阿弥陀経(小経)          
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阿弥陀如来と極楽浄土の清浄かつ耽美(たんび)な世界を強調している、すなわち依正(えしょう)荘厳を示し讃える経典である、阿弥陀経(小経・訳)観無量寿経(観経・畺良耶舍訳(きょうりょうやしゃ)大無量寿経(大経・康僧鎧(こうそうがい)訳)と共に浄土三部経を形成し阿弥陀如来アミターバ Amitābha信仰を説き極楽浄土を讃えている、極楽は七重の欄楯(らんじゅん)、七重の羅網(らもう)、七重の行樹(こうじゅ)、は四宝すなわち金、銀、瑠璃(るり)玻璃(はり) 水晶)周帀(しゅうそう)囲繞(いにょう)、取り囲まれていると言う。
極楽浄土の情景を観るには鳩摩羅什の創作とも言える見事な漢訳された阿弥陀経に尽きよう、*「極楽国土(ごくらくこくど)  有七宝池(うしっつぽうち) 八功徳水(はっくどくすい) 充満其中 地底純以(じゅうまんごちゅう   ちたいじゅんに) 金沙布地(こんしゃふじ) 四辺階道(しへんかいどう) 金銀瑠璃(こんごんるり) 玻璃合成(はりごうじょう) 上有楼閣(じょううろうかく) 亦以金銀瑠璃(やくいこんごんるり)」。  
浄土三部経は浄土教系の宗派の総てが拠り所すなわち依経(えきょう)としているが、観無量寿経は機の真実を説き、大無量寿経は法の本願(誓い)を説く、更に阿弥陀経=+法を合わせ説くとされる、三経の特徴として阿弥陀如来がメインであるが、説いているのは釈尊である、四枚の紙に納まる短編に為に「四紙経」とも呼ばれ、二千字に満たない為に法会では全文が詠まれている、但し浄土信仰は三部経の発祥以前から存在していた本願=誓い 

多説存在し不祥であるが、大無量寿経では阿弥陀如来をアミターバ Amitābha、阿弥陀経では阿弥陀如来を(アミターユス Amitāyusと記述されておりチベット仏教では別の尊格とされている。
時宗に於いては三部経の中でも阿弥陀経を最高位に置いている、梵語名をsukhāvatī・極楽浄土の荘厳な情景を著したもので「極楽の荘厳」「壮麗な状況」と訳される、Sukhāvatīvyūha
(スカーヴァテイーヴユーハースートラ)Sukhāは楽しみ・vatīは場所vatīは情景をs
ūtraは経を言う、またSukhāvat īivyūhaの異訳に「称讃浄土経」(注5と言う短い経典があり當麻曼荼羅すなわち浄土変相図のもととなった経典も存在する、従って中将姫がしたためた写経も玄奘訳の称讃阿弥陀経であり、この時代には多く詠まれていた、因みに阿弥陀経の別名を「称賛(しょうさん)不可思議(ふかしぎ)功徳(くどく)一切(いっさい)諸仏所(しょぶつしょ)()(ねん)(きょう)」と言う
極楽の荘厳sukhāvatī 大無量寿経の梵語名も同じであり区別して小スカヴァバティービューハと云う、経典冒頭の「仏説阿弥陀経」等に於ける仏説の仏は釈迦如来の事である、因みに極楽
sukhāvatī, スカーヴァティー・幸せのある処)と言うタームは阿弥陀経に於いてのみ使用されている、「衆苦あることなく、ただ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」、少し断線するが浄土と言うタームは無量寿経(巻一)に一ヶ所の記述がある、よく似た意味合いの「厳浄の土」は二ヶ所の記述がある

阿弥陀経は一世紀頃に北インドでの成立と推定され、ウッダル・プラデーシュの祇園精舎で説かれた事に成っている、その信仰は東・南アジア・中国・朝鮮に広まり、特に日本に於いて浄土信仰は源信、法然親鸞, 一遍達の努力で多数の信者を集めた。 

