阿弥陀如来と極楽浄土の清浄かつ
極楽浄土の情景を観るには鳩摩羅什の創作とも言える見事な漢訳された阿弥陀経に尽きよう、*「
浄土三部経は浄土教系の宗派の総てが拠り所すなわち
多説存在し不祥であるが、大無量寿経では阿弥陀如来を(
時宗に於いては三部経の中でも阿弥陀経を最高位に置いている、梵語名をsukhāvatī・極楽浄土の荘厳な情景を著したもので「極楽の荘厳」「壮麗な状況」と訳される、Sukhāvatīvyūha(スカーヴァテイーヴユーハースートラ)でSukhāは楽しみ・vatīは場所・vatīは情景をsūtraは経を言う、またSukhāvat īivyūhaの異訳に「称讃浄土経」(注5)と言う短い経典があり當麻曼荼羅すなわち浄土変相図のもととなった経典も存在する、従って中将姫がしたためた写経も玄奘訳の称讃阿弥陀経であり、この時代には多く詠まれていた、因みに阿弥陀経の別名を「
極楽の荘厳sukhāvatī 大無量寿経の梵語名も同じであり区別して小スカヴァバティービューハと云う、経典冒頭の「仏説阿弥陀経」等に於ける仏説の仏は釈迦如来の事である、因みに極楽(sukhāvatī, スカーヴァティー・幸せのある処)と言うタームは阿弥陀経に於いてのみ使用されている、「衆苦あることなく、ただ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」、少し断線するが浄土と言うタームは無量寿経(巻一)に一ヶ所の記述がある、よく似た意味合いの「厳浄の土」は二ヶ所の記述がある。
阿弥陀経は一世紀頃に北インドでの成立と推定され、ウッダル・プラデーシュの祇園精舎で説かれた事に成っている、その信仰は東・南アジア・中国・朝鮮に広まり、特に日本に於いて浄土信仰は源信、法然、親鸞,
一遍達の努力で多数の信者を集めた。
清少納言は枕草子の百六十一段に極楽は「遠くて近きもの 極楽 船の道 人の仲」と書いている、阿弥陀経や観無量寿経の影響であろう。
梵語本・チベット訳・漢訳二種(羅什と玄奘訳)が現存する、原典は古くから日本に伝わり長期に亘り研究がなされてきた、因みに梵語では「極楽の荘厳と名ける大乗経」と言いチベット訳では「聖なる極楽の荘厳と名付ける大乗経」と言い意味合いに差異は無い。
漢訳は三度行われた様であるが、現存する経典は二典で鳩摩羅什訳(注2)の「阿弥陀経」と玄奘訳の「称讃浄土仏摂受経」(称讃阿弥陀経)の内、鳩摩羅什訳が簡潔かつ流暢であり読誦に利用されている、通常の漢訳は鳩摩羅什までを旧訳で玄奘以後を新訳と言われる。
浄土三部経の中で阿弥陀如来、無量寿如来に使い分けであるが、大無量寿経では概ね「無量寿」が使われ「無量光」の記述は一回である、観無量寿経では「阿弥陀」と「無量寿」は併用されている、阿弥陀経に於いては「阿弥陀」が使われ無量寿が一回記述されている。
阿弥陀如来の寿命が書かれ無量無辺にして阿僧祇劫と言われる、阿僧祇(asaṃkhya)とは経典により多様であるが・10の7×2103乗・10の7×2104 ・3×1059 等の記述がある。
釈尊が祇園精舎(注8)に於いて舎利弗を初め,十大弟子・阿逸多菩薩(弥勒菩薩)・文殊菩薩・釈提桓因(帝釈天)を初めとする衆所知識者(abhijñānābhijñāta、仏智の所持者)1250人を前に於いて西方十万億の佛国土を越えた距離にある阿弥陀仏の極楽浄土の荘厳様を説く「無門自説経」(注6)形式をとる、その他聴き慣れない、雄象の如く威力の香象菩薩すなわち乾陀訶提菩薩や衆生済度に努める常精進菩薩等も同席していた、因みに衆所知識者とは著名な仏智を持った人を意味する、因みに”西方十万億の佛国土”とは実在する空間的距離を言うのではなく衆生の心の内に存在する、これはセム的一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)の最後の審判を予測する終末的世界観と似て非なると言えよう。
