山号を鼻高山と呼び聖武天皇の勅願により行基(注1)か東大寺の毘盧舎那仏の開眼法要の導師で開眼筆を使用し開眼作法を務めたバラモン僧で大安寺で生涯を終えた・菩提遷那の創建とされ菩提遷那(注3)が
右大臣・小野富人(鼻高仙人)が薬師三尊を奉り薬草風呂を設置したのが嚆矢との伝承がある、現在は薬師湯やバラ園で賑わいを見せる。
西国薬師を巡礼する霊場に薬師如来を本尊とする49寺が参加しており、霊山寺は二番札所となっている。
霊山寺は和様建築の本堂や三重塔・鐘楼・仏像に多くの文化財を持つが秘仏が多い。(開扉日は下に記述)
霊山寺真言宗大本山 所在地 奈良市霊山中町3879 ℡ 042-45-0081
注1、行基 (ぎょうき・668~749)奈良時代の法相僧で 唯識論の権威、父の高志氏は百済系渡来人。長安に於いて玄奘三蔵に学んだ飛鳥寺の道昭に師事する。(異説もある、新羅僧慧基に学ぶ等)
法興寺・薬師寺を経て山岳修行を行い、聖武天皇から菩薩号を授けられたと言う伝承が有る、彼の元に私度僧が多く集まり民間佛教の伝道と社会事業に尽力する、特に土木技術に精通していたとされる。また行基により創建されたと言う寺は多くあり、彼の指導による仏像・橋梁・堤防・港など多く作られたと言いその名声から多くの伝承を残した。745年 大僧正 また歌の名手で有ったらしく行基の詠んだとされる歌が残っている。 玉葉集 「山どりのほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」
注2、行基が創建したと伝えられる寺院は多く存在するが、奈良県・霊山寺 長弓寺 京都府・宝積寺 大阪府・金剛寺 孝恩寺 家原寺 喜光寺 獅子窟寺 滋賀県・金剛輪寺 などとされる。
注3、菩提遷那 (ぼだいせんな)(704~760)インドのバラモン僧正、文殊菩薩に心酔し唐・五台山大華厳寺に入る、華厳経に精通し密呪を得意とした、736年来日752年4月9日、東大寺の大仏すなわち毘盧遮那佛の開眼導師を勤める、光明皇太后に「天平応真仁正皇太后」称徳女帝に「宝字称徳考謙皇帝」の称号を奉じたり藤原仲麻呂との接点が多い。
注4、死者に対する法要に関する信仰に「十三仏信仰」があり当寺も大和十三仏霊場に参加している。
霊山寺の文化財 表内は国宝 ●印重要文化財
名 称 |
適 用 |
時 代 |
本 堂 |
桁行5間・梁間6間 入母屋造 本瓦葺 |
鎌倉時代 |
●阿弥陀如来坐像 木造漆箔 82,0cm 藤原時代
●大日如来坐像 木造漆箔 111,3cm 藤原時代
●持国天・多門天立像 木造彩色 玉眼 持国116,6 ・多門121,0cm 藤原時代
●毘沙門天 立像 木造彩色67,3cm 鎌倉時代 (11月23日より2週間 公開)
●十二神蒋立像 木造彩色 玉眼 73,6-79,8cm 鎌倉時代
●薬師如来三尊(秘仏・本尊) 木造 榧一木造 漆箔彩色 中尊62,0 日光86,5 月光87,7cm 藤原時代 納入品・紙本墨書・貢進状31,5:17,8cm*(1月1日―3日・11月23日より2週間 公開)
●十一面観音立像(秘仏) 木造 榧一木造 83,9cm 平安時代 (11月23日より2週間 公開)
●三重塔 3間 3手先 桧皮葺 室町時代
●鐘 楼 桁行1間・梁間1間 入母屋造 桧皮葺 室町時代
最終加筆日2004年8月19日 2017年12月14日