般若心経(はんにゃしんぎょう)

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般若心経は偉大な智慧に至ると言う経典で四世紀頃に成立した経典である、我が国では先行していた法華経と並んで最もポピュラーな経典である、また法華経と共に大乗仏教の中核経典として双壁を為している、中でも般若経典群は「上座部(小乗)では説示されなかった甚深なる智慧である般若波羅蜜から発生した真実の教え、すなわち初期大乗仏教のトーテムポール的totem poleな経典である、また初期の密教経典にカウントする研究者もいる様だ。

般若心経には大乗経典の心髄が説かれていると言われている、しかし駒澤大学の田上太秀名誉教授に依れば2点を述べているに過ぎないと言う、それに依ると観自在菩薩の教科活動、 万物は無常で実態は無い(空)と言う、多く作られた般若経典の内で長編の経典が増えた為、般若心経で贅肉をそぎ落とされた、また長編の代表に膨大な詩句(しく)で纏めた八千(じゅ)般若経に始り十万頌般若経である。
日本では真宗連合すなわち浄土真宗系、と日蓮宗を除く概ね総ての宗派で解釈に相違はあるが、正木晃氏曰く神道の祝詞(のりと)的感覚で誦経(ずきょう)されている、因みに仏教に於ける祝詞的な陀羅尼を「法楽(ほうらく)」と言う。

中村始氏に依れば般若経典群は時代にバラツキがあるが、大般若経すなわち「大般般若波羅蜜多経」六百巻の内 *般若心経 *金剛般若経 *理趣経等々である、般若心経に次いで読誦される金剛般若経(金剛経)は慧能(中国禅宗の六祖)が重要視した経で特に禅宗系宗派で多く詠まれている。
正木晃氏に依れば般若経典群で最初に成立した経典は「八千頌般若経
Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra アシュタサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ」で単行本2冊程度、最長編は「大般若経」で現代語ならば単行本120冊になると言う、最短は般若心経の266文字である。

般若経典は多く存在し, 般若心経もその一典である、主な経典をあげれば、

*八千頌般若経(はっせんじゅはんにゃきょう)(最初に成立 梵語では三十二章で構成) (鳩摩羅什の漢訳は”小品般若経で十巻二十九品 ) 

*二万五千頌般若経 

*十万頌般若経 

*金剛般若経 

*般若心経 

*大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)
*般若理趣経(最後に成立)等がある。


梵語の原典Prajñā-pāramitā-hdaya sūtra (プラジュニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ)注3参照 (般若波羅蜜の心髄 完全なる智慧 真言の教え)prajpramit=正しい智慧 pāramitā(波羅蜜)=真髄、完成、彼岸に至る等々多用な訳がある、因みに般若とは梵語で prajñā,(プラジュニャー)と言い、i語では paJJaa(パンニャー)と言い般若と音訳される、また般若とはi語の漢訳で波羅蜜多となり意訳では「到彼岸(とうひがん)pāra=彼岸、mitā=至るとなる、もう一つの解説としてPra=完全を示す接頭語、prajñā=智慧 となる、智慧、pāramitā パーラミータはpāḷi語すなわち俗語であり、梵語sasktaではprajñā(プラジュニャー)と言う、心は”最も優れた部分”即ち「精髄(せいずい)」を意味する、一部分であるが般若心経は初期の密教経典に分類する処も存在する
聖徳太子が残した事になっている言葉に「世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」がある、この世は仮説であり、仏だけが真実のものである。
要するに如の智慧を持ち彼岸に至る為の法典である、
また上座部佛教では主に無漏(むろ)の智とか(へん)()parijñāが使われる様である、因みにhdayaとは心臓すなわち精髄を意味する、「肝心な教え」心経となる。

花園大学教授で真宗高田派の僧侶である佐々木(ささきし)(ずか)氏に依れば般若心経(般若心経 NHK出版)、は元来は経典ではない可能性を述べている、経sūtraではなくフリダヤhdaya心が直訳である、直訳は心臓と訳され最も大切な意味合いを言う、これが呪文と言えよう、プラジュニャーパーラミター・フリダヤPrajñā-pāramitā-hdaya即ち「般若波羅蜜多」であり原題には経すなわちスウ―トラsūtraと言う字句は無い、精髄であろう。
閑話休題、梵語saskta梵天が作った言葉と言われるが、インド憲法で公認された公用語の一語であり、佛教ヒンドゥー教、シーク教、ジャイナ教等の儀礼用語である。
最初に行深般若すなわち「行深般若」
観音菩薩修行行智)を謳い、僅かに内容としては空śūnyaシューニャ śūnyataを説いており二世紀頃に一世を風靡した部派theravāda・小乗)に於ける代表的な「説一切有部」(6)の言う、法は永遠に有ると言う説に対する完全否定である、但し小室直樹氏は仏教のキーワードは「空」とまで言うが因果を加える必要があろう、因みにśūnyaとは数字の「0」と「空」と同意である、数字の0もインドに於いて発見されている。

