華厳経(けごんぎょう)

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宇宙全体を著した理の哲理を説く経典である、中国で生まれた思想で釈尊が成道後二十七日目に説いたとされる経典である、主体は大日如来(毘盧遮那仏)の覚りの業を説いた経典である、正式名称「大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)」と言い、大乗経典中でも神秘的かつ壮大な内容を持つ代表的経典と言える、因みに華厳とは多くの花で装飾された「雑華厳飾(ぞうけごんじき)」の事である。
釈尊入滅の紀元前Bc五世紀頃から凡そ六百年経過したカニシカ王(Kanishka  生没年不詳 迦膩色迦)の時代か、仏教興隆期に十地経等々の独立した経典を統一して構成された。
一世紀頃から数百年を要して完成した経典とされている、インドを起源とする佛教の宇宙観すなわち蓮華蔵世界を具現する経典である、大乗佛教に於ける仏の覚りに対する広大な世界を具現し、神秘性を強調した壮大な華厳哲学を著している。
大乗経典を代表する様な経典で、多大なボリューム(volume)に高度な哲学と深淵な宗教性を有している、六十巻or八十巻を有する、量的にも最大級の経典であるが、難解な為か法華経の様な普遍性を持たない、根本となる哲学を強引に咀嚼すれば、宇宙間の万物は総てが混じり合いながら進行して行く、一の内に一切を含み、一切の内に一が遍満し宇宙を統括する、それが
毘盧舎那仏大日如来である、これは朝鮮半島では最も重要視された経典である。
経典の訳者により相違はあるのは華厳経・最終会・入法界品の旧訳の六十華厳では廬舎那であり、新訳の華厳経八十華厳では毘盧舎那と記述されている。
因みに中村始氏に依れば正式経典名内の”方広(direction.)とは偉大な教えを意味し”華厳”とは美しく飾るの意味で、”雑華厳飾(ぞうけごんじき)”すなわち「蓮華蔵(れんげぞう)世界」と解される。       
華厳経は現世利益を求める衆生に対して普遍性に欠けていた、但し二世紀には成立していたと思惟される入法界品(にゅうほっかいぼん)
27章)には人気の高い観音霊場すなわち補陀洛山(ふだらくせん)(注8の記述があり、山上に於いて教主として説法している、これは中国経由に限られずインドネシアのボロヴドール遺跡(注9に華厳経に関する痕跡が観られる、因みに入法界品とは善財童子(スダナ・クマーラ)が観音菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩、長者、バラモン僧、遊女等々53人を訪ね歩き普賢菩薩に行き就く求法の旅が中心である。 
「奈良の大仏さん」で親しまれる東大寺・大仏殿の毘盧舎(遮)那仏は華厳経(入法界品392を典拠としている、燦然と光り輝く蓮華蔵世界で創造された如来である、因みに唐招提寺の毘盧遮那仏は梵網経の蓮華台蔵世界を典拠としており解釈に少し相違が観られる、東大寺の「大さま」は華厳経の主尊である、総ての如来菩薩等を統括する法身仏(注1)・毘盧舎那である,即ち盧遮那仏は歴史上実在した釈迦如来を超越した宇宙に於ける絶対仏として扱われている、即ち釈尊の内身に証した世界すなわち「自内証(じないしょう)(pratyātma-vedyaを説いたとされる。
但し華厳経は膨大な量の経典であるが、多くの品と呼ばれる経典を集合した経典で、主要部である六十華厳に於いては釈尊と異名同格に扱われており、完全な独立尊としたのは「梵網経」に於いて釈尊の本身仏とされてからであると武蔵野美術大学の朴亨國(バク・ヒョングク)氏は言う。 
インドに始まり三世紀頃には西域、すなわちホータン地方(和田
 hotanを中心に流布していた経典を集約構成された、要するに独立した各章が累積し成立した経典である、24世紀頃に「十地経(じゅうじきょう)Daśa-bhūmika Sūtra, ダシャ・ブーミカ・スートラ」が成立し、補筆を加え四世紀頃に完成したとされる経典で初期大乗経典の象徴的な一典である。
原題は
Buddh āvatasakanamamahavaipulyasūtra、 āvatasaka Sūtra , アヴァタンサカ・スートラ)大方広佛(だいほうこうぶつ)華厳経」と言い、仏華厳すなわち「仏の華やかな実践を華の様に飾る、即ち「雑華巌飾(ぞうけごんじき)」の状況を表した広大な経典」を意味する、また方広とは「偉大な教え」を意味する、華厳とは「美しく飾る」と解く、難解な解説を行えば「一入一切・一切入一、一即一切・一切速一を説き、事々無礙法界を説き、重重無尽の縁起を説く」と言う、(華厳五教章を読む、武村牧男、春秋社)。 
膨大な経典であるが要諦は菩薩道であり、独立経典群を菩薩の修行過程を説いた「十地品」「入法界品」「梵行品」等々を集合した様子で元来は独立した経典と言われている、共通して言えるキーワード即ち中核事項は総てが互いに影響しあう「一即一切」「三界唯心」が言われている。
華厳経の梵語原典は見られないが「十地品(じゅうじぼん)」「入法界品(にゅうほっかいぼん)(ガンダヴィユーハ・スートラ Gandavyūha Sūtra」「性起品(しょうきぼん)」「菩薩十住品」の梵語経典は独立経典として存在している、他に「菩薩十住品」「性起品」「入法界品」等も確認されている、中国に於いて華厳宗発生の触媒的経典で、韓国に於いても韓国仏教界の大勢を占める曹渓宗於いて重要視されている、因みに「曹渓」とは中国禅宗の六祖・慧能の住した場所の名前である、要するに華厳経の漢訳はアジア各国に多大な影響を示した様である。 
