハー・Subhanallah) を33回、アラーの偉大さ (アル=ハムドリッラー・Alhamdulillah)を33回、全能のアラー(アッラーフアクバル・Allahu Akbar)を33回の合計99回である。 
  

イスラム宗派の概略  

  

学                 派

国                   家

   備        考 

     語     源

 スンニ派

ハナフイ―・シャーフイ―・マ―リキー 

サウジアラビア・トルコ・インドネシア等大部分 

 ワッハープ分派  

慣習 伝統 9割を占める

 シーア派

 12イマーム・イスマーイール・ザイド 

 イラン・イラク・アフガン・レバノンの一部 

 ムハンマドの血縁者のみが指導者 

ムハンマドの血統

イスマイール派

イマームから分離 

 インドその他

 神秘主義的教説            

シーア派の一派  

 ドルーズ派

 

 レバノンの一部

 イスマイール派の分派  

 シーア派の一派 

 アラウィー派

 

 シリアの一部

 アリーに従う者 

 シーア派の 系統 

 ザイド派

 イマームから分離 

 イエメン

   

   


                                     

   

       説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif        古寺巡礼(寺院案内)    仏像案内     ジャイナ教      ユダヤ教     キリスト教    世界



2007717日クルアーンの構成 2014年12月29日 2015年月17日一部 9月15日Tevhid他 2017年3月3日加筆

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