来迎院


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山号を魚山と言う、観光地と化して久しい大原の地に喧騒と隔絶した世界を満喫できる古刹がある、三千院から東呂川沿いに上ると来迎院がある。   

838年入唐し在唐9天台宗に浄土信仰を請来した慈覚大師・円仁が声明念仏の修錬道場を興したのは大原寺(だいげんじ)が嚆矢とされる、大原寺から「おおはら」と呼ばれ地名が生まれたとされる、言霊信仰とでも云うべきか言葉や声から発せられる霊妙な威力は如何なる宗教にも欠く事は出来ない。   

栄華を極めた天台宗も制度疲労を起こし陳府化した比叡山を離れた念仏聖達の聖地となった処である。
来迎院は現在観光地として俗化が著しい大原に一服の清涼剤を与えている。
大原は1013年後に法然も参加しての大原談義で知られる勝林院が完成する、1109年には聖応大師・良忍が建立し魚山流声明の完成し魚山大原寺と呼称し声明のメッカとして君臨した、最盛期には49の堂宇を持ち三尊院と呼ばれたが15世紀前半火災で焼失する、現在は如来が三尊安置されているが本来は夫々別の堂宇の中尊であった。

閑話休題、声明念仏とコーランの共通点を挙げると、コーランははアラビア語からの翻訳は禁じられている、サジュウsaj`と言う文体が使用されている、サジュウとはヒンズー教や仏教の陀羅尼や声明と同様の呪文効果がある、アラビア語に於ける美文すなわち(いん)を多用した修辞上の呪語である。


       

 天台宗    所在地 京都市左京区大原来迎院町537       п@0757442161 

  

 

来迎院の文化財      

   伝教大師度縁案ならびに僧網牒一巻 三通東京国立博物館寄託     ○   日本霊異記  中 下巻   一帖     京都国立博物館寄託 

    薬師如来  坐像 木造漆箔    89,7cm   鎌倉時代 

    釈迦如来  坐像 木造漆箔    58,8cm    鎌倉時代 

    阿弥陀如来 坐像 木造漆箔    59,4cm    鎌倉時代
その他 不動明王  毘沙門天  
慈覚大師 元三大師 聖応大師などの像   

 

1、 良忍 聖応大師)   1073年〜1132 

尾張の国富田(愛知県東海市)の出身で13歳の時に比叡山に学ぶ、園城寺に於いて大乗戒・仁和寺では曼荼羅の両部戒の灌頂を受け21歳の若さで顕密両教に精通する。 

23歳で覚りを求めて来迎院に入る、融通念仏宗の開祖であり天台の魚山流声明の完成者ある、晩年には念仏合唱曲を作り、念仏の功徳は一切の衆生に融通し、他人の称える念仏行にも融通し己の功徳と成ると言い融通念仏宗が誕生する。 

天台僧時代には無動寺明王堂に於いて千日間にはだし参り等の苦行や勧進活動を行った。
節をつけて謡うように念ずる梵唄(ぼんばい)すなわち声名の完成者であり五木寛之氏は百寺巡礼に於いて良忍をして「日本音楽の祖」と言う。  


2、如来三尊を持つ寺院に鎌倉五山第四位に位置する古刹・浄智寺には三世仏(過去・現在・未来)が安置されており釈迦如来・阿弥陀如来・弥勒如来の坐像が存在する(指定外)

3、 如来蔵特別公開 51日〜10日  111日〜30日 

2007128日 2017年12月3日 

  

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