大無量寿経

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阿弥陀如来の誓願(せいがん)を明示し、サルベージ(救済)成就(じょうじゅ)(うた)う経典である、すなわち五劫と言う長期に亘り、法蔵菩薩が阿弥陀如来に成仏すなわち”本願(ほんがん)”を遂げた経緯(けいい)が語られている。 
南無阿弥陀仏と称えられる念仏の典拠となる経典
(上巻)で阿弥陀如来アミターバ Amitābha登場の由来が述べられている、梵語名は二経とも同じであるが ・大無量寿経を大経 ・阿弥陀経を小経と呼ばれている、多説あるが阿弥陀経では阿弥陀如来(アミターユス Amitāyusと記述されておりチベット仏教では別の尊格とされている。 
上下二巻に分けられる事から雙巻経(そうかんぎょう)などとも呼ばれ観無量寿経を加えた浄土三部経の中で最も早く成立した、
浄土三部経(注9中でも大経は中核を為している、浄土三部経は釈尊により阿弥陀仏の救済を説く経典であり「南無阿弥陀仏」を呼称する典拠となる、但し経典を説くのは釈尊であり阿弥陀仏ではない、釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)に於いて多くの菩薩達に説く形式である、内容は弥陀の本願を衆生に説く為に現れたと述べている。
上下二巻の内、上巻では法蔵菩薩すなわち後の阿弥陀仏の・
誓願praidhāna プラニダーナ本願pūrva-praidhāna プールヴァ・プラニダーナと極楽(厳浄)浄土の由来が説かれ、下巻では極楽浄土の荘厳な美しさと功徳が説かれている、但し浄土三部経の一典であるが、同経の内「大無量寿経」巻上に一ヶ所「願はくは世尊 広くために諸仏如来の浄土の行を敷衍したまへ」の記述と語彙の近い「厳浄の土」の記述があるのみである、また梵語には浄土に該当するタームはない。 
無量寿経は浄土思想を説く根幹をなす大部な経典で1~2世紀頃に完成したと視られる、この経典を釈迦に依って説かれた場所は霊鷲
山(耆闍崛山(ぎじゃくつえん)と言う事になっている、漢訳が単に「無量寿経」の名称である為に梵語名は阿弥陀経と同じ
Sukhāvatīvyūha スクハーバチィビューハで極楽sukhāvati)の荘厳と言う、因みに上巻は序文、本願の法を説く釈尊の姿を参考とする法蔵菩薩が中心である、下巻は必ず覚りが得られると言う「必至滅度(ひっしめつど)の願」第十一願)、仏、菩薩の名を称える「諸仏称名(しょぶつしょうみょう)の願」(第十七願)、仏を敬い拝する心構へ「至心(ししん)信楽(しんぎょう)の願」(第十八願)、の三願の成就から始まる、成就とは正定聚(しょうじょうじゅ)(成仏必至の仲間)設定は「五劫思惟、十劫正覚」すなわち十劫と言う無限の昔に阿弥陀如来が法蔵菩薩の時代「世自在王仏」の下で五劫(注1と言う長期間修行し二百十億の仏国土から選択した西方浄土に於いて誓願した、因みに法蔵菩薩は五劫もの時間を要して誓願(本願・praidhāna プラニダーナを成就して如来となった。
無量寿経は真実の教えとされる、その証として(きょう)(どう)滅尽(めつじん)( saddharma-vipralopa)と言うタームがある、経道とは仏法すなわち仏教経典の内容を言う、経道滅尽は末法に経典も教えも、総て滅し尽し尽きる時でも無量寿経は百年残ると記述されている。
梵語原典とチベット語訳及び五種の漢・呉・魏・唐・宋訳が現存するが、多く使われる経典は洛陽の白馬寺に住んでいた魏の康僧鎧(こうそうがい)の訳が使われている、漢訳は原典やチベット語訳に比較して内容が多様である、漢訳全般に言えるが康僧鎧の訳は独創性が強い様で道教等の老荘思想(格義佛教)が取り込まれている、一例を挙げれば原典にない「無為自然」が説かれている、即ち浄土は娑婆の様に人手に於いて作られた物でなく無為自然であり覚りに繋がると言う、無為自然は19世紀にネパールで発見された梵語原本やチベット語訳には記述が無い(下巻大正蔵第12275箇所の指摘がある(中村元氏)。    
釈尊が十大弟子の一人で秘書的存在の阿難陀(
ānanda弥勒菩薩に語りかけた形式で趣旨は「五濁悪世」(ごじょくあくせ)(注3からのサルベージすなわち極楽浄土建立の誓願を法蔵菩薩の時代の阿弥陀如来に求めた経典である、同じ浄土三部経の阿弥陀に於いては、七宝(金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙・琥珀)の池があり底は金砂が敷かれ物質が言われているがが、大経では主に心、すなわち富裕、豊満、豊饒、美麗が説かれている
