正式には
大乗仏教の興起と共に発生した菩薩で大乗佛教隆盛に重要な役割を担ってきた尊格である、大無量寿経では「妙徳菩薩」と記述されている、文殊菩薩は過去の劫即ち
智慧を
意訳をすれば「妙吉祥」となる(世界大百科事典等)また・妙首・敬首・妙徳などの漢訳もある、日本では釈迦三尊の内、普賢菩薩と共に一尊を形成するのと智慧の文殊として広く知られている、獅子に乗る文殊菩薩と白象に跨る普賢菩薩を脇侍とする釈迦三尊形式は敦煌壁画が嚆矢とされるが日本独自の形式とも言える様で、インドなど他国では主に独尊で信仰されている、因みに金剛界曼荼羅等に金剛利菩薩が登場するが文殊菩薩が勧請を受けた密教名である。
「三人寄れば文殊の智慧」の諺は広く知られている、智慧とは叡智を言う、「真理を見極める認識力」である、実在の可能性が高いとされる菩薩であり智慧・理知の働きを示し顕教の経典の中に於いて重要な存在となっている、仏教すなわち釈迦如来の教えの完璧を期すには智慧と行の調和が必要であり文殊菩薩の智慧と普賢菩薩の行に於いて完成される。
「華厳経・菩薩住処品」では文殊菩薩の聖地(注5)とされる清凉山に見立てた五台山で説法していると言い、「維摩経」
中国に於いての文殊信仰には「文殊師利菩薩根本儀軌経」に父母忠孝や国王守護が記述されているが、これ等は恣意的に書かれており原典に記述は無い。
日本に於ける文殊菩薩の登場は維摩経からと見られ焼失した法隆寺壁画がある、普賢菩薩は当初の姿形は結跏趺坐である、その後「陀羅尼集経」の記述から騎象像に対して騎獅子像が多くなる,但し獅子を台座にする文殊菩薩は少なくとも日本に於いては平安時代以降で以前の作品には見られない、要するに騎獅子像は法華経も関連するが密教の影響を受容した受けた形態である。
禅宗系寺院では修行僧の姿を表す「
鎌倉時代に入り戒律を重要視し真言律宗を興した叡尊・忍性の信仰は篤く真言律宗系等で造像・絵画に見られる様になる、これには真言八祖である不空の影響がある様で文殊菩薩の密教での存在感は小さくは無い。
日本に於いて古くは法隆寺金堂内壁画(八号)がある、同じく法隆寺五重塔内の北面に釈迦涅槃の光景(塑像)の中・東面には維摩居士との問答像がある(塔本四面具)他に維摩居士とのペアも興福寺・東金堂が著名である。
但し信仰が始まったのは平安時代に華厳信仰に付随したものであるが、「
密教に於ける文殊菩薩は髷や持物に特徴がある、小さな髷を短・1・5・6・8髷に結び八字文殊等髷の数を頭文字にした名称でよばれる、短髷を増益や安産・密教系に多い五髷を敬愛・六髷を調伏・八髷は息災と鎮宅を祈願するとされ、陀羅尼真言を唱え功徳を得る現世利益に利用された、因みに五髷文殊を吉祥金剛・般若金剛等とも言われる、天台宗では文殊菩薩は重要で円仁が将来した密教秘法で文殊菩薩を本尊として真言を修する「八字文殊法」がある。
持物に付いて通常は剣や
文殊菩薩は古くから知恵を司る菩薩として重要なポストを占めていたが、特に真言密教で重要視された様である、また円仁により請来の眷族を従えた場合は文殊五尊(五台山文殊)と言い、竹林寺・中尊寺等が有り、
また曼荼羅の中でも重要な位置を占めており胎蔵界曼荼羅では中大八葉院の中の一尊・文殊院に金剛界曼荼羅では賢劫十六尊の中で智積・無尽意菩薩が同体とされている、因みに密教では密号を吉祥金剛、般若金剛と言う。
また異形として千臂千鉢文殊像が敦煌にある、
文殊菩薩関連の経典に「文殊師利根本儀軌経」「
