法華寺

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 正式名称は法華滅罪之寺と言い法花寺と書かれた時代もある、わが国には法華寺の呼称を持つ寺は各地にあり、唐の官寺制度を模倣した聖武天皇の勅願で国分寺・国分尼寺が建立された折りに尼寺を法華寺と呼称したと言い、造法華寺司が置かれ総国分尼寺とされた、因みに749年に定められた墾田地は奈良の法華寺が千町歩で各地の法華寺は四百町歩であったと言う。
法華経
には提婆達多品(だいばだったほん) に文殊菩薩と智積菩薩の会話に於いて八歳の童女の成仏が書かれており、女人救済が説かれている為の尼寺と言えよう。
741年「国分寺建立の詔」により、国分寺(金光明四天王護国之寺)には僧侶二十人の定員が認められ、国分尼寺(法華滅罪之寺)には十人の尼僧が認められた、法華経と金光明最勝王経を置き伽藍配置も特定された様である、因みにこれらの寺名は詔で命名されていた、これらの総本山が東大寺と法華寺(奈良)である。 
光明子創建の門跡尼寺は氷室御所とも言われ、藤原不比等の住いの跡を光明皇后が両親である不比等夫妻の菩提寺として創建した寺で、後に国分尼寺となり光明皇后の一周忌法が営まれたとされる。
父を尊敬し自ら藤三女を名乗り金光明経を信じる皇后が滅罪を強調した理由として、金光明懺法にはこの経典を唱えれば懺悔の心を癒してくれる経典であると信じて、藤原一門が系統以外の長屋王、吉備皇女夫妻や安積(あさか)親王抹殺に対する滅罪の意味があろう。 
創建当時の法華寺の本尊は東大寺と同じ盧遮那仏であり、境内には東西両塔を含む七堂伽藍を備えていた。
法華寺の国宝・十一面観音は秘仏でり開扉日は下記の通りであるが、(かや)材の一木造で、飜波式衣文などで引き締まった躯体を見せ、皇后の容姿を写したと言う伝承がある素晴らしい檀像様である。
広大な伽藍を持っていたが平安時代になり官寺の待遇を受けた「造法華寺司」が廃止になり、遷都を境として火災などもあり著しく衰退するが、鎌倉時代になり西大寺叡尊によって尼に「沙弥尼戒」
śrāmaerikā制度を設けるなどの支援で復興される、しかし再度衰退を繰り返す1408年・1506年の火災)、現在の伽藍は豊臣秀頼と淀君による再興である、現在は本堂・南門・鐘楼・浴室・光月亭・横笛堂などで構成されている。 
本堂は桃山時代の堂宇で歴史的にも新しく単層であるが、桁行7間・梁間4間の寄棟造は重厚であるが瀟洒な佇まいを持つ名建築と言えよう。  
自動車道奈良インターより東に進み東大寺転害門へ向かう道すがら海竜王寺・平城宮跡等があり散策には比較的良いコースと言えたが近年変貌した。
現在は通称・山村御殿すなわち円照寺(山村御所)及び中宮寺と共に大和三門跡寺院に数えられ本坊庭園は国の名勝指定を受けている。
古くから挙行されている雛会式が41日~7日まで行われ天平時代を彷彿させる。  

  
真言律宗     所在地    奈良市法華寺町882      ℡ 074233226      

1 、 
門跡寺院 宗派一門の祖師の法脈を継承する寺の事を言い、平安時代後期になると皇族や公家などが出家して代々入寺する寺を言うようになる、塀には5本線を入れる事が許された、江戸時代に宮門跡(天皇家の入室) 親王門跡(宮家から入室) ・攝家門跡(五摂家) ・清華門跡(公家)・准門跡(脇門跡・真宗系)・尼門跡(中宮寺・円照寺・法華寺、等)に分類された、但し1871年に公的な門跡寺院制度は廃止されたが門跡を呼称する事は許された、ちなみに門跡寺院とその門主は南都仏教と同じく葬儀の祭主を務める事は無かった。

2 奈良県には著名な十一面観音を安置する・海龍王寺 ・西大寺 ・法華寺 ・聖林寺 ・大安寺 ・法輪寺  ・長谷寺 ・室生寺の八寺が参加した大和路 秀麗 八十八面観音巡礼と題したホームページが作られている。 

法華寺の文化財    表内は国宝    
印重要文化財
    
国宝拝観日 3月20日~4月7日  ・6月5日~8日  ・1025日~11月8日 

名        称 

仕                  様 

   時     代 

   十一面観音 

   木造一木造 (かや)材 素地  100cm  檀像様 

    平安時代 

  阿弥陀絵  

絹本著色 掛幅装三幅 阿弥陀如来185,0×146,1cm  観音・勢至菩薩  186,4×173,6cm    童子 183,3×55,2cm          

    藤原時代 

●本堂 桁行7間 梁間4間 寄棟造 本瓦葺 単層 桃山時代  

●南門 四脚門 切妻造 本瓦葺 桃山時代  

●鐘楼 桁行3間 梁間2間 入母屋造 本瓦葺 桃山時代  

●佛頭 木造漆箔 115,1cm 鎌倉時代  

●二天の頭部 伝帝釈天・梵天 木造彩色 78,964,5cm 天平時代  

維摩居士像 木心乾漆 92,7cm 天平時代  他   

   
 

最終加筆日20041126日 20061116日 補筆

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