東福寺

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 山号を慧日山(えにちさん)と言い臨済宗(りんざいしゅう)・京都五山(注4の四番目にランクされる古刹で藤原一門の内でも五摂家(注3の中核にある九条家の寺とされていた、衰退していたが一門の藤原忠平が建立した法性寺の境内に建立された寺である。 
摂関家の中でも覇権を持つ関白九条道家の発願による寺で京都に於ける禅刹
(禅宗寺院)としては建仁寺に次ぐ古刹である、命名は道家が東大寺興福寺より一字ずつ採用して東福寺とした。
その頃宋に於いて法系の禅を学んで帰国し崇福寺に滞在中名声が知られていた円爾弁円(えんにべんねん)聖一国師(しょういちこくし)を招いて東山の一画で主に法性寺の敷地に広大な境内を設け禅刹(ぜんさつ)七堂伽藍とされる仏殿・法堂(はっとう)三門・僧堂(そうどう)庫裏(くり)・浴室・
東司(とうす)などの大伽藍を藤原一門の持てる力を結集して創建された、このような大伽藍はさすがの一門でも1230年代から完成まで30年の歳月を要したようである、創建時は新大仏寺とも言われたようで仏殿の本尊・釈迦如来は15mに及び脇侍の観音菩薩弥勒菩薩8.0mに迫る像高であったとされる、閑話休題、方丈(ほうじょう)であるが禅宗の住持職(住職)の居室を言い、維摩居士の居室が方一丈が(一丈四方、約3mであった故事による
同じ一門で藤原忠平の興した法性寺は広大な敷地の略全域を東福寺に奪われ、見る影もない没落の悲嘆があった事だろう、ここに栄枯盛衰の無常観を見る。
この大伽藍の規模は広大なもので「東福寺の伽藍面」とまで言はれていた,これは京都人が禅宗寺院を揶揄したもので他に「妙心寺の算盤ずら」 「大徳寺の茶ずら」 「建仁寺の学問ずら」と口ずさまれた、これ等を禅宗面とも言う。 
創建後数回の火災遭うが復旧し応仁の乱にも罹災は免れたが残念にも明治十四年
1881年)の火災で開山堂・三門・禅堂・東司・経蔵を残して失う。
円爾弁円であるが当初より禅刹としての形態を整えてはいたが入宋以前に天台教学を学んでいた為か、また建仁寺に於いて栄西が比叡山の圧力に苦しんだ教訓からか台密禅の三教兼修の道場として発足させた。
灌頂堂には両界曼荼羅真言八祖の画像を、また回廊には天台六祖・真言八祖の画像を置き更に阿弥陀堂には天台僧を配置するなど各宗派に配慮を見せている。
尚1934年再建の金堂は奈良・薬師寺金堂の再建までは昭和の木造建築としては最大の規模を誇った、また東福寺の建造物で唯一国宝の三門は、日本最古の三門として、規模に於いて江戸時代に建立された知恩院に譲るが、禅宗の三門では最大の規模で、二階二重門で「伽藍面」に相応しい東福寺のエントランスを飾り象徴的意味を持つ、楼上の仏像群は室町時代の作で比較的新しいが宝冠阿弥陀如来を主尊に脇侍が稀有で月蓋(げっかい)長者・善財童子を置き十六羅漢を配置している、また頂像の傑作像に円爾弁円の師で南宋の高僧・無準師範像が国宝指定を受けている、また法堂に置かれた焼失から僅かに免れた大仏の手が安置されている。
現在の東福寺は三橋川に架かる偃月橋であろう、全長21m・桁巾2,2mの規模を持つ、通天橋・偃月橋(えんげつきょう)から下を眺める洗玉澗(せんぎょくかん)、渓谷などは紅葉の名所である、方丈庭園を橋から俯瞰しても、煽ぎ観ても絵になる、また方丈の周囲に設定された八相の庭は新しいが釈尊の八相成道(6)を庭園化したとされ見逃せない景観であろう。
3月14日~16日の涅槃会の間、三門開扉に合わせて東福寺の画僧・吉山明兆
兆殿司(ちょうでんす)の手になる我が国最大の涅槃図(重文)が公開される、因みに通天橋の銘々は円爾弁円で中国経山にあった橋名を踏襲したとの説がある
京都には京都五閣とも言われる名建築がある、京都三名閣と言われる鹿苑寺の金閣 ・慈照寺の銀閣 ・本願寺の飛雲閣に ・大徳寺の呑湖閣 ・東福寺の伝衣閣を加えた名閣を言う。
現在は塔頭寺院25寺・末寺350余を有する臨済宗東福寺派の大本山である、同一境内に塔頭寺院が多く存在するが、同聚院には大佛師・定朝の父、康尚の作とされる我が国の指定文化財のなかで最大の不動明王
(265,1cm)像がある。
    