文殊菩薩の陀羅尼に「
「法界語自在曼荼羅」通称・法界曼荼羅があり、法界自在文殊として大日如来と同格若しくは化身として中尊の地位を占めており、ナーマサンギーテイ文殊などと共に篤い信仰をあつめている、特に性瑜伽(ヨーガ)を取り入れたチベット等に於いては大日如来像の数も少なく三身論としては報身仏として拝されている(チベット密教では法身仏は姿を顕さない)。
文殊菩薩は智顗の興した隋の天台宗の本尊はであるが、最澄の興した天台宗の本尊は薬師如来である、これは最澄が遣隋使になる以前から薬師信仰に篤く、比叡山に隠遁し薬師如来を本尊として祀った為かも知れない。
前述の勤操や元興寺の泰善の興した涅槃経に依る文殊会は一時各地で行われたが現在は4月25日に興福寺東金堂で行われる稚児行列が知られている。
興福寺の文殊会にも時代により変化している、即ち平安時代には福祉が最優先した会で、鎌倉時代には慈善事業、江戸時代には子供の学習祈願に変化したと關信子氏は言う。(仏像歳時記・東京堂出版・關信子)
文殊菩薩信仰には最下層の貧民として現れ救済を担当すると言う信仰が広く知られていた、覚鑁と弟子の忍性は文殊菩薩を信仰し、呪術に頼る真言宗に戒律の復興・下民族層の救済・社会基盤の整備等々、忍性と共に日本仏教に於ける最高峰の業績を挙げた、不空の影響もあるのか下述する五台山は無論の事、中国仏教史に於ける文殊信仰は著しい、またチベット仏教の天才僧でチベットに戒律を定着した、ツオンカパの文殊信仰も篤かった。
古来より中国は菩薩信仰に篤い、仏教四大名山と呼ばれる聖地があり説法道場の本尊は総て菩薩で占められる、文殊菩薩の聖地は山西省の・五台山がある、因みに四大聖地は四川省の
真言 オン ア ラ ハ シャ ノウ
注1、 渡海文殊 雲に乗り海を渡ったと言う伝承をもつ、代表例が安倍の文殊院で手に利剣・蓮華を持ち脇持に善財童子・優填王・仏陀波利三蔵等を従えたもの、他に文化財指定はないが京都市左京区黒谷の金戒光明寺には運慶作と伝えられる・文殊菩薩と・優填王・仏陀波利三蔵・最勝老人の四尊(善財童子は新作)が存在している。
注2、 紙張貫像 古紙・経典の廃棄された和紙を張り重ねて像造したもので像内に物品が納められるようになっており、茶道具の一閑張細工の嚆矢とされる。
注3、密教に於ける文殊菩薩の髷や持物に特徴があり、一髷~八髷・童形髷が像造され金剛杵や経文を所持している。
注4、日本三文殊に ・奈良 安倍文殊院(奈良県桜井市安倍山
注5、文殊菩薩の聖地は中国の五台山と言われるが、中国では菩薩が篤く聖地として四大名山があり五台山(文殊菩薩)峨眉山(普賢菩薩)普陀山(観音菩薩)九華山(地蔵菩薩)が言われている。
主な文殊師利菩薩像 ○印は国宝 ●印国指定重文
○興福寺 東金堂 坐像 木造彩色 玉眼 93,9cm 維摩居士と共に 鎌倉時代
○安倍文殊院 騎獅子像 五躯 木造彩色 脇侍玉眼 文殊菩薩198,0cm 善財童子134,7cm 優填王268,7cm 仏陀波利三蔵187,2cm 獅子後補 ●最
渡海文殊像の脇侍は通常は「善財童子」「優填王(ウダヤナ)」「最勝老人」「仏陀波利三蔵」であるが、文殊院では「最勝老人」を維摩居士に、「仏陀波利三蔵」を須菩提と呼んでいる。
○醍醐寺 文殊渡海図 絹本著色 額装 143,0cm×106,4cm 鎌倉時代
●中尊寺 騎獅子像 五躯 木造 文殊菩薩 65.3cm 眷属 56.6cm~75.7cm 平安時代 大長壽院 現在は讃衛蔵