清少納言は枕草子の百六十一段に極楽は「遠くて近きもの 極楽 船の道 人の仲」と書いている、阿弥陀経や観無量寿経の影響であろう。
梵語本・チベット訳・漢訳二種(羅什と玄奘訳)が現存する、原典は古くから日本に伝わり長期に亘り研究がなされてきた、因みに梵語では「極楽の荘厳と名ける大乗経」と言いチベット訳では「聖なる極楽の荘厳と名付ける大乗経」と言い意味合いに差異は無い。
漢訳は三度行われた様であるが、現存する経典は二典で鳩摩羅什
(注2の「阿弥陀経」と玄奘訳の「称讃(しょうさん)浄土仏摂受(しょうじゅ)経」(称讃阿弥陀経)の内、鳩摩羅什訳が簡潔かつ流暢であり読誦に利用されている、通常の漢訳は鳩摩羅什までを旧訳で玄奘以後を新訳と言われる。
浄土三部経の中で阿弥陀如来、無量寿如来に使い分けであるが、大
無量寿経では概ね「無量寿」が使われ「無量光」の記述は一回である、観無量寿経では「阿弥陀」と「無量寿」は併用されている、阿弥陀経に於いては「阿弥陀」が使われ無量寿が一回記述されている。
阿弥陀如来の寿命が書かれ無量無辺にして阿僧祇劫と言われる、阿僧祇
asakhyaとは経典により多様であるが・107×2103乗・107×2104 ・3×1059 等の記述がある。
釈尊が祇園精舎(注8に於いて舎利弗を初め,十大弟子阿逸多(あいった)菩薩弥勒菩薩文殊菩薩釈提桓因(しゃくだいかんいん)帝釈天を初めとする衆所知識(しゅしょちしき)abhijñānābhijñāta、仏智の所持者)1250人を前に於いて西方十万億の佛国土を越えた距離にある阿弥陀仏の極楽浄土の荘厳様を説く「無門自説経」(注6形式をとる、その他聴き慣れない、雄象の如く威力の香象菩薩すなわち乾陀訶提(けんだかだい)薩や衆生済度に努める常精進(じょうしょうじん)菩薩等も同席していた、因みに衆所知識者とは著名な仏智を持った人を意味する、因みに”西方十万億の佛国土”とは実在する空間的距離を言うのではなく衆生の心の内に存在する、これはセム的一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)の最後の審判を予測する終末的世界観と似て非なると言えよう
次にその浄土に往生する為の方法として阿弥陀仏の名号、南無阿弥陀仏を唱える事を説く、最後に諸仏がこの説を支持する、また極楽浄土の情景が述べられており、黄金の大地には天界の花とされる曼陀羅華
Māndārava、マンダーラヴァ、天妙華・悦意華)が降り、七宝(金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙・琥珀)の池があり底は金砂が敷かれており、妙なる調べの中で飛ぶ浄土の六鳥すなわち想像上の鳥・百鵠(びゃっこう)・孔雀・鸚鵡(おうむ)・舎利・迦陵頻伽(かりょうびんが)共命之鳥(ぐみょうのとり)が舞う‐‐‐と言い、五濁悪世 (注4の娑婆からの離脱方法等が述べられている、因みに迦陵頻伽とは翼を持つ菩薩に鳥の下半身の姿で好声鳥・逸音鳥・妙声鳥等と訳される、また南無とは梵語のナモnamo)、ナマスnamasの音訳で帰命、帰依を意味する、南無阿弥陀仏を支持する諸仏であるが、繰り返し読呪される、即ち十方の内で東方だけでも阿閦鞞仏、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、妙音仏等々で六度も読誦されている
この経典は短編の為か称名に多く用いられる、この経典も如是我聞
(梵語・エーヴァム・マヤー・シュルタム・eva mayā śrutaから始まる(私は釈迦からこのように聞いた)
浄土三部経の内観無量寿経法然浄土宗が最高経典としており親鸞浄土真宗・真宗大無量寿経を一遍の時宗は阿弥陀経を最も重視しており浄土系でも相違がある、浄土教系の宗派では呉音で読経されるが天台宗に於いては漢音で読経される、
阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)(梵語のanuttara-samyak-sambodhi (アヌッタラー・サンミャク・サンボーデー)が記述されている、阿耨多羅三藐三菩提とは般若心経の一フレーズで「無上正等覚Samyak sabuddha」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、但し阿耨多羅三藐三菩提のタームは法華経にも多く使われている
阿弥陀経の読誦は通常は呉音で読誦されるが、天台宗や浄土真宗では報恩講や本願寺歴代 の祥月命日等に漢音で読まれる事もある。
阿弥陀経に記述される極楽浄土の仏のラインナップは後に曼荼羅の参考にされている様だ

 