所在地    京都市東山区本町十五町目       ℡ 075-561-0087
                      
東福寺の文化財     表内は国宝    ●印重要文化財

名       称

適                 用

 時  代 

 三門  (三解脱門) 

 重層構造で上層に宝冠阿弥陀如来像・十六羅漢像

 室町時代   

 無準師範像

 絹本著色 124,8:55,cm 1幅 弁円の師

 鎌倉時代

禅院額字ならびに牌字   

  

 

 宋版太平御覧

 一〇三冊

 

 宋刊本義楚

 六帖 十二冊

  

 無準師範像墨蹟

 一幅  園爾印可状

 鎌倉時代


●東福寺伽藍図 伝雪舟筆   涅槃図 紙本 H15.0m W8。0m  室町時代  吉山明兆(兆殿司)作 

●支那禅刹図式(大宋諸山図)  

●聖一国師像絵など絵画多数 

●三門 5間3戸楼門 本瓦葺 室町時代(内部公開・3月14-16日) 

●禅堂 桁行9間 梁間6間 重層 切妻造 本瓦葺 室町時代  東福寺に於ける最古・最大の堂宇 

●東司 梁間4間 桁行7間 切妻造 本瓦葺 室町時代  

●浴室 梁間3間 桁行4間 切妻造 本瓦葺 室町時代  

●常楽庵開山堂(昭堂)桁行8間 梁間3間 入母屋造 桟瓦葺 室町時代 

●鐘楼(旧万寿寺)桁行3間 梁間2間 入母屋造 桟瓦葺 室町時代 

●梵鐘 銅鋳造 1545cm 100,0cm 天平時代 

●月下門 四脚門 切妻造 桧皮葺 鎌倉時代  

●六波羅門 1間 棟門 切妻造 本瓦葺 鎌倉時代 

●仁王門 八脚門 切妻造 本瓦葺 桃山時代 

●偃月橋 全長21m桁巾2,2m 脚5基 切妻造 桟瓦葺 桃山時代 

●円爾弁円像 絹本著色 掛幅装 92,540,6cm 鎌倉時代 

●円爾弁円像 絹本著色 掛幅装 87,037,6cm 南北朝時代  

●五百羅漢像(伝明兆筆45幅)絹本著色 掛幅装 172,789,7cm 南北朝時代 

●四十祖像 (伝明兆筆40幅)紙本著色 掛幅装 113,044,0cm 室町時代  
●釈迦三尊  迦葉 阿南 立像他  

*龍吟庵 
○方丈 桁行16,5M 梁間12,0M 入母屋造 柿葺  

●大明国師坐像 木造彩色 玉眼 81,0cm 鎌倉時代  11月公開。

*光明宝殿
●地蔵菩薩坐像 木造 85,2cm 鎌倉時代

●阿弥陀如来坐像 木造彩色 281,8cm 平安時代

●伝円爾弁円像(僧形坐像) 木造 82,8cm 鎌倉時代

●二天王立像 木造彩色 阿形 336,8cm 吽形 333,5cm 室町時代 

*本堂(仏殿)
釈迦如来迦葉・阿難 立像 
   鎌倉時代   2008年指定

1 三門 (山門)   仏界即ち覚りの世界と娑婆(現世 dṛṣṭa-dhārmika)の境界である、三門は主に禅宗伽藍の門を言い、・空解脱門・無相解脱門・無願(作)解脱門の三解脱門の略称とされる解釈と、三乗すなわち声聞・縁覚・菩薩の通る門とも言われる、当初とは意味合いを異にしており三門は三つの門即ち南門・東門・西門を言い、また中央に大門を置き左右に小門を配置した、後に左右が廃止されても三門と呼ばれた。 もう一つの説とっして、山門(三門)は結界を表している、結界siimaabandha)とは聖域と俗域の境界を言う即ち清浄な領域と不浄の領域との区切る処である。
