高山寺  (こうざんじ)

                               仏像案内     寺院案内    佛教宗派    世界文化遺産

山号は(とが)尾山(のおさん)と言い、774年創建の光仁天皇による勅願の寺とされる、平安時代に天台僧・尊意によって開かれた同じ呼び名の古刹・度賀尾寺が寂れていた、これを明恵が再建し神護寺の末寺にしたのが始まりとされる、しかし文覚の流罪と共に再び荒廃するが後鳥羽上皇の命を受けた華厳僧・明恵(みょうえ)(注2の手により華厳宗の道場として再興される。
明恵の思想は「釈迦に返れ」であり仏教の原点を見つめた確固たる信仰心であった、当時は鎌倉佛教の興隆期であった為、華厳の教理を基本としながらも戒・密・禅を教義に加えて頽廃した南都佛教の改革に尽力した、これには明恵に肩入れした荒行僧・文覚の流罪解除後の存在もある。
明恵の念持仏に仏眼仏母像が著名で尊格が月の如く白く輝く、と「金剛峯楼閣一切瑜伽祇経」に書かれており国宝に指定されている。
一度は伽藍整備されたが応仁・文明の乱に於いて被害を受け江戸時代に復旧をみたが明治に入り焼失し、文化財としての建築は後鳥羽上皇の賀茂別院から移築されたという国宝・石水院を残すのみである、因みに高山寺の金堂は仁和寺の支院である真光院から移された堂宇である、但し真光院
(双ヶ岡東麓)は応仁の乱で壊滅した仁和寺が1634年までの170年間法燈を守った寺である。

最盛期には運慶に依る毘盧遮那仏快慶釈迦如来像を所持していたが応仁の乱などで総てを失う、しかし当寺には鳥羽僧正・覚猷(かくゆう)筆とされる鳥獣人物画や前述の佛眼佛母絵など貴重な国宝・重要文化財の寺宝が多くある、但し制作年代や作風に相違があり覚猷作には疑問視されている、一説には著名な密教仏画師達のプライベート画とも言われている。


      
華厳・真言兼宗寺院から真言宗御室派
(仁和寺末)現在は単立寺院 


1、 文覚(もんがく) 鎌倉初期の真言宗の僧、生没年不詳、遠藤盛遠といい鳥羽天皇の皇女に仕えた武士であった。
出家後諸国霊山を巡って修行し京都に帰って高雄神護寺の復興を企図して勧進活動を行ったが、後白河法皇に神護寺への荘園寄進を強訴したことから伊豆に流罪にされた。
流罪先で源頼朝と知己を得て彼に挙兵を進言しとされる、鎌倉幕府成立後は頼朝の信任厚く、京都と鎌倉を往復、諸国の情勢を頼朝に伝える諜報活動を行う。
頼朝の協力で神護寺は復興するが頼朝が死去するとともにその地位を失い新たに朝廷内に台頭した源通親によって佐渡へ流罪、源平盛衰記に長谷観音の申し子としての記述がある。

2、明恵 鎌倉時代前期の華厳僧で観行・戒律を重要視し顕教及び密教の復興に努める、聖道門すなわち菩提心の必然を言い、法然の浄土門を烈しく批判する、著作に「四座講式」「摧邪輪(ざいじゃりん)」などがある。  

所在地   京都市右京区梅が畑栂尾町8       п@075861-4204

高山寺の文化財  表内は国宝   ●印重要文化財    

名     称

適                用

 時  代 

 石水院 (五所堂) 

 入母屋造 柿葺 桁行三間 梁間三間 正面一間庇 菱格子に特徴

 鎌倉時代 

 鳥獣人物画

 紙本白画  甲乙丙丁の四巻     東博寄託  当寺には複製

 鎌倉時代

 佛眼佛母絵

 絹本著色 197,0×127,9cm  尊格が月光の輝く      京博寄託

 鎌倉時代

 華厳宗祖師絵伝

 紙本著色  華厳縁起 6巻 恵日房成忍筆 巻子装 京博寄託

 鎌倉時代

 明恵上人像

 紙本著色    145,0:59,0cm    京博寄託

 鎌倉時代

 玉篤巻

 大二十七前半

 唐 時代

 冥報記

 三巻

 唐 時代

 篆隷(てんれい)萬象名義

 六冊

 平安時代


薬師如来立像(東博寄託)木心乾漆 漆箔 73,6cm 天平時代    

●白光神立像 木造彩色 玉眼 42,3cm 鎌倉時代 明恵上人坐像 木造彩色 玉眼 83,0cm 鎌倉時代  鬱多羅迦(うたらか)神とも言う。

●善妙神 立像 木造 310cm  鎌倉時代  

●狛犬 四対 木造 鎌倉時代 

●如法経塔 石造 鎌倉時代 

●宝篋印塔(ほうきょう) 石造 鎌倉時代  

●将軍塚絵巻 紙本白描 巻子装 38,0×380,0cm 鎌倉時代 

●伝弥勒菩薩像 絹本著色 80,9×424cm 鎌倉時代  菩薩像

●熊野曼荼羅図 絹本著色 掛幅装 98,0×38,2cm 南北朝時代 

文殊菩薩像 絹本著色 掛幅装 150,0×78,8cm 鎌倉時代 

●明恵上人像 木像 彩色 玉眼  83,9cm  鎌倉時代 

●不空三蔵像 絹本著色 掛幅装 120,9×58,8cm 南宋    

●厨子 月輪形 (弥勒菩薩納)黒漆 蒔絵 螺鈿 厨子H12,5cm 弥勒像83cm 鎌倉時代    

●大唐天竺里程書  紙本墨書 16,7×64,5cm   鎌倉時代

●不動明王立印儀軌修行次第 1巻  「不動明王立印儀軌修行次第」とは天台宗を真言密教とまで呼んだ延暦寺の安然(841901)の著作で不動明王を観想する為の19の特徴を示したもので「身卑しく肥満せり」 「左目一眼を閉じ右目一眼を開く」 「下の歯は上の右唇を喫し下の左唇は外へ翻り出す」 「色は醜青黒」 「奮迅憤怒す」等を表したもので真言宗にも影響を与えた。  
(武覚超氏、最澄と天台の国宝より抜粋)
●輪宝羯磨蒔絵舎利厨子 鎌倉時代〜南北朝時代    他多数


2005124日 注1、加筆  明恵釈迦に返れ200619日  20101029日 2014112日一部加筆

 

 

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