月輪寺

                             仏像案内    寺院案内 

月輪寺の山号は鎌倉山と言い九条兼実の背後に鎌倉幕府の存在が見られる、寺伝では800年頃に神融禅師・泰澄(たいちょう)による創建とされるが、泰澄自身の実在は定かでは無い。
当地は法然のスポンサーである九条兼実の隠居所が存在した所で流罪を受けた法然親鸞も別れの挨拶に訪れたとされる寺である、また空也が寺を発展させ念仏道場を開いたとされ、六波羅蜜寺に於いて人気の高い口から南無阿弥陀仏を表す六尊の小佛を発する像に似た空也上人像が安置されている、因みに空也の尊像は
四国八十八箇所霊場に於ける四十九番札所の西林山・浄土寺、三蔵院(木造立像121.5cm 重文松山市鷹子町119にも存在するにも安置されている。

当寺は地理的面など観光には不向きであるが、下記の仏像の他に円証(兼実)・法然・親鸞の像があり、下述の様に多くの優れた仏像群を残している。
また当寺は法然上人二十五霊場の18番札所でもある。

月輪寺の近くに愛宕山(旧愛宕大権現)があり「火伏せの祈り」が知られている、京都人の信仰心は篤く「お伊勢七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り」と言われる、愛宕山に近い、帰路に立ち寄り参詣する人は存在する、大権現の本地仏(注3)は勝軍地蔵菩薩であり、多くの武人達が信仰していた。


1、泰澄  伝説上の修験者で神融禅師・泰澄と呼ばれ白山信仰の象徴的存在にあるが実在は定かでは無い。
泰澄和尚伝記に記述がある、越前(福井県朝日町)の人とされ民間信仰の中で呪術に優れていたと言う。

2、九条兼実―平安末期の公卿、禁裏を除く最高の「権門勢家(けんもんせいか)」藤原忠通の三男、平家や木曽義仲と親密であった兄達に変わり権力の中枢に着く、1160年非参議・1164年内大臣・1166年右大臣・源頼朝に接近1191年関白となる、1202年出家し円証と名乗る、念仏信者で法然の最大の理解者である、実弟に天台座主を長く勤め、親鸞に得度を与えた慈円(吉水僧正)が居り、歌人として著名であり愚管抄を著している。

3、本地仏 如来や菩薩が化身して救済に向かう時、垂迹(化身)する姿の根本になる尊格を本地仏という。 


 天台宗  所在地  京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町7        拝観には連絡が必要      п@075-871-1376

阿弥陀如来坐像 木造漆箔 87,6cm 藤原時代 

千手観音立像 木造彩色 154,0cm 藤原時代 

十一面観音立像 木造彩色 168,8cm 藤原時代  

聖観音立像 木造彩色 168,5cm 藤原時代 木造玉眼 119,1cm 鎌倉時代

●空也上人立像 木造玉眼 119,cm 鎌倉時代 

●伝九条兼実坐像 木造 78,0cm 鎌倉時代 

●伝善哉立像 木造 102,0cm 藤原時代

●伝竜王立像 木造 17,5cm 藤原時代     



       

inserted by FC2 system