キリスト教

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キリスト教徒に成る必須条件としてナザレの大工の子であるイエスを神の子と認める事、イエスは死後三日目に復活したと信ずる事、父なる神、イエス、聖霊を三位一体(さんみいったい)(Trinity ・トリニティー ・persona ペルソナと認知する事にある。
ローマ帝国のテオドシウス一世(フラウィウス Flavius Theodosius 347111日 ~ 395117日)により392年国教となったキリスト教は、18世紀には産業革命
Industrial Revolutionを成し遂げて世界を席巻した西欧文明、即ちデモクラシーdemocracy)、資本主義capitalismなどはキリスト教プロテスタントProtestantから生まれた、キリスト教の道徳律を持ちナザレのイエスをキリスト即ち救世主と信じる組織である、因みにキリストの元来の意味は古代ギリシア語のクリストスKhristosからの日本語表記で「香油を注がれた者」で一世紀には「救世主」を意味する様になる、キリスト教のコミニティーcommunityは世界各国に、ほぼ漏れなく存在する世界最大の宗教である。
(くど)く繰り返すがキリスト教とはイエスを救世主
キリストと信じ、特にギリシャ語(eliniˈka)を原典とする新約聖書を依典として信仰する宗教である、後述もするが新約聖書とは主にイエスの伝記を四人の弟子達により記述された聖典、主に共観福音書(Synoptic Gospels シノプテック ゴスペル)の言行録とされる)で、「マタイ伝」「マルコ伝」「ルカ伝」「ヨハネ伝」と、「使途行伝」に「パウロの手紙」「ヨハネの黙示録」で構成されている、但し聖書にはキリスト教徒が旧約と言うユダヤ教の聖典も含まれる、すなわち新約聖書に足跡を残し、事実上キリスト教を興したペテロ(Petros) 、パウロ(Paulos)、ヨハネ(Yōḥānān ha-Maṭbīl)達は回心(かいしん)(conversion)してキリスト教徒に成ったが、元はユダヤ人宣教師であった、因みに回心は仏教用語であり”えしん”と読むタームの流用である。
・ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教はセム的(ユダヤ的)一神教と言い経典宗教である、聖書すなわち正典(せいてん)Canon カノン)を持つ、正典とは公式に従う義務を課せられる基準文書をいう、因みに正典以外を外典(がいてん)すなわちアポクリファApocryphaと言う、因みに佛教では外典(げてん)発音する、一神教の神は「ヘブライズムの神Hebraism」とも言い古代パレスチナに住んだ古来からヘブライ(びと)に信仰されたと正木晃氏は言う(あなたの知らない仏教入門 春秋社)
世界の宗教人口比率で見ると約63億人の内、キリスト教徒は32.9%を占めている、信徒数20億人強を有する世界最大規模の宗教である、しかし日本に於いては神道と言う土着思想と仏教と言う外来思想を融合させた本地垂迹説をエトスとした文化的遺伝子を持つ多神教風土の厚い壁に阻害されて人口の1%を超える事は叶わなかった。    
イエス・キリストすなわちイエス
Iēsousは救いの意味を持ち、キリストChristosはヘブライ語のメシア(マーシーァハ・香油を注がれた者Messiahのギリシャ語訳で救世主を意味しており個人名ではない、因みにイエスはギリシャ語の発音であり、ヘブライ語ではヨシュアと発音される。
イエスはユダヤ教徒であり、処刑された後もヨハネやペトロ等十二使徒の多くは、ただ一人の神の命令を信ずる、すなわち外部から観てユダヤ教徒である事を疑わなかったとされる、但しイエスの行動はユダヤ教の改革or分派すなわちセクト
sect行動かも知れない、閑話休題、聖書はユダヤ教の聖典である旧約聖書(トーラー五書 toh·rah'も新約と同じく採用されているのはユダヤ教の分派からスタートした為との指摘がある。
当時ユダヤ教の主力である・ファリサイ派
PharisaioiPharisees・サドカイ派Saddukaíosに対して律法とは律法の為有るのではでは無く人間のためにあると言い、神との新しい契約すなわち新約聖書を最高経典とした教団である、イエスはユダヤ人であり直弟子の十二使途(apostolos)も全員がユダヤ人である、但しローマ帝国の市民権を持つファリサイ人で律法学者でありギリシャ語に堪能であった異邦人の使途であるパウロは少し異なる、イエスの死後転向してキリスト教を異邦人達に広く伝導した、この時キリスト教は豊かなヘレニズム的教養を持つパウロを中心に世界宗教に脱皮したと言える、極論すればキリスト教の創設はイエスでは無く、生前のイエスを弾圧していたパウロPaulosと言える、パウロの回心はアナニア(Hananias ギリシャ語)との対面からであるが、聖書の内、福音書の後に書かれている使徒行伝に詳しい。  
新約聖書が作られる根拠の一つに旧約のエレミヤ書31章がある、ここにはイスラエルの家、ユダの家との新しい契約の日が来るとの預言がある、またイザヤ書53章には「主に依って人々の咎を負わせ、主の心を成し遂げる者」の登場が記述されている。
     
ユダヤ教の異端であったキリスト教はイエスが十字架で殺戮されたが、新約聖書の著者の一人である使徒・
タルススTarsus(トルコの中南部)のパウロPaulos達の活躍があり三日後に復活したとの宣伝が功を通しユダヤ教から完全に独立した宗派に成った、当初は迫害を受けていたが313年コンスタンチヌス一世のミラノ勅令(寛容令)により公認され十字架をシンボライズするようになる、因みにユダヤ教徒から観ればキリスト教に於けるイエス キリストは救世主ではなく、ユダヤ教ナザレ派のラビ(教師)であるイエスに過ぎない、更にパウロの場合キリスト教を創設し世界一の信徒数を持つ大宗教にした功績は疑いないが、内部評価は高くない。
ユダヤ人が宗教的に親子関係にあるキリスト教徒に憎まれ
Holocaustにされたりするのは、ローマ皇帝、テベリウス時代(注18)の総督ポンティウス・ピーラートゥスPontius Pilatus により処刑された事に端を発する、マルコ伝(二十七章二十五節)のユダヤの群集がイエスの処刑を主張したとの記述からと言えよう、因みにイエスに関する最古の資料はマルコ伝である。
パウロに付いてであるが、元来は敬虔なファリサイ人でイエスを弾圧する側の人で女性差別主義者あったが、執事のステフアーノがファリサイ・サドカイ両派から石打の刑での殉教事件を契機に変更した、初期キリスト教の発展に決定的な役割を果たした、曹洞宗流に言えば教祖がイエスで開祖がパウロとしても過言ではない、但しパウロがイエスと対面した事は無いようだ。
ディアスポラ(diaspora 異端人)パウロの呼称であるが、ギリシャ名でパウロスPaulos、へヴライ語でサウロ(Šāʼûl)、ラテン語でパウルス(paulus)日本正教会ではパウエル(Powell)と呼ばれている、因みに新約聖書の作者の一人で「ローマ人への手紙」「コリント人への手紙前後書」「ガラテア人への手紙」等々十三収の手紙が収録されているとされる、またパウロの行動がキリスト教を世界宗教に導いたと言う指摘も聞かれる。 
デンマークの哲学者・キルケゴール
18131855.1111は「イエスは生涯を費やして十三人の弟子しか出来なかったが、十二使途にも入らないパウロは一日で100人を弟子にした」と言う、まさしく伝道者すなわちエバンジェリストevangelist・注10の面目躍如である、但し発言の真意は不祥である、因みに「イエスなくしてパウロは無いがパウロなくしてキリスト教は無かった」と言われている、これは宗祖に多い原理主義と中興に貢献し大衆に対する伝道路線との相違と言えよう、ユダヤ教徒からキリスト教への変換であるが、パウロのメイン思想である黙示思想に変更は無かった。 

