曼荼羅(maṇḍala マンダラ)とは経典の神髄、究極の真理とされる内容を観想(イメージ image)して仏画に置き換えた装置 (gadget ガジェト)
佛教(密教)の世界で曼荼羅を要訳すれば「真理の世界を文字で著したのが経典及び
密教の習得は経典や義疏の学習だけでは及ばない程深遠であると言う、習得には様々な修行を必要とする、密教の修行を完成させる為の装置が「曼荼羅」であり「仏像」「法具」「仏画」のパンテオン(Pantheon・神々の組織)である、従って曼荼羅は「密教Pantheon」とも言えよう、但しこれほど本来の目的を離れて多様に使われるタームも少ない、*浄土曼荼羅、*花曼荼羅、*道具曼荼羅、はては*まだら模様までに至る。 ( ギリシャ文字 Πανθειον)
曼荼羅の表現を咀嚼して言えば「仏の世界の
曼荼羅の意味に付いては大日経に記述があり、金剛手秘密主の仏への質問の回答としてとして「諸仏を
曼荼羅の源流は三尊形式にある様で、初期密教経典である「
初期の佛教は梵我一如を否定したが、七世紀にはヒンヅー教に凌駕されると、佛教も否定していた通過儀礼を採用し始めた、曼荼羅は最たる装置であり描かれている宮殿は娑婆(saṃskṛta サハーの音訳 大地の意味も)
密教はあまりにも深遠で言語・思想・概念の領域で語る事が不可能な教義とされる、即ち「言語道断」「
空海は御将来目録で言う「密蔵深玄にして
空海の師である恵果曰く「
密教の法を継承する為に曼荼羅は必要不可欠な一品である、曼荼羅は密教に於いて仏の世界を顕した縮図と言える、曼荼羅の起源は4~5世紀頃と考えられ宇宙に於ける根本原理を具体的に顕したものである、当初は仏像数尊を壇に配置されたシンプルな様式で起源と言える作品はエローラ第十窟に観られると言う、密教の最盛期、即ちパーラ王朝期(730~1175年頃)に栄えて長期間の間熟成されて現在の様な曼荼羅となった。
閑話休題日本人の美意識からは幾何学的構成や対称性を避ける傾向にある、但し曼荼羅に於いてはシンメトリー(symmetry)が守られている稀有な存在と言える、因みに日本人の美意識は茶席等に代表される様に非対称の景観を演出する事に長けている。
即ち4~5世紀頃の移動用祭壇(初期)を起源として日本に伝わる曼荼羅(中期)は6~7世紀のものである、チベット(後期)では8~10世紀で何れもインドの発祥である、中国には唐時代の曼荼羅は残留していないとされていたが、1987年に法門寺(西安)に於いて871年の銘が書かれた金剛界曼荼羅や密教法具が発見された。
マンダラとは梵語に於けるmaṇḍaia
malfala (マンダラ)の音訳であり曼陀羅・曼拏羅と記述される事もある、密教的解釈ではマンダ(maṇḍa・ malfa)は心髄・本質である、 la は取得を意味しており宇宙を構成する地・水・風・空・に識(無・真如)を加えた要素を仏像(大曼荼羅)や象徴具いわゆる象徴する具(三昧耶曼荼羅)・梵字(種子曼荼羅)・立体、動き(羯磨曼荼羅)法具等で表現したものであり、最高の覚りに対する真理の広域空間を表現したものであると言われる、また「真髄の所有」「集合と本質」と咀嚼され、漢訳(旧訳経典)「壇」、「円輪具足」(新訳経典)と訳されている、要するに曼荼羅が作られた目的は移動用祭壇が嚆矢であるが、密教僧が灌頂儀礼や観想を行う為の霊的な必須アイテム(item)に発展したものである、灌頂儀礼を目的とした当初は儀礼を授ける師と受ける弟子と二人で地面に描かれた砂曼荼羅である。
特に真言密教に於いては即曼荼羅の教えとされる、従って真言宗の別称として曼荼羅宗とも言う。
凡ての宗教は新旧を問わずcosmology(宇宙論)を除外して語ることは出来ないが、それに対して具体性を有し表現された事例は少ない、しかし曼荼羅は明確な具体性を持って絵画・彫刻として表現されている。
これは広大な無限空間に仏達の世界を明確な体系に整え、組織化したもので大日如来(普門総徳の尊・注8)などの中尊を中心に置き周囲に一切諸仏(如来・菩薩・明王・天)(一門別徳の尊)を配置され、色々な集合体がバランスよく調和させ動感を持たせて法の真髄を表現したものである、また「輪円具足」と言う漢訳もあり宝輪のごとく総てが調和し完備されていると言う。
移動用祭壇すなわち壇とは古代インドに於いて築かれた土の祭壇が嚆矢とされる、その後修行者(師弟)が密教教義を理論的に観想しながら砂で描いたのが始まりで司祭が終了すれば消し去っていたものである、因みに儀典の途中には砂曼荼羅を解体する所作がある。
現在世界的に見て体系化された曼荼羅を踏襲しているのはチベットと日本であるが、チベット仏教では現在に於いて多種類の曼荼羅があり砂曼荼羅等も描かれている、但しインドから8~10世紀に起った後期密教(タントラ Tantra)
タントラの日本語の意訳であるが正木晃氏は「連続」「相続」が有効らしいが、タントリズム、即ちイズムは「教え」を意味する、但しチベットに於いては前後期関係なくタントラと呼称する、因みにタントラとはヒンドウー教の秘儀聖典を言うが後期密教に於いては呪術・占星・祭式・医術・薬学などが加わる。
