正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)          

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正法眼蔵は曹洞宗の開祖道元の主著で同宗の仏教思想書と言うより大乗仏教の世界観を包摂(ほうせつ)した根本経典である、内容は仏法の真理・修行のあり方・宗門の規則等を記述したものである、正法=仏法であり、眼=法は眼の如く明解、蔵=収納して余す処無し、と読む様である、正法眼蔵から在家への布教を意識して一部を取り出した陀羅尼に「修証義」(五章三十一節)があり曹洞宗では必須の陀羅尼である、宗派内に於ける位置付けは「宗典」であり信徒に向けた法要で読誦する等、法話の材料として使われる。 
正法眼蔵とは主巻、弁道話には
釈尊が説いた無上の正法」と言えよう。
(道元 百瀬明治著 淡交社)
道元は12318月、京都の深草安養院で弁道話1巻を纏めた後、著述の傍ら23年間にわたって説き続けた。
正法眼蔵と般若心経に付いて最初の巻が摩訶般若波羅蜜であり、これは般若心経の解説であると前川睦生師は言う(般若心経の基礎知識 大法輪閣)道元は多くの経典を読破して引用しているが中村元著・法華経に依れば法華経からの引用が最多と言われる。   
写本が多くあるが「現成公案」に始まり合計で八十七巻に加え拾遺4四巻に及ぶ大作を和文で書かれている、曹洞宗に於ける禅哲学の神髄が記述されている、中国曹洞宗の如浄の説いた法が主体であるが、仏道を学ぶとは自己を学ぶ事にある、など道元独自の哲学が説かれている、また道元は”身心学道”に於いて「墻壁瓦礫(しょうへきがりゃく)これ心なり」、と記述されている、意味は「仏とは瓦や石ころである」であるが、その心は「瓦や石ころも成仏出来る」であろう。  
敢てキーワードを挙げれば「極無自性心清浄法界」への帰依と為す、と言い正伝を説いている、極無自性心(ごくむじしょうしん)とは華厳(覚り)の境地を言い、清浄法界(しょうじょうほっかい)とは真理の世界から湧き出る聖水とでも訳される、大作であるが要諦は「只管打坐(しかんたざ)」に尽きるかも知れない。
曹洞宗では正法眼蔵がベースの修証義の読誦も重要視されている、座禅の目標は「教外(きょうげ)別伝(べつでん) 不立(ふりゅう)文字(もんじ) 直指(じきし)人心(にんしん) 見性(けんしょう)成仏(じょうぶつ)」にあろう、また座禅(しん)には「初心の座禅は最初の座禅なり、最初の座禅は最初の坐仏なり」の記述がある。
道元の信念は「釈尊直伝であり、それを受け継いだ達磨~如淨~道元と受け継がれるすなわち「正伝の仏法」である。
また正伝は釈尊を元祖とし十大弟子の上足、摩訶迦葉を第一祖に達磨大師を二十八祖とし、道元を達磨から二十四代目としている。
道元は百巻を著述の計画であったが未完に終わった様だ。
本書は八十七巻に後に発見された拾遺(しゅうい)四巻からなり(他に80巻本、95巻本等6系統がある)只管打坐(しかんたざ)(ひたすら座禅)本証妙修(本来悟っているものの座禅)修証一等(修行と悟りを区別しないこと)行持道環(修行者と仏とが座禅を通じて一体となること)等の記述で、道元の禅に対する考えが述べられているが、大変難解な著述であるが正法眼蔵をベースの「修証義」の読誦は曹洞宗に於いては重要である、道元は正法眼蔵(三十七品菩提分法)の中で「寂黙凝然(じゃくもくぎょうぜん)はこれ真実なり」と述べている、道元の正法眼蔵に対するスタンスは深信因果(じんしんいんが)であると言えよう、これは95巻本では89巻にあり深く因果を信じる事で成仏を確信する事