新約聖書に於ける福音書すなわち ・マタイ伝 ・マルコ伝 ・ルカ伝 ・ヨハネ伝に記述されるが、イエスに対しての記述が多様に言われている、不明な点が多く実在を否定する説も存在したが、現在では実在説が大勢を占める、余談かも知れないが聖書にイエスの生涯を記述したのは前述の四伝を書いた・マタイ
(マタイ教団)・マルコ(マルコ教団)・ルカ(ルカ教団)・ヨハネの四人(4グループ)でマルコから始まりマタイ、ルカと続きルカ伝はユダヤ色が強いとの説がある、因みに福音書であるが・マタイ伝・マルコ伝・ルカ伝は先行したマルコ伝を参照したとされ共通点が多くあり「共観福音書」と呼ばれている、因みに聖書の内でイエスを神(主)と言うのはヨハネ伝のみである。  共観表 シノプシス synopsis (神は世を愛して自分の独り子を独り子与え、------、 ヨハネ福音書 第三章十六)
福音書であるがラテン語でEvangelium エワンゲリウム)と言い、イエス・キリストの言行録とされている。通常は新約聖書に記述される四つの福音書すなわち、マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝(以上正典)を言うが、トマス伝等(外典)多くの福音書(イエスの幼児期を伝えた福音書や合併福音書調和福音書)が存在している。 
旧約聖書39巻、新約聖書27巻をもって啓典とし、イエス・キリストは神の子として、父と呼ぶ全能の神が全てを創造
(法・天地・人間・etc)した、その神が創造した法をイエス・キリストが説いたと信ずる宗教である、イエス自身が父と呼んだ神と愛を中心とした教義で聖書の言葉は全て神の言葉で あるとの教えである、一言で要約すれば最後の審判のあとにくる現世(神の国)での永遠の生命を信ずる宗教と言える、キリスト教側から観たユダヤ教との相違はユダヤ教が神とユダヤ人との契約であるのに対して、キリスト教(新約聖書)は神と人類との契約であると言う事である、後にも述べるが聖書の内で「イエスは神の子」云々はヨハネの福音書第三章十六に記述以下があるのみである、閑話休題、新約聖書の福音書の後の節にある使徒行伝使徒言行録)はルカの著作と言われている。 
新約聖書は完成まで約千年を要したが、イエスの生前の言動の著述である四項の福音書がメインとして、個人救済の魂の救いと連帯を加味した共同体思想を忍ばせている、なかでは「マルコ伝」が最も古く、次いで「マタイ伝」「ルカ伝」「ヨハネ伝」と続く、また「使徒行伝(使徒言行録)」や最終章すなわち最後の審判を記述した「ヨハネの黙示録」(ラテン語revēlātiō 英語Revelation等が著名である、閑話休題、これらを共観福音書Synoptic Gospelsと言う、マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、を言い、イスカリオテのユダに対する解釈や最後の晩餐に対する解釈が相違する為かヨハネ伝は共観福音書から省かれている、余談かも知れないが”福音”の原語であるが、Evagelion(エヴァンゲリオン ギリシャ語)で、英語ではGod(Good)Spell(News)の訳から現在はGOSPE(ゴスペル)と訳されている、当初日本では聖書を「幸信」と訳された、これを略して福音と呼ばれている様だ 
小室直樹氏に依ればえイエスが神の子らしき記述はヨハネ伝第三章十六に記述があるが、他には”人の子”と記されている。
最後の審判、これは脅威と言える、神と佛教の言う六道間では善悪の判定に相違が感じられる、猫が子供を養う為に人間世界から魚を盗んだ場合の善悪は神のみぞ知るである、マルチン、ルターの言う神は「虹に座します残酷な審判者」となる、残酷な審判者に葬られた六道に彷徨える者が如何に多いことか、因みに終末論(エスカトロジー eschatology)は遡ればゾロアスター教に至る様である。

ヨハネの黙示録
(revelation of hahn)は新約聖書の最後に存在する終末論で、小アジア西岸近くの小島パトモス(Patmos)で拘留中に書かれた章とされている。 
キリスト教と他の経典宗教
(イスラーム・ユダヤ)と最大の相違は「三位一体」Trinity・トリニティー・personaの容認にある、マタイ伝28章に「父と子を聖霊の御名に於いてバプテスマを授け‐‐‐‐‐・・・・」の記述がある、更にカトリックに於いてはマリア崇拝が加わり四神教と言えなくもない、要するに「守護聖人」「聖母マリア」「聖遺物」信仰となる。
三位一体にはペルソナ(persona  person)と言う表現もある様で、本来は古典劇に於いて役者が就ける「仮面」の意味がある、即ち三位一体は仮面と言えなくもない。
325年に「イエスは完全な人間であり、完全な神である」とニケア信条に於いての結論である、これは人間であるマリアが神を生んだ事になる、さらに451年のカルケドン公会議でも確認している、しかしイエスは神であるが、アリウス派は普通の人間であるマリアの生んだ子は神ではなく預言者であると言いニケアに於いて異端とされ迫害された、しかし厳しい神の厳命からキリスト教は優しい聖母マリアの信仰により広く興隆したと言える。

マリア崇拝に関してカトリック、正教会は三位一体、即ちラトレイア(ギリシャ 希臘語でatreia語でLatrīa重要視するが、マリア崇拝は禁止している。
キリスト教の各宗派に於いて総てに近い宗派が採用している三位一体に対して腑に落ちる解説書は知らない、聖書に記述されない三位一体はコーランが強く否定している、
因みにバプテスマbaptismaとは洗礼の一つである、一神教(注14では腑に落ちないのは三位一体の他に、やはり聖書に記述されない「秘跡sacramentサクラメント)」として「免罪符贖宥状(しょくゆうじょう)・indulgentia」の発行がある、因みに三位一体を提唱したのは護教論apologetic アポロジーテックを著したチュニジアカルタゴの神学者、テルトリアヌスtertullian155年頃~220年頃)である、「神とイエス、聖霊三位は形に相違はあるが実態は同じ一体である」と言う解釈の様である、因みに護教論とはリスト教の非合理制信者に対して信仰の正当性、真理性を強調した書であるが、強引に「一神教」と言う建前にオーソライズauthorize化させた思想であろう
世界最高の信者を擁するキリスト教であるが、イエスの在世中は奇跡を起こして病気を治す集団であった、キリスト教のマリア崇拝であるが、聖書にマリアに関する記述は無く教義的には異端と言える、ノートルダム
notre-dameと言うタームの組織は教会や学校など世界中に存在するが、本来はフランス語の「我らの貴婦人」即ち「聖マリア」を意味する、中国や日本仏教に於いても本来は男性である観音菩薩を女性に変換して母性信仰を作り出している、裁きを与える男性的な神に対して、総てを受け入れてくれる女性神である聖マリアの「おかげ」かも知れない、但しマリアとはポピュラーネームでイスラーム圏の方が多くのマリアが居ると言う。
聖母マリアや観音菩薩・多羅菩薩等は裁く神ではなく、優しく受け入れる母性神を信仰するのが、男性達に支持されているのではないか。  
観音菩薩の梵語名はアバローキテーシュバラavalokiteśvara bodhisattva)と言い勇者、貴人を意味する男性名詞である、ルーテル派を除くプロテスタントではマリア崇拝を否定する、宗教とは戒律等々拘束される教えと言える、マリア崇拝は母性本能が満たされる安らぎの場所である、女神(じょしん)崇拝がない中国、日本の仏教では紛れもない男性である観音菩薩を女性に変化させて信仰する、ヒンズー教のインドやチベット仏教では多羅菩薩(tārā)等々に人気があり女神崇拝が著しい、世界的に観てプロテスタンテズムが普遍的とは言えない、またマリア崇拝や偶像崇拝を否定するプロテスタンテズムからは、ダビンチ(レオナルド、ダ、ビンチ Leonardo da Vinci 1452年4.月15日~1519年5月2日)やラファエルラファエロ・サンティ Raffaello Santi 1483年4月6日~1520年4月6日)は生まれず、卓越した芸術は誕生できないだろう。
日本仏教に於いても本来は男性で勇者・貴族を意味する観音菩薩を女性に変換して母性信仰を作り出している、裁きを与える男性的な神に対して、総てを受け入れてくれる女性神であるマリアの「おかげ」かも知れない、但しマリアとはポピュラーネームでイスラーム圏の方が多くのマリアが居ると言う
(国による発音の相違で、マリアン、パトウール、アズラ、マリア、メアリー等々同一名である)。 アバローキテーシュバラavalokiteśvara bodhisattva

パリの大聖堂に代表されるが、フランス語圏初めとして各地に存在する、2019年火災に遭ったノートルダム寺院Notre-Dameや学校名の冠に使われているNotre-Damは仏語で”我らが貴婦人”すなわち聖母マリアを意味する、従ってカトリックにマリア信仰は篤い、こちらに於いてマリアは佛教的解釈では本尊に相当する。 
三位一体の哲学はBc67世紀ヴェーダの奥義書とも言えるウパニシャッドUpaniadが嚆矢とされる、三位一体と類似性の高い哲学に多神教のヒンズー教に「一体三神」(トウリムーテイ trmūrtiがある、これは最高神が三尊で表すシステムで梵天が世界を作り、ヴィシンヌがそれを維持、シヴァが破壊するとされる、マントラの前後の必ず唱えられるのが”オーム”即ち聖音である、和訳では”然り”であろうが、キリスト教に於いては”アーメン'āmēn”に相当する様だ、語源としてはオーム真理教のオームと同じである。  
キリスト教の根幹を要約すれば愛
(アガぺーAgapeに尽きる、「汝の隣人を愛せよ」(ルカ伝大10章2537節)「祈りを求めることは既に叶えられたと信ぜよ、さすれば願いは叶えられよう」(マルコ伝第1124)に要約されるかもしれない。 
しかしカトリック教会の定めた・規範・秘蹟
(サクラメントsacrament sacramentum・煉獄(注5 プルガトリウムPurgatorium等や外典は聖書には記述されておらず、聖書の求めは信仰であり主なる神と隣人に対して無報酬の愛を求める、したがってユダヤ教やイスラーム教の様な戒律は無いといえる、因みに外典(アポクリフアapocrypha)とは聖書から除外され加えられなかった典籍である、因みに外典はキリスト教等では「がいてん」と読み佛教では「げてん」と発音されている。
これは仏教に於ける最澄に始まり法然親鸞・日蓮達の無戒律宗教と酷似している、ただ日本仏教との相違を挙げればキリスト教は ・三位一体
(trinity) ・マリア崇拝など聖書に記述されない哲学は存在するが、基本的には一神教と多神教の相違である、また仏教は人は修行により覚者となり釈迦如来の領域まで到達を目指すのに対して、キリスト教に於いては神と人間は主と(しもべ)の関係が崩れる事は絶対にない、これは大天使Archangelであるミカエルガヴリエルと謂えども例外ではない、大天使ガブリエル(ジブリール・アラビア語 ヘブライ語・Gabhr・ガブリエール・英語Gabrielとは旧約聖書のダニエル書に登場する天使で、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教では共通の天使である、最後の審判で死者を再生、マリアにイエスの受胎を告知している、キリスト教では(主)からの加護で知られる天使長天使の最高位の*ミカエルヘブライ語 āēl]精神的癒しの *ラファエル(独 Raphael 英語 Raphael ヘブライ語 רפאלと共に三大天使にカウントされる、聖典に記述が無くカトリックでは否定するがユダヤ教ではウリエルÛrîʾēlを加えて四大天使としている、脱線するが受胎告知の記述があるのはマタイ伝とルカ伝であるが詳細が異なる。
キリスト教の救済の根幹は「永遠の生命」を授かる事に在る、人の死はモラトリアムmoratorium即ち仮の姿でありイエスが再臨し最後の審判を受けた後無罪なら現世での永遠の生命受ける、しかし有罪の場合は永遠の死の宣告を受ける、ここで脱線するが、永遠について通常は、何時までも継続する意味であるが、永遠とは期間すなわち時間・始まり、終焉もない意味合いであるが永遠は存在しないと思惟される。
最後の審判の情景を著したレリーフがフランスドゥルドゥー
Dourdouのサント・フォワ修道院L'eglise abbatiale Sainte-Foy)にある、最後の審判を下す中央のイエスの左手下に地獄が著され右手の処には天国に招聘された人々、更に大天使ミカエル英 Michael・ペテロ Peter)・聖ベネデエクト英 Benedict)等々が彫られている、但し聖書には天国すなわち神の国
(kingdom of God キングダム オブ ゴッド)の情景に付いての説明は記述されていない、神の国について全く記述が無いために寧ろ有難がられている、因みに法華経も最高、最高と言いながら神髄に関する記述が無い為に万能と解釈してくれる、聖書の最終章(apokaly psis)である最後の審判が出たので追加するが、使途ヨハネがギリシャ領のエーゲ海にあるパトモス島(patmos)と言う小島に流刑中に神から告げられ記述された事になっている。
天国にに付いて内村鑑三は「天国とは 神によって救われし霊体に宿って永久に存在する所の名称である」
(小室直樹、日本人の為の宗教言論、宗教座談)と延べている。
仏教にも共通項とも言える絵画がある、仏の世界から地獄までの十界と人間の生涯を放物線で描いた「熊野観心十界曼荼羅」を言い、熊野比丘尼が勧進に携行し絵解き行脚した作品が残っている。   

