戒律

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佛教修行即ち覚りを得る為の三大必須行に、(戒律 梵語śīla, パーリ語sīla シーラ 習慣)(禅定・dhyāna, ディヤーナ 瞑想(智慧(梵語プラジュニャー・prajñā、パーリ語パンニャーpaññāの三学がある、その筆頭に位置する戒律(シーラヴィナヤ・śīlavinayaは信徒として僧俗ともに遵守しなければ為らない必須事項である。
日本人が伝統的に苦手とする戒律の順守は、悟りを開く為のエッセンシャル(essentia)すなわち絶対に必要不可欠な条件である、仏教の場合も例外ではない、しかし仏教発祥国インドから各国に伝播するに従い国情の相違もあり乱れた、その中で戒律に厳しい律宗と言う宗派が中国で生まれた、四世紀の中国の僧・法顕のインド行き、鑑真が艱難辛苦の末に来日したのも仏教には”正しい戒律”が不可欠な条件であった事による。
仏教の教えでは主な煩悩(ぼんのう)、即ち「三毒」trivi
aトリヴィシャ貪り(むさぼり)rāga(梵語)(いか)dvea(梵語)癡さ(おろかさ)moha(梵語)、の三煩悩(とん)(じん)()から六煩悩、十四煩悩、九十八煩悩、百八煩悩、と時代の経過と共に増幅する。 i 語 lobha dosa moha) 
煩悩に対する制御作用として「戒律」の実践は必須にして最重要課題の一である、釈尊の入滅後に教団内部(saMgha、サンガ、僧伽)に於いて決められた修行上の規則であり最高法典でもある、やがて各国に伝播するにしたがい国民性の相違から変化をする、重ねて言えば戒律守護は仏教徒の絶対条件である、これは上座部・大乗部を含め概ね順守されているが唯一日本仏教は古くから例外視されている、初期の日本仏教に於ける僧尼は度牒(どちょう)(証明書)を受けた事実上の国家公務員であり国と従属関係にある為に律に対する順位は低い存在に捉えられた歴史を持つ。

戒律とは仏教徒にとって順守しなければ為らない必須の道徳、規範、行動規則であると藤田光寛氏は言う、現在の日本では授戒、儀礼等々の作法は残るのみである、僧侶も出家僧の存在は稀で在家僧で占められている、これは日本統治時代の朝鮮の一部と土着宗教と集合した処以外の佛教国に於いて観る事は無い、但し世界の佛教界に於いては僧侶の婚姻などは破戒行為であるが、佛教以外でカトリックを除く一神教社会(ユダヤ教・プロテスタント・イスラム)では世俗社会に溶け込んでいる。
日本佛教僧は「在家沙弥」「名字比丘」
(注12達が多く存在し、古くから戒律を守られる事は少なかった(注14)、後白河院曰く「隠すは上人せぬは仏」と言う、更に平安時代には80%の僧侶は童貞ではなく隠し妻などが存在したと言う記述も複数観ることが出来る、、世界の仏教に於ける最も重要な無慈行欲(むじぎょうよく)戒すら無視された様である、このような傾向は私渡僧の関連も考えられるが、奈良時代から存在した様で妻子を養い金融に手を染めた僧侶がいたとされる(虎関師錬の「元亨釈書」)、小室直樹氏は本格的な破戒は円戒・天台本覚論(注13にあると言う、随って上座部佛教やチベット佛教を信仰する人々から日本佛教は佛教と思惟されていない、因みに「無慈行欲戒」とは梵網経に於ける十重禁戒(注3の第三に位置する「慈しみの心が無く淫らな行為をする(特に男女関係)」を言う。  
初期に中国では十誦律(じゅうじゅりつ)四分律(しぶんりつ)摩訶僧衹律(まかそうぎりつ)、等々、上座部theravāda (abhidharma)系が流入した。 
戒律の中でも四分律で法華経と摂大乗論をベースにしたもので多くの著作を残している、その他の律には「十誦律」「摩訶僧祇律」「五分律」「根本説一切有部律」
(注9pāli律」等が著名である、鑑真により齎された戒律は道宣(どうせん)596667年)を祖とする南山律宗の流れを汲む四分律中心である、在家信者を主体に説かれた経典に「弥勒上生経」があり十善法が強調される。