般若心経の一言一句には多くの教義が凝縮されている、一例を挙げれば「無苦集滅(むくしゅうめつ)(どう)」であるが、四諦すなわち初期の釈尊が阿含経などで説いたとされる *苦諦 *集諦 *滅諦 *道諦を無くすと言う意味合いが凝縮されている、閑話休題、般若心経の中核とも思惟される「度一切苦厄」と言うタームは玄奘や羅什の漢訳に書かれているが梵語(サンスクリット、 saskta原典やチベットの経典には記述されていない。 
梵語原典にチベット訳・漢訳七典が残存している、注釈書も五十種類程あるが総てが玄奘(注11)である、日本でも同様で玄奘訳の二百七十六文字(小本)が詠まれている、因みに般若心経は同じ玄奘訳の金剛般若経・理趣経等を集合した「大般若波羅蜜多経」六百巻のエッセンスessenceとも言われている経典である、因みに般若心経には小本と大本(チベット仏教)があり、通常に於いて誦されるのは即本文から始まる小本である、後に加筆されたと思惟される大本は序文から始まり仏教の祖である釈尊を登場させて、宗祖が観音菩薩の主張を肯定する等、経典としてオーソライズauthorize化して纏められている、因みに玄奘は観音菩薩を観自在菩薩と訳しており般若心経も同様である、また鳩摩羅什などほかの訳では「観音」「観世音」と訳されている、羅什は「心」hdayaを呪と解釈して般若心経を「大明呪経」と訳している、因みにhdayaは本来は人間の心臓を意味すると言われる、またインド原典には「度一切苦厄」と言う書き込みは小本や大本も無く鳩摩羅什が加筆し玄奘が容認した様である、重ねて言えば多くの宗派が誦経する玄奘訳は「般若波羅蜜多心経」であるが鳩摩羅什訳は「仏説魔訶般若波羅蜜多心経」の様で真言宗が後者を採用している、また経典の主役の一尊である観音菩薩の呼称も玄奘が「観自在菩薩」であり、羅什は「観世音菩薩」である。
般若は天台智顗の五時の教判に依れば、*華厳 *阿含 *方等 *般若 *法華、涅槃の順になる、玄侑宗久氏はprajñāの原義は「認識する以前の認識」と言う。 
閑話休題、大崎正瑠東京経済大学教授の「経題梵語原文と漢訳文で読む、に依れば漢訳経典は梵語原文にある語句や文章がもれていたり、原文に無い字句がある、また順序が逆にされたりしていると言う、法華経に付いても中村始氏は鳩摩羅什の漢訳を創作と言える程の名文を言われているが、中国文化と言うフィルターを通した漢訳の共通点かもしれない。
般若心経の経題であるが、真言宗では「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」であり薬師寺等では「般若波羅蜜多心経」と読まれるが、通常「摩訶」が付けられる様である。
般若経は大乗経典の根幹を為すが南インドを源流とするが単独の経典ではなく、紀元前1世紀頃から1千年近くに亘り作られた膨大な般若系経典の総称である。
同じく空
を説く経典でも般若心経よりも簡潔かつ詳細に説く経典として「摩訶般若波羅蜜多経」は二万五千頌般若経Pañcaviśatisāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra, パンチャヴィムシャティサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラが存在する、通常は略して「大品(だいぼん)般若経」と呼称されている、般若経典の一典である鳩摩羅什の漢訳で大部な大品と小品の二典がある、注釈書として龍樹の大智度論が著名である。9030巻の大品般若経に対して小品般若経は2910巻)
般若系経典600巻に及ぶ大般若波羅蜜多経の心髄説が説かれるが「大般若波羅蜜多経(大般若経)」と「摩訶般若波羅蜜多経(大品般若経)」から抜粋に陀羅尼を最後に加筆したもので、時期的には般若経典の内で中期に記述された様である。