六十華厳を例に採ると、華厳経は七処八会(しちしょはちえ)三十四(ぼん)で構成されている、1、寂滅道場会(世間浄眼品、盧舎那品) 2、普光明殿会の一(名号品、四諦品、光明覚品、明難品、浄行品、賢首品) 3、忉利天会(須弥頂品、妙勝殿説偈品、十住品、梵行品、初発心功徳品、明法品) 4、夜摩天宮会(夜摩天宮自在品、菩薩説偈品、十行品、十無尽蔵品) 5、兜率天宮会(一切宝殿品、菩薩讃仏品、十回向品) 6、他化自在天宮会(十地品、十明品、十忍品、阿僧祇品、寿命品、住処品、不思議品、相海品、小相品、普賢行品、如来性起品) 7、普光明殿会の二(離世間品) 8、逝多林会(祇園精舎)(入法界品)となる。 
古い経典であるが二世紀を過ぎた頃に現在「品」とされる経典が現れ、当初は独立経典群を菩薩の修行過程を説いた「十地経」「入法界品」をはじめ各経典を中央アジア(西域)に於いて集成したとされる、覚りを開いた仏の境地を示した論理的、美的世界から清浄を説く非常に難解な経典である。
漢訳三種およびチベット訳が現存し、梵語本は「十地品」と「入法界品」の章がそれぞれ独立の経典として現存する、因みに七処八会の七処であるが、説法が行われた所を言い、八会とは前述1、寂滅道場会8、逝多林会までを言う。
経典名の「方広」とは偉大な教えを意味しており、華厳とは美飾すなわち雑華巌飾(ぞうげごんしき)を言う、「仏華厳」即ち華厳とは「華は花と菩薩の行動(実践)を言い厳は飾る」と言う意味合いを持つ、別の表現をすれば覚者となる修行を花(華)に置き換えて華で仏の位を飾る」すなわち筆舌に著わせない「果分不可説」すなわち盧遮那仏の世界とも言える
日本に於いて華厳経を典拠とする華厳宗を指導したのは聖武天皇の招きで来日し大安寺に居住していたインドのバラモン僧・菩提遷那(ぼだいせんな)と考えられる、菩提遷那とは東大寺に於ける毘盧遮那仏開眼法要の導師で開眼筆を使用し開眼作法を行った僧で、孝謙天皇に「宝字称徳孝謙皇帝」の称号を授与した、また光明皇后とも接触があったとされる。
漢訳は同じ名称の為に巻数で表される、
仏駄跋陀羅(ぶつだばつだら)覚賢(かくけん)を晋訳若しくは(旧訳)と言い六十巻(418‐420)、・実叉難陀(じつしゃなんだ)訳八十巻(695‐699)、唐訳若しくは新訳がある、これに般若訳四十巻(795798)も含まれる、巻数によって六十華厳・八十華厳・四十華厳と呼んで区分されている。
しかし般若訳の四十華厳は最後の「入法界品」に限られた漢訳である、重ねて言えば華厳経は膨大な筆量を持つ経典群で前述の如く元来は独立して成立した各経典が中国で集大成されたものと考えられている、なお法界とは「真理の世界」を言いそこに「入」る事で入法界と言う。
漢訳仏典では、主に3種が伝わる。
六十華厳 60巻 仏陀跋陀羅訳 359年~429)訳    八十華厳 80巻 実叉難陀訳 652年~710)訳   四十華厳 40巻 般若訳   8世紀~9世紀)訳
内容の一部分を語れば、悟りを開いたばかりの佛の境地をそのままに表現したものとされ宇宙の真理・菩薩の功徳などが説かれているが根底に流れるテーマは信にある、「一即一切・一切即一」一瞬の刹那に永久があり、小さな一つの事例に全宇宙があると言う、即ち凡ての現象は個々の事例に見えるが相互に連携しあい融合すると言う、因みに一切とは三世の法すなわち過去・現在・未来の法に無為法の四法を言う、また一即多とは一と多が互いに即応してをり,一を離れて多は無く、多を離れて一は無い。  
ここでの仏は法華経などと異なるだけではなく、史上実在した釈迦如来でもなく毘盧遮那仏が述べられている、十大弟子でさえ理解に苦しんだと言う、密教の最高経典である金剛頂経の源流とも言える経典である。
華厳経は菩薩道を説いた経典である、修養による心の錬摩が慈悲に繋がると説いている、菩薩の修行の段階を説いた十地品
(注2・梵行品(注3・善財童子の修行遍歴を描いた入法界品などが著名である、入法界品とは長者の子息・善財童子が文殊菩薩の説法を聞き五十三所の菩薩(善知識すなわち師)から奴隷娼婦に至る人達を訪ね歩き最後に普賢菩薩に辿り、「大慈悲心」すなわち”広大無辺な仏の慈悲”すなわちを会得する内容である、したがって東大寺では毎月15日には四十華厳(入法界品)「普賢菩薩行願讃」が読誦されている、余談であるが善財童子の53遍歴が「東海道五十三次」の由来との説がある
十地品は菩薩の修行過程が示されており、・歓喜地 ・離垢地 ・発光地・焔慧(えんね)地 ・難勝地・現前(げんぜん)地 ・遠行(おんぎょう)地 ・不動地 ・善慧(ぜんね)地 ・法雲地を言う。
重ねて言えば最後の「入法界品」は善財童子の善智識(ぜんちしき)(高徳の師達)を訪ね歩く求道行脚が記述され(51)弥勒菩薩、(52)文殊菩薩、を経て(53)普賢菩薩に辿り着き、覚りの道(大慈悲心)を極めるストーリーである。
余談になるが世界最大級の佛教遺跡と言われるインドネシア中部ジャワ島の佛塔すなわちボロブドール遺跡は華厳経を典拠として作られている、日本にもボロブドールを参考にしたと考えられる華厳経典遺跡、頭塔が奈良市高畠町921に存在している。

