弥勒如来 弥勒菩薩

                                                   説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif                   仏像案内     寺院案内     菩薩

依経には弥勒三部経と呼ばれる「仏説弥勒大成仏経」、略して成仏経、「仏説弥勒下生成仏経」略して下生経、「仏説観弥勒菩薩上生兜率天経」略して上生経があるが、三番目の上生経には梵語saskta原典が発見されていない。
阿含経にも記述があり、仏像発生の最初期に造像された菩薩である、梵語名 Maitreya
(マイトレイヤー)パーリ語(i)でもmaitreya(メーテーヤ)と言い、意訳すると慈(友愛)からの生まれとされる、慈悲・慈尊とする解説書が多い、しかし太陽神Miiro(ミイロ)の音訳が中国に於いてミロクとの発音に変化したと理解すべきとの説もある、因みに大無量寿経では敗れざる慈氏、即ち()()菩薩と漢訳されている、これ等は婆羅門階級の姓であり多くの弥勒が存在した様である、閑話休題、弥勒はバラモン夫婦の間に生まれたと言う記述を見る。 
弥勒信仰はゾロアスター教に始まり古代ローマで信仰されたミトラ教、ユダヤ教キリスト教のメシア思想の影響を受けたと思惟される様に阿弥陀の浄土信仰を凌いでいた、出自が古い為にニューデリー国立博物館の弥勒立像(アヒチャトラー出土像)などは佛教に於ける弥勒像とは異質に感じられる、プリンス・オブ・ウェールズ゙博物館の弥勒像も同様である、クシャーン朝(2世紀頃)の像でロリアン・タンガイ出土の弥勒像
(コルカタ・インド博物館)はバラモンに於ける最高神フラフマーとの共通点が観られると言う、因みにイラン西部にあるペルシャ時代の遺跡、ターク・イ・ブスタン (Taqi Bustan) の摩崖像は、ペルシャの王アルダシール二世Ardashirを中心に、ゾロアスター教の最高神であるアフラ マズダーと共に刻まれたミトラ即ち弥勒の石像がある、以下”弥勒の来た道”(立川武蔵 NHK出版)にはコータンの言葉で書かれた”ザンバスタの書”には「将来弥勒に会う事が出来るT述べられている、-----弥勒は光り輝いており昇る太陽の様に光を放つ、ahura mazdah(アフラ マズダ)と語源が同じでゾロアスター教の祖と同一と言われるほど古い 
インドに於いては大乗佛教の興隆と歩調を合わせて広まりを見せた弥勒菩薩は、正定聚(しょうじょうじゅ)とでも言うか仏滅の後の覚者と成る事を約束されている最高位の菩薩であり、次期如来のポストすなわち一生補処(注4菩薩と言い「仏処」が約束されているのは弥勒菩薩のみである、覚者釈迦如来の後継者を仏嗣(ぶつし)と言うことから「仏嗣弥勒」「未来仏」「慈氏菩薩」「当来仏」等とも呼ばれる。 
弥勒菩薩に関する典拠は同本違訳を含めると三十点を超えるが、弥勒三部経と言われる「弥勒大成仏経(常仏経 鳩摩羅什訳)」、衆生済度の為に降臨する「仏説弥勒下生成仏経(下生経 竺法護訳)」、死後に率天に昇り説法を聞くと言う「観弥勒菩薩上生兜率天経(上生経 
沮渠(そきょ )京声(けいせい)」、六部経には上記三経に弥勒大成仏経(鳩摩羅什訳)弥勒下生成仏経(義浄訳)弥勒来時経(訳不詳)、「賢愚経(けんぐきょう)(賢愚因縁経)」「涅槃経」等に拠れば、弥勒菩薩は現在兜率天Tuitaで思惟すなわち修行中であり釈迦の没後五十六億七千万年後(注11)に娑婆に於いて修梵摩(しゅうぼんま)とその妻梵摩越(ぼんまおつ)との間に生まれる、因みに弥勒の思惟する姿は苦悩しているのではなく峻厳な覚りへの沈思瞑想の姿である、因みに涅槃経にも末法すなわち法滅の中から仏法が出現すると言われている、上生経と下生経(注9が依経である様に弥勒の下生と浄土への上生と二つの信仰があるようだ、但し松本文三郎氏(1869年生まれのインド哲学者・元京都帝国大学学長)に依れば弥勒の名は現存する最古の仏典には実在の仏弟子と記述されていると言う、唯識すなわち法相宗で所依経典として重要視されている「解深密経Sadhi-nirmocana Sūtra ,サンディ・ニルモチャナ・スートラ」は実在した弥勒が著した経典との説がある、因みに兜率天の兜率とは歓喜、満足を意味する、弥勒菩薩は兜率天の住人である天人(神々)を相手に説法しているとされる、閑話休題、天界の住人は六道輪廻の枠から離脱出来ていない、因みに弥勒菩薩が仏嗣として下生(げしょう)するまでの期間であるが、東海大学の定方(さだかた)(あきら)氏が経典を漢訳された時代の「億」は事実上「千万」であり正確には五億六千七百万年らしい。

