らくがき庵

               説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif          古寺巡礼(寺院案内)     仏像案内       佛教      

古寺巡礼をライフワークの一環として古刹寺院の仏像を訪ね歩いた、京都・奈良を中心に散策しながらノートに落書きを繰り返し、その間にほんの少しの読書で得た曲学阿世(きょくがくあせい)一知半解(いっちはんかい )の知識を基に論理的な探究意識も無く書き込んだ備忘録に手を加え「らくがき庵」と題して仏像寺院建築等をテーマに仏教についてのガイダンスguidanceを試みたいと思う。
信仰の心と静寂を求め、耽美(たんび)叙情詩(じょじょうし)の世界に浸る等、また
讃歎(さんだん)(梵語・parikīrtayāmi パリムミューチュアルしながらの・古寺巡礼・仏像称歎の散策も楽しいのであるが、より楽しく古刹等を散策しながら、古都を彷徨(ほうこう)し遊ぶ為にも仏教を少し勉強することが興味を倍増させる意味でも大切であると思う、世界の宗教は政治、文化、哲学等々で国際的事件に関与している事を知る事になる、また日本の文学作品に対する理解の手助けになる場合もあろう、我々は千四百年の伝統を持つ日本の宗教(仏教)を浅略的にでも知る必要がある、但し教義は難解な哲学が多い、しかし良寛が「良寛禅師奇話」で述べた”師曰く、わかるだけにて事足れり”(注17、学ぶプロセスprocessを楽しみながらの方式で進んでみよう、また複数の宗教を理解する事は急速にグローバル化globalizationする環境に順応出来る要因になるかも知れない、釈尊の教えで述べるが仏教、特に大乗仏教budhismと訳すのは誤訳と主張する人がいる。
日本仏教や僧侶に付いて薬師寺の元管主で20世紀最後の怪僧と言われた橋本(はしもと)凝胤(ぎょういん)18971978年)は「日本佛教は宗教に非ず」、「空海が唐から将来したのは仏教ではない、空海は新興宗教の開祖である、彼はずるい人だ」「最澄という人、あれは物を知らない人だ」、とまで言う、因みに橋本凝胤の空海評に関連するが,密教をEsoteric Buddhism(エソテリック ブッデズム)と訳せば秘儀・秘教すなわち呪であり、釈尊の教義から著しく乖離する事になろう、「日本佛教は宗教に非ず」であるが、通過儀礼rite of passage パッサージュや、佛教的な儀典、表現、用語を継承するだけの空疎(くうそ)な組織が多い事も事実と言える。
橋本凝胤師が空海を誹謗するには理由がある、
空海の密教と顕教の位置付けを著した著作で空海最大の力作と言はれる「秘密曼荼羅十住心論」と簡略本「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」で日本の宗派を十ランクに分け、法相宗のランクを”他縁大乗心”すなわち真言宗よりも四ランクも下に於いた事に在ろう、これは日蓮の四箇格言よりも屈辱的な格付けと言える、因みに四箇格言とは「念佛無間」「禅天魔」「真言亡国」「律国賊」である
白話(はくわ)
小説・西遊記で著名な玄奘は印度に於いて仏教を学ぶ内で密教を「異道」と呼び正当な仏教と評価していなかった、但し密教徒を「外道」すなわち異教徒とは観なかった様子が覗える、閑話休題、密教は梵我一如(注14の肯定である、しかし釈尊の佛教は梵我一如の否定から始っている、閑話休題、白話とは中国の口語文
(通常の話ことばに近い口調で漢詩等の文語文の対極)を言う。
”王法仏法相依論”はともかく現在の仏教は王「不毛仏教」「有耶無耶(うやむや)仏教」「名字比丘(みょうじびく)たちの佛教」と言われない様な仏教を構築する必要がある、要するに儀礼と作法だけを継承する仏教を回避しなければならない。   
仏教は終生「行」を勤める宗教である、確かに日本佛教は経典を呪文程度としか解釈せずに佛教理解の初歩的な努力を怠る仏教徒が大勢を占める、宗教とは聖と 俗は不可侵の関係が必要であり峻別されなければ成立しない、しかし日本仏教界は聖は一部の例外を除き完全に俗化している、日本仏教には今枝由郎氏の言う 「仏教として超えてはならない、逸脱が許されない」状態が厳然と存在する(ブータンから見た日本仏教・今枝由郎・NHKbooks、漢訳経典に疑問を抱き梵語の原典を求めてチベットに留学し「在家仏教」等を著し僧籍を離脱した河口慧海18661945年)も痛烈に批判している。
「仏教とは何か」概略を知るために、一時期を除いて世界的に稀有と云えるほど宗教に対する選択の自由を許された国に生きながら、長い歴史の中で権力機構に対して従属する事に慣れた日本の教団に所属し、佛教
(寺院)とは葬儀・法事等々死者を供養する組織、所謂「通過儀礼(イニシエーション・initiation」のみに頼る仏教としか理解しない人が多く存在している、但し通過儀礼は厳密に観れば宗教と言えない。
儀礼佛教に埋没しながら信者としての自意識のなかった我々日本人の宗教観と世界に於ける宗教の一般常識と如何に隔たっているかを知る必 要がある、また己の信仰する宗教を理解する為には異宗教、異文化を学ぶ事によりさらに深めることが出来るのではないか、ある偉人の言葉を宗教に置き換えれば、一つの文化圏の宗教を学ぶだけでは、その宗教をも理解したとは言えないと考える、また信仰は教義を学ぶ事から始まるものではない。 
宗教を比較するには各民族の発生以来育まれた歴史文化的DNAや行動様式
(Ethos・エトス)の相違から夫々の国に於ける常識から来る宗教観が構築された事を知らねばならない、蛇足であるが行動様式を民族の持つコスモロジーcosmology・宇宙論)と置き換えても良いかも知れない。
カトリック・プロテスタント・イスラーム・日本教
(注11、夫々の国のエトスの中で成長過程について知覚・認識・学習する事から生まれる行動様式が異なる事実を、ある程度把握できると思う、但し宗教及び神仏は人間が創造するのであり逆はあり得ない、そこで人間達が興した世界三大宗教を中心に仏教以外の宗教との比較から入っていく事にする。
今回はセム的一神教すなわちユダヤ教キリスト教イスラーム教・なども少し学んで見たい、比較宗教論と言う程ではないが、教義を無視出来ないのは、この三教で世界総人口の過半を占めている為でもある、閑話休題、正木晃氏に依ればギリシャ風すなわちヘレニズム(Hellenism)と異なるセム的一神経を”へライズムの神”(Hebraism)とも言われる様だ。 
小室直樹氏は「宗教と言うものはこの上なく恐ろしいものである」と言う、小室氏は言う、一神教すなわち経典宗教にはドグマ
dogmaすなわち教義が厳しい、宗教はここから狂信が起こる、神の命令は絶対である、古来より現代まで神の名の下に恨みもなければ己の利益にも無関係の人々を惨殺する、宗教戦士即ち Religious militant(リリジャスミリタント)の戦いには採算や休戦は度外視される、しかし初期の仏教徒は一神教の”光あれ”の一言で世界を創造した神の存在を認知する事は無い
宗教の要諦は「世界の宗教」編で述べるが、宗教の構造のみでなく国家権力も行政と司法が完全独立している国は日本を含めて極めて少ない、宗教が世界の歴史を左右してきた、今後も宗教を中心に世界は動くであろう。
又宗教は苦しい生活及び外圧など非常に厳しい環境の中でのみ偉大な宗教は誕生する」とも言われる、これが宗教理解のキーワードであるとも言えよう、また故山本七平氏は宗教イコール飼いならしと言う、世界の宗教を俯瞰(ふかん)すれば将に正鵠を得ていると思う。
山折哲夫氏は一神教の起源が砂漠に関係があることによるとされている、自然的景観の荒涼たる砂漠では、地上から超絶する天上の神が祈願 の対象とされたからであると言う、現代人の目線から見れば正鵠を得ているが、当時のユダヤ人が一神教を選択した真意は古代ギリシャ哲学、即ちヘレニズムHellenismに 対するアンチテーゼ(Antithese)とも考えられるが、ギリシャの奴隷から解放するに為に民族の団結を必要としての一神教であろう。
この砂漠のセム的一神教、即ちヘブライズムは農耕社会に基盤を有する多神教と対比される、しかし歴史的には農耕文化との接触によって偶像崇拝や多神教的な要素を取り入れていった、たとえばカトリック
Catholic教会やギリシャ正教会が取り入れた聖書に記述されていない三位一体(注19やマリア崇拝等が相当する。
なお日本では仏教を著しく世俗化した制度、即ち幕府の寺檀制度(注4 danapati  ダーナパテー)を施行し、寺請証文
(注12を義務付けた事もあるが、近世以降流入したキリスト教の信徒は本地垂迹説(注6に馴染んだ行動様式と多神教的風土と、信長の比叡山や一向宗攻撃により政教分離がなされた事もあり、これ等の厚い壁にはばまれてキリスト教は日本人口の1% を超えることがなかった、カトリック文学者・遠藤周作氏の「沈黙」に拠ればフェレイラ司祭の言葉として「この国は沼地だ、‐‐‐‐‐この国は考えていたよ りもっと恐ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる、葉が黄ばみ枯れてゆく。‐‐‐‐‐我々はこの沼地に基督教という苗を 植えてしまった。」と書かれているが根が腐り葉も黄ばむとの見解もあるが、日本と言う沼地(エトス 行動様式)に於いては名称に変更はないが植えた種子とは異質な遺伝子を持った物質、すなわち「日本教キリスト分派」と 言う花が収穫される様に造成されていると考えられる、フェレイラ司祭の心境は日本と言う池に落とされたキリスト教的な心持であろう、また芥川龍之介の「神々の微笑」に於いて老人が神父に言う様に「我々の力というのは、破壊する力では ありません、造り変える力なのです」、まさしく日本教と言えよう、また翻訳に付いて ”日本語と言う池に落とされた聖書の言葉” と言う人も居る。