曼荼羅とは密厳浄土すなわち大日如来の浄土、いわゆる密教の経典に忠実に浄土世界を具体化(視覚化)したもので、インドの土着宗教やカトリックの一部と顕教の浄土変相図等に類型的な作品は存在するが、曼荼羅と呼べるものは密教に於いて長期にわたり熟成された作品を言う。
曼荼羅は密教的に解釈すれば、密教の最高経典と言える両部の大経、すなわち大日経(大拘廬遮那成仏神変加持経)と金剛頂経の教義に言う曼荼羅に概ね限定される、大日如来を中心として摂無礙経(注17)等を典拠にして諸尊を配置し図に示したもので、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅をあわせて両界曼荼羅(真言宗に於ける正式名称は両部曼荼羅)と言い普門の曼荼羅とも呼ばれる。
日本に於ける曼荼羅は空海が恵果の許しを受け、唐の宮廷画家に依頼して描かせた ・大琵盧遮那大悲胎蔵曼荼羅 ・大悲胎蔵曼荼羅 ・大悲胎蔵三昧耶略曼荼羅 ・金剛界九会曼荼羅 ・金剛界八十一尊大曼荼羅が嚆矢である、百種類を超える曼荼羅が制作されたが両部の大経を視覚化した金胎両部すなわち胎蔵(界)(生)曼荼羅と金剛界曼荼羅が日本に於ける曼荼羅に於ける両輪である、これを併せて両部(両界)曼荼羅と呼ぶ。
両部(両界)曼荼羅とは両部の大経(注10、参照)を図形化したもので、胎蔵界の場合(正式には大悲胎蔵生曼荼羅)七世紀中頃に、金剛界は八世紀初頭に作られたが相互の関連は無かった、両部の大経に付いて真言僧でインド密教学者の津田真一氏に依れば最後の大乗経典的である大日経と、完全な密教経典である金剛頂経とは二律背反(独、Antinomie・アンチノミー)と言われる、両部曼荼羅、両部不二の思想はインドには存在せず胎蔵界曼荼羅は金剛界曼荼羅が成立するまでの命脈であった。
曼荼羅が他国へ伝播したのも金剛界系である、ムスリムの拠点とも言えるインドネシアのジャワ中部に於いて1814年に発見された「ボロブドール」の仏教遺跡に於いても金剛界系のタントリズムが色濃く見られる。
要するに胎蔵界曼荼羅はオリッサ州など一部の地方にこん跡を残すのみで、後に出現した金剛界曼荼羅に凌駕されていた、これを連携させて完成の形にしたのは唐の恵果であり、
胎蔵曼荼羅(西インド)と金剛界曼荼羅(南インド)は発生した場所・時代及びコンセプトが違う、インドに於いて消滅状態の大日経系を復活させたのは中国に於ける空海の師・恵果である、但し両部の大経すなわち善無畏に依る大日経と金剛智の金剛頂経を併せて「金胎理智不二」「両部不二」とされたと言うが、精緻に理論化したのは真言宗の再建の祖覚鑁とされる、密教の根幹に即身成仏と金胎不二があるが、津田真一氏は反密教学に於いて大日経の体系は即身成仏を拒否すると言う、二律背反(独・Antinomie)とも言われる両部曼荼羅を両部不二とする作業は如来の印相(ムドラー mudrā)
日本に於いては両部曼荼羅の内で胎蔵界を「理の曼荼羅」と言い金剛界を「智の曼荼羅」とし”理は所観の道理、智は能観の智慧”と定められている。(曼荼羅の見方 大法輪閣 小峰彌彦)
両部の五仏であるが高野山の二大聖地の一である壇上伽藍では両部不二か、西塔では金剛界大日如来に胎蔵界四仏(
インドのオリッサ州地方ウダヤギリの塔の遺跡に於いて北面に法界定印(胎蔵界)の大日如来・東面の阿閦如来・南面の宝生如来・西面に阿弥陀如来を配置し密教の八大菩薩を配置し融合させている遺跡がある,因みに密教の八大菩薩とは観音菩薩 ・文殊菩薩(妙吉祥菩薩)・弥勒菩薩(転法輪菩薩、慈氏菩薩)・金剛手菩薩・普賢菩薩 ・地蔵菩薩 ・虚空蔵菩薩 ・除蓋障菩薩を言う、その内四大菩薩は曼荼羅では観音菩薩、 弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩である、法華経では・
他に八百五十五年、円珍が持ち帰った
曼荼羅は密教に於いては最も重要なもので奥義習得の証しとなる灌頂の必需品であり本尊と同格の扱いを為されている、従って曼荼羅の尊像を踏襲(印相・持物等)して寺の本尊とされたケースは観心寺の如意輪観音・京都、安祥寺の五智如来、延暦寺横川中堂の聖観音菩薩、等々多く採用されている。(五智如来は阿閦如来の注2参照)
乱暴な例を挙げて言えば曼荼羅を自動車に変換すると、配置されている各尊像はエンジンやハンドル・ブレーキ・ナビ等々の部品群(parts)と仮定すると、これらを集合(assembly)しての完成車が曼荼羅と言える。
また通常日本に取り入れられた曼荼羅の呼称について両部・両界また胎蔵界曼荼羅・胎蔵曼荼羅と併用して呼ばれているが、密教学の泰斗・頼富本宏氏に拠れば 「曼荼羅の美術 東寺の曼荼羅を中心として」等に於いて「曼荼羅の典拠となった大日経と金剛頂経のいわゆる両部の大経を意識したものであり、空海もこの用語のみを用いている」即ち金剛頂経の「三巻本教王経」正式には「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」には、明確に金剛界曼荼羅を説くのに対して、大日経では大悲胎蔵曼荼羅もしくは胎蔵
