仏像案内 寺院案内
寺の創建に関しては確たる資料は無く未知な部分が多い。天智天皇,皇子の志貴皇子の離宮跡に建立されたのが白毫寺という説と、大安寺の勤操大徳の関連も言われるが定かではない、名称の由来は如来の額にある白毫から取ったとされる、鎌倉時代に興福寺の良遍の拘わりが認められ一条院の祈祷所でもあった。
また「南都白毫寺一切経縁起」に依れば真言律宗の祖叡尊が寺運を高め当寺於いて菩薩戒を授けていた記録がある。
現在の堂宇は本堂・御影堂が存在しているが、室町時代の兵火に遭い灰燼に帰し建築物に記述できる物は無い、但し仏像彫刻には中国に於ける道教を習合したと思惟される特徴的な尊像がある。
概ね隣接する新薬師寺の修二会と同じ4月8日に行われる一切経法要が知られている。
白毫寺は大和に於ける閻魔詣で知られる処で、盆の閻魔賽日に参拝する人は多い、閻魔とはインドの土着神マヤが中国に於いて閻魔となる、閻魔羅闍(Yama-rāja)からきており、「閻羅王五天使経」「閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経」等に依る閻魔を含む十人の冥界に於ける裁判官である。
咀嚼すれば閻魔とは死の世界を支配する
真言律宗 所在地 奈良市白毫町892 ℡ 0742-26-3392
主な文化財
●阿弥陀如来坐像 木造漆箔 136,3cm 藤原時代
●地蔵菩薩立像 木造彩色 玉眼 158,7cm 鎌倉時代
●興正菩薩坐像(叡尊)木造彩色 玉眼 73,9cm 鎌倉時代
●伝文殊菩薩坐像 木造漆箔 101,5cm 藤原時代
閻魔王 坐像 木造彩色 玉眼 鎌倉時代
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注1, 地獄の入り口に居る十王の
注2、真言律宗と叡尊 1201~1290年 宗祖は空海で派祖を叡尊とされる。 叡尊は真言律集の派祖で諡号を興正菩醍叡尊と言う、真言宗の精神とも言へる小乗戒・三昧耶戒の大小乗戒の遵守を称え西大寺において戒律の確立を目指した。
但し真言宗からの完全独立は明治時代に入ってからである。
興福寺の学僧・慶玄を父として17歳でする、1225年長岳寺で霊山院・阿闍梨静慶から密教の行法を学ぶが後に戒律を重要視し西大寺に入る。
亀山・後深草・後宇多上皇の帰依を受け信空・忍性等多くの弟子を養成する。
1895年真言宗から離脱し西大寺を総本山としている真言律宗となる。
著書に自叙伝・感身学正記・ 旅行記・関東往還記 梵網経古迹記輔行文集。