脱線するが「造り変える力」について野球を例にとれば、メジャーリガー曰く野球とbaseballの相違が言われるが、日本は硬式野球を将来したが、軟式 野球も創設し競技人口は「造り変えられた」軟式野球人口が多数である、ルールは総て同じであるが戦術に関する内容は完全に異質競技である、但し野球と baseballの相違など「作り替え」の内に入らない。 
如何なる国も外国から受容した哲学を、自国の持つ文化的遺伝子と言うフィルターを通して変容するが日本教と言う薫習(くんじゅう)を浴びた日本人の場合は著しい、以前保文化庁長官を務めた青木氏の言う「混成文化」即ちシンクレテズムsyncretismが 育まれる、この状態を井沢元彦氏はヒンズー教徒が絶対に食しない牛肉入りカレーや無国籍な創作料理を考案する日本は宗教上のガラパゴス諸島とまで言う、ま た別の視点から五木寛之氏は「総ての宗教は伝播の過程に於いて、その国の風土と民族の持つ根の部分にかかわらずには定着しない----即ちそれぞれの国の風土と歴史の中で磨かれて、新しい仏教(宗教)になる」と言う意味の事を言われる。 
ユダヤ教キリスト教も異教徒
paganペイガニや異端者hereticヘレティック・無神論者atheist・エイシスト)を惨殺している、ブレーズ・パスカルBlaise Pascal16231662年)は「人は宗教的確信に促されて行う時ほど完全に、また喜んで悪事を働くことは決してない」と言うが、ヨシュアによるカナンの地で原住民の老人から幼児までの皆殺し(ホロコースト holocaust)、ローマ・カトリックによる異教徒・異端の火焙り等による惨殺、新約聖書に忠実なカタリ派(注1に対する残忍の限りを尽くした十字軍の行動、大航海に於ける現地人の皆殺し、プロテスタントProtestantでもユダヤ教徒の殺害、1572年に仏国でのサン・バルテルミMassacre de la Saint-Barthélemyの残忍な虐殺等、数え上げるに際限はないほどである、ここで異端heterodoxy・ヘテロドキシー)と異教の概念に付いて述べると、異端の場合は啓示、教義、信条を共有するが支配する教派では無い即ち正統orthodoxy・オーソドキシー)からの離脱派閥を言う
19
世紀前半の英国の牧師で作家でもあるチャールズ・カレブ・コルトンは「真の宗教は犯罪1件を食い止めるが、偽りの宗教は千件の犯罪の口実を与えてきた」と言う。
ホロコースト即ち「焼き尽くした貢物」を意味する様で、ヨシュア達の行動は神の命令を忠実に実行したとすれば神の善悪基準と人間の持つ規範との隔たりは著しい。
これは元来が狩猟民族の行動様式である殺戮・殺人など日常茶飯事であった民族を宗教というオブラートに包み込んだと言えなくはないだろうか。
宗教もインド、日本など比較的肥沃な地域に於いて発生した宗教は概ね過激な争いは好まない、しかし殺伐とした砂漠地帯の宗教は偉大な宗教を生み出しているが宗派間の確執は強烈である、イスラームに例をとればシーア派とスンニ派の相違は浄土真宗で言えば東西の本願寺
(正式には本願寺と真宗本廟)程度の相違である、真言宗に例をとれば高野山真言宗と東寺真言宗程の相違でしかない、但しスンニ派にしてみれば、ホメイニ師のブロマイドを容認する等、やや偶像崇拝に寛容なシーア派は許せない存在かもしれない、但し日本に於いても過去に例外がある、親鸞を祖とする浄土真宗が信長の攻撃を受けた折に、真宗高田派は信長の側に付いた、因みに現在は両派とも真宗連合の有力メンバーである、また天台宗に於いても山門派(円仁 延暦寺)と寺門派(円珍 園城寺)の千年に及ぶ確執や、延暦寺から出た浄土宗や浄土真宗への攻撃などがある。
農耕民族で古典的な民俗宗教の神道を遺伝子に持つ日本人の場合は怨霊を封鎖する狙いもあるが出雲大社・法隆寺・天満宮等に代表されるように、争いは存在したが敗者を丁重に葬り談合による国譲りの神話や聖徳太子伝承を残す民族との相違は大きい。
また日本人は「死ねば仏」と言う文化的遺伝子を持っている事は今昔物語の蟹満寺縁 起等で知られている、文永・弘安の役で死んだ敵国兵士を自国の武士と平等に扱い、鎌倉の円覚寺を興して追悼する等、仇敵・悪人とされた人と言える人でも死者に 鞭を打つ行為は行わない、しかし道教、儒教を信仰する中国の例をとれば相違は著しい、宋史の記述には周辺国である金等の侵略に対して、時の皇帝から精忠岳 飛と称賛され、杭州の岳王廟に宋の「なだる英雄」として抗戦派の岳飛
(注5が丁重に葬られている、但し岳飛を陥れ休戦に導いた和平派の宰相・(しん)(かい)夫婦の像が縄目に懸けられている、この像は憎しみの宰相に罵り唾をかける目的で置かれている、但し金史にはこの記述はない、もう一例を挙げれば武人・関羽を奉る関帝廟(道教)の参詣者は門前市をなす程多いが、孔子廟の参詣者は少ないと言う、すなわち中国人は武闘派を英雄視する文化的遺伝子即ち中華思想を育んでいる。 
中華思想は周辺国を侮蔑的な文字を宛てて自国の優位性を著した、周辺国すなわち五方之民の侮蔑呼称は東夷東方の異民族) 南蛮南方の異民族西(にゅう)(西の異民族)(にゅう)(北の異民族)北狄(ほくてき)(北の異民族)と呼んだ、その他吐蕃(チベット) 烏蛮(うばん)(イ語族、古くは四川省) 白蛮西南夷・タイ系、チベット系があり、日本でも邪馬台国(やまと)卑弥呼(日巫女)等がある。
作り変える事に巧みな国も多い、言論の自由は無論の事、管理、統制を著しく厳しくして、批判に対しては内政干渉の一言でかわし、恐ろしいディストピアdystopia社会に引き込む国がある。 
また各民族のエトスが宗教化するプロセスに付いて梅原猛氏の見解が面白い(梅原猛の授業・仏教・朝日新聞社)、一神教の流れにある宗教は小麦農業・牧畜農業を主管とし人間中心であり自然を支配して森を破壊し砂漠化した、一方多神教社会は米作農業・養蚕農業が主で水も森も大切であり自然との共存の上に成立していた。
梅原氏は自然破壊の歴史を持つ一神教
(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教)と仏教やヒンズー教とのもう一つの相違に釈迦の自然死とキリストの虐殺とを取り上げておられる、一神教(啓典宗教)文化圏と多神教文化圏の根本的な相違の根幹はこれ等に有るのかもしれない。
政治はむろんのこと宗教も爛熟期を過ぎれば儀礼(ぎれい)祭祀(さいし)等は形骸化し腐敗堕落するものである、ユダヤ教の中からイエス・キリストが出たのもカトリックの中からカルバン(Calvin)やマルチン・ルターMartin Luther、南都仏教の流れから平安仏教・更に比叡山
天台法華宗から浄土宗真宗禅宗系・日蓮宗・など出現したのは腐敗堕落とマンネリズムによって宗教団体としての活力と浄化作用を無くした事にも一因があると言える、閑話休題、日本佛教は江戸時代の寺檀制度で失った活力を修験道が補っていた、修験道の活力は「生活佛教」であり「教義佛教」の要素は微小であった事にもあろう、因みに修験道とは正木晃氏に依れば「日本古来の山岳信仰に、神道・佛教・道教・陰陽道が習合して呉越同舟すなわち混淆(こんこう)して成立した日本固有の民俗信仰」を言う。
寺檀制度であるが仏教の教義的には大きな疑問点であり、本来の目的は政治政策である、寺檀制度は寺の世襲化と幕府から檀家の戸籍台帳の整備を命じられた事により公的に権益が肥大して企業化し葬式仏教と揶揄されるようになる、最澄による事実上の戒律の廃止、法然親鸞に拠る他力本願の異色解釈などが原因の一事と言えよう、すなわち他国の浄土教は大無量寿経の四十八願を平等に扱うが日本に於ける浄土宗や真宗に於いては18願~20願を重要視している、さらに徳川幕府による戸籍の管理を目的とした檀家制度(注4の他に、明治政府では教団による指令ではなく太政官布告すなわち1872年明治政府による僧侶の妻帯等(注8の許可により、出家と在家との境界が無くなり世界的に見て仏教とは認知出来ないほどに変貌をとげる、要するに出家と言うタームは死語になったと言える、 この太政官布告は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で国家神道を興隆させる為の明治政府の作為とされている、しかし神仏習合の文化は現在も存在するし信仰宗派を質問されると神道か 佛教か返答に迷い「無宗教」と答える日本人を増やした様である、末木文美士説に依れば、明治政府の宗教政策は右往左往していた「神道を国教化しようとしてうまくいかず、教部省を作って、その中心に仏教を組み込んで、いわば神仏を合体させて、国家の統制下に置こうとした」と言う、因みにひろ さちや氏は憲法で信仰の自由を謳いながら、1868年(明治元年)には神仏習合を破壊する「神仏判然令(しんぶつはんぜんれい)」や1870年(明治3年)から十四年間にわたる「大教宣布(たいきょうせんぷ)」で国民を拘束する国家神道は宗教ではないと言う。
養老孟司氏は日本人の無は”諸行無常”の無であると言う、佛教は胎内に入ると「無」にな ると言う意味合いである 、従って日本人が己を無宗教と発言しても諸外国の無宗教理解とは著しい相違があり「神への反逆者」ではない、因みにイザヤ・ベンダソン
(山本七平、注11は日本教は世界で最も強固な宗教と言う、閑話休題、大乗佛教をプロテスタントと同根との解釈する研究者を見るが、結果的には建前重視の逆転現象と観る必要があろう。
日本人の宗教観に付いて、ギリシャ出身の日本研究者で英語教育に尽力した、パトリック・ラフカディオ・ハーン・小泉八雲18501904926日)は「この様な 心の優しい 深い愛を持って神仏を崇拝する民族は居ない」と言わしめた
日本にイスラミックセンターを設立したスーダン駐日特命全権大使のオマール・サイート氏は「カフィル即ち無信者はいない、元来から信仰は個々が持っている」と言う。 
徳川時代の檀家制度は身分保障等々の既得権益を寺が持つ様になると、僧侶は行・布教に努める必要が無くなる、宗派間に於ける競争原理を完全に排除する事により所属する宗派への帰属意識を含めて宗教的な活力が失われた。
現代の日本人は生を受けた時点から仏教宗派に所属していたユダヤ教徒やイスラーム教徒と同様に宗教の言う概念は無い、したがって無宗教と 言う日本人は多いが、決定的な相違はユダヤ人やムスリムは幼児の頃からタルムードやコーランを必須として学ぶ、日本は寺子屋が発達しており江戸時代には識 字率は英仏を上回る世界有数の高レベルであった、宗教に該当する教育
(武家は儒教、庶民の寺子屋は佛教)も 学んでいたが神道と佛教は習合しており神仏は垂迹した形態を理解していた、明治政府による神仏分離令を受けても神道か佛教かの選択を拒んだ、しかし日本政 府による国家神道の強制がサイレントマジョリテイー(silent majority 沈黙の多数派の間で厭宗教感が広がり、第二次世界大戦後には「無宗教」を呼称する日本人が増えた、その結果は正月等 に御宮参りをし、結婚式をキリスト教会で、親の葬儀や法要を仏式で行いながら無宗教を口にする様になる、しかし仏壇と神棚のある家に生まれた日本人は無宗 教ではなく日本教徒(注11である。
国家神道の強制であるが、梅原猛氏に依れば「儒教を変形した忠君愛国の思想に神道を少し加味した思想の強要である、教育勅語は儒教でも神道でも無い十九世紀に於ける欧州の国家主義の模倣」と言う。
大日本帝国憲法は信仰の自由を認めている、第28条”日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ於テ背カサル限リ於テ信教ノ自由オ有ス”と記述されている、神仏判然令や大教宣布などで国家神道を強制するのは国の最高法規である憲法に違反していた。
第二次大戦後に於ける日本は仏教徒の範疇に入るが義務教育に於いて仏教や仏像の招来年代や高僧名等を学ぶが仏教の要諦や経典の内容を学ばせる事は無い。  
仏教においては僧侶の妻帯・セックスは戒律に於いて明確に否定されている、個人的見解として僧侶
(出家ではない、注10の 婚姻には賛成である、理由は出家による佛教では僧院中心に偏り世情との分離した宗教になり融通無碍な文化的遺伝子を持つヒンズー教に凌駕されたインド佛教 の轍を踏むことになろう、また自身も釈尊佛教に対する原理主義者ではないと言うことである、僧侶の妻帯を批判すれば現在に始まった事ではない、一例を挙げ れば 薬師寺の景戒による「日本霊異記」822年頃)に依れば奈良時代既に妻子を持ち金融を手掛ける僧侶がいたと言う、また12世紀前半東大寺の大法師・尊覚の場合四人の子供と後妻との間で遺産相続争いが起きている。 
婚姻制度に対する可否は宗祖・教団が決定すべきであり太政官牒
(注8・すなわち為政者により決められて行動すべきではない、現在では婚姻僧の存在は土着の世俗行者の流れを内包したチベットに於けるニンマ派の一部分、と基本的に日本のみである、因みにブータンに例をとればゲロン即ち出家僧とゴムチャン(在家修行者)とは厳然と区別されており僧侶とは認知されない、ただ日本仏教の場合は既に既成化されていた事に加え、757年の僧尼令(そうにりょう)以来行政の指示に慣れた体質であることは否定できない。
臨済僧・無住道暁12261312が 沙石集の中で述べているが、後白河上皇の言う「せぬは仏、かくすは上人」と言われていたが、与謝野晶子の詠んだ様な出家者は現在どれほど居るのだろうか、 「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君」、日本の僧侶の多くは在家に課せられた「三帰五戒」
(注15すら守らぬ人が多い、葬儀、法要を世襲による家業とし、在家の無信心者と変わらない聖職者が多いのも否定できない、禅宗の言う「般若―()無作(むさ)妙用(みょうゆう)」とは隔たりが大き過ぎる、因みに正木晃著 呪文に依れば平安時代後期には僧侶の八割が事実上の妻帯者であっと言う。
ユダヤ教のラビ・プロテスタントの牧師が妻帯するのとは根本的に違う、即ちラビも牧師も在家者であるからである、ただし真宗、浄土真宗の場合親鸞は公式に妻帯宣言しているのと、阿弥陀如来と言う絶対の存在に帰依している状態であり解釈は分かれる、閑話休題、ローマ教皇・
アレクサンデル6Alexander 1431年~1503818日)の様に自分の隠し子を教皇にしようと画策した教皇も存在する
拙宅には仏壇があり両親や故娘の位牌がある、在家仏教徒の範疇にあるが宗派に固執する意識は無い、むしろプロテスタント的な思考から神父ではなく牧師的存在として僧侶の婚姻を是としている、但し熱心でない在家仏教の反省として「在家仏教」河口慧海
(元大正大学教授)・日高彪著、慧文社)は仏教が活力を失う一因としての一説を記述す る。 「寺院殿堂は仏教の名と荘厳とで飾る悪魔の殿堂である。自詐自詐をなす団体の住処である。美名を以て虚偽生活の害毒を流す源泉である。今なお国家や 社会はその美名虚偽に欺かれて、高位高爵や、広大なる土地や、堂々たる建築物や諸種の特権を与えて、かかる悪魔を優遇して居る所を見ると、国家も社会も精 神的には全く盲目でありまた低能であることが知れる」。氏は具足戒のみを戒としている様で過激な主張であるが聖職者へ懺悔の念を込めて一読に値しよう。
現在以下の様な名字比丘が存在する事は否定できない、所謂最澄の著作と言われる「末法燈明記」では破戒僧以上と言える僧侶の衣装を着けた最初から無戒の僧侶姿を「名字比丘」「名字四衆」と蔑んでいる様である、四衆とは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷絵尾言う。 
日本人は仏教を取り入れるが古来より巫師(ふじゅつ)祈祷師(きとうし)に依って成立しているシャーマニズム
shamanismを母体とし、稚拙な文化すなわち文字を持たず祭を主体とした八百万の神を持つ神道は仏教の多神教と、本来の姿(本地)を具体的(迹)な姿に変える本地垂迹説の採用により神仏習合即ちシンクレティズム
syncretismがなされ古代神道は否定される事は無かった、日本書記には欽明天皇551年頃)
日本に於ける仏教史の面から見ると、宗派、宗祖、祖師の哲学、思想に限定されている様子である、諸教混淆
syncretism即ちヒンズー仏教儒教道教、神道が習合及び交錯を無視されている、また触穢(しょくえ)物忌(ものいみ)葬送(そうそう)服喪(ふくも)、神祇信仰等も同様である、聞くところに依ればシンガポールには一か所の礼拝施設にキリスト教、イスラーム、儒教、道教、仏教の礼拝所が存在するという、日本人が神社と寺院を参拝することを非難する思考は太陽暦solar calendarと共に一神教、とくにキリスト教の影響が強く浸透している為とも言えよう。 

