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「京都大原三千院 恋に疲れた女がーーーーー」歌謡曲の大ヒットを契機に一大観光地に変貌したと言える、門前に商店街が出来たり、高僧らしい人を乗せたナンバープレート3000番の高級車が出入りする姿を見ると「末法燈明記」が脳裏をよぎるが行き先はnaraka への道かも知れない、大原の地は称名念仏の郷である、世俗を捨てた念仏行者の隠棲地でありで参詣者は稀であった。
三千院の呼称は1871年(明治4年)以降であり、それ以前は円融房、梨本房、円徳院、梶井宮を呼称していた、三千院とは天台のメイン教義で、中国天台の祖・天台智顗の教えで”
山号を魚山と言う、当院銘々の由来は「一念三千観」一念すれば三千を具する、
平安時代後期から幕末まで歴代に亘り皇室が門跡に就任しており、いわゆる宮門跡として天台声明の修行地として比叡山延暦寺の根本中堂・法華堂・常行堂を管領としていた、因みに明治維新即ち1871年には円満院から覚諄入道親王が還俗し梶井宮を経て
三千院の主な堂宇は宸殿・客殿・往生極楽院・不動堂(奥の院)等々で構成されている。
2002年6月26日,国宝に指定された往生極楽院(阿弥陀堂)の阿弥陀三尊像は来迎に出発する直前の姿勢ある、「大和坐り」とも呼ばれ腰を、やや浮かせた来迎姿で定朝様を踏襲している秀作である、真如房創建になる往生極楽院の両脇侍は両膝を床に付け、
製作年、願主、願意等が判明している像は珍しい、定朝様であるが木寄せ構造は三尊とも工法に共通点が多く形式的に整った衣文や装飾性を抑えた光背と須弥座形式の台座に特徴が観られる、因みに蓮台を持つのが観音菩薩であり、合掌印を結ぶのが勢至菩薩である、往生極楽院は須弥山の頂上近くを示しており、現在は南向きであるが、当初は西方浄土を観られる東向きであった。
また往生極楽院の天井は船底天井であり,浄土寺の小屋裏を化粧天井にした構造と対照的で、三尊像のサイズとバランスを欠くが特異な様式である。
三千院の本堂に相当する宸殿には本尊・薬師如来は秘仏であるが最澄の作とされる、また不動明王は
また当寺は名庭として名高い
上下二面の美しい庭園を有し、関連する境内の一角を東洋の宝石箱と形容した作家もあるが、歌謡曲にまで歌われ信仰に無縁な人々にも広く知られる様になる、春は桜等秋は紅葉で知られ喧噪に包まれた観光地と化した観がある、アンシャン レジーム(Ancien Régime)
西国薬師を巡礼する霊場に薬師如来を本尊とする49寺が参加しており、三千院門跡は45番札所となっている。
この山里には安徳天皇の母・建礼門院が住んだ寂光院があり、三千院から東呂川沿いに登ると来迎院がある、この来迎院には鎌倉時代の如来像群が拝観出来て周囲の喧騒と隔絶した清浄な情景を堪能できる。
また幻の大津宮の時代から貴族たちの隠棲の地であった可能性が高い大原は天台声明の中心地でもある、円仁が請来し大原で良忍(1073~1131年)が完成させた声明集が重要文化財指定を受けている、円仁は天台山を目指すが叶わず五台山に登り称名念仏に出会う、これが良忍を経て法然・証空と辿り踊り念仏の一遍に至る。