また氏は円仁・円珍・安然など天台密教(台密)が興隆すると修法のテキストにあたる次第類の中に胎蔵界と言う表現が用いられるようになり、両界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅が使われる様になったと言はれるが台密では安然以来とも言われている。
現在では文化庁を中心とした実践資料や美術的なサイトからは両界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅が使われているが真言宗では密教教義上からは両部曼荼羅・胎蔵生曼荼羅と呼ぶのが正しいとされている、しかし御室派に所属する岡山県・四王寺の住職・吉田宥正氏などは、両部・胎蔵の呼称を正統としながら、寺院所有の曼荼羅が地域の文化財指定を受けているため、両界・胎蔵界曼荼羅の呼称を用いられているが、通常は真言系寺院に於いては両部曼荼羅・胎蔵曼荼羅を呼称されているケースが多い。
但し「初会金剛頂経」に忠実とされる国宝・「五部心観」を持つ天台寺門宗・総本山、園城寺では呼称には拘らず併用しているとの事、因みに五部心観の五部とは金剛界曼荼羅の五グループ即ち・佛部・金剛部・宝部・蓮華部・羯磨部を言い個々の観想法を示している。
さらにインド哲学・チベット仏教に精通する気鋭の田中公明氏は両部(界)曼荼羅を双方共に原図曼荼羅に区分する記述が多いことに対して「両界曼荼羅の誕生・春秋社」に於いて胎蔵曼荼羅を原図曼荼羅・金剛界曼荼羅を九会曼荼羅と峻別しておられる。
行動を示す立体曼荼羅すなわち「羯磨」に付いては法相宗・華厳宗・律宗・真言宗等では「こんま」と呼び天台宗に於いては「かつま」と発音されている。
また阿弥陀如来と無量寿如来の呼称について密教に於いては修行のマニアルでもある「無量寿如来観行供養儀軌」に無量寿如来根本陀羅尼が説かれている為に無量寿如来が呼称されている様である。
曼荼羅は当初から下記の様な完成した様式では無く雨乞いの為の「請雨経曼荼羅」や滅罪を願う「法楼閣曼荼羅」等が嚆矢と思惟される、曼荼羅の区分法として「普門の曼荼羅」と「別尊曼荼羅」に区部される事がある、普門(普門総徳)の曼荼羅とは大日如来を中心とした両部曼荼羅を言い、別尊曼荼羅(注8・14)は顕密の曼荼羅(変相図)が存在し密教には、両部曼荼羅から一尊を中尊に選択して構成される場合と、顕教系が知られている、すなわち浄土曼荼羅に代表される変相図が多数で一門別徳の尊を中心として描かれている。
密教の修行法に瞑想法がある、大日経に基ずく胎蔵の瞑想を「
両部曼荼羅は婆羅門などの諸尊を取り込んだ様に(2)(3)で下述される西方極楽浄土の阿弥陀如来も取り込んでいる、但し浄土の教主ではなく大日如来の眷属的な扱いである、呼称も無量寿如来・阿弥陀如来が無造作に使用されている、曼荼羅にも胎蔵曼荼羅では通肩であり金剛界では偏袒右肩である。
他に曼荼羅と呼ばれる物は・観経曼荼羅・法華曼荼羅等々多くの種類が有るが日本に伝わった代表的な作品として次のように分類した。
「御請来目録」の内曼荼羅に関する資料を挙げると以下の様になる。
*大毘盧遮那大悲胎蔵大曼荼羅 一鋪 七幅。
*大悲胎蔵法曼荼羅 一鋪。
*大悲胎蔵三昧耶略曼荼羅 一鋪 三幅。
*金剛界九会曼荼羅 一鋪 七幅。
*金剛界八十一尊大曼荼羅 一鋪 三幅 が挙げられる。
(1)浄土曼荼羅(浄土変相図・観経変相図) 正確に言えば変相図であり曼荼羅とは異質な内容であるが、阿弥陀経。無量寿経をベースの當麻曼荼羅や後述する智光曼荼羅と、清水寺の観音をモデルにした清海曼荼羅、観無量寿経をベースにした「観経曼荼羅」と呼ぶ関係者も多い、この変相図は善導による「観経四帖䟽」即ち「観無量壽経䟽」を基図として描かれた、今様に言えば浄土のカタログ、説明書(résumé・レジュメ)である。
親鸞の七高僧の内五番目に挙げられている唐の時代中国浄土教の完成者、終南大師・善導(613~681年)が嚆矢と考えられる、善導は300典もの阿弥陀来迎図や観経変を著したと言われている、因みに親鸞の言う七高僧とは龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然である、因みに曇鸞は中国浄土教の祖とされる。
貴族たちの浄土往生願望から画かれた変相図は瑠璃光浄土(薬師如来) ・兜率浄土(弥勒菩薩)
かさねて言えば通常は浄土曼荼羅(観経曼荼羅)と呼ばれるが正式には浄土変相図である、他に曼荼羅と呼ばれる浄土変相図の作品に同じく極楽浄土を表しているが阿弥陀経をベースとして十世紀に初出の「日本往生極楽記」等に記録された智光曼荼羅と観無量寿経がベースの当麻曼荼羅と青海曼荼羅がある、但しどの浄土曼荼羅(変相図)も浄土三部経の心を伝えており酷似しているところが在る、その他の曼荼羅と呼ばれる変相図に、弥勒仏を中心に兜率天を描いた浄土変相図は兜率天曼荼羅と呼ばれている、また観音菩薩を中心に補陀落山の様子を描いた浄土変相図