仏教のキーワードは因果律と言われるが、41とか52ある菩薩ランク(注10)の最高ランクに位置する弥勒菩薩でさえ覚者と成るまでに輪廻転生を繰り返したりして無限に近い歳月を要する、覚者と成る必須事項である戒律を無視し出家も守らず在家僧侶が多いのは、成仏への無限な難易度のせいかも知れない。
弥勒菩薩は釈尊と同じ竜華樹(りゅうげじゅ)の下において覚りを開き、合計二百八十二億人の僧に三度説法(弥勒の三会(さんね)して人々を救うと釈迦如来から預言されていると言う、これを「龍華三会の説法」と言う、ちなみに「弥勒下生経」の下生(げしょう)とは覚者となって現世に降りて来る事を言い、六万年間教えを説くとされる、また人間の平均寿命は八万歳になると言う、上生とは天界に生を受ける事を言う、因みに佛教世界観の中心を為す須弥山(しゅみせん)の内にある兜率天(とそつてん)は八万由旬(ゆじゅん)の敷地を有し海抜32万由旬の虚空密雲上にあると言う、因みに将来に覚者となる菩薩の住む兜率天の上さらに有頂天があると言う、一由旬とは諸説あるが7マイル~9マイル、中国では30里~40里など言われる、兜率天は天界の一国で兜率とは梵語のトゥシタ Tuitaの音訳で須弥山の上空にある、三界のうちの欲界に属するがトゥシタは満足の意味を持つ、また弥勒の下生を信じ龍華三会の説法を聞こうとするのを「弥勒下生信仰」と言い、兜率天に生を受ける事を願う信仰を「弥勒上生(じょうしょう)信仰」と言う、因みに法華経に於いては兜率天に居るとされる弥勒菩薩は霊鷲山に於いて釈尊の説法を受ける対告者(たいごうしゃ)の一人であり、文殊菩薩からアドバイスadviceを受けている、法華経には将来的に覚者となると記述されているが法華経の釈尊は久遠実成の尊、すなわち未来永劫に釈尊の世であり、弥勒仏の下生すなわち降臨は無い事になる。 
因みに「須弥山」とはスメールsumeru・注2の音訳で、インドに於いては世界の中心に位置する架空の山を言い、佛教に於ける宇宙論の中核の場所を言う、七つの山脈と 八大海に囲まれ高さは八億米とも言う、漢訳は須弥山の他に「須弥留」「須弥」意訳で「妙光山」「妙高山」等々言われる。 