仏教と根本的な相違として以下の三点を挙げる。
a
,仏教は法則・真理・は悠久の昔からあり釈迦が発見
(創造したものではない)した宗教であるのに対してキリスト教に於いて万物は全て神の創造による。  

b,キリスト教の予定説predestination(プレデステイネーション)  、vorherbestimmung、 predestion)に対して仏教は因果説「因果律(causality コーザリテイ)」である、キリスト教の場合は原点にジャン カルバンjohn calvinの言う予定説がある、予定説とは神の意思により信仰、行い(善行)に関係なく、救われる者、救われない者とは最初から決められているが居る、聖書には人間の意志は認められていない、予定説にはいかなる懺悔もいかなる善行も儀式も全く効果がない(マックス ヴェーバー Max Weber、律法順守の否定に付いてパウロは言う、律法を正確に遵守したから主の前に出てサルベージ(salvage)を受ける事は無い。
”神仏に依る采配”即ち予定説に因果説を四字熟語で記述すれば運否天賦になろう、
小室直樹氏はキリスト教のキーワードは「予定説」にあると言う、カルヴァン派はイングランド国教会の改革を叫び、市民革命を担い、そこから発生したピューリタン Puritanはアメリカ合衆国の「見えざる国教」と言えるまでに興隆した、因みに日本では「清教徒」と訳されている、重ねて強調すれば、カルヴァンの二重予定説に依れば、神に依るサルベージは授かる者と滅びる者がめ決められている、因みにアメリカ合衆国では憲法第一条に於いて国教樹立の禁止と信教、言論、集会の自由を記述している。
宿命論は佛教では業因論であり説かないが、インドでは古来から宿命論がある、これを梵語でニー バーダniyti vādaと言う。
閑話休題同じ一神教すなわち経典の民だけにムスリムにも予定説predestination プレデステイネーション  cavinism カルヴィニズムがある様だ、彼らのよく話す言葉にインシャラーinshallahがある、即ち「神の御心のままに」があると言われている。
仏教では説かれないがインドには総ては宿命(しゅくみょう)で決まると言う、ニャテイーヴァーダ(niyati vāda)即ち宿命論がある、これはしゅくめいとは違いデステニー(destiny)、ドイツ語でシックザル(schicksal)にあたると中村始氏は言う、因みに「しゅくみょう」とは前世における善悪・苦楽などの状態とされる。
一神教では信者は「聖なる神の奴隷」すなわち聖隷(せいれい)
(ヨハネ伝第13条)である、神を信じ善行を施せば救われるのであれば神は人間の奴隷になってしまう、神によるサルベージ(salvage)は人間の行いに関係なく神により決定される方便とも言えるもので、聖書には記述が無い、但しカトリックに於いては因果律を取り入れた煉獄(注5と言う救済処置を講じている。ユダヤ教の最大の特徴として霊肉一体論であり肉体から離れた魂があると言う考えは無い、しかし後のキリスト教、特にカトリックに於いては予定説に対する方便として中二階的な煉獄思想が考えだされた、予定説を四字熟語で言えば運否天賦(うんぷてんぷ)とでも言うべきか。
キリスト教では興隆と共に、ギリシャ思想に影響された霊肉二元論が採用されて天国、地獄、を信ずる人々が出始めた。

仏教の因果律は善行を積めば現世でなくとも輪廻転生により六道を輪廻する間に報われる。 

c,絶対的に逆なのが仏教では最高の覚りは涅槃により輪廻転生から脱出、解脱による永遠の死であるのに対してキリスト教は永遠の生命にある、但し永遠の生命とは如何なる状態を指すのか具体的な説明を聖書は述べていない。
もう一つの大きな相違として仏教は修行等により覚りを開き覚者として釈迦の領域と並ぶ事にある、重ねて言えばキリスト教等の一神教は人は神の(しもべ)であり大天使や聖人と言われる人でも神の僕である事に変更は無い、仏教と異なり神の領域に迫る事は絶対にない。
現在世界は文化、風習等々キリスト教中心に動いている、代表例が年号である、
西暦をAD 〇〇年と記述される、ADとはラテン語のAnno Domini(アンノドミニ)の略である、イエス生誕からのカウントであるが、「神の後」とも訳されている、因みにキリスト生誕以前をBC即ちBefore Christ と記述される、近年ではキリスト生誕はAD 1年ではなく、BC47年説が有力視されている、新約聖書ではイエスの生誕日に関する記述は見つけられない、また生誕場所もベツレヘム(へヴル語Bēth Leḥem ベース・レヘム)とナザレ(Nāəra ナーツェラス)があるが、ナザレ説が有力と言える。
一神教に於いて一日は日没から始まる、クリスマスに例を採れば1224日の日没クリスマスイブがクリスマスの始まりである。
三百九十二年皇帝テオドシウス一世(theodosius 8ラテン語)347年~395日)
はキリスト教を国教とする、但し三百九十五年には王子二人に対して東西に分割して分け与える、因みに西ローマ帝国は四百七十六年ゲルマン民族の侵入で滅亡する、東ローマ帝国も一千四百五十二年オスマン帝国に滅ぼされる、キリスト教も次第に違和が生じ千五十四年分裂してローマを中心としたローマカトリック(西方教会)と、コンスタンチノーブルを軸としたビザンチン即ち東方正教会(ギリシャ正教会・東)に分裂する、更に西からプロテスタントが興る、現在のキリスト教には多くの宗派があるが歴史的に俯瞰すれば、395年ローマ帝国の分断により徐々に離反し、1054年にローマのカトリック教会(西)と東方正会(東)に分断する、更に十六世紀にローマカトリックからプロテスタントが多数の分派に分かれる。