次にその浄土に往生する為の方法として阿弥陀仏の名号、南無阿弥陀仏を唱える事を説く、最後に諸仏がこの説を支持する、また極楽浄土の情景が述べられており、黄金の大地には天界の花とされる曼陀羅華(Māndārava、マンダーラヴァ、天妙華・悦意華)が降り、七宝(金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙・琥珀)の池があり底は金砂が敷かれており、妙なる調べの中で飛ぶ浄土の六鳥すなわち想像上の鳥・百鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命之鳥が舞う‐‐‐と言い、五濁悪世 (注4)の娑婆からの離脱方法等が述べられている、因みに迦陵頻伽とは翼を持つ菩薩に鳥の下半身の姿で好声鳥・逸音鳥・妙声鳥等と訳される、また南無とは梵語のナモ(namo)、ナマス(namas)の音訳で帰命、帰依を意味する、南無阿弥陀仏を支持する諸仏であるが、繰り返し読呪される、即ち十方の内で東方だけでも阿閦鞞仏、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、妙音仏等々で六度も読誦されている。
この経典は短編の為か称名に多く用いられる、この経典も如是我聞(梵語・エーヴァム・マヤー・シュルタム・evaṃ
mayā śrutaṃ)から始まる(私は釈迦からこのように聞いた)。
浄土三部経の内観無量寿経は法然の浄土宗が最高経典としており親鸞の浄土真宗・真宗は大無量寿経を一遍の時宗は阿弥陀経を最も重視しており浄土系でも相違がある、浄土教系の宗派では呉音で読経されるが天台宗に於いては漢音で読経される、阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「阿耨多羅三藐三菩提(梵語のanuttara-samyak-sambodhi (アヌッタラー・サンミャク・サンボーデー)が記述されている、阿耨多羅三藐三菩提とは般若心経の一フレーズで「無上正等覚(Samyak saṃbuddha)」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、但し阿耨多羅三藐三菩提のタームは法華経にも多く使われている。
阿弥陀経の読誦は通常は呉音で読誦されるが、天台宗や浄土真宗では報恩講や本願寺歴代 の祥月命日等に漢音で読まれる事もある。
阿弥陀経に記述される極楽浄土の仏のラインナップは後に曼荼羅の参考にされている様だ。
注1,
要するに 阿弥陀仏の浄土に往生するための
1、礼拝門。身に阿弥陀仏を敬い拝むこと。
2、讃嘆門。光明と名号のいわれを信じ、口に仏名を称えて阿弥陀仏の功徳をたたえること。
3、作願門。一心に専ら阿弥陀仏の浄土に生れたいと願うこと。
4、観察門。阿弥陀仏・菩薩の姿、浄土の荘厳を思いうかべること。
5、回向門。自己の功徳をすべての衆生にふりむけて共に浄土に生れたいと願うこと。またこの五念門行を修する結果として得られる徳を五功徳門として示されている。
親鸞は五種の行が総て法蔵菩薩 所修の功徳として名号にそなわって衆生に回向されるとみられた。
注2、鳩摩羅什(Kumārajīva・クマーラジーバ)344~413年 鳩摩羅什訳の阿弥陀経には弥勒菩薩は「阿逸多菩薩」と記述されているが同尊と言われる、阿逸多は梵語で Ajita と記述し無勝等と意訳される、但し中阿含経中の説本経などの記述に依れば別尊説も言われている。
注3、経典の中で阿弥陀如来を賛美し阿弥陀経を推奨した佛は「十方諸仏」と言う。
東 ・阿閦鞞佛・須弥相佛 ・大須弥佛・須弥光佛・妙音佛
南 日月燈佛・名聞光佛・大焔肩佛・須弥燈佛・無量精進佛
西 無量寿佛・無量相佛・無量幢佛・大光佛・大明佛・宝相佛・浄光佛
北 焔肩佛・最勝音佛・難沮佛・日生佛・網名佛
下 師子佛・名聞佛・名光佛・達磨佛・法幢佛・持法佛
上 梵音佛・宿王佛・香上・香光佛・大焔肩佛などが挙げられている。
因みに阿閦鞞佛 阿閦鞞は音訳でアクショービヤ (Akşobhya) と言い、意訳では無動・無瞋恚とれ東方妙喜世界に於ける法主という、阿閦鞞仏とは阿弥陀如来が法蔵菩薩の時代の師仏で「世自在王佛」の事である。
注4、五濁の悪世とは
1、劫濁 (社会の悪 汚濁 飢饉 疫病 争い)
2、見濁 (利己主義 邪見 邪悪)
3、煩悩濁 (猜疑心 心の悪徳 貪瞋痴の三毒 「注10」)