「法界」とは真の理を意味し「入」は入る、真理の世界に入るとされる、華厳経のキーワード即ち要諦とされる法界縁起とは総ての事例は互いに関連して存在しおり孤立して成立する事はない、堀池氏の論を借りれば、対立差別の「事法界」超差別の「理法界」理と事融合の「理事無礙法界」融合調和「事事無礙法界」をもって覚の世界を構成していると言う、覚りを開いた佛の心境を表わし歴史上実在した釈迦を超越した宇宙の構造すなわち「三千大千世界」を説き「一即多」、全てに仏性があると説く
(一乗主義)(東大寺史へのいざない・堀池春峰著参照)、因みに法界とは真理の世界をいう。
この経典にもとづいて中国に於いて華厳宗が成立し、請来した日本に於いても南都六宗の一つとして東大寺に興り、象徴として毘盧遮那佛
(大仏)として現存する、749(天平勝宝元年)聖武天皇から華厳経を日本仏教界に於ける根本経典とする詔を下された。
華厳経学をオーソライズしたのは東大寺の学僧、凝然大徳である、凝然
1240~1321は「八宗(はっしゅう)綱要(こうよう)」「三国仏法伝通縁起」を著した様に八宗兼学の碩学僧であるが、華厳経の研究が即、行すなわち行学一如を説いた、また行に付いて過去・現在・未来の三世成仏を説いている。
因みに法華経の解釈では爾前の経典の浄土解釈には・凡人の住む裟婆「穢土」・覚者に成れない二乗の「方便土」・菩薩の住む「実報土」・如来の住む「寂光土」に分類している、覚者となった前半42年を爾前の経(方便権教)として後半の8年を法華経(真実の実教)としている。  ji
華厳経はインドに於いて各経典が集合されシルクロードを経て中国に於いて宗派として成立を見た、更に朝鮮に伝わり韓国仏教の根幹経典になっている、覚りを開いた仏の境地を著した論理的、美的世界から清浄を説いたとされるが非常に難解な経典である。
華厳経を典拠に造像された毘盧遮那は菩薩系で表現された像が多くあり、ガンダーラには都史多天(としたてん)と言う処で修行中や樹下に於いて瞑想する毘盧遮那菩薩の姿がある。
中国で成立した華厳宗の祖統は・杜順(とじゅん)智儼(ちごん)法蔵(ほうぞう)澄観(ちょうかん)圭峰宗密(けいほうしゅうみつ)と相乗された、日本に於いて良弁が嚆矢でありその頃大安寺に居た新羅人説もある僧・審祥(しんじょう)や同じく大安寺に寄宿し東大寺・大仏の開眼導師を務めたバラモン僧・
菩提遷那(ぼだいせんな)から学び聖武天皇に進講した、因みに審祥は日本人か新羅人か定かではない、また大安寺を拠点にして東大寺建立のさいに咒願師(じゅがんし)(呪願師)を務めた唐僧で、洛陽の大福寺から来た道璿との説もある、ことに法蔵の弟子である審祥「華厳経深玄記」が知られている。
華厳哲学は密教は無論の事、多くの宗派に影響を及ぼしており日本佛教でも親鸞などにも浸透していたとの記述がある。
華厳経関連の美術品は少なく東大寺毘盧遮那仏の蓮華座に線刻してある宇宙の構造そのものを描いた三千大千世界程度であろうか。

