密教       説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif       仏像案内    寺院案内     曼荼羅   仏教   真言宗   天台宗

密教は釈尊入滅後凡そ千年経過した七世紀頃に成立した、仏教の発祥国インドに於いて土着信仰のヒンドー教と仏教、ジャイナ教との三教が習合して最後に興った教義で共通基盤にあるスピリチュアリティ(霊性・spirituaな組織である、密教は中国に渡り不空、恵果等により、儒教の持つ集団救済思想の影響か、鎮護国家的な教義を加えて興隆した処で日本に請来された。
密教のキーワード
(Keyword)として覚りを内に持つ「佛の内証(ないしょう)を指す」にある、・祈禱(きとう)神霊(しんれい)・儀礼・呪術(じゅじゅつ)・象徴主義を取り込んだ神秘主義的な哲学を持つ、密教のプロパガンダpropagandaに「言語道断・心行処滅(しいんぎょうしょめつ)」即ち密教を覚る境地は広大深淵であり言語、思想、概念で示す事は出来ないという、正木晃氏の手法を借用すれば、所謂顕教は念仏・題目なり座禅等一つにポイントに於いて解けば良いが密教は複雑、多様性、微密等々を併せ持つ特性にあろう。密教・講談社)
仏像等の種類は面多臂(ためんたひ)となり、(おびただ)しく多様化した、これ等はヒンドゥー教の
シヴァ神 Śivaなど最高神の影響を受けている、密教は後期大乗仏教の範疇に入る、密教を顕教の教義面から観れば外道と言えるほどの相違がある、しかし密教は後期大乗仏教の範疇には違いない、大乗は阿含などを初めとする伝統仏教の教義に限定される事なく、仏説として容認する共通項を有している為と言える、成立は七世紀頃であるがインドに於けるエトスēthos即ち行動様式はバラモン、ヒンドゥー教の影響を色濃く受けている、特に後期密教はヒンドゥー教の影響は大きく法華経にまでおよび後から付加された六品はさながらヒンドゥー教的である、正木晃氏に依ればインドに於いては密教が興るまでは大乗仏教はマイナーな組織で上座部仏教が主流であったという(あなたの知らない仏教入門・春秋社)
因みにシヴァとはヒンドゥー教に於ける、ヒンド―教の三最高神の一尊である、三最高神とは・ブラフマー梵天・創造・Brahmā ・ヴィシュヌ那羅延天(ならえんてん)維持・Viṣṇu ・シヴァ(破壊・Śivaを言う、但し三神は同尊であると言う解釈からこれを三神一体(Trimurti・トリムールティ)と呼ばれている、ヒンドゥー教が台頭していた頃、インド密教と融和的に取り持ったのは観音菩薩である、と佐久間瑠理子氏は言う、また立川武蔵氏はタントリズムTantrism即ち密教は仏教だけに興ったのでなく、ヒンド―教の一部、ジャイナ教の一部、仏教の一部に存在したと言う、因みにタントラとはヒンドー教の秘儀聖典を言うが後期密教に於いては呪術・占星・祭式・医術・薬学などが加わる。
神霊、儀礼、象徴主義は呪術が必須であるが、釈尊の佛教はこれを否定している、即ち呪術は「神を操り、神に指示する事」であり、佛教以外の一神教では聖書の出エジプト記3-15・創世記32や十戒の3は呪術を予防した為と考えられる、即ち一神教に於ける救済の有無は神のみの思惑とされる予定説が主流であり、イスラム流に言えば「インシャラーinshallahラー(Allāhの御心のままにとなる。
神霊、儀礼を多用する密教はマックスヴェーバー
Max Weber 1864421日~1920614日)の言う非合理的な呪からの解放から下火に推移していたが、チベット佛教のダライ ラマ14193576日~法名テンジン・ギャツォ)の影響もあり二十世紀後半から再評価されている、神秘的体験を重視する点に於いては後発の禅宗系と共通する部分がある。
密教のキーワードは即身成仏と言えよう、経典には即身成仏の記述は無いが、空海の即身成仏義には「六大無礙にして常に瑜伽なり 四種曼荼各々離れず 三密加持すれば速疾に顕る 重々帝網なるを即身と名ずく」と説かれている、六大とは地、水、火、風、空、識を言う、四種曼荼は曼荼羅参照、三密加持とは大日如来の心が行者に宿る事を言う、曼荼羅には最高の菩提心
無上正等覚(むじょうしょうとうがく)阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)すなわち覚りの世界を示す「輪円具足(えんりんぐそく)」と呼ばれている。
秘密仏教の略称すなわち密教とは毘盧遮那仏即ち大日如来と一体、すなわち「即身成仏」と成る事を目指す教えである、これに論理性を加えると「仏の内証」になる、内証とは自内証とも言い、仏の覚りの境地
(心の内)を言い、あまりにも深遠で言語・思想・概念の領域で語る事が不可能な教義であると言われている、即ち「言語道断」「心行処滅(しんぎょうしょめつ)
(注9である、要するに密儀すなわち秘密の儀式を行う宗派である、この場合に於いて密儀とは・呪文・真言・陀羅尼・心呪・明呪などを言う、因みに正木晃氏に依れば”即身成仏“と言う熟語は密教のキーワードとも言えるが、経典に即身成仏の記述は観られないと言う、但し空海の「即身成仏義」は経典ではないが、日本では空海すなわち即身成仏義を嚆矢として広く言われる様になった。
仏教は奇跡を認知しないが通常能力の延長線上に五神通(ごじんつう)(10)を認めている、但し能力の開発や使用を厳禁している、が大乗仏教の興隆と共に禁断の実すなわち呪が利用される様になる、密教の場合は一段と著しくなる。  
七世紀頃インドに於ける古代信仰の経典であるタントラTantraの所作、秘密教義体系、インド舞踊を参考にした印契(いんげい)を採用している密教には複数の呼称がある、即ち・金剛乗 vajrayāna(ヴァジュラヤーナ)・真言乗mantrayāna(マントラヤーナ)・真言道mantr naa(マントラナヤ) 、和製英語のエソテリックブッデズム(後述、注4)などが言われている因みにタントラTantraとは梵語に於ける本来の意味は織物である。
覚りの境界を言う内証を変換した状態が密教、すなわち真言は真実の言葉でありマントラと言う、元来マントラはヒンズー教のリグヴェーダgveda聖典(注5のものである、即ち密教=真言(真実の言葉)である、マントラ(Mantra)を咀嚼すれば「思考し、崇拝し呪文を誦する」と言える、これを儀礼化したのが密教である、因みに内証(ないしょう)とは仏の覚りの境地、言語や心を滅却した「言語道断・心行処滅」とされる、因みにVajra即ち金剛はインドではヒンズー教などの諸尊と区別する目的で仏教尊に付けられた。 
潮流と言える程に広範囲な仏教哲学の分類に上座部仏教(部派、小乗)、大乗仏教の他に密教と顕教に分類する著述が多い、密教とは正木晃氏の密教(講談社)を要約すれば・神秘主義・象徴主義・儀礼主義の三点を集合的に強調した哲学と言える、また森雅秀氏は密教に宗祖は存在しないと言う、空海以後、呪すなわち怨霊鎮魂や雨乞いに祈祷で飛躍的に発展した、因みに怨霊鎮魂は源氏物語に多く記述される、空海等が成功した祈雨(きう)すなわち「雨乞い」の行は稲作農家に広く信仰された、密教は辟邪(へきじゃ)信仰と言えるのかも知れない、密教と対岸に位置する顕教とは「人間として生を受けた釈尊が仏となり人間の言葉で説いた教えである」、閑話休題、密教と顕教の鼎立に付いては密教側の主張で密教の優位性を主張、すなわち「顕劣密優(けんれつみつゆう)」を言う為の造語であり、既存宗派に於いて顕教と呼称する事は無い。
密教は神秘主義的、儀礼主義的、象徴主義的と言われるが、とても三枠に収まりきる教えではない、但し密教の教えは仏滅後八百年以上経過し小乗ー部派ー大乗ー密教の流れの中で釈尊の教えとされる教義との相違は著しい、二十世紀最後の怪僧と言われた橋本凝胤氏
18971978年 薬師寺)に依れば「空海が唐から将来したのは仏教ではない、空海は新興宗教の開祖である、彼はずるい人だ」とまで言う、釈尊が否定した梵我一如と言える密教は、しかし釈尊が成道から27日目に説いたとされる華厳経から多く踏襲している。 