戒律を授ける側を授戒、受ける側を受戒とか納戒と言う、当初インドに於いては戒律と言う熟語は存在せず教団に於いて発生した事は随犯(ずいほん)随制、すなわち当意即妙で解決していたが組織が肥大すると戒律の必要に迫られた、戒śīlaシーラ)と律vinayaヴィナヤ)は分類されていた、要するに戒は個人に自ら課す規制であり律は集団に課す規制と言える、さらに分類すればviは「通常とは逆方向へ」を意味し、nayatiは「導く」の意味である。
鎌倉時代に戒律の復権に寄与した叡尊に依れば「本来の戒律は人を縛るものではなく、人を不安と憂い、悩みから解放し本来の姿にする為」のものであると言う。
日本の戒律は授戒師が存在せず「自誓授戒」即ち己で誓う戒が総てであったが、鑑真の来朝で四分律如法如律授戒制度が確立して、初めて「三師七証」による「・三聚(さんしゅ)浄戒(じょうかい)」すなわち、規則を順守する・(しょう)律儀戒(りつぎかい)(しょう)善法戒(ぜんほうかい)、教化救済を行う・(しょう)衆生戒(しゅじょうかい)の授戒方式が確立された。          

戒律には出家の戒(具足戒)と在家の戒(菩薩戒)がある、在家の場合は具足戒と日厳を限り守る八斎戒(注5、や五戒(注6があるが出家の場合は主に比丘・比丘尼の「具足戒」が必須である、具足戒には戒和上羯磨阿闍梨(こんまあじゃり)教授阿闍梨に証人を含めて三師七証を必要としている、その他沙弥・沙弥尼の十戒などがある、日本の場合は随犯隋制が逆に僧俗同一に働いた。     
平安時代
には最澄が現れ「梵網経盧遮那佛説菩薩心地戒品」略して「梵網経」の下巻に説く「円頓戒(えんどんかい)
(注2すなわち十重禁戒(注3、四十八軽戒(注4すなわち梵網戒を独自に解釈した簡易で戒律と云うよりも道徳遵守的な菩薩戒(十重禁戒・四十八軽戒)を言う、後に延暦寺に戒壇院が出来るが菩薩戒すら持戒する僧が少なくなる、鎌倉時代に入ると真言律宗を興し西大寺を復興した叡尊唐招提寺中興の祖・覚盛(11941249による戒律復権運動がおこる、因みにデーターの集計など不明で定かではないが平安末期には純粋な独身僧は30%程であったとの記述が存在している、最澄が戒律を放棄したのは比叡山から人材の流出を防ぐ為であったとの説もある、即ち年分度者は807年~813年の間に19名輩出したが比叡山には5名しか戻らなかった為に戒を緩めたのかもしれない。
最澄の菩薩戒(円頓戒)は日本仏教界のみの戒律で他国の仏教界に於いては戒律とは認知されていない、日本以外では菩薩戒だけの納戒では僧侶とは認められていない、因みに上野雅文著「最澄再考ペリカン社」に依れば比叡山で得度し、仏教に対して原理主義的とも言える道元ですら中国に於いて正式な僧としての認知を受けられなかったと記述されている、更に最澄の天台宗から第十八代坐主・元三大師(慈恵(じえ)大師)良源に依る天台本覚論が広がり破戒坊主が多数派を占めている、因みに坊主とは坊(寺・庵)の主すなわち住職を言う。 
但し中国に於いては当初「十誦律」「四分律」「摩訶僧祇律」など上座部系の律が主体であったが、三聚淨戒思想など大乗戒的な動きは認められる、三聚淨戒(さんじゅじょうかい)とは三聚戒とも言い・摂律儀(しょうりつぎ)(護法、防悪)摂善法(しょうぜんぼう)(善行)摂衆生(しょうしゅじょう)(衆生教化)を言う、また増一阿含経に釈尊が在家信者に課した戒律があり前述の「八斎戒」(注5が相当する。
大乗戒と解釈できる戒に梵網経すなわち「梵網廬舎那仏説菩薩心地戒品」で説かれる十重四十八軽戒がある、律を中国的に改造を試みた天台智顗に習ったのか最澄が戒律を事実上消滅させたと言われているが、梵網経にスタンスを移したと言える、仏教以外の世界に目を転ずれば著名な戒律に「モーセの十戒」がある、キリスト教の内カトリック
(ルーテル教会を含む)