唯識すなわち瑜伽行派 (yogaacaara)の祖であるMaitreyaが説いたと伝えられる書籍が複数存在しているとされる、釈迦如来の弟子として早世したとの伝承もあるようで実在した人物(応身尊)の可能性がある、法相宗に於ける重要経典「解深密経(げじんみつきょう)」は弥勒が在世中に説いた経典とも言われている。
大乗仏教に於ける潮流として二大学派と言われる哲学がある、1、弥勒を祖とする唯識派
(瑜伽行唯識)と2、竜樹を祖とする中観(ちゅうがん)派があり仏教宗派はこれ等を踏襲している。
弥勒に関する経典は概ね大乗経典すなわち方等経(ほうどうきょう)に著わされ報身尊と観られている、日本に於いても初祖として崇める薬師寺の様な法相宗寺院がある、チベットの伝承では唯識論の教義の根幹とも言える「大乗荘厳経論」など五論を著したとされる、因みに方等経とは大乗経典の総称を意味する。
弥勒信仰はユダヤ教等のメシア思想がインドに入り成立したとの説もある、また拝火教
(ゾロアスター教)やアーリア神話にも登場するミトラ神との指摘もある、リグ・ベーダ聖典に於いてマイトレイヤー・ミトラ神はキリスト教以前のローマに於けるミトラス教の神であったとも言われており、仏教仏として西洋では比較的、知名度のある菩薩である、因みに弥勒菩薩を鳩摩羅什による阿弥陀経には「阿逸多(あいった)菩薩」(注4)と記述されている、因みに上座部佛教(部派佛教・アビダルマ佛教theravāda)と大乗佛教
Mahāyāna buddhism)の双方から信仰される菩薩は弥勒菩薩のみである。
弥勒菩薩とミトラ教の関連について、太陽神ミトラスを崇めるミトラ教Mithraismと言うesoteris(秘儀)宗教が存在した、キリスト教とローマ帝国に於ける国教としての主導権を競いながら、互いに影響を交錯したとされる、因みにミトラ教とはミトラス教、ミスラス等とも発音し、定かな確証はないが、古代ローマ発祥でミトラスを太陽神として栄えた密儀宗教で阿弥陀信仰や弥勒Maitreya・マイトレーヤ)との関連を言う記述がある、ミトラ教とは古代インドからイランにかけての信仰された密儀信仰で太陽神ミトラスを崇めている、後にギリシャ、オリエントと融合して初期のローマ帝国に於いて兵士達に信仰された、定かではないがゾロアスター教やキリスト教、佛教の弥勒信仰などに影響を与えあった様子がある、一例を挙げれば聖書の内容で使徒が十二人とか、最後の晩餐等々、ミトラ教の伝承の内にもある、また弥勒とミトラの接点も言われている、弥勒をSanskritMaitreyaというが、マイトレーヤはミスラの別名とも言われている。
インドに於ける弥勒信仰は釈迦如来に次いで成立したものである、インドの弥勒像は仏塔を持つ宝冠を冠り右で印を結び左で龍華樹を持つ場合が多いがターバンを巻き水瓶を持つ像も弥勒説が言われている,しかし如来像は中国・朝鮮には存在するが現時点でインドに於いては存在しない、朝鮮では三国時代頃からから覇権だけでなく弥勒信仰でも三国で競い合っていた様である、従って韓国にはいたる所に弥勒像がある、百済(全羅北道)が下生すなわち生まれる地と言う伝承があり、躯体に比して著しく頭の大きい弥勒像が阿弥陀如来観音菩薩を遥かに凌駕して存在する。
中国に於いても地域間に格差は存在するが多く信仰されている、またベトナムでも弥勒像の存在は他の仏像に比べ最も多いと言われている。
法相宗に於いては弥勒菩薩を初祖と仰ぐ考えがあり弥勒像を重要視し如来像に於いて脇侍に法苑林(ほうおんりん)菩薩と大妙相菩薩(だいみょう そうぼさつ)を従えることがある、特に薬師寺講堂の三尊像は文化財指定は中尊が薬師如来で脇侍は日光・月光菩薩であるが、薬師寺では2003年から弥勒三尊と呼ばれるようになり脇侍に法苑林菩薩・大妙相菩薩とされるようになった。
経典の記述は北伝に竺法護に依る「弥勒下生経」、鳩摩羅什に依る「弥勒下生成仏経」「弥勒大成仏経」南伝に「転輪聖王獅子吼経」、「弥勒上生経(仏説観弥勒菩薩上生兜率天経・沮渠京声(そきょけいせい)」等があるが、弥勒信仰は中国に於いて作られた偽経が確実な「法滅尽経(ほうめつじん)」で拡大した信仰で、末法思想(注9は4世紀中国に侵略されたシルクロードの要衝・キジ国で広まる、少し脱線するが近年タリバンに破壊されたバーミヤンの大仏は弥勒仏である。