1
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カトリック教会 ・2,プロテスタント ・3,東方正会の各宗派  ・4,英国国教会と大きく4グループに大別されるが、英国の哲学者、ジェレミー、スタンルーム
jeremy stangroom・服部千佳子訳・religion・原書房)の分類に依れば教派分派は・再臨派・バプテスト派・東方正教会・ヨーロッパ自由教会(クエーカー含む)・末日聖徒イエスキリスト教会・ルーテル教会・ペンテコステ派・カトリック・英国国教会などを挙げている。(英国教会を除く3グループに通常は分けられる)
正教会とはギリシャ正教
(東方正教会・Eastern Orthodox Churchの事で正教会はロシア正教会・グルジア正教会Georgian Apostolic Autocephalous Orthodox Church・ブルガリア正教会・ルーマニア正教会Romanian Orthodox Church・日本ハリストス正教会Orthodox Church in Japan等に存在している、因みにハリストスはギリシャ語読みで、キリストの意味である、因みにアーメン(然り)で元意味はヘブライ語のエメト(真実)emethである。
日本人のキリスト教観と言えばイエス・キリストの生誕を祝うクリスマス(生誕祭)であるが、ナザレのイエスの場合生没年数は新約聖書にも記述はなく不明である、1225日は仮説であり四世紀頃に決められた祭りである、一説にはルカ伝・マタイ伝、やマリアの懐妊が過越祭の頃と仮定してのクリスマスである、因みに東方正教会に於いてはイエスに聖霊が宿ったとされる16日がクリスマスである、脱線するがイエスは日常会話をアラム語で話していたとされるが、アラム語ligua aramaica)の経典は存在しない、因みにアラム語とはBC600年頃にシリア、メソポタミアで使用されていた言語で現在でもレバノンで使われていると言うセム語系の言語である。   
ヨハネ福音書・第8章、第7節ではないが、己の無知に対する罪を認知せず石を投げれば、セム的一神教と進化論とは二律背反の典型と言える、即ち進化論では四百五十万年前に類人猿が登場し、四十万年前には人類は現在と同程度の知能を有しているが、聖書に記述される天地創造を計算すると六千年程度
(注13遡るだけと言われる、即ち六千年前に天地も人を含めた動植物は六日間で創造されたとキリスト教徒に信じられている、正木晃氏に依れば信仰とは論理、思考を超えたものが潜んでいるいると言う。
イエスは神か人かの問題について、325年ニケアの第1ニケア公会議に於いて「イエスキリストは人であり、神である」と規定された。
イエスは人か神の子か、聖書の記述では一ヶ所のみの記述がある、ヨハネの福音書第3章、第16節周辺にそれらしい記述が為されている、「15節、それは、彼を信ずる者はみな永遠の命をもつためです。 16節、というのは、神は世を深く愛してご自分の独り子を与え、だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで永遠の生命を持てるようにされたからです。18節、彼に信仰を働かせる者は裁かれませんーーーーーーーーー」の記述がある、
神の子に関する聖書の記述は第316節1ヶ所に限られている、因みに新約聖書では、イエスが「人の子」といわれている記述ヶ所が88回ある様だ。
キリスト教のセールスポイントに「*信ぜよ さらば救われん、*ただ信ぜよ 信ずる者はたれもみな救われん聖歌 424番と言われるが聖書に相当する記述は観られない、但し強引に繋げばマタイ伝9、ルカ伝7、に信仰が汝を救った、かも知れない。
小室直樹氏は言う、キリスト教では経典の範囲に対して千年以上も論争が行われた、現在は旧約39巻、新約27巻は聖書として共通であるが、特にヨハネの黙示録が問題視された、現在は旧約外典(がいてん)
apocryphaの解釈で各宗派の相違としてカトリックとギリシャ正教は外典に加える、英国国教会は指針として扱うがプロテスタントは聖書以外を否定すると言う、脱線するが神(主)は親兄弟、妻子を持たない、聖書には女神に相当するタームの記述は無い、juno天、 cerus五穀、 venus愛、  bellona戦い、 diarth月、 minerua智慧、 the~of liberty自由 。   
ここで聖書に於ける疑問点を一点挙げておく、創世記第一章二十六節に「我々のかたちに似せて、人を造ろう、そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」の記述がある、一神教の主に複数形を使用している、これに付いての弁明は詭弁と言えよう、「ヘブライ語に於ける畏敬の複数形」との釈明があるが、
日本に於ける総理の炉心状態が不祥な福島第一原発事故の収束宣言の如く黒を白と言い切る詭弁と同根と言える。 

英語で聖書をバイブルbibleと言うが、仏教にもよく似たタームがある、方等vaipulyaと言い原語のバイプルヤvaipulya 梵語)で大乗の教え即ち大乗の経典を意味する。
創世記第一章二十六節はヘブライ人の祖先達に依り語り継がれた古代バビロンのカルデア神話Cardeaのコピーかも知れない、もう一つ聖書と進化論の関係の説明が難解であろう、進化論に於いて人類が現在と変わらない能力を持ってから約四十万年経過している、聖書で神が「光あれ」と天地を作り、「我々に似せて人を作り」即ち人間を創造されてから約六千年との計算があり時間的に合致しない。 
進化論に付いて翻訳の解釈に依るが、ヨハネパウロ二世は「進化論は仮説以上のものと認識出来る、即ち肉体の進化論は認める、但し人間の魂は神によりクリエートされた」と述べ、創造論と進化論が両立している様な声明をしている、因みに米国人の統計では、創造論者と進化論者は概ね拮抗している様である。 
カトリック及びプロテスタントに於いても現在の神学がイエスの意とした教義か否かはに付いて、あれは堕落した姿と言う
、インド人哲学者・ラーダー、クリシュナンSarvepalliRādhākrishnan 18881975等々の神学者達がいる。


残虐な正統派争いをした、初期のキリスト教の概観

アタナシウス派   
(295~373年)

イエスは神である・三位一体・マリア崇拝。 二ケア宗教会議(325年)でコンスタンチヌス一世より正統と認知される、カルケドン公会議(451年)でも確認される・現在のカトリック・プロテスタント・ロシア正教など大半を占めている。

アリウス派   
(256~336年)

イエスは神ではなく預言者である。 二ケア公会議で異端とされる。 教義に高い正統性がありドイツ周辺で長く活動した。

ネストリウス派   
(~431年)

イエスの神性と人間性問題、マリア崇拝と三位一体に否定・エフェソス公会議(431年)で異端とされる、ただし政治的に異端とされた後にイランを経て中国にわたり景教となり13世紀頃まで栄えた。 京都広隆寺周辺に景教の残滓が感じられるが定かでは無い。   (注12)  

*初期のキリスト教に於ける教義の相違は非常に小さい、英国の歴史家で”ローマ帝国衰亡史”を著作したエドワード ギボンEdward Gibbon 1737年~1794年)に依ればラテン語で表示すると i 一文字の相違と言う。
 アリウス派    homoi ousios イエスと神は相似である、
 アタナシウス派 homoousios  キリストと神は同一である、小室氏は丸山真男教授の山崎闇斎(あんさい)(江戸時代の儒学者)説を説明を取り入れて「毫釐(ごうり)の差が千里の距離を生む」説明している、因みに毫釐とはほんの少しを言う。  日本人のための宗教言論 小室直樹 徳間書店 
 不詳な点が多いがカタリ派(注11)などは神とイエスの二神論を唱え、三位一体、免罪符の発行、等を否定して十字軍に全員虐殺された、因みに異端に付いて言えば、異端の逆は正統である、但し正統が道理に適う正当かと言えば別問題である、(鎌倉仏教 平岡総 角川選書より)


*
ネストリウスは東ローマの皇帝テオドシウス二世の抜擢で教皇となるが、熱狂的に高揚していたマリア崇拝の否定と、アリアン派、ノバチウス派、マケドニウス派等の異端派の追放など過激な行動で敵を増やし追放された、興隆した宗教組織は概ね例外なく最先端のハイテク技術を駆使して民衆から受け入れられた、キリスト教ネストリウス派とも言える景教も例外ではない、ネストリウス派は植物薬学、鉱物薬学に秀でておりエデッサ修道院は世界最先端の医薬研究所であり、中国名の景教徒は輝かしい唐の文明の一翼を担ったとの記述がある。(中国景教の故地を歩く 彩流社 桑野淳一)


*キリスト教に於ける勢力分野として、ローマ・カトリックは南欧や南米での信仰が多い、ギリシャ正教会は東欧や南東欧が地盤である、またプロテスタントは北米を中心に西欧で信仰されている。

*
カトリックとプロテスタントの相違は極めて少ないが、最大の相違は聖書には無い、カトリックの行う儀礼・式典にある、サクラメントsacramen即ち秘蹟の有無にある、プロテスタントの多くは秘蹟を完全否定する、因みに秘蹟(ひせき)とは聖餐(せいさん)洗礼(せんれい)などを言う、要するに予定説を言うプロテスタントと秘蹟によるサルベージsalvageを強調するカトリックとの相違は決定的と言える、最近はあまり言われないが、日本ではカトリックを旧教、プロテスタントを新教と呼称する人も存在する。


主な宗派の信徒数 
*カトリック10.8億人  *プロテスタント3.5億人   *東方正教会2.2億人   *その他3.9億人  

1 ,
 カトリック
  ギリシャ語(ギリシア語 カトリコス katholikos、 ラテン語catholicus、 オランダ語 katholiek、 英語 Catholicの公的・普遍性・全体と言う広い意味を持っている、キリスト教の発展過程に於いて解釈の多様化を監督する為に作られた組織で、イエズス・キリストの代理として信徒を司祭・精神面に於いて世界でただ一人統括する権限を持ち、ローマ教皇を長とした正統教義としたローマ・カトリック教会の基に一元化され、ペテロを後継する教皇を頂点として君臨している、聖職者制度を駆使して民衆や国を統一する組織であり世界に六億人以上の信徒を持ち、一神教に於けるメインストリームmainstream的存在である、因みにカトリックの聖職者は神父と呼ばれ*教皇 *枢機卿 *大司教 *司教 *司祭 *助祭に分けられ総てが独身者である、閑話休題、宗教改革はプロテスタントのタームであり、カトリック側からの解釈は”信仰分裂”である。
ローマ・カトリック教会と呼ばれサン・ピエトロ寺院
(ペテロの墓 Basilica di San Pietro in Vaticano を総本山とする、教皇の権限は強大である、当然組織は疲弊堕落する、バチカンの内紛から教皇が三人も重複する事態となる、その内で教皇の一人にはシチリアの海賊出身も居た様である、また自身の隠し子を教皇にしようと画策した教皇も存在し、宗教改革の引き金になった。
脱線するがポピュラーネームに付いて言えば、ペテロ=ラテン語、ピエトロ=イタリア語、ピーター=英語、ピヨトール=ロシア語、ペーター=ドイツ語、ピエール=フランス語、であるが同一名である。