に例をとれば公教要理202に於いて第二戒・「汝は己の為に像を刻んではならない」を意図的に削除している、特に1――4までは人間が神に対する義務が記述されており、その根幹部分を削除している、以上の様に宗教は時代や教義の潮流に合わせる事は日本仏教だけには限られない。  *十戒についてはキリスト教 6、及び最後尾の参考を参照。
不飲酒戒は仏教の重要戒である、最澄は戒を緩めたが遵守には厳しく他宗が了解した薬用名目の飲酒や般若湯などと言う逃げ口上は厳しく戒めた、但し日本に於いては仏法学に対しての研究は進んでいるが、実践面に於いて破戒な僧が大勢を占めている、釈尊の直系をうたう禅宗に於いてでも「般若湯、 智水」が供される。
派羅提(はらだい)(もく)(しゃ)(注8即ち「具足戒」の基本は四分律で420年、鳩摩羅什経典4参照)が漢訳したもので比丘250戒、比丘尼348 戒を必要とする、これは小乗色的な内容も存在するが、大乗の範疇に入り「分通大乗」とも呼称される、ちなみに比丘尼348戒の一例を挙げれば(はっ)敬法(きょうほう)があり、比丘を敬い、指導を受けることを等が定められている、その他・肌を露出させない、・外出は二人以上などがある。  
妙法如律「戒の堤によって禅定の池ができ、はじめて覚りの智慧の水がたたえられる、戒の堤なしには定水静かなことなく覚りの智慧が発することはない」。(日本仏教宗派のすべて、大法輪閣)        *比丘尼 梵語saskta bhiksunī   パーリ語(pāli) bhikkhunī  
閑話休題「比丘」「比丘尼」に於ける言語の意味は「食を乞う人」である。
具足戒を受戒するには「三師七証」を必要とする、即ち・戒和上
(戒を授ける)・羯磨師(作法を行う)・教授師(作法を教える)の三師に・立会人の七人(証明)の十名を必要とする。  
戒律を科せられる僧の条件の一つとして、初期仏教時代から五種不男(ふなん)と言い、生殖機能が正常でなければ出家は不可能であった、性欲を修行により、覚りに導くと言う哲学から性欲の頂点即ち思春期以前に出家した、インドに於いては智慧と快楽は表裏一体の認識されている。
五種不男とは・生殖不能者・性的変質者・同性愛などを五種類に分類したものである。
戒律はサンガ等で相違が観られるが主な律を挙げて、四大広律と言われる律がある、四分律
(比丘戒250・比丘尼戒348 五分律(比丘戒251・比丘尼戒373 摩訶僧祗律(比丘戒218・比丘尼戒290) 十誦律(比丘戒2263・比丘尼戒354を言う。 
四分律とは経典にはないが僧侶が守るべき戒が記されており、原典はバーリ語(pāli)で記述されている、日本律宗の根本教義で、東晋時代に於いて「十誦律」「四分律」「摩訶僧梢律(まかそうぎりつ)」等々の律部経典が中国に請来された。  
その内「四分律宗」が興隆するが残る三派に分裂する、「四分律行事鈔」などを著した道宣により南山律宗が開かれた。    
厳しい戒の順に波羅提木又(はらだいもくしゃ)すなわち戒経を言えば以下の様に成る。 
波羅夷(はらい)法」4Pārājika パーラージカ)  1
(いんかい) 2、盗戒  3殺人戒(せつにんかい) 4大妄語戒(だいもうごかい)   四断頭戒(しだんとうかい) 最も重罪で破戒者は波羅夷罪(はらいざい)に処せられサンガを追放される。
僧残(ざんぞう)法」13Sa
ghāvaśea サンガーヴァシェーシャ)  故出精戒(こしゅつしょうかい) 摩触女人戒  与女人麁語戒(よにょにんそごかい) など   十三僧残戒   
不定(ふじょう)法」2 Aniyata 
アニヤタ)                                       不定法 
尼薩耆波提(にさぎはいつだい)法」30Naihsargika prāyaścittika ナイサルギカ パラーヤシュチッティカ)       三十捨堕(しゃだつ)  