これらの他広島県尾道市の
以上の当麻・智光・清海を浄土三曼荼羅とも呼ばれている、当麻曼荼羅は中央に阿弥陀如来と中心とした極楽浄土があり、観無量壽経の説話・十三観・三観すなわち九品往生が描かれている。
智光曼荼羅は楼閣と池の間に阿弥陀如来と観音、勢至菩薩・十八聖衆・舞楽菩薩・比丘尼を描いた当麻曼荼羅を大幅に簡素化した変相図である。
清海曼荼羅は当麻曼荼羅の縮小版で楼閣に阿弥陀二十五菩薩を描いたもので藤原時代に興福寺の僧清海が7日間の超昇寺大念仏行を行い極楽浄土の変相図を画いたものを言う。
この他瑠璃光浄土を描く変相図に薬師八大菩薩(・文殊菩薩・観音菩薩・勢至菩薩・弥勒菩薩・宝檀華菩薩・無尽意菩薩・薬王菩薩・薬師上菩薩)を描かれる事がある。
他にも曼荼羅と呼ばれる宗教画は多くある、例を挙げれば寺の鳥瞰図や仏像を描いた参詣曼荼羅や熊野三山の本願所寺院に籍を置く熊野比丘尼が勧進に携行し絵解き行脚した、「熊野観心十界曼荼羅」があり三重県を中心に40点以上の曼荼羅が確認されている、天台宗の重要教義である「十界互具」を絵画化された変相図で、人の「心」に内包する十界、すなわち解脱と解釈できる・仏界 ・菩薩界 ・縁覚界 ・声聞界 に輪廻を転生する六道、所謂 ・天界 ・人界 ・修羅界 ・餓鬼界 ・畜生界 ・地獄界 の様子を1葉に画がいた変相図である、同時に熊野三山を画がいた「那智参詣曼荼羅」等も携行した様である。
他に巨大な塔や多宝如来が地中から湧き出した法華経見宝塔品第11をモチーフにした法華変相図(法華曼荼羅)がある、日蓮宗では通称を「髭曼荼羅」本来は「
その他に室町時代の祖師信仰から描かれた法相曼荼羅と言う変相図も興福寺や薬師寺などが所持している、因みに法相曼荼羅とは弥勒菩薩を中心に法相(唯識)の高僧(無著・世親・護法・陳那・戒賢・玄奘・慈恩)たちを描いている。
これ等(1)の呼称は日本特有の「・・・曼荼羅」である、如来、菩薩、明王等の関連が不明確な絵画(変相図)や別尊曼荼羅(独尊曼荼羅)などはインドやチベットでは曼荼羅とは呼ばれない。
(2)
拡大図は胎蔵界曼荼羅を参照願います。
宇宙の原理すなわち法身仏である大日如来の胎内を具現した絵画と言える、大日経(正しくは・大毘盧遮那成佛神変加持経)
大日経は724年
大日経には理論と実践の編があり、実践編の第2章「入曼荼羅具縁真言品」すなわち「具縁品」に於いて金剛薩埵、が大日如来の指示の基に完成したとされる、理曼荼羅、因曼荼羅とも呼ばれ密教寺院では祭壇を挟み東側に置かれる。
12の院に分類され409尊で構成される、胎蔵曼荼羅は金剛界と違い単独経典の為に基本的に尊像の重複はないがは
インドに於いて胎蔵界曼荼羅は金剛界曼荼羅が顕れて後に凌駕されるが、源流は仏部・観音部・金剛手部の三尊形式の発展形とも言える簡潔な胎蔵の曼荼羅を経て構成され八大菩薩が重要視される、八大菩薩とは観音菩薩、 弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、金剛手菩薩、に地蔵院の地蔵菩薩と除蓋障院の除蓋障菩薩と虚空蔵菩薩とされている、これら菩薩群は大乗仏教の菩薩を採用してとされ前部の四尊を四大菩薩と言い中台八葉院に収まっている、初期の密教から大日経の成立まで紆余曲折があったが、「
曼荼羅には胎蔵・金剛の両部とも大日如来を中心として五仏が置かれるがチベット密教に於ける胎蔵生曼荼羅には他の四仏は存在しないケースが多い、但し金剛界曼荼羅には五仏は存在している
密教佛に特定される尊挌の中で明王と言う呼称は大日経を翻訳グループの善無畏が嚆矢で弟子の一行が興隆させたと言われている。
インドに於いて胎蔵曼荼羅発展の触媒として「
(3)金剛界曼荼羅 原図・九会曼荼羅
拡大図は金剛界曼荼羅を参照願います。
金剛頂経は膨大な経典から成ると言われるが、メインは初会金剛頂経で経典の主軸である五相成身観を感得した釈尊は須弥山の金剛摩尼宝頂楼閣に於いて37尊を示した真理を
金剛曼荼羅は複数の曼荼羅から採用されており特に大日如来像は多く登場している、しかし主体は「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」(不空訳) が金剛頂経で、龍樹(龍猛)の作と言われる、九会曼荼羅とも呼ばれ恵果達が独立した会を集合したとも言われる、正木晃氏に依れば金剛界のメインは成身会であり、九会曼荼羅はインドやチベント存在しない中国製である、本来二律背反の両部を”両部不二”にオーソライズする為に道教で重要視する九と言う数字を採用して胎蔵生曼荼羅と図上のバランスを取った。
初会金剛頂経(真実摂経)
前述の中国に渡ったインド僧・善無畏の「初会金剛頂経」系列で五部心観(白描図像マンダラ・注16)と言うもう一つの金剛界曼荼羅が園城寺や高野山にある、円珍が在唐中に恵果の孫弟子で唐密教の大家、青竜寺の
