金剛薩 ( こんごうさった )


    

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大日如来から密教の奥義を授けられた筆頭の尊格を持っている、真言密教の英雄と言える金剛薩埵は国や宗派等により解釈に相違はあるが大日如来の後継者的存在にあるが大日如来そのものとの解説書もある、密教の象徴的菩薩である為に真言宗天台宗以外の寺で観られる事はない。 
梵語名 Vajrasattvah
(バジュラ・サットバ)で菩提心即ち一切衆生が覚りの世界を目指す象徴的菩薩である、別名を金剛手秘密主菩薩とも言い金剛蔵王菩薩は変化尊とも言われる、密号を真如金剛と言い vajraは金剛(真理・堅固・ダイヤモンド)の意訳・sattvah薩埵(さつた)(勇猛果敢な衆生)の音訳となり菩薩の正式名・菩提薩の前部を金剛に置き換えたとも言えるが「高貴で堅固」を意味持金剛(じこんごう)(しつ)金剛秘密主とも言われ如来グループに分類される事も多い、ちなみに金剛とは大漢和辞典に依れば「五行の金の気、その気が剛毅で有るから剛」とされる、要約すればインドラ神が所持する金剛杵(こんごうしょ)をシンボライズしたものである、出典は晋書の地理志と言われ、金属の堅固、剛毅(ごうき)、ダイヤ、強いを意味する、金剛は他にはヒンズー教の神々を仏教(密教)に取り込む際に、冠に金剛を付けた尊像が多い、金剛界曼荼羅に於ける主要尊の中でも大日如来に次いで重要な尊格である、金剛界曼荼羅の一印会には毘盧遮那すなわち大日如来が描かれているが金剛頂経「現證三昧大儀軌分」には金剛薩埵を描く様に指示されている、因みに一印会は”一尊曼荼羅”とも言われる、一尊曼荼羅は覚り総てを観想するのではなく、一尊だけを対象に観法する事とされる、即ち大日如来の(いん)()、要するに如来になる以前の姿とも言える、後期密教(インドラ Indra)の解説書には阿閦如来等と共に大日如来 の後継的尊格との解釈も観られる。
因みにインドラIndraとはバラモン教の神々の帝王の名である、正式名は梵語ではśakro devānām indra パーリ語では Sakko devāna indo、と言いう、またシャクラśakraとも言う。 
大日経」・具縁品では金剛蔵とされ・秘密曼荼羅品では持金剛慧者と記述されている、真言密教の第八祖を自任する空海の「広付法伝」に依れば大日如来から灌頂により次世代への後継者(第二祖)に位置付されていると言う、密号とは密教に於ける結縁灌頂に使用される呼称を言い金剛号・灌頂号等と呼ばれる。
特に中期密教の日本に於いては真言八祖の本流として空海の広付法伝からの「付法八祖」があり、大日如来から密教の説法を受けた金剛薩
が伝えたと言う伝承があり、大日如来・金剛薩龍猛・龍智・金剛智・不空・恵果・空海が言われる。
本来は宇宙真理であり姿形を持たない魔訶毘廬遮那如来
(大日如来)の分身として菩薩形で現れた尊格又は佛母的な存在説と最初に密教の本流をインドに広げたとされる龍猛が大日如来からの教えを聞いた仲介者が金剛薩で密教に於いて大日如来に次いで第二祖、とされる説があり、特に金剛頂経に於いては密教菩薩の象徴的存在である,煩悩即菩提すなわち欲・触・愛・慢などの煩悩は覚りの触媒であり同根として著された尊格である、また後期密教では法身仏すなわち大日如来に代わり最高神として曼荼羅などに主尊として君臨する事もある、因みに仏眼仏母とは大日如来、釈迦如来、金剛薩を神格化した尊像で、真理を見つめる眼を密教的にシンボライズしたものである、台密では護摩九曜に於ける本尊である、因みに「金剛頂経、現證三昧大儀軌分」には中尊は金剛埵を描く様に記述されている、但し原図曼荼羅の中尊は大日如来即ち毘盧遮那である(曼荼羅の見かた・小峰弥彦・大法輪閣)
またネパール佛教等では中期以降の密教が伝わり教義に官能的な要素が強く、性的快楽が覚りに至る信仰が広く五仏の師で在るとされている金剛薩
が妃を抱いた仏画もあり、五佛の如来的な存在感を持っている。  
金剛頂経
理趣経に於いては金剛手菩薩と普賢菩薩と合体して普賢金剛薩
になり、普賢菩薩と同体とされる(大日経では別尊)、即ち金剛薩の顕教名が普賢菩薩である、堅牢な菩提心により覚りを開かせ金剛不壊の心を目指すものである。
インドでは台頭するヒンズー教の神々を教化、調伏の役割を担ったと言う説もある、観音菩薩は対照的にヒンズー教と融和的に対処したとされる。
鎌倉時代に登場して修験道のシンボル的尊格を持つ蔵王権現は、金剛薩埵の変化神と言う記述を観る事がある
初会金剛頂経すなわち「一切如来真実摂経(しんじつしょうきょう)Sarvatathāgata-tattvasagraha-nāma-mahāyāna-sūtra略して「真実摂経」の主役的存在である、しかし性格が高邁な哲学によって理論武装されている為大衆には理解されにくい、従って日本に於いては単独での信仰は無く造像も曼荼羅の中以外は稀であるが随心院本堂に安置されている快慶作とされる金剛薩
像は傑作と言えよう、また胎蔵(界)曼荼羅の金剛手院の主尊であり右手に三鈷杵を持ち胸前に於いている・金剛界曼荼羅(右手に三鈷杵・左手に金剛鈴)の四印会・理趣会(中尊)・成身会・微細会や羯磨曼荼羅(東尊)に位置し密教菩薩の中では最重要な存在の一尊である、特に真実摂経を典拠とする後期密教に於いてインド・チベットに於いては毘盧遮那佛(大日如来)の化身として全ての仏の本初仏であり真理世界と娑婆世界を往復し衆生を救済すると言う。
8
世紀にはヒマチャル・プラデシュ州・キノールのロバ寺に於いて発見されており、9世紀以降ベンガルやビハールを制圧したパーラ王朝時代には多くの金剛薩埵像が造像された、中国に於いても敦煌・莫高窟などに於いて存在していた。 
後期密教が施入されたインドネシア・ジャワ島には金剛薩
羯磨曼荼羅とも言われるボロブドール大塔が知られている。
姿形としてはインド、チベット、中国、日本の尊像の中で共通項の多い菩薩である、人間に近い菩薩像で右手に慈悲の象徴として聖なる武器とされる金剛杵
(主に五鈷杵)・左手に般若即ち仏性を呼び起こす智慧を表わす五鈷鈴を持つ、また五秘密曼荼羅醍醐寺三宝院)として描かれることもあり、円内の中央に金剛薩・東に欲金剛・南に触金剛・西に愛金剛・北に慢金剛を円内に配置し人間の持つ五つの罪業を克服する五秘密法の本尊とされている、例外的な印形に根来寺・大伝法院の場合は杵や鈴を持たず「大願成就印」と言う智拳印の手を離した様な印もある、例外はあるが左右の手に金剛鈴と金剛杵を持つ尊像は仏教圏の各国でも大勢9割)を占ている、相違と言えばインド、チベットでは金剛杵を右掌に縦に所持しているが、日本では横に置かれるこれは「金剛薩埵の威儀」と言われ真言密教独特の印で右手が形状が捻じれる、空海の像にも観られる、また他の明王にも観られる。