浄土三部経の中で阿弥陀如来、無量寿如来に使い分けであるが、大経では概ね「無量寿」が使われ「無量光」が一回である、観無量寿経では「阿弥陀」と「無量寿」は併用される、阿弥陀経に於いては「阿弥陀」が使われ無量寿が一回使われている。
無量寿の語源であるが梵語名に諸説ある、無限
Amitā・寿命yusの合成語で無量寿如来・Amitāyus buddhaアミターユス ブッダ)「無量の寿命」とする説と、無量光如来・Amitābhabuddha(アミターバ ブッダ・bhaは光)「無量の光明」で「阿弥陀如来」は音訳である、a=否定接頭語 ・mita=ミタ、量る、 ・ābha=アーバ、光明、 ・āyus=アーユス、寿命を意味する、異論もあるが意訳を「無量寿如来」とされた様である、また「十二光仏」とも言われ「無量光」「無辺光」「無碍(むげ)光」「無対光」「(えん)(のう)光」「清浄光」「歓喜光」「智慧光」「不断光」「難思光」「無称光」「超日月光(がっこう)」と呼称される、十二光仏は阿弥陀仏の光明即ち仏の智慧の徳を十二種に分かって称讃したもので曇鸞も「讃阿弥陀仏偈」に於いて讃嘆している、また親鸞も「浄土和讃」「首楞厳経(しゅりょうごんきょう)」で扱っている。
因みに
本願すなわち”誓い”に対する梵語はpraidhāna プラニダーナと言い誓願、宿願などと和訳されるが漢訳は「願」であり固いと言う意味を持つ。  
無量寿経に依れば、インドの王子時代に「世自在王如来」説法により出家した、法蔵菩薩dharmākara・ダルマーカラ)という名で修行中に世自在王から二百十億の仏国土を示されて五劫もの期間思惟した、最高の極楽浄土をつくり衆生を救済したいという誓願を起こした因縁から始まり、続いてその誓願が成就してできた経典は漢訳、呉訳、魏訳など五存七欠十二訳が存在したと言われる、共通項として過程と極楽浄土の情景を画いて、極楽へ往生する衆生を導くあり方として三輩(さんぱい)を表わす。
5、でも述べるが法蔵菩薩の誓願は漢訳と呉訳では二十四願である、また大無量寿経の異訳の一経である平等覚経」も二十四願である、否定説もあるが康僧鎧訳とされる訳経は四十八願に増やされているとの記述がある、因みに訳による誓願数の相違を挙げると、*二十四願に支婁迦讖訳(平等覚経)、支謙訳(大阿弥陀経)、 *四十八願に康僧鎧訳(無量寿経・近年異説もある)、玄奘訳(無量寿如来経)、 *三十六願に法賢訳(無量経荘厳経)、 *四十六願に梵文訳、*四十九願にチベット文等多彩である。 浄土宗小事典・石上善㾮應・法蔵館より
日本に於いては阿弥陀四八願の内特に十八願の願名は
念仏往生の願選択本願本願三心の願至心信楽の願往相信心の願、(文原=念仏往生之願・説我得佛、十方衆生、至心信楽欲生我国至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆、誹謗正法)が著名で「十方の衆生が阿弥陀浄土に入る事を念じて念仏するならば往生を遂げさせる」と記される、但し五逆すなわち肉親や覚者の殺傷と正法すなわち仏法の誹謗者は除外される、五逆とは・殺母・殺父・殺羅漢・出仏身血(仏を傷つける)・破和合仏(教団の破壊)を言う。 
浄土宗などでは十八番を王本願と言い四十八願総てを網羅していると言える解釈であるが十九番
(至心発願)も来迎を約束しており十八番(念佛往生の願)と遜色は考えられない、因みに浄土真宗では十七番も重要視されている。
十八番は日本に於いては「念仏往生の願」「至心信楽(ししんしんぎょう)の願」として最重要視されている、但し支婁梼讖(しるかせん)(漢訳)支謙(しけん)(呉訳)、菩提流支(ぼだいるし)の唐訳 法賢訳の宋訳には二十四願には存在せず、康僧鎧の訳にのみ存在すると言う、別の資料では訳出年代の古い「大阿弥陀経」「平等覚経」の二経が二十四願経と呼ばれている(浄土教の思想 梯信暁)、因みに十八番と言えば日本では歌舞伎の世界に於いて七代目團十郎が「歌舞妓狂言組十八番」を制定して最も著名な「勧進帳」等を置いている、また野球界に於けるエースナンバーは概ね十八番であり日本人は十八番(おはこ)好みで、源は無量寿経にあると思惟される、因みに日本以外の仏教国では四十八願が夫々1/48で平等な扱いをする国が多い、因みに法蔵菩薩の誓願が成就不可能であれば仏果を得ない誓いを「不取正覚(ふしゅしょうがく)」と言う。
