牛皮山・曼荼羅寺が存在した場所にあり
真言宗小野流の祖で
牛皮に曼荼羅を描き、戒律から逸脱する特異な伝承を持つ仁海は空海の弟・真雅の弟子で呪詛に優れており貴族の病平癒の呪詛や雨乞いの祈祷を何度も行い朝廷や藤原摂関家の帰依を篤くした、五世住持・増俊の時随心院を名乗り、1229年七世・
天皇の祈願寺となり荘園等寺領を所持していたが応仁の乱で大伽藍も姿を消す、江戸時代復興に兆しを見せ1907年には小野派として独立するが、摂関家の衰退もあり1931年空海に生誕地にある
善通寺の傘下に入る。
随心院の本堂には本尊として真言僧が伝法灌頂を授かる為の行すなわち
その他の文化財に薬師如来坐像(平安時代)・円珍の作と伝えられる不動明王像・小野小町作と言う文張地蔵菩薩・小町の三十六歌仙等がある。
当寺は小野小町ゆかりの寺でもあり小町が使用したとされる化粧井戸等がる、地名の小野姓は小野東風・小野小町等の著名人を輩出した豪族で付近に遺稿が散在しており深草少将の悲恋物語の場所でもある。
随心院は醍醐寺・法界寺に近接しており小野小町邸宅跡の伝承があり文張地蔵・文塚など遺跡文化財は豊富に存在するが小町伝承は日本各地に存在する、また池泉鑑賞式庭園は国の史跡指定を受けている。
随心院は五摂家(注2)、特に九条家・二条家・一条家から住持が入る様になり1229年には門跡寺院の指定を受けた。
真言宗小野流・三宝院流などに於いて如意輪観音は特に重要な菩薩で阿闍梨に成る為の伝法灌頂を受ける際に修行者が最初に出会う仏である、すなわち前行で拝する礼拝行の本尊である、この修行は俗界と離れた厳しい修行を言い「四度加行」と呼ばれ四段階があり1、十八道法 2、金剛界法 3、胎蔵界法 4、不動護摩法の修法を言う、四度加行の前行である礼拝行の本尊が如意輪観音である、小野流三派とされる派は随心院流・観修寺流・安祥寺流を言う。
阿闍梨とは阿舎梨・阿闍梨耶とも書き、梵語 ācārya(アーチャリーア)の音訳で、意訳をすれば師・規範となる、教団の高位の指導者を指し空海も唐に於いて師の阿闍梨恵果より伝法阿闍梨位灌頂を受けている。
灌頂には僧侶以外の受ける結縁灌頂や密教の修行を目指す人の弟子灌頂(受明灌頂)等がある。
阿闍梨の種類は特に選ばれた大阿闍梨、法を指導する教授阿闍梨、灌頂を受けた伝法阿闍梨、高貴な身分の者がなる一身阿闍梨、勅命による七高山阿闍梨などが在る。
前述したが随心院は小野流の本丸であり淳裕・元杲・仁海・成尊の中で天台の良源や清凉寺 を開いた奝然などが学んでいる。
ちなみに大覚寺・仁和寺に代表される広沢流の前行に於ける礼拝行の本尊は大日如来である。
京都は十三仏信仰が篤く十三仏霊場があり智積院(不動明王) ・2清凉寺(釈迦如来) ・3霊雲院(文殊菩薩) ・4大光明寺(普賢菩薩) ・5大善寺(地蔵菩薩) ・6泉涌寺(弥勒菩薩) ・7平等寺因幡堂(薬師如来) ・8千本釈迦堂(千手観音)・9仁和寺(勢至菩薩)・10法金剛院(阿弥陀如来) ・11法観寺(阿閦如来) ・12東寺(大日如来) ・13法輪寺(虚空蔵菩薩)の著名寺院が参加している、2014年7月に髄心院と戒光寺は霊雲院と法観寺の退会を受けて入会した。
真言宗 善通寺派大本山 所在地 京都市山科区小野御霊町35 TEL 075-571-0025 本尊 如意輪観音菩薩
●阿弥陀如来 坐像 木造漆箔 86,1cm 藤原時代 (定朝様)
●金剛薩埵 坐像 木造漆箔 101,8cm 鎌倉時代 (快慶作)
●随心院文書
●愛染曼荼羅 絹本著色
●蘭亭曲水図 紙本著色 八曲屏風2双 伝狩野山雪作
注1、牛皮山の山号は仁海が母の生まれ変わりとされた牛が死んだ際に皮に両部曼荼羅を描いたと言う伝承から来ている、仁海は「古事談」「密宗血脈鈔」に奇談が記述されている。
注2、五摂家 藤原摂関家、鎌足を祖とし不比等に引き継がれ長く朝廷を支配した一族で歴代天皇の外戚を続け日本史の中でも藤原時代の名称まで残し天皇家に次ぐ名門。
不比等の子供達の系列から凄惨な確執を繰り返した後10世紀(藤原時代)には藤原武智麻呂の南家に対して藤原房前の北家が覇権を持つ、鎌倉時代に五摂家に別れ近衛基実から・近衛家・鷹司家、九条兼実から・九条家・二条家・一条家となり摂政関白を独占する、中でも近衛家が覇権を所持していたが頼朝追討宣旨で失脚し九条家と覇権を分け合う。
傍系に久我・醍醐・今出川・姉小路・山科・花山院・広幡・三条・西園寺・徳大寺・難波・飛鳥井・冷泉・坊城・日野・烏丸・大炊御門・中炊御門・観修寺等があり本来は全て藤原姓である。
五摂家による禁裏支配制度は後醍醐天皇の御世を除き明治維新まで継続した、1884年に華族令により廃止になり五摂家は華族筆頭として公爵位を授けられた。藤原不比等とは鎌足を父に宮廷歌人額田王と同一人とも言われる鏡王を母に持ち大宝律令・貨幣経済・成文法等を導入して藤原一門の千三百年にわたる栄華の礎を築く。
2006年10月20日 2014年10月24日