啓典宗教
(正典)は宗教混交を断固否定するがインドの婆羅門(バラモン)にはカーストは存在するが多神教(異論はある)であり、中国に於いても510世紀にかけて会昌の破仏(注9を含み四度の法難、即ち「三武一宗(さんぶ いっそう)の 法難」が起きたが、初期に於ける中国仏教は「格義仏教」すなわち老壮思想を根幹に理解を進められた事もあり、唐時代には「仏儒帰一・仏儒併行」と言うか三 教合一論すなわち制度的倫理を強調する儒教、民族の習俗を言う道教、多様な内面を言う仏教が調和し正統な国教的と言えた、三教の論議を通じて調和し唐の宗 教は安定していた、我が国の佛教が唐の影響を受け移入されたのはこの時代であり、蕃神(ばんしん)すなわち舶来の神に対する興味や、視覚に捉える 事が出来る仏像と言う偶像が如実に表される仏教に対する驚きもあり、比較的無理なく受け入れられた、因みに三教を縦割りに分類して比較する事は困難であり 三教は重層構造を為していると観た方が妥当と言えよう、仏教の漢訳された熟語や経典名は完全に近い形で重複している、一例を挙げれば三界、三世、輪廻、解脱、等々のタームや「金光明経」「三元無量寿経」「本行因縁経」「太上中道妙法蓮華経」など識別困難と言える。
三教一論
桃花酸(とうかさん )と言う酢を舐めて顔をしかめる・儒教の蘇軾(そ しょく)1037-1-81101824日)・道教の黄庭堅(こう ていけん)1045-11-81105930日)・仏教の仏印(ふついん)禅師?-1098年)の三人を描く「三聖吸(さんせいきゅう)(さん) 図」等の絵画にもあらわされている、因みに老荘思想とは道家の碩学・老と荘子の哲学を集合したものを言う
また空海が参考文献として利用したと思惟される
道教経典に「太上-乗海空智蔵経」略して「海空智蔵経(かいくうちぞうきょう)」と言う経典がある、しかし海空智蔵経は「涅槃経」「維摩経」「摂大乗論」「像法決疑経」等の仏教経典を典拠としている様である。
漢民族社会は現在に於いても祠廟(しびょう)すなわち日本に於いて神社に相当する廟は各所にある、仏教と中国古来の老荘思想は共通点がある「儒仏道三教一致」「浄禅一如」の思想も浸透していた、即ち三教は論争を繰り返しながら互いの長所を吸収した、現在に於いて仏教・道教・儒教の神々が仲良く混在しており参拝者には三教を区別する意識はないと言う、日本人の本地垂迹説との共通項がここにある。
オランダに於ける中国研究の第一人者で「中国の仏教伝来」の著者であるエーリク チュルヒャーErich Z¨urcherの比喩を要約すれば中国に於けるピラミッドの頂点は・道教・佛教・儒教と複数あるが、麓に下るにしたがい混淆して境界は不明になると言う。(儒教、仏教、道教 菊池章太 講談社)
日本は次に述べる一時期を除いて外来宗教に対して最も寛容な国である、明治政府は教育を天皇教とも言える国家主義を採用して国論の一極集中を試みて以来、 廃仏毀釈、神仏分離令を発布して不可分一体の関係にあった寺と神社を「諸事神武創業」に組み込み、前面に国家神道を標榜して、諸宗教を拘束した、被害を受 たのは寺院に留まらず習俗信仰的な神も遺棄された。
更に法学・工学・医学など実学すなわち技術立国の構築に力点を置き発展したが、宗教学は呪術・迷信・怨霊信仰と混同して嫌悪され恣意的に軽視された、哲学 も日本古来の思想を蔑ろにして外国の思想哲学の翻訳・分析学であり独自の学問ではなかった、もう一つ重要な原因に平田神道
篤胤(あつたね)・ 水戸学を中心とする富国強兵を標榜した明治政府はキリスト教国家を参考にして自然崇拝的な神道を国家神道に仕立て上げ半ば強制したのが第二次世界大戦後に 大衆から背を向けられた、従って現在に於いても特定の宗教に傾注する人は国家神道に対するアンチテーゼから疎外感的視線で見られている、さらに日本に於いて仏教各宗派曹洞宗を除いて政治権力と常に従属して来た歴史を持つ事も原因に挙げられよ
日本には宗教は無い、日本人は宗教に対してだらしが無いと言われるが、日本人は芸事・武術・スポーツ・教育にまで「道」を求め精神修養 の名の元に宗教化する民族も珍しい、一例を挙げれば「浄禅一如」「剣禅一如」を転用して高校球児に「球禅一如」と教えたりする、しかし多くの日本人の心の 中には吉川 英治が小説の中で宮本武蔵に言としての「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」があると考えられる。    
故中村始氏は「日本人には狭い人間関係を重視する傾向があり、それが極端な形態をとると超国家主義となる」と言う。
また故山本七平氏等に拠れば決して無宗教民族ではないと言う、神道、仏教、儒教等との習合は三教共、本地垂迹に馴染み多神教である為に自然無意識に受容したとも言える。
多神教に付いてスーダン共和国駐日特命全権大使でムスリムのムサ・モハメッド・オマール・サイート氏は日本の場合、多宗教国家であると言う、しかし文化的遺伝子から観れば日本教に於ける分派行動に過ぎないと言える。

