千本釈迦堂‐大報恩寺

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正式名称を「瑞応山大報恩寺」と言い通称千本釈迦堂の名で知られる、応仁・文明の乱に於いて西側の本陣が設けられた処で、行政区域とは違うが通常は西陣と呼称されている、因みに東側の本陣は現在の相国寺周辺に置かれていた様である。   
飛鳥時代創建とする伝承もあるが1227年求法上人義空の創建説が有力とされる、1951年の本堂大修理で棟札及び棟木に安貞元年
1227年)の記述が見つけられた、因みに千本とは平安京北郊の地名で一説には卒塔婆の数とも言われている。
当初は ・倶舎 天台真言の三宗兼修の寺であったが変遷を経て現在は真言宗智山(ちさん)派に属する。
1363年足利尊氏の命で涅槃講が行われ、以後民衆の信仰を集めて現在においても嵯峨釈迦堂と並んで千本の釈迦仏として親しまれている。
国宝の本堂
(釈迦堂、昭和29年本瓦葺から桧皮葺きに変更)は1227年の上棟で純和様に仕上げられ、日本に於ける和様建築の代表的な一堂とされる。
大報恩寺周辺は応仁の乱の主戦場であり、1730年の大火で伽藍を焼かれたが本堂は奇跡的に罹災を免れて、広隆寺の講堂と共に京都の旧市街に於いて最古に属する建築として貴重な存在である。
本堂補修の資材には足利時代義満の時代に建立され、1670年に解体された北野経王堂
(願成就寺)の用材が使用されている、因みに北野経王堂は巨大な建築(桁行き19間約58m:梁間16間約47mであり江戸時代建立の東大寺大仏殿を凌いでいる、当時に於いて我が国最大級の建築物であったと言えよう、千本釈迦堂に優れた仏像や文化財が多いのは経王堂に存在していた当時全盛を謳歌した足利義満の遺品が集められているからである。
大報恩寺には鎌倉彫刻界の著名な佛師の作品が多く存在しており仏像愛好者の必ず訪れる寺の一つである、本堂には板壁仏画もあり「徒然草」
(注3に「釈迦念仏」と詠まれた重文指定の釈迦如来座像(行快作)十大弟子立像作)・六観音菩薩像定慶作)・釈迦誕生佛・千手観音などが近年多湿に対応出来る様に改装された霊宝館に展示されている。
また当寺に伝わるおかめ伝説に伴う守護神的な信仰から建築関係者、特に大工職の参詣も多い、おかめ伝承とは本堂建立の刻み段階に於いて柱を誤って短く切断し困惑していたが、棟梁・高次の妻の助言で「斗供(ときょう)」を用いて窮地を脱するが、おかめは亭主の威厳を案じて上棟を待たず自害する、高次は妻の冥福を祈願しておかめ塚(宝篋印塔)を建立したと言う。 
大報恩寺では三日の「おかめ節分」と言う祭事が行われる、三月二十二日には「釈迦遺教経会(ゆいきょうぎょうえ)」即ち釈尊が入滅直前に十大弟子達に説法した情景、略して遺教経会が行われる、また十二月七~八日の「成道会」に大根を煮て参拝者に振舞うダイコ炊きが知られる庶民の寺である。
真相は知らないが、舎利弗の持つ麈尾(しゅび)は儒教に於ける天主の講釈時に持つ麈尾(現在は払子(ほっす)が使われている)が原点かもしれない。 

十三参りと言われる風習がある京都は十三仏信仰が篤い、十三仏霊場があり ・1智積院不動明王 ・2清凉寺釈迦如来 ・3霊雲院(文殊菩薩) ・4大光明寺普賢菩薩 ・5大善寺(地蔵菩薩 ・6泉涌寺(弥勒菩薩 ・7平等寺因幡堂(薬師如来 ・8千本釈迦堂千手観音9仁和寺勢至菩薩10法金剛院(阿弥陀如来 ・11法観寺阿閦如来 ・12東寺大日如来 ・13法輪寺虚空蔵菩薩)の著名寺院が参加していたが、戒光寺髄心院20147月、霊雲院と法観寺の退会を受けて参加した。 


 

真言宗智山派
            所在地   京都市上京区今出川七本松上ル       ℡ 075-461-5973        
                      

報恩寺の文化財  表内は国宝   ●印重要文化財  

名    称 

名                 称 

時   代 

本堂(千本釈迦堂)  

寝殿造 桁行き5間,梁間6間,入母屋造 檜皮葺   

鎌倉時代   


釈迦如来坐像 木造漆箔 玉眼 89,3cm 鎌倉時代(行快作) 像内に「巧匠 法眼行快」と朱漆で記述。   


十大弟子立像 十大弟子とは釈尊1250人の弟子の内、特に優秀な弟子達である。
 木造彩色 玉眼   鎌倉時代(快慶作) 

1, 舎利弗    95,0cm  
2,
 摩訶目犍連 97,2cm  
3,
 摩訶迦葉  94,4cm  
4,
 須菩提    98,6cm  
5,
 富楼那弥多羅尼子 96,2cm  
6,
 摩訶迦旃延 99,2cm  
7,
 阿那律    96.8㎝
8,
 優波離    95,8cm  
9,
 羅睺羅    98,0cm  
10
 阿難陀    96,0cm                                

             ルビ等は仏像編三尊形式の項参照  
 

●六観音菩薩像(六尊)木造玉眼 鎌倉時代 慶派佛師で肥後別当法眼・定慶の作 
聖観音  177,9cm
千手観音  180,0cm
十一面観音 180,6cm
如意輪観音  96,1cm
准胝観  175,7cm
馬頭観音  173,3cm の六観音が揃う寺は稀有である。 

●釈迦誕生佛 銅像 535cm 鎌倉時代  322日開示 
●千手観音立像 木造 165,9cm 藤原時代  


注1、 (ぎょう)(かい)快慶の弟子、佛師の項参照

2、六観音とは浄土信仰と共に中国で生まれたもので、輪廻に難儀している衆生を救済する目的で初められた様であり、大悲観音・大慈観音など六尊を拝んで六道輪廻から抜け出す手段と考えられた、六観音には救済に赴く六道に夫々の担当があり以下のようになる。
・地獄道――聖観音菩薩 
・餓鬼道――千手観音菩薩 
・畜生道――馬頭観音菩薩 
・修羅道――十一面観音菩薩 
・人間界――准胝観音菩薩 
・天上界――如意輪観音菩薩とされている。

注3、徒然草に「千本の釈迦念仏は 文永の比、如意上人 これを始められけり‐‐‐‐」と書かれている。



2011416日経王堂 2013515日 2014年10月31日 2018年5月31加筆

   
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