また密教では・国土結界・道場結界・檀上結界があり、高野山や比叡山は国土結界とし、護摩修法等の場合は壇上結界とされている。
山門は正門を意味している、山岳寺院の多い禅宗系では山門と呼称されている、禅宗寺院の正門を意味し他宗寺院の中門にあたり南大門にあたる門は総門と呼ばれる説とがある。
東福寺大徳寺等禅宗寺院の三門が著名であるが、様式を踏襲した知恩院(国宝)などの例外もある、三解脱門は空門・無相門・無願門の三境地((さん)三昧(ざんまい))を経て仏国土に亘る、因みに三解脱すなわち菩薩への境地、・空解脱門・無相解脱門・無願解脱を言い、一例を言えば無相解脱とは全ての執着を除外した心境を言い、無作とは自然のまま即ち無為をいう。 
また七堂伽藍の七は総てが揃うという意味を持ち数には拘らない。


注2、臨済宗には「大徳寺の茶面」、「妙心寺の算盤面」、「東福寺の伽藍面」と面(つら)で特徴を呼ばれた寺は多い。

3, 五摂家(藤原摂関家) 鎌足を祖とし不比等に引き継がれ長く朝廷を支配した一族で歴代天皇の外戚を続け日本史の中でも藤原時代の名称まで残し天皇家に次ぐ名門。
不比等の子供達の系列から凄惨な確執を繰り返した後10世紀(藤原時代)には藤原武智麻呂(むちまろ)の南家に対して藤原房前(ふささき)の北家が覇権を持つ、鎌倉時代に五摂家に別れ近衛基実から・近衛家・鷹司家、 九条兼実から・九条家・二条家・一条家となり摂政関白を独占する、中でも近衛家が覇権を所持していたが頼朝追討宣旨で失脚し九条家と覇権を分け合う様になる。

4、 臨済宗には本山を「ずら」呼びする風習があり・大徳寺の「茶ずら」・妙心寺の「算盤ずら」・東福寺の「伽藍ずら」・建仁寺の「学問ずら」・相国寺の「声明ずら」などと呼ばれていた。

5、 臨済宗の京都・鎌倉五山  

 寺  挌 

五山の上

① 

② 

③ 

④ 

⑤ 

 京都五山   

 南禅寺

 天竜寺 

 相国寺 

 建仁寺 

 東福寺 

 満寿寺 

 鎌倉五山 

   

 建長寺 

 円覚寺 

 寿福寺 

 浄智寺 

 浄妙寺 


6、釈迦八相  釈尊の ・入胎 ・誕生 ・処宮 ・出家 ・降魔 ・成正寛 ・転法輪 ・入涅槃 を言う。

注7、 
塔頭寺院とは本来は禅宗を将来した時点で呼称されたものである、それ以前は子院、院家、寺中、等と呼ばれ本院を維持する僧侶の生活拠点や公家等高僧の隠棲場所を言われた。


   
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最終加筆日200492  2006年1月5日忠2、他  20071115日 三門楼上 2014年1月6日通天橋銘々の件 2017年4月15日加筆

   

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