千年の歴史を有すると言われる般若経典の嚆矢は「八千頌般若経」とされるが二万五千頌~十万頌と広がる、大部になり過ぎたので最小限に縮小された経読経頻度が高い経典は鳩摩羅什訳(注4の「摩訶般若波羅蜜多心経」を初めとして、主に大乗に於ける空の基礎を説いた「大品般若経」二十八巻九十品、最初期に智を説かれた「小品般若経」十巻二十九品、「大般若経」「二万五千(じゅ)般若」「十万頌般若」「金剛般若経」「百五十頌般若(理趣経)」等六百巻程である、その根幹となる哲学は「空」に貫かれている、般若経群は大乗佛教に於ける最初の経典と見られ中でも般若心経は基本経典中の代表とされ、わが国に於いて法華経・浄土三部経観無量寿経阿弥陀経大無量寿経と共に最も普遍的な経典とされる、典名冒頭の摩訶とは偉大を意味する、因みに大乗と言う熟語が最初に使用されたのが支婁迦讖(しるかしん)訳による「道行(どうぎょう)般若経」である、般若経は空を説いた経典であるが、これらに先立つ最古層の経典に「金剛般若経」(金剛般若波羅蜜多経)があり空を説いているが「空」と言う熟語はまだ使われていない。  
一説には仏典数が八万四千典あり、その要約が般若心経であると言われるが、事実は玄奘訳の「大般若波羅蜜多経」六百巻
(五百万字)を二百六十二文字に要約され悟りの世界を成文化し「般若心経」とされた、但し経典中最も著名な「色即是空・空即是色」などは鳩摩羅什の「摩訶般若波羅蜜経」との関連が論じられている。
般若経典は「
摩訶般若波羅蜜多経」に代表されるが他に「維摩経」「般舟三昧経」「小品般若経」「大品般若経」「金剛般若経」「十万頌般若経」「八千頌般若経」「二万五千頌般若経」などがこの範疇に入る、例えば般若の智に対する実践法が維摩経とも言えよう。
正木晃氏は般若心経の成立年代は四世紀頃で既に密教の影響を指摘する説もあると言う、中国では多くの年代に翻訳されている、最古の翻訳は現存しないが223年大月支国の支謙による「摩訶般若波羅蜜咒経」であり、現存する最古の経は402年鳩摩羅什の「摩訶般若波羅蜜大明咒経」である、最新とされるのは980年西域の施護による「仏説聖仏母般若波羅蜜多経」である。(仏典の読み方・金岡秀友・大法輪閣)  
空論の理解解釈は難解極まりない、正木晃氏曰く「空論」を *インド即ち龍樹の説く空、*チベット流の理解解釈、*中国流の理解解釈、*日本流の解釈では180度近い相違があるが、何処の解釈が正確化は判定不能的に言われる。(空論 春秋社 正木晃)
難解な空の論理に付いて中村始氏は唯識とは空の論理的難点を説明する為に生まれたと言う、その難解な唯識論理は「唯識三年倶舎八年」と巷間に於いて言われている、基礎的な倶舎(くしゃ)を八年修めた後に唯識所変(しょへん)(唯識)を三年修めなければ理解不能と言われている。
観音菩薩が釈迦十大弟子の内最上位とも言える舎利子
(舎利弗)に語りかける様式で、「空観」に対しての理論書であり一切皆空・六波羅蜜(注2を説き大乗経典の極意とされ佛教の蘊奥とされる、端的に言えば総ての事例には一定不変(実体)の存在は無いと言う、従って執着・煩悩も永久不変ではなく空であり修業などで解決できるとも言える、色vs空と言えるほどの異質を融合させた経典である、要するに”分別智”から”無分別智”即ちプラジュニャーprajñā・般若と漢訳)へ渡りが佛教哲学の神髄と説いたのかもしれない。
般若心経だけではないが、舎利子と言えば維摩経などで十大弟子の筆頭に記述され、釈尊と互いに尊敬を込めて阿羅漢と呼びあったと言われる、むしろ友人に近い阿羅漢である、ジャイナ教の経典「聖仙の言葉」すなわちイシパーシャイムに於いては仏教の祖は、釈尊ではなく舎利弗であると言う記述もある、この様な阿羅漢に特に東インドでは釈迦如来の脇侍を務める観音菩薩が舎利子に法を説く、大乗仏教と上座部仏教の相違であるが、素人には腑に落ちにくい、但しチベット仏教等では大本が詠まれており、小本経典にない釈尊が三昧に入り、法を聞きに集まった菩薩達に説明しに登場している
仏教理解のキーワードと言える空に付いて「空は人類が到達した最深、最高の哲理であろう。それはアリストテレス
(bc384312年)の形式論理学、ドイツの数学者ヒルベルト18621943年)の記号論理学をも超越している論理を駆使していることが、最近明らかにされた。」と小室直樹は言う。(日本人の為の宗教原論・徳間書店)
般若心経は部派佛教theravāda)に対する反論とは言え釈尊が善友と呼び尊敬した舎利弗はジャイナ教の経典「聖仙の言葉」では佛教の教祖とも言われている、釈尊と同格とも言える舎利弗に対して釈尊ではなく観音菩薩が法を説く不可思議な経典とも言える、但しチベットやネパールに於いては「広本」として釈迦如来が後付されていると言う。

難解な般若心経を何となく理解したような気持ちに成るには西村公朝氏の解説が簡易で、空=大宇宙で 色=総ての諸物件 色の集合が空であり 色即ち空 空即ち色であると言われるが解らない、但し色は詳細に述べると一冊の書籍になると言われるが、ここでは「形を有する物」とする。
「五蘊皆空」
(注1観自在菩薩(観音)が覚り得た般若とは真の智慧は全て五蘊すなわち五の構成要因が空であると説き、六波羅蜜(六の徳・注2・般若波羅蜜多(完全な智慧・注3の完成を説く経典である、すなわち人間の心以外に実在する物は全て空と説き、仮説(仮設)であると実在の否定につながる。
原典には表題は無く中国に於いて翻訳時に補筆され、更に日本に於いて題名と「仏説摩訶」が加筆されている。
小室直樹流に言えば、「空は人類が到達した最深、最高の哲理であろう、形式論理学、記号論理学をも超越した論理」と言う、空の哲学に論理性を確立した大乗佛教の祖、竜樹
(梵語名ナーガールジュナ・23世紀頃のバラモン出身)曰く欲望は苦の原因であり「仏陀に成りたいと思っている間は覚る事は無い」と言う、竜樹は佛性を得ようとする経過を重要視しており、「空」は視覚に映らない心の世界を言い大乗佛教の根幹であり概総ての佛教哲学に多大な影響を与えている、空の解析は古くから為されており釈尊の十大弟子の一人、須菩提(しゆぼだいSubhūtiスブーテは難解な空論を説いたとされており解空第一とされている、因みに色は視覚に映る物質世界とされる。

