阿含経(あごんきょう)

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阿含とは梵語saṃskṛta及びパーリ語iアーガマ (āgama 伝承の音訳で意味合いは最初の「来る事」から「伝える」「伝承による教へ」に変化する、当初は一経典では無く原始仏教に於いて釈尊が覚者と成った後45年間の教えを各部派が集成したものが阿含経と言える、要するに釈尊が生前に説いた教えに一番近い教説である、但し伝承であり釈尊を化身とした世界観が記述された経典と言える、穿った見解を示す自称佛教原理主義者が存在し阿含経やサンガの存在は衆生救済には無関係の阿羅漢に成る為のマニュアル的な経典と言う、従って悟りを拓く為の必須である三十七道品などは仏教には不必要とまで言う、因みに三十七道品とは・四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科を言う。  
伝統仏教すなわち
メインストリーム仏教mainstream buddhisn)、初期(原始)仏教は法(教え(教説)・buddha-śāsanaと律(規則・(vinayaヴィナヤ)を説く事で成立した、釈迦の教えの中で経典に相当する部分の総称を言う。
漢訳四阿含経と言われる経典が著名である。
(じよう)阿含経
dīgha-nikāya, ディーガ・ニカーヤ)30巻)
・中阿含経majjhima-nikāya, マッジマ・ニカーヤ)222巻)
(ぞう)阿含経: sayutta-nikāya, サンユッタ・1362巻)
 雑阿含経相応部Samyutta-nikaya サンユッタニカーヤ)
・相応(増一)阿含経aguttara-nikāya, アングッタラ・ニカーヤ)(473巻)等から部派の分裂から分散している、因みにニカーヤ(nikaya)とは集成、グループ的な意味合いとされる。
これ等漢訳経典(大乗・Mahāyānaは完全な伝承形態で保管されていないが、上座部仏教国theravāda)のスリランカ等では完全な形でi語経典が保管されているという。

釈尊の教えを主体に構成されているが、インドに於ける土着思想から釈尊の説いた教えには記述はされておらず、それぞれの記憶によるものである、その為に教理の解釈をめぐり部派仏教(梵語theravāda・アビダルマabhidharma・法の研究)、すなわち分裂の時代になり各部派は其々の阿含経を持つ事になる、当然バーリ語i経典と漢訳経典とは相違があり更に其々内容が異なる、因みに部派分裂以前の仏教を原始仏教と言う、また初期上座部の経典をニカーヤ(nikāya)とも言われる、因みにiとは糸を意味する、また釈尊はマガタ語で説法したと言われているが、古いマガダ語はi語にも訳す事が出来ないと中村始氏は言う

但し釈尊が説法に用いたのは古代インドに於けるアーリア語の一種であるマーガディーMāgadhī マガダ語)との説がある、系列的にはバーリ語iに近いとの記述もある。

阿含経の「相応部」によると、法は縁起pratītyasamutpanna-dharmaによって作られると言い「縁已生法」paiccasamuppāda パティッチャサムッパーダ)を説いている、縁已生法とは「縁起から生まれた法」であり、ダルマが縁起(パティッチャサムッパーダ paiccasamuppādaから作られると言う。

阿含経の主な教えは三法印的な教義すなわち「諸行無常」 「諸法無我」 「涅槃寂静」 「四諦」 「八正道」 「十二因縁」(注1などを言う、また他に涅槃には無余涅槃、有余涅槃がある、無余涅槃は煩悩+生理的欲求共に残さない場合を言い、有余涅槃は生きながらの覚りで小乗の覚りとも言われる、因みに涅槃とは梵語sanskritnirvānaパーリ語i語)では nibbanaと言い煩悩の火を般若prajñāで吹き消す意味である、但し三法印は大乗仏教に於いてバラモン・ヒンドー・ジャイナ教の様な外道と一線を隔す為に言われた基本理念で小乗、部派に於いて思想として著されるが三法印と言うタームは使われない、閑話休題、「無我」と「無常」は異音同義と言える。 
阿含経には北方系仏教と南方系仏教に広まり前部は長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含があり、南方系には・長部(デーガニカーヤ)・中部(マッジマニカーヤ)・相応部(サンユッタニカーヤ)・増支部(アングッダニカーヤ)・小部(グッダニカーヤ)がある。
阿含は経蔵 Suttapipaka と律蔵 Vinayapipaka、に分類される、仏教初期に於ける上座部仏教の経典で小乗と侮蔑されていた,長阿含経や大涅槃経中に遊行経には釈迦如来が涅槃に入る状況が説かれている。
釈尊の最晩年は「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)(注2)」に詳しいが、阿含経の「遊行経」にも記述されている因みに
涅槃とはニルヴァーナnirvāaと言いニルは「外へ」、ヴァーナは「吹き消す」を意味する
雑阿含経に釈尊が五蘊(注3)の重さを説かれている、即ち佛教に於けるpāli語経蔵を構成する相応部pāli Sayutta Nikāyaサンユッタ・ニカーヤとは、三千の経典を五篇に纏めたものである、「相応」sayutta、サンユッタ)とは、「テーマ別のまとまり」のことを言う、・有偈(うげ)Sagātha-vagga, サガータ・ヴァッガ) 有偈(うげ)Sagātha-vagga, サガータ・ヴァッガ) 因縁篇Nidāna-vagga, ニダーナ・ヴァッガ) (うん)Khandha-vagga, カンダ・ヴァッガ) 六処篇Saāyatana-vagga, サラーヤタナ・ヴァッガ) 大篇Mahā-vagga, マハー・ヴァッガ