「五相成身観」とは唯識と空観を液体化すなわち融合したとされる。
1「
2「
3「
4「
5「佛身円満」一切如来の様に即身成仏となる五段階の観法である。
ちなみに金剛とは梵語の vajra(バジュラ)でヴエーダ聖典では雷を意味する、インドラ神の武器で金剛杵を言い金属の堅固・剛毅・強い、と解釈されている、大漢和字典には「五行の金の気、剛毅から剛」とあり仏教に取り入れられて帝釈天となる、金剛杵は雷を起す武器である、また東大寺に存在する著名な執金剛神の執金剛とは金剛杵を持つ者を意味する。
また金剛界曼荼羅では金剛は大日如来の智慧を顕している。
その他空海も請来しているが円珍請来によるもので天台系に於いて用いられる「八十一尊曼荼羅」がある、金剛界の成身会を著しているが尊数と姿形が異なり四大明王が加わり81尊で構成されている、五仏も鳥獣上に座しており大日如来が獅子・
空海が請来した曼荼羅は五セットからなる、① 大毘盧舎那大悲胎蔵大曼荼羅一鋪 七幅 ② 大悲胎蔵法曼荼羅 一鋪 ③ 第悲胎蔵三昧耶略曼荼羅一鋪 ④ 金剛界九会曼荼羅一鋪 ⑤ 金剛界八十一尊曼荼羅一鋪 である、この内①と④が両部曼荼羅として著名であるが、⑤八十一尊曼荼羅は空海だけでなく円仁等も請来している、合計で20種ほど現存している、同じ金剛界で④の九会曼荼羅とは相違が観られるが最大の相違は九会に於いて大日如来等は蓮華座に坐しているが、八十一尊では五仏が獣座すなわち・大日如来が獅子座・阿閦如来が象座・宝生如来が馬座・阿弥陀如来が孔雀座・不空成就如来が
参考までに「金剛頂瑜伽中略出念誦経」金剛智訳では五鳥獣座を説き、「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(三巻本教王経)」不空訳などでは蓮華座を説いている。
梅原猛氏は胎蔵界曼荼羅の大日如来の法界定印を女性器に、金剛界曼荼羅の智拳印(覚勝印)を男性器に例えているが、ヨニ
中国や日本に将来されなかった後期密教に於ける曼荼羅は金剛界曼荼羅に限定されるが主尊の坐を大日如来から文殊金剛(文殊金剛十九尊曼荼羅)、触金剛女を伴う阿閦如来(阿閦三十二尊曼荼羅)が主尊を勤めている。
中期密教と後期密教の比較をインド後期密教・松長有慶著・春秋社を参考に記述する、A 憤怒形、多面多臂、B 女性配偶者を抱く、(yab-yun チベット語)、c 主尊の交代(大日如来~金剛薩多 阿閦如来 等)、Ð 殺生 セックスの容認、E 人間の生理活動の応用である。
(2)(3)を両部の曼荼羅と言い、密教寺院の左右には常時「柱聯」的に置かれている、因みに柱聯とは左右一対で大門や室内に懸けられた詩絵を言う。
(4)羯磨曼荼羅
拡大図は羯磨曼荼羅を参照願います
梵語名 Karma、(カルマン)の音訳で活動を意味し立体曼荼羅とも呼ばれ、彫刻された尊像などを配置した物で、代表作に空海が唐で学習した不空による「仁王経」「仁王護国般若波羅密多経陀羅念誦儀軌」に空海の創意が加味された東寺講堂に配置されている二十一尊の
空海が唐で学んだ「仁王経(不空訳)
(5)この他に梵字で画いた種子曼荼羅・金剛界曼荼羅の三昧耶を単独で画いた三昧耶曼荼羅などが上げられる。
因みに三昧耶とは梵語(サンスクリット saṃskṛta)、サマヤ(samaya)の音訳で
以上は金剛界の一部を除き大曼荼羅に区分される。
佛教は発足当初、偶像崇拝宗教ではなかったがインド古来信仰の呪が佛教に入り込み観想法が広がった、佛足跡・宝輪・などから仏像・曼荼羅と変化してきた。
(6)その他 チベット・ネパールなどでは12世紀後半インドの修験者ミトラヨーギンが招来した上下左右対称の「ミトラ百種」「ヴァジュラバイラヴァーの立体曼荼羅」「秘密集会の曼荼羅」等と呼ばれる曼荼羅が有る、特に文殊菩薩は普遍的な存在で「法界語自在曼荼羅」通称・法界曼荼羅があり、法界自在文殊として大日如来と同格若しくは化身として中尊の地位を占めており、ナーマサンギーテイ文殊など厚い信仰をあつめている、また阿閦如来を中心とした曼荼羅もある。
異形の曼荼羅として神佛習合による本地垂迹曼荼羅・星を神像と考えた北斗曼荼羅などが存在する。
他に別尊曼荼羅(注8・14)・一門の曼荼羅などとも呼ばれる作品もあり大日如来以外の如来・菩薩を中尊として描いたものである。
チベット等では砂曼荼羅が主流で、曼荼羅は師が弟子に灌頂を施す為に画かれるもので、曼荼羅の諸尊に精通したケリンバと呼ぶ絵師によって描かれる、その解説は博士(ゲシェー)と言うチベット仏教の高僧が行い、曼荼羅を精通した師を「
密教に於ける四分法を確立したチベット学僧のプトウン(1290~1364年)に依る分類は密教の発達段階を含めている。
・所作タントラ(tantra)(灌頂経など) 前期密教
・行タントラ(tantra)(大日経など) 中期密教
・瑜伽タントラ(tantra)(金剛頂経など)中期密教
