蟹満寺

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山号は普門山と言い、東大寺の念仏聖の集まる処で光明山懺悔堂と言う呼び名も言われた様である、寺の名称は地名の「かばた(紙幡寺)」からの由来と考えられるが寺名よりも「日本霊記」や「今昔物語」「今昔著聞集」などに出ている蟹満寺縁起のほうが著名である。
寺の縁起は定かではないが、1711年真言僧・智積院十五代亮範に
16701739年)により形態を整えられ,現在は智積院の傘下即ち智山派の所属である。
後述の蟹満寺縁起からすれば本尊は観音菩薩であるはずだが現存する菩薩像は無い。
蟹満寺には白鳳末期〜天平時代初期の鋳造法に共通項を有しており、薬師寺薬師三尊像と双璧の傑作とも言はれる、統一新羅の作風と共通点を持ち、阿弥陀と混血的とも言える特殊な印(注2)を結ぶ丈六・釈迦如来坐像が安置されている。 
現在の本尊は廃寺となった光明山寺(注1)からの移転説が有力視されていたが定かではない、近年の調査で現本堂を包む形で薬師寺に次ぐ規模の基壇が発掘された、
間口7間(28,5m奥行き4間(17,8m690年頃即ち藤原京の時代創建と推定される、また本尊は金堂創建時からの位置を維持しており、一豪族の寺としての規模を凌駕している。  

山号の由来は蟹満寺縁起の娘が称えた観音経・普門品からとされる。
昔この地に住む観音信仰に篤い娘がいた、近所の村人が食用に捕らえた蟹を助けて逃がした、その後蛙を呑もうとした蛇に娘の父が娘を嫁にやる条件で蛙を助ける、夜になって蛇はハンサムな男に変身して娘を貰いにきた、そこで蛇に3日の猶予を貰い観音経を唱え続けた処多数の蟹が現れて蛇と刺し違えた、観音経のご利益と言う事で蟹と蛇の冥福を祈願して懇ろに埋葬して出来た寺とされている。
古来より日本人は「怨親平等」即ち死者に対しては敵味方の区別無く手厚く葬る行動様式がある様だ、怨霊に対する恐怖もあるが法隆寺・出雲大社・諏訪大社・天満宮・等は政治・軍事の敗者を丁重に弔った場所である。
日本では元寇の乱に於いても漢民族・朝鮮人を含む元軍の戦死者を日本人戦死者と同様に弔っている、通常の外国人と違い日本人は敵であっても死者に対しては敵愾心を持たない民族ではないか。
これは強調し過ぎる事は無い、日本人は()(みそぎ)」即ち水に流す事で受けた被害や受難の歴史を忘れがちである、文永の役・弘安の役で多くの婦女子を含む日本人が惨殺された事など完全に忘れている、さらに「死ねば仏」的感覚を持つ、無学祖元の教えを受けた執権・北条時宗は、モンゴル・中国・朝鮮の戦死者をも日本の戦死者と平等に鎌倉に円覚寺を興して(えん)(しん)平等に追悼した。 
日本の総理大臣の靖国参拝に対しての賛否は留保するが、戦争犯罪を非難する日本人も死者を追悼する気持ちを持っている、しかし儒教と歴史に学びこれを重要視する中国人は唾を吐きかけても飽き足りないだろう、一例を挙げれば杭州に愛国者とされる岳飛の廟があるが、岳飛を陥れ死罪にした宰相秦檜夫妻の像がある、これは夫妻を罵り吐唾する為に作られていると言う、また中国は古来より精度の高い歴史書を残す国であるが現在の中国に於いて政治体制から正確な歴史評価及び教育が為されているとは考えにくい。
総理大臣の靖国参拝の違法性を言う憲法学者、故芦部信喜氏は「‐‐‐伝統神道は、味方よりむしろ滅ぼされた敵を手厚く祀るが、靖国神道は自国の犠牲者のみを祀り、敵を祀ろうとしない、これは靖国神道が欧米の国家主義に影響された事による、日本の伝統を大きく逸脱した新しい神道による」と論じている、芦部説に総て賛同しているわけでがないが、「滅ぼされた敵を手厚く祀る」心を失ってはならない。  

閑話休題、故中村始氏は「日本人には狭い人間関係を重視する傾向があり、それが極端な形態をとると超国家主義となる」と言う。


          

1、光明山寺 平安時代の創建とされ東大寺末であったらしく、蟹満寺の東方1kmに百を超えるとも言われる堂宇を持つ巨大な山岳寺院で蟹満寺も末寺(懺悔堂)であったとの説がある、東大寺要録、巻第6、末寺章第9等に記述が観られる.

注2、釈迦如来の印相 
右手は胸前に置き第一指と第二指で輪形にし、左手は掌平を上にして膝上に置き後補された、一部分木製第三指を曲げている。  

    

真言宗
智山派(ちさんは)            
 所在地  京都府木津川市山城町綺田(かばた)36          п@0774862577  


                         
蟹満寺の文化財     〇印国宝     

釈迦如来  坐像  銅像鍍金 240,3cm 左手指に一部後補・螺髪・光背・台座は失われる    天平時代


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20055102006114 2013年5月26日注1 2017年10月12日 最終加筆     

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