華厳経の華厳一乗を象徴する中心を為す如来は廬舎那仏である、廬舎那仏は宇宙に対して輝く象徴であり姿形は無い筈である、しかし現実には衆生に対して視覚作用に訴える必要があろう。
因みに三千大千世界Trisāhasramahāsāhasralokadhātuとは「三千世界」「三千界」「大千世界」等とも言い、十億個の須弥山世界が集まった空間(十万億土)を言う、世界が千ヶ所で小千世界、 小千世界が千ヶ所で中千世界、 中千世界が千ヶ所で大千世界となる、三の世界からなるので三千大千世界と言う。 
華厳経では毘盧遮那仏と釈迦如来の同尊とされる、武村牧男氏
(華厳五教章を読む 春秋社)に依れば華厳経は釈迦の”自ら内に証した世界”即ち「自内証」を説いた経典と言う、要するに釈尊の自内証が毘盧遮那仏と言う事になる、因みに自内証とは如来(仏)の覚りの境地を言う、また佛が華厳経を説いたときに入る三昧を「海印三昧」と言いう、華厳哲学は空海は無論のこと、親鸞、道元等にも影響を与えている。
経典作成の場所に付いて武村牧男氏は海に関する記述が多い事から南インドの海岸に近い地域と推定していられる、さらに「性起品」の「仏智はそのまま衆生の身中にある」を強調している。
華厳経を典拠に造像された毘盧遮那は菩薩系で表現された像が多くあり、ガンダーラには都史多天(としたてん)と言う処で修行中や樹下に於いて瞑想する毘盧遮那菩薩の姿がある。
華厳経では毘盧遮那仏と釈迦如来の同尊とされる、武村牧男氏(華厳五教章を読む 春秋社)に依れば華厳経は釈迦の”自ら内に証した世界”即ち「自内証」を説いた経典と言う、要するに釈尊の自内証が毘盧遮那仏と言う事になる、因みに自内証とは如来(仏)の覚りの境地を言う。
華厳経に関連が深い経典に蓮華蔵世界を説く梵網経がある、
中国に於いて成立した経典で偽経説が強いが重要経典の範疇にはる、唐招提寺の毘盧舎那仏は梵網経を典拠としれおり、華厳経の毘盧舎那と対比されるが、梵網経は正式には「梵網経毘盧舎那佛説菩薩心地戒品第十」と言い、大乗菩薩戒を説いている、天台が「菩戒義疏」を著しており、最澄が自著の「顕戒論」の参考文献とした経典で、「十発趣心」「十長養心」「十金剛心」「十地」など菩薩の階級の他に「十重禁戒」「四十八軽戒」などで構成され華厳経と密接な関係にある。
華厳経の仏伝には毘盧遮那の菩薩形すなわち大日如来への姿形変化が説かれていると言う、また「梵行品」には初発心時便成正覚の記述が観られるが、初めて発心を起こせば正覚が与えられているとの記述があり一乗思想の嚆矢かもしれない、元来密教の大日経は華厳経の毘盧遮那に金光明経の四方四仏すなわち法幢、開敷華王、無量寿、天鼓雷音を合体させたものである。
華厳経に関連する遺跡物に玄昉の首塚と呼ばれる頭塔がある、新薬師寺の近く高畑町921の土塔がある、約900㎡、高さ10m程のピラミッド型の塔は四方に石仏が置かれ華厳経を基に作られており良弁(ろうべん)の弟子である実忠(じっちゅう)の作と言われている。