関白藤原忠通の子で九条兼実の弟、日本最初の歴史哲学書として有名と言える”愚管抄”を著した慈円は空に付いて「ひきよせて むすべば 柴の庵にて 解くればもとの 野はらなりけり」と詠んだ、即ち空は 有でもなければ無でもない 有と無とを超えて統合したところにある。(日本人の為の宗教言論 小室直樹 徳間書店)
曹洞宗による一つの解釈として、道元の著書である正法眼蔵と般若心経に付いて、最初の巻が「摩訶般若波羅蜜」であり、これこそ般若心経の解説であると前川睦生師は言う(般若心経の基礎知識 大法輪閣)     
般若心経について小室直樹氏曰く、「解説書は汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)もただならぬ程あるが、これらの著者は般若心経が少しも解っていないのではないか」とまで言う、さらに般若心経はそれはど分かりやすい経典ではない、これを理解するには、大変な作業であるが般若諸経(般若経典600巻のことか?)を総て読破する事を勧めるという。 *汗牛充棟とは多くの書籍を言う、牛車に積んで運ぶと牛も汗をかき、家の中に積み上げれば棟木にまで届く事。
空に対する解釈は空を語る人の数だけある様子である、上座部の場合「析空観(しゃっくうかん)」と言い製品を構成部分に分解して実体は無いとの解釈があり、大乗では一切を空と見做す「但空(たんくう)」「不但空(ふたんくう)」と言い中道空に繋げている。中村始的 
要するに六派羅蜜の一項である、智慧
(判断・分別)をもって現世に於いて覚りの道を目指す道標とも言える。
般若心経の要諦である「色即是空・空即是色」は鳩摩羅什が梵語を漢訳したとされ、あらゆる迷いを滅し空の境地に至れば真実の色
(現象)眼前に現れる、色と空は相容れられる関係に無いが融和する「不即不離(ふそくふり)」が本意とする様である、色を乱暴に訳せば「物質」であろう。      
「総ての現象には実態は無い、実態が無いのが現実である」、一口で言えば無心になれ、執着を捨てよ、と言う内容で六道にさまよっているかも知れない先祖の追善供養に多く利用されている、「歎異抄」第五条で親鸞が「父母の孝養ためとて、一辺にても念仏まふしたることいまださふらはず」言う様に浄土真宗
(真宗)法華経を至上とする日蓮宗でも詠まれていない、浄土宗に於いては基本的には浄土三部経が主流でありマイナーな経典であるが詠まれている。 
般若心経には偽経説があり現在の宗教学会に於いては、”中国撰述経典”すなわち偽経であるという説が定説化している,また般若心経はエクソシスム
exorcist祓魔師(ふつまし)とは関係がないし、Paritta(パリッタ・護呪)経典ではない。 
古来より多くの写経が行われ皇室や貴族による装飾経(
平家納経・長谷寺経や帝が各神社に奉納した紺紙金字般若心経)が作られたが写経する事で鎮護国家に功徳があがり、是大神呪 是大明呪 是無上呪・・・波羅羯諦等、最後部に真言(呪文)らしさがあるが中村元氏の般若経典・東京書籍に拠れば「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 彼岸にまったく往ける者よ さとりよ 幸あれ」と解説されている、阿部龍樹氏は言う(空海の般若心経・春秋社)「いざ行かん ともに行かん 悟りの境界へ」、この部分は玄奘は呪と捉え、敢て漢訳しないで、音訳(音写)で納めたと言う説がある。
空海
は「般若心経秘
」に於いて大般若波羅蜜多経」600巻の要諦説を否定し般若菩薩の真言とする、即ち「大般若菩薩の大心真言三摩地法門なり」と言う、最後の部分を他の解説では通常呪文としている「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」(注7を、聞法の覚り・修行の覚り・菩薩の覚り・曼荼羅世界の顕現、と説明されている、さらに「菩提薩婆訶」(ぼじそわか)を菩提心の成就としている。新居祐政著・真言宗の常識・朱鷺書房より)  是大神呪(ぜだいじんしゅ) 是大明呪(ぜだいみょうしゅ) 是無上呪(ぜむじょうしゅ) 波羅羯諦(はらぎゃてい)、因みに立川武蔵氏は波羅僧羯諦=パーラギャーテイとは彼岸に行った女神とも意味を持つと言う、更に空海は言う「真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く 一字に千理を含み 即身の法如を証す」即ち一文字毎に仏法の真理を持つと説く、波羅僧羯諦とは完全に彼岸に到達した者を意味すると言う、また空海は般若心経秘鍵に於いて十四行と記述しているが、実際は十七行である、これに不詳である。(空海と高野山から・PHP研究所・頼富本宏監修)
般若心経と空海の密教に付いて正木晃氏は「まさしく正反対であると言う。この世界は頭から否定するにおよばない。むろん、物や人に執着してはいけないが、むやみに拒否すべきでない。-----仏の真理を、感性を総動員して、把握すべきである、と密教は説く」と言う、閑話休題、空海は般若心経を般若心経秘鍵に於いて「三摩地門」と呼称している、顕教と区分する三摩地門すなわち意味で三昧・等持(とうじ)(ィsamādhi、サマーデ)を密教用語と変換した様である。
般若心経は陀羅尼ではないと思う、しかし正木晃氏に依れば般若波羅蜜多すなわち「羯諦(ぎゃてい) 羯諦 波羅(はら)羯諦 波羅僧(はらそう)羯諦 菩提(ほうじ)薩婆訶(そわか)」からか、般若心経を初期の密教経典と言う研究者も存在すると言う、前述の花園大学・佐々木ささきしずか教授等も子の範疇かも知れない
但し
般若菩薩との関連は深く、一説には般若心経で著名な”羯諦、羯諦------の陀羅尼は般若菩薩に奉げられたと言う説がある
最高の覚り「得阿耨多羅三藐三(とくあーのくたーらーさんみゃくさん)菩提(ぼだい)」を説くが、大乗仏教の真髄とも言える空観の理論書である、僅か262文字に中に「空」「無」に文字が占める割合は大変多い、
総てのものが何ものも生ぜず、滅びることもないと言う「無生法忍(むしょうぼうにん)」の境地を強調しているのかもしれない。
米澤嘉康大正大学講師は「般若心経は空を説く経典というより”般若波羅蜜多を説く経典と言うべき、”と言う、また空は般若波羅蜜多を説く材料にすぎないとまで言う。(初期密教 春秋社 p145)
鳩摩羅什訳の「摩訶般若波羅蜜大明咒經」には明咒と言うタームが多く使われている、咒とは真言すなわちmantraである、般若心経は長い真言であり、心理集約の為に唱える呪文とか、と言う人も多いが、プラセボ-効果
placeboで、唱えれば厄除けの(まじな)い効果や、疫病退散の効験・伴侶の浮気封じ・に利生があり、呪詛mantrāや呪術効果や幽霊や取り付いた悪霊が退散する(小泉八雲の怪談「耳なし芳一」は全身に心経を書いて難を逃れんとするが、耳に経典を書き忘れて切り落とされる)等と言う経典ではないとの主張がある、中国に於いても呪文として定着して加筆された様で、玄奘の大唐西域記をモデルとした伝奇小説、西遊記には玄奘が厄除け、魔除けに般若心経を唱えているが、般若心経は空の理論書である。
但し呪に付いて松長有慶氏は梵語原典に無い「度一切苦厄」が21文字目、即ち「照見五蘊皆空」の後に玄奘の手で加筆されており、唐の時代には呪が重んじられたと言われている、また概ね梵語経典の最後尾には経
(ストーラ sūtra)の文字が入るが般若心経の原典には経の文字は無いと言われる、空海も「般若心経秘鍵」で「真言は不可思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千理を含み、即身の法如を証する」と述べている、しかし膨大な般若経典の心髄を簡潔に集約した空に対する理論書との解釈が多い。
玄奘訳が著名であるが注釈書は空海を始めとして、現在に於いても膨大な数の解説書がある。
霊場への巡拝・巡礼には正式な読経次第があるが省略される事が多い、しかし般若心経が外される事は無いようである、読経次第の内容は四国の場合は懺悔文‐‐三帰礼文‐‐開経文‐‐般若心経‐‐光明真言‐‐ご詠歌、和讃‐‐ご宝号‐‐普回向となる。
  