近年、山本氏(注11の造語と思われる熟語に、我々の持つ歴史文化的DNAすなわち行動様式に対して「日本教」とよく言われる、小室直樹氏は日本人キリスト教徒を日本教キリスト分派にすぎないとまで言う,日本人のキリスト教徒は聖書に記述される「天地創造」やイエスが行ったとされる奇跡を文字や言葉で理解出来ても日本教の文化的遺伝子を持っては体感する事は不可能である。
所謂日本教には宗派は選択の自由がある、しかし日本教に於ける総ての宗派に世界宗教のイスラームや儒教の様な・規範・基準・マニュアルが存在しない。
鑑真は艱難辛苦の末日本に仏教と言う種子を植えた心算であったが、日本教と言う根に
仏教を接ぎ木した結果に終わった。
日本人の持つ文化的遺伝子は与謝野晶子や松尾芭蕉のうたに代表されよう。
「聖書だく子 人の御親の墓に伏して 弥勒の名をば夕に()びぬ」  
「花にそむき ダビデの歌を()せむには あまりに若き我身とぞ思ふ」 みだれ髪より。  
閑話休題、ダビデDāwībc1000年~bc961年)とはイスラエルの第二代、王の事か聖書であろうか(聖書、詩篇第一巻、第十八編を読んだが不詳)
「月影や四門四宗もただ一つ」 松尾芭蕉が善光寺に於いて詠んだ句とされる。
わが国では日本教が存在し宗教に不可欠な戒律が あるとすれば聖徳太子の十七条の憲法にある、和をもって尊しとする、に尽きるかもしれない、また先祖伝来の宗派や本尊に対する拘りも見られない、四国霊場 を例に取れば、当然ながら真言宗が多いが26番札所の金剛頂寺で詠われるご詠歌「往生に望みをかくる極楽は、月の傾く西寺のそら」、即ち阿弥陀如来の浄土 を望み、しかも本尊は薬師如来である
(真言密教の本尊は大日如来)。                            
特に日本に於いては怨霊信仰が際立っている、芥川龍之介の「神々の微笑」を初め多くの人々が述べている、法隆寺・出雲大社・天満宮の創立縁起や平安遷都等は怨霊信仰を除外しては説明できない、日本には仏教伝来と前後して道教の流れの中で陰陽道が請来されており、平安時代には阿倍家・賀茂等の陰陽道家が確立され内典・外典の祈祷が行われた。
ただ小室氏に因れば世界中の人々の死生観は宗教によって拘束されるが、日本人には無いと言う、但し日本に住んで好い事はクライヴ・ウイリアムズ・ニコル
Clive William Nicol・日本国籍取得)氏の言う「宗教からの自由」が日本にはある事と言えよう。    
又梅原猛氏は日本人の宗教観がキリスト教的な感覚になっていないかとも言われる、確かに我々は意識の中には無いがヨーロッパのキリスト教文化・文明になれ親しんだ面と哲学を強要された面がある、太陽暦
(キリスト教暦)を含めてルネッスサンスrenaissance 文化、資本主義の論理・デモクラシー(democracyの概念・基本的人権・など全てキリスト教、特にプロテスタントの精神を源としている、哲学の強要面から考察すれば、これが継続する限り西欧文化に対して過激的な一部のムスリムの怒りは消えないとも言える。
前述のキリスト教的な感覚に付いてはイザヤペンダソン(山本七平)に依れば、日本人はキリスト教歴を西暦と訳したと言う、確かにイスラーム歴を常用する国や、中国は民国○○年である、日本では主に元号(明治・昭和・平成)が使われている、またイスラエルでは宗教行事に於いてはユダヤ暦を使用すると言う。
本来日本人は国家主義的なエトスは持たず自然崇拝的な宗教観の所有者のはずである、日本で初めての宗教関連法として明治元年3月17日神仏判然令が公布されても神仏混合は無くなる事はなかった。
日本人が採用した近代化、文明開化は欧米化したが、思想哲学に於いて旧来からの日本教徒である。  
それは明治以前の日本人には仏教も神道も同一の宗教と言う感覚しか存在しなかった為でもある、一度の政令が出された程度では人間の行動様式
(ヱトス)・宗教観が変化するもので無い、20083月には近畿一円の150社寺が延暦寺に集合して「神仏霊場会」が発足して神仏の相互協力が確認された。
ただ日本人には十七条の憲法にもある様に和を最優先にするエトスが生まれた為に一個人の権力一極集中・絶対主義を否定し談合を好む、天照大神でさえ絶対神では無く平時は機織機(はたおりき)(注18に向かっていたと言う、八百万の神信仰が日本人には適合しており、明治政府が意図的に干渉した天皇を担ぐ国家神道も一部を除いて馴染まない、神道は国民信仰である、靖国の思想とは異質な信仰である。
ヨーロッパ等啓典宗教国では宗教法が優先するが我が国では宗教法はなく世俗法であり神官、僧侶、儒学者共に貴族など一部例外を除いて特別待遇はなされなかつた。   
しかしイスラーム教国では現在でも宗教法であり細部の行動までコーラン等に規定されている、イスラエルでは民法は宗教法であり生まれながらにしてユダヤ教徒である、イタリアの場合民法があるが教会法が優先する場合が多い
(教会法に反すると婚礼、葬儀、は出来ない)トーラー即ち旧約聖書の創世記~申命記までは古代の法律書である(最古はBC900年頃、五書の完成は紀元前444年頃)
ユダヤ教は自然法的「拘束社会」であり日本では人間は自然にとの思想が大多数を占めており「非拘束社会」即ち宗教教団から拘束される事なく自由である。 
キリスト教国では教会法から脱宗教法社会となり世俗法の時代を経て変化したがドイツでは現在でも教会税が課せられている。
政治と宗教の癒着、決別が論議される事があるが政治と宗教の分離及び癒着だけでなく、国と教会
(バチカン・寺院)との分離及び癒着と峻別する必要があろう。

