吉祥天(きちじょうてん)

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大吉祥天女の略名で梵語名 Lakmiśri (ラクシュミー・シュリ)とかŚrī-mahādevīシュリー・マハーデーヴィー)とされ、インド神話に於ける三女神(注5、即ち ヒンドゥー教Hindu女神(じょしん)である。
伝説
legendに依れば、海の泡から蓮華を持って誕生したと言われる、仏教には早くから取り入れられた、主に五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願する吉祥悔過(きちじょうけか)の本尊となる、吉祥功徳天・摩訶室(まかし)()・宝蔵天女と呼ばれる事もある、また「きっしょうてん」と発音される事もある。
ヴェーダ聖典注4)(Rigveda)にも現れるヴィシンヌ神
(vi
ṣṇu ヒンズウー教最高神の一人)の化身とも妃とも言われる、また愛神カーマKāmadevaの母とされる、後述するが仏教に於いては毘沙門天の妃との伝承もある、因みに金剛界曼荼羅はヒンズー教から多くの女尊を取り込んでおり、吉祥天は四波羅蜜の一尊、金剛波羅蜜菩薩と同尊とも言える
仏教においては、母は鬼子母神
で漢訳では吉祥とされて繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を象徴する神とされる、インドに於ける古代から信仰された神であるが、日本では「金光明最勝王経
(大吉祥天女品)の流布と共に興隆した様である。
日本では光明皇后の事実上懺悔(ざんげ)の経典である金光明経信仰から吉祥天は脚光を浴び「吉祥悔過会」が盛んに行われた、宮中に於ける最も重要な年頭行事に「後七日御修法(ごしちにちみしゅほう)」と共に宮中大極殿で行われた「御斎会(みさいえ)」がある、金光明最勝王経が講義されるが、斎会の本尊は吉祥天である、但し御斎会は奈良時代に創められたが室町時代に消滅した、因みに後七日御修法は江戸時代まで宮中で行われたが、明治に入り教王護国寺・灌頂院に於いて現在も行われている。
日本に於いては吉祥の神であるがインド佛教を踏襲するチベット等では美と芸術の女神であるが漆黒の躯体に醜悪な憤怒相の吉祥天が信仰されている。
上記の歴史的経緯から、吉祥天は天皇家や貴族間の信仰が主流であった為に鎌倉時代に武家の時代となり弁才天に衆生人気を奪われる。
吉祥に関する用語は多くあり、釈尊が覚りを開いた場所の菩提樹を吉祥樹・敷物に使用した葦を吉祥草と言われている、その他、結跏趺坐で吉祥坐
(降魔坐と対極で日本の像は吉祥坐)、吉祥睡(釈迦の涅槃図の形)などが用いられる、また「禅問答」・「日本霊異記」などにも登場する。
仏教
には早くから取り込まれたようで訶利帝(かりてい)の娘で婆藪仙(ばすうせん)
二十八部衆を兄とし、毘沙門天の妃とされている(インド神話ではビシュヌの妻)、但し涅槃経十二に依れば吉祥天(功徳天)には閻魔大王の妃の一人で貧乏神の妹がおり闇天(こくあんてん)Kālarātrī・不幸・災難とか黒耳天(こくにてん)、黒闇女、黒夜天、暗夜天、黒夜神等と呼ばれる醜悪な容姿を持つ女天が付まとっているとされる、因みに毘沙門天との間に五人(注3の童子が居り名前を最勝(さいしょう)童子・独健(どくこん)童子・那托(なた)童子・狗抜羅(くばら)童子・甘露(かんろ)童子と言い毘沙門天の五太子と言う、因みに毘沙門天と吉祥天の夫婦説は日本に将来されてからの記述であり、経典からの典拠は見られない   
密教
では功徳天とも呼ばれ美女の代表としての尊敬を集め金光明経から過去の罪に対する懺悔の祈祷
(吉祥悔過)や五穀豊穣も信仰されている、特に東大寺の法華堂(三月堂)
で行われていた吉祥悔過会(修正会)は著名であった。
浄瑠璃寺
等に於いて吉祥天は新年にあたり過日の罪を懺悔し幸せを願う吉祥悔過法の本尊として信仰されている。
また顕教に於いても仏典中最初に女人を登場させた金光明経には弁才天と共に現れ功徳を説いており法会では最重要視されている、これら金光明最勝王経会や吉祥悔過会では主尊を務め、この祭事の為に造像され、また画かれた著名なものに薬師寺の絵画や東大寺講堂の尊像も存在する。