密教の内で中期密教は空海により齎されたが、初期の密教(雑密ナ)玄肪(?~746年)735年帰国時に招来した善無畏や金剛智等の漢訳経典によるものであろう、因みに正倉院文書には六十二典の密教経典があるといわれる。

玄昉、道鏡などの雑密から空海の純密までの隘路に関して、玄昉、道鏡の出自に対して、武内孝善氏は空海の母方の「阿刀氏の一族から、玄昉、善珠、道鏡、玄賓など奈良から平安初期を代表する高僧を少なからず輩出している」と言う、(空海はいかにして空海となったか、角川選書)、道鏡は弓削姓であるが、阿刀と同じ物部氏の末とされている。

日本密教と言えば空海であるが、雑密に分類される僧侶は道鏡(?~772年),玄肪、三論僧の道慈(?~744年)東大寺建立の呪願師を務めた道璿(どうせん)720760年頃)、神叡(?~737年)、空海の師とも言われる勤操(ごんそう)758827年)等が挙げられる。 

仏教全体を仏像に表現して置き換えると顕教は独尊での安置が大勢を占めるが、密教は神秘主義を中尊として象徴主義と儀礼主義を脇侍に従えたと言える、表現すなわち密教を一言で定義すると「婆羅門、ヒンズー教的仏教」と言える、密教の根幹は客観的真理すなわち「理」と主観的真理を言う「智」を不二とする事にあるとされる、不二とは国語辞典に依れば「二つとないこと、無二」と書かれている、因みに初期の仏教では密教の特徴と言える呪術儀礼、秘教義(表面から観えない教義)を否定している、脱線するが密教は釈尊が否定した梵我一如ズバリと言えよう。 
密教と言う用語は中国を経て日本で始められた熟語であるがインドでは秘密
guhyaの用語が随所で使用されている、秘密仏教を略して密教と言うが、顕教の様に総てを開示して隠される事がないのに比べて、密教は灌頂を受けていない者には教義を顕示されることは無い事から来ている。

「弁顕密二教論」に於いて空海は「衆生秘密」と「如来秘密」と言う二秘密があると言う、衆生秘密とは露顕された真実に凡夫は気がつかない為に秘密に見える状態である、対して如来秘密は低レベルの凡夫に相承(そうじょう)すると害が大きい為に意図的に秘密とされた教えである、脱線するが師から弟子への師子相承には口伝と切紙相承がある、切紙とは要点をメモした程度のメモ的な様式であった様である、また「嫡嫡相承(てきてきそうじょう)」と言う用語も同意である。
日本では密教の分類は前期(初期)、中期、後期に分類されるが前期を雑密とも言い陀羅尼と占星法中心とした未整備な状態から空海により中期即ち純密時代となる、後期密教はチベット周辺を除き中国や日本では淫し、と観られて興隆する事は無かった、世界的にはダライラマの影響か、チベットで興隆している後期密教とも言える無上瑜伽タントラが主流である。
密教はインドを嚆矢としてインドネシア、カンボジア等でも栄えていたが、現在では世界を俯瞰しても密教が活動している処は中期、後期を含めても日本とチベット、ネパール、ブータン程度である。
中国や日本に将来されなかった後期密教に於ける曼荼羅は金剛界曼荼羅に限定されるが主尊の坐を大日如来から文殊金剛
(文殊金剛十九尊曼荼羅)、触金剛女を伴う阿閦如来(阿閦三十二尊曼荼羅)が主尊を勤めている。ここで中期密教と後期密教の比較をインド後期密教・松長有慶著・春秋社を参考に記述する、憤怒形、多面多臂、女性配偶者を抱く、yab-yun チベット語)主尊の交代(大日如来~金剛薩多 阿閦如来 等)殺生 セックスの容認、人間の生理活動の応用である。  


密教の分類表を正木晃著・密教・講談社を参考に作成した。(後期密教を中国日本では左道佛教としていたがチベットやブータン等で信仰され左道とは呼称されなくなった)。

   分    類  

  時  代

         依      経

崇 拝 佛  

範  囲

前期雑密  所作タントラ

26世紀

灌頂経 金光明経 陀羅尼集経 虚空蔵求聞持法

 釈迦如来

 

中期純密  行タントラ

7世紀前半

大毘盧遮那仏神変加持経(大日経)

 毘盧遮那仏(大日如来)

生起次第

中期純密  瑜伽タントラ

78世紀

金剛頂経 大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅蜜多理趣品(理趣経)

 毘盧遮那仏(大日如来)

生起次第

後期密教  無上瑜伽タントラ

812世紀

ダヒヤサマージャタントラ  カーラチャクラタントラ  秘密集会 呼金剛  時輪タントラ

ダヒヤサマージャ  ヘーヴァジュラ  チャクラサンヴァラ カーラチャク 

生起次第、究竟次第

*両部不二や金胎理智不二の理論は恵果以降の中国の密教である、従ってチベット仏教には両部不二とは言わない為に時代分析には所作タントラ~無上瑜伽タントラと分類されている。
*八世紀末に儀式を統括したサンヴァローダヤ・タントラ(savarodaya-tantra)であるが、カーラチャクラ(kālacakra-tantra時輪タントラ)はイスラムの影響を受けている。         
* 「虚空蔵菩薩(のう)満諸願最勝心陀羅尼求聞持法(まんしょがんさいしょうしんだらにぐもんじほう)」を略して虚空蔵求聞持法と言う。
* 純密とは正純密教の略で、雑密は雑部密教の略で空海以前を言う。(日本での区分)
* 主な経典に於いては初期だけでも35典以上挙げられており、上表はごく一部に過ぎない。

チベット仏教の瞑想修行は生起次第(しょうきしだい)究竟次第(くぎょうしだい)に分類される、「生起次第」とは、総ての世界は仏たちが集合する曼荼羅世界である、総てが曼荼羅を形成上不可欠な瞑想である、仏を瞑想し心身に浸透させる行を言う、「究竟次第」とは日本に伝来しなかった、性的ヨーガに関する行法がある為に秘密のベールにあり淫し邪教と見られた、因みに究竟とは絶対最高・究極の性愛瞑想とでも理解すべきか。