聖書は事実上の法律書である、全能の神との一方的契約で多くは何々してはならない等否定の書でもある、世俗法が出来て政教分離が出来たのは宗教改革以後のことである。
啓典宗教
revealed religion・リビールド・レリジョン)国と所謂日本教との違いはメートル法と尺間法との関係に似ているといわれる。(山本七平氏・宗教について・PHP研究所)啓典宗教社会はメートル法(1メートルは不変、最高経典も不変)的行動様式であり一方日本の尺間法(曲尺、鯨尺、奈良尺、等)は人間の生活を基準にしたものである。我が国では最初の憲法と言われ聖徳太子によるとされる十七条の憲法ですら法律書ではなく官僚に対する倫理・規範・等の教育書的メッセージに過ぎない。
啓典宗教国は自然法的拘束社会であり日本等の仏教的社会の場合は人間・万物は自然にとの拘束否定社会であった。
次に各宗教の比較を簡単に行ってみたいと思う。
また一神教(monotheism)即ちユダヤ教、キリスト教、イスラームの神からの啓典宗教
(啓示 reveal )リビールとその他の宗教とに分類することが出来る、啓典宗教とは絶対の神(omnipotent)一人称であり最高経典が明確な宗教を言い基本的に偶像崇拝を否定する、その他の宗教の多くは多神教であり、又経典も多様なものが多く偶像を崇拝するものが多い。 
宗教とは何か、研究者の数だけの説があると言われるが、一言に要約すれば「人間はいかにして生きるかを説き実践する哲学」である、釈尊は仏教という宗派を興す意思は無く、修行者・宗教者に真実の道を示したに過ぎないと言う説がある。
経典宗教圏に置いては宗教を持たない人間は野蛮人と見なされると言う、要するに人間として如何にして生きるべきかの哲学を日本人はしっかりと持つことが必要ではないか。 
我々は他人の信仰に関心を示さないが世界的には重要事項である、総てではないが入国ピザに宗教を記入しなければならない国は相当数ある。
日本人は経済の高度成長以来生活は大変豊かになったが、官僚機構すなわち秀才集団は組織保身に偏り、リーデングカンパニーと言える企業ほど責任感とモラルを失い、ラベルと違う商品を販売したスーパーに購入もしない商品の返金を求めて殺到する庶民の人間個々の心は著しく貧困になった、此処 に於いては道徳・倫理・宗教は機能していない、この様な組織の中に於いては期待を委ねられる天才の誕生は無い。
古寺を散策しても観光客が多く豊かな寺院の僧侶・奉職者に信仰の場所に奉職する者としての心の貧しい人のいる寺が見られる。  しかし訪れる人の比較的少ない信仰の聖地とも言える雰囲気を持つ寺を訪ねると救はれる思いがする。