立川武蔵著、弥勒の来た道」に依れば、弥勒三部経に鳩摩羅什訳の「仏説弥勒大成仏経」(成仏経)、竺法護訳の「仏説弥勒下生成仏経」(下生経)沮渠(そきょ )京声(けいせい)訳の「仏説観弥勒菩薩上生兜率天経」(上生経)が挙げられている。
末法思想(注8)とは阿含経に依れば釈尊入滅後に、500(1000年)サイクルで変化する三時思想を三時説と言い「正法」「像法」「末法」の言われは古く最古の経典に属する「阿含経」に記述される、但し三時思想は中国に於いて創められたと言う説も一部にはある。
日本での弥勒信仰は朝鮮半島を経て伝わり、飛鳥時代から存在するが末法に入り山岳修験者の中にも多い、ミイラに成り弥勒降臨
(下生)まで肉体を残そうとの願いや経塚を作り埋経することが各地で行はれた、経塚の代表例は藤原道長による吉野金峯山が有名である。

弥勒像は二系統に別れ成道後の如来像と菩薩像とになる、飛鳥時代以後に半跏思惟像の菩薩像が作られたが奈良時代以降は製作されず如来像が作られるようになる、マイトレーヤ
(弥勒)には唯識の初祖としての姿があり、上記の二系とは別人の可能性はゼロではない、因みに唯識は弥勒~アサンガ無着(むじゃく)・390年頃)~ヴァズバンドウ(世親・天親・400年頃)と続き唯識理論の完成をみた。
広隆寺
中宮寺に代表される釈迦の悉多太子時代の樹下思惟像とよく似た半跏思惟像
(交脚像も存在)が成道前に於ける弥勒菩薩の代表作をされるのは665年、大阪・野中寺の金銅半跏像に「弥勒御像」の刻文が見られる事から定説化されていたが刻文の時期に疑問があり用語も不自然との指摘がある、また野中寺タイプの半跏思惟像で弥勒菩薩の銘を持つ像が存在するとされるが中宮寺や宝菩提院の尊像とは共通点として半跏像以外は造像目的に相違が感じられる、中国や朝鮮半島を始めとするアジア諸国に於いて弥勒像は多数存在する、特に三国時代から国を挙げて弥勒信仰は篤い韓国に於いては圧倒的である、朝鮮仏教から多くを学んだ日本仏教の弥勒崇拝は仏教圏に於いては少数派で観音信仰や地蔵信仰の方が盛んである。
弥勒信仰は各地で阿弥陀信仰に時の経過と共に凌駕されるが菊池章太氏の説が面白い、弥勒菩薩は長い時間軸にあり待てる余裕はないが、阿弥陀如来は空間軸にある為に来迎には時間を超越して現れると言う。
半跏思惟像はガンダーラ彫刻にもあり、インドでは本来はヨーガに於ける行法にあり気を注入する姿勢
asanaと言われる、中国では河北省が嚆矢の様であるが曼荼羅では観られない。
わが国では30cm前後の銅像が飛鳥時代から天平時代にかけて造像若しくは請来されたと考えられる、法隆寺にあり東京国立博物館に数尊・東大寺・岡寺・四天王寺・観心寺などに存在する。                                               
平安時代以降には、華厳宗の学僧高弁・明慧等により弥勒信仰が高揚され再度弥勒菩薩像が造像される、観音菩薩のシンボルが化仏に対して弥勒菩薩は仏塔である、呼称も区々で宝塔冠・法界塔印・五輪塔と呼ばれている、宝冠や左手に五輪塔を持った坐像・立像など多様な姿が現れる、また胎蔵界曼荼羅では蓮華座で右手に蓮の花,水瓶を持ち左手は掌をたてる、金剛界曼荼羅では賢劫十六尊として右手は水瓶、左手は腰に当てる、因みに密号を迅疾金剛と言う。
如来像は坐像が多く一部立像・倚像がある、印相は施無畏与願印が通常であるが触地印
(降魔印・試みの大仏東大寺)が存在する。
菩薩像の変遷としては奈良時代までは兜率天に於ける半跏思惟像が主流であるが、鎌倉時代頃から金沢文庫、称名寺等に代表される様に立像、坐像が現れる、印相としては右手与願印、左手は未開敷の蓮華を持つ像が多くなる。
特に菩薩像は中国・朝鮮・日本などで多く制作されおり、法隆寺五重塔内に弥勒浄土が有り、胎蔵界曼荼羅には中台八葉院の中に菩薩として存在は大きい。
弥勒菩薩の別姿と言われる菩薩で転法輪菩薩、正式には「纔発心(ざいはっしん)転法輪菩薩」と言われ金剛頂経や理趣経に八大菩薩として存在している、因みに八大菩薩とは・金剛手菩薩・観音菩薩・文殊菩薩・虚空蔵菩薩・金剛拳菩薩・虚空庫菩薩・摧一差切魔力菩薩を言う。