初期密教いわゆる雑密(雑部密教)から中期密教すなわち純密(正純密教)(注8への移行に付いて密教学の泰斗頼富元宏氏は
本尊仏が釈迦如来から毘廬遮那(大日如来)へ、
ご利益の成就から成仏(成仏悉地)へ、
陀羅尼、真言の呪から曼荼羅観想へ、
本尊瑜伽に必須の曼荼羅整備を挙げられている。 

四世紀頃に雑密(雑部密教、初期密教)経典類が編纂され初め七世紀には両部の大経が編纂され純密(正純密教、中期密教)の時代となる、呪術・印相・法具・曼荼羅陀羅尼・真言・声明を集合した神秘性と儀礼を重視した複合的貯蔵庫を備えた宗教である、正木晃氏に依れば顕教が現世を否定的に解釈するのに対して、密教は現世を肯定的に受容してインド仏教の主流になる、さらに大乗仏教の継承を目指して各国に伝播した、三世紀前半中国に於いては初期密教と比較的相違の少なく占星法、神仙術や陰陽五行を重要視する道教があり、抵抗なく受け入れられた、因みに空海は雑部を「真言宗所学経律論目録(三学緑)」で扱っているが純密と言う語彙は用いていない。

この時代唐では渡来僧を含めて多くの俊英が現れた・金剛智・不空・善無畏・一行・恵果により中期密教が体系を整える、日本に於いては唐の恵果を経て空海の手で更に儒教道教を包括し複合性を持たせ浸透した教学である、空海の密教とは胎蔵曼荼羅の「理法身」と金剛界曼荼羅の「智法身」とで唯一絶対の真理を言う。
密教はインドに於いては政治に関与する事は無いが、中国へ招来されインドでは痕跡すら診られない国家鎮護が前面に現れ始めた、特に中国密教の立役者で真言八祖の第四祖である不空
(705~774年)による経典の変容は著しい。
中国に前期密教が招来されたのは34世紀と早いが、中期密教は唐王朝の78世紀頃で全盛を極めたのは9世紀初めの100年弱である、10世紀唐の滅亡の時期には完全に精彩を失った、一説には共通点の多い土着の道教に敗れたとも言われている、但し中国の密教系の遺跡や遺品等は会昌の廃仏や続く戦乱の為に多くは無い。
顕教とは密教側からの侮蔑を含んだ解釈の用語であり、密教以外の宗派では使用されない、露顕された教え即ち浅薄の意味を持ち二項対立を煽り「顕劣密勝」を誇張し侮蔑的である、因みに「顕劣密勝」も密教側の用語である、これは大乗仏教側が上座部仏教を小乗仏教と揶揄した事と同根である。
仏教が起こってから上座部仏教
テーラーワーダTheravāda)を経て大乗仏教マハーヤーナMahāyānaから護摩などのリグ、ヴェーダ聖典Rgvedaからの儀礼を尊重し採用した密教即ちタントリズムTantrismが起りインドを起点として各地に広がった、因みに日本に於いては中期密教経典もストーラ(sūtra)と呼び後期密教をタントラ(tantra)と呼ぶがチベットに於いてはストーラである、二項対立と言えば大乗と小乗も既存哲学との比較で優位性の宣伝と言える。
タントラの日本語の意訳であるが正木晃氏は「連続」「相続」が有効らしい、タントリズム、即ちイズムは「教え」を意味する、但しチベットに於いては前後期関係なくタントラと呼称する。

顕教宗派に於いてキーワードは概ね一つである、即ち念佛系は念佛、日蓮系はお題目、禅系は参禅、と言う様に理解が比較的容易であるが、密教は最初に述べた儀礼・象徴主義、神秘主義に視覚を利用した曼荼羅、声で真言、呪文等々が利用されり、密教は顕教に比べて複雑である、難解さに付いて空海は言う、「密蔵深玄にして翰墨(かんぼく)に載せ難し、(かわり)に図画を仮りて悟らざるに開示す」すなわち筆舌に顕せない論を絵にする事と意味であろう、これを仏教用語の熟語で著せば「心行処滅(しんぎょうしょめつ)」「言語道断(ごんごどうだん)」と言う、因みに言語道断は「大辞泉」に依れば「奥深い真理は言葉で表現できないこと」とある、但し出典源は維摩経、阿閦佛品とされる、また顕教に比べ多くの儀礼法式がある、即ち灌頂・大元帥法・不動法・五壇法・七仏薬師法・如意輪法・孔雀経法・愛染王法・大威徳法・北斗法等があり、平安時代には国の儀礼や禁裏、貴族達の私的儀礼に採用された。(顕教では仁王会・御斎会・季御読経などを言う) 
真言宗と密教は同義語とも言える、真言門=密教である、現在では真言宗は東密、天台宗は台密と分類されているが、歴史的には台密も真言門に加えられていた、
天台随一の碩学、安然の理論は「仏の所説乃至(ないし)その法門は悉く真言教」と言い、五教判即ち「円劣密勝」を言う、すなわち安然の主張は一大円教にある、仏法の教義は全てが密教であると言う、他に教えはなく毘盧遮那如来(大日如来)一佛のみで、諸仏も大日如来そのものであると言う教説で一神教的な要素が加わる。
顕密の分類に「真理の宝鬘
tattva-ranāvli」に於いて顕教を「波羅蜜理趣pāramitānaya」とし、密教を「真言理趣mantraya」と分類した学匠もいた。(インド密教、春秋社、第3章) 
空海は弁顕密二教論に於いて三点を強調している、即ち1、「法身説法」大日如来が直接説法を行う。 2、「果分可説」仏法の究極即ち覚りを説く事が可能。 3、「即身成仏」現世で生身の状態で佛になれる、但し密教経典に即身成仏と言うタームは無い、インド哲学の宇井伯寿(注⒒)氏ではないが即身成仏を成し得た人物の存在例は無いと論破する、宇井氏等の論が正しければR、コンブリッジの言う仏陀は最も遅く表れた覚者と言うことになる。 
冒頭の如く密教の呼称に付いて金剛乗 vajrayāna(ヴァジュラヤーナ)とか真言乗mantrayāna(マントラヤーナ)とも言われている、但しジャワ学の石井和子氏は梵語文献には真言乗や金剛乗は無いと言う、真言道もmantrnaaよりも大乗の幹線道路すなわちmahā marggaと言う。
大乗仏教が衆生に媚びした祭儀を回避し高邁な学問仏教となり衰退に向かう、土着信仰とバラモンとが習合したヒンズー教に凌駕され始めた頃、既存佛教にヒンズー哲学すなわち神秘・儀礼・象徴思想を取り入れて登場したのが密教である。

密教に於ける四分法を確立したチベット学僧のプト12901364年)に依る分類は密教の発達段階を含めている。

・作タントラ(前期tantra)(灌頂経など)  ・行タントラ(中期tantra)(大日経など)・瑜伽タントラ(中期tantra)(金剛頂経など) ・無上瑜伽タントラ(後期tantra)(秘密集会経など)に分けられている、この中で作タントラを大日経以前に置かれる、大日経は行タントラの範疇にあり、金剛頂経系列は瑜伽行タントラに置かれている、更に無上瑜伽タントラにある密教は金剛頂経以降すなわち後期密教を指している。 