1, ()念門(ねんもん)とは浄土に往生する方法で法然が重要視した、阿弥陀浄土を論ずるには五念門があり、礼拝・讃嘆,・作願・観察・廻向の五門があり、特に重要視されるのは観察(浄土を観想)であり、17種の国土荘厳・8種の仏荘厳・4種の菩醍荘厳よりなるとされる。
要するに 阿弥陀仏の浄土に往生するための(ぎょう)として、菩薩の「浄土論」に示された五種の行を言う。

1礼拝(らいはい)門。身に阿弥陀仏を敬い拝むこと。

2讃嘆(さんだん)門。光明(こうみょう)名号(みょうごう)のいわれを信じ、口に仏名(ぶつみょう)を称えて阿弥陀仏の功徳をたたえること。

3作願(さがん)門。一心に専ら阿弥陀仏の浄土に生れたいと願うこと。

4観察(かんざつ)門。阿弥陀仏・菩薩の姿、浄土の荘厳(しょうごん)を思いうかべること。

5回向(えこう)門。自己の功徳をすべての衆生にふりむけて共に浄土に生れたいと願うこと。またこの五念門行を修する結果として得られる徳を五功徳門として示されている。

親鸞は五種の行が総て法蔵菩薩 所修の功徳として名号にそなわって衆生に回向されるとみられた。



2鳩摩羅什Kumārajīvaクマーラジーバ)344413年  鳩摩羅什訳の阿弥陀経には弥勒菩薩は「阿逸多(あいった)菩薩」と記述されているが同尊と言われる、阿逸多は梵語で Ajita と記述し無勝等と意訳される、但し中阿含経中の説本経などの記述に依れば別尊説も言われている。 



3、経典の中で阿弥陀如来を賛美し阿弥陀経を推奨した佛は「十方諸仏」と言う。 
東 ・阿閦鞞(あしゅくひ)佛・須弥相(ゆみそう)佛 ・大須弥(だいしゅみ)佛・須弥光佛・妙音佛 
南 日月燈(にちがっとう)佛・名聞光(みょうもんこう)佛・大焔肩(だいえんけん)佛・須弥燈佛・無量精進佛  
西 無量寿佛・無量相佛・無量幢佛・大光佛・大明佛・宝相佛・浄光佛  
北 焔肩佛・最勝音佛・難沮(なんそ)佛・日生(にっしょう)佛・網名佛  
下 師子(しし)佛・名聞佛・名光佛・達磨佛・法幢佛・持法佛  
上 梵音佛・宿王佛・香上・香光佛・大焔肩佛などが挙げられている。
  因みに阿閦鞞(あしゅくび) 阿閦鞞は音訳でアクショービヤ (Akşobhya) と言い、意訳では無動・()(しん)()とれ東方(とうほう)妙喜(みょうき)世界に於ける法主という、阿閦鞞仏とは阿弥陀如来が法蔵菩薩の時代の師仏で「世自在王佛」の事である。



4五濁(ごじょく)の悪世とは  
1
、劫濁 (社会の悪 汚濁 飢饉 疫病 争い)  
2
、見濁 (利己主義 邪見 邪悪)  
3
、煩悩濁 (猜疑心 心の悪徳 貪瞋痴の三毒 「注10」)  
4
、衆生濁 (脱道徳 資質意識の低下)  
5
、命濁 (上記の濁り短命 生命力の衰え)。
*
四劫と言う総ての誕生から消滅までの間に永劫の流転を繰り返す、1成劫(じょうこう) 万物の誕生、 2住劫(じゅうこう) 安定期、 3壊劫(えこう) 衰滅期、 4空劫(くうこう) 総てが無、に分類され各劫は20劫を要する。


5、 阿弥陀経の異訳に「称賛浄土経」正式には「称賛浄土佛摂受経(しょうさんじょうどぶつしょうじゅきょう)」(玄奘訳650年)があり当麻曼荼羅伝承で知られる「法如」(中将姫の法名)すなわち当麻寺の中将姫が千部の写経を奉納したとされ、観想・観得したものが浄土曼荼羅(変相図)である。