波逸提(はいつだい)法」90Prāyascittika プラーヤスチッティカ)                          九十波逸提(はいつだい)
波羅提舎尼(はらだいしゃに)法」40戒 Pratideśanīya プラティデーシャニーヤ)                     四提舎尼 

衆学(しゅがく)法」100戒  Saikśa サイクシャ)                                    一百衆学
滅諍(めつじょう)法」7 (Adhikarana śamathaアディカラナ シャマタ)                     七減諍     合計250戒がある、但しパーリi律では227戒である。         
四分律・許可を頂き法楽寺様のサイトを参照 法楽寺 四分戒律相 

比丘尼348戒に付いては「波羅夷(はらい)法」8条、僧17条が追加される。 
比丘、比丘尼の呼称と梵字などに付いて参考までに記述する、「比丘」とは男性僧(出家僧)で、梵語のbhikui語のbhikkuの音訳である、また比丘尼とは尼僧を言い梵語bhikuī、パーリ語bhikkhunīの音訳である、また在家信者の男性は()()(そく) (upāsaka)と言い、在家女性は()()() (upāsikā)と言う。
余談になるが日本の僧侶の多くは在家に課せられた「三帰五戒」すら守らぬ”退屈僧侶”が多い、三帰とは仏、法、僧、を言い五戒とは注31~5までを言う、因みに退屈とは佛教用語であり、「悟りを目指して求道者の志が退いて屈する」事で破戒僧を言う、三退屈と言う分類があり、悟りの蘊奥さに屈する菩提広大屈(ぼだいこうだいくつ)、 修行の厳しさに屈する万行難修屈(まんぎょうなんしゅうくつ)、 濁悪に染まり正常な心になれない転衣難証屈(たんねなんしょうくつ)がある。

小室直樹氏は仏教とは釈尊の時代に定めた戒を守る事にある、これ即ち仏教の根本と言う、鑑真が艱難辛苦を味わいながらの来日、また戒律を求めてインドへ向かった法顕(337年~422年)や義浄(635年~713年)達で戒律の重要性は証明されよう、その大切な規範を全廃したのが比叡山を中心とした日本である、これに輪をかけた天台本覚論は優れた理論であるが釈迦の仏教からは異端であると言う。
。    


1戒 śīla  シーラとは信仰者が進んで行う規範を言う。   vinaya ビナヤとは信者の所属教団を統率する為の規則を言う。       abhidhamma アビダンマ  「涅槃経」獅子吼菩薩品に依れば仏教修行者が必須とする業に三学があり、内でも戒学が第一に挙げられている。
    戒学―身口意の(さん)(まく)を中止して善を行い律蔵を修する。
    定学―禅定と教蔵すなわち禅蔵を修める。
    慧学―智慧を修める論蔵を修める。

 
2 三師七証とは 戒を授けるチーフで・(かい)和上(わじょう)白四羯磨(びゃくしこんま)の文を読む・羯磨阿闍梨、威儀と作法を教える・教授阿闍梨と立ち合いの七人の証人を言いう、但し証人の数は柔軟性がある。 
円頓戒とは法華経の精神で梵網戒を護ると言う意味合いとされる、三師七証等々を省略している、
円頓戒は円仁による「顕揚大戒論」安然の「普通授菩薩戒広釈」等で補完されて完成を観る。
一向大乗戒(菩醍戒)は注34を言う。

