正法眼蔵は曹洞宗の開祖道元
正法眼蔵とは主巻、弁道話には「釈尊が説いた無上の正法」と言えよう。(道元 百瀬明治著 淡交社)
道元は1231年8月、京都の深草安養院で弁道話1巻を纏めた後、著述の傍ら23年間にわたって説き続けた。
正法眼蔵と般若心経に付いて最初の巻が摩訶般若波羅蜜であり、これは般若心経の解説であると前川睦生師は言う(般若心経の基礎知識 大法輪閣)、道元は多くの経典を読破して引用しているが中村元著・法華経に依れば法華経からの引用が最多と言われる。
写本が多くあるが「現成公案」に始まり合計で八十七巻に加え拾遺4四巻に及ぶ大作を和文で書かれている、曹洞宗に於ける禅哲学の神髄が記述されている、中国曹洞宗の如浄の説いた法が主体であるが、仏道を学ぶとは自己を学ぶ事にある、など道元独自の哲学が説かれている、また道元は”身心学道”に於いて「
敢てキーワードを挙げれば「極無自性心清浄法界」への帰依と為す、と言い正伝を説いている、
曹洞宗では正法眼蔵がベースの修証義の読誦も重要視されている、座禅の目標は「
道元の信念は「釈尊直伝であり、それを受け継いだ達磨~如淨~道元と受け継がれるすなわち「正伝の仏法」である。
また正伝は釈尊を元祖とし十大弟子の上足、摩訶迦葉を第一祖に達磨大師を二十八祖とし、道元を達磨から二十四代目としている。
道元は百巻を著述の計画であったが未完に終わった様だ。
本書は八十七巻に後に発見された
道元は平安末期から鎌倉時代にかけて武士の権力が台頭するに付いて権力や荘園などの経済基盤を失い脱力感を抱いた為政者を含む貴族達が恐れた三時観(注2)すなわち末法を正法眼蔵に於いて否定している、「佛教に正像末(三時観)を立つること暫く一途の方便なり」「大乗仏教には正像末法をわくることなし」。
「仏々かならず仏々に嗣法し、租々かならず租々に嗣法する、これ証戒なり、これ単伝なり、これゆゑに、無上菩提なり。仏にあらざれば仏を印証するにあたはず。仏の印証えざれば、仏となることなし(嗣書)(瑩山紹漌の生涯・百瀬明治・毎日新聞社)佛法は釈尊以来受け継がれて来た、この流れは単伝すなわち個人から個人への伝授であり釈尊も元来は人間であったと言う解釈である、即ち曹洞宗は久遠実成の釈迦や阿弥陀如来・大日如来・薬師如来とは峻別している。
正法眼蔵にはキリスト教徒に理解される語彙がある、心念身儀「発露仏すべし」発露のちから、罪根をして銷根をして銷殞せしむるなり。 これ一色の正修行なり、正信心なり、正信身なり、仏に対して懺悔を勧めている。
道元は三聚浄戒、や十六条戒を重視しているが、当然かも知れないが三宝即ち三帰依、「仏は大師なるがゆえに帰依す」「法は良薬なるがゆえに帰依す」「僧は友なるがゆえに帰依す」と言う。
華厳経にも在るが、正法眼蔵には洗顔と歯磨きの記述がある、これらを日本人に定着させた功績に付いて道元を除外できない、脱線するが銭湯の嚆矢は寺に在ると言えよう、古刹寺院の遺跡にある「湯屋」が発祥であるが玄奘や義浄が学んだ北インド佛教の最大拠点であったナーランダ(那爛陀・Nālandā)寺院(大学)に於いて沐浴は行の一環とされていた、因みに正法眼蔵には”修証義”と言う部分抜粋した書があるが、葬儀等に異教徒にも渡される場合が多い。
また第三十一に諸悪莫作の巻があり七仏通誡偈(注3)と密接に関係する、「古佛云、
また生死の巻には”ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたちよりおこなわれて、これにしたがいゆくとき、ちからもいれず、こころをひとつにして、生死をはれ、仏となる”即ち(己の心身を捨てて、力を抜いて仏の家へ投げ入れ仏に従えば生死を超越して仏となる)、これ即ち極意かも知れない。