その他十九願の必ず迎えに来てくれると言う「臨終現前(げんぜん)の願」、必ず救済してくれる二十願の「三生果遂(さんしょうかすい)の願」も知る必要があろう。   
前述の念仏往生之願の内「十念」が十回の念仏で往生出来ると解釈され広まったが異論が多い。
本願とはpūrva-pra
idhāna(プールヴァ・プラニダーナ)と言い、過去に祈願された願い、本すなわちpūrva=昔であり、praidhāna=誓い、願いを意味する、即ち法蔵菩薩が菩薩時代の誓いである。
常光如来から54
番目に覚者と成った阿弥陀如来の起源が書かれており、「乃往(ないおう)過去久遠無量(くおんむりょう)不可思議(ふかおもぎ)無央数劫」(むおうしゅこう)と言う無限の過去に錠光如来が現れ次に光遠如来 月光如来等と続く、そして合計して五十三尊の如来が現れる、これを世自在王如来と言い当寺国王であった人が世自在王如来に帰依し退位して法蔵菩薩から阿弥陀如来となったと云われる、また
第二十一願には浄土に往生出来れば如来の持つ三十二相が備わる様な解釈が出来る
因みに
浄土三部経とは阿弥陀経(鳩摩羅什訳)・観無量寿経 (畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳)・大無量寿経(康(こう)(そう)(がい)訳)を言い上座部経典の口伝に対して小説とも言える経典である、阿弥陀如来の呼称であるが「大無量寿経」に於いては阿弥陀と言う用語は用いられず無量寿が殆どで無量光が一度使われている、「観無量寿経」に於いては阿弥陀と無量寿が併用されている、また「阿弥陀経」に於いては無量寿が一度で後は阿弥陀が呼称されている、また無量寿経は法華経般若心経と共に大乗経典の代表的経典である
浄土系宗派が()(きょう)としている浄土三部経の内、観無量寿経は「願成就」を証す為法然浄土宗が最高経典としており親鸞浄土真宗・真宗は「弘願真実」の大無量寿経を一遍の時宗阿弥陀経を最も重視するが法華経や華厳経も依経としており浄土系でも相違がある、蛇足ながら阿弥陀仏の名を呼称する事を”念仏”と言う。
浄土真宗が大無量寿経を聖典すなわち最高経典とする証として正信偈が挙げられる、正信偈の偈前の文に「爾者帰大聖真言 閲大祖解釈 信知佛恩深遠 作正信念仏偈曰」 「しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、佛恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈をつくりて曰く」
正信偈を語る背景と動機の説明)  「しかればだいしょうのしんごんにきし、だいそのげしゃくにえつして、ぶつとんのじんのんなるをしんちして、しょうしんねんぶつげをつくりていわく、」
偈前に記述される大聖真言とは大無量寿経を言い、仏から示された偈すなわち真実の言葉である、また大祖解釈とは親鸞が選んだ七高僧である、七高僧とは龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信法然までを言う。
浄土の情景は浄土三部経に詳しいが浄土と言うタームは大無量寿経に於ける上巻に「願わくは世尊、広くために諸仏如来の浄土の行を敷衍したまへ」の一ヶ所記述があるのみである。
(浄土三部経と地獄・極楽の辞典、春秋社、大角修)  
通名・「東本願寺」正式名称「真宗本廟」の御影堂門(ごえいどうもん)の上階部に無量寿経の世界がある、釈迦如来を中尊に阿難と弥勒菩薩が守護する三尊様式で顕している。(未公開)親鸞が大無量寿経を重視するのは尊号真像銘文、「説我得仏(せつがとくぶつ) 十方衆生(じっぽうしゅじょう) 至心信楽(ししんしんぎょう) 欲生我国(よくじょうがこく) 乃至十念(ないしじゅうねん) 若不生者(にゃくふしょうじゃ) 不取正覚(ふしゅしょうかく) 唯除五逆(ゆいじょごぎゃく) 誹謗正法(ひぼうしょうぼう)」と言う阿弥陀如来の誓願にあろう。
最後に五濁悪世の穢土に於いて善を行う意義を説いて、この経典の伝導を康僧鎧の「大無量寿経」を含めて玄奘の「般若心経」・不空の「仁王護国等がある。
無量寿経は勤行に用いられる部分に「四誓偈」
(注6があり浄土宗で重用されている、因みに浄土真宗では「重誓偈(じゅうせいげ)」「三誓偈」として用いられる。