「三道宝階伝説」の内、釈迦如来像との関連は優填王造仏像伝説が「増一阿含経」巻28大正大蔵経2,705c~)、優填王物語の思慕像に関する記述は著名である



1、「三法印」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃静静」「四諦」「八正道」「十二因縁」に付いては 釈尊の教えを参照、因みに諸行無常sakāra・サンカーラ)とはと言う、四諦であるが苦諦、集諦、滅諦、道諦であるが略して苦集滅道(くじゅうめつどう)とも言われる、四諦を無くす意味合いか般若心経にも無苦集滅道の記述がある。
諸行無常とはこの世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう、一刹那に於いても存在に同一性は無い



2大般涅槃経(だいはつねはんぎょう) 大パリニッバーナ経 (Mahāparinirvāa Sūtra マハ-パリニルヴァ-ナ ス-トラ) には阿難陀に記憶によるであろう仏陀の最晩年から、入滅後の様子が赤裸々に記述されている。諸行無常が出たついでに蛇足する、平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者(じょうしゃ)必衰(ひっすい)の断りを表す」が著名であるが、典拠は大般涅槃経からの釈迦涅槃図の情景を述べたものである。


3五蘊(ごうん)とはpañcaskandha(パンチャ・スカンダ)佛教に於ける宇宙観を分析する時に使われ釈尊の思想哲学の根幹といえる、菩薩が深遠な智慧の完成させる為の五つの物質的構成要素rûpa ルーパで蘊とは集まりを言う、他に蘊とは樹木の枝を意味すると言う解説書もある(般若心経の基礎知識、大法輪閣)。  Pañca5を意味し、khandhaは集合を言う)      
1
、 色 (身体を構成する5の感覚器官・5根)ルーパ       
rûpakkhandha       感覚的物質的  視覚に移る形造られたもの 

2、 受 (苦・楽・不苦不楽を受ける作用)    ベーダナー    vedanâkkhandh       感受        感覚と感情を含めた作用  

3、 想 (知覚作用)                サンジュニャー  saññâkkhandha      表象        心の内に像を構成する 
4、 行 (意思・真理作用)             サンスカーラ   sankhârakkhandh    意志        潜在的形成力 

5、 識 (眼・耳・鼻・舌・身・意の認識)     ビジュニャーナ  viññânakkhandha     感覚・知覚・思考作用を含み対象を区別しての認識作用    
   因みに「蘊」とは集合体を意味する。  認識作用に五根があり眼識・耳識・鼻識・舌識・身識がある。
   巷間で言われている「薀蓄がある」「うん
(沢山)とある」等に使われる。 

五蘊=Pañca、 khandha=集合の意味である、六根とは人の所持する六つの器官すなわち*色(rûpakkhandha)、*受(vedanâkkhandh)、*想(saññâkkhandha)、*行(sankhârakkhandha)、*識(viññânakkhandha)を言う、また六内入処とも言う、六識とは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、 十二処(十二入) とは六根と六境を+したもの、十八界とは 十二処+六識を言われる。

「摩訶般若波羅蜜経」略して大品(だいぼん)般若経(はんにゃきょう)では陰界入があるが五陰、十八界、十二入の略称



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200852日 2011424abhidharma更新 201367日 2015124日 73日 20161028日 2017619日 1217日 2018年2月19日 6月10日加筆  

 

 

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