不退寺

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山号は金竜山と言い、正式には不退転法輪寺と言う、847年に六歌仙の一人・在原業平(ありわらのなりひら)の祖父にあたり薬子の変(注4で失脚した平城天皇の御所跡に住いと共に創建した寺と言い、屋根が茅葺であったとされ萱の御所とも呼ばれ定額寺に次ぐ寺格を誇っていた様である。
この地に於いて平安初期の古瓦が出土しており平城上皇は桓武天皇の遷都した平安京から、平城京への回帰復興を目指した場所という。
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世紀後半には十五大寺
(注3の一寺に数えられたが沿革は明確ではない、本尊は聖観音菩薩で業平自刻の伝承がある事から、通称を「なりひら観音」とも呼ばれる、寺名の由来は法の輪を回し邪を廃する不退転の思想を表現したとされる、因みに法華寺海龍王寺、不退寺は「
佐保(さほ)()の三観音寺」と言う呼び方もされている。
平氏の南都侵攻で諸堂を焼失し荒廃するが、再興は叡尊によるもので真言律宗を興すと共に西大寺の末寺となる、しかし法相宗
(興福寺)の支配から完全離脱には時間を要した、1317年頃に南門と多宝塔が建立されたが塔は上部を失っている。
当寺は1464年に炎上し現本堂はその後の再建されたものであるが鎌倉時代の様式を踏襲している、仏像は中尊の聖観音菩薩を五大明王が囲むが創建時の配置ではなく火災を免れた仏像を再配置したものとされる、当寺は奈良県に於いては稀有とも言える五大明王が五尊揃い、何れも重文指定を受けている。
不退寺の境内は豊富な種類の花が咲き四季を通じて鑑賞する事が出来る。

注1、 (えい)(ぞん)12011290年)謚名を興正菩薩と言い西大寺復興の立役者で真言律宗を起こす、興福寺の学侶の子で17歳に出家し唐招提寺で律宗を高野山醍醐寺で密教を学ぶ、西大寺入りした後東大寺に於いて自誓受戒を受ける、西大寺を拠点として律の教学を広める、後嵯峨上皇・亀山上皇・北条時頼・実時の帰依を受ける、弘安の役には朝廷の以来を受け岩清水八幡宮に於いて敵国降伏の祈願を行い神風が吹いたと言う、その他活動としては弟子にあたる忍性(奈良に悲田院を起こし貧者、病人を救済、鎌倉・極楽寺を創建)を伴い土木工事・社会事業・貧者救済にあたる。
著書に感身学正記・梵網経古迹記輔行文集・関東往還記があり90歳の長寿を全う、肖像を西大寺と鎌倉・極楽寺に残す。

2在原業平(ありわら の なりひら)  
825880年)  桓武天皇の曾孫にあたる平安時代の公家、伊勢物語に主役で登場し古今和歌集・小倉百人一首の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは」・等に作品が残る歌人で六歌仙・三十六歌仙に数えられる。
在原業平画像 31日〜31日 開帳。

3、南都七大寺  十五大寺  天皇の発願により造営された寺で全てが官給の為国の監督を受けた官寺で七堂伽藍
(西大寺など例外も在る)を備えた大寺を言う、大安寺(大官大寺)薬師寺元興寺(法興寺)興福寺法隆寺東大寺西大寺・の事を言いほとんどが六宗兼学の道場であった。 八世紀後半に四天王寺唐招提寺・不退寺・東寺・西寺(現在は無い)などを加えて十五大寺と言う呼び方もされた。

4薬子の変  近年歴史教科書では「平城太上(へいぜいだいじょう)天皇の変」とも呼ばれている、平安初期の朝廷内部の政変、平城天皇は809年病で同母弟の嵯峨天皇に譲り上皇となるが、回復後に重祚を藤原仲成やその妹で平城天皇寵愛を受けた尚侍薬子が計画するが敗退上皇は剃髪出家し薬子は服毒自殺し怨嗟・怨霊を残す、因みに尚侍(しょうじ)とは女官の最高位で、この時代天皇と閣僚との間にあり、奏上して裁可を仰ぐ奏請(そうせい)や勅旨を伝える伝宣(でんせん)をとり行う

真言律宗      所在地  奈良県奈良市法蓮東垣内町517       п@0742225278                           

主な文化財

聖観音菩薩 木造彩色 桂一木造 191,0cm 藤原時代   花文装飾

五大明王  木造彩色 玉眼  不動明王 85,7cm   降三世明王 154,7cm  大威徳明王 157,0cm   軍荼利明王 99,0cm   金剛夜叉明王 150,5cm   鎌倉時代  

●本 堂 桁行5間 梁間4間 寄棟造 本瓦葺  室町時代

●塔 婆 桁行梁間3間 宝形造 桟瓦葺  鎌倉時代  

●南 門  四脚門    切妻造 本瓦葺  室町時代

   


五大明王を持つ寺院 (不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の扁などで重複させてあります)


 木造漆箔 不動173,cm 降三世173,6cm 軍荼利201,5cm 大威徳100.9cm 金剛夜叉171,8cm 平安時代 

来振寺 絹本著色 不動 降三世 軍荼利 大威徳  鳥枢沙摩 五幅 各1400880cm 平安時代  岐阜県大野町   

醍醐寺 木造彩色 不動86,3cm  降三世122,3cm  軍荼利125,8cm  大威徳80,3cm  金剛夜叉116,7cm  藤原時代 

大覚寺 木造彩色 不動50,9cm  降三世67,5cm  軍荼利69,3cm  大威徳58,1cm  金剛夜叉69,5cm  鎌倉時代

不退寺 木造彩色 玉眼 不動 85,7cm 降三世 154,7cm 大威徳 157,0cm 軍荼利 99,0cm 金剛夜叉 150,5cm  鎌倉時代

●宝山寺(奈良)木造彩色厨子入 不動17,2cm  降三世18,7cm  軍荼利17,5cm  大威徳11,5cm  金剛夜叉18,1cm   江戸時代 

瑞巌寺(宮城県松島)木造彩色 不動64,1cm 降三世92,1cm 軍荼利89,7cm 大威徳67,7cm 金剛夜叉91,9cm 平安時代  

常福寺 寺院公式サイト(三重県上野市)   木造彩色 不動172,7cm 降三世178,8cm 軍荼利72,7cm 大威徳150,6cm 金剛夜叉177,7cm 平安時代


最終加筆日2004812日  2005年2月24日

 

  

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