岩船寺

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 山号を高雄山と言い「いわふねでら」・号を高雄山報恩院と言われる。
定かで無いが、聖武天皇の誓願によるもので開基は行基で阿弥陀堂の建立が嚆矢と言う、後に空海・智泉大徳(空海の甥)が伝法灌頂を行ったと言い智泉大徳が中興の祖とされる、嵯峨天皇から皇孫誕生の祈願を勅命され、皇子即ち後の仁明天皇が誕生した事により恩賞を受け堂宇を建立し岩船寺としたと言う、因みに岩船の寺名は山門前の岩から銘々されたと言う。
阿弥陀堂のあった所に、1278年頃に(鎌倉時代中期)智泉が衰退した興福寺の末寺(随願寺・東小田原寺)より移築して灌頂堂・報徳院を建立され最盛期には三十九坊を数えたと言うが1221年戦火で焼失するが、15世紀には「坊舎八宇交衆十二人」記述がある、後にも戦火に遭うが徳川幕府の援助により、往時の面影には及ばないが修復される。
浄瑠璃寺
と共に興福寺・一乗院の傘下で僧侶の退居寺的な寺であったが、後に真言系の修験者が活動していたとされ、明治に入り廃仏毀釈により混乱した興福寺を離れて西大寺の傘下に入り真言律宗の寺となる、岩船寺と浄瑠璃寺を結ぶ当尾(とおの)の山道は「石仏の里」として知られ磨崖石仏群が見る事が出来て散策には最適のコースと言えよう、石仏の多くは一乗院を隠棲した僧達の手に成り鎌倉時代から室町時代の作品で占められている、ちなみに「とおの」の地名は南都佛教のエリア内にあり、最盛期に七堂伽藍が建ち並び塔の林立から「塔尾」と呼ばれたことによる。
鎌倉・室町時代を通じて兵火に見舞われ伽藍の多くを失ったが徳川幕府の援助を受けて今日に至っている。
岩船寺の本尊阿弥陀如来平安時代の面影を残した欅の寄木造で
飜波式衣文を持ち2m85cm近い像で四隅を四天王が守護している、なお現在の金堂は昭和62年完成の堂である。   

真言律宗      所在地   京都府相楽郡加茂町岩船上ノ門43      п@0774763390     

1、行基菩薩 ぎょうき668749)奈良時代の法相僧で 唯識論の権威、父の高志氏は百済系渡来人。
長安に於いて玄奘三蔵に学んだ飛鳥寺の道昭に師事する。(異説もある、新羅僧慧基に学ぶ等)
法興寺・薬師寺を経て山岳修行を行い、聖武天皇から菩薩号を授けられたと言う伝承が有る、彼の元に私度僧が多く集まり民間佛教の伝道と社会事業に尽力する、特に土木技術に精通し私度僧群と共に技術者集団を率いていたと考えられる。
また行基により創建されたと言う寺は多くあり、彼の指導による仏像・橋梁・堤防・港など多く作られたと言いその名声から多くの伝承を残した。
745年 大僧正 また歌の名手で有ったらしく行基の詠んだとされる歌が残っている。    
玉葉集  「山どりのほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」 
行基が創建したと伝えられる寺院は多く存在するが、奈良県・霊山寺 長弓寺   京都府・宝積寺    大阪府・金剛寺  孝恩寺  家原寺 喜光寺  獅子窟寺    滋賀県・金剛輪寺 などと言はれる。 


2、 興福寺は大和の覇権を握る寺で藤原一族の子弟が多数入り住坊は院家とまで言われた、中でも一乗院(近衛家)大乗院(九条家)は門跡と言い興福寺の実権は二つの門跡が握っていた。

3 , 五摂家(藤原摂関家) 鎌足を祖とし不比等に引き継がれ長く朝廷を支配した一族で歴代天皇の外戚を続け日本史の中でも藤原時代の名称まで残し天皇家に次ぐ名門。
不比等の子供達の系列から凄惨な確執を繰り返した後10世紀(藤原時代)には藤原武智麻呂(むちまろ)の南家に対して藤原房前(ふささき)の北家が覇権を持つ、鎌倉時代に北家の系列すなわち近衛家と九条家から五摂家に別れる、近衛基実から・近衛家・鷹司家、 九条兼実から・九条家・二条家・一条家となり摂政関白を独占する、中でも近衛家が覇権を所持していたが頼朝追討宣旨で失脚し九条家と覇権を分け合う。
また藤原姓は橿原市高殿町付近の地名からともされる。
傍系に久我・醍醐・今出川・姉小路・山科・花山院・広幡・三条・西園寺・徳大寺・難波・飛鳥井・冷泉・坊城・日野・烏丸・大炊御門・中炊御門・観修寺等があり本来は全て藤原姓である。
五摂家による禁裏支配制度は後醍醐天皇の御世を除き明治維新まで継続した、1884年に華族令により廃止になり五摂家は華族筆頭として公爵位を授けられた。藤原不比等とは鎌足を父に宮廷歌人額田王と同一人とも言われる鏡王を母に持ち大宝律令・貨幣経済・成文法等を導入して藤原一門の千三百年にわたる栄華の礎を築く。

岩船寺の文化財 

阿弥陀如来坐像 木造彩色 284,5cm 藤原時代 飜波式衣文、寄木造の先駆け的で貴重な作品 像内に真言・種子・印・奉書などの墨書

普賢菩薩(厨子入り) 木造彩色 38,9cm 藤原時代    伝承では智泉が刻んだとされている

●三重塔 三間 本瓦葺 18,0m  室町時代 (内壁に真言八祖・五大尊像・十六羅漢像が描かれている)  

●十三重塔  石造  鎌倉時代 

●五輪塔   石造  鎌倉時代  

不動明王立像  石室  50,0cm  室町時代   一願不動明王

●鎮守白山神社 本殿   室町時代 

●厨子(普賢菩薩)木造漆塗 彩色 173,5cm 鎌倉時代  

●天邪鬼     木造  


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