行者が吉祥天の刺激的なエロスに煩悩を起した逸話が残る、奈良時代に禁欲的戒律を重要視した南都仏教に大胆に官能的造像がされた事は大革命でもある。
多くの吉祥天は独尊であるが、三尊形では大随求菩薩の脇侍を夫の毘沙門天と共に
(高台寺)鞍馬寺では子供の善膩師童子と共に毘沙門天の脇持(左尊・国宝)に収まっている、千手観音が脇侍を置く場合、右に功徳天(吉祥天)で左が婆藪仙が普通であるが、フランスのギメ美術館にあるペリオコレクションには大弁才天との記述があり、同一視されている可能性の指摘がある、また敦煌の千手観音にも同様の配置がある。
奈良時代から平安時代にかけての像造は在るが鎌倉時代以後は弁才天の人気が上回り作例はない。
姿形の多くは中国の貴婦人をモデルとしており、豪華な唐風の衣装を身に着けて、一面二臂・冠に瓔珞・臂釧お付け右手は多様で左手に如意宝珠
(薬師寺)を持つ例が多いが当初は四臂もあった。
また七福神信仰の初期には参加していたが福禄寿に入れ替わり女性で残るには弁才天のみ場合がある。
絵画としては国宝指定に薬師寺所蔵の麻布著色吉祥天像 麻布 額装 53,3cm×32,0cm 天平時代が著名である。
吉祥とは禅問答にも用いられる、幸福・繁栄・幸運を意味する事から日本に於いて吉祥を冠にする寺院は六十寺院を超える、また山号にも使われ永平寺の山号は吉祥山である。 
京都・妙法院すなわち蓮華王院の二十八部衆の内「
大弁功徳天」は同尊とされる、蓮華王院が出たので記述するが、千手観音の眷属とも言われ千手観音の右側に立ち、左の婆藪仙(ばすうせん)(ヴァシユタ iṣṭhaと三尊を構成する事がある



真言
 オン マカシリヤエイ ソワカ  
                        

主な吉祥天  
 表内は国宝   ●印国指定重文

 寺    名 

仕             様 

 時   代

 鞍馬寺 

 木造           100,0cm三尊の脇侍 

 藤原時代 

 法隆寺 

 立像 木造彩色    116,7 cm  

 藤原時代 

 薬師寺 

 麻布著色       53,3×32,0 

 天平時代 

  

  

  