カトリックの特徴は聖職位階制度と修道会制度にある、聖職位階制度とは重複するが、ペテロの後継者であるローマ教皇
(ローマ法王)を最高権威者として司祭を行い、神からの救済の分配までも教皇が行うと言うものである、キリスト教は発生以来神と精神的な意味を含めて全て教会の支配下にあり、教会に依る拘束がベースになって居る、そこから煉獄(注5、参照)などが考え出された、煉獄purgatory パーガトリー)の中に居ると教えられ、犯した罪に苦しむ民衆に免罪符(独語 ablassbrief)贖宥(しょくゆう)()(ラテン語 indulgentiaを売りつけて豊かになった教会もある。 
やがてキリスト教は世界宗教となりあらゆる民族の枠を超えて信仰する事により神からサルベージを受けられると言う。   
今一つの修道会制度とは教会の極めて広範囲な形態を作り信仰面や生活面に関係したものとされる、初期に於けるキリスト教は聖書の記述にない規範の否定から始まったと言えるが、聖職位階制度と修道会制度等は発足当初の精神から大きく変貌している。
また実在が疑問視されているが、モーセ
(mwuqs)の十戒では「二戒・あなたは己の為に像を刻んではならない」(偶像崇拝の否定)を抹消して「十戒目に隣家の妻を欲してはならない」を追加している、ただしカトリック信者から見れば偶像を崇拝するのではなくその背後にある神の存在を観ずる事にあると言う。  (ユダヤ教編の十戒参照)
キリスト教世界には図像学すなわちイコノグラフィーIkonographie・独)(iconographie・仏)と言う学門が発達しており偶像崇拝に関する解釈は特に18世紀以降変化している、但し経典宗教に教義すなわちdogmaは絶対でなければならない、拙サイトでは偶像崇拝を容認する、偶像崇拝は無知な大衆を信仰に誘う為の方便(手段)と言えよう、即ち十字架のイエスを積極的に取り込む事でキリスト教の興隆があった。
そして世界に広がった宣教師達
(エバンジェリスト、evangelist・注10)はその教義を与えかつ強要するが、任地のエトス・文化を学習しようとせず争いを起こしたことに限界を感じざるを得ない、現在に於いては神父が己の意志で活動しても異端とは看做さない広い懐を持つ風潮が出来ている様である、カトリックはユダヤ教、古代キリスト教と欧州に於ける古代文化の融合により成立したが、イエスの十字架と復活を信じてのみ成立する宗派と言える。

カトリックでは教皇はコンクラーヴェ(ラテン語Conclaveと呼ばれる枢機卿達による選挙で選ばれる、被選挙権は80歳未満の枢機卿にあり、選挙はシスチナ礼拝堂Cappella Sistinaで行われる、投票数の2/3+1票が規定得票数とされる、規定得票数達成者が出ると煙突から白い煙があがる。

キリスト教の根幹に「愛」があるが、キリスト教徒は多くの異教徒の殺戮に罪の意識を持った事は無い、先住民の大虐殺、奴隷の海中投棄、原爆投下などが具体的事例である、

インドに於いて公民権運動で著名な、モハンダス・カラムチャンド ガンディーMohandas Karamchand Gandhi即ちマハートマー(偉大な)ガンディーMahātmāGandhi)は「私はキリストを愛するが、クリスチャンを蔑む、彼らはキリストの様な生き方をしていない」すなわち十字軍・異端尋問、クリスチャン同士の殺戮等々を強調していると思惟される。

宗教改革Protestant Reformation プロテスタント リフォメーションと言う熟語が有るが、キリスト教世界の教会体制上の革新運動であるが、プロテスタント側からのタームであり、カトリック側からの見解は「信仰分裂」にすぎない、但しプロテスタント側からは宗教改革であるが、外野席からは「原点回帰運動」に見える。 
ここで世界宗教の共通点の一つに「ロザリオ」がある、カトリック信者・佛教徒の使うロザリオ・数珠はインドを起源としてバラモンでも使用されていた、中村始著・般若経典に依ればバラモンを介して佛教に採用された、ジャバ‐マーラー
(japa-māiāと言い、japaは念誦を意味しmāiāは輪を意味すると言われる、古代ローマ人などがjapaをジャッパー(バラ)の輪と聴いたと言う、これがロザリオ(ポルトガル語rosario)・ロザリウム(ラテン語rosarium)・ローザリー(英語rosary)・ローゼンクランツ(ドイツ語rosenkranz)などカトリックやイスラーム圏に広がったとの記述がある、但しプロテスタント等は使用していない。
仏教では「木槵子経(もくげんじきょう)」と言う数珠の効養を説いた経典があり、木槵子(むくろじ)の実を108顆束ねて環を作り安寧や安楽の祈願に使用する様に記述されている,イスラームではタスピーフと言い基本的には99個を環にしている
 
聖書と進化論の関係に付いてローマ教皇庁は、やや柔軟で1996年に人間の肉体に関して進化論は認定するが、人間の魂は主の創造物との条件を付けている。
キリスト教関連の文学は膨大な数になるが、
小説ではアンドレ・ジイドの「狭き門」が著名で、マタイ福音書第7章第13節の「力を尽くして狭き門より入れ‐‐‐‐」、現代の聖書からは「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」の記述がある。 (岩波文庫・川口篤訳)



2,
 プロテスタント
  プロテストとはラテン語のProtestioから来ておりカトリックの権威主義・聖書に書かれていない教会法、マリア崇拝、秘蹟(ひせき)(注17)などの強制に対する「正面からの抗議」と訳されている、即ち教皇の指示や教会法が聖書の解釈に優先している事に対する抗議である、過日には日本では新教と呼ばれた時期もあった、プロテスタントのキーワードkeywordとしては新約聖書の最重要視、すなわち「イエス キリストに還れ」に尽きよう、即ち原点回帰運動である、重複させるが小室直樹氏はカトリックとの相違に付いて克明に読むと驚くほど似ていると言う、相違は式典・儀式等々有料で行う秘蹟sacramenにあると言う。 
ドイツの宗教改革者、マルティン・ルター(martin luther 1483~1546年)は救済は教会贖宥状(しょくゆうじょう)  英語indulgence インダルジェンスと民衆ではなく、聖書、直接的関係として、1517
年ドイツのヴィッテンベルグWittenbergを起点に
ローマ教皇レオ10世に対してプロテスタテオ(抗議書)を発した事に始る、1424年から開始されたコンスタンツ公会議に招待されながら火炙りに処せられたチェコのヤン フスJan Husの事件を触媒とし、宗教改革を推進したスイスの宗教改革者で「キリスト教綱要(こうよう)(Christianae Religionis Institutio)」を著した、カルバンjohn calvin 1509~1564年)やマルチン・ルター等によって興されたものであるが、基本的には「神は聖書を通してしか語らない」を共通項に、発足当初から統一体制を持たずに発達した、その結果個々に独立した教派を生み出す事になりルター派の他にクエーカー教徒Quakerメゾデェスト(Methodist)・バブデストBaptist・など多くの有力教団を生み出した、脱線するがチェコのプロテスタントは十字軍の攻撃を受けており教会に十字架を使用しない。
主なプロテスタントの宗派を挙げると復活派
ルーテル教会・聖女マリア監督教会・福音主義友の教会・基準教会など礼拝方法や聖書の信仰順位等により、世界約八億人のプロテスタントは地理的、人口的に広がりを持っている。
プロテスタントは世界をバチカンの傘下に納めようとするカトリシズム
(羅: Catholicismus、英: Catholicismが無いために、プロテスタントの国であるオランダは長崎に出島を出す事が出来た要因の一つと言えよう。
1555年アウクスブルグの和議(アウクスブルクの和議 Augsburger Reichs- und Religionsfrieden)が帝国議会で行われルーテル派は認められたが、カルバン側から見て日和見と言われた。


プロテスタントの基本的な特徴は
1)信仰義認 神からの救済は功績ではなく信仰のみによる、伝道者や牧師は神の使命即ち召命されて付く職業である。
2) 聖書原理主義 教会などの権威や旧来からの伝統主義ではなく聖書に記されている事のみをオーソライズする、即ちカトリックの行う聖書には記述されない外典(がいてん)や・贖宥状(しょくゆうじょう)の発行・洗礼・聖餐等カトリックで使用する秘蹟の否定である、即ち式典・儀式によるサルベージ(salvage)の否定である、カトリックが説教に於いて広範囲な俗受けを目的に聖書の記述や論理性を犠牲にした教えに対する抗議運動とも言える。
3) 万人祭司神父のみが直接神と対面できるのではなく万人が神の前にたつ事が出来ると言う。
またプロテスタントはカトリックによる教会支配に反対のみではなく正しい翻訳の聖書に帰る運動でもある、古代
ヘブライ語による聖書の翻訳した言葉の正当性の主張でもある。
カトリックとの相違は僅かでありプロテスタント即ちマルチン ルターやジャン カルヴァン(仏 jean calvin 1509年~1564年5月27日)は儀式や式典の行使で救済されると言う秘跡Sacramentの否定である、しかし現在ではプロテスタントでは礼典Ordinanceが行われている、因みに正教会では機密、聖公会では聖奠と言う儀式が行われている。
(4)聖職者は牧師と呼ばれ婚姻、妻帯は自由である、即ち主の前では総ての人が平等でなければならない