韓国・国宝83号の金銅製弥勒菩薩半跏像(韓国中央博物館所蔵)などは広隆寺の弥勒菩薩と酷似している、即ち宝冠が無紋で王冠形、右膝を大きく誇張、裳の二重巻、左脛に衣紋が無い、等々が挙げられる。(林南壽・広隆寺の研究・中央公論美術出版)さらに広隆寺の像は木裏を正面に彫られており、この手法は日本では見られない。
また中宮寺の菩薩像の場合上原和氏
(大和古寺幻想・講談社)の言われる様に、髪型の双髷(そうけい)は古代中国に於いて双鬟(そうかん)と呼ばれる未婚女性の髪形であり、若い女性をモデルとした菩薩像と考えられる。

中国に於いて菩薩像が女性的に造像され始めたのは七世紀前半である、観音菩薩を中心に女尊形が造像された原因として、則天武后623~705年)が関係しているかも知れない、彼女は弥勒菩薩の生まれ変わりを自称して君臨した、したがって女性の菩薩を造像させた可能性は否定出来ない。
弥勒菩薩の別尊とされる菩薩に「転法輪菩薩」がある、詳しくは「纔発心転(ざいはつしんてん)法輪(ぽうりん)菩薩」と言い八大菩薩の一尊として金剛輪もしくは宝珠を付けた蓮華を持っている。
山西省の雲岡石窟(第十窟)には交脚弥勒を中尊とする三尊像があるが、脇侍が両尊(弥勒ではない)とも菩薩半跏像であり半跏像が弥勒とは断定出来ない。
また中国に於いては「大胞弥勒」「大肚子弥勒仏」等と呼ばれており信仰は篤く、中国で生まれた禅宗系臨済宗、黄檗宗等では実在の人物布袋を弥勒仏の再来とみるところもある、特に夢想国師疎石
12751351年)布袋(ほてい)契此(けいし)の垂迹と信じていたとされ東福寺や万福寺などには布袋像が存在する。(大和古寺幻想・講談社 続仏像NHK)    
弥勒菩薩が憤怒姿に化身した場合に大輪明王と言う尊挌がある、八大明王に入る場合とインド・チベットの後期タントラの十大明王に入る。
 
中国に於いて菩薩像が女性的に造像され始めたのは七世紀前半である、観音菩薩を中心に女尊形の原因は則天武后623~705年)が関係しているかも知れない、彼女は弥勒菩薩の生まれ変わりを自称して君臨しており、女性の菩薩を造像させた可能性は否定出来ない。 


真言 オン マイタレイヤ ソワカ                                               


  當麻寺中之坊所蔵 
中宮寺菩薩像の模刻像) 
                                     

主な弥勒如来(菩薩)像 表内は国宝  印国指定重文  太字は弥勒仏(如来) 細字は菩薩 

 寺                名

仕                         様

          

 興 福  寺      (北円堂)

 木造漆箔 運慶作     141,5cm 

  鎌倉時代 

 当 麻 寺

 坐像 塑像漆箔      214,0cm 日本最古の如来像

  白鳳時代 

 慈尊院   (和歌山県九度山町

 木造 彩色         91,0cm

  平安時代 

 法隆寺五重塔  (塔本四面具)