道元は平安末期から鎌倉時代にかけて武士の権力が台頭するに付いて権力や荘園などの経済基盤を失い脱力感を抱いた為政者を含む貴族達が恐れた三時観注2すなわち末法を正法眼蔵に於いて否定している、「佛教に正像末(三時観)を立つること暫く一途の方便なり」「大乗仏教には正像末法をわくることなし」。
「仏々かならず仏々に嗣法(しほう)し、租々かならず租々に嗣法する、これ(しょう)(かい)なり、これ単伝なり、これゆゑに、無上菩提なり。仏にあらざれば仏を印証するにあたはず。仏の印証えざれば、仏となることなし(嗣書)(瑩山紹漌の生涯・百瀬明治・毎日新聞社)佛法は釈尊以来受け継がれて来た、この流れは単伝すなわち個人から個人への伝授であり釈尊も元来は人間であったと言う解釈である、即ち曹洞宗は久遠実成の釈迦阿弥陀如来大日如来薬師如来とは峻別している。 
正法眼蔵にはキリスト教徒に理解される語彙がある、心念身儀「発露仏すべし」発露のちから、罪根をして銷根をして銷殞せしむるなり。  これ一色の正修行なり、正信心なり、正信身なり、仏に対して懺悔を勧めている。

道元は三聚浄戒、や十六条戒を重視しているが、当然かも知れないが三宝即ち三帰依、「仏は大師なるがゆえに帰依す」「法は良薬なるがゆえに帰依す」「僧は友なるがゆえに帰依す」と言う。
華厳経にも在るが、正法眼蔵には洗顔と歯磨きの記述がある、これらを日本人に定着させた功績に付いて道元を除外できない、脱線するが銭湯の嚆矢は寺に在ると言えよう、古刹寺院の遺跡にある「湯屋」が発祥であるが玄奘や義浄が学んだ北インド佛教の最大拠点であった
ナーランダ那爛陀・Nālandā寺院(大学)に於いて沐浴は行の一環とされていた、因みに正法眼蔵には”修証義”と言う部分抜粋した書があるが、葬儀等に異教徒にも渡される場合が多い。
また第三十一に諸悪莫作の巻があり七仏通誡偈(注3)と密接に関係する、「古佛云、諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) 自浄其意(じじょうごい) 是諸佛法(ぜしょぶつほう)」。

また生死の巻には”ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたちよりおこなわれて、これにしたがいゆくとき、ちからもいれず、こころをひとつにして、生死をはれ、仏となる”即ち(己の心身を捨てて、力を抜いて仏の家へ投げ入れ仏に従えば生死を超越して仏となる)、これ即ち極意かも知れない。 

「春は花 夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」。 道元



注1、 証は覚り ・修は座禅。

2
末法思想と三時観  中国の僧で天台智顗(ちぎ)の師である、慧思(     えし)(515577年)による歴史観でもある、三時思想とも言い阿含経に拠れば釈迦如来の入滅後に弥勒佛の現れるまでの空白期間を示す正法・像法・末法を言う、当初は正法・像法が言われたが六世紀頃にインドで三時観となる、釈尊入滅後に於ける佛教流布期間を三期間の分類したもので正法は釈尊の教えが正しく伝わり、像法に於いてはやや形骸化するが教えの形は守られる、因みに像法の像とは影を意味する、また五木寛之は像法をコピーの時代と言う、  末法即ち(きょう)(どう)滅尽(めつじん)( saddharma-vipralopa)に到り経典は残るが漸衰滅亡すると言う、末法では僧侶も「名字比丘」と言われる様になる、但し観無量寿経には経道滅尽の後にも同経は百年存続すると言う。