また「()(がん)門」と言われるが、阿弥陀如来の誓願を弘願と言い、十劫の昔に弥陀が成仏された時点で衆生の往生が成立している、無量寿経に四十八願ある内で真宗系では第十八願を強調する、浄土宗系では四十八願全体を言う様である。 
中村元氏に依れば法華経と浄土三部経の存在感は著しく高い、古来から存在する「勅撰和歌集」の内で「釈教和歌」の部には浄土三部経と法華経を題材にした作品が大勢を占めると言われる。



1 劫(こう)とは梵語kalpa(カルパ)の意訳で仏教の言う非常に長い期間を言う、劫には複数の算定方法があり、盤石劫(ばんじゃくこう)の一劫とは四十立方里の岩に天人が百年に一度舞い降りて衣の袖で岩面を一度なでる、その岩が磨耗するまでを一劫と言う。また芥子劫とは芥子の実を百年に一度大きな城都に一粒ずつ落とし満杯になって一劫とする数え方もある、阿僧祇劫の計算法は多数あるが日本では一般的に1056説や1064説が言われる。 劫の分類は複雑で宇宙形成から壊滅までの劫を器世間と言い時間を単位とする物を歳敷劫という。  
賢劫の千仏とは現在の劫を賢劫と言い過去の劫を荘厳劫(そうごんこう)・未来劫を星宿劫と呼びこれを三世三千仏と言う、賢劫の千仏はここから由来している、因みに
「三劫三千佛名経」を依経としている
阿弥陀如来は宝蔵菩薩時代に五劫の間修行して如来と成った。
 無限と言える過去に「錠光如来」が出現し、その後も光遠如来、月光如来、等々の如来が現れ53番目に「世自在王如来」が現れる、「宝蔵菩薩」は世自在王如来の弟子で師から210億の佛の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった。 
劫の分類は複雑で宇宙形成から壊滅までの劫を器世間と言い時間を単位とする物を歳敷劫という。
但し真言密教では善無畏が時間軸ではなく、「
迷いによる執着」即ち妄執と異質解釈した、但しインド哲学の権威・宇井伯寿氏は「即身成仏」の実例は挙げられない」と言う。 
*賢劫(けんごう)の千佛  賢劫の千仏名に一部を「千仏名経」から十八尊程を挙げた、*拘留孫(くるそん)仏 *迦葉仏 *弥勒仏 *明焔(みょうえん)仏 *(みょう)()仏 *(ぜん)宿(じゅく)仏 *大臂(だいび)仏 *宿(しゅく)(おう)仏 *名相(みょうそう) *(えん)(けん)仏 *日蔵(にちぞう) *拘那含牟(くなごんむ)()仏 *釈迦牟尼仏 *師子仏 *牟尼仏 *華子(けし)仏 *導師仏 *大力仏までを挙げた。
*
四劫と言う総ての誕生から消滅までの間に永劫の流転を繰り返す、1成劫(じょうこう) 万物の誕生、 2住劫(じゅうこう) 安定期、 3壊劫(えこう) 衰滅期、 4空劫(くうこう) 総てが無、に分類され各劫は20劫を要する。