6、無門自説経 舎利弗達の質問を待たずに釈尊が一方的に説かれた経典で阿弥陀経が代表的経典で、舎利弗は釈尊から三十六回呼びかけられるが一言も発しない。

注7、浄土三部経 法然は自著「選択本願念仏集」にお於いて正しく浄土に往生する方法として「三経・一論これなり」と言う、三経とは浄土三部経であり、一論とはインド僧天親の浄土論(無量寿経優婆提舎(うばだいしゃ)願生偈(がんしょうげ))の事である、因みに浄土三部経を挙げると
①仏説無量寿経 二巻 曹魏康僧鎧訳(大経)      *阿弥陀如来誕生の由来。
②仏説観無量寿経 一巻 劉宋畺良耶舎訳(観経)   *極楽に生まれる方法 ・念仏往生の方法。
③仏説阿弥陀経 一巻 姚秦鳩摩羅什訳(小経)である、但し優先順位は宗派によりずれがある。  *極楽浄土の情景を示す。 
「仏説無量寿経 曹魏康僧鎧訳    「仏説観無量寿経」 劉宋畺良耶舎訳   「仏説阿弥陀経」姚秦鳩摩羅什訳

浄土三部経の特徴として「観無量寿経」は機の真実を説き「無量寿経」は法の本願を説く、更に「阿弥陀経」は機+法を合わせ説くとされている、阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)」が記述されている、阿耨多羅三藐三菩提とは「無上正等覚」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、三部経は阿弥陀如来が主役であるが説いている尊格は阿弥陀如来ではなく釈迦如来が説いている。
浄土三部経の精神は後白河法皇の編んだ「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には「弥陀の誓いぞ頼もしき 十悪五逆の人なれど 一度御名を称ふれば 来迎引説(いんじょう)疑わず」にある。
因みに十悪五逆の内で十悪とは、身口意(からだ・言葉・心)で犯す十悪を言う。三密修行すなわち***意を用いれば *身体に相当を「印契を結ぶ」、*口で真言を唱える、*仏と一体即ち三摩地となる。
十悪とは、1殺生、2偸盗、3邪婬、4妄語、5両舌、6悪口、7綺語(きご)、8貧欲、9瞋恚、10愚痴。
五逆とは、1殺母、2殺父、3殺阿羅漢(聖者を殺す)、4出仏身血(仏身を傷つけ出血さす)、5破和合僧(教団を破壊する)となる。

同経の内「大無量寿経」巻上に一ヶ所「願はくは世尊 広くために諸仏如来の浄土の行を敷衍したまへ」の記述と語彙の近い「厳浄の土」の記述があるのみである、また梵語には浄土に該当するタームはない。

8、 祇園精舎とは大富豪の()(だっ)()(きつ)孤独(こどく)長者)コーラサの祇陀(ぎだ)王子の両者で寄進された処で釈尊がよく滞在した精舎で寄進した二人の名前から「祇樹給孤独園」を略して祇園精舎と呼ばれていた。

注9、
 無量寿如来・Amitāyus buddhaアミターユス ブッダ)即ち永遠の生命とする説と、無量光如来・Amitābhabuddha(アミターバ ブッダ・bhaは光)限りない光明とする「阿弥陀如来」は音訳である、(a=否定接頭語 ・mita=ミタ、量る ・ābha=アーバ、光明 ・āyus=アーユス、寿命)異論もあるが意訳を「無量寿如来」とされる説が強い、阿弥陀信仰に関する一説に、ミトラ教に於けるアミターバ(Amitābhaを源流としており中国に於いて完成を見たと言う記述がある(久慈力・現代書館)、ミトラ教(Mithraism)とは、古代ローマで流伝した太陽神ミトラスを主神とする密儀宗教であると言う、密儀宗教とは古代ギリシャに於けるヘレニズム(Hellenismを主体とした宗教ある、因みに経典であるが無量寿経ではAmitābha(アミターバ)即ち無量光が用いられている、阿弥陀経ではAmitāyus(アミターユス)すなわち無量寿が使われている、よく判らないが不老長寿を標榜する道教との関連を言う説もある、また親鸞は無量光を重要視していたとされる。

注10、  煩悩には貪瞋癡(とんじんち)と言う、三毒が大きな要素を占める、三毒trivia・トリヴィシヤ)とは仏教で言う、根幹を為す煩悩の三項目を言う、 (とん)rāga貪欲(とんよく) (じん)dvea瞋恚(しんに) ()moha愚癡(ぐち)を言う

   

 

 

200593日 鳩摩羅什  2008310日注5 2010年リンク他 20141224日ルビ等々 201531日五濁阿閦鞞等 1113日 2016121日  221日 330日  2017113日 8月9日 2018年5月25日 6月15日 2020年10月4日 2022年10月9日加筆    

 

 

 

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