真言宗は空海の十住心論に於いて密教の前段階の9極無自性(ごくむじしょう)住心究極の真理であるが自性が欠け未完成、すなわちまだ浅略釈ていが、華厳(注7)高のランクに置いている、賢首大師法蔵に依れば *円教(華厳)*頓教(禅) *終教(如来蔵)  *大乗始教(唯識・中観) *小乗教 にランク付している。(華厳五教章を読む・武村牧男・春秋社) 



注1、 法身佛 宇宙の真理そのもので悠久の過去から未来まで仏の王者とも言え、毘盧舎那仏大日如来を言う、
     報身佛 修行の結果成道し永遠の仏となる、阿弥陀如来薬師如来などを言う、
     応身佛  衆生を導く為に顕した佛身で成道と入滅を行い、釈迦如来をさす。 

2、 十地品 菩薩修行の進級過程を言い、 1,歓喜地   2、離垢地(汚れ離脱)  3、発光地(明光)  4、焔慧地(輝き)  5、難勝地  6、現前地(真理が見える)  7、遠行地 8、不動地 9、善慧地(好い智慧)  10、法雲地(無限の境地) となる。

3、梵行品第十二に記述されている如来の全知全能が説かれれ、 「処非処智」(道理と非道理の区別)   「去来現在所業報智」(因果と果報)   「一切諸禅三昧正受解脱垢淨起智」(禅定を知る)   「衆生諸根智」(衆生の希望を知る)   「随諸慾楽智」(衆生・仏法の本質を知る)   「種種性智」(衆生の方向性を知る)   「至一切処道智」(過去の回想力)   「無障礙宿命智」(衆生の転生場所を知る)  「無障礙天眼智」(涅槃までを知る)   「断習気智」(涅槃に到る手段を知る)                  
大乗のおしえ(下)岩波書店      