もう一つの課題として米国の国際政治学者サミュエル・ハンチントンは二十一世紀のテーマに「文明の衝突」を挙げている、しかし文明の衝突(注16ではあるがセム的一神教(啓典宗教)同士の衝突collisionが不可避ではないかと思はれる、また黄河文明の生んだ中華思想にも注目の必要がある、世界は文明と言うより「宗教の衝突」である。

宗教の衝突イスラームの過酷さはEmotiona
エモーショナル・感情的)l現代日本語では「即きれる」(憤怒症候群・anger syndrome・憤怒調節障害)と言える、一例を挙げれば、コーラン5の食卓章(アル・マイーダ)-8 には60、アッラーが見放された者、お怒りを被った者、猿や豚として現わされる者、邪神に奉仕する者とされる-----、云々とありユダヤ教徒の怨嗟は強い。
ニュー ヨーク貿易センタービルのテロ行為の対抗手段としてブッシュ大統領は十字軍を派遣すると宗教無智な不用意とも思しい発言をした、十字軍がイスラーム教徒など 異教徒や異端に如何なる行為を行ったか承知しての発言か否かは不明であるが、これは請来キリスト教文化対イスラーム文化のユダヤ教を巻き込んだ大規模な宗教 間の対決を覚悟する必要があるのではないか。 
またユダヤ教・キリスト教・イスラーム教がエルサレムを聖地とするかぎり紛争が絶える事は無いであろう、国家間に於いて利権を争う戦争の 場合はコストに見合わなければ妥協が成立する、しかし宗教間の紛争に収支計算は無い、特に一神教の場合には宗教間の妥協は逆賊になる場合が多くあり信仰の ために戦い、信仰のために死を選択するが信仰のために生きる事は無いと言う、宗教戦士即ちReligious militant
(リリジャスミリタント)に妥協は無い。
米国の著名なテレビ伝道師・パット・ロバートソン
pat,robertsonはユダヤ教徒とは連帯可能であるが、ムスリムとは不可能と言う、しかし米国在住のユダヤ教のRabb、マービン・トケイヤーmarvin,tokayerは真理の専売を主張するキリスト教の連帯は困難と言う、またユダヤ教は佛教、ヒンズー教、神道等とはトラブルを起こさないと言う。
テ ロに関する事例でオサマ・ビン・ラデイン等はムスリムとしての戦略を誤っているのではないだろうか、米国はプロテスタントの国であるがカトリックは無論の こと、白人以外の移民でムスリムの父を持つ大統領が生まれる懐の広さをもっている、米国に於けるムスリムも少数派ながら700万人に迫る信徒が存在すると される、最近ホームグロン‐テロ homegrown terrorが頻発するが悪循環以外なにものでもない。 
財力と時間を必要とするが米国人になり星条旗のもとでコーランを誦し、テロではなく信仰で持ってイスラームの影響力拡大を画策した方が確実であったと思はれる。 
第一次世界大戦は一人の暗殺から勃発した、1914628日のサラエボ事件、すなわちオーストリアのフランツ・フェルナント皇太子夫妻の暗殺からである。
ユダヤの人々の手法は異なるが通信事業のロイター・金融業のロスチャイルド・報道のピューリッツアー等々の様に米国内外の国に於いてイスラエル国家の基盤 を固めている、因みにムスリムは不浄の左手で神聖なコーランを持つ事は無い、因みにアメリカ合衆国大統領は憲法に於いて”国教”を認めない中で聖書に手を 置いて宣誓する、それほど遠くない未来に聖書ではなくコーランの上に手を置き宣誓する米国大統領が現れないとは言えない、閑話休題オサマ・ビン・ラデイン と言う名前は最後の預言者ムハンマドに従った弟子の「オサマ・ビン・ゼイド」にあやかり、命名されたと言う。 
ドイツ人哲学者で精神科医でもあり彫刻研究の碩学カール・ヤスパースKarl Theodor Jaspers1883年~1969226日)は「歴史の起源と目標」の中で佛陀、ソクラテス、孔子、イエスの時代を枢軸時代(Achsenzeit、英Axial Ageと呼んだ、人 間の哲学・宗教的な規範は第一枢軸時代、即ち紀元前800~紀元前300年の間に出来たとされる、即ち孔子、老子、ソクラテ ス、釈迦等々、偉大な思想家や哲学者を輩出している、世界中で人間の行動様式は宗教を基盤としており、これを否定する事はできない。
仏教は発生から伝播の過程に於いて宗派を問わず唯一大きな血を流さなかった哲学であり期待したい、梅原氏の言う「未来の人類に道を示す哲学の創造」即ち世界的に新しい枢軸・規範を構築した宗教・哲学の誕生が待たれる、歴史的に観ても混沌したアナーキー
anarchyな時代に偉大な哲学・宗教が生まれている、それには仏教の持つ哲学、即ち「十善戒」(注7)の多くを中心とした人間としての規範は欠く事が出来ない。   2002 10 月 