 三十三間堂 

 木造彩色 切金文様 166cm 二十八部衆 大弁功徳天

 鎌倉時代 


浄瑠璃寺 立像 木造彩色 90,0cm        鎌倉時代  

興福寺 坐像 木造彩色 64,3cm         南北朝時代

東大寺 (法華堂)立像 塑像彩色 2002.0㎝  天平時代  

●法隆寺 立像 塑像 平安時代   

法輪寺 立像 木造彩色 藤原時代 

興福寺(国宝舘)厨子入り倚像 木造彩色 切金文様 南北朝時代 

西大寺 立像 木造乾漆 彩色 平安時代

薬師寺 立像 木造 藤原時代 

当麻寺 立像 木造彩色 100,8cm 藤原時代

唐招提寺 立像 木造彩色 163,5cm 平安時代

法輪寺 立像 木造彩色 171,3cm 平安時代

広隆寺(霊宝舘)立像 木造彩色 四尊 106,8cm 142,2cm 164,6cm 1680cm 平安時代・藤原時代 

醍醐寺 立像 木造彩色 167,3 藤原時代 

仁和寺 立像 木造彩色 166,6cm 平安時代

六波羅蜜寺 立像 木造 101,8cm 鎌倉時代

観世音寺 立像 木造彩色 215,5cm 鎌倉時代 

延暦寺 立像 木造彩色 102,1cm 平安時代 

園城寺 立像 木造彩色 67,6cm 鎌倉時代

櫟野寺(甲賀郡甲賀町)立像3尊 105,4103,9104,5cm 藤原時代

善通寺 立像 木造 135,0cm 平安時代 

●福光園寺(山梨)三尊 木造彩色 多門天立像118,7cm 吉祥天坐像 108,8cm 持国天立像116,8cm 鎌倉時代 運慶作 他
●雪渓寺(高知)三尊 木造 彩色 玉眼 毘沙門天166,6cm 吉祥天79,7  善膩師童子71,7cm 鎌倉時代 湛慶作  
●吉祥天逗子絵 板絵 103.7㎝×63.4㎝ 鎌倉時代 東京芸術大学   

福光園寺(ふっこうおんじ)  三尊 木造彩色 中尊坐像108.8cm 脇侍立像持国天116.8cm 毘沙門天118.7cm   山梨県笛吹市御坂町大野寺2027 


注1、鞍馬寺・雪渓寺の場合、子供の善膩師(ぜんにし)童子と共に夫である毘沙門天の左脇侍として安置されている。

2MOA美術館に吉祥天曼荼羅と言う鎌倉時代の仏画が存在し重要文化財指定を受けている。
 

3、毘沙門天と吉祥天の間の童子名には諸説あり尊容鈔の他に那鈔問答があり尊容鈔には・最勝(さいしょう)独健(どくこん)那吁(なた)常見(じょうけん) ・禅膩師(ぜんにし)が言われる。


注4、
ヴェーダ聖典  三大ヴェーダに「リグ・ヴェーダRigveda」「サーマ・ヴェーダ・Sāmaveda」「ヤジュル・ヴェーダ・yajurveda」を言い、四大の場合は「アタルヴァ・ヴェーダ・Atharva-Veda」が加えられる。

リグ・ヴェーダ聖典Rigveda  BC2000500年ころのインドに於ける最古の経典の一つでバラモン教に於ける神々を讃える賛歌を主体とする経典である、 リグ・ヴェーダ、 サーマ・ヴェーダsāmaveda、 ヤジュル・ヴェーダyajurveda、 アタルヴァ・ヴェーダatharvedaがある、因みにヴェーダとは漢訳経典では明呪とか智識と訳されている、表現を変えれば、「神々への賛歌、祭祀の集合」したものである。 
リグとは讃歌を意味しヴェーダはバラモン聖典をさす、゙サンヒータ Samhiā 讃歌 ・呪文 ・祭詞を集成した本集、 ブラーフマナ Brāhmanā サンヒータ補助部門、 当初は口伝で伝承されたが文字の発達に伴い文書化された、また中国では「梨倶吠陀」と記述される。

ヴェーダ聖典に於いて最も熟成したのが、ウパニシャッド(梵語 奥義書)である、その思想は汎神論(はんしんろん)の発端を示している、(中村始仏教入門 春秋社)汎神論とはブリタニカ国際大百科事典に依れば神と存在全体 (宇宙、世界、自然) とを同一視する思想体系。両者を一元的に理解し、両者の質的対立を認めない点で有神論pantheism)とは異なる。歴史的諸宗教において、その神秘的側面を理論化する際に表われる体系化の一つの型である、たんてきに言えば総ての存在は神である、神と世界とは一体と観る宗教観、思想観と言える。

注5、ベーダ聖典に登場する三女神

*ラクシュミーLakshmi, Laxmi)美・富・豊穣・幸運を司る、日本佛教では吉祥天を充てられている。

*ドゥルガーdurgā)近づき難い者を意味する、アスラ神族と戦った。シヴァ神の神妃とされ、シヴァの恐ろしい側面と対応する魔討の女神。

*サラスヴァティーSarasvatī)は、芸術・学問などの知を司る女神で佛教では弁財天が相当する。




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最終加筆日2004115200629日 1117日 2013年6月4日 2017年4月15日 8月29日 11月12日 11月29日 2018年9月9日補筆   

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