・無上瑜伽タントラ(tantra)(秘密集会経など)後期密教に分けられている、この中で作タントラを大日経以前に置かれる、大日経は行タントラの範疇にあり、金剛頂経系列は瑜伽行タントラに置かれている、更に無上瑜伽タントラにある密教は金剛頂経以降すなわち後期密教を指している。
チベット密教に於いては後期密教を採用しており、本初仏 後期密教に於いて作られたタントラ(Tantra)仏教にある宇宙の根源仏で「阿提仏陀」梵語のadīdi‐buddha (アーディ・ブッダ)と言い法身普賢 ・金剛薩埵 ・金剛総持 の三尊が最勝本初仏とされている、因みに日本の密教は中期密教であり後期密教とは一部を除き異質とも考えともよいと思う。
中国密教に於いては共通点の多い土着の道教
近年曼荼羅は欧米に於いて注目されているが、多くは後期密教系で中期、所謂両部曼荼羅よりも注目されていると言う。
マンダラに近い言葉にボーデイマンダがある、釈迦が覚りを開いた聖地(ブッダガヤ)即ち菩提道場のことである、ボーデイは菩提、マンダとは精髄と訳される。
その他、・A 法華曼荼羅 ・B 法華経曼荼羅があり、共に法華経を依経としているが内容的に異質である、A法華曼荼羅は、いちおう密教の形態をとり第十一見宝塔品から「成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌」に従い釈迦如来と多宝如来の二佛併坐方式で曼荼羅(ひげ曼荼羅)と言えるが、B法華経曼荼羅は法華経の比喩な部分を絵解きしたもので、通称の浄土曼荼羅等(曼荼羅は間違いで変相図)と同じく変相図の範疇に入る。
曼荼羅の形式
密教の場合形式で分類すると下表のようになり、世界に於ける一切の功徳が具備される「相大」は四種あると言い、四種曼荼羅や略して四曼とも呼ばれている、描かれている世界を念じて現象と真理を会得する為にある、これらは互いにシナジー効果(synergy)を持ち、即身成仏への案内を図形化したと言える。
密教学の権威・松長有慶氏に依れば「眼に見えない真理が現実に姿や形をとる方法」としておられる。
分 類 |
適 用 |
三密の働き |
大曼荼羅(尊像曼荼羅) |
形・佛の姿そのまま・佛の世界の観想法 両部曼荼羅 大日如来の広大な宇宙を現したもの。下部の三昧耶・法・羯磨の集合体。 |
身 |
三昧耶曼荼羅(形象曼荼羅) |
印(象徴)・三鈷杵等持物の表示で佛を知る、 金剛界曼荼羅の三昧耶会 梵語 samaya(サマヤ)の音訳 契約・約束の意味。 |
心(意) |
法 曼荼羅(文字曼荼羅) |
真言や種子(b ījk)を梵字( |
語(口) |
羯磨曼荼羅 |
活動・彫刻群で表現・佛の働きを表現・羯磨とは行動・ 東寺講堂 (立体曼荼羅) 梵語 karman(カルマ)の音訳 行動の意。 |
身語心の合算 |
密教に於ける曼荼羅
金胎理智不二とは胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅を融合したもので地・水・火・風・空の五大に識を加えたもの。
種 類 |
適 用 |
理、心を表わす・十二院で構成・大日如来は法界定印を結ぶ・ 正式名称・大毘盧遮那大悲胎蔵生曼荼羅(本来は界が無い) 女性的 画面上が東 |
|
智、頭脳を表わす・九院で構成・大日如来は智拳印を結ぶ 正式名称・金剛界九会曼荼羅 男性的 画面上が西 金剛界五佛を五智如来と言う 八十一尊曼荼羅 五部心観 |
|
別尊曼荼羅 |
大日如来以外が主人公で仁王経などからの作で・五大明王・五大力尊等を中尊とした曼荼羅 |
曼荼羅の代表作 (国宝)
曼荼羅 |
名 称 |
仕 様 |
時 代 |
両部曼荼羅図 伝真言曼荼羅 |
絹本著色 掛幅装 各183,0×154.0cm 西院本 |
平安時代 |
|
五大尊像 |
絹本著色 掛幅装 153,0×128,8cm |
平安時代 |
|
子嶋寺 |
両界曼荼羅図 子嶋曼荼羅 |
紺綾地金銀泥 掛幅装 二幅 |
平安時代 |
光明寺 |
両部曼荼羅図 高雄曼荼羅 |
紫綾地金銀泥 掛幅装 二幅 |
平安時代 |
倶舎曼荼羅図 |
絹本著色 掛幅装 164,5×177、8cm |
平安時代 |
|
両部曼荼羅図 高雄曼荼羅 |
紫綾金泥 掛輻装 二幅 |
平安時代 |
|
五部心観 |
紙本墨画 1 巻 30,0×1796,7cm 円珍自筆・長安での図録 |
平安時代 |
|
|
|
|
|
浄土変相図 |
|
|
|
当麻曼荼羅図 |
綴織 3,95×3,95m 中将姫が織る阿弥陀浄土図 非公開 |
天平時代 |
|
光明寺 神奈川 |
当麻曼荼羅縁起 |
紙本著色 巻子装 二巻48,4×774,0~686,5cm |
鎌倉時代 |
曼荼羅の代表作 (重要文化財)
●東寺 両部曼荼羅図 絹本著色 平安時代 1112年 (灌頂用の敷曼荼羅) 胎蔵生 277.6cm×278.7cm 金剛界 281.8×284.8cm
●金剛峯寺 両部曼荼羅図 絹本著色 平安時代 1150年 両部 242.2cm×394.0cm