真言 オン バサラ サトバン 


注1,  金剛杵  梵語のvajraの意訳で金剛薩・帝釈天等が古代インドで所持したと言われる、雷を発生させる聖なる武器で密教では法具として用いられる、刃先が一本~五本あり独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵とあり武器で無い宝珠鈷杵・塔鈷杵、等を合わせて五種杵と言う、金剛薩が通常所持する金剛杵は方便即ち修行中に起る煩悩を制御する、金剛鈴は智慧を表現する、金剛鈴も当初は武器であったが煩悩打破即ち仏性を呼び起こす事に使われる様になった、特に真実摂経からの後期密教に於いて金剛杵は象徴である。
元来インドラ神の武器で金剛杵を言い金属の堅固・剛毅・強いと解釈されている、大漢和字典には「五行の金の気、剛毅から剛」とあり仏教に取り入れられて帝釈天となる。
古来伝承(
ヴェーダ聖典)ではインドラ(帝釈天śakraDevānā Indraが金剛杵で魔神を退治したと言い金剛杵は雷を起す武器である、また東大寺に存在する著名な執金剛神の執金剛とは金剛杵を持つ者を意味する。 


2,  金剛薩、の分類に於いては羯磨曼荼羅では菩薩に、仏像図典・佐和流研編・等では如来群に分類されているが姿形的には菩薩形である,ちなみに金剛薩は菩薩の正式名称である菩提薩を金剛に置き換えたものである。  

3、本初仏 後期密教に於いて作られたタントラ仏教にある宇宙の根源仏で梵語のdibuddha (アーディ・ブッダ)と言い法身普賢 ・金剛薩 ・金剛総持 の三尊が最勝本初仏とされている、因みに日本の密教は中期密教であり後期密教とは異質とも考えともよいと思う。   

主な金剛薩  

東寺(講堂)五大菩薩座像 坐像 木造漆箔(くさまき材) 一部乾漆(但し中尊の金剛波羅密多は近世の作で無指定)金剛法・金剛宝・金剛業と共に 平安時代                            

随心院(京都府山科区小野御霊町)座像 木造漆箔 101,8cm   鎌倉時代  快慶作 
  
  

最終加筆日20041129日 2016年10月12日 12月23日 2017年11月22日 2018年6月19日 11月9日 12月16日  2022年4月29日   

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