法隆寺
に伝わる般若心経の梵語原典は小品の二枚の貝多羅葉(ばいたらよう)(pattra・パットラ・ターラ)(注5略して貝葉(ばいよう)に書かれ609(推古17年)請来とされ世界最古である、悉曇文字で書かれ玄奘の般若心経翻訳より約半世紀古い、また現存する心経写本には経の文字はなく心すなわち真言と言う説もある、因みに貝葉とは椰子科やシュロ科の一種の植物の横長の葉を5cm×50cmぐらいに切り表面に鉄筆で文字を書いたもので「貝葉写本」と呼ばれる。
日本では古くから多心経とも呼ばれ現在に於いても薬師寺大覚寺など多くの寺院で写経が行はれている。
般若心経は前述のように真宗系即ち浄土真宗・や日蓮宗では使われていないが、他では略総ての宗派で重要経典として読誦されている。 
三十三観音の一尊・水月観音の梵語名はudaka-candra-bimbaであり幻・夢・響を意味し「空」に繋がる、般若心経を彫刻や変相図に具現化した観音菩薩と言えよう。

般若波羅蜜多心経が先頭に記述され題名になったのは漢訳からとされる、これが日本に於いて玄奘や鳩摩羅什の訳を採用して摩訶が加筆された。

「般若波羅蜜多」原語はpāli語でpaññā即ち真実の叡智を意味する、心はhdayaで本来は心臓の様である、重ねて言えば意訳すれば「智慧の最高の境地」となり、音訳は以下の様になる、般若=プラジュニャーprajñā、波羅蜜多=パーラミターpāramitā、となる。

般若経典が強調する「空」に対して論理的基礎を植付けたのが八宗の祖、龍樹である、中論頌―ーーー十二門論・廻諍論・大智度論(注10)・十住毘婆沙論・大乗二十論に繋がる、中論の初めは「帰敬序」---不滅、不生、不断、不異義、不来、不出、を説く仏を最勝とする。
脱線するが般若と言えば”般若の面”を連想する人が多いが、これは女性の嫉妬や恨みの極限を表現した能面の事であり般若波羅蜜多との関連は無い、これは般若坊と言う能面師の作品が著名であった為と言われる。
日本に於いて信仰された女性尊を調べていると、多羅菩薩孔雀明王(マハーマユリー・ahāmayūrividyārājñi准胝観音(チュンデイ・cundiの他に般若心経は智慧の女神、プラジュニャーパーラミター女神(般若波羅蜜多仏母Prajñā-pāramitā-hdaya )を礼賛する経典との記述を見かける」、「八千(じゅ)般若経」では諸仏の母すなわち仏母としてプラジュニャー パーラミータすなわち般若心経と同じ梵語スペルの智慧の女神、プラジュニャーパーラミター(般若波羅蜜多仏母Prajñā-pāramitā-hを挙げる事が出来る