その他東寺の甲本 乙本 金剛峯寺甲乙二枚の板彫り(白檀と桜材)胎蔵生曼荼羅 根津美術館 等々選れた重文作品がある、因みに金剛峯寺の胎蔵曼荼羅は地蔵院と除蓋障院が描かれていない。
注1、 浄土曼荼羅は本来浄土変相図と呼ぶべきで観念的表現の曼荼羅に対して浄土の様子を具体的に表現している。
注2、 羯磨 梵語名 Karmaと言い羯磨杵とも言い、三鈷杵を十字に組み合わせた蜜教法具があり仏の行動徳を表わす。
両界(両部)曼荼羅の比較 (胎蔵界・金剛界)両部曼荼羅(両界)とは最高の覚りの境地を大日如来中心に配置したものであるが、別の表現方法をすれば大日如来の教理の解釈を図表化したものである。
注3、真言密教即ち中期密教を純密と呼ばれる、それ以外すなわち前期密教を
通常寺院では胎蔵界を東側に金剛界を西側に配置される、本来制作年代や意図も違う作品を真言宗は同一と理論付けした、これを金胎不二・又は両部不二と呼ばれ普門の曼荼羅とも言われる、これと対照的に別尊の曼荼羅と呼ばれ大日如来を除く諸尊即ち釈迦如来・阿弥陀如来等を中心として、その眷属を配置した曼荼羅もある。
国宝としては(1)日本最古の高雄山神護寺の高雄曼荼羅・胎蔵界448,0cm:408,0cm 金剛界409,0cm:368,0cm
(2)奈良・子島寺の子嶋曼荼羅・胎蔵界349,0cm:308,0cm 金剛界352,0cm:297,0cm
(3)東寺の伝言院曼荼羅(東寺・西院曼荼羅と呼ぶが正確)、胎蔵界・金剛界共183,6cm:154,0cmが存在する。 伝言院の由来は宮中の伝言院に於いて使用されたとされる事からきている。
参考まで雑密とは”雑部の密教”の略である、語源は空海の著作「真言宗所学経律論」が嚆矢とされる、空海は純密すなわち純粋な密教とは言わないで両部を多用した、要するに純密と両部の大経と理趣経を純密と呼んだ。(正木晃
密教 講談社)
注4、 即身成仏 密教に於ける専売教義で無限大の修行・精進を重ねるのではなく、現世に於いて現在の身体を持って仏になれるという、即身成仏には理具成仏・加持成仏・顕得成仏のランクがある。
・理具成仏とは理念を言い真言密教の修行をし大日如来と同一の境地に到達する事を言う、・加持成仏とは実践を言い修行により仏と境地を同じくする事、・顕得成仏とは結果を言い修行が完成した状態を言う、但しインド哲学の権威・宇井伯寿氏は「即身成仏の実例は挙げられない」と言う。
宇井伯寿 本名茂七と言い曹洞宗・東漸寺第34住職 愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈
1930年 東京帝国大学教授 1941年 駒沢大学学長 1953年 文化勲章を受章 1963年81歳で逝去。
注5、大日如来の世界の働きを示した用大 三密 心―印を結ぶ 口―真言を唱える 意―念・心を言いう。
注6、大日如来の世界の実体を示した六大は精神の原理として識に実体の原理として五大と言い 空(無限) 風(動き・影響力) 火(浄化力・成熟) 水(清浄) 地(磐石不変)を言う。
注7、 原図曼荼羅 空海が請来した作品を正式には原図曼荼羅と言い、五部心観・胎蔵図像・胎蔵旧図様などと区別される。
注8、 大日如来を「普門総徳の尊」と言いその他の尊格を「一門別徳の尊」と言う、密教に於いては大日如来の変化や実動部隊として各尊が存在し釈尊も例外ではない、因みに大日如来を中尊とした原図曼荼羅・九会曼荼羅を「普門の曼荼羅」と言い、その他(注14)を含めた曼荼羅を「一門の曼荼羅」と言われる。
注9、入唐八家 入唐して経典・法具などを招来した八人で空海・最澄・常暁・円行・円仁・円珍・恵運・宗叡を言う。
注10、両部の大経とは大日経と金剛頂経を言う。
真言密教の最高経典で大日如来の佛徳を説く経典である、また真言宗の呼称の源となった経典である、即ち大日経の「真言法経」・金剛頂経の「真言陀羅尼宗」の記述から採られている、密教経典の分類方法に純密(純部密教)と雑密(雑部密教)とに分けられるが「両部の大経」は純密でありその他の経典(蘇悉地経 瑜祇経(ゆぎ)理趣経 等)は雑密に区分される。
密教、特に東密の場合は五部秘経・二論とされ五部秘経すなわち大日経・金剛頂経・蘇悉地経(注1)・瑜祗経(注2)・要略念誦経、と二論すなわち菩提心論・釈摩訶衍論を経典としているが、両部の大経は最高経典として揺るぎない。
両部(界)曼荼羅のうち胎蔵界は大日経を典拠としており、金剛界は金剛頂経を典拠として絵画化して成立している。
経典の成立時期が7世紀初頭と中期以降との違いがあり、インドでは胎蔵界曼荼羅については断片的にしか知られていない、したがって成立当初には関連は無かった。
これを一体化し体系を理論化したのか恵果である、覚りの真髄を解くとされる大日経と実践を解く金剛頂経の両経を両部の大経と言い、密教に於ける最も重要な経典として、「金胎理智不二」「両部不二」と呼び関連付けされている、但し両部大経に付いて真言僧でインド密教学者の津田真一氏は(佛教経典散策・東京書籍)最後の大乗経典的である大日経と、完全な密教経典である金剛頂経とは二律背反と言われている。
