竜蓋寺(岡寺)

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岡寺とは古い地名から呼称されたとされるが、一説には草壁皇子の住まい岡本宮を寺とした事からとの説もある、正式名称を東光山・真珠院・竜蓋寺(りゅうがいじ)と言い、天智天皇の勅願寺で天皇から草壁王子と共に育てられ日本に於ける法相宗の祖、義淵(ぎいん)僧正(1)の創建とされるが、弟子の一人でもある弓削の道鏡の創建説もある。
当初は興福寺の別当が兼帯する格式の高い寺であった。
鎌倉時代
から火災等もあり衰退を見せたが江戸時代に入り真言宗豊山派の法住よって再興され興福寺の傘下から離脱し長谷寺の末寺となり豊山派(ぶざんは)の所属である、西国三十三箇所観音霊場の七番目の札所にあたり厄除観音として賑わいを見せている。
日本で最初に法相宗を伝えた義淵僧正は、他にも数箇所の寺を興しており玄ム ・行基 ・東大寺初代別当を勤めた良弁(ろうべん) 留学僧(るがくそう)大安寺で日本仏教界の指導的役割を果たした道慈(どうじ) ・称徳女帝に重用された弓削道鏡等の逸材を弟子に持っていたとされる。
岡寺では老僧の極致とも言える義淵像が国宝指定を受けているが僧形文殊との説もある、また如意輪観音の塑像は姿形が変更される程補修個所は多いが重要文化財指定の中では最大の巨像である、塑像か銅像か何れかの観音像が義淵の弟子であり如意輪観音信仰の篤い道鏡の発願と伝えられるが造顕された時代に問題がある。

1、義淵    〜728   
日本法相宗の祖とも言われ師は同じく法相の祖と言われる新羅僧・智鳳に学ぶ、703年僧正、727年に聖武天皇から市往氏を改名、岡の連
(むらじ)の姓を受ける。天智天皇の王子で草壁皇子と伴に育てられたが、出家して法相を学ぶ、岡宮を拝領しこれを寺に改めて竜蓋寺とした、これが岡寺の嚆矢とされる、弟子に東大寺の発展に関与した良弁やさらに玄肪・道慈・道鏡がいる、また空海に影響を与えた勤操大徳は孫弟子にあたる。     


真言宗豊山派     所在地  高市郡明日香村大字岡806     п@0744-54-2007

注1、 別当とは興福寺等、大寺に於ける館長にあたる地位。

岡 寺の文化財   表内は国宝    ●印重要文化財

名   称

適                   用

 時  代 

 義淵僧正坐像

 木心乾漆像彩色 93,0cm僧形文殊像との説も(奈良博寄託)

 平安時代

如意輪観音坐像 塑像彩色 458,1cm  平安時代 本尊の如意輪観音は日本最大の塑像であるが補修箇所が多く彩色も脱落、当初は半跏像であった。 

●如意輪観音半跏像 銅像鍍金 16,5cm 天平時代(奈良博寄託) 

●佛涅槃像(釈迦如来)木造 171,1cm 鎌倉時代(涅槃像は日本では数が少ない) 

●仁王門(楼門)入母屋造 本瓦葺、慶長十七年(1612年)の墨書がある。

●書院 桁行13m 梁間10m 切妻造 柿葺 江戸時代 

●天人浮彫磚(天人や鳳凰を浮き彫りにした磚)伝岡宮腰瓦 39,4cm:8,4cm 天平時代  
     

2004年12月24日 2005115

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