密教と言えば即身成仏である、空海の「即身成仏義」に始まる様であるが、非常に難解な論理で典拠は「菩提心論」と言われている、菩提心論には真言密教のみが即身成仏が可能と書かれているが翻訳者は龍猛か不空等定かでない、経典から観れば大日経は「一切智智」を強調しており顕教とは同一でないが空を説いている、即ち後述の金剛頂経と違い、空の残滓があり大乗仏教の範疇に納まっている。

対して金剛頂経は根幹に即身成仏がある、顕教の場合、成仏までの時間軸は劫kalpa・カルパ)であり菩薩から三劫成仏、五劫or五十六億七千万年もの利他行を必要する時間から、一気に真言・五相成身観(ごそうしょうじんかん)等で成仏しており大乗仏教枠からも飛び出している。
共通点が多い密教とヒンズー教の関連に付いてはジャワ(インドネシア)を例にとれば14世紀イスラムに制圧されるまでは密教、ヒンズー教とも区別されないで信仰されていた、但しインドではヒンズーに迎合しながらカーストには批判的な一面を持っていた。
日本に於いては玄昉達がもたらした開元釈教録(かいげんしゃくきょうろく)等の五千巻の経典の中に密教経典があり密教の胚芽が芽生える、さらに多くの経典や法具を招来し活躍した空海により真言声明(しょうみょう)すなわち南山進流(なんざんしんりゅう)声明などを加えて熟成されたのが日本密教である、他に良忍に依る天台系声明がある。  
宗教全般に言える事であるが、特に仏教には経典の記述のみでは蘊奥を感得する事が不可能であるとされる、空海の請来目録にある「密蔵は深玄(しんげん)にして翰墨(かんぼく)に載せ難し」、表現を変えれば深遠な覚りの境地は筆舌では表現する事が出来ない、密教は「即身成仏」を目指す教派である、師と弟子の相乗関係が特に重要である、師資相乗即ち師から弟子に教義・儀礼を直接伝持する為に正式には秘密仏教と言う、また現世を諦めて来世の救いを求める傾向が強い顕教すなわち「露顕された教え」に比べて密教は積極的に現世を肯定している。  
松長有慶氏は「空海の般若心経の秘密を読み解く」のなかで、密教では象徴を通じて「果文(かぶん)不可説」は可能と言われる、果文不可説とは覚りの体験を日常用語で示すのは不可能と言う意味で、対極に因文があり混迷した現実を言う。 
密教と通常の仏教すなわち顕教の相違としては、行は別として顕教すなわち露顕された教義の場合は経典を読み教義を理解する「浅略釈(せんりゃくさく)」に位置付される、密教に於いては本質を体感する「深秘釈(しんびさく)」にあると言う、顕教は三乗いわゆる経、律、論で足りるとされるが、密教(真言)の本質は三密行、また行以前に三業とも言い、要するに身・口・意にある、身密(行動、手で印を結ぶ、身体的活動)口密(くみつ)(真言を唱える、言語的活動)・意密(仏を拝する心、意思、精神的活動)にある、空海は著書「秘蔵宝鑰(ほうやく)」に於いて「顕薬は塵を払い、真言(密教)は庫を開く」と言う、密教に於いては真言や陀羅尼は神秘性保持の為に梵字や陀羅尼を翻訳しないで、直接読誦されている、これ等を「(さん)密加持(みつかじ)」と言い即身成仏への仕様と言える、因みに密教の仏達の特徴は成仏であるが、財や寿命等の願望成就を目的とした呪術を併せ持っている。

上記の身密に関する(いん)(げい)Mudraには大日経の密印品に記述される六種拳と十二合掌の組み合わせがある、基本とされる六種類の印相を六種(ろくしゅ)(けん)と言う、 六種拳には1、金剛(こんごう)(けん)、2、蓮華拳、3内縛(ないばく)4、外縛拳 、5、如来拳、6、忿怒拳 がある、14が本来の印母で56は類印とされる。

十二合掌とは*堅実(けんじつ)(しん)合掌(がっしょう) *虚心(こしん)合掌 *未敷(みふ)蓮華(れんげ)合掌 *初割(しょかつ)(れん)合掌 *(けん)()合掌 *()(すい)合掌 *帰命(きみょう)合掌  *(はん)(しゃ)合掌 *反背互相著(はんはいごそうちゃく)合掌 *反背互相著(はんはいごそうちゃく)合掌 *横柱指(おうしゅし)合掌 *覆手(ふしゅ)向下(こうげ)合掌 *()(しゅ)合掌が挙げられる、因みに印はインド舞踊の手振り言語が嚆矢である。

合掌印の起源は五千年以上の歴史を有する、インドの風習で最古に属する印相でアンジャリAñjaliと言い、降伏帰順・武器を所持しない証、帰依崇拝から挨拶になった、現在でも印度での挨拶は合掌(アンジャリー añjale)からである。   

経典の内容を合理的分析や理解する事だけでは無く、「師資相承による灌頂」即ち師から弟子への伝授・面授を体感する事にあり深秘釈を修める必要があると言う、故に正式名称を秘密仏教と言う、因みに後期密教を伝えるチベット仏教に於いては顕教を経と呼称し、密教を密咒と言う意味に表現される、もう一つの相違点として顕教の場合は娑婆世界は苦であり、否定的に観るが密教では即身成仏すなわち肯定的に把握している、顕密の語源は大智度論が嚆矢の様で意味合いは少し異なるが、如来に於けるサルベージの偉大さを「仏法には秘密・顕示の二種がある」「仏事には密・と現がある」に使用されている。

日本密教の要諦は 毘盧遮那仏大日如来の世界を荘厳に粉飾する事である、すなわち十住心論の到達点に言われる「秘密荘厳住心」と言える。 
密教で言われる五智とは大日如来の智を五種に分類したもので
法界体性智、
大円鏡智、
平等性智、 
妙観察智、
成所作智、があり、は大日如来総体の智慧、② 鏡のように照らす智慧、 自他の平等を具現する智慧、 総てに沈思熟慮の智慧、 すべき事を成し遂げる智慧、が言われている。
密教の歴史の内には付法八祖」と「伝持八祖」が有る、インドに興り中国を経て日本に浸透した系譜で八祖の本流として「付法八祖」がある、これは空海の「広付法伝」から取られたと言う、大日如来から密教の説法を受けた金剛薩埵が伝えたと言う伝承があり大日如来・金剛薩埵・龍猛(三鈷杵)・龍智(経)・金剛智(数珠)・不空(外縛印)・恵果(脇に恵童子)空海(五鈷杵)と継承されたと言う、また同じく空海の「略付法伝」(真言付法伝)からとされる「伝持八祖」は実在していない大日如来毘盧遮那如来と金剛薩埵を省き、善無畏(五祖)(善指人指しゆび)・一行(内縛印)を加えている、日本に於いて伝持八祖の制定は御室派が嚆矢で金剛頂経を意識した付法八祖に対して大日経と恵果の位置付けを加味して設けられた、この伝持八祖は密教寺院の本堂などの内陣に画像があり前述の()内の持物や印を結んでいる、因みに密教に於いては師から弟子へ直接伝授される相承系譜は他宗と比較して格段に重要視されている