3、十重禁戒とは   十善戒    通常15を五戒と言う。      
1
 快意殺生戒(けいせっしょうかい)     不殺生戒  (生き物を殺すな)
2
 劫盗人物(こうとうにんもつ)戒     不偸盗(ふちゅうとう)戒  (盗むな)
3
 無慈行欲(むじぎょうよく)戒     不邪婬戒  (男女関係)
4
 故心妄語(こしんもうご)戒     不妄語戒(ふもうごかい) (邪語・邪見を慎め)
5
 酤酒生罪(こしゅしょうざい)戒     不酤酒戒  (禁酒) 
6
 談他過失(だんたかしつ)戒     不説過戒  (人の過ちを言うな)
7
 自讃毀他(じさんきた)戒     不自賛毀他戒  (他人を立てよ)
8
 慳生毀辱(けんしょうきにく)戒    不慳法財戒  (労を惜しむな)
9
 瞋不受謝(しんふじゅしゃ)戒    不瞋恚(ふしんいん)戒  (人を怒らせるな)
10 毀謗三宝(きほうさんぼう)戒    不膀三宝(ふぼうさんぼう)戒  (三宝を謗るな)   を言う。
   *
十重禁戒は、北伝佛教の内て梵網経に於ける菩薩戒で大乗仏教の戒律である、また梵網戒では四十八軽戒と共に「十重禁四十八軽戒」として説かれている、また観無量寿経、大智度論にも似た戒がある。
  (
34、梵網戒である)

4 四十八(よんじゅうはち)軽戒(きょうかい)  

1 不敬師長戒(ふきょうしちょうかい)  
2
 飲酒戒(おんじゅかい)  
3
 食肉戒(じきにくかい)  
4
 食五辛戒(じきごしんかい)  
5
 不挙教懺戒(ふこきょうさんかい)  
6
 住不請法戒(じゅうふしょうほうかい)  
7
 不能遊学戒(ふのうゆうがくかい)  
8
 背正向邪戒(はいしょうこうじゃかい)  
9
 不瞻病苦戒(ふせんびょうくかい)  
10
 畜殺生具戒(ちくせっしょうかい)  など48戒を言う。

5、 八斎戒  在家信者に課せられた、決められた日(8日・14日・15日・23日・29日・30日)に心身を慎み一昼夜順守する戒律を言う。
1不殺生 (殺しの禁止)
2
不偸盗 (盗みの禁止)
3
不婬  (性交の禁止)
4
不妄語 (嘘言の禁止)
5
不飲酒 (禁酒)
6
歌舞音曲、華麗な衣着の禁止
7
高い安楽な寝具の使用禁止
非時の断食。

6、在家信者の守秘義務に五戒がある、儒教の仁・義・礼・智・信に附合点があり儒佛一致論もあるが同一ではないと考えられる。 
1
不殺生戒(ふせっしょうかい)
2
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
3
不邪婬戒(ふじゃいんかい)  
4
不飲酒戒(ふおんじゅかい)
5
不妄語戒(ふもうごかい)   
*
日本に限られるが以上の五戒すら守れない僧侶は多数を占める。
*
出エジプト記20章・申命記五章に記述されているシナイ契約すなわち「モーセの十戒」の第一戒~第四戒までの神に対する義務と不飲酒戒以外は酷似している。
因みに
カトリックの公教要理202 (カテキズム、catechism)に於いて第2戒の「あなたは、いかなる像も造ってはならない」(偶像崇拝の否定)を事実上削除している、是は“シナイ契約”の破棄とは言えないだろうか。


7、五種不男(ふなん)とは初期仏教時代から言われている、五種不男とは・生殖不能者・性的変質者・同性愛などを五種類に分類されている。
生殖機能が正常でなければ出家は不可能であった、性欲を修行により、覚りに導くと言う哲学から性欲の頂点即ち思春期以前に出家した、インドに於いては智慧と快楽は表裏一体の認識されている。  

1 生不男(生れ付き男根の無い者)  

2 揵不男(去勢者)  

3 妬不男(他人の性交を見てのみ勃起出来る者) 3、以下を半択迦  

4 変不男(相手に依り男女が変更できる者)  

5 半不男(月の内半分しか男根が勃起しない者)  


8派羅提木又(はらだいもくしゃ) 僧尼が順守しなければならない教団(サンガ)内の禁則・規則条項、梵語 prātimoka(プラーティモークサ)、pali語、pātimokkha(パーティモッカ)と言い、別解脱とも言う。