2、本願  四弘誓願(しぐせいがん) (梵語sāmānya-praidhā) 釈迦の前世に於ける善行動を物語化した本生譚(ジャータカ)が嚆矢とされるが、インドには四弘誓願は言われていない、中国に於いて起こり日本の浄土教で重要視されている、本願とは総ての菩薩が上を目指す必須科目で目的を誓願する事である、誓願を成就する事で如来となる。
誓願には総願と別願がある、四弘誓願とは総願とも言い菩薩が覚者となる為の必須科目で以下の様になる
、菩薩の共通項としての四弘誓願は総願の範疇に入る、また別願は菩薩達が個々に建てた誓願を言う。  
四弘誓願は以下の様になる。

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) 一切衆生の救済 

煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんど) 煩悩を絶つ 

法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく) 法門(仏法)を学ぶ  

仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) 修行し成道を誓う、 とされる。     阿弥陀如来の四八誓願  薬師如来の一二誓願  普賢菩薩の十大願などを言う。



3五濁悪世(ごじょくあくせ)  
・劫濁(時世の汚濁 疫病 争い)   
・見濁(利己主義 邪見)  
・煩悩濁(猜疑心 傲慢)  
・衆生濁(脱道徳)  
・命濁(上記の濁り短命) 
  

4、第一願「無三悪趣の願」、第二願「不更悪趣の願」

5、阿弥陀如来(法蔵菩薩)の誓願 支謙訳の大阿弥陀経、支婁迦讖(しるかせん)の平等覚経は24願、(ほっ)(けん)訳の無量経荘厳経は36願、(こう)(そう)(がい)菩提流支(ぼだいるし)訳、が48願で、46願梵文訳、49願のチベット訳、梵語写し本47願など多様に存在する。

、請願の数であるが、二十四願から四十九願までがある。

二十四願~「平等覚経(無量清浄平等覚経)」 支婁迦讖訳 (漢訳2世紀後半) 初期無量寿経典

二十四願~「大阿弥陀経」 支謙訳 (呉訳3世紀初め)初期無量寿経典

四十八願~「無量寿経」 康僧鎧訳(魏訳252年)後期無量寿経典

四十八願~「無量寿如来会」 菩提流支訳 (唐訳8世紀) 後期無量寿経典

三十六願「大乗無量寿荘厳経」 法賢訳(宋訳10世紀)
漢訳経典は五本が知られる、①支謙訳 大阿弥陀経(阿弥陀三耶三仏菩楼仏檀過度人道経)
、 ②帛雲訳 平等覚経(無量清浄平等覚経)、 ③康僧鎧or仏陀跋陀・羅宝雲共訳 双巻経等 無量寿経、 ④菩提流志訳 無量寿如来経 大宝積経、 ⑤法顕訳 荘厳経(大乗無量寿荘厳経) 浄土教思想史 梯信暁より



6、 四誓偈(しせいげ)  (1)我建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不成正覚  (2)我於無量劫 不為大施主 普済諸貧苦 誓不成正覚  (3)我至成仏道 名声超十方 究竟靡不聞 誓不成正覚  (4)離欲深正念 浄慧修梵行 志求無上道 為諸天人師  (5)神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難  (6)開彼智慧眼 滅此昏盲闇 閉塞諸悪道 通達善趣門  (7)功祚成満足 威曜朗十方 日月収重暉 天光隠不現  (8)為衆開法蔵 広施功徳宝 常於大衆中 説法師子吼  (9)供養一切仏 具足衆徳本 願慧悉成満 得為三界雄  (10)如仏無礙智 通達靡不照 願我功慧力 等此最勝尊  (11)斯願若剋果 大千応感動 虚空諸天人 当雨珍妙華