古来より「庵を結ぶ」と言う言葉が有るが、庵すなわち草庵は結びを解けば空・無となる、佛教のKeywordは空śūnyata シュニャータ)であり蘊奥と言える、中頌(ちゅうじゅ)・無(常)である、諸行は仮の姿と考える事が出来る、天台座主を四度務めた慈鎮和尚こと慈円の歌を借用すると 「引き寄せて結べば柴の庵にて 解くれば元の野原なりけり」。

太閤秀吉 「露と落ち 露と消えむる わが身かな 浪華のことは 夢のまた夢」。

臨済僧・()(どう)無難(ぶなん) 「草木も 国土も さらに なかりけり ほとけというも なおなかりけり」(草木国土、悉皆成仏)

空と無の相違に付いて難解な形式論理学の否定であるが、小室直樹氏の結論を記述しておく、「無は有に対立する概念に対して、空は両者を超えた概念」と言う、「空は有でもなければ無でもない、同時に有であり無でもある、また有と無以外のものでもある」、中村始氏の中論解説に依れば、「空が適合するものに対しては、あらゆるものが適合する」「空が適合しないものには、あらゆるものが適合しない」、一切が空であるがゆえに、一切が成立している(日本人の為の宗教言論・小室直樹著・徳間書店 三島由紀夫が復活する 毎日ワンズ)



仏説摩訶(ぶっせつまか)
般若波(はんにゃは)()(みつ)多心経(たしんぎょう) 
観自在(かんじざい)菩薩(ぼさつ) (ぎょう)(しん)般若波(はんにゃは)()(みつ)多時(たじ) (しょう)(けん)五蘊(ごうん)(かい)(くう) ()一切(いっさい)()(やく) (しゃ)利子(りし) (しき)不異(ふい)(くう) (くう)不異色(ふいしき) 色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき) 受想行識亦復如(じゅそうぎょうしきやくぶ)(にょぜ) (しゃ)利子(りし) ()諸法(しょほう)空相(くうしょう) 不生(ふしょう)不滅(ふめつ) 不垢(ふく)不浄(ふじょう) 不増不減(ふぞうふげん) ()故空中(こくうちゅう) 無色(むしき) 無受想(むじゅそう)(ぎょう)(しき) 無眼(むげんぜつ)耳鼻(にび)(ぜつ)(しん)() 無色声(むしきしょう)香味(こうみ)触法(そくほう) 無眼界(むげんかい)乃至(ないし)無意識界(むいしきかい)  無無明(むむみょう) (やく)無無明尽(むむみょうじん) 乃至(ないし)無老死(むろうし) 亦無老死尽(やくむろうしじん)  無苦集滅(むくしゅうめつ)(どう)  無智(むち)(やく)無得(むとく) ()無所得(むしょとく)()  菩提薩埵(ぼだいさった) ()般若波(はんにゃは)()(みつ)() 故心無罣礙(こしんむけいげ) 無罣礙(むけいげこ)()無有(むう)恐怖(くふ) 遠離(おんり)一切(いっさい) 顛倒(てんどう)夢想(むそう) 究竟(くきょう)涅槃(ねはん) 三世(さんぜ)諸仏(しょぶつ) ()般若波(はんにゃはら)()(みつ)多故(たこ) 得阿耨多羅三藐三(とくあのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)  故知(こち)般若波(はんにゃは)()(みつ)() ()大神(むとうどう)(しゅ) ()大明(だいみょう)(しゅ) ()無上(むじょう)(しゅ) ()()(とう)(どう)(しゅ) 能除(のうじょ)一切(いっさい)() 真実(しんじつ)不虚(ふこ)  故説(こせつ)般若波(はんにゃは)()(みつ)多呪(たしゅ) 即説呪曰(そくせつしゅわつ) 羯諦羯諦波羅羯諦(ぎゃていぎゃていはらぎゃてい) 波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶(ぼうじそわか)

                                 般若心経(はんにゃしんぎょう) 

 

1五蘊(ごうん)とはpañcaskandha(パンチャ・スカンダ)佛教に於ける宇宙観を分析する時に使われ釈尊の思想哲学の根幹といえる、菩薩が深遠な智慧の完成させる為の五つの構成要因で蘊とは集まりを言う、蘊とは樹木の枝を意味すると言う解説書もある(般若心経の基礎知識、大法輪閣)。(Pañca5を意味し、khandhaは集合を言う)     
1
、 色 (身体を構成する5の感覚器官・5根)ルーパ       
rûpakkhandha       感覚的物質的  視覚に移る形造られたもの 