プロテスタントはカトリックと違い十八世紀の転機を含めて離合集散を繰り返してきた、これは妥協を許さない純粋さが大きな要因と言えよう、プロテスタントの信仰による厳しい禁欲的行動様式(エトス)の高揚はヨーロッパの近代化と時期を同じくしており、時の芸術・文学・哲学の近代化は広く大衆にまで多大な影響を及ぼした、故に資本主義と近代法、近代デモクラシーdemocracy)はプロテスタント(Protestant)(ピュウリタニズム)の精神が生み出したものである。 (プロテスタンチッズムの論理と資本主義の精神・マックス・ウエーバー著・大塚久雄訳・岩波書店)   

因みにピューリタンPuritanの語源は白などを表すPurityからで、Puritanで厳格な人、潔癖な人を指すこともある。
プロテスタントには福音派
evangelicalがありユダヤ教と友人関係にあるが、ユダヤ教徒をイスラエルに集めて改宗させる事によりイエスの再臨があると言う聖書解釈があるとされる、福音派は聖書は総てが主の言葉と信じて読み原理主義胝な部分がある、即ち逐条霊感(ちくじょうれいかん)と言うべきか。


3、 東方正教会(ギリシャ正教会) 元来西方正教会(カトリック)と同一であったが395年ローマ帝国が東西に分割される、イスタンブールを拠点に繁栄するが15世紀中盤イスラームのオスマン帝国に破壊される。
726
年に偶像崇拝すなわちフィリオク問題注16などで確執が起り1054年にはレオ9世と東方の大司教で双方が破門しあう関係になった、即ち分裂である、三位一体論が大きな比重を占める教派であり、ビザンチン帝国即ちコンスタンチノーブルを首都とする古代ローマ帝国を発祥とする宗派で東ローマ帝国とも呼ばれている、因みに偶像崇拝に関してはカトリック(西方)は緩く、東方は厳格であった。
ギリシャ正教・ロシア正教から東欧に広がりトルコのイスタンブールに世界総主教を置くが個々には主権を所持している、因みに正教とは”正統なキリスト教”を意味する、ローマ教皇庁(きょうこうちょう)(Curia Romana即ちバチカン
(ラテン語Status Civitatis Vaticanae、伊Stato della Città del Vaticanoの様な統括は行わず象徴的存在にとどまる、正教会の日本語訳は英語のOrthodox Churchの直訳らしい
主な教派は *アレクサンドリア正教会(エジプト) *アンテイキア正教会(シリア) *エルサレム正教会(ペルシャ湾岸諸国含む) *ロシア正教会(ロシア連邦含む) *ギリシャ正教会 *ポーランド正教会等々が挙げられる、日本に於いては *ハリストス正教会(ロシア正教会系)が活動している、因みにハリストスとはギリシャ語のキリストを音訳した呼称である。 
西暦四百五十一年のカルマゲドン信条を標榜してイエスは完全な神性と完全な人性を持つとする。
修道院活動は盛んであるがカトリックのような統括組織はもたず司祭は妻帯が出来る、また祭礼に於いてイコン
(ギリシア語 εικών ロシア語 Икона、 英語 Icon、  独語 Ikon

と称するキリストやマリアの聖像画が重要視されイコノスタシスiconostasis 聖障(せいしょう)と呼ばれる空間を使用されるのが特徴で有る。
小室直樹論に依れば、ルターもカルバンの綱要もカトリックと酷似しているという、僅かな相違は式典、儀式によってのサルベージを認めるか否かの相違と言う。 



4、 英国国教会(Anglican・Church) 英国国教会は20世紀初頭よりカトリックプロテスタントとの仲介者として積極的に活動し世界教会協議会の設立に中心的に関与した。
3
世紀頃キリスト教が伝わり597年に
カトリックの傘下に入る、16世紀ヘンリー八世の時代に八世はキャサリンと離婚しアン-ブーリン(後に処刑される)を王妃とした事から離婚を認めないローマ教皇・クレメンス七世と対立し離反する、1554年復帰するが1558年アン-ブーリンの娘エリザベス一世に時代に再度離反する、発足当初からカトリックと接近と離反を繰り返しながら英国国教としたもので、 系列的にはプロテスタントに分類されるが儀典などはカトリックに近く中間的存在にある。 
カンタベリー大聖堂に総本山があり大主教を頂点とする、アングリカン・チャーチと呼ばれる組織で世界的な規模に発展し日本でも立教大学、聖路加国際病院などを傘下に持ち「日本聖公会」聖パウロ教会として活動中である。 
この中間的思想に反対した組織に聖書に忠実な
ピューリタン(puritan・清教徒)があり、英国に於いて非国教徒の扱いを受けアメリカに渡り建国の中心的役割を果たした。(注4参照) 

信徒数8千2百萬人                                        


5
、 日本で活動中の教派を挙げるとカトリック・ギリシャ正教(東方正教会)・聖公会・ルーテル教会・バブテスト・ホーリネス・メソジスト・改革派等がある。
・救世軍と言う英国生まれのプロテスタント組織とは、社会鍋で知られる組織で創始者のウイリアム・ブースがThe salvation army
(救いの軍隊)と述べた事から救世軍を呼ばれている、日本では1895年に英国人が横浜に於いて活動を始めた歴史を持つ。 

異端として1884年にチャールズ・テイズ・ラッセル(Charles Taze Russell、1852年2月16日 ~1916 年10月31日)により創始された国際的なキリスト教系の組織にエホバの証人「ものみの塔聖書冊子協会」があり、述にある奇跡を全て信じる、すなわち聖書の記述にない秘蹟・偶像崇拝・
マリア崇拝・三位一体等は完全に否定する。
天草事件の継承者に付いて、明治に入り禁教を解かれた「隠れキリシタン」の後継者達はカトリックは無論何処にも所属しないで先祖からの信仰を継承しているキリスト教徒が2020年現在40人ほど存在している様だ。
ものみの塔の言う神の王国とは神が選択した王、即ち再臨したイエスキリスト
により支配される国であると言う。
キリストの再臨に付いて言えばイエスは一度十字架に貼り付けられ死亡したが、三日後に復活して元の肉体を保持して主の国へ行った、そして最後の審判で地上に降りてくるが、それ以外の再臨は聖書に記述が無い。
教団の発行する書籍を企業や家庭に配布しながら伝道する会派で
カトリックプロテスタントも否定する教団で、既成キリスト教団はキリスト教としてオーソライズauthorizeされていない、エホバの証人のイエスに対するスタンス(stance)は「これまでに生存した最も偉大な人」であろう
「永遠の生命」の根源として死の後に復活があると言う、真摯な伝道活動を行って居るが、古代へブル語は母音表記をしていない為に、
エホバは古代へブル語のヤハウエの誤読(注1が定説である、またモーセの十戒の内で第三戒あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならないに違反している(注1参照)、古代ヘブライ語に於ける「YHWH」に記述には母音が表記されていない為にヤハウエ (yhwh)をエホバと誤読しているとの解釈が主流である、またイエスが1914年に地上に密かに再臨(second advent)しているとの主張の根拠が不明である、兵役拒否はともかく、手術の際に自身はともかく子供に対する輸血までも拒む。   
聖書は人間として如何に生きるかの為の仕様書であり、具体的な奇跡を信ずるものでは無いと思はれる。 

6
、日本でも知名度のある宗派に
アメリカ・ユタ州のソルトレーク市に本拠を置き約400万人の信徒を持つ、「末日聖徒イエス・キリスト教会」(モルモン教 Mormonism) 正式名称を末日聖徒イエス・キリスト教会(Church of Jesus Christ of Latter-day Saints; LDSがある、1830年ジョセフ・スミスが授かったとされる「モルモン経」を聖書と並列する経典とする為系列としてはキリスト教系と言えるが、キリスト教カトリック及びプロテスタントでは異端とされている。
日本に於いてアメリカ人で布教活動をしながらTV・タレントとして活躍している人もある。
モルモン教とはモルモンと言う預言者により5世紀頃に授けられ千年以上後に
ジョセフ・スミスに授かるが、モルモン教の原典は英語で17世紀英国国王の命令で訳された「キング・ジェームス・バイブル」である、その他米国には*アーミッシュAmish Amische *人民寺院Peoples Temple *ブランチ ダヴィデアン(Branch Davidian)等がある。 
エジプト中心に「コプト正教会」
Coptic Christianityがある、7世紀中盤イスラームに依る制圧後も過酷な税負担などの差別で改宗者が相次ぐ中で、重圧を受けながら生き残る、エジプト人口の凡そ一割800万)がコプト正教会を名乗る東方教会系の宗派である、451年のカルマゲドン公会議に於いて異端とされたが古代エジプト文化と正当なキリスト教徒との自負は強い。
東方典礼カトリック教会の一派は、政情が厳しいレバノンに30%程の信者を擁し、アラビヤ語・シリア語で礼拝するマロン派がある。
経典は古代エジプト語であるコプト語訳であり、コプトとはアラビア語でQib
(キブト)と記述されaigyptosが訛ったもので本来はエジプトを意味する、マタイ伝に聖家族のエジプト避難説の記述がありマリア崇拝に極めて篤い教団である、西暦40年が嚆矢としているが2世紀ころの発生とされる、日本には教会は無いが東京と倉吉市に於いて集会は行われている。  