「春は花 夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」。 道元
注1、 証は覚り ・修は座禅。
注2、末法思想と三時観 中国の僧で天台智顗(ちぎ)
三時思想に付いて六世紀中国に於いて三階教と言う宗派があって行基に影響を与えたとの説もある、三階教とは六世紀末中国の北斉で起った宗派で行基に影響を与えた、三時観の分類を利用して、現在は三階即ち末法であるとして「大方広十輪経」「大集経」「明三階仏法」「略明法界衆生機浅深法」を依経として既成宗派と対抗した宗派である。
「大集経」などに依れば個々の期間は五百年・千年など諸説があるがしだいに「大悲心経」を依経とした千年説が広がる、これは中国に佛教が伝来時には末法にならない為に調整したとも考えられる、また一時観を千年とした根拠は、中国に於いては釈尊の生誕はBC948年としている、これは孔子よりも先に生誕した様に記録したかったとされる、三時観は日本に伝わり最澄が重要視し「守護国界章」を著している、定かではないが「末法燈明記」も最澄の著作と言われている、因みに末法燈明記に依れば正法五百年、像法千年、末法一万年とされている、これは「大集月蔵分」「法滅尽品」「摩訶麻耶経」等も同様である、「堕落容認の聖典」とも言われる末法灯明記であるが、典拠とされる代表的な経典は「大方等大集経(大集経)」である。
天台宗の「法華玄義」巻五のと「十地経論」巻三に「教行証」「大乗法苑義林章」等に依れば、佛法とは・証・行・教を言い正法とは三時が揃う事を言い、像法は証が失われ末法は証と行が失われる教のみが残る事を云う、証とは絶対知の感得を言い行は絶対知の感得の為の修行を言われる、また教は絶対知を感得する案内書すなわち経典を指す。
末法を法滅と言い経典も無く壊滅的な時代を言い末法の後、すなわち「法滅期」となる解釈もある、経道滅尽すなわち法滅とは仏法の滅びる事をいう、正法・像法・末法の三時を過ぎると仏法は滅尽すると「大方等大集経」の第55券である月藏分の分布閻浮提品に書記述されている。
但し涅槃経には末法の中から再び、仏法が再生すると説かれている、因みに涅槃とはニルヴァーナ(nirvāṇa)と言いニルは「外へ」、ヴァーナは「吹き消す」を意味する。 釈もある。
但し涅槃経には末法の中から再び仏法が再生すると説かれている。
*仏教にも末法思想や終末論が言われるが、仏教本来の正統思想ではなくカルト仏教的な哲学との小室直樹説がある、殺戮を繰り返す一神教と異なり仏教にはジェノサイド(genocide)は無論の事、天地創造、終末論すなわち最後の審判的な思想がない、無限に近い因果律の仏教哲学に終末論は本義ではない。
閑話休題、インドでは三時観は千年であるが、女性の出家が許された為に正法のみが五百年に短縮されたと言う記述が存在する様だ。
*末法思想の対処法に”特留此経”と言う経がある、末法の時代でも信じて留まる事を教えている。
注3、禅宗と言えば七仏通誡偈を挙げねばならない、七仏
*諸悪莫作 、(Sabba pāpassa akaranam・サッバ パーパッサ アカラナン)もろもろの悪を作すこと莫く。 *衆善奉行 、 (kusalassa
upasampadā・クサラッサ ウパサンパダー)諸々の善を行い。 *自浄其意 、(Sacitta pariyodapanam・サチッタ パリヨーダパナン)自ら其の意を浄くす。 *是諸仏教、(etam buddhāna
sāsanam・エータン ブッダーナ サーサナン)是が諸々仏陀の教えなり。 (「衆善奉行」は天台宗では「諸善奉行」)