2、 受 (苦・楽・不苦不楽を受ける作用)   ベーダナー    vedanâkkhandh       感受        感覚と感情を含めた作用  

3、 想 (知覚作用)                サンジュニャー  saññâkkhandha      表象        心の内に像を構成する 

4、 行 (意思・真理作用)             サンスカーラ   sankhârakkhandh     意志        潜在的形成力 

5、 識 (眼・耳・鼻・舌・身・意の認識)     ビジュニャーナ  viññânakkhandha    感覚・知覚・思考作用を含み対象を区別しての認識作用    
   因みに「蘊」とは集合体を意味する。  認識作用に五根があり眼識・耳識・鼻識・舌識・身識がある。
   巷間で言われている「薀蓄(うんちく)がある」「うん
(沢山)とある」等に使われる。
五蘊Pañca=5、 khandha=集合の意味である、六根とは人の所持する六つの器官すなわち*色(rûpakkhandha)、*受(vedanâkkhandh)、*想(saññâkkhandha)、*行(sankhârakkhandha)、*識(viññânakkhandha)を言う、また六内入処とも言う、六識とは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、 十二処(十二入) とは六根と六境を+したもの、十八界とは 十二処+六識を言われる。
「摩訶般若波羅蜜経」略して大品(だいぼん)般若経(はんにゃきょう)では陰界入があるが五陰、十八界、十二入の略称
五蘊無我説、般若心経に於いて「五蘊皆空」と「無色無受想行識」を言う。 五蘊(ごうん)とはpañcaskandha(パンチャ・スカンダ)佛教に於ける宇宙観を分析する時に使われ釈尊の思想哲学の根幹といえる、 ・色蘊(rūpa) ・受蘊(vedanā)感受作用 ・想蘊(sajñā)表象作用 ・行蘊(saskāra)意志作用 ・識蘊(vijñāna)認識作用を言う、五の蘊が世界を構成していると言う解釈がある、閑話休題、巷間で言われている「薀蓄がある」「うん(沢山)とある」等に使われる、蘊とは樹木の枝を意味すると言う解説書もある(般若心経の基礎知識、大法輪閣)。
雑阿含経の範疇にある「相応部経典
Sayutta Nikāya SN サンユッタ・ニカーヤ」と言う古いPāli語経典には釈尊は”重き荷物”とされている「五蘊は重き荷物にして これを担うものは人である 重きを担うは苦しくて これを捨つれば安楽なり すでに重荷を捨てたらば さらに重荷を取るなかれ かの渇愛を滅すれば 欲なく自由となりぬべし」。 五蘊の蘊は巷間、蘊蓄とか蘊と(たくさん)ある、等々に使われている。 


 
2、六派羅蜜とは   悟りの境地・完成 徳

1、 布施    

2、 持戒(戒律を守る)   

3、 忍辱(にんにく・耐え忍ぶ)   

4、 精進    

5、 禅定(集中・安定)   
6
、 智慧(判断・分別)
 


3、般若とは 悟りのための智慧・あらゆる真実を見通す智慧を言う、 梵語 プラジュニャー  ・バーリ語 バンニャー   漢訳は慧  

バンニャー=般若=智慧  pāramitā=波羅蜜多=完成   hrdaya=心髄=心   sūtra=経・聖典(原典にはこの字句は無い、この為に心経は経典でなく呪文説も言われる)。      
カンボジヤ・プノンペン国立博物館に「般若波羅蜜多菩薩」像が置かれている、苦行を務めた王妃がモデルと言われ阿弥陀の化仏を着けている。
       

 

4鳩摩羅什Kumārajīvaクマー ラジーバ)344413年 


5貝多羅葉(pattra・パットラ・ターラ)パルミラヤシと言うアフリカ産、椰子科の広葉樹でアンコールワット等に自生している、因みにハワイの椰子はココヤシと言われる、梵語で「木の葉」の意味を持つパットラと、多羅(ターラ、tala)は植物の葉を意味する様である。
因みにアンコールワットは創建時はヒンズー教寺院であったが、現在は佛教寺院である。

6、説一切有部とは梵語のsarvāstivādin, sarvāstivāda、(サルバーステイバーデイン)と言い、略称を「有部」と言う、「異部宗輪論」に依ればBC2世紀頃に部派から分派した集団であるが大乗の触媒的な要素を含んでいる、即ち70に及ぶ法を想定し、過去、現在、未来の三世は同一であるが経験出来るのは現在(瞬時)のみとして諸行無常に結び付ける三世実有説である、因みに108の煩悩は説一切有部から考え出された、阿毘(あび)達磨大毘婆沙論(だつまだいびばしゃろん)Abhidharma mahavibhasa sastra)と密接に関連している、説一切有部教義の代表に「六足論」「発智論」「大毘婆沙論」「顕宗論」等がある
異部宗輪論とは著作は()()
vasmitra・バスミトラ)と言い玄奘訳が知られている、部派分裂の歴史を分析する為に不可欠な説とされる、異部宗輪論に拠れば五事問題がある、五事問題とは修行者の到達点に於ける阿羅漢のランクを低く評価する五個の見解である、・貌(ぼう)・言・視・聴・思で五事となる。      *説一西切有部 サルバースティバーディン(Sarvāstivādin
説一切有部で作られた論書すなわち阿毘達磨に於ける、六足論を挙げれば、*集異門足論(阿毘達磨)(Samgiti-paryaya-sastra)*法蘊足論(阿毘達磨)(Dharma-skandha-sastra) *施設論(Prajnapti-sastra) *界身足論(阿毘達磨)』(Dhatukaya-sastra) *識身足論(阿毘達磨)(Vijnanakaya-sastra) *品類足論(阿毘達磨)(Prakaranapada-sastra) *発智論(阿毘達磨)(Jnanaprasthana-sastra)の七書が存在する。