三時思想に付いて六世紀中国に於いて三階教と言う宗派があって行基に影響を与えたとの説もある、三階教とは六世紀末中国の北斉で起った宗派で行基に影響を与えた、三時観の分類を利用して、現在は三階即ち末法であるとして「大方広十輪経」「大集経」「明三階仏法」「略明法界衆生機浅深法」を依経として既成宗派と対抗した宗派である
「大集経」などに依れば個々の期間は五百年・千年など諸説があるがしだいに「大悲心経」を依経とした千年説が広がる、これは中国に佛教が伝来時には末法にならない為に調整したとも考えられる、また一時観を千年とした根拠は、中国に於いては釈尊の生誕はBC948年としている、これは孔子よりも先に生誕した様に記録したかったとされる、三時観は日本に伝わり最澄が重要視し「守護国界章」を著している、定かではないが「末法燈明記」も最澄の著作と言われている、因みに末法燈明記に依れば正法五百年、像法千年、末法一万年とされている、これは「大集月蔵分」「法滅尽品」「摩訶麻耶経」等も同様である、「堕落容認の聖典」とも言われる末法灯明記であるが、典拠とされる代表的な経典は「大方等大集経(大集経)」である
天台宗の「法華玄義」巻五のと「十地経論」巻三に「教行証」「大乗法苑義林章」等に依れば、佛法とは・証・行・教を言い正法とは三時が揃う事を言い、像法は証が失われ末法は証と行が失われる教のみが残る事を云う、証とは絶対知の感得を言い行は絶対知の感得の為の修行を言われる、また教は絶対知を感得する案内書すなわち経典を指す。
末法を法滅と言い経典も無く壊滅的な時代を言い末法の後、すなわち「法滅期」となる解釈もある、
経道滅尽すなわち法滅とは仏法の滅びる事をいう、正法・像法・末法の三時を過ぎると仏法は滅尽すると「大方等大集経」の第55券である月藏分の分布閻浮提品に書記述されている。
但し涅槃経には末法の中から再び、仏法が再生すると説かれている、因みに涅槃とはニルヴァーナ(nirvāa)と言いニルは「外へ」、ヴァーナは「吹き消す」を意味する   釈もある。
但し涅槃経には末法の中から再び仏法が再生すると説かれている。

*仏教にも末法思想や終末論が言われるが、仏教本来の正統思想ではなくカルト仏教的な哲学との小室直樹説がある、殺戮を繰り返す一神教と異なり仏教にはジェノサイドgenocide)は無論の事、天地創造、終末論すなわち最後の審判的な思想がない、無限に近い因果律の仏教哲学に終末論は本義ではない。

閑話休題、インドでは三時観は千年であるが、女性の出家が許された為に正法のみが五百年に短縮されたと言う記述が存在する様だ。 

*末法思想の対処法に”特留此経(とくるしききょう)”と言う経がある、末法の時代でも信じて留まる事を教えている。


注3、
禅宗と言えば七仏通誡偈を挙げねばならない、七仏通誡偈(つうかいしげ)とは釈尊を含む過去七仏が説いた共通の偈を言う、法句経などに記述がある、日本では禅宗系が重要視している、以下に記述するがルビは呉訳で付けるが天台宗は漢訳で呼称される。  パーリ語(pāli)による記述

*諸悪莫作(しょあくまくさ) 、(Sabba pāpassa akaranam・サッバ パーパッサ アカラナン)もろもろの悪を作すこと莫く。  *(しゅう)(ぜん)奉行(ぶぎょう) 、 (kusalassa upasampadā・クサラッサ ウパサンパダー)諸々の善を行い。  *自浄(じじょう)()() 、(Sacitta pariyodapanam・サチッタ パリヨーダパナン)自ら其の意を浄くす。  *()(しょ)仏教、(etam buddhāna sāsanam・エータン ブッダーナ サーサナン)是が諸々仏陀の教えなり。   (「衆善奉行」は天台宗では「諸善奉行」)、 出光美術館や茶会等に於いて一休宗純による「諸悪莫作・衆善奉行」とした軸を見かける。

 

 

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