●智恩寺(京都府宮津市天橋立文殊) 騎獅像 木造彩色 文殊49,1cm 善財童子60,6cm 優填王62,1cm 鎌倉時代 日本三文殊所蔵の一寺
●室生寺(金堂)立像 木造彩色 205,3cm 平安時代
●西大寺 騎獅子像五躯(脇持共)五尊 木造彩色 玉眼 文殊82,2cm 善財童子86,5cm ・優填王119,5cm ・仏陀波利三蔵104,2cm ・最勝老人105,8cm 鎌倉時代
●中宮寺 立像 紙製彩色(紙張貫像) 鎌倉時代
五髻文殊
●宝珠院(斑鳩町)騎獅子 木造粉溜 切金文様 43,2cm 室町時代
●海龍王寺 立像 木造彩色 切金文様 116,6cm 鎌倉時代
●広隆寺 木造 素地 五髷文殊 99,4cm 平安時代
●仁和寺 坐像 木造漆箔 63,6cm 鎌倉時代
●清凉寺 騎獅子像 木造彩色 110,0cm 平安時代
●額安寺(大和郡山市額田郡)騎獅子像 45,4cm 木造彩色
●円證寺(奈良) 騎獅像 木造漆箔 56,5cm 藤原時代
●白毫寺(寺伝)坐像 木造漆箔 平安時代
●薬師寺(奈良) 坐像 木造彩色 62,5cm 天平時代
●興福寺(奈良) 坐像 木造彩色 玉眼 93.9cm 鎌倉時代 宋画の影響
●大智寺(京都)坐像 木造金泥彩色 玉眼 66,9cm 鎌倉時代 (京都府木津川市雲村42-1)
●禅定寺(京都府) 騎獅像 木造彩色 57.3cm 藤原時代 (綴喜郡宇治田原町禅定寺庄地)
●般若寺(奈良) 騎獅像 木造 45,5cm 鎌倉時代
●考恩寺(大阪) 立像 木造彩色 169,0cm 平安時代
●禅定寺(京都) 騎獅像 木造57,3cm 平安時代
●薬王寺(福島) 騎獅像 木造彩色 玉眼 42,0cm 鎌倉時代
●慈恩寺(山形) 騎獅像 木造彩色 文殊37,6cm 優填王42,2cmcm 仏陀波利三蔵40,0cm 最勝老人39,5cm 平安時代
●竹林寺(高知) 騎獅子 木造彩色 文殊60,4cm 善財童子76,0cm ・優填王75,4cm ・仏陀波利三蔵76,8cm ・最勝老人77,3cm 藤原時代 四国八十八箇所31番札所
●大光寺(宮崎)) 騎獅五躯 木造彩色 玉眼 52,1cm 善財童子50,0cmcm・優填王66,7cmcm・仏陀波利三蔵64,2cm・最勝老人58,8cm 南北朝時代
●東京国立博物館 騎獅子像五躯木造彩色 木造彩色 玉眼 文殊46、1cm 善財童子46,1cm 優填王69,4cm 仏陀波利三蔵66,5cm 最勝老人70,8cm 鎌倉時代 康円作
●僧形文殊像 善水寺(滋賀)78,8cm 法金剛院 78,0cm(伝賓頭盧尊者)
承天閣美術館(相国寺) 絹本着色 210.0cm:111.3cm 釈迦三尊図の一幅 伊藤若冲
●大光寺 騎獅文殊像脇侍 木造彩色 玉眼 50.0㎝~66.7㎝ 鎌倉時代 (宮崎県宮崎郡佐渡原町上田島)
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最終加筆日 2004年7月31日 2005年10月25日台座部分加筆 12月20日注3、陀羅尼 2008年4月18日 2009年1月9日 11月5日頂髻 2014年3月22日関連経典他 2015年3月11日五台山へ向かう文殊 2016年1月28日 2017年4月12日 2020年1月29日 8月19日 12月5日 2022年4月4日 7月12日 2023年10月31日
年10月31日加筆