7般若経典群のグループ分類 
①小品系―――道行般若経、小品般若経、八千頌般若等、 
②大品系―――放光般若経、大品般若経、二万五千頌般若等、
③十万頌般若、
④金剛般若経、
⑤理趣経(百五十頌般若)
⑥大般若経、
⑦般若心経(6の要諦)+佛教。
  (注7、武田鏡村、新人物往来社より) 

般若経Prajñāpāramitā sutra プラジュニャーパーラミター・スートラ)は、完璧な智慧すなわち、般若波羅蜜多を説く大乗仏教経典群の総称で、般若経典の集大成と言われ、著名な般若心経もこの範疇にある、大乗仏教イコールと言える般若経典群の内最も早く成立した、一世紀前後に成立した“八千頌般若経”を嚆矢とされるが、数百年間に多くの般若経が編纂された、著名な経典群に、 

*八千頌(はっせんじゅ)般若経(はんにゃきょう)Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra アスタサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)  
*二万五千(じゅ)般若(Pañcaviśatisāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra パンチャヴィムシャティサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)   
*十万頌般若経 (Śatasāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtraシャタサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)
*金剛般若経、金剛般若波羅蜜多経 (Vajracchedikā-prajñāpāramitā Sūtra ヴァジュラッチェーディカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)      
*般若心経 (仏説・摩訶)般若波羅蜜多心経 Prajñāpāramitā Hdayaプラジュニャーパーラミター・フリダヤ)等が挙げられる。

7、羯諦羯諦の使用される漢字の相違と梵語記述を挙げると 「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」「掲諦 諦 波羅諦 波羅僧諦」、梵語記述ではgate  gate  pāragate  pārasagate  bodi  svāhā となる。

8、中外日報社のネット上では「般若心経」のチベット語版の書名には、「女尊即ちバガヴァティたる般若波羅密多の心髄」に記述を見る、「バガヴァティ Bhagavathi」とは「母」「仏母」という意味を言う様である。

注9、五種不翻 
1、 インドにあるが中国にはない物の名前、例えば不動明王の火炎に出てくる迦楼(かる)()という鳥の名前。 
2
 多様な意味を含んでいて一言では訳しにくいもの、陀羅尼等々。 
3 意味の解釈より原語の音感の方が神秘的な効果も加わり適切と思われる場合。 
4
 古くから使われていた音訳ですでに一般化していたもの、例えば般若心経に出てくる阿耨多羅三藐三菩提など。 
5 翻訳すると真意が失われる恐れの有るのも、例えば仏陀。


注10、 大智度論とは二万五千頌般若経に対する解説書である、中国大乗佛教に於ける各宗派、日本の八宗総ての依拠と成っている論書である、マハー・プラジュニャーパーラミター・シャースト(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)と言い、大智度論を大辞林で引くと「大品(だいほん)般若経」の注釈書100巻。
竜樹に著作と伝えられ鳩摩羅什訳、仏教の百科全書的な書。智度論、大論の記述がある、また月と指、即ち月を教える指の価値に関する比喩は著名である(尊者、また坐上に自在身を現ずること、満月輪の如し)とある。
巻五に記述されているカルパ(kalpa)即ち劫とは大変な単位である、約十四㌔㎡に岩に百年に一度天女が舞い降りて衣で岩を撫でる、その摩擦で岩が消滅する時で一劫と言う、忙しい人が計算した様で一劫=約四十億年と言われる、単位に *億劫 *那由他劫(10601072) *阿僧祇劫(107×2103)等∞の単位がある、巷間言われる”おっくう”は億劫(おっくう)から採られている。
法楽寺様HP には
大智度論とは「摩訶般若波羅蜜経」のサン梵語原典名Mahāprajñāpāramitā Sūtra[マハープラジュニャーパーラミター スートラ]語、摩訶(mahā)を「」、般若(prajñā)を「、波羅蜜(pāramitāを「度」としたもので、注釈書であるから「」としたとある。)   


11、 玄奘訳の般若心経に付いて中村始氏は定本として用いた般若心経は玄奘訳の「大般若波羅蜜多経」観照品の一節よりも鳩摩羅什訳の「魔訶般若波羅蜜経」習応品の一節に酷似している為に種々の疑いをもたれている、と言う。

 

 


              
                 般若絵心経  観音寺(京田辺市)

      仏像案内     寺院案内    経典

「般若心経  私の読み方」 松山市在住 土居 嵩氏  

2005516日加筆  65日  200718日 般若心経秘鍵 2011330日 426日道行般若経 2012年2月15日玄奘訳分 2012315śūnya空 201329theravāda関連加筆   20136月絵心経 72日注6 2014422日厄除け呪い 65gate  gate   616日一文字に千理 12月6日 2015年1月10日羅什解釈 7月14日 2016年6月21日三摩地門 2017年2月11日 7月13日 10月4日 12月13日 2018年11月6日 2019年2月25日3月23日 4月10日 6月2日 2020年1月29日 2020年3月13日 ㋅25日 9月26 2021年3月2日  

 

 

無罣礙(むけいげ

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