日本に於いて(一部重複)密教は現在に於いては初期の雑部密教(雑密)・中期の正純密教(純密)・後期のタントラに分類されている、密教の分類は45世紀にインド起り精緻化する、七世紀以前を初期とし67世紀中国に於いて発展し「両部の大経」の成立を以て中期とされる、その後ヒンズー教やジャイナ教と習合した教義でチベット仏教を後期とされているが、近年分類に変化を見せ始めている、例を挙げれば無上瑜伽(ゆが)を最高の密教、すなわち後期密教のチベットでは・所作タントラ(byaba kriya tantra・雑密) ・行タントラ(spyod pacaryā tantra・大日経) ・瑜伽タントラyogā tantra 金剛頂教) ・無上瑜伽タントラanuttarayogā tantra アヌッタラヨーガ タントラ)の四分割され、中期を二分している、所作を初期密教とし、行を大日経、瑜伽を金剛頂経とし、二教典の時代即ち両部の大経の時代を中期密教とし、日本には浸透しなかった無上瑜伽すなわち後期密教を最高として充てられている(インド後期密教・春秋社・有松有慶――密教・講談社・正木晃)
チベット仏教では無上瑜迦には段階があり、生成過程の観想法である「生起次第」を経て実践段階の「究竟次第」に至る事である。
雑密と純密の区分に付いて密教の碩学・松長有慶氏は仏教経典としての体裁と組織化の相違を挙げておられる、雑密は明確に密教として体系化された訳ではない、女性原理を源としてバラモンの真言雑密は明確に密教と言うには教義が欠落している、女性原理を源としてバラモンの真言
(マントラ真実の言葉)、明呪、陀羅尼、を唱える事により息災、財福などの利益を得ようとする、密教の特徴の一つに女尊の霊的存在の採用がある、即ち淫祠邪教(いんしじゃきょう)とも言える性的要素の採用である。
因みに純密の正式名称は「正純密教」と言い雑密は「雑部(ぞうぶ)密教」と呼ばれる、雑密とは占星法や陀羅尼を言う、これらは三世紀前半に中国を経て日本に招来され玄昉道鏡が駆使する事になる、因みに陀羅尼とは本来の瞑想・コンセントレーションではなく祈願成就や病平癒に限られていた、呪術の雑密に対して成仏を標榜したのが純密と言える、但し空海は両部と言い純密と言うタームは使用していない、しかし空海が請来した経典群の整理に於いて大日経系を「胎蔵部」、金剛頂系を「金剛部」とし、何れにも属さない密教系経典を雑部と分類したことに始まる。
雑密
46世紀)の場合主尊は釈迦如来若しくは変化観音であり、現世利益が標榜されている、但し体系化される事は叶わなかったが経典類は空海以前に現在の密教経典の25%近くが玄昉達により請来されていたと言われる、要するに当時の日本には吸収能力が不足していた、しかしこれが空海以後の密教興隆の試金石と為ったと言える。   
次に純密7世紀)は主に空海が請来した日本に於ける密教で両部の大経すなわち大日経
(大毘盧遮那成佛神変加持経)、と金剛頂経(一切如来真実摂経)を根幹とした教義である、大日経は華厳経の世界観を踏襲した教義で毘盧遮那仏大日如来を中心とし衆生に即身成仏のご利益をもたらす、 金剛頂経は大日経から約1世紀を経て著された教義で、興隆するヒンズー教に対抗する為に興され多くの尊格を生みだされた、しかし後期密教89世紀)に於いては即身成仏は同じであるが尊格に著しい変化がある、一例を挙げればヘールカ尊の内ヘーヴァジュラは妃ナイラートマーを抱きしめ性行為中である、ヒンズー教の尊格の頭に「金剛」すなわちVajra(バジュラ)を着けた神々が登場する、注意すべきは純密(即身成仏)及び雑密(現世利益)の区分方法は空海を基準点にしたものであり日本以外では使用されていない。 
台密には蘇悉地経を加えている、正式名称は「蘇悉地(そしつじ)()()(きょう)」と言い、大日経、金剛頂経、と共に台密三部秘経を形成している。
八世紀頃に興った後期密教(タントラ仏教・tantra別名を無上瑜伽密教とも言われる、「秘密集会タントラ」が特徴であり主尊すなわち如来が女陰の中で説くと言う様に左道化した。

主な金剛頂経群として「金剛頂瑜伽中略(しゅう)念誦経(略出念誦経)」 「金剛頂一切如来真実(しんじつ)(しょう)大乗現証大教王経(一切如来真実摂経)」 「一切如来真実攝大乗現証三昧(さんまい)教王経(金剛頂大教王経)」、を挙げるが、不空による概説書と言われる「十八会指帰(じゅうはってしいき)」に依れば、
*
一切如来真実摂教王(真実摂経)、 *一切如来秘密王瑜伽、 *一切教集瑜伽、 *降三世金剛瑜伽、 *世間出世間金剛瑜伽、 *大安楽不空三昧耶真実瑜伽、 *普賢瑜伽、 *勝初瑜伽、 *一切仏集会拏吉尼戒網瑜伽、 *大三昧瑜伽、 *大乗現証瑜伽、 *三昧耶最高瑜伽、 *大三昧耶真実瑜伽、 *如来三昧耶真実瑜伽、 *秘密集会瑜伽、 *無二平等瑜伽、 *如虚空瑜伽、 *金剛宝冠瑜伽となる、因みに瑜伽(ゆが)とは和訳では相応となるが、梵語(サンスクリット、 sa
sktayoga即ちヨーガ、と理解すべきか。
中国に密教を興隆させた不空に付いて言えば、中国密教は個人救済ではなく護国鎮護の集団救済仏教になり、インド密教とは著しく変節した、特に密教は不空等により著しく変質した、国家権力に迎合して「仁王護国般若波羅蜜多経」「文殊師利菩薩根本儀軌経」「葉衣観自在菩薩経」等、梵語原典に無い国王守護・護国等が記述されている、因みに密教を国家に奉仕させた不空の孫弟子が空海である。