 南面に弥勒浄土の塑像

  天平時代 

 広 隆 寺   (霊宝舘)菩薩

 半跏思惟像 木造(赤松一木造)漆箔(宝冠弥勒) 84,2cm

  朝鮮三国時代 

 広 隆 寺   (霊宝舘)菩薩

 半跏思惟像 木造漆箔(宝髷(ほうけい)弥勒) 66,4cm

  白鳳時代 

 中 宮 寺  伝如意輪観音

 半跏思惟像 木造(樟木)(くすのき) 彩色      87,0cm

  飛鳥時代  

 宝菩提院  伝如意輪観音

 木造   半跏二臂像 137,2cm 

  平安時代 

 鞍 馬 寺

 金銅三尊像 銅像(経塚から出土)  

  藤原時代 

 東大寺 (試みの大仏)

 坐像 木造 390cm 

  平安時代

東大寺試みの大仏は2015315日文化審議会(宮田亮平会長)答申で国宝に推薦
広隆寺半跏思惟像 木造漆箔(宝髻弥勒・泣き弥勒と呼ばれる)慈尊院―和歌山県伊都郡九度山
宝菩提院―京都西京区大原野、但し勝持寺(大原野春日)瑠璃光殿に収蔵 広隆寺・中宮寺・宝菩提院は如意輪観音と重複して記入。


薬師寺(講堂)(仏) 三尊 銅像鍍金  中尊 267,5cm  法苑林菩薩 288,7cm  大妙相菩薩 301,4cm  
旧名・薬師三尊 西院弥勒堂の本尊とされる尊像で法相宗唯識)の初祖を弥勒菩薩とする説がある事から、薬師寺では2003年(平成15年)以降弥勒三尊と呼称している、従って脇侍は法苑林(ほうおうりん)菩薩と大妙相菩薩(だいみょう そうぼさつ)となる。 
この弥勒三尊像には出自及び制作年代に諸説があり唐招提寺からの移座説や植槻(うえつき)寺の本尊説などがある、ただし(文化財指定は薬師如来と日光、月光菩薩)。 
法隆寺(仏)木造彩色 71,5cm 平安時代    

法隆寺坐像(菩)木造彩色 94,0cm 平安時代     
法隆寺半跏(菩)木造彩色 9,0cm 平安時代          
興福寺 坐像 厨子入り半跏像(菩)木造 漆箔 彩色 57,0cm 鎌倉時代    
唐招提寺(講堂)(仏) 座像 木造漆箔 283,cm  鎌倉時代  
薬師寺(菩)木造漆箔 坐像 87,5cm 鎌倉時代  
称名寺(菩)立像 木造漆箔 194,0cm 鎌倉時代  
金胎寺(菩)坐像 木造漆箔 88,8cm 鎌倉時代 
大野寺(仏)石像線刻 鎌倉時代                    
室生寺(弥勒堂)菩薩立像 木造 95,4cm 平安時代  
野中寺(大阪府羽曳野市)菩薩 半跏 銅像鍍金 18.5cm  白鳳時代  台座に弥勒の銘 18日開扉   
醍醐寺 菩薩 坐像 木造金泥 玉眼 112,0cm  鎌倉時代  快慶作 現存する最古の金泥像
考恩寺(仏)説法印)木造彩色 867cm 平安時代  
観心寺坐像(大阪)(菩)木造漆箔 108,4cmcm 平安時代 
弥勒教会(茨木)(仏) 立像 木造漆箔 玉眼 177,0cm 平安時代     
金心寺(兵庫)(仏)木造漆箔 125,5cm 平安時代
弥勒寺(奈良)(仏)楠一木造金箔 坐像 147.3㎝  平安時代 中堂山龍華院  大和高田市土庫2丁目8-13 平成24年9月指定 
 

注1、 日本の木造仏はくすのき樟・桧など加工性に優れた材に刻んでいるが広隆寺の弥勒菩薩の場合は加工の難しい(逆目になり易い)朝鮮赤松により一木で制作しており大変優れた加工技術といえる。
  

2 、 兜率天は梵語のトゥシタTuitaの音訳で「覩史多」とも漢訳され満足すると意訳できる、須弥山(しゆみせん)の上空に位置し三界では欲界に属する。
この天は欲界六天の下から四番目にあたりその住人は欲望の呪縛をかなり脱しており七宝の宮殿があり内院は請来仏となるべき菩薩の住処とされる、外院は眷属の住む場とされ釈迦はここから下界へ下ったと言う、因みに「
須弥山」(スメール、sumeru)とは七つの山脈と八大海に囲まれ高さは八億㍍とも言う、また和訳すれば妙高山等となる、弥勒菩薩は兜率天の内院四十九院に住んでいるが、宝石類に囲まれた極楽浄土に比べ遜色無く見えるが住人は六道輪廻の範疇にあり百億人の天子及び五百万億の天女達には五衰が待ち受けている。  

