梵語名 ナンデ―ケーシュバラ (Nandikeśvara)、別名を聖天とも言いうが、正式には「大聖歓喜大自在天」マヘーシュヴァラ(Maheshvara)と言われる、ヒンズー教 最高神(三主神)の一人であるシバ神(śiva)を父にバールヴアテーを母にも持ちシバ軍団の総帥を務めたとされている、即ち弟に韋駄天がいる、出自には異論もありヒンズー教(Hindu)以前のドラピタ人系(Dravidian)との説がある、その他歓喜天は多様な名前を持つ、・大聖歓喜天(Vinayaka、Ganapati ・毘那夜迦(Vinayaka)など多くの呼称がある、但し梵語の持つ意味は”障害の製造者と破壊者”の意味合いを持つとされる、抱擁する像姿は出自からヒンズー教の影響は必至でヨニ(女性性器、yoni)の上にリンガ(男根、lingam)が建ち、一体化した仏塔がインド社会には古くからに存在している、因みにナンデ―ケーシュバラの漢訳は「歓喜自在」が多数派と言えよう。
古代インド信仰では象頭の魔性集団の王であるガネーシャ神(gaNeza ヒンズュー神で群集の長)が起源と言われる、「
従って象頭人身の男女抱擁像の内、男性は聖天(歓喜天)で女性は観音菩薩(足先が下側)の変化身とされる、象頭の理由として「密教の神々・佐藤任」に依れば「
財運と学問の神の出自を持つ歓喜天はバラモンの流れをくむ密教の神であり両部曼荼羅の最外院にも描かれている、中国や日本の禁欲的な仏教観と異なる為に、戸惑いを持つが性に開放的なインドに於ける密教史で後半部分すなわち後期密教圏に広がりチベット方面に於いて多く信仰されている、因みにganeza(ガネーシャ)は現在に於いてもヒンズー社会で性愛の法悦掌る神として多く信仰されている。
姿形としては「大聖歓喜双身毘那夜迦天形像品儀軌」等に記述があり二臂・四臂・六臂・八臂・十二臂で象の顔・人間の体形で単身像と双身像がある、所謂「象頭人身」の男女抱擁形が多い、このスタイルは経典にもあり、男女和合・子福・招福・除災などのご利益ありとされる、呪法に華水や油を注ぐ秘密供養(
日本に於いては空海の御請来目録に「大聖天歓喜双身
神奈川県鎌倉市、宝戒寺 ・京都市、等持院や雨宝院、観音寺(山崎聖天) ・奈良県生駒市、宝山寺(生駒聖天) ・埼玉県熊谷市、歓喜院(妻沼聖天) ・東京都浅草、本龍院(
同じ象頭を持つヒンズー神をルーツとする四臂、大きな腹部の「ガネーシャ(象頭財神・ganeza)」と言う尊像がある、チベット等では大黒天に調伏され観音菩薩を本地とする守法神として信仰されている。
真言密教との関連は深く、空海以降に真言宗最大の儀礼として京都御所で行われた後七日御修法(注3)には宮中真言院の西北に必ず尊像を置かれた。
像の国指定重要文化財は無いが埼玉県
真言 オン キリク ギャグ ウン ソワカ
● 宝戒寺 木造彩色 玉眼 155.4cm 鎌倉時代 (神奈川県鎌倉市小町3-5-22)
注1、バラモン BC2000〜1500年頃インドに移り住んだアーリア人が現住民のドラピタ人等を制圧し興した宗教で、インドに於ける階級制度(カースト)の最高位にあり梵語のbrāhmalaの音訳で中国では婆羅門と記述された。
カーストとはラテン語の castusが語源でありBC10世紀以前か.らインドに存在する身分制度で「家柄・血統」と訳され、一族のすべては生涯変更される事はない、但しインドに於いてはバルナ(varla)と呼ばれている、バルナとは本来は色彩を意味しているが法的には建前として存在しない事になっている。