9説一切有部とは梵語の
sarvāstivādin, sarvāstivāda、(サルバーステイバーデイン)と言い、略称を「有部」と言う、「異部宗輪論」に依ればBC2世紀頃に部派から分派した集団であるが大乗の触媒的な要素を含んでいる、即ち70に及ぶ法を想定し、過去、現在、未来の三世は同一であるが経験出来るのは現在(瞬時)のみとして諸行無常に結び付ける三世実有説である、因みに108の煩悩は説一切有部から考え出された、阿毘(あび)達磨大毘婆沙論(だつまだいびばしゃろん)Abhidharma mahavibhasa sastra)と密接に関連している、説一切有部教義の代表に「六足論」「発智論」「大毘婆沙論」「顕宗論」等がある.
異部宗輪論とは著作は()()
vasmitra・バスミトラ)と言い玄奘訳が知られている、部派分裂の歴史を分析する為に不可欠な説とされる、異部宗輪論に拠れば五事問題がある、五事問題とは修行者の到達点に於ける阿羅漢のランクを低く評価する五個の見解である、・貌(ぼう)・言・視・聴・思で五事となる。      *説一西切有部 サルバースティバーディン(Sarvāstivādin

10百八の煩悩は「三漏體性」「四流體性」「四取體性」があり、欲漏、有漏、無明漏等に分類される、((とん)(じん)().

11
今枝由郎氏の挙げた基本を逸脱した佛教、日本佛教批判

*日本語大蔵経が無い為、多くが呪文化している。  *特定の経典しか用いない為、佛教全体の把握が出来ない。  *特定の経典のみを典拠とする為排他的な宗派佛教となる。  *僧侶に戒律が無い。  *僧伽が無い、(戒律の守護組織)  *一般信者の生活様式に戒律と帰依がない。  *本来佛教と無縁の葬儀、墓、回忌法要を主流としている。  *神仏習合が甚だしい。   2014615

 

12「名字比丘」とは戒律(四分律)を守る事なく、外形のみ僧侶の姿をした名だけの厚顔無比の僧の事、また「在家沙弥」とも呼ばれた、因みに比丘とは梵語Sanskrit サンスクリット)Bhiku(ビクシュ)orパーリ語 i )のBhikkhu(ビック)の音訳で、正式な男性出家者を言う。



13、 
天台本覚論、 本覚とは“本来の覚性”即ち総ての衆生に覚りの智慧を内包している、要するに誰でも成仏出来るという意味合い。

比叡山に於ける秘中の秘で日本天台宗の根幹を為す奥義である、平安後期に起こる日本天台宗の衆生は誰でも仏になれると言う現実や欲望を肯定して解釈する理論を言う、本来の本覚に関する教義を拡大解釈した論議である、現実の世界や人間の行動様式が真理であり、本覚の姿と説き煩悩と菩提を同一視した教義で修行、戒律を軽視する傾向に解釈された。

煩悩と菩提を同一視して修行や戒律を軽視した思想。

天台本覚論を論拠として日本仏教は世界に類例のない佛教の必須である戒律無視の「所謂佛教」になったと言う論者は少なくはない、中国の天台にも本覚論は存在するが比叡山ほど急進的ではない。
小室直樹氏に依れば鎌倉佛教の旗手たち、源信、法然、親鸞、日蓮達も比叡山で学んでおり、その主張は天台本覚論が下敷きになっていると言う。

因みに本覚とは“本来の覚性”即ち総ての衆生に覚りの智慧を内包している、要するに誰でも成仏出来るという意味合い。


注14、
定かな統計とは言えないが平安時代既に於いて隠し妻を持つ僧侶は80%と言われている。
太政官布告  1872年(明治5年)425日の太政官布告133号で肉食、妻帯、長髪を認めた、「自今僧侶肉食妻帯畜髪等可為勝手事」(僧侶肉食妻帯蓄髪等勝手タルベシ)。
但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事」(今より僧侶の肉食妻帯蓄髪は勝手たるべき事、但し法要の他は人民一般の服を着用しても苦しからず)。


 

20071021日更新 2008618日菩薩戒 10215 2012311日上野雅文著 201368日派羅提木又 201435日三毒 615日 2015122日 2016312日注13他 424日 1216日 2017年9月29日 11月12日 2018年1月17日 31日 2019年11月5日 2020年5月9日 2021年5月6日  加筆

 




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