長弓寺

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真弓山長弓寺(ちょうきゅうじ)が正式名称で金鵄伝説(きんしでんせつ)など多くの伝承を持つ寺である、富雄(とみお)は日本書紀にも登場する由緒ある地名である、728年聖武天皇の勅願により行基が創建したとされるが世紀後半に藤原良継による創建の可能性もある。
平安時代に入り藤原家が深く帰依する事により諸仏・伽藍を置き隆盛を見るが、重なる兵火と明治の廃仏毀釈により現在の姿となる。
長弓寺の魅力は和様・大仏様との折衷様で完成度の高い優美な国宝の指定を受けた本堂の棟木には弘安221279年上棟の墨書がある、また切金文様が残る重文指定の十一面観音像がある、また役行者の石像もある。
戦国時代、織田信長に寺領を奪われるが、それでも江戸時代には本堂の他に三重塔・護摩堂や多くの塔頭寺院を擁していたとされる、現在は薬師院・宝光院・法華院・円生院の子院がある。
近年叡尊が創建に関与した北大和寺は長弓寺ではないかとの説もある、また大和十三仏霊場勢至菩薩)の九番札所である。


山号 真弓山    宗派 真言律宗      所在地  奈良県生駒市字上4443    (真言律宗は真言宗に分類しております) *拝観事前連絡必要 п@0743-78-2468 (薬師院)

 

注1、行基 (ぎょうき・668749奈良時代の法相僧で 唯識論の権威、父の高志氏は百済系渡来人。長安に於いて玄奘三蔵に学んだ飛鳥寺の道昭に師事する。(異説もある、新羅僧慧基に学ぶ等)
法興寺・薬師寺を経て山岳修行を行い、聖武天皇から菩薩号を授けられたと言う伝承が有る、彼の元に私度僧が多く集まり民間佛教の伝道と社会事業に尽力する、特に土木技術に精通していたとされる。また行基により創建されたと言う寺は多くあり、彼の指導による仏像・橋梁・堤防・港など多く作られたと言いその名声から多くの伝承を残した。
745年 大僧正  また歌の名手で有ったらしく行基の詠んだとされる歌が残っている。    玉葉集  「山どりのほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」    

2 伝承ではあるが行基は弥勒信仰に篤く兜率天の宮に存在すると言われている49院を日本に建立できる様務めたという。 
行基が創建したと伝えられる寺院は行基49院と呼ばれ
(寺院34寺・尼寺15寺)多く存在する、奈良県・霊山寺 長弓寺   京都府・宝積寺    大阪府・金剛寺  孝恩寺  家原寺 喜光寺   滋賀県・金剛輪寺 などと言はれる。 

注3、死者に対する法要に関する信仰に「十三仏信仰」があり当寺も大和十三仏霊場に参加している

主な文化財

本堂  梁間5間・桁行6間 入母屋造桧皮葺  室町時代 

十一面観音立像 木造彩色  116,cm 藤原時代 

●黒漆厨子  左右の扉に胎蔵曼荼羅金剛界曼荼羅不動明王降三世明王などが画かれている。




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