福音派クリスチャン即ちエヴァンジェリカルEvangelical)と言う組織がある、彼等の主張の一部に総てのユダヤ教徒が聖書の地に帰還しクリスチャンに改宗すると、イエスが再臨して神の世が到来すると言う、日本に於ける組織として日本プロテスタント聖書信仰同盟、日本福音同盟、世界福音同盟等々がある。
青山学院等と関係の深いメソジスト
(Methodist)や異端思想即ちグノーシス(gnosis)も忘れてはならない。  
また聖書より上位の経典を持つのは子の中のあるがキリスト教とは絶対に相違があるが、陰に隠れて政治権力との癒着が著しい。
北朝鮮生まれで再臨王の使命をイエスから継承したと称する、故文鮮明
(ムン・ソンミョン、Rev. Moonが起こし、現在は妻の韓鶴子が継承し、政治家や芸能人を広告塔に用いる統一教会(世界基督教統一神霊協会)、摂理すなわち基督教福音宣教会christian gospel mission等があるが、これは断じてキリスト教ではない、世界平和統一家庭連合、( Family Federation for World Peace and Unification; FFWPU

通称ギデオン協会と呼ばれる組織がある、1899年の創立された財団法人で国際
ギデオン協会(Gideons International)と言う団体では、 クリスチャン等で組織され、聖書を学校・ホテル・病院等に無償配布する相互の交流と主への奉仕として活動する団体である。
日本国際ギデオン協会 (〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-1 OCC401)

 

1、ヤハウエ(aHW)の誤読 古代ヘブライ語には母音表記がなく、YHWHと記述されていたがモーセの十戒の内、第三戒に「汝は神・主の名をみだりに唱えてはならない」の教えから神を主と唱えていた事からキリスト教の一部に於いてエホバと誤読されていた、現在ではユダヤ教ではヤハウエ、キリスト教では天主・主と呼ばれている、ユダヤ教では現在でもYHWH表記の聖書で詠まれている。(古代ヘブライ語記述は仏像をBTZUと表記したようなもの)。  

 

2、 秘蹟 法的誓約の意味を持つラテン語のサクラメントゥム(sacramentum )から出ており後に神学用語としてヨーロッパで語源となった。
キリスト教の重要な礼典でイエスへの服従を示す儀典である、方法は教派によって異なりカトリックでは秘跡・プロテスタントでは礼典、聖礼典・聖パウロ教会では聖奠等と訳されており一般には洗礼等の儀礼を言うが、特にカトリックは秘蹟中心的であり七秘蹟が重要視される 1、洗礼 2、堅信 3、聖体 4、ゆるし 5、病者の塗油 6、叙階 7、婚姻が挙げられるが聖書に記述は無い。
sacramentumを理解するには英語のsacred (神聖である)と語源が共通である。    

3、 三位一体(ラテン語:
TrinitasTrinity, : Dreifaltigkeit)とは ・神・イエス・聖霊(第三位格)を言い、その順位や解釈をめぐり教会の分裂を繰り返した、カトリック、プロテスタント、正教会、聖公会、東方諸教会などが採用している、特に聖霊に付いては宗派により解釈が異なり聖霊論(pneumatology・ニュゥーマァタァラァヂィ)と言う学問がある程である。

4、  ピューリタン(puritan,清教徒)  本来は清廉・謹厳等を意味するが、通常は清教徒を言う、カルバンの宗教改革を手本としておりカトリック色の除外を目指す、聖書に忠実な組織で16世紀頃のイングランド・ニューイングランドに於ける改革的プロテスタントで教義に対してファンダメンタルなキリスト教徒を言う。
 ピューリタンの精神は現在のアメリカ文明の基本理念でもあり、長老派・バブテスト派・クエーカー派などもピューリタンの範疇に入る。

5煉獄(れんごく) (
Purgatorium、ラテン語、プルガトリウム ・purgatory,パーガトリー) バチカンが考え出した思想で、いわゆる階段の踊り場とも、天国か地獄への待合室とも言える場所で、天国と地獄の中間に存在すると考えられている、煉獄はカトリックは正式教義として採用しているが本来はキリスト教にはありえない思想である(小室直樹 日本人の為の宗教言論)、ギリシャ正教は救いの思想は容認するが正式な教義ではない、プロテスタントは聖書に記述がない為に否定する、本来予定説のキリスト教に佛教等の因果説採用は疑問視される。
信仰・愛が不完全であるが地獄に落ちる程の罪も犯していない人が最後の審判の日まで待機する場所である、現世に於いて魂は煉獄の中で苦・祈り・善行を行うことにより天国を目指す場所であり仏教に於ける仏陀の前世物語のジャータカ(本生譚 jātaka)や精進や(ぎょう)に近くなる、同じく仏教には中有(ちゅうう)とか中陰と言われる猶予期間があるが遺族の供養が判定には加味され期間は49日である、中有を梵語ではアンタラー・ババantarā-bhavaと言う、但し煉獄は聖書に記述されていない為にプロテスタントを誕生させる触媒になった、また聖書から提唱されたカルヴァンの予定説(神の救済を授かる者と、救済を受けられず滅びる者が決められている)とは完全に異なる。
仏教にも殯の期間中によく似た中陰がある、死後49日間かけて六道への行き先を決める裁判がある、裁判は7回行われ裁判官は秦広王~閻魔王となる。

因みに仏教は因果律が総てであり「善因楽果(ぜんいんらくか) 悪因苦果(あくいんくか)」即ち良い行動には良い報いがあり、悪事を行えば悪の酬いがあると言う、しかし前述のジャータカと言う経典に依れば何回も六道を体験し善道を繰り返した事により現世では僅か六年の修行で覚ることが出来たと言う。

6, 十戒  旧約聖書すなわち”シナイ契約”とも言われている、出エジプト記二十章第三節 ・申命記五章七節~二十一節に記述されているが内容に相違がみられる、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の基本的な戒律で神学的、論理的に要約してある、「モーセの十戒」とも呼ばれている、但しモーセが実在したと言う証拠は観られない。  モーセ = ギリシア語  mwuqñs、ラテン語 MoysesMoses
第1戒 あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない。  旧約聖書
第2戒 あなたは、いかなる像も造ってはならない。(偶像崇拝の否定)。   
第3戒 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。(マックス ヴェーバーに依れば神の名を唱えて呪術・奇跡等に利用し人間の願を神に従わせる事を防ぐ意味合い)。
     神の名はヤハウエであるが、直に呼称する事を恐れてヘブル語のドナイを複数形のアドナイ(わが主 adonay)と呼んだ。

第4戒 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
第5戒 あなたの父と母を敬え。
第6戒 殺してはならない。
第7戒 姦淫してはならない。
第8戒 盗んではならない。
第9戒 隣人に関して偽証してはならない。
第10戒 隣人の家を欲してはならない。         

カトリック教会とプロテスタント諸派による,1987年初版 新共同訳聖書The Bible, The New Interconfessional Translation 
偶像崇拝は旧約聖書では数か所で否定しているが、新約聖書でも第一コリント8章‐4項では「‐‐‐偶像が世にあって無きに等しいものであること、また神はただひとりのほかはいないことを、知っています。‐‐‐」とありにより偶像は否定される。(参考1を参照願います) 

*佛教にも「十善戒」と言い一神教に於ける十戒の神の命令即ち14を除いた部分が共通した戒がある、①殺生しない ②盗みをしない ③性的に淫らな行為をしない ④嘘を付かない ⑤無意味な流行言葉を使わない ⑥悪口を言わない ⑦嘘をいわない ⑧貪らない ⑨愚痴らない妬み羨み怒りの心を捨てる ⑩愚かな考えをしない。


   参考 1、カトリックの公教要理202 (カテキズム、catechism)を参考として掲載した、(第2戒の除外)前述の聖書新共同訳(注6)と比較されたい、ルーテル教会も除外している。
   「第2戒 
汝はいかなる偶像も作るなかれを除外して、注9と注10の同じ内容を重複させている、閑話休題、聖書はむろんの事、主の言葉とされる、経典類すなわち神の言葉に改変を許されないのが聖典ではないだろうか、第2誡には十字架のイエス像・マリア像等々が抵触する、要するに神の命じる「シナイ契約」(旧約聖書の最重要部分)を無視している可能性が大である。    
   1、我は汝の主なり、我を唯一の天主として礼拝すべし。  
   第2、汝天主の名をみだりに呼ぶなかれ。
   第3、汝安息日(あんそくじつ)を聖とすべきことを憶(おぼ)ゆべし。
   第4、汝父母を敬うべし。
   第5、汝殺すなかれ。
   第6、汝姦淫するなかれ。
   第7、汝盗むなかれ。
   第8、汝偽証するなかれ。
   第9、汝他人(ひと)の配(つま)を恋うるなかれ。
  第10、汝他人の所有物(もちもの)をみだりに望むなかれ。
  

    

7、 カトリック(ルーテル教会を含む)に於いては十字架のイエスやマリア崇拝が行われている、ルターの変節?はカルバンに言わせればルターは後半には「日和見(ひよりみ)主義」になったと言われる、。
カトリックは偶像崇拝を否定するが事実上は肯定しており、2戒を切り取り、10戒めを「隣人の妻を
欲してはならない」としている、特に第1戒~第4までは神と人間との関係を述べており最重要な誡律と言える、日本に於いてはカトリックとプロテスタントの共同事業で「新共同訳聖書」を発行しているが、「カトリックの公教要理」には「天主の十誡」と呼び第2戒は除外されている事は世界的には別のベクトルが働いていると感じられる、ただし未開地に派遣された宣教師達は土着信仰の神と融合もやむを得なく偶像を容認しなければならない苦衷が感じられる。
公教要理の記述を挙げると
第2戒の相違他「第9戒 汝他人(ひと)の配(つま)を恋うるなかれ。」 「第10戒 汝他人の所有物(もちもの)をみだりに望むなかれ。」   2006614