注7、 
「無量寿経」の法蔵修行段「不可思議 兆載永劫 積植菩薩 無量徳行」とある。
経典には膨大な数字に記述があるが数の単位を挙げると、一 十 百 千 万 億 兆 (けい) (がい) (じょ) (じょう) (こう) (かん) (せい) (さい) (ごく) 恒河沙(ごうがしゃ) 阿僧祇(あそうぎ) 那由他(なゆた) 不可思議(ふかしぎ) 無量大数(むりょうたいすう)……、因みに無量大数は1068


注8、
無量寿如来・Amitāyus buddhaアミターユス ブッダ)即ち永遠の生命とする説と、無量光如来・Amitābhabuddha(アミターバ ブッダ・bhaは光)限りない光明とする「阿弥陀如来」は音訳である、(a=否定接頭語 ・mita=ミタ、量る ・ābha=アーバ、光明 ・āyus=アーユス、寿命)異論もあるが意訳を「無量寿如来」とされる説が強い、阿弥陀信仰に関する一説に、ミトラ教に於けるアミターバ(Amitābhaを源流としており中国に於いて完成を見たと言う記述がある(久慈力・現代書館)、ミトラ教(Mithraism)とは、古代ローマで流伝した太陽神ミトラスを主神とする密儀宗教であると言う、密儀宗教とは古代ギリシャに於けるヘレニズム(Hellenismを主体とした宗教ある、因みに経典であるが無量寿経ではAmitābha(アミターバ)即ち無量光が用いられている、阿弥陀経ではAmitāyus(アミターユス)すなわち無量寿が使われている、よく判らないが不老長寿を標榜する道教との関連を言う説もある、また親鸞は無量光を重要視していたとされる。


9、 浄土三部経 法然は自著「選択本願念仏集」にお於いて正しく浄土に往生する方法として「三経・一論これなり」と言う、三経とは浄土三部経であり、一論とはインド僧天親の浄土論(無量寿経優婆提舎(うばだいしゃ)願生偈(がんしょうげ))の事である、因みに浄土三部経を挙げると
①仏説無量寿経 二巻 曹魏康僧鎧訳(大経)      *阿弥陀如来誕生の由来。
②仏説観無量寿経 一巻 劉宋畺良耶舎訳(観経)   *極楽に生まれる方法 ・念仏往生の方法。
③仏説阿弥陀経 一巻 姚秦鳩摩羅什訳(小経)である、但し優先順位は宗派によりずれがある。  *極楽浄土の情景を示す。 
「仏説無量寿経 曹魏康僧鎧訳    「仏説観無量寿経」 劉宋畺良耶舎訳   「仏説阿弥陀経」姚秦鳩摩羅什訳

浄土三部経の特徴として「観無量寿経」は機の真実を説き「無量寿経」は法の本願を説く、更に「阿弥陀経」は機+法を合わせ説くとされている、阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)」が記述されている、阿耨多羅三藐三菩提とは「無上正等覚」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、三部経は阿弥陀如来が主役であるが説いている尊格は阿弥陀如来ではなく釈迦如来が説いている。
浄土三部経の精神は後白河法皇の編んだ「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には「弥陀の誓いぞ頼もしき 十悪五逆の人なれど 一度御名を称ふれば 来迎引説(いんじょう)疑わず」にある。

因みに十悪五逆の内で十悪とは、身口意(からだ・言葉・心)で犯す十悪を言う。
十悪とは、1殺生、2偸盗、3邪婬、4妄語、5両舌、6悪口、7綺語(きご)、8貧欲、9瞋恚、10愚痴。
五逆とは、1殺母、2殺父、3殺阿羅漢(聖者を殺す)、4出仏身血(仏身を傷つけ出血さす)、5破和合僧(教団を破壊する)となる。
  

 

 

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2005106日阿弥陀如来起源 2012423日依経 96日誓願数 2014511日注5 1129praidhāna プラニダーナ 2015年3月1日 2016年1月26日  2017年3月22日 4月4日 2018年5月3日 6月19日 2020年7月11日加筆 

 

 


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