国宝の「両部大経感得図」179cm×143cm平安時代は藤田美術藤館に存在している。
大日経 大拘廬遮那成仏神変加持経と言い、密教の根本経典の一典でこれを図解したのが胎蔵界曼荼羅であり、儀典・一切智・三密(身・口・意)の構造を解くものである。
梵語の原典は存在せず経典の成立時期は定かではないが8世紀頃にインドから唐に渡来した善無畏とその弟子達の訳を基本としており「大日経疏」を真言宗が採用し、「大日経義釈」を天台宗が採用している。
空海の「秘密曼荼羅十住心論」は大日経疏を原点とされる。
金剛頂経 密教の創始者の一人龍樹(龍猛)の作と伝えられ空海が請来した「金剛頂一切如来摂大乗現証大教王経」を言い、密教の根本経典の一典でこれを図解したのが、「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」即ち金剛界曼荼羅であり、智・即身成仏等を説き、不空による漢訳や金剛智の「金剛頂経義訣」が伝えられる、また円仁請来の「略出念誦法」がある。
真言宗に於いては五部秘経の中でも最重要視されている。五部秘経とは大日経・金剛頂経・蘇悉地経・瑜祇経・要略念誦経を言う。
注11、前述の頼富本宏氏は鶴見和子氏との対談形式の「曼荼羅の思想」で立体曼荼羅から液体曼荼羅と言う理論を構築しようとしておられるが、恵果と空海は異質の両部の大経を「金胎理智不二」「両部不二」として液体化即ち融通したと言える、さらに総ての宗派、すなわち奈良佛教から幅の広いスタンスを持つ天台さらに真言・浄土教・禅宗を液体化し、さらにユダヤ教・キリスト教・イスラムを加えて液体化した曼荼羅が描くことが出来る天才の出現があれば、『未来の人類に道を示す哲学の創造』の構築であり世界の平和に希望が持てるかもしれない。
注12、大日如来の典拠となる大日経には大日如来の呼称は数回であり、金剛頂経に於いては全てが毘盧遮那如来の呼称が使われていると言う(金剛頂経入門・頼富本宏著・大法輪閣)。
注13、竜猛(龍樹)金剛頂経の作者とされる龍猛は中国及び日本に於いては大乗仏教の祖である、南都六宗を初め天台宗・真言宗を加え「八宗の祖」とされている。
注14、別尊曼荼羅 大日如来以外が中尊で日本には将来されていない後期密教・チベット佛教や仁王経などを典拠としており以下の様な曼荼羅がある。
如来をベースとした法華・請雨経・宝楼閣曼荼羅など。
仏眼・仏頂をベースとした仏眼・一字金輪・尊勝・北斗曼荼羅など。
菩薩をベースとした如意輪・八字文殊・弥勒・五大虚空蔵曼荼羅など。
明王をベースとした孔雀経・仁王経・愛染・十二天曼荼羅など。
天をベースとした閻魔天・童子経・吉祥天曼荼羅など。
その他 春日・垂迹・熊野曼荼羅などである。
注15、子島曼荼羅とは一条天皇の病平癒の祈願に成功した子島真興が下賜された曼荼羅である、真興とは興福寺の僧で後に吉野に於いて密教を習得する、権少僧都を授かりその年に没する(935~1004年)。
注16、五部心観の概略 正確には
注17、摂無礙経 曼荼羅の図像等を示しており経名は大変に長い、「摂無礙大悲心陀羅尼経計一法中出無量義南方満願補陀落海会五部諸尊等弘誓力」と言う、因みに摂無礙経とは印の解説及び祈願法(息災、増益、降伏、敬愛、鉤召)等が記述されている。
注18、 密蔵深玄翰墨難載 更仮図画開示不悟。
(密教とは内容が、非常に深くて広大である、文字や言語で著し切れるものではない。一般の大衆には図画にして判りやすく知らせる事にある)。
注19、 インドに於ける密教パンテオン(Pantheon)に付いては、ヒンドウー教の復興により、大乗仏教は衰退するが、ヒンドウー教の儀礼等々の特徴を取り入れて境界が難解になった、しかしヒンドウーに対しての優位性を誇示する為に最高神のシヴアを足で踏みつける図像や彫刻が多く登場した、従ってヒンドウー教にも曼荼羅的な密教パンテオンが存在する。
最終加筆日2004年11月1日 12月4日 2005年2月12日 7月1日 10月21日空間加筆 12月13日五部心観 両部大経2006年4月27日 注11 12月30日 性霊集2007年3月28日 注13、11月3日 2008年7月23日熊野観心十界曼荼羅 2009年1月7日 無量壽如来紺本陀羅尼 11月11日変相図の一部 2011年3月1日文字化け修正(凱・?) 2012年2月18日図面 2012年6月22日密蔵深玄にして、 2012年10月21日阿弥陀如来の取り込み 2014年11月13日 2015年8月20日esoteric他加筆 2016年1月18日浄土曼荼羅刻出龕 8月14日法華曼荼羅 11月17日三昧耶解説 12月22日 5月21日 2017年12月11日 2018年2月1日 3月3日
2018年4月18日 11月1日 2020年3月21日 2022年4月22日 9月23日 11月17日加筆