8、ハルマゲドン(Armageddon世界最終戦争  キリスト教以前アブラハム時代の宗教戦争で幾度か決戦地になった処である、ヨハネの黙示録に記述される最終決戦の地名を言いう、イスラエル北のメギドの丘の事でイエスが降臨して永遠の生命を与えられる人々が選別される。

92004年頃に“ダビンチコード”が話題になったが、イエスはユダヤ人である、ユダヤ人社会に於いて独身者は批判の対象者であったとされる、従ってイエスは既婚者であり、イエスの右に居る人物は女性であり、イエスの夫人すなわちマグダラのマリアと言う人も存在する。

最後の晩餐に登場する十二使徒の氏名は、福音書によっても名前が微妙に異なる等、聖書に於いて創作された晩餐という説もある。
ダビンチに依る最後の晩餐に描かれているとされるマグダラのマリア
(ラテン語 Maria Magdalenaであるがイエスの妻・使徒・娼婦・イエス復活の最初の目撃者等々いろいろ書き込まれている。

注10、キリスト教の伝道者をエバンジェリスト(evangelist)と言うが現在に於いては、
IT技術を分かりやすく説明する役職名に使われている.

11, カタリ派  12世紀頃中世ヨーロッパに於いてカルカソンヌ城を拠点として、南フランスや中部イタリアで信仰を広げたキリスト教の異端派で14世紀十字軍による宗教集団の抹殺すなわちジェノサイドgenocideにあって消滅する。 
カタリとは清浄派の意味で禁欲的な戒律を標榜した。
二神論を基本教義とし三位一体、免罪符の発行等を主張、旧約聖書を否定し新約聖書に対して原理的に忠実な教派で十字架はイエスを殺害した悪のモニュメントであるとして拒絶した。
原始キリスト教の生活をそのまま実践しようとする原理主義的な意志を示し、二神論教義も根拠は新約聖書にあったとされる、即ち天主とイエスを神とする教義であるが、創世記・126節に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう、
そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」と書かれ、明らかに神が二人称以上の複数形で述べられている事に関連するかも知れない。
以前にもイエスの神性を否定したアリウス派(256336)やマリア崇拝を否定したネストリウス派(~?431)等々も異端として迫害された、またプロテスタントの第一期とも言える15世紀にボヘミヤ(チェコ)に栄えたフス派では現在でも教会に十字架は用いられていない。 

12、 アレキサンドリアのキリルとの権力闘争に敗れ、エフェソス公会議で異端とされたネストリウス派の流れを汲む景教は七世紀中国に於いて興隆していた、三武一宗の法難の一つ、会昌の法難で佛教、ゾロアスター教、マニ教等と共に壊滅的打撃を受ける、西安の碑林(ひりん)博物館に「大秦景教流行中国碑」が存在している、近年の研究でネストリウスに異端心は無く誤り説が多くの学者から言われている。

131654年英国国教会のアイルランド大主教ジェームス・アッシャーは天地創造が紀元前4004年とし当時多くで採用された。  

アダムの創造から家系譜を計算して今20世紀から数千年前~1万年前とされる、マルティン・ルターは天地創造が文字通り6日間で6000年程以前になされたと主張した。

14
アブラハムの宗教とは創世記五章・十章に依れば、アブラハムの子孫でノアの箱舟に乗った三名の息子、「セム」「ハム」「ヤペテ」、即ち三大民族の祖先となる、アブラハムの宗教即ち三宗教は「砂漠の一神教」「聖書宗教」「啓典宗教」等々の呼び名がある。
セム語族圏の言語でアラビア語・ヘブライ語・アラム語・エチオピア諸語圏。


注15、 
徳川幕府はプロテスタントの顧問を持ち、キリシタンの世界戦略を承知していた、顧問には英国人のウィリアム・アダムスWilliam Adams, 1564924日 ~1620516日)日本名三浦(あん)(じん)オランダ人・ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステインJan Joosten van Lodensteyn (Lodensteijn) ,1556年~1623年)は日本人を妻に持ち耶楊子(やようす)と名乗る、家康の信任は厚く江戸の八重洲に屋敷を授かる、因みに八重洲はヤン・ヨーステンの日本読みである、余談であるが八重洲通り平和の鐘モニュメント前にヤン ヨーステンの記念碑がある島原の乱の時幕府の依頼を受けたオランダは軍艦を派遣し島原軍(カトリック)に艦砲射撃を行う、これ等により長崎貿易を一国だけ許可された、因みに八重洲はヤヨースが訛って定着した様である。


注16、 
フィリオクェ問題とは三位一体の解釈に対するカトリックと東方正教会の最大の争点である、フィリオクェとはラテン語で、“また子より“を意味する Filioqueの音写である。

17、秘蹟とは聖書に記述されていない儀礼で、主にカトリックの儀式即ち神の恩恵とやらをを信徒与え儀式、通過儀礼とも言う、カトリック教会及びギリシア正教とでは*洗礼*堅信*聖餐*告解*終油*叙階*婚姻が挙げられる、プロテスタントには*洗礼*聖餐の二種がある。   (sacramentum ラテン語sacrament 英語)

注18、
ティベリウ・ユリウス・カエサルTiberius Julius Caesarbc42年11月16日~37年3月16日)ローマ帝国第二代皇帝。

注19、佛式の葬儀で弔辞に天国”と言う呼称が言われるが浄土ならともかく、仏教は無論のこと、一神教の聖書にも記述はない、新約聖書のマタイ伝10節5-15節 ”神の国のしるしをたてるに一箇所記述がある、また地獄も無い、伝え聞く処に依れば中村始氏曰く地獄とはヒンズー教の伝承が嚆矢と言える様である。

注20 現在キリスト教は各宗派連絡が取れているが韓国ではカトリックとプロテスタントは無関係な宗派と言える、プロテスタントは改新教(ケジンギョ) 0r基督教(キドッキョ<) カトリックは天主教(<チョンジュギョ)

   

参考 2イエスの磔刑(たくけい)に使用された材料は「キリスト教の重要な象徴」とされる十字架ではないとする説もある、十字架の語源はギリシャ語の「スタウロス」とされ通常は棒杭と訳される、聖書にはクシュロンと言うギリシャ語も使われ材木・こん棒などと訳される、聖書に「クシュロン」が使用されているのは・マタイ伝2647節、55節・マルコ1443節・ルカ2252節、3131節・使徒行伝1039節、1329節・ヨハネの黙示録222節、14節等である、因みに磔とは「はりつけ」とも読む。

十字架は4世紀コンスタンチヌス大帝がキリスト教に改宗したときに持ち込まれたと言う、またイエスとはギリシャ語の呼び方でありヘブライ語ではヨシュアとなる、但しモーセの後継者でカナンの地で大虐殺を指導したヨシュアとは別人である。   2006629 



参考3ユダヤ世界でイエスは一般名である、即ちポピュラーネームである、*ヘブライ語でヨシュア(イェーシュア)、*ギリシャ語がイエス(イエスース)、*英語がジーザース(Jesus)となる、要するにイエスもヨシュアも同名である、因みにマリアは英語圏ではメアリー、若しくはマリーとなる。


参考4、 2014年に発行されたクリスチャンには衝撃的な一冊が話題になっている、題名は「イエス・キリストは実在したのか」 レザー  アスラン(ℜeza aslan)著、白洲英子訳、文芸春秋である、内容のごく一部を紹介。 
*イエスは実在したが救世主ではない、暴力も厭わない革命家だった。  
*新約聖書の中核にある四福音書は名
(マタイ, マルコ, ルカ, ヨハネ )を冠にた人々の作ではない。  
*イエスにはローマ帝国の基本言語であるギリシャ語の基本知識はなかった。  
*イエスには複数の兄弟があり、永遠の処女であるマリアの子供達である。等々   著者のレザー アスランは聖書は無論のこと外典(がいてん)(アポクリファ Apocrypha)も精査しており真摯な宗教学者といえる。
 





最終加筆日2004年10月17日 200556 2006614日十戒  20087月7日カトリックの公教要理。2012324日 AD表記2014年5月11日 クリスマスの日付9月27日 201586日注12 2016315日 713日 123日偶像崇拝 1210日 2017年4月13日Catholicism  5月16日聖隷  2017年5月19日 6月24日 7月23日エレミヤ書 2017年9月27日ガンジー 10月1日 11月1日 12月10日 2018年1月14日 2月5日 3月1日 4月11日 7月16日 2019年1月5日注17 1月15日 3月17日 3月31日注19  11月16日 2020年3月25日 6月12日 7月12日 11月10日 2021年1月8日 5月3日 5月8日 6月5日 6月18日 7月10日 9月13日 11月3日 2022年8月1日 10月12日 10月24日 11月1日 11月30日 2023年7月10日加筆   



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*高祖で承陽大師(じょうようだいし)・永平道元と *大祖で常済(じょうさい)大師・瑩山紹瑾(けいざん じょうきん)


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