兜率天と五十六億七千万年  覩史多(とした)兜率陀天とも言われ、無色界・色界・欲界の三界の中では最下位の欲界に位置する、その住人は欲望の束縛を概ね脱している、七宝の宮殿に内外の二院があり内院は将来仏となるべき菩薩の住所であり、外院は眷属の天子達の住所とされる、釈尊は内院から下生したとされる。
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7000万年の計算法は諸説あるが弥勒菩薩の住む兜率天の一日は下界の四百年に相当する・兜率天の住人の寿命は4千年であり一年を三百六十日と計算されている、したがって360日X400倍X4000年=56億7千万年と計算される、最近の研究者の間で567百万年説が有力視されるがいずれにしても無限に等しい時間である、「弥勒上生経」に依れば兜率天には500万億の天人天女が住み同数の宝宮が有ると言う、弥勒菩薩はこの宮殿の摩尼上部の獅子座に住むとされる。
三界には①無色界--悟りが出来た世界で、四界あり最上階を有頂天と言う、 ②色界--③欲界の上にある天界で四禅界がある、 ③欲界―六界があり天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄がある。


3、弥勒菩薩の別名は意訳の慈悲から慈尊とも言われ高野山の玄関口の慈尊院の寺名は弥勒菩薩が本尊である事から来ている、阿弥陀経には弥勒菩薩は「阿逸多(あいった)菩薩」と記述されているが同尊と言われる、阿逸多は梵語で Ajita と記述し無勝等と意訳される、但し中阿含経中の説本経などの記述に依れば別人説もある

4一生補処(いっしょうふしょ) 
(梵語eka-jāti-pratibaddha・異本eka-jāti-pratibaddha)とは略して「補処の菩薩」とも言い、菩薩の最高位の等覚(とうがく)にあり現在は因位にあるが、次回に娑婆に下生(げしょう)したら如来(覚者)となる事が約束されている菩薩、即ち弥勒菩薩を言う、因みに仏の位置を「仏処」「果位」とも言う、一生補処の菩薩、弥勒菩薩であるが、法華経維摩経に於ける評価は高くはない。   因位(いん)(菩薩)⇔果位(かい)(如来)

5、須弥山 梵語名Sumeru(スメール)で蘇迷盧(そめいろ)とも記述される、全宇宙の中心の山で周りを九山八海が囲み兜率天も須弥山の最上層にあり須弥山を囲む一世界で日本では妙高山とも想定されている。

6、弥勒五論  チベットの学僧プトンの仏教史の中で「大乗荘厳経論」「中辺分別論」「法法性分別論」「宝性論」「現観荘厳論」を言い、無著七論、世親八論が伝えられる。(唯識ということ・兵藤一夫)

7 、 弥勒菩薩と仏塔について大迦葉釈迦如来から預かった衣鉢を弥勒菩薩に献上するために、留身入定の伝承を持つ鶏足山の仏塔と言われる。  インド密教・田中公明・春秋社


8末法思想と三時観  中国の僧で天台智顗(ちぎ)の師である、慧思(     えし)(515577年)による歴史観でもある、三時思想とも言い阿含経に拠れば釈迦如来の入滅後に弥勒佛の現れるまでの空白期間を示す正法・像法・末法を言う、当初は正法・像法が言われたが六世紀頃にインドで三時観となる、釈尊入滅後に於ける佛教流布期間を三期間の分類したもので正法は釈尊の教えが正しく伝わり、像法に於いてはやや形骸化するが教えの形は守られる、末法に到り経典は残るが漸衰滅亡すると言う。