インドに於いてはヒンドゥー教の興隆で対抗が困難になると、寂静(じやくじよう)の道から増進の道への変化を見せる、これを大楽思想と言う、また教義より行動(羯磨)を重要視した原理が強調された、一神教・多神教を問わず総ての宗教会派でタブーとされている性的儀礼や敵対者に対する呪殺などが採用されている、無上瑜伽すなわち男尊と女尊が性交する歓喜する仏像が現れた、因みにタントラとは正式には後期密教聖典であるが密教経典の総称としても呼称されている、但し左道的傾向はヴェーダ聖典に始まるバラモンの祭式神秘すなわち女性原理的霊感の影響は否定できない。
後期密教を採用しているチベットに於いては修行に於いて前段階として「生起次第」後段階に「究竟次第」が行われるが、恵果~空海の中期密教には究竟次第は存在しない、究竟次第は日本などでは左道すなわち淫しとされる次第であるが、後期密教では快楽+叡智=究極ちなる行法である。 
日本に密教が齎されてインド古代宗教から取り入れた天群を初めとして仏像の種類が著しく増加及び多様化したが、不動明王に代表される憤怒の表情尊の他に、観心寺の如意輪観音の如く官能性を秘めた尊像、さらに
シャクティ(性力)を持つ明妃(みょうひ)すなわちヒンズー教の配偶女神の信仰が観られる。
密教系寺院(真言宗、天台宗)は秘密教でもある為に「秘仏」が多くある、人間は視覚に現れないものに呪、恐怖、興味を引く事を利用しているのかも知れない。
密教として世界的に認知されている哲学は亡命中のダライラマを中心としたチベットの密教、即ち後期密教であり、日本特有とも言える両部大経を中核とした中期密教は知られていない、後期密教は左道密教として儒教と言う文化的遺伝子や、性行為が子孫を生み六道を輪廻する為に解脱が不可能となると言う思想に繋がり、中国や日本では敬遠されたがチベットやブータンに於いて継承されている、インドに於いてはヒンズーを含めてエトス即ち文化的遺伝子に合致していたが、ヒンズー教に吸収されて現在はチベットなどで踏襲されている、但し中国では元王朝の時代があり、蒙古にチベット仏教
(仏教c参照)が流入していた為にこん跡は残る、もう一つ後期密教が中国に浸透しなかった原因として、インドに於いては小国が群雄割拠して国王の庇護は期待出来ず発想は自由であった、中国はスポンサーである皇帝の統一国家である為に皇帝及び国家体制の維持には淫祀(いんし)な部分は不向きである、中国に於いては経典翻訳の時点で卑猥や露骨な語彙の品格をあげている。
九世紀に吹き荒れた「会昌の廃仏」等で師資相承と舞台装置を必要とする密教を初めとして中国の佛教諸宗派は壊滅的な打撃を受けたが、禅と浄土信仰は座禅や念仏を重要視して、仏像や儀礼装置が不要化した為に儒教、道教との区分が難解となり回復は早かったが、密教は道教の中に取り込まれた様である。
日本に於いては左道密教として真言宗立川流と天台には玄旨帰命檀(げんしきみょうだん)が存在した、立川流は鎌倉時代に仁寛(蓮念)より興された流派で19世紀頃まで信仰されていたが淫祀(いんし)邪教として阻害弾圧され消滅した、立川流とは後期密教すなわちチベット仏教に近い教義で理趣経を重要視し荼枳尼天を崇拝、性交と即身成仏を関連付ける、空海は左道的な要素を払拭して独自哲学を構築していると中村元氏は言う。
密教は瑜伽(ゆが)(注1すなわち仏・蓮・金・宝・羯の五部曼荼羅にあると言う、因みに瑜伽とは梵語 yoga(ヨーガ)の音訳で静寂の境地に入り大日如来廬遮那成仏)との融合を目指す事。
密教と曼荼羅の関係は
表裏(ひょうり)の状態である、密教の法を継承する為に曼荼羅は必要不可欠な一品である、曼荼羅は密教に於いて仏の世界を顕した縮図と言える。
仏身観も特殊である、一門別徳の尊すなわち如何なる如来菩薩明王に対する信仰でも普門総徳の尊である大日如来に行き着くとされる、これを一門普門と言う。

真実摂経(初会金剛頂経)を主体にした後期密教は中期密教を踏襲した形態をとるが内容はデフォルメされている、タントラ経典を取り入れたヒンドゥー教に対抗が困難になると、教義はヒンドゥー教により近くなり、さらに行動(羯磨を重要視した原理が強調された、無上瑜伽すなわち男尊と女尊が性交し歓喜する仏像が現れた、現在チベット仏教は時輪タントラ(カーラチャクラ・kalachakraを最重要視しているがカーラチャクラタントラはインドに於いて作られた最後の密教経典である、後期密教のチベットでは本尊も中期密教とは変化し、日本流に言えば左道密教化している、仏像名は秘密集会(グヒヤサマージャ タントラ、Guhyasamāja tantra、呼金剛、喜金剛(ヘーヴアジュラ タントラ、Hevajra Tantra、勝楽尊(チャクラサンバラ)、時輪佛(カーラチャクラ、kalachakla等の仏達である、因みに瑜伽とは大日如来と自己とが一体となることを言う。
閑話休題、日本密教最大の儀礼で明治時代まで宮中(現在は東寺)で行われ、現在は教王護国寺で行われる後七日御修法(ごしちにちのみしゅほう)の本尊は金剛界曼荼羅成身会の南に位置する「宝生如来」である
欧米を含む諸外国に於いて中期密教はあまり知られておらず後期密教が亡命した14世ダライラマの影響もあり世界的に知名度は高い、特に20世紀後半チベット自治区が開放的になると日本に於いても絵画や教理的な研究や調査が進行している様だ。
(kala cakra tantra)   
インド発生の密教
tantraは複合文化を内包したものであるが、更に形態を変えながらネパール・チベット・中国・日本等に伝わり儒教、道教をも取り込む、また仏像の種類や(いん)(げい)Mudra 即ち印相も著しく多様化する
但しインドに於いてはヒンズー教の内にタントラ
tantraが存在するが既存仏教の潮流にタントラは存在していない、タントラはヒンズー教に於いてシバ神の妃を性力として崇拝(女神崇拝)する教派の諸聖典を言う場合と、インドに於ける後期密教とその聖典を言うが、広義にはインドの宗教的遺伝子を言う、また後期密教のタントラとは教義及び聖典を言うが、祭式・占い・天文学・医学・薬学など広範囲に及ぶ。
ここで正木氏の言う中期密教と後期密教の最大の相違を挙げる、前述したが後期密教は「生起次第(しょうきしだい)」「究竟(くきょう)次第」を備えているが、中期密教は曼荼羅(神秘・象徴・儀礼)を中心とする生起次第のみであり、性的ヨガを必須科目とする究竟次第は無いとされる、因みに後期密教のチベット佛教に於いては生起次第に場合は前段階の密教とされ、生起次第マスター後に究竟次第が科せられる、ここで生起次第を無理やり説明すると仮説想念等の世界観を言う究竟次第とは性愛瞑想の世界を言う。
インドに於ける大乗仏教では密教は最後に創造された哲学で「真言乗」
、または「金剛乗」に近い意味を持つ、顕教は「波羅蜜乗」と言われ密教(金剛)と言う意味の呼称は中国か日本で言われ始めたとされる、しかし金剛乗は厳密には「一切如来真実摂経(しんじつしょうきょう)」を論拠とした教義を言う、因みに密教関連では金剛の名称が多く使用される、ダイヤの如く硬いと言う意味合いであるが、インドに於いてヒンズー教と覇権を競った時代でありヒンズー神と峻別する為に金剛が多用された。
インドに於ける神々の集合体と言える密教パンテオンPantheonに付いては、バラモンから変化したヒンドー教の復興により、大乗仏教は衰退するが、ヒンドー教の儀礼等々の特徴を取り入れて境界が難解になった、しかしヒンドーに対しての優位性を誇示する為に最高神のシヴアを足で踏みつける図像や彫刻が多く登場した、従ってヒンドー教にも曼荼羅的な密教パンテオンが存在する。
日本密教は中国からの請来である、中国に於ける密教受容の歴史は古く三世紀前半とされるが、土着の道教と習合
(宿曜道)した初期密教であり、陀羅尼や占星術astrology 現世利益が中心の未整備な時代が長く、中期密教の場合は八~九世紀にかけた百年程の歴史である、更に唐密の資料は「会昌の廃仏」(注3等もあり中国にはほとんど存在していない、日本天台宗からの留学僧二人が従った師は法全で同じであるが、円仁の場合は廃仏直前から初期であり、円珍は廃仏後の混乱期である為、資料収集は難儀したであろう。
但し絶滅状態とされた
中国には唐時代の密教遺物すなわち曼荼羅類は残留していないとされていたが、1987年に法門寺(西安)に於いて871年の銘が書かれた金剛界曼荼羅や密教法具が発見された。
密教は即身成仏(顕得成仏(けんとくじょうぶつ)を目指すが、「入我我入」を繰り返すことにより「顕得成仏」が為されると言うが「現在に至るまで即身成仏の実例は挙げられない」とインド哲学の権威・宇井伯寿氏は言う。 
現在密教が信仰されていると言える国は後期密教のネパール・チベット・ブータン仏教と、中期密教が信仰される国は日本と限定しても過言ではない程である、日本に於ける密教系宗派は真言宗
(東密)天台宗(台密)、天台寺門宗である、因みに東密は東寺・台密は延暦寺即ち天台宗の略称である、中国密教は大日経を依経とした信仰が存在したが、時の経過と共に土着で同じ咒を標榜する道教に凌駕された、因みに東密・台密の呼称は虎関師錬(こかんしれん)12781346年)著の(げん)亨釈書(こうしゃくしょ)巻27の諸宗志が嚆矢の様である。
密教に欠く事が出来ない儀礼に護摩がある、源流はゾロアスター教を介してバラモンにある、梵語Homaの音訳であるが大日経䟽(第19には真言行者の護摩と呪術に偏るバラモンとの目的の相違を強調している現在もカトマンズkahmaの寺院ではこの儀礼はヒンズー教で行われており祭主の冠には金剛界五仏が付けられていると言う。  
ヴァジュラヤーナvajrayāna・金剛乗)が言われるが、大乗佛教に対する優位性を述べている、但し日本では中期密教であるが、チベットに於いてはタントラが相当する。
修験道は密教と道教の日本版と言われる程、関連が深いが神道にも多大な影響をあたえている様である、宮中に於いて天皇が行う式典で一年最初の儀式すなわち四方拝は道教経典の「北斗本命延生経」を基に進められていると言う。 