釈迦はカーストについては梵我一如(永遠の至福・万物の絶対永遠性)と共に否定したが、佛教の影響力の衰えと、ヒンヅー教の興隆により復活した、20世紀後半ヒンヅーから佛教徒に改宗したアンベードカル法相により憲法に於いてアチュート廃止が条文化されたが現在も確実に生きている、アチュートが轢逃事故の被害や殺害されてもマスコミは扱わないケースが多い、また放火、殺害されても主犯は無罪とか軽微な罰金で釈放されている。
佛教はインドで生まれ諸国に広まったが、カーストの厚い壁に阻まれてインドでは消滅に近い状態まで衰えた、しかしアンベードカル哲学に学んだ佐々井秀嶺に率いられたアチュートを中心に広まる可能性を秘めている。
注2, カースト ラテン語の castusが語源でありBC10世紀以前からインドに存在する身分制度で「家柄・血統」と訳され、一族のすべては生涯変更される事はない。
インドに於いてはカーストと輪廻転生は車の両輪でありインド思想社会を構成していたと言える、どのカーストに生を受けるかは前世・前々世からの業により決められておりキリスト教の様な予定説は存在しない。
釈迦はカーストについては梵我一如(永遠の至福・万物の絶対永遠性)と共に否定したが、佛教の影響力の衰えと、ヒンヅー教の興隆により復活し現在にも生きている。
ヴァルナ・ジャーティ制(varna)は基本的には四階級と言われるが、事実上は五階級に分類され、さらに夫々が細かく分類される、インドに移り住んだ遊牧民であるアーリア人が1~3、を占め4、をドラピタなどの先住民が位置している。
1、 ブラーフマナ・バラモン(婆羅門)司祭と訳され聖職に付き式典の祭主を勤める。 brāhmala 婆羅門
2、 クシャトリアと呼ばれ王族・貴族・武士などを指す。 ksatriya 刹帝利
3、 ビアイシャと言い平民を指す。 viaśya 吠舎
4、 シュードラと言い賎民を言い卑しいとされる職業に就く。 Śūdra 旃陀羅
5、 アチュートとかダリット(Dalit)と言いヴァルナを持たないカーストの枠内に入れない不可蝕賎民を言う、梵語でCaṇḍ āla,とも言い漢字で旃陀羅と書く、英語で(Broken People)、アンタッチャブル(Untouchable)とも言う。
日蓮は己の出自を旃陀羅と言った。
カースト制度に対するインド人の執着は法華経にも現れている、即ち十大弟子の一人である優波離の出自がシュードラ即ち奴隷階層である為に名前の記述がない。
十大弟子の出自を挙げると以下のようになる、 *バラモン 舎利弗、摩訶目犍連、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、富楼那弥多羅尼子 *クシャトリア 阿難、羅睺羅、阿那律 *ヴァイシャ 須菩提 *シュードラ 優波離。
ヒンドゥー教徒でありながら寺院や公共施設に入る事を許されない、インド人口の25%近い数を占めると言う、梵語でCaṇḍ āla,と言い漢字で旃陀羅と書く、日蓮は出自を旃陀羅と言った。
この司祭階層の主宰する祭式をバラモン教と呼ばれたが、佛教やジャナ教が台頭すると衰えを見せるがカースト制度は維持された。西暦2〜3世紀頃非アーリア的な神々や信仰形態を取り入れ大衆の支持を得ることに成功し宗教的融合を果たしてヒンドゥー教の成立をみた。当初バラモンは第4バルナのシュードラを差別・除外していたが、農民大衆をシュードラとみる傾向が一般化した為にシュードラ差別を改めて彼らのために祭式を挙行するようになった。
バラモンと佛教の関係 釈迦如来は梵我一如の宇宙哲学を否定し無常、人間的論理を駆使して佛教を成立させるが後に興った大乗思想はバラモン思想を華厳等の教派として一体化する。
インドに於いてはカーストと輪廻転生は車の両輪でありインド思想社会を構成していたと言える、どのカーストに生を受けるかは前世・前々世からの業により決められておりキリスト教の様な予定説は存在しない。
注3、