三時思想に付いて六世紀中国に於いて三階教と言う宗派があって行基に影響を与えたとの説もある、三階教とは六世紀末中国の北斉で起った宗派で行基に影響を与えた、三時観の分類を利用して、現在は三階即ち末法であるとして「大方広十輪経」「大集経」「明三階仏法」「略明法界衆生機浅深法」を依経として既成宗派と対抗した宗派である
「大集経」などに依れば個々の期間は五百年・千年など諸説があるがしだいに「大悲心経」を依経とした千年説が広がる、これは中国に佛教が伝来時には末法にならない為に調整したとも考えられる、また一時観を千年とした根拠は、中国に於いては釈尊の生誕はBC948年としている、これは孔子よりも先に生誕した様に記録したかったとされる、三時観は日本に伝わり最澄が重要視し「守護国界章」を著している、定かではないが「末法燈明記」も最澄の著作と言われている、因みに末法燈明記に依れば正法五百年、像法千年、末法一万年とされている、これは「大集月蔵分」「法滅尽品」「摩訶麻耶経」等も同様である。
天台宗の「法華玄義」巻五のと「十地経論」巻三に「教行証」「大乗法苑義林章」等に依れば、佛法とは・証・行・教を言い正法とは三時が揃う事を言い、像法は証が失われ末法は証と行が失われる教のみが残る事を云う、証とは絶対知の感得を言い行は絶対知の感得の為の修行を言われる、また教は絶対知を感得する案内書すなわち経典を指す。
末法を法滅と言い経典も無く壊滅的な時代を言い末法の後、すなわち「法滅期」となる解釈もある、
経道滅尽(きょうどうめつじん)(saddharma-vipralopa)すなわち法滅とは仏法の滅びる事をいう、正法・像法・末法の三時を過ぎると仏法は滅尽すると「大方等大集経」の第55券である月藏分の分布閻浮提品に書記述されている。
但し涅槃経には末法の中から再び、仏法が再生すると説かれている、因みに涅槃とはニルヴァーナ(nirvāa)と言いニルは「外へ」、ヴァーナは「吹き消す」を意味する

注9、成生経と下生経であるが、成生経は弥勒の住む兜率天に上り弥勒と共に娑婆へ下る信仰である、下生経は弥勒が如来として現れるのを待つ信仰を言う。

10、菩薩の位には五位がある。  1、資糧(しりょうい)()・(聞思段階)  2加行位(けぎょうい)(修める) 3通達位(つうだつい) 4修習位(しゅじゅい) 5究竟位(くきょうい)と進む、また10段階に分類する十地(じゅうじ)は初地(歓喜地)から 九地(仏地)・十地(法運地)までに分類されている。
また「菩薩瓔珞本業経」に拠る分類法があり52段階に分類される、即ち覚者もしくは近い順から「妙覚」「等覚」とありその下に各10段階を「十地」「十廻向」「十行」「十住」「十信」に分類される、また護国三部経の一典「仁王般若経」にも51段階の記述がある様だ。
また菩薩の十地がある、華厳経に於いて・歓喜地(かんきじ) ・発光地(はっこうじ) ・離垢地(りくじ) ・焔光地(えんこうじ) ・難勝地(なんしょうじ) ・現前地(げんぜんじ)遠行地(おんぎょうじ) ・不動地(ふどうじ) ・善想地(ぜんそうじ) ・法相地(ほううんじ)があり52の修行段階の後半の十地を言う。その他 声門 縁覚などにも十地は存在する。

注11、 56億7千万年大変かつ、天文学的な数値であるが、英国の宇宙学者m、w オーベンデンの説を挙げれば、巨視的な宇宙観から観れば二億年で一宇宙年と言う説もある、銀河系宇宙は直径は六万光年ある、太陽系宇宙は銀河系の端に位置していると言う、因みに月から地球まで光の届く時間は凡そ一秒、太陽から地球までは凡そ八分である、銀河系の形成は約二百億年(100年)、太陽の形成は五十億年前(25年)、地球の形成は四十億年前(20年)、キリストの誕生は五分十五秒前(2000年)、釈尊の死は六分十二秒前(Bc382年)だそうである。 ()内は現代の時間単位  
法華経を読む 紀野一義著 大宝輪閣より。
立川武蔵氏は弥勒は兜率天に居てすぐには降りてこない、降りてくると謡いながら現実に降りてくることはない、何億年も後に降臨すると言うが降りてこないと同じである、神佛が降臨すると言う思想は仏教に無い。    
    

 



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