冒頭の密教の意味に於いて金剛乗すなわちvajrayāna(ヴァジュラヤーナ)はチベット仏教などでよく使われる用語であるがオウム真理教のvajrayānaは教祖の命であれば殺人でも従う意味があり関係は無い。

但しオウムの呼称はヒンズー教では「聖音」でありマントラmantra即ち真言を唱える前後の必ず唱えられる、因みにタントラ(密教)の世界では「オン」と発音されており、オウムとオンは同意である、真言(呪)の例を挙げれば以下の様になる。

・阿弥陀如来――――オン アミリタテイゼイカラウン 

・薬師如来――――オン コロコロサンダリマトウギソワカ

大日如来と毘盧遮那仏――――オン アビラウンケン 

・弥勒仏――――オン マイタレイヤ ソワカ

・観音菩薩――――オン アロリキャ ソワカ

・梵天――――オン ハラジャ ハタエイ ソワカ、等々、釈尊、不動明王を除く殆どの如来、菩薩、明王の枕は「オン‐‐‐」となる。

密教と言う熟語を定着させたのは不空であるが、密教と顕教の相違を理論化したのが9世紀の初め青龍寺の海雲が「両部大法相承師付記」で瑜伽の五部すなわち・仏・蓮・金・宝・羯の曼荼羅を密教とし、顕教を三乗すなわち・経・律・論としている。
因みに密教をエソテリックブッデイズムesoteric buddhism・注4と訳される記述を見るが英語圏では秘密と言うよりも、不明確とか鬱陶しいと理解される様で用いない方が無難と言える。
ヒンドウー教の本覚思想すなわち如来蔵等は日本には招来されなかった後期密教を含む大乗仏教に大きな影響を受けている、如来蔵とは総ての人間に覚者となる資質を宿している事を云う、タントラ仏教のネパール、チベット等ではシヴァの影響を色濃く踏襲した勝楽尊(チャクラ、サンバラ)があり、虎皮を腰に巻き、象の皮を被り妃のヴァジュラ、ヴァーラーヒーを抱く姿がある。
密教では薬師如来像を祀る寺院は多いが教義や曼荼羅には登場しない、しかし阿弥陀如来の場合は「宝冠阿弥陀如来」と言う密教仏があり、真言宗では「紅頗(ぐは)()秘法」の本尊が存在する、台密でも宝冠阿弥陀如来が常行堂の本尊である。
真言僧としての成功の秘訣は霊能力に卓越する事である、呪術を看板にする密教では「事相」即ち実践に卓越していた様である、如何に「理相」即ち理論の秀出ていても成功は適わない時代であった、真言宗を中興した小野流の祖である仁海の場合は請雨祈願を生涯に九回行われ総て成功したとされる。
真言宗に於いて、勢いを増す
浄土教の六字名号、南無阿弥陀仏の興隆に対抗したのが「光明真言」である、大日如来の真言で正式には「不空大灌頂光真言」略して「光言」「光明真言」と言い、真言宗の内で多く唱えられている。
これは不空訳「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言」
(注6等を典拠とした真言で、これを237回聞けば一切の罪障を滅ずる事が出来ると言う、光明真言の重文指定が因幡堂(平等寺)に毛髪を束ねて書にした真言がある。 
「おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」
「唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽」

あぼきゃ=不空成就如来 べいろしゃのう=大日如来    まかぼだら=阿閦如来   まに=宝生如来   はんどま=阿弥陀如来

呪は元来ヴェーダ聖典に説かれるバラモン教の儀式の中に存在する、スヴァーハーsvāhāと言われ漢訳では陀羅尼等の末尾に記述され誓願が神に通じる事を願うソワカ薩婆訶に相当する。
中国密教による四大法と呼ばれる呪法があり、空海、最澄、隠元などに将来された、四大法とは・「准胝観音法」・「穢跡金剛法」・「千手千眼観音法」・「尊勝仏母法」で准胝観音法の様であるが孔雀明王に関する呪法もカウントする記述がある。 
密教は梵我一如と言える、しかし釈尊の佛教は梵我一如の否定から始っている、密教は梵我一如を誇張した哲学に不二(ふに)一元(いちげん)advaitavāda, アドヴァイタヴァーダ)と共通している様な気がする、不二一元とは宇宙に於ける根本原理すなわちブラフマンbrahmanのみの存在を言う思想である。

ヒンドゥー教の国と思惟されるネパール、カトマンズではチベット佛教・ポン教・ネワール密教の他に上座部仏教までもがあるとされる、カトマンズはインドとチベットの中継点にあり独自の哲学を組み込んだチベットよりも、ネワール密教はインド直伝の大乗佛教が生きていると言われている

チベット仏教を主軸とする後期密教では明王を十憤怒尊(クローダ・krodhaに分類している、十尊は経典により異なるが、*大威徳明王 *無能勝明王 *馬頭明王 *軍荼利明王 *不動明王 *愛染明王 *青杖 *大力明王 *転頂輪明王 *降三世明王 が挙げられている。
現在世界に於いて密教の宗派が信仰されているのは日本、チベット、ブータン、ネパール程度であると正木晃氏は言う、かっては発祥地インドは無論の事、中国、インドネシア、カンボジアなどで信仰されていた、因みにインド密教はヒンズュー教に踏み躙られた事と、十三世紀頃に教義の境界が解らなくなったヒンズー教に吸収された。

