1~2世紀頃に成立したと思惟される大乗経典である、維摩経は勝鬘経と共に在家信者が説き、釈尊が称賛し承認したとされる経典である、部派仏教の強調する大乗非仏論に対するアンチテーゼ(独 Antithese 英 antithesis)の代表的経典で空による菩薩道を説いている。
維摩経の”ハイライト(high light)は「維摩の一黙 響き雷鳴のごとし」で著名な入不二法門品第九”である、筆舌に表現出来ない「不二の法門」(注5)
正式名称を「
脱線するが
大乗すなわち在家仏教のトーテムポール的(英、totem pole)
旧来の上座部仏教(theravada テーラヴァーダ )を小さな乗り物と言い小乗(hīnayāna ヒーナヤーナ)と侮蔑して在家仏教即ち大乗仏教(Mahāyāna マハーヤーナ 大きな乗り物)を正当化した経典である、因みにヒーナとは本来は「捨てられた」であるが劣ると訳される。
内容は釈尊がヴァイシャーリーのアームラバリー苑に於いて八千人の阿羅漢
原題はvimalakiirti-nireṣa-sūtra(ビマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ) で清らかな識者の意味を言う、梵語の原典は断片でしか現存しなかったが、1999年大正大学の調査団により梵語写本の完本がダライ‐ラマの居たポタラ宮で発見された、漢訳では意訳も記述があり「無垢称」「浄名」などが言われる。
現在はチベット語訳と三種の漢訳即ちクマーラジーバ(鳩摩羅什)訳、玄奘訳、支謙訳(呉の訳経者)、が現存するが鳩摩羅什訳の人気があり利用度が高い。
中国の伝統である老荘思想にマッチした内容を持つ為に広く容認された、維摩経は釈迦の住む
世俗間にありながら仏法修行を目指す在家信者の立場から「空」を方便によって理論体系化した経典で厩戸皇子(聖徳太子)も法華経義疏・勝鬘経義疏・と共に三経義疏として重要視したと伝えられる経典である、また維摩経は
維摩詰とは是己登正覚の大聖なる本を論ずれば既に真如と冥一なれども、迹を談ずれば満品と同量なり、巷間使われる「
この経典の中には現在の日常用語が(炎・幻・ひびき・影・夢・浮雲)多く存在する。
聖徳太子の伝承は虚構説が多くあり三経義疏もその中に入るが維摩経義疏が日本最古の注釈書であることは事実である、因みに古事記、日本書紀よりも古い、維摩経を依経とした法会に維摩会がある、奈良時代からの法会で大極殿の御斎会、薬師寺の最勝会と共に南都三大会と言われていた。
通常の経典は浄土関連を除けば主役は釈迦如来であるが、維摩経と少し遅れて出来た勝鬘経では脇役である。
維摩経の中に「泥中の蓮」と言う著名な箇所がある、「譬如高原陸地不生蓮花、卑湿淤泥乃生此華」で要訳すると、真理や悟り等が煩悩(注7)に汚染されない事例、すなわち汚れた環境にあっても清らかな状態を言う、泥中とは煩悩の世界を言い、蓮は清らかな世界を言う。
維摩経の構成であるが、鳩摩羅什の漢訳を基に挙げる、
*第一仏国品 *第二方便品 *第三弟子品 *第四菩薩品 *第五文殊師利門疾品 *第六不思議品 *第七観衆生品 *第八仏道品 *第九不二法門品 *第十香積仏品 *第十一菩薩行品 *第十二見阿閦仏品 *第十三法供養品 *第十四嘱累品 となる。
注1、Vimala=清らか kiirti=名誉 無垢等と訳されるが、ヴィマラ・キールティー(vimalakiirti)は維摩詰の本名的な記述もある。
注2、維摩居士 維摩経に登場する主人公で本来は
維摩居士で正式名称は
居士とは在家の仏弟子で資産・尊厳・社会的信頼を得ている者を言う、長者と重なる、離車族とは古代インドの共和制の国。
菩薩や羅漢の保守的な教義を大乗仏教の核心即ち「空観」を持って論破する。
維摩居士が病の時釈尊に見舞いに行く命を受け舎利弗始め躊躇する中で見舞いに出向いた文殊菩薩との問答すなわち法には言は無・説、示、識総て無との文殊菩薩に対して維摩居士は真理を悟る「無生法忍」すなわち筆舌に顕わせぬ究極を沈黙で示す「不二法門」は著名である。
維摩居士の姿形は日本では興福寺東金堂の像が著名であるが、世界的には甘粛省、莫高窟、第百三窟「維摩経変相図」が知られている。
注3 鳩摩羅什(Kumarajiva
・クマーラジーバ・くまらじゅう)344~413年
注4、維摩経の主人公である維摩居士像は興福寺東金堂(国宝・定慶)に相位置されている、又絵画では・東福寺(文清・室町時代)がある、海外では甘粛省莫高窟第103窟の維摩変相図が著名である。
注5、 不二法門 不二とは相反する二つの事例(・我:無我 ・生:滅 ・菩提:煩悩)が、別々に存在するものではなく元来は一事例であるとする事、 法門とは教えを言い文殊菩薩と対面した折に文殊菩薩が言語で説明したのに対して沈黙すなわち「維摩の一黙」で相対した、この一黙は禅宗系で重宝されている。
無生法忍とは不生を覚って安寧をえる。
注6、大智度論とは二万五千頌般若経に対する解説書である、中国大乗佛教に於ける各宗派は無論のこと、日本の八宗の依拠と成っている書籍である、マハー・プラジュニャーパーラミター・シャーストラ(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)と言い、大智度論を大辞林で引くと「大品般若経」の注釈書100巻。竜樹に著作と伝えられ鳩摩羅什訳。仏教の百科全書的な書。智度論、大論の記述がある、また月と指、即ち月を教える指の価値に関する比喩は著名である(尊者、また坐上に自在身を現ずること、満月輪の如し)とある。
「智度」とは波羅蜜の意訳である、六波羅蜜の内の智慧波羅蜜すなわち、「般若波羅蜜」(prajñāpāramitā)を言う、智とは智慧(般若)、度は渡と同意で彼岸に渡る事である、「摩訶般若波羅蜜経」「摩訶般若釈論」とも呼称される。
法楽寺様HPには大智度論とは「摩訶般若波羅蜜経」のサン梵語原典名Mahāprajñāpāramitā Sūtra「マハープラジュニャーパーラミター スートラ」語、摩訶(mahā)を「大」、般若(prajñā)を「智」、波羅蜜(pāramitā)を「度」としたもので、注釈書であるから「論」としたとある。 法楽寺HP
注7、煩悩には