4、衆生濁 (脱道徳 資質意識の低下)
5、命濁 (上記の濁り短命 生命力の衰え)。
*四劫と言う総ての誕生から消滅までの間に永劫の流転を繰り返す、1、成劫 万物の誕生、 2、住劫 安定期、 3、壊劫 衰滅期、 4、空劫 総てが無、に分類され各劫は20劫を要する。
注5、 阿弥陀経の異訳に「称賛浄土経」正式には「称賛浄土佛摂受経」(玄奘訳650年)があり当麻曼荼羅伝承で知られる「法如」(中将姫の法名)すなわち当麻寺の中将姫が千部の写経を奉納したとされ、観想・観得したものが浄土曼荼羅(変相図)である。
注6、無門自説経 舎利弗達の質問を待たずに釈尊が一方的に説かれた経典で阿弥陀経が代表的経典で、舎利弗は釈尊から三十六回呼びかけられるが一言も発しない。
注7、浄土三部経 法然は自著「選択本願念仏集」にお於いて正しく浄土に往生する方法として「三経・一論これなり」と言う、三経とは浄土三部経であり、一論とはインド僧天親の浄土論(無量寿経
①仏説無量寿経 二巻 曹魏康僧鎧訳(大経) *阿弥陀如来誕生の由来。
②仏説観無量寿経 一巻 劉宋畺良耶舎訳(観経) *極楽に生まれる方法 ・念仏往生の方法。
③仏説阿弥陀経 一巻 姚秦鳩摩羅什訳(小経)である、但し優先順位は宗派によりずれがある。 *極楽浄土の情景を示す。
「仏説無量寿経 曹魏康僧鎧訳 「仏説観無量寿経」 劉宋畺良耶舎訳 「仏説阿弥陀経」姚秦鳩摩羅什訳
浄土三部経の特徴として「観無量寿経」は機の真実を説き「無量寿経」は法の本願を説く、更に「阿弥陀経」は機+法を合わせ説くとされている、阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「
浄土三部経の精神は後白河法皇の編んだ「
因みに十悪五逆の内で十悪とは、身口意(からだ・言葉・心)で犯す十悪を言う。三密修行すなわち*身 *口 *意を用いれば *身体に相当を「印契を結ぶ」、*口で真言を唱える、*仏と一体即ち三摩地となる。
十悪とは、1殺生、2偸盗、3邪婬、4妄語、5両舌、6悪口、7綺語、8貧欲、9瞋恚、10愚痴。
五逆とは、1殺母、2殺父、3殺阿羅漢(聖者を殺す)、4出仏身血(仏身を傷つけ出血さす)、5破和合僧(教団を破壊する)となる。
同経の内「大無量寿経」巻上に一ヶ所「願はくは世尊 広くために諸仏如来の浄土の行を敷衍したまへ」の記述と語彙の近い「厳浄の土」の記述があるのみである、また梵語には浄土に該当するタームはない。
注8、 祇園精舎とは大富豪の須達多(給孤独長者)コーラサの祇陀王子の両者で寄進された処で釈尊がよく滞在した精舎で寄進した二人の名前から「祇樹給孤独園」を略して祇園精舎と呼ばれていた。
注9、 無量寿如来・Amitāyus buddha(アミターユス ブッダ)即ち永遠の生命とする説と、無量光如来・Amitābhabuddha(アミターバ ブッダ・bhaは光)限りない光明とする「阿弥陀如来」は音訳である、(a=否定接頭語 ・mita=ミタ、量る ・ābha=アーバ、光明 ・āyus=アーユス、寿命)異論もあるが意訳を「無量寿如来」とされる説が強い、阿弥陀信仰に関する一説に、ミトラ教に於けるアミターバ(Amitābha)を源流としており中国に於いて完成を見たと言う記述がある(久慈力・現代書館)、ミトラ教(Mithraism)とは、古代ローマで流伝した太陽神ミトラスを主神とする密儀宗教であると言う、密儀宗教とは古代ギリシャに於けるヘレニズム(Hellenism)を主体とした宗教である、因みに経典であるが無量寿経ではAmitābha(アミターバ)即ち無量光が用いられている、阿弥陀経ではAmitāyus(アミターユス)すなわち無量寿が使われている、よく判らないが不老長寿を標榜する道教との関連を言う説もある、また親鸞は無量光を重要視していたとされる。
注10、 煩悩には
2005年9月3日 鳩摩羅什 2008年3月10日注5 2010年リンク他 2014年12月24日ルビ等々 2015年3月1日五濁阿閦鞞等 11月13日 2016年1月21日 2月21日 3月30日 2017年1月13日 8月9日 2018年5月25日 6月15日 2020年10月4日 2022年10月9日加筆