注4、主な漢訳者  ・実叉難陀(じつしゃなんだ) ・Siksānanda)  80(695699) ・仏駄跋陀羅(ぶつだばだら) ・Buddhabhadra) 60(418420)  ・般若(Prarā)  40

5、華厳経では十波羅密(じっぱらみつ)daśa pāramitā)を説いている、六波羅密に四波羅密を加えている内訳は以下のようになる、六波羅蜜 梵語名pāramitā (パーラミータ)の音訳で到彼岸すなわち完成・到達を意味する、菩薩道に於ける修行方法の完全なあり方を波羅蜜と言い大乗仏教に於ける菩薩の必修条件でもある、六波羅蜜の起りは、初期の大乗経典で現存はしていないが「六波羅蜜経」が諸経典に引用されている様である。  ・布施波羅蜜 (施し) ・持戒(じかい)波羅蜜 (道徳・法律)  ・忍辱(にんにく)波羅蜜 (耐え忍ぶ)   ・精進波羅蜜(努力)  ・禅定波羅蜜 (徳を行う行動) ・般若波羅蜜 (単に知恵ではなく慧に裏付けられて完成される、悟りに向けた智慧)である、華厳経の十波羅蜜は、六波羅蜜に方便・願・力・智が加えられる。
華厳経の波羅密 ・方便波羅蜜、烏波野upāya ウパーヤ 方便  ・願波羅蜜、 波羅尼陀那pranidāna プラニダーナ 願  ・力波羅蜜、波羅bala  バラ 力  ・智波羅蜜 、智jñāna ジュニャーナ 智、の十波羅蜜を説いている。 

6、観音菩薩の性別に付いて、華厳経入法界品に勇猛なる男子(丈夫)観世音菩薩の記述がある。

7、五教十宗判とは
小乗教・始教・終教・(とん)(ぎょう)・円教の五教を言う、華厳宗で五教に理論内容から十に分類した、1、我法俱有宗 2、法有我無宗 3、法無去来宗 4、現通仮実宗 5、俗妄真実宗 6、諸法但名宗 7、一切皆空宗 8、真徳不空宗 9、相想俱絶宗 10、円明具徳宗 が言われる。

8
補陀落山(ポータラカ・Potalaka) 玄奘は大唐西域記巻10
秣羅矩吒国(マライコッタ)に於いて実在したらしい記述しているが定かとは言えない、インドの南方の海上にあり、八角の形状をした山との伝承があり興福寺南円堂は模したと言う。

9、ボロブドゥール遺跡Borobudur)とは、インドネシア、ジャワ島に所在する大規模な、仏教関連に於ける世界最大級の規模を有する石造遺跡で世界文化遺産の指定を受けている。

注10、
三千大千世界Trisāhasramahāsāhasralokadhātu 大辞泉に依れば、仏教の世界観による広大無辺の世界。
須弥山(しゅみせん)
を中心に日・月・四大州(四ヶ所の大陸) ・釈迦を中心に文殊菩薩、普賢菩薩等々・六欲天・梵天などを含めた世界を一世界として、これが千個集まったものを小千世界、それが千個集まったものを中千世界、さらにそれが千個集まったものを大千世界とう、これらを総括して三千大千世界、略して三千世界という、要するに太陽系程度の宇宙が十億個ほど集めた世界を言う、ここに君臨するのが毘盧遮那仏である。 



2007
92日 十地品 梵行品  2008915日 2009年1月5日 2012221日 328日高徳の師 201251日十波羅密 201386日 201617日 428日 928日 2017年3月7日 8月27日 10月22日 11月14日 2018年4月18日一部 2019年2月20日 9月3日 2020年12月26日 2021年1月27日 2022年2月23日 7月3日加筆

            

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