密教の修行法に瞑想法がある、大日経に基ずく胎蔵の瞑想を「五字厳身観(ごじごんしんかん)」と言う、胎蔵次第では道場観と言う場所で行われる様である、また真実摂経すなわち金剛頂経を典拠とした瞑想法の「五相成身観(ごそうじょうじんかん)」と言う

密教にはドイツの神学者ルドルフ・オットーRudolf Otto 1869193736日)が言う、ヌミノーゼ(Numinöse)と言う概念すなわち畏怖と魅惑と言う両面が引き立つ。



1瑜伽(ゆが) 梵語に於けるyogā(ヨーガ)の音訳で国語辞典に依れば、相応を意味し・心の制御・統一をはかる修行法を言い冥想による寂静の境智に入り大日如来(毘廬那成仏)と一体を目指す、秘密集会タントラすなわち後期密教に於いては性行為を取り入れた性的瑜伽を標榜した、また密教の異称として「瑜伽教」と言われる事がある。

2、 三密加持 以我功徳力(個人の功徳の力) 如来加持力(仏の救済力) 及依法界力(全宇宙の力)以上3の融合、三業の仏の身口意と行者の身口意の行が互いに感応した状態.。   
三密加持(かじ)であるが、三密とは身、口、意の三業(さんごう)を言う、加持とは梵語のadhisthana(アディシュターナ)で如来・菩薩が呪力によりパワーが衆生に伝えられる事を言う、また入我我入(にゅうががにゅう)」(仏と一体になる)を同意と考えられる、身口意とは三業すなわち
*身業(しんごう)(kāya-kamma
)身体上の動作・所作、身密(kāya-guhya
*口業(くごう)
vacī-kamma)言語、口密(vāg-guhya)、
*意業(いごう)(mano-kamma
)意識・心の働き、心密(citta-guhya)の略称である。



3、 会昌の廃仏 (三武一宗の法難)、中国に於ける宗教弾圧は四回あり、①五世紀、北魏 太武帝(423~452年)による道教保護廃仏、  ②六世紀、北周 武帝560578年) 道教佛教の廃止、 ③九世紀、北周 武宗840846年) 会昌の廃仏、 ④十世紀、 後周 世宗954959年)、 と続いた、因みに三武一宗とは弾圧した皇帝の名から銘々された様である、また会昌の廃仏は元号から取られた。()内は在位年数


4 
エソテリック ブッテズム(esoteric Buddhism) 密教、即ち神秘的、難解な佛教、密教をesoteric Buddhismと呼ぶのは和製英語である、英語圏では秘密と言うよりも、不明確とか鬱陶しいと理解される様で用いない方が無難と言える

5、リグ・ヴェーダ聖典 gveda BC2000500年ころのインドに於ける最古の経典の一つでバラモン教に於ける神々を讃える賛歌を主体とする経典である、 リグ・ヴェーダ、 サーマ・ヴェーダsāmaveda、 ヤジュル・ヴェーダyajurveda、 アタルヴァ・ヴェーダatharvedaがある、因みにヴェーダとは漢訳経典では明呪とか智識と訳されている、表現を変えれば、「神々への賛歌、祭祀の集合」したものである。 
リグとは讃歌を意味しヴェーダはバラモン聖典をさす、゙サンヒータ Samhiā 讃歌 ・呪文 ・祭詞を集成した本集、 ブラーフマナ Brāhmanā サンヒータ補助部門、 当初は口伝で伝承されたが文字の発達に伴い文書化された、また中国では「梨倶吠陀」と記述される。  

6、光明真言とは正式には「不空大灌頂光真言」と言い、梵字23文字から成る呪文で、智慧・慈悲・光明を願う真言(陀羅尼)で真言宗の必須アイテムである。 
これは不空訳「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言」、菩提流志訳「不空羂索神変真言経巻二十八、灌頂真言成就品第六十八」、「毘盧遮那仏説金剛頂経光明真言儀軌」等を典拠とした真言で、
光明真言を読誦だけでなく237回聞けば一切の罪障を滅ずる事が出来ると言う計り知れない効力があるとされる。

7密教に於いては・自性(じしょう)身・受用(じゅゆう)身・変化(へんげ)身・等流(とうる)身の四身をすべて法身と解釈し四種法身を説く、大日如来は多様な姿とり「等流身」即ち天、人、畜生、などの救済の為にそれぞれに応じた姿をとって顕れる。

法身とは 真理そのものとしてのブッダの本体、色も形もない真実そのものの体をいう。

8、雑密(雑部密教)と純密(正純密教)の分類について空海による「真言宗所学経律目録」の分類が基準の様であるが、最澄も「内証佛法相承血脈譜」に於いて両部大経以外を雑部に分類している。

注9、 言語道断、心行処滅とは「摩訶止観」に書かれている、言葉は及ばず想いも届かないの意、ここで言われる「密議」とは内緒で行う事ではなく仏の「内証」即ち悟りの境地である。

10、 五神通とは 1天眼、  2天耳、  3他心智、  4神作智、  5宿命通を言い1、は総てを見通す力、 2、は総てを聞き取る力、 3、は他人の心を知る力、 4、姿を変える力、 5、過去を知る力を言う。

11、 宇井(はく)(じゅ) 1882年~1963(昭和38年)愛知県生まれ、曹洞宗の僧侶でインド哲学者、文学博士、仏教学者12歳で曹洞宗の東漸寺で出家、東京帝国大学印度哲学科卒、英国オックスフォード大学、ドイツテュービンゲン大学に留学帰国後に1930年東京帝国大学教授、1941年駒沢大学学長、1953年 文化勲章を受章・東北帝国大学でも教鞭をとる。   
因みに釈迦如来は最後の如来とは法句経の過去七仏の最後の如来である、過去七仏とは

毘婆尸仏(びばしぶつ)―――vipśyin―――ヴイオアシュイン―――荘厳劫の仏(過去の劫)――― 寿命(āyu-pramāa) 84千歳(阿含経) 
尸棄仏(しきぶつ)
――― śikhin――― シキン―――荘厳劫の仏(過去の劫)―――寿命(āyu-pramāa) 7万歳
毘舎浮仏(びしゃふぶつ)
―――viśvabhū――― ブイシュアブー―――荘厳劫の仏(過去の劫)―――寿命  6万歳
倶留孫仏(くるそんぶつ)
―――krakucchanda―――クラクッチャンダ―――賢劫の仏(現在の劫)―――寿命 4万歳           
倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)
――― kanakamuni――― カナカニム―――賢劫の仏 (現在の劫)―――寿命 3 万歳
迦葉仏(かしょうぶつ)
―――kāśyapa ―――カーシュヤパ―――賢劫の仏 (現在の劫)寿命  2万歳 に至る六仏になる更に
釈迦牟尼仏―――śākyamuni(シャーキャムニ)を加えた 過去七仏に対して弥勒菩薩の様な未来仏も考え出された。


12、特にチベットなどの後期密教の国では密教を金剛乗vajrayāna、ヴァジュラヤーナ)or真言乗mantrayāna、マントラヤーナ)と呼称するのに対して顕教を波羅蜜乗と呼び金剛乗の優位を強調している。


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