注1 、門跡寺院宗派一門の祖師の法脈を継承する寺の事を言い「門葉門流」と言った、平安時代後期になると皇族や公家などが出家して代々入寺する格式の高い寺を言うようになる、塀には5本線を入れる事が許された、江戸時代に宮門跡( 天皇家の入室)親王門跡(宮家から入室) ・攝家門跡(五摂家) ・清華門跡(公家)・准門跡(脇門跡・真宗系)・尼門跡(中宮寺・円照寺・法華寺、等)に分類された、但し1871年に公的な門跡寺院制度は廃止されたが門跡を呼称する事は許された、ちなみに門跡寺院とその門主は南都仏教と同じく葬儀の祭主を務める事は無かった。閑話休題、寺院と言う呼称は寺家と院家の合成語である、寺家は祖とその弟子の住僧を言い、寺の別舎で高僧達が日常生活を営む場所を院家と呼んだ。
注2、
尾張の国富田(愛知県東海市)の出身で13歳の時に比叡山に学ぶ、園城寺に於いて大乗戒・仁和寺では曼荼羅の両部戒の灌頂を受け顕密両教に精通する。融通念仏宗の開祖であり天台宗の魚山流声明の完成者ある、晩年には念仏合唱曲を作り、念仏の功徳は一切の衆生に融通し、他人の称える念仏行にも融通し己の功徳と成ると言い融通念仏宗が誕生する、五木寛之氏は百寺巡礼に於いて良忍をして「日本音楽の祖」と言う。 (百寺巡礼・講談社)
天台僧時代には無動寺明王堂に於いて千日間にはだし参り等の苦行や勧進活動を行った。
注3、会津大仏と呼ばれ著名な三尊像がある、 三千院と共通点を持つ大和座の阿弥陀三尊像(重文)が、願成寺(福島県喜多方市上三宮町上三宮籠山)にある、 木造漆伯玉眼三尊坐像中尊240.9cm 観音125.7㎝ 勢至133.0㎝ 鎌倉時代 。
注4、声明とは円仁が招来したもので、インドのバラモンが学修すべき五明の一つで、経典を詠む為に節をつけるものである。声明の聖地は大原であるが、三千院の天台宗のほかにも、真言宗など多くの宗派が採用している、内容的には経典の偈頌すなわち内容を詩で表し、節を付けて称えるもので、仏の徳を称えるもの偈が多い、声明には呂律が重要で、巷間では「ろれつがまわるらない」等に使われる、呂律の語源は聖地である大原の里に流れる呂と律川から採られている。
天台宗 本尊 薬師如来 所在地 京都市左京区大原来迎院町540
℡ 075-744-2531
三千院の文化財 ○印国宝 ●印重要文化財
往生極楽院
○阿弥陀如来 三尊像 木造漆箔 中尊(来迎印)19、5cm 観音131,8cm(跪坐・両手上に蓮) 勢至130,9cm(跪坐・合掌印) 本尊・来迎印(上品下生) 藤原時代
宸殿内仏殿(拝観否)
●不動明王立像 木造 88.8cm 鎌倉時代 4月28日~5月5日開扉
●不動明王立像 木造 平安時代 円珍感得の伝承を持ち元往生極楽院の尊像で黄不動の彫刻像 2008年指定
●救世観音半跏像 木造漆箔 玉眼 38.8cm 鎌倉時代 胎内に五カ条の願文 1246年の造像であるが飛鳥様式を踏襲した尊像である。
●往生極楽院(常行三昧堂・本堂・阿弥陀堂)桁行四間 梁間三間 向拝1間 入母屋造 船底天井 柿葺き 平安時代 寂光院の文化財
●地蔵菩薩立像 木造漆箔 256.4cm 鎌倉時代
●その他 性空上人伝記遺続集 四天王寺縁起残巻 古文孝経 帝王系図 三千院円融蔵典籍文、多数
来迎院の文化財
●阿弥陀如来坐像 木造漆箔 59,4cm
●釈迦如来坐像 木造漆箔 58.8cm 何れも鎌倉時代
2005年11月30日声明解説 2008年1月19日「日本音楽の祖 2011年7月22日 2013年12月19日大和坐り 2015年3月4日 2017年8月16日 2018年5月17日 2019年3月2日 2021年12月21日
加筆
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