現 在の日本は世界から俯瞰すれば「アメリカ合衆国日本自治区」的な存在でしかない、紀元前に文化・哲学において世界の最高峰に位置していたエジプトからユダ ヤの人たちを捕囚の民から救済するために過酷とも言える一神教を誕生させたような哲学・文化を生み出す必要があるのではないか。  2006822
偉大な哲学・宗教及びその祖(モーセ・孔子・釈迦・イエス・ムハンマド)は激動の混乱期に既存のパラダイムparadigm・規範)を破棄して誕生している、第二枢軸時代と言える現在に於いて求められるのは新しい哲学かも知れない。  2011920日        
世界は資本主義から社会主義に移行し更には理想と崇めた共産主義に幻滅の悲哀を感じる、そこで求めた宗教にオームの様なまやかしを観た現代人を救済する哲学は存在するのだろうか。
仏教の分類について近年、宗教人類学者で駒澤大学名誉教授の佐々木宏幹氏は「教義佛教」と「生活佛教」に分類し、教義佛教に偏重した事が衰退に導いたとしている、
正木晃氏が言うように古来より大衆は高尚な哲学を有した「教義宗教」を求めるのではなく、現世利益の「生活宗教」を求めている。(現代の修験道・中央公論新社)
現在日本に於いての新宗教仏教宗派と言える教団をランダムRandomに挙げると神道系と仏教系に概ね限定されるが・天理教・大本・生長の家・立正佼成会・霊友会・創価学会・世界救世教系・PL教団・真如苑・阿含宗を挙げることが出来るが・念仏宗(佛教之王堂)にキリスト教系の・ものみの塔を加える必要があるかもしれない。   

近年脚光を浴びているムーブメントにmovement・運動)1960年代にベトナム出身の禅僧 ティク・ナット・ハンThich Nhat Hanhが創めた、佛教徒が社会問題に取り組むエンゲイジド・ブッディズム運動すなわちEngaged Buddhismmovementがある、日本に於いても浄土真宗、曹洞宗等々で活発化してきた、また女性を中心に社会的、文化的なセックス(sex)即ちジェンダー(gener)宗教が変革を果たすかもしれない。



1, カタリ派Cathares  1012世紀頃中世ヨーロッパに於いてカルカソンヌ城を拠点として、南フランスや中部イタリアで信仰を広げたキリスト教の異端派で14世紀十字軍による宗教集団の全員抹殺すなわちジェノサイドgenocideにあって消滅する。 

カタリとは清浄派の意味で禁欲的な戒律を標榜した、ジェノサイドに遭い不詳な部分が多いが二神論を基本教義とし旧約聖書を否定し新約聖書に対して原理的に忠実な教派で十字架はイエスを殺害した悪のモニュメントであるとして拒絶した。
原始キリスト教の生活をそのまま実践しようとする原理主義的な意志を示し、二神論教義も根拠は新約聖書にあったとされる、即ち天主とイエスを神とする教義であるが、創世記・126節に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう、そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」と書かれ、明らかに神が二人称以上の複数形で述べられている事に関連するかも知れない。
以前にもイエスの神性を否定したアリウス派(256336)やマリア崇拝を否定したネストリウス派(~?431)等々も異端として迫害された。  


2、日本の怨霊信仰について 法隆寺については「隠された十字架・法隆寺」(梅原猛著)  東大寺等に付いては「拙HP仏教経典編・金光明経」を、全体的には「日本史再検討」(世界文化社・井沢元彦著)を参照願います。

3 、カースト ラテン語の castusが語源でありBC10世紀以前からインドに存在する身分制度で「家柄・血統」と訳され、一族のすべては生涯変更される事はない。釈迦はカーストについては梵我一如(永遠の至福・万物の絶対永遠性)と共に否定したが、仏教の影響力の衰えと,ヒンヅー教の興隆により復活た、現在では法的には廃止されたが事実上は生きている。
基本的には四階級と言われるが、事実上は五階級に分類され、さらに夫々が細かく分類される、移住した狩猟民族のアーリア人は上位3位までを占め4位にドラピタ人など先住民が位置した。
1 ブラーフマナ・バラモン(婆羅門)司祭と訳され聖職に付き式典の祭主を勤める。  brāhmaa   
2 クシャトリアと呼ばれ王族・貴族・武士などを指す。               ksatriya      
3 ビアイシャと言い平民を指す。                            viaśya            
4 シュードラと言い賎民を言い卑しいとされる職業に就く。            śūdra  
5 アチュートとかダリット(Dalit)と言いカーストの枠内に入れない不可蝕賎民で職業に就く事も出来ない階層を言い、約一億人に上ると言う、戦に敗れ奴隷にされた先住民等を言い非人間扱い即ち家畜以下の扱いを受けている、アチュートはヒンドゥー教徒でありながら寺院や公共施設に入る事を許されない、インド人口の25%近い数を占めると言う。 
この司祭階層の主宰する祭式をバラモン教と呼ばれたが、佛教やジャナ教が台頭すると衰えを見せるがカースト制度は維持された。西暦2〜 3世紀頃非アーリア的な神々や信仰形態を取り入れ大衆の支持を得ることに成功し宗教的融合を果たしてヒンドゥー教の成立をみた。当初バラモンは第4バルナのシュードラを差別・除外していたが、農民大衆をシュードラとみる傾向が一般化した為にシュードラ差別を改めて彼らのために祭式を挙行するようになった。
バラモンと佛教の関係 釈迦如来は梵我一如の宇宙哲学を否定し無常、人間的論理を駆使して佛教を成立させるが後に興った大乗思想はバラモン思想を華厳等の教派として一体化する。
インドに於いてはカーストと輪廻転生は車の両輪でありインド思想社会を構成していたと言える、どのカーストに生を受けるかは前世・前々世からの業により決められておりキリスト教の様な予定説は存在しない。 


4、檀家制度 寺檀制度とも言い語源は梵語のダーナパティ(danapati)の音訳で檀那に繋がる、起こりは公家衆が菩提寺を持った事を嚆矢とされる、1637年 島原の乱を教訓に徳川幕府の切支丹禁制を目的として完成した制度で行政府の役割を持つ、徳川幕府が国民を掌握・監督の必要性に迫られ指定した寺に登録させ「宗門人別帳」などで管理する為 に作られた、これは戸籍台帳でもあり婚姻・旅行などには寺請証文が必要とされた、僧侶の世襲化と檀家制度により寺院に行政機関としての権益が発生した、更に葬祭供養業と言 う営利組織になった処も少なくない。   

5岳飛(がくひ)秦檜(しんかい) 12世紀前半の南宋の武将、当時南宋は女真族などの異民族に侵略を企てられるが、悉く岳飛が撃退する、これを和平派の秦檜宰相の謀略で1141年に獄殺される、中国では現在でも関羽と共に救国の英雄として祭られ尊敬を集めている。 
秦檜(10901155)とは南宋の宰相で侵攻する金と和議を締結した、抗戦派の岳飛達を排除し獄死の追い込んだ為に後世奸臣(かんしん)とされた、岳飛を祀る廟の入り口に縄目に懸けられた秦檜夫妻の像があるが唾を吹きかける為の像と言われている、但し宋史に書かれているが金史に記述はない。    

6本地垂迹(ほんちすうじゃく)説  神仏習合で土着の神々は仏(如来・菩薩明王)の仮の神梢で現れる事で同一の尊体であると言うこの場合 (ごん)が用いられる。
使用例として徳一最澄による三一権実論争の様に何れの主張が真実か仮説(権)かの議論に使われる様に権即ち仮の姿を言う、代表使用例に 蔵王権現 ・東照権現 ・権大納言等がある。

7、十善戒  ・不殺生(ふせっしょう) ・不偸盗(ふちゅうとう) ・不邪淫 ・不妄語(ふもうご) ・不綺語(ふきご) ・不悪口(ふあっく) ・不両舌(ふりょうぜつ)(二枚舌の禁止) ・不慳貧(ふけんどん)(物惜しみするな) ・不瞋恚(ふしんい)(怒るな) ・不邪見(ふじゃけん)(邪な考えの禁止)。

8、太政官布告  1872年(明治5年)425日の太政官布告133号で肉食、妻帯、長髪を認めた、「自今僧侶肉食妻帯畜髪等可為勝手事」(僧侶肉食妻帯蓄髪等勝手タルベシ)。
但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事」(今より僧侶の肉食妻帯蓄髪は勝手たるべき事、但し法要の他は人民一般の服を着用しても苦しからず)、定かな統計とは言えないが平安時代既に於いて隠し妻を持つ僧侶は80%と言われている。

9、会昌の廃仏とは844年(会昌4年)仏舎利供養の禁止、布施の禁止、仏教寺院を道教寺院に吸収等がある、これは仏教にのみはなく、景教、マニ教(摩尼教)、
(けん)(きょう)(ゾロアスター教・拝火教)等にも適用された。 

10、出家とは完全に家庭すなわち眷属から離れて具足戒を遵守する事である、 文字を逆にすれば家出であり意味合いを同じである、現在の寺院の多くは在家であり代表的な古刹と言えども世襲に近い、家柄が存在する状態である、但し一概 に総てを否定するものではない、要するに管主として適した人材か否かであろう


11、日本教 山本七平氏と米国人のジョセフ・ローラ・ユダヤ人のミーシャ・ホーレンスキー三人共同のイザヤ・ベンダソンと言うペンネームで発表された「日本人とユダヤ人」(角川書店)及び山本七平ライブラリー⑬の中で使われた熟語。

12、寺請証文 
寺請証文は檀那寺の僧が檀家各人について自分の寺の檀家であり切支丹でない事すなわち檀徒証明した証文を言うが、人々は管理下に置かれ葬式仏教を助長した。

13、 仏教はモーセやイエスの様な奇跡を否定する、但し「五神通」を認めている、しかし五神通の使用を厳しく戒めていた、五神通とは修験や禅定で得た 神通能力を言う、①天眼、②天耳、③他心智、④補作智(自由に移動や姿を変えられる)、⑤宿命通(神通力)を言う、しかし雨乞い会や護摩会もこの範疇に入 る。

14、 梵我一如(ぼんがいちにょ)とはウパニシャッド(Upaniad・奥義書)とも言いバラモン教最高経典であるリグ・ヴェーダ聖典(gveda)に於ける神々への賛歌の内にあり「宇宙を支配する原理、ブラフマン brabrahman 」と我すなわち「個人を支配する原理」(アートマン Ātman)が同一とする哲学で、至福すなわち覚りの境地に至る不二一元論 advaitaと古代インドのヴェーダ聖典(Vedaは言う、釈尊はインド古来信仰の梵我一如を否定して佛教を立ち上げるが、密教は梵我一如そのもの   


15、三帰五戒とは 三宝すなわち仏法僧に帰依し、五戒とは、不殺生(ふせっしょう)戒、 不偸盗(ふちゅうとう)戒、 不邪婬(ふじゃいん)戒、 不妄(ふもう)語戒、 不飲酒(ふおんじゅ)戒。

16、サミエル、ハンチントンが挙げる世界の八大文明とは*黄河文明 *ヒンヅー文明*イスラーム文明 *日本文明 *東方正教会文明 *西欧文明 *ラテンアメリカ文明 *アフリカ文明を挙げている。

注17、良寛禅師奇話「余、問う。歌を学ぶ、何の書を読むべしや。師曰く、万葉を読むべし。余曰く、万葉は我輩、解すべからず。師曰く、わかるだけにて事足れり」。

良寛は常不軽菩薩に心酔しながら政治に無関係で、漢詩、和歌、俳句等に優れ書は空海と共に日本の二大書家とも言われている、また日本最初のインド哲学を東京帝国大学で教鞭を執った原担山(はらだんざん)曰く「永平高祖以来の巨匠」「我朝、仏学の蘊奥を究めしもの、空海以下、唯この人あるのみ」と言う。


注18、 
天照(あまてらす)機織(はたお)りの仕事について労働する「神」は、日本に限られる現象との記述をみるが、日本人は働く事は生甲斐であり軽視しない、儒教、キリスト教社会を含む、多くの世界ではでは労働は卑しい苦役と見なされる。

19、 三位一体Trinity・トリニティー・personaとは父なる主、イエス、聖霊が一体であると説くキリスト教に於ける多くの宗派の根幹となる思想であるが、一神教であると言う、但し同じ一神教を標榜するユダヤ教、イスラーム教では聖書に記述されていない三位一体は認めない、三位一体にマリア崇拝を加えると四神教になると言う人も存在する、キリスト教を一神教と認知できるのは理解でなく信仰であろう。



加筆日2004920日 2005116日注4、 2006711日本地垂迹 2006822日 923日注4  2007411日  1117日遠藤周作以下四行 2010123日 20111118日一部 2012514日念仏宗 713日 814日 1122日 2013519日注11 2014420日 201539三聖吸酸図他加筆 119日寺檀制度既得権益 201615日 5ガル19日  626revealed religion 918日 106日 1030日注18 201724日 2月7日忠君愛国思想 3月18日注19  4月16日 4月18日  6月23日 9月10日  11月5日 2018年1月25日 12月28日 2019年1月24日 11月14日 2020年8月1日 2021年1月29日ヘブライズムの神 2021年5月8日 5月18日 6月1日 12月25日 2023年5月10日加筆    

 

 


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