山号を白華補陀洛山観音妙智院禅定寺と言い、991年に東大寺別当だった平崇が藤原摂関家の一つ近衛家の援助によって創建したとされる。
1071年には平等院の末寺となった。
鎌倉時代は殿下渡領となっていたことが「近衛家所領目録」に記録されている。
室町時代後半以降衰微して無住となったが、1680年曹洞宗の月舟宗胡が再建し現在にいたる。
創建以来の古文書12巻4冊等があり本尊は十一面観音で彫刻作品としての評価は高い。
曹洞宗大乗寺派 所在地 京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺庄地100 п@0774−88−4450
●十一面観音立像 木造漆箔 286,3cm 藤原時代 本尊
●文殊菩薩騎獅像 木造 57,3cm 藤原時代
●日光菩薩立像 木造彩色 203,0cm 藤原時代
●月光菩薩立像 木造彩色 207,9cm 藤原時代
●地蔵菩薩半跏像 木造彩色 87,9cm 藤原時代
●四天